マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第二十三話 灯里の一番長い日

灯里は、朝一番に捜査本部に顔を出した時、アルフ捜査官からひとりのフロントクラークを紹介された。

 

アヴェリーノと名乗る男性は、キリッとした切れ長の目にメガネをかけ、いかにも優秀という、絵にかいたような印象だった。

 

身体は細身で、動きはテキパキとしていて、アルフとの会話に的確に応える様子に、完璧を好むような雰囲気があった。

 

「アヴェリーノです。よろしく」

 

身体の前で手を組んだまま、灯里に挨拶した。

 

「灯里くん、アデリーナはしばらくは復帰できそうにない。その代わりといっちゃあなんだが、彼にフロントにいてもらうことになった。アデルモ総支配人の推薦だから、心配はいらないと思う。もちろん、いままで通りアロンソもロビーにいる」

 

だが灯里は、アデリーナの一件を耳にしてから、その事が心配で仕方がなかった。

 

「それで大丈夫なんですか?」

「今のところ心配はない。キズも浅く、大事にはいたらかった」

「そうですか。それは本当に良かったです」

 

アルフは少し間をおいて話を続けた。

 

「だから、きみが引き続き、こちらの頼みに応じてくれたことに感謝している」

 

灯里は目を伏せるように床に目線をおとした。

 

「私は、協力すると決めたので」

「そうか。ありがとう。でも今朝早くにゴンドラ協会から電話があってね。もう協力はしてもらえないだろうと、半分諦めていたんだ」

「ゴンドラ協会からですか?」

「そうだ。君の元上司からといえばいいかな?」

「アリシアさん・・・」

「かなり心配をされていた。だから、灯里くんに協力を求めるのはやめようと考えたんだ。そうしたら、きみのことをよろしくお願いしますっておっしゃってね」

 

灯里は茫然とアルフの顔を見ていた。

だがそのあと、やさしい笑みを浮かべた。

 

「きみのことを信頼しているとも。しかし、きみがここに現れるまでは正直心配だった。でもきみは来てくれた」

 

アルフは、真剣な眼差しで灯里に向かって言った。

 

「責任重大だと理解してる。アリシア理事にも約束をした。灯里くんの身の安全は私が責任を持つと。だから、絶対に事件を解決したい」

 

灯里も真剣な表情でそれに応えた。

 

「わたしはこれまで通り、いつもで楽しんで来て頂けるネオ・ヴェネツィアに戻ってほしい。それだけなんです。正直いって、難しいことはよくわかりません。わたしの願いは、ただそれだけなんです」

 

 

 

ロビーの一角で、灯里は窮屈そうにしていた。

 

「あ、あの、ちょっと近すぎると思いますが・・・」

 

灯里は、すぐ横で身体をくっつけるようにして立っているアガタに、どうしたものかと困り果てていた。

 

「大丈夫です、灯里さん!私がいる限り、百本の金棒です!鬼の力です!心配なんて、屁のカッパです!」

 

「最後は合ってるような気がしないでもないような・・・」

 

アガタは、アデリーナの一件があってもやって来てくれた灯里に感激していた。

 

「もう来られないと思ってました」

 

そして、こんなことが二度と起こらないように自分が灯里を守ると、今朝から灯里にピッタリ張り付いていたのだった。

 

「でもこれでは、あまりにも変じゃないですか?」

「いいんです!何かあってからでは遅いんです!」

「はぁ」

 

そして、なんとなくだが、アロンソもいつもより近いところにいるような感じがしていた。

 

「灯里さん?無理をなさらなくていいですから。何かあったらすぐに声をかけちゃって下さい。意外とあの人も頼りになるとこ、ありますので」

 

アガタはそう言ってアロンソの方にチラッと目を向けた。

 

「でもわたし、あの人はよくわかりません」

 

アガタは、アロンソのその先に見えるカウンターの、アヴェリーノに目を向けた。

 

