マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
藍華は、姫屋カンナレージョ支店のホールにひとり立って、辺りを見回していた。
「ふぅ~。今日もこれで終了ってとこかしら」
掃除道具を片付けていた従業員に、もうあがるように声をかけた藍華は、パンパンと手を打ち払った。
「さぁ、いっちょ上がりっ!」
そこへうつむき加減のあゆみが現れた。
「お嬢~」
「わぁ!ビックリしたぁー!」
「お疲れ様っすぅ~」
「う、うん、お疲れ様・・・って、あんた、なんでここにいるの?今晩は当番のはずでしょ?」
「その当番なんすけどね」
「何?お腹でも痛いの?」
「そんなお使いに行くのを嫌がっている子供と一緒にしないで下さいよ~」
「じゃあなんなの?」
「お嬢?至急ARIAカンパニーに来るようにって」
「来るようにって、一体誰がそんなこと言ってるの?」
「晃さんす」
「あ、晃さんが?なんで?」
「もう、察しがついてもよさそうなもんですけど・・・」
「察しがって言っても・・・えっ、ちょっと待って?もしかして・・・」
「そのもしかしてなんすよ!」
「な、なんで?ちゃんと計画を練って、準備も怠らずにしたのよ?なんでぇ~~」
「アリシアさんも一緒っす」
「アリシアさんも!」
「もう終わりなんです!」
藍華は顔面蒼白で、頭を抱え、思わず天井を見上げた。
「オーマイガァー!」
「誰なんすか、いったい・・・」
ARIAカンパニーの一階には、晃とアリシアが、テーブルを挟んで、捜査員たちと向かい合ってすわっていた。
晃は目を閉じ、眉間にシワを寄せていた。
足を組み、腕を組んで、身動きひとつせず座っていたが、内心冷静さを保つのに必死だった。
声を掛けようもんなら、溜まっていたものが一気に爆発しそうだった。
アリシアはその横で、とてもばつが悪そうに恐縮しきりだった。
うつむいたままで、時折正面に座っている捜査員たちの顔色をうかがっていた。
その捜査員たちは、明らかに怒っていた。
怖い表情で二人を凝視している。
「まだですか?」
「晃ちゃん?」
「もう少し時間を下さい。間もなく来ますので」
晃は全く動じることのない素振りだったが、かえってそれが、このあと起こるであろう場面の怖さを想像させた。
「晃ちゃん?冷静にね?あくまでも冷静によ?」
「わかってる」
「何か理由があったのよ。きっと」
「それは話を聞いてからだ」
「晃ちゃん、それはそうなんだけど」
その時、正面のドアをノックする音がした。
「失礼します」
藍華は、気まずそうに中の様子を伺いながら入ってきた。
「なんか、怪しい雰囲気の男の人たちが外にいますけども」
「怪しいのはお前の方だ!」
藍華の言葉に、間髪入れず、晃がいい言い放った。
「晃さん、すみません。実はこれには理由がありまして」
「まあ、座れ」
「は、はい!」
晃は藍華が店内に入ってきてから、ずっと目をとじたまま、藍華の方を見ることをしなかった。
「それでは、失礼して」
「いや、立ってろ」
「は、はい。それじゃあ」
「いや、やっぱり座れ」
「晃さん・・・」
「晃ちゃん?そこまでしなくてもいいんじゃないかしら?」
アリシアが思わず口を挟んだ。
「アリシア、お前は黙ってろ!」
「それはできないわ。これはARIAカンパニーのことだし、灯里ちゃんにも関わってくることよ」
晃は返事しょうとはしなかった。
「藍華ちゃん?とにかく座って?」
藍華はすっかり表情を失ってしまっていた。
アリシアに促されるまま、アリシアのそばの椅子に座った。
「ネオ・ヴェネト州警察です。いろいろとあなたには聞くことがあります。いいですね?」
「お前は二、三日帰って来なくていい」
捜査員の問いかけに藍華が返事をする前に、晃が口を開いた。
