マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
深夜のホテルのロビーに現れたその男は、そこがやけに静か過ぎることが気になっていた。
よれよれのトレンチコートにビジネスバッグを肩からかけた姿は、終電にでも乗り遅れた、出張中のくたびれた中年サラリーマンにしか見えなかった。
だが、その男は、いつもと違うネオ・ヴェネツィアーティーの雰囲気を察知していた。
カウンターへ向かい、そこにいるフロントクラークに声をかけた。
「あの~ちょっとお伺いしたいことがあるんですが」
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」
「ご用件というほどのことではないとは思うんですがね」
「はい?」
「ああ、すみません。実はある人から伝言を頼まれましてね」
「伝言?どなた様からでしょうか?」
「それはちょっと言えない事情がありまして」
その言葉を聞いて、フロントクラークは回りをチラッと見た。
深夜のロビーには数名のベルボーイ以外、他に従業員はいなかった。
「大丈夫。怪しいものではありませんので」
怪しいものほど、自分は怪しくないというもんだと、そのクラークは心の中で呟いていた。
「ほんとになんてことないんですよ。ただ、あるフロント係の人に伝言を伝えるだけなんです」
その従業員は、さりげなくカウンターの下の緊急用ボタンを探っていた。
「ちょっと待って。早まらないで下さい」
その言葉にフロントクラークは、ギクッと動きを止めた。
「じゃあさぁ、その伝言を伝える相手の人をここに呼んでもらえるかなぁ。それなら問題ないでしょ?」
男はちょっととぼけたような調子で言った。
そして、腕時計に目をやった。
「あいつ、時間に結構うるさいからなぁ。見ためと違って細かいんだよなぁ」
「お客様?それでどうされますか?」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。えっと、アガタさんという方を呼んでほしいんだけど」
そこに慌てたように、女性のフロントクラークがやって来た。
「すみません。あとは私が変わります」
そのクラークはニンマリと笑っている男をカウンターの端の方に連れていった。
「アールドさんですよね?」
「なんで知ってんの?」
「同じ署にいたことがあります」
「そうなの?なんか見たことあると思ったんだよね」
その女性クラークは、周囲を気にするように見渡すと、声を押さえて話した。
「なんでこんなところにいるんですか?」
「やっぱりなんかあったんだ」
「そんなの、言えません」
「そりゃあまあ、そうでしょう」
「今ほんとに立て込んでるんです」
「そうなんだね。だからかぁ」
「何がですか?」
「気になる?」
「ですから、どういうことでここに」
「アロンソから頼まれた」
「えっ?」
そのクラーク姿の捜査員は一瞬顔をこわばらせた。
それとは対照的に、アールドはニヤっと笑って見せた。
「どういうことですか?」
「聞きたい?」
「アールドさん!アロンソ刑事とは連絡がとれなくて、アルフ捜査官の顔がものすごいことになってるんですよ!」
「それは見てみたい。でも、実はせかされてんの、こっちも」
「アロンソ刑事はどこにいるんですか?」
「そんなの、言えるわけないじゃない」
「でもですね・・・」
「わかった。そしたら、約束を果たさせてくれたら教えるって、どう?」
「本当ですか?」
「本当だとも!」
そのクラーク姿の捜査員は迷っていた。
その顔を見ていたアールドは、何かに気がついたような顔をした。
「あれぇ?もしかして、アロンソと付き合ってた人じゃない?」
その言葉に女性捜査員は目が点になっていた。
「な、なんで、そんなこと・・・」
「図星なんだ」
「何を根拠に」
「あそこの署にいたときは、あいつにはまだ奥さんがいたんじゃなかったっけ?」
「わかりました!」
「理解が早くていいねぇ」
フロントクラークに扮した女性捜査員とアールドは、ホテルの救護室の前にいた。
ドアの手前に立っていた警備の警察官と少し話をしたその女性捜査員は、ドアノブを回してそのドアを開けた。
いくつかあるベッドのひとつには、白いシーツを頭からかぶって寝ている人の姿があった。
女性捜査員はドアを閉じてその場に立ち止まった。
アールドは少し距離を置いたところまで近づいていた。
「あの、アガタさんですか?」