「お知り合いではないのですか?」

「知りません、あんな人」

 

まるで会話が聞こえていたかのように、アヴェリーノは二人の方に目を向けてきた。

 

「ギクッ」

「あんまり変なこと言わない方がいいと思いますよ」

「聞こえてたりするの?」

 

アガタの不審者を見るようなアヴェリーノを見る姿に、灯里は思わず苦笑していた。

 

だがそのアガタの表情が一瞬にして、緊張感に包まれた。

 

カウンターの方に、目付きの鋭いスーツ姿の男が現れた。

フロントクラークと何か言葉を交わすと、そのまま玄関の方に向かって歩き始めた。

 

アガタはその様子を見るや、クルッと後ろに振り返ってしまった。

 

「あ、あのぉ~、アガタさん?」

「しぃー」

「はい?」

 

ロビーの中央を正面を向いたまま歩いてくるその男、アレキサンドロは、辺りに目を向けているアロンソに気がつくと、一瞬気まずそうな表情になったが、そのまま何もなかったように歩き続けた。

 

そして灯里とアガタの近くまでやって来た。

 

アガタは、気づかれまいと背中を丸めている。

 

「ちょっと」

 

その一言に、アガタは分かりやすいくらい、ビクッと身体をこわばらせた。

 

「はい、いかがなさいましたか?」

 

灯里は、アガタの異変に気付きつつも、何事もなかったように振る舞った。

 

「聞きたいことがあるんだが」

「はい、どういったことでしょうか?」

「この前ここにいたフロントクラークはどうしたんだ?」

「この前?」

 

アガタは必死に顔の前で、灯里にだけわかるように手を振っていた。

いないことにして欲しいらしい。

 

「部屋まで案内してくれた、あの女性のフロントクラークなんだが」

 

その言葉を聞いて、額から汗を流していたアガタは、ふぅ~と息を吐いた。

 

「先輩です」

「はい?」

 

アガタの声が小さすぎて、灯里が思わず聞き返した。

 

「だからぁ~センパイぃ~なんですぅ~」

 

アガタは灯里にだけ聞こえるように小声で必死に伝えた。

 

そこでようやく灯里に伝わったようだった。

 

「その従業員は、本日お休みをいただいております」

 

「そうか」

 

アレキサンドロは、一瞬チラッと背中を丸めているアガタの後ろ姿に目を向けたが、玄関の方に視線を向けた。

 

「じゃあ、あんたで構わない」

 

アレキサンドロはその鋭い目を灯里に向けた。

 

その瞬間、アロンソの視線が話している二人に向けられた。

 

周囲に緊張が走った。

 

だが、灯里はいたって自然な笑顔で応えた。

 

「どのようなご用件ですか?」

 

「実は、妻がサン・マルコ広場に行きたいと言っていてね」

 

「はい!」

 

灯里は、アレキサンドロの言った言葉に嬉しそうに笑顔で応えた。

 

「一体、広場の何がいいんだ?」

 

「お客様、それはですね・・・」

 

ホテルのロビーの中で、まるでその場にいるような観光案内が始まった。

 

アレキサンドロは、灯里のその言葉に思わず聞き入っていた。

 

アガタは背中を丸めた格好のまま、驚きの表情で灯里に目を向けていた。

 

「つまりそこがかの有名な・・・」

 

「はい!カフェラテ発祥のお店、カフェ・フローリアンなんです!」

 

「そうだったのか。だから、カフェ・ラテを飲みたいなんて言っていたのか」

 

「奥さまはおそらく、ご存知だったんですね」

「そのようだね」

「お時間があるようでしたら、是非お店の中をゆっくりとご覧になってください」

「中になんかあるのか?」

「お店の壁に絵が描かれているんです」

「壁画か?」

「はい。実はその壁画は、マンホームにあった本来のカフェ・フローリアンから、そのまま持ってきたものなんです」

「そんなのがあるのか?」

「はい。残念ながら、マンホームのカフェ・フローリアンはサン・マルコ広場とともに水没してしまいましたが、大事な壁画はいまでも、このネオ・ヴェネツィアで見ることができるんです!」

