マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第二十二話 能面とカニとヒーロー

「あの、どうされたんですか?」

 

アガタは、能面のような顔で見返してくる女性従業員の様子に、少し恐怖を感じ始めていた。

 

「だから、なんでなの?あなたは、フロントクラークでしょ?なんでこんなところにいるの?」

 

その女の背後で、ドアノブを必死に回そうとしている音がしていた。

そして、ドアを叩きながら、外からアガタを呼ぶアールドの声が聞こえてきた。

 

「すみません。そのドア、開けてもらってもいいですか?」

 

「あなた、この状況がなんなのか、理解できないの?」

 

女はアガタから一切目を話さず言った。

 

よく見ると、女はほとんどまばたきをしていなかった。

アガタを見つめる目が、ガラス玉のように光っている。

 

「私の知り合いが、呼んでるんです。開けてください」

「だからぁ、なんで、あんたみたいな人が、こんなところで油を売ってるのかって聞いてるの!」

 

女の口調が一変した。

 

アガタはそれに押されるように、後退りしていた。

 

「油をって、なんなんですか?」

「そこ!?」

 

女は大きな笑い声を上げた。

 

「そんな大声で笑わなくても・・・」

 

「ここのホテルは、こんなのがフロントクラークをやってんの?だからあの女もバカをみるんだよ!」

「ちょっと、それどういうことなんですか?もしかして、先輩のことを言ってるんですか?」

「先輩?ああ、あんたあのバカ女の後輩かぁ」

「ちょっと!先輩を侮辱するなんて、許せません!」

「じゃあどうするんだい?」

 

アガタがその女を睨み付けている時、その部屋の奥にある、別のドアのノブをガチャガチャと回す音が聞こえた。

 

それに気がついた女が、ニヤッと笑った。

 

「あんたのお仲間は、いったい何人いるんだい?」

 

ドアの向こうでは、ドアを叩きながら誰かが何か叫んでいる声が聞こえた。

 

「さあ、そろそろ時間もなくなってきたようだし、終わりにしようか」

 

女は肩からかけていたショルダーバッグから、注射器を取り出した。

 

アガタは、その注射器に目を奪われた。

身体が震え始めていた。

 

「どっちにしたって、逃げられないですよ!」

 

アガタは、必死に声を振り絞って叫んだ。

 

女はそれには構わず、アガタに近づいていった。

 

アガタが壁に詰め寄られ、女が目の前まで近づいて来る。

 

その時、カチャリと静かにドアのロックが解錠される音がした。

 

廊下に面したドアが、音もなく静かに開いて行く。

 

その様子に気がついた女が、ゆっくりとドアの方へ振り返った。

 

開いてゆくドアの先には、ビジネスバッグを肩からかけたアールドが立っていた。

 

アールドは、アガタと目が合うとニヤリと笑ってみせた。

 

女が少し体を動かそうとしたとき、アールドが口を開いた。

 

「ちょ~っと、そのままでいてください」

 

女はその言葉で、動きを止めた。

 

アガタは、女が少し動いたことで、女の背後からアールドの姿が見えた。

 

女がなぜ言われるがまま、動かなくなったのかが、ようやくわかった。

 

アールドの手には拳銃が握られていた。

 

そのニヤケた顔と、緊張感のない風貌とは似つかわしくないものが、目の前の女性に向けられていた。

 

「アガタさん?」

「は、はい!」

「ちょっとそこのテーブルの方に移動してくれませんか?」

「テーブルですか?」

 

アガタは、テーブルの上に目を向けた。

 

部屋の中央付近にあるテーブルの上には、何冊かのファイルが重なって置かれている。

 

アガタは、慎重な面持ちで、カニ歩きでテーブルの方へ移動していった。

 

「おっと、そのままですよ」

 

アールドはアガタに指示を出しながらも、少し動こうと素振り見せた女から目を離さないでいた。

 

アガタはテーブルまで移動すると、さっとファイルを手に取った。

 