「刑事さん、こいつをしばらく牢屋にぶち込んでください!」
「晃さん、そんなぁ・・・」
藍華はすっかりうなだれて、情けない顔になっていた。
「まだ何も聞いておりませんので、どうするかはこれからです」
「晃ちゃん?藍華ちゃんからまだ何も聞いてないわ」
「だいたいのことは、あゆみから聞いて把握できている。だから、言ってるんだ。プリマにまでなって、お前は何をやってるんだ!」
晃は我慢していた感情が、ついに爆発してしまった。
「晃ちゃん、冷静に話す約束でしょ?」
「私は、やったことをどうこう言ってるんじゃない!コイツが、自分の立場をわかっていないことに腹が立ってるんだ!」
晃は藍華に向かって怒鳴り付けた。
「あの、姫屋の方?今は、このウンディーネさんがどう関わっていたかが重要なんです」
捜査員が思わず割って入った。
「刑事さん!コイツはですね、伝統ある姫屋の支店を任されるまでになっておきながら、こんなことにうつつを抜かしやがってですね」
「うつつ?」
「事件のことを何も知りもしないのに、バカをやってるヤツなんですよ!」
「しかし、ARIAカンパニーの水無灯里さんとは以前からかなり親しい仲だと聞いてますが?」
「親しいのは確かに親しいです。ですが、お互いウンディーネとして親しいだけなんです。コイツらは、それ以外のことになんの興味もないんです!」
「晃さん、それじゃあ私と灯里はバカみたいじゃないですかぁ?」
「お前は黙ってろ!」
晃は藍華の言葉をすぐさま遮るように言葉を放った。
「お前は、一週間の謹慎、給料は半分に減給。いや、それじゃあ足りん!無給だ!ボランティアだ!ネオ・ヴェネツィアの街中のゴミを拾え!」
「晃ちゃん、そこまで言わなくても」
アリシアが思わず言葉を挟んだ。
「コイツはそれくらいやらせておけばいいんだ!」
「晃さん、そんなぁ・・・」
晃はガタンと音をさせて立ち上がった。
「刑事さん?私はこれで帰ります。いつでも結構です。連絡してください。逃げも隠れもしません。ただ、私は姫屋のチーフ・ウンディーネとして責任があります。姫屋に所属しているウンディーネに関することは、必ず私を通して下さい」
晃は捜査員たちに一礼すると、そのまま出ていった。
藍華は、身動きひとつ出来ず、その場にじっとしていた。
「ちゃんと話してくれるわね?」
アリシアが目に涙を浮かべている藍華に優しく話しかけた。
「どっちがお好みなんですか?」
アデリーナは、アロンソに気づかれないよう、そっと近づいて驚かそうとしていた。
だが、アロンソの反応は期待したものではなかった。
「なんですか?」
「さっきから、あの二人を気にしているように見えるんですけど」
「気のせいです」
「そうなんですか」
そこでアデリーナは何か別のことに気がついたような顔になった。
「もしかして、何かあったんですか?」
アロンソは周辺に視線を向け、反応しなかった。
「ふーん。あったんですね?」
「何も言ってない」
「あったんだ」
「かまをかけたつもりか?」
「別に」
アデリーナは、アロンソの背中から覗くようにして、ロビーにいる灯里とアガタの方を見た。
「どっち?」
「どっちでもない」
「どっちかなんだ」
「好きにしろ」
「じゃあ、アガタ」
アロンソは何も反応しない。
「灯里さんなの?」
アロンソはくるっと振り返った。
「あんたは探偵にでもなったつもりか?」
「灯里さんなんだ」
アロンソはまたロビーに視線を移した。
「結構重要なこと、なんですね?」
アロンソは全く反応しなくなった。
「ふーん」
「彼女には、ここを外れてもらうかも知れない」
「えっ、また何かやらかしたの?あの子!」
「だから」
「あっ、そういうことね・・・灯里さんなの?」