アールドは女性捜査員から大まかな事情を聞いていたこともあり、慎重にゆっくりと声をかけた。
「大変なところにお邪魔しているのは、重々承知の上なんですが」
ベットにいるアガタは、身動きひとつしない。
「あなたに大事な伝言を伝えるよう頼まれましてね。こちらとしても、どうしても伝えなけりゃならない事情があるもんで」
「早くてして下さい。もしこんなところを見つかったら・・・」
ドアのところに立っていた捜査員は焦りの表情を浮かべていた。
アールドはそれには構わずに話を続けた。
「とりあえず言いますので聞いといて下さい」
「先輩はどうなったんですか?」
頭からシーツを被ったまま、アガタは呟いた。
アールドは後ろにいる女性捜査員の方に振り返った。
「大丈夫よ。大事にはいたらないみたい。救急で運ばれて、手当ても早くできたことで、今は安静にしてるって」
「そうですか」
アガタの声は落ち込んでいたが、冷静さを取り戻しているようだった。
「それでなんだけども、いいかなぁ?」
アールドが割って入った。
アガタは返事をしなかったが、アールドはそのまま話を続けた。
「君も知っているアロンソから頼まれたんだが」
「あなた、誰なんですか?」
「私?そうだったね。自己紹介を忘れてた」
「そんなのは結構です」
「そうか。わかった。じゃあこれでどうかな?」
アールドは少し間をおいて言葉を続けた。
「ホテルのあっちって、どっちだ?」
シーツを被ったアガタの身体がビクッと反応した。
そして、アガタは頭だけシーツから出して、アールドの方に見た。
「おじさん、なんでそんなこと知ってるんですか?」
「お、おじさん?」
「それ、アロンソさんとしか話してないことなのに」
以前、ARIAカンパニーでの一件をアデリーナが灯里に知らせようとして、大事な話があるからと、アガタにあっち行ってと話したとき、アガタは愚痴るようにアロンソに話していた。
その時、アロンソには珍しく、「あっち」という言葉を使った、アデリーナのあしらい方がおかしくて、アガタと言葉を交わしていた。
アガタにとって、少し苦手にしていたアロンソと話したこともあって、印象に強く残っていたのだった。
アールドは、アガタが顔を見せたことでニヤリと笑ってみせた。
「だから言ってるだろう?アロンソとは・・・」
「アロンソ刑事はどこにいるんですか?」
「悪いが、今は言えない」
「捕まえたんですか、犯人のこと!」
「いや、それはまだだ」
「じゃあ一体何をしてるんですかぁ?」
アガタの口調がどんどん批判的に強まっていった。
「それを君に伝えるためなんじゃないの?」
「どういうことですか?」
「捜査本部が血眼で犯人を追っているのに、あいつはあなたに伝言を伝えてくれって、わざわざ夜中に電話をよこしたんだ」
「私に?どうしてですか?」
「他の誰かに知られちゃマズイことなんだろうねぇ」
「知られてはマズイこと?」
「あいつも結構孤独なやつでね。それだから誰に頼ったらいいか、わかるんだよ」
「わたし・・・」
アガタはベットの上でゆっくりと起き上がった。
ちょこんと座りこんだアガタの頭の髪は、ボサボサに乱れていた。
「ああ、それとまだ続きがあった」
「なんですか?」
アガタの目に力が戻ってくるの見て、アールドは思わず微笑んでいた。
「ホテルって、夜中でもクリーニング頼めるんだって?」
「ええ、頼めますけど」
「取ってきて欲しいんだって、洋服」
「ええ?なんですか、それ?」
「私に聞かれても困るよ。君たちにだけわかる暗号とかじゃないの?」
「暗号?アロンソ刑事と?」
「うん。黒の上下のスーツだとか・・・」
「おじさん!」
「な、なに!そんな大きな声出して」
アガタはシーツを投げ飛ばすと、いきなり部屋にある鏡の前に立って、勢いよく髪を整え始めた。
「おじさん!行きますよ!」
「私も?なんで?」
「うちのランドリーサービスは、基本バレットランドリーなんです。その辺のホテルと一緒にしないで下さい」
アガタは廊下の途中で、アールド相手に講義を始めていた。
「そんなの、どうでもいいんだけど」
「さっきクリーニングっておっしゃいましたよね?」
「言ったねぇ」
「それではお部屋のクリーニング全部を指すことになるんです」
「そうなんだ」
「だいたい中級以下のホテルにはコインランドリーなんかがあって、まあ、それはそれでいいところもあるんですけどね」
「なるほど」
「レジデンスタイプだとセルフランドリーが主流となりますけど」
