マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第十六話 もうひとりのウンディーネ

「灯里さん?フロントクラークはね、まずは挨拶が基本となるのよ」

 

ロビーの中央付近で、アガタは灯里と並んで立ち、得意満面な顔でレクチャーを行っていた。

 

「いらっしゃいませ!はい!」

「いらっしゃいませ!」

「うん、いい線いってるわね。結構やるじゃない!」

「ありがとうございますぅ~」

「じゃあ、次ね。お辞儀はね、こうやって手を重ねて・・・」

 

「アガタ!」

 

聞きなれた声に、アガタは、お辞儀の姿勢のまま、前屈みになってクルッと顔を向けた。

 

「あっ、先輩!」

「ちょっと、なにやってんの?」

「お辞儀の練習ですけど」

「そんなことはいいの!」

「ええ~なんでですかぁ~?」

「灯里さんは、そんなこと必要ないの!」

「でもフロントクラークの基本じゃないですかぁー」

「あのね、灯里さんは長い間ウンディーネをやってるの。しかも今はプリマなのよ?そんな今さらお辞儀から教えるなんて、おかしいでしょ?」

 

「あ、いえ、いい勉強かと・・・」

 

「ほらぁ~灯里さんもそうおっしゃってるじゃないですか~?」

 

「謙遜なの!」

 

アデリーナは、灯里から少し離れたところへアガタの腕を引っ張っていった。

灯里の方にチラッと目を向けると、アガタを引き寄せて、小声で話始めた。

 

「はぁ~」

 

灯里は見て見ぬフリをして、気づかないようにとぼけていた。

 

「ちょっと、わかってるの?」

「わかってますよ。私は灯里さんのサポート役なんですよね?」

「そうよ」

「だから、フロントに復帰できたってことなんですよね?」

「そういうことね」

「それなら尚更のこと、先輩クラークとしてですね」

「だからそこは要らないの!」

「なんでなんですかぁ~?それじゃあ先輩の意味、なくないですかぁー?」

「先輩とか後輩とかないの!」

「ないんですかぁ~?」

 

アデリーナは先ほどよりももっとアガタを引き寄せ、声を落とした。

 

「灯里さんは、あくまでも犯人の目撃者としてここにいるの。それがまず第一の役割でしょ?だからホテルの従業員として見えていれば、とりあえずはそれでいいの!」

「はい、わかりましたです」

 

アガタは口をとんがらせて、仕方ないといった顔で答えた。

 

「それに」

「まだあるんですか?」

「私語は厳禁だからね」

「それくらいわかってます」

 

アデリーナは釘を刺すように、アガタの腕をグッと力を込めて引き寄せた。

 

「もう!それくらい私だってわかってますって!」

 

アデリーナが去っていく後ろ姿をアガタは睨み付けていた。

そして、アデリーナの後ろ姿を目で追いながら、灯里のそばに戻った。

 

「お待たせー」

「もうよろしいのですか?」

「大丈夫ですよ」

「そうですか」

「先輩って、ちょっと心配性なんですよね」

「はぁ」

「フロントクラークとしての心得くらい、わたしだってあるんですから」

 

アガタは、正面に向き直ると、ふぅーと息を吐いた。

 

「ところで灯里さん?」

「はい、なんでしょうか?」

「もう会ったんですって?」

「ああ、それは、わたしもどうなのかハッキリとはわからなかったんですけど・・・」

「そうなの?どうして?」

「なんとなくなんですが、違うような印象だったので、正直にお話させてもらったのですが」

「違う印象?うそでしょ?」

「申しわけありません」

「あんなひと、見間違うことあるんですか?」

「えっ?」

「あれだけ綺麗で、オーラ出まくりなのよ?」

「あ、あのー」

「アレッサンドラ・テスタロッサでしょ!」

「はひっ!」

 

アガタは驚いた顔で、まじまじと灯里を見つめた。

 

「アガタさん?ちょっと声が」

「うらやましいです。ここに来て、いきなりアレッサンドラ・テスタロッサって。私なんて犯人役専門の、あのおじさんの俳優さんしか見たことないですから」

「ア、アガタさん?」

 

アガタは胸の前で腕を組んで、目をとじ、ウンウンとひとり納得していた。

だが、そこでようやく異変に気づき、灯里とは逆の方にゆっくりと顔を向けた。

 

アガタの柔らかい左のほっぺに、人差し指がグッと差し込まれた。

 