「おじさん?これですか?」

「アガタさん、ご苦労様」

「これは、なんか事件を解くカギかなんかですね!」

「それは特になんにも関係ありません」

「えっと、何ページ目を見ればいいのか・・・は、はい?」

 

ページを必死になってめくっていたアガタの手がピタッと止まった。

 

「じゃあ、なんで?」

「これで心置きなく撃てるようになったという訳です」

「えっ?」

 

アールドの目が鋭く光った。

 

「あなたがその女の後ろにいたでしょ?」

「はい」

「それじゃあ困るんです」

「困るんですか?」

「そうなんです。このまま撃つと、その女の身体を貫通してアガタさんにも当たってしまう」

「ええー!」

 

アガタは、大きく目を見開いた。

 

「でもおじさん?」

「なんですか?」

「そんなことしたら、犯罪ですよ!」

「犯罪?私が?」

「そうですよ!」

「アガタさん?一体私を誰だと思ってたんですか?」

「誰って、アロンソ刑事のお友達ですよね?」

「なるほど。お友達ねぇ。間違っちゃいない」

 

そう言って、アールドは笑いそうになるのをこらえた。

 

「違うんですか?」

「私はあいつと同じ職業なんですよ」

「そうだったんですかぁ?」

「はい。だから、この距離からだと外す自信がないんです」

 

その時、アールドのいる廊下から声が聞こえてきた。

 

「じゃあ、外す方に一杯」

 

声の主は姿を現すと、すぐさま部屋に入り、女の目の前に歩みよった。

 

女は注射器を持ったまま、アガタの方に向きを変えたが、そこまでだった。

 

女の手首を掴むと、その手にあった注射器を取り上げた。

 

「アロンソ、ちょっと格好良すぎるんじゃない?」

 

「じゃあ、撃っとくか?」

 

「それはムリ」

 

アールドは、女を取り押さえているアロンソに向かって、そのオートマチックのグリップの底を見せた。

マガジンが入ってなかった。

 

「なんだ、それは?」

「だって、危ないでしょ?」

 

アロンソは、テーブルのところでポカンと口を開けているアガタの方に向いた。

 

「どうだったんですか?」

「えっ?何がですか?」

「彼女」

「彼女?ああ!先輩ですか?」

「ええ」

「大事に至らなかったそうです」

「そうですか」

 

アガタには、アロンソの表情が少し和らいだように見えた。

 

 

 

 

取り押さえた女のバッグからは、刃物はひとつも出てこなかった。

 

そして、クリーニングされた洋服の山から見つかった黒い服は、女が着ていたと思われる痕跡はなかった。

 

だが、袖口付近からは、血痕らしきものがみつかった。

鑑識へ回し、アデリーナのDNAと一致すれば決定的となる。

 

アロンソは、捜査本部でアルフ捜査官からこっぴどく叱責されたが、状況を鑑み、とりあえず処分は保留となった。

 

逆にアールドが、なぜあんなところにいたのかが疑われた。

 

そこは、アガタが命の恩人だと訴え出たため、おおごとにはならないですみそうだった。

 

だが、結果としてアガタを危険な目に合わせたことは、二人に厳重注意が言い渡された。

 

「でもなんでアガタさんだったの?」

 

アールドは、会議室の外の廊下にある自動販売機のところで、アロンソとコーヒーを飲んでいた。

 

「犯人より先に受けとる必要があった。そのためには、犯人に気取られず、あの部屋に行く必要があった」

「だから、アガタさん?」

「彼女のケータイの番号は知らない。だが、あのタイミングで頼めるのは彼女しかいなかった」

「アガタさんにとって、大事な先輩が狙われたわけだしね。それで連絡係りに駆り出されたという訳か。でも、ショックを受けてるって思わなかったの?」

「そんなこと、言ってられない」

「へぇ~」

 

アールドは横目でチラッとアロンソを見た。

 

顔は疲れた表情だったが、目はギラついていた。

 