 

アレキサンドロは、灯里の顔を感慨深く見ていた。

 

「是非、奥さまと行かれてはいかがですか?喜ばれると思いますよ」

 

アレキサンドロは、腕組みをして、片手であごを撫でながら思案するように考え込んでいた。

 

「それにしても、あんた、やけに詳しいな?」

「実はわたし、そこの店長さんとお友達なんです!」

「友達?お店の店長と?」

「はい!」

 

灯里の屈託のない笑顔を見て、アレキサンドロは思わず表情を崩した。

 

「そんなこと、知っていたら・・・」

 

「はい?」

 

アレキサンドロは、灯里に向かって、これまでとは全く印象の違う笑顔を見せた。

 

「ありがとう。いい勉強になった」

 

「とんでもないです」

 

アレキサンドロは、表から差し込む光に目を細めると、そのまま玄関へと向かった。

 

アガタは、その様子を確かめると、ゆっくりと姿勢を戻した。

 

「ふぅ~」

「大丈夫ですか、アガタさん?」

「助かったぁー」

「何かあるんですか?」

「ちょっとね。一戦交えたことがあったの」

「一戦ですか?」

「完敗だったんだけどね。トホホホ~」

 

アガタは、丸めた両手を目の下に持っていって、大袈裟に泣く真似をしてみせた。

 

「でも灯里さん?怖くなかったんですか?」

「うん、特には」

「そうなんだぁ。やっぱりプリマ・ウンディーネって、並みじゃないんですね」

「並み?」

「わたし、ああいうタイプ、ほんとに苦手なんですぅー」

「フフフフ」

「なぁにぃ?」

「アガタさんて、結構苦手な人、多いですよね?」

「ああ~そこ聞かないで下さ~~い!」

「でもホテルで働いているのに」

「だからなんですぅ~」

 

アガタは思わず頭を抱えていた。

 

「せっかくこのホテルに就職できたんです。まだ転職したくないんですぅ~。灯里さ~ん!教えてくださ~い!どうしたらいいんですかぁ~~」

 

「アホくさっ!」

 

アガタは、背後からいきなり声をかけられて、驚きのあまり固まってしまった。

 

「そんなの、止めてしまえばいいんです!」

 

「なんでそんな、無慈悲なお言葉・・・」

 

銀色の髪を綺麗に伸ばした少女は、腰に手を当てて、アガタをバカにしたように見下ろしていた。

 

背丈はアガタの方が上だったが・・・

 

「大体あなたたち!ホテルのロビーで、なんて大きな声で話してらっしゃるの?信じられないわ!」

 

「す、すみません」

「はひぃ~」

 

「謝っていただいても、仕方ないですわ!」

「アリーチェお嬢様?」

「そう、私の名はアリーチェ・・・だから!」

「そろそろご出発のお時間です」

「アルマ!あなたはどうしていつもタイミングが悪いの!」

「お嬢様がご出発のご用意をされている時、ウサギのピョンピーはバックに収まりきらないにも関わらず・・・」

「もうその辺でいいの!」

 

フン!と鼻を鳴らすように、アリーチェは目を閉じて、胸の前で両腕を組んだ。

 

「だいたいなんであなたのタイミングの悪さとわたくしの持ち物とが関わってくるの?」

「申し訳ございまぜん」

「それに、ここのホテルは教育からやり直しよ!特にあなたたち!」

 

アリーチェは灯里とアガタに向かって、腕をまっすぐ伸ばし、人差し指をつきだした。

 

「ただ、そちらのあなた!」

 

今度は、アリーチェの指が灯里の方に向けられていた。

 

「あなたは、なぜそんなにネオ・ヴェネツィアにお詳しいのかしら?」

「わ、わたし、ですか?」

 

灯里は人差し指を自分の鼻の辺りに向けていた。

 