アデリーナの驚いた様子に気がついたのか、アガタが振り返った。そして、アデリーナに批判的な目を向けてきた。
「なんであの子に睨まれなきゃいけないの?」
「こっちはこっちで、口を閉じてるところを見たことないな」
アデリーナは大きなため息をついた。
「私からまた言っておくわ。それより、灯里さんがなぜここを外れるの?」
「おそらくこの時間、ARIAカンパニーには捜査班がいるだろう」
「どうして?」
「疑われている」
「ARIAカンパニーが?」
「おそらくそこが問題になってくる」
「どういうこと?灯里さんはここにいるじゃない?なのになぜARIAカンパニーなの?」
アロンソは急に黙りこんだ。
「肝心なことは言わないつもりね」
「当たり前だ」
「灯里さんがここにいるのに、ARIAカンパニーには捜査班が向かっている。つまり・・・」
アデリーナは、ちらっとアロンソの顔色を伺うように見た。
「何?」
「わかったんじゃないのか?」
「そんな都合よくわかるわけないじゃない。他に何か当てがあるなら別だけど・・・」
アロンソがまただんまりになった。
「あなた、犯人ならすぐ捕まるかもね」
「なんだと?」
「意外と分かりやすい」
「うるさい!」
その時、他のフロントクラークがアデリーナに近づいて、耳打ちしてきた。
「わかった。わたしから話してみる。ありがとう」
アデリーナはそのフロントクラークを見送って、その場を離れようとした。
「何かあったのか?」
「あなたが教えてくれないことが、今わかった」
そう言って、アデリーナはロビーでにこやかに話している灯里とアガタのところに向かった。
アデリーナに気づいたアガタが、わざとらしく何事もなかったように、すまし顔で前を向いた。
「アガタ?」
「はい」
「ちょっとあっち行ってて」
「あっちって、どういうことですか?」
「灯里さんに大事な用があるから」
「大事な用なら、なおさら」
「アガタ!」
「は、はい!・・・わかりました。あっちですね」
そう言ってアガタはその場から、トボトボ歩き始めた。
「あっちって場所が、このホテルにあるんですか?」
アロンソの前にさしかかった時、チラッときびしい一瞥を向けて通り過ぎていった。
「灯里さん、少し落ち着いて聞いてほしいの」
「はい、なんでしょうか?」
「あなたは確か、姫屋の、あのオーナーの娘さんの藍華さんをご存知よね?」
「はい、知ってます。友達です」
「そうなのね」
「あの、藍華ちゃんに何かあったんですか?」
「その藍華さんなんだけど」
灯里は、一変に緊張が全身を走った。
「今、ARIAカンパニーで警察に逮捕されたって知らせがあったの」
「えっ、すみません。なんて言ったんですか?逮捕って聞こえたような・・・」
灯里の顔から、一瞬にして血の気が引いていった。
「わたし、灯里を説得するつもりでここに来たんです」
藍華は、さっきまで晃が座っていた椅子に腰かけていた。
アリシアは、隣で藍華の背中をさすって気持ちを落ち着かせようとしていた。
すみません、と小声で言った藍華は、ようやく話始めた。
「なんで灯里が犯人逮捕だなんて、そんな危険なことに協力しなきゃいけないのって」
アリシアは黙って頷いていた。
「アリシアさんもアリシアさんだって」
「わ、わたし?」
「はい」
「えっと、そんな話だったかしら・・・」
「でもアリシアさんは、実は断ったって言ってました」
「そうよね。確かそうだったわ」
アリシアは、ふぅーと息を吐いた。
「大事なウンディーネにそんな危険なこと、させられないって」
「そうね」
「そしたら、灯里が自分から協力するって言ったって」
「うん。確かにそうだった」
「なんでそんなことを自分から言うの?いまから断ったらっていったら、灯里、真剣な顔で言ったんです」
