マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第二十話 動き出したネオ・ヴェネツィアーティー

アガタはロビーに戻ってきたアロンソにチラリと目を向けた。

 

浅黒い、仏頂面の顔がロビーを見渡している。

 

すると、フロントへ向かい、フロントクラークに扮した女性捜査員に話しかけ、そのまま従業員通用口に向かって歩き出した。

 

「あ、あのぉ~」

 

アガタはアロンソを追いかけて声をかけた。

 

その声に反応するようにアロンソは振り返った。

 

「なんですか?」

 

アガタはアロンソの顔を見ると、少し躊躇するような仕草を見せたが、声をかけた手前、後戻りできない状況にいた。

 

「なんか苦手なんですよねぇ・・・」

 

「なんですか?」

 

アガタは咄嗟に両手で口を押さえた。

 

「用がないなら」

 

アロンソはそう言ってその場から歩き出した。

 

「あ、あの!」

 

「なに?」

 

「もうお帰りですか?」

「そうですけど?」

「ちょっとお聞きしたいことがあって」

「なに?」

「別の方から聞いたんですけど、先輩と一緒にどこかへ行かれたと」

「だから?」

「だからですね」

「何?疑われてるの?」

「疑われてるって、一体何をしたんですか?」

「いや、あのさあ、何を言ってるわけ?」

「疑われるようなこと、したんですか?」

 

アロンソは思わず周りを見回した。

 

「先輩はどこなんですか?」

「バックヤードにいるんじゃないか?さっきまで、そこでコーヒーを飲んでたから」

「コーヒーだけですか?」

「あんた、何言ってるの?」

「だって、先輩なかなか戻ってこないですから」

 

アガタはちょこんと頭を下げると、アロンソの横を通りすぎ、従業員通用口に入って行った。

 

「子供じゃあるまいし」

 

アロンソもドアを押して中へ入っていった。

 

アガタとは違う方向に行こうとしたアロンソは、ふと立ち止まった。

 

振り返った先には、足早に遠ざかって行くアガタの靴音だけが響いていた。

 

 

 

アデリーナは、最初気づかなかった。

 

背中の辺りを誰かに撫でられたような感触がして、ふと振り返った。

 

目の前には、黒のジャンパーに黒のズボン姿の男が立っていた。

 

顔を大きくおおった黒いマスクから覗く目に、心底震えがくるような冷たさを感じた。

 

その瞬間、全身に悪寒が走った。

 

背中に生ぬるいものが流れるような感じがして、咄嗟に手を背中に当てた。

 

背中に痛みが走った。

 

戻した手は、真っ赤な色に染まっていた。

 

アデリーナは恐怖で顔から血の気がなくなっていった。

 

だが、目の前の黒ずくめの男が振りかざした手に、キラリと光るものが見えた瞬間、アデリーナは咄嗟に両手を思いっきり押し出していた。

 

目の前の男の胸元に両手がぶつかる感触があった。

だが、アデリーナは反動で床に崩れ落ちていた。

 

少し後ずさった男は、一歩前に出ると、もう一度手を振り上げた。

 

「先輩?どこですか?」

 

少し先の方からアガタの声が聞こえてきた。

 

黒ずくめの男は、後ろを振り返った。

 

「アガタ!逃げて!」

 

アデリーナは必死に声を振り絞った。

 

「先輩ですか?」

 

その瞬間、男は走りだした。

 

「アガタ!」

 

アデリーナは痛みに耐えかねたように、床に倒れこんだ。

 

だが、男はそのまま廊下を走り去っていった

 

すると、廊下の途中にある、丸い窓がついた両開きの扉が開いた。

 

「確かに先輩の呼ぶ声がしたんですけど」

 

「アガタ・・・」

 

「やっぱりいますか?」

 

アガタは声のする方へ進んでいった。

 

そして目の前の光景にはっとして、立ち止まった。

 

「先輩?どうしたんですか?」

 

走りよったアガタは、アデリーナが背中に手を当てて倒れているのを見て、背中の方を見た。

アデリーナのその手が赤く血に染まっていた。

 

「どうしてこんな・・・」

 

アガタはポケットからハンカチを取りだし、その背中のところに当てた。

 

「誰かぁー!誰かぁー!助けて下さーい!」

 

アガタは誰もいない廊下に向かって必死に叫んだ。

 

「アガタ、インカムは・・・」

 

「そ、そうでした」

 

アガタは震える手で、胸元につけているマイクのスイッチを探した。

顔を下に向け、そのスイッチをようやく掴んだ。

 

「大変です!先輩が、先輩が・・・先輩が死んじゃいますーー!」

 

「アガタ、あなたねぇ」

 

すると、廊下を近づいてくる足音が聞こえてきた。

 