「あのさあ、ホテルにもいろいろと事情があることはわかった。つまりは何が言いたいわけ?」
「つまり、おかしいということなんです」
「おかしいの?」
「はい」
「なんで?」
「お洋服のクリーニングは、お部屋に置いておいてもらって、他のシーツなんかと一緒に回収していくんです。もちろん、フロントに出してもらってもオッケーです。翌朝お部屋のクローゼットに戻しておくか、フロントに受取りにいくことになります」
「なるほど。で?」
「つまり、どっちにしても、どのお客様が出されたのか、その段階でわかってしまうということなんです」
「そうか。じゃああいつはなんで取りに行くなんてこと、させようとしてるんだ?」
アガタは〈リネン室〉と書かれた部屋のドアを開けようとした。
「リネン?なに?」
「ああ、これですか?シーツなんかのことをまとめてそんな感じで呼ぶんですよ」
「へぇー」
中には女性従業員がひとり、カウンターのところでペンを走らせて、何かチェック作業をしていた。
「お疲れ様ぁ~」
「お疲れ様です」
「どうですか?調子は?」
「そうですねぇ。ちょっと忙しいですねぇ」
「そんなんですねぇ」
アガタは後ろにいるアールドの方に振り返った。
「で、どうしたらいいんですか?」
「ちょっと、待ってくれ」
アールドは一旦部屋を出て、そこで携帯電話を取り出した。
かけた先は、もちろん決まっていた。
「おい、早く出ろよ。あいつ何してんだ?」
アロンソは、薄暗い部屋の中、ビニールのかけられた洋服の中をさまよっていた。
ポケットから出したキーホルダー型のLEDライトは、意外なほど明るくなかった。
「こんなときに充電切れなんて、やめてくれよ」
それでも一枚一枚しっかりと確かめながら、大量に部屋の中につられている洋服を見て回っていた。
「あたりをつけてみたが、違ったか・・・」
その時だった。
上着のポケットの中で、携帯電話のバイブが振動し始めた。
アロンソは着信の相手を見て、すぐに電話に出た。
〈どこにいんの?〉
「ナイショ」
〈ナイショってどこ?〉
「それより伝わったか?」
〈ああ、伝わった。私も連れてこられたんだけどね〉
「なに?なんであんたがいるんだよ?」
〈だって、一緒に来てくれっていうもんだから〉
「なにやってんだ?」
〈そんなことより、言ってたスーツのこと、説明してくんないと。どうするのか、頭悩ましてるぞ〉
「誰が?」
〈君の女神〉
「はぁ?」
アールドの電話には、ガサゴソと鳴る音が聞こえていた。
〈ほんとにさぁ、何をしてるわけ?〉
「だから、今取り込み中なわけで・・・」
〈えっ、なに?〉
少し間があいた次の瞬間だった。
「あった」
〈何があったんだ?〉
「探していたものが、ほんとにあった」
〈だからなんだって?〉
「必ず必要になるもの」
アロンソはビニールのかかった黒い服のタグを確認しょうとした。
だがタグはどこにもなかった。
「まあそうだろうけど・・・ん?じゃあどうやって回収するつもりなんだ?」
その時アロンソは、自分で想定しいていたことに不安な気持ちが沸きあがっていた。
「彼女は?」
〈ああ、あのアガタさん?〉
「そうだ。今どこにいる?」
〈このリネン室っていう部屋の中だけど。さっき会ったときは落ち込んでたみたいだけど、なんかやる気マンマンって感じだな、あれ〉
「あんたは?」
〈その外〉
「じゃあ他には誰もいないんだな?」
〈そうだな。いや、部屋に従業員がひとりいたな〉
「従業員?」
アガタは、腕組みをしてドアを睨んでいた。
「さあ、いつでもかかってらっしゃい!目にもの見せてやるんだから!」
「あの」
作業に当たっていた従業員が帰り支度をしていた。
「ああ、もうお帰りなんですね」
「ええ、まあ」
「わかりました。あとは任せておいて下さい!私まだ、用が残ってるんです。次の人が来るまで、ここで見張ってますから。安心してお帰り下さい!」
「そうなんですか。じゃあ、お言葉に甘えて」
その女性従業員は、アガタの前を通ってドアのところまで来ると、そのまま立ち止まった。
背中で見えなかったが、カチャリと音が鳴った。
「えっと、お帰りなんですよね?」
その従業員は、ゆっくりと振り返った。
だが、先程とは全く印象が違っていた。
能面のような顔が、アガタをじっと睨んでいた。
「あなた、なんで余計なことに首を突っ込むの?」
「えっ?」
その時、その能面の女の後ろのドアノブが、ガチャガチャと動く音がした。
そして、ドアを叩きながらアガタを呼ぶアールドの声が外から聞こえた。