「あれだけのことをやっておきながら、犯人は逃走している。だが、そのまま従業員通用口や非常口から出ていけば、嫌でもカメラに映る。よっぽどのバカじゃなければ、わかりきったことだ」

「でもどこにも映ってなかった」

「手っ取り早いのは、着替えてしまうことだ。そもそも大きなマスクをしていて、顔を誰もはっきりとは見ていない。外見さえ変えてしまえば、わからなくすることができる」

「なるほどねぇ」

「ホテルで着替えることが容易にできて、それに違和感がなく、しかも証拠を回収することができる」

「だからクリーニングというわけか」

「別に本当にクリーニングをする必要などない。それを利用できればいい」

「そして、後でそれを回収しておけば証拠隠滅だ」

「でもこれはひとりではできない。受取に本人が現れたら、その場でアウトだ」

「じゃあ、あのリネン室の女は共犯者?」

「共犯といえるレベルなのかどうかはわからないが、犯人に協力しているのは間違いない。俺があの部屋に忍び込んだ時、あそこには誰もいなかった」

「そうだったの?早く言ってよ~!」

 

アールドはため息をもらすと、ゴクッとコーヒーを一口飲み込んだ。

 

「でも、俺が到着する前に部屋のドアが開いていたが、あれ、どうしたんだ?まさか、またやったのか?あんた、本当に刑事なのか?」

「なんか人聞きの悪い言い方するなぁ。アガタさんを助けたんだから、いいじゃないか」

「まあ、俺には関係ないことだけど」

「ああ、その言い方!」

 

アロンソは別の方を向いて知らん顔をした。

 

「これでとりあえず一歩前進てことかな」

「いや、まだだ」

「そうなの?」

「考えてみろ。じゃあ現れなかった犯人は、どこにいるんだ?」

「どこって・・・あっ、そうだった!」

「犯人は、まだこのホテルの中にいる」

「その通りだ」

「犯行を行っていながら、今頃堂々とどこかの部屋で高みの見物を決め込んでいる」

 

アロンソは飲み干したカップをギュッと握り潰した。

 

「ところでさぁ、肝心のロビーはどうなってるの?アデリーナさんが抜けて、アガタさんもこのままだと心配だし。あんたも今回のことで、またもや張り付けなんだろ?」

「人を増やすらしい」

「そうなるだろうけど、そんなところに、のこのこ犯人が現れるなんて考えにくいでしょ?」

「だから盲点だということもできる。今もって、犯人の真の目的はわかっていない。どう出るか、わからない」

「それじゃあ、尚更痛いね。アデリーナさんが抜けた穴は」

「ただ・・・」

 

「何?」

「こう手詰まりだと、違うアプローチが有効なときもある」

「なんだそれ?なんか手立てがるの?」

「アデリーナが気にしていたことが、最近引っ掛かりだしてきてね」

「なんだよ?教えてよ!」

 

アロンソはそれには反応せず、話を続けた。

 

「あの一件はどうなった?早朝のウンディーネ」

「ああ、あれね。有力な情報はまだないんだけど、結局その時のゴンドラは、どこに行ってしまったのか、わからないみたいだね」

「ゴンドラなんてどこにでもあるんじゃないのか?ここはネオ・ヴェネツィアだぞ!」

「それが以外と、管理にうるさいんだよ。ここは」

「管理ねぇ」

「聞いてみたらいいじゃない?」

「誰にだ?」

「ほら、あののんびりしてる目撃者さんに」

「ああ」

 

アロンソはなぜか返事を濁すように適当に答えた。

 

「もしかして引っ掛かってるって、あのウンディーネさんのこと?」

 

アールドが驚いて振り向いた。

 

「一番当てにしてなさそうに思ってたんだけど」

「あんた、どこでそんなこと・・・ほんとに油断できないなぁ」

「まあまあそんなことより、いつ復帰するの、あのウンディーネさん?」

「たぶん明日から」

「へぇーそうなんだぁ」

 

アールドはクセのある、にやけた顔でアールドを見て言った。

 

「なんか、おもしろくなりそうな気がするんだけど」

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