「アガタ!逃げて!早く!」

「先輩、そんなことできないです」

 

アデリーナはアガタを自分から離そうとアガタの身体を必死に押していた。

 

「先輩、やめてください!怪我に触ります!」

「いいから・・・早く・・・」

 

「どうしたんだ!」

 

振り返ったふたりの前に、アロンソが立っていた。

 

「アロンソさん、先輩が・・・」

 

アガタはアデリーナを抱き抱えて、アロンソに必死に訴えかけた。

 

駆け寄ったアロンソに、アデリーナは歪んだ顔で言った。

 

「黒ずくめの男・・・だった」

「なんだと?」

「早く追いかけて。じゃないと、また逃げられてしまう」

 

アロンソはその言葉を無視するように、アデリーナの背中の具合を確かめた。

 

「傷はそんなに深くない。だから、動かずにじっとしてろ」

「そんなことより」

「もう遅い」

 

険しい表情でアロンソは呟いた

 

「遅いって、どういうこと?」

「俺は誰ともすれ違っていない」

「誰も?」

「ああ、そうだ。従業員通用口までは一本道だ。だが、誰も見なかった」

「なんで・・・」

 

通路の照明がすべて一気に点灯された。

 

薄暗かった廊下が明るくなったことで、アデリーナの周りに血が広がっているのが鮮烈に目に飛び込んできた。

 

遠くから足早にやってくる大勢の足音が聞こえてきた。

 

その時、アロンソが呟いた。

 

「いや、まだ終わってないかもしれない」

 

そう言って立ち上がると、すぐさま走り出した。

 

その様子を驚きと不安が入り交じった表情で、アガタは見送っていた。

 

アデリーナは、そのアガタの腕の中で、額から汗を流して顔を歪めていた。

 

 

 

ホテルから連絡を受けた捜査員たちは、厳戒体制に入っていた。

 

アルフ捜査官は久し振りの、自宅での夕食を切り上げ、急遽ホテルに駆けつけた。

 

捜査本部は一気に慌ただしくなり、本署から増員がかけられていた。

 

犯人の足取りを追っていた専従捜査班は、ホテル周辺の捜査に全力をあげていた。

 

本部で経過報告を聞いていたアルフは、アデリーナが大事に至らなかったことに安堵していた。

 

だが、次の瞬間、あることにようやく気づいた。

 

「おい!あいつはどうした!アロンソはどこ行った!誰か知らんのかぁー!」

 

急いで隣のモニタルームに移動したアルフは、力強くマイクを掴んだ。

 

「おい、アロンソ!聞こえていたら返事しろ!」

 

だが全く何の返事もない。

 

「誰かあいつをみかけなかったか?」

 

すると、フロント担当の捜査員から返事が帰ってきた。

 

「アロンソ刑事なら、引き継ぎして帰ったはずです。ですので、呼び掛けても応答はないかと」

 

「じゃあ、あいつはどこにいるんだ?」

 

そこへ別の捜査員から連絡が入った。

 

「アデリーナさんが襲われた現場に、もうひとりのフロントクラークが一緒にいたと言ってました」

 

「なんだと?アロンソが事件現場にいたって?」

 

アルフは目の前に並んだ沢山のモニターに次々と目を走らせた。

 

「あいつは一体、何をやってるんだ?」

 

 

 

アロンソは、バックヤードを片っ端から見て回っていた。

 

従業員通用口までの通路では誰ひとり出会わなかった。

もし通用口から出ていたら、その時間のカメラ映像をチェックすればすむはず。

しかし、犯人がそんな単純なことに引っ掛かるとは思えない。

 

何かに紛れて姿をくらましたとすると・・・

 

しかし、状況から考えて、そう時間はかけられない。

 

だがそれは犯人も同じはずだった。

 

アロンソは犯人が自分の姿をどうくらませようと考えたかを頭の中で巡らせながら、ヒントになるものがないかを探していった。

 

すると、深夜になったホテルの中で、まだ明るいままの部屋に出くわした。

 

「そうか。その手があったか」

 

アロンソは、どうしようか思案していたが、何かに気付いたような顔になったかと思うと、携帯電話を取りだした。

 

「頼みたいことがある。嫌なら別にいい」

 

一方的に吐き捨てるように言いはなった。

 

深夜の電話に最初は不機嫌な声だった相手も、仕方ないといった、いつもの軽い調子に戻っていた。

 

「見返りは何がいい?」

 

相手の話を了解したアロンソは、最後に念を押すように言った。

 

「必ずこれを言ってくれ。そうすれば、必ず通じる」

 

アロンソは、声をひそめて、ゆっくりと続けた。

 

「ホテルのあっちって、どっちだ?」

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