藍華はテーブルから顔を上げて、アリシアの方を向いた。
「ネオ・ヴェネツィアは、いつからそんな不安なところになったのかって。いつでも誰でも楽しんで来ることができる場所だったはずだって」
「灯里ちゃんがそんなことを」
藍華は、訴えかけるような真剣な顔になっていた。
「そのためだったら、自分が協力できることがあるのだったら、協力するんだって」
「そういうことだったのね。なぜそこまで協力する気になったのか、少し疑問だったの」
「灯里のいうことは、その通りだと思った。だから、反対するんじゃなくて、応援しよう、いや、するべきだと思ったんです」
「うんうん。そうだったのね。それでカモフラージュ、なのね?」
「はい。しはらく、このARIAカンパニーは休まなくてはいけないっていうから。でもそんなことしたら、無用心だし、第一、せっかくARIAカンパニーといえば灯里のことだと知ってもらえるようになってきたのに」
「藍華ちゃん、そんなふうに思っていてくれたのね」
「ええ、まぁ」
「でも灯里ちゃんは、このことは?」
「知りません。完全にわたしのお節介なんです。灯里はこの事に関しては、誓って何の関係もありません!」
「ということなんですけど」
捜査員二人は、二人の会話を黙って聞いていた。
そしておもむろに軽く咳払いをした。
「あの、アリシア理事?」
「なんでしょうか?」
「お話はわかりました。でも困ります」
「どういうことで・・・」
「そういった話は、我々が聞くのが仕事なんです。全部理事に聞かれてしまっては、やることがありません」
「あらあら。それは失礼いたしました♡」
アリシアのうっとりするような微笑みが、部屋中にいっぱいの幸福感をもたらしていた。
「理事?ただ、これだけで終わることは出来そうにないんです」
「まだ何かあるのでしょうか?」
「こちらの藍華さんが、犯人と通じていないと、完全に証明されたわけではありません」
「それなら大丈夫です」
「どうしてそう言いきれるのですか?」
「僭越ながら、ゴンドラ協会の理事として、また水先案内業界を代表して、そしてプリマ・ウンディーネとしてこのネオ・ヴェネツィアにすべてを捧げると誓った者として、私、アリシア・フローレンスは、ここにいる藍華・S・グランチェスタが嘘偽りのないことをお約束いたします」
アリシアは、捜査員を前にきっぱりと言い放った。
「アリシアさん・・・」
藍華は、もうウルウルが止まらなくて、どうしようもなかった。
「それでもダメですか?」
「もし何かあったら?」
「私がすべての責任を取ります」
捜査員たちは、難しい顔をしていたが、それ以上は何も言えなかった。
アルフ捜査官は、電話を耳に当てながら、少し苦笑していた。
「そうか。そこまでおっしゃったのか。仕方ないなぁ」
アルフは電話の相手にねぎらいの言葉をかけ、一旦引き上げるよう指示を出した。
そこに丁度、灯里が姿を表した。
「アルフさん?どういうことなんでしょうか?藍華ちゃんが逮捕って」
灯里は顔面蒼白で立っていた。
不安で仕方ないと、そんな気持ちが顔から滲み出ていた。
「逮捕?なんだそれ?」
「だって、捕まったって聞きました」
「灯里くん?幸いにといったらいいのか、それとも残念ながらといったらいいのか。この事件に関しての逮捕者は、まだ誰一人も出ておらんよ」
「そうなんですか?」
「安心したまえ。君の周りには、疑うような人はいないということだ。ただ・・・」
「ただ、なんでしょうか?」
「相当なお節介焼きがいるということだ!」
「はぁ」
アルフはグゥーっと背中を伸ばすと、大きく息を吐き出した。
「これでまた、振り出しかぁ」
会議室のドアのところに立っていたはずの灯里の姿が、いつのまにか消えていた。