アデリーナがアガタの肩に手を置いて、その人差し指をまっすぐ伸ばしていた。

 

「アガタ?」

「ふぁ、ふぁい!」

「ホテル、辞める?」

「よむぇもすぇん」

「えっ、何て言ったの?」

「しゅみむぁしぇ~~ん!」

「わかればよろしい!」

 

アガタは肩をすくめ、シュンと小さくなってしまった。

 

「お恥ずかしいとこをお見せしてしまいました。エヘヘヘ」

 

少し赤くなった左のほっぺをさすっていた。

 

 

 

いつもの殺風景な会議室で、アロンソはアルフ捜査官とふたりっきりで話し込んでいた。

 

「そんな話、どこから手に入れた?」

「それは言えません」

 

アルフは腕を組んで、鼻から息を吐き出した。

眉間のしわが、判断に迷いが生じていることを物語っていた。

 

「確かでない情報で、捜査班は動かせないぞ」

「そんなこと、わかってます。でもそれが本当だとしたら、手がかりになる可能性は大きい」

「うーん」

「捜査官!」

「ちょっと待て。確かにお前の言う通りだとすると、犯人もある程度だが、絞れてくる可能性もある。だが、今回の事件、まだ登場人物がハッキリとしている訳ではない」

「登場人物?」

「誰がこの事件の関係者となるのか。誰が関わっていて、誰がそうでないのか」

「黒すくめの男じゃないですか?」

「お前、本気でそう思ってるのか?そんな単純な事件じゃないことくらい、お前も感ずいているはずだ」

 

アルフからそう言われたアロンソは、何か言おうとしたが、その言葉を飲み見込んだ。

 

「犯人はなぜこのホテルをターゲットにしたかは、まだわかっていない。ホテルの主要な人物の背後関係を、専従捜査班にあたらせている。これに関しては、アデルモ総支配人にも知らせていない。総支配人もそのひとりだからだ。だが、犯人がこのホテルをうまく利用しているのは確かだ」

「利用している?」

「日々多くの人間が利用するホテルは、格好の隠れ蓑にすることもできるということだ。カモフラージュといってもいいだろう」

 

アロンソは苛立ちのあまり、アルフの前にあるテーブルをバン!と大きく叩いた。

 

「じゃあ、何も動かないということですか?」

「そんなことは言っていない」

 

その時、アルフの携帯が鳴った。

 

アルフは上着の内ポケットからそのスマートフォンを取り出した。

 

「うん、そうか。わかった。引き続き捜査を続けてくれ」

 

「何かあったんですか?」

 

アロンソは、スマートフォンに指先をチョンと当て電話を切ったアルフの顔を覗き込んだ。

 

「アロンソ、お前のさっきの情報だがな」

「夜明け前に目撃されたゴンドラの件ですよね?」

「かなり有力な情報になるかもしれん」

「それはどういうことですか?」

 

アルフは少し考えこんだかと思うと、パイプ椅子から立ち上がり、ホワイトボートにマーカーを走らせた。

 

「A ・・・R ・・・I・・・」

 

アロンソはその文字を言葉にして読んだ。

だが、アルフがその文字を書き終えた瞬間、口を固く結んでその文字を睨み付けた

 

「どういうことですか?」

 

アルフはその文字をマーカーで丸く囲むと、そのマーカーの蓋を閉じた。

 

「灯里くんは?」

「ロビーにいるはずです」

「そうか。じゃあこれは一体どういうことなんだろう」

「捜査官!」

 

アルフは、隣の部屋のモニタールームに移動した。

アロンソもそれに続いた。

 

「すまんが、ロビーの画面を拡大してくれ」

 

担当者がそれに返事をすると、大きなモニターにロビーの中央付近を拡大した映像が写し出された。

 

そこには、にこやかに立っているアガタの横で、少し苦笑しながらアガタの話を聞いている灯里の姿があった。

 

「捜査官?まさか、彼女が・・・」

 

アルフは両手を腰にあて、鼻から大きく息を吐き出した。

 

「専従捜査班からの報告で、さきほどARIAカンパニーのゴンドラが確認された」

「確認されたって、それって、どこで・・・」

「つい今しがただ。リアルト橋の下でな」

「リアルト橋の下?それって、観光案内してるってことですか?」

「そういうことだ」

「ARIAカンパニーって、彼女ひとりなんですよね?」

 

モニターをじっと睨み付けているアルフの横で、アロンソは顔をこわばらせて、同じ画面を見つめていた。

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