「あ、あなたねぇ、このわたくしの指が、あなた以外を指していますの?」

「いえ、私に向けられていると思います」

「思うも何も、あなたなの!」

「はひっ!」

「あっ、思いだしましわ!あなた、あの時のフロント係ですわ!」

「そうでした・・・」

 

その時だった。

 

ロビーに広がる、なんともいえない魅力的な香りが、その場にいた全員をうっとりさせていた。

 

「灯里さんが、なぜネオ・ヴェネツィアにお詳しいか。教えて差し上げても良くてよ」

 

緑のワンピースに白のハーフコートを肩に羽織ったアレッサンドラ・テスタロッサは、いつものように両手を腰において、余裕のポーズを決めていた。

 

つばの広い丸い帽子に黒のサングラスが、ハリウッド女優さながらの雰囲気を、よりいっそう際立たせていた。

 

「またあなた!」

 

「お久し振りね、アリーチェお嬢様?」

 

「あなたねぇ」

「アレッサンドラ・テスタロッサです」

「アルマ!そんなのは、とっくにわかってるの!」

「失礼致しました」

「ほんと失礼よ!だいたい、あなたにお嬢様って呼ばれるいわれはないわ!アレッサンドラ!」

 

「そうでした?それは失礼しました。でも、ホテルの寝心地はどうだったかは、聞いてもよろしいかしら?」

 

「寝心地って・・・はっ!」

「お嬢様が寝落ちした件です」

「あ、あれは確かに・・・そうねぇ・・・さすが最高級スイートって、とこかしら」

 

「つまり良かった、ってことでよろしいかしら?」

「良かったわよ!でもあなたのご自宅ではなくてよ!ここのホテルなのよ!」

「それはそれは。お譲りした甲斐があったというものです」

 

灯里とアガタは、ずっと口をポカーンと開けっぱなしで、ふたりのラリーを眺めていた。

 

「何?アレッサンドラ?もしかして、部屋代をよこせととでも言うおつもり?」

 

アリーチェは意地の悪そうな顔でアレッサンドラを睨んでみせた。

 

「灯里さんはね」

「アレッサンドラさん!」

 

灯里はアレッサンドラが本当のことを言ってしまうのではないかと、思わず声を出していた。

 

「ちょっと、あなたたち!勝手に話を始めてどうするの?」

 

「灯里さんは、私の敬愛するアリス・キャロル様のお友達なんです」

 

そう言って、アレッサンドラは灯里にウィンクをして見せた。

 

「だから、ネオ・ヴェネツィアのことはお詳しいんです」

 

「ああ、あの件ね。アレッサンドラ?あなたがウンディーネとやらに憧れていたという話でしょ?そんなことに肩入れをして、なんになるって言うのかしら?」

 

アレッサンドラは灯里に近づき、サングラスを少しずらすと、にっこりと微笑んだ。

 

アガタは、照れ臭そうにしている灯里と、灯里を見つめるアレッサンドラを、交互に見比べていた。

 

「お二人の関係って・・・」

 

「お友達よ」

 

アレッサンドラはアガタの呟きにすぐさま答えた。

 

「ところでお嬢様?お昼はいかがなさいますか?」

「アルマ!またあなたは変なタイミングで言ってくる!」

「それでは、料理長のお任せということで」

「オムレツよ!決まってるでしょ!」

「かしこまりました。いつものあれで」

「半熟よ!」

 

アリーチェはそう言うと、ふとアルマの方を振り返った。

 

「あなた、今日はどうなさいますの?」

「お嬢様、私は適当にいたします」

「それでいいの?」

 

アリーチェはアルマが手に持っていた懐中時計を、アルマの手ごと、グッと引き寄せた。

 

「クルマの用意は?」

「既に玄関に」

「わかったわ。じゃああなたもいらっしゃい」

「わたくしも、ですか?」

「そうよ」

 

ふたりのやり取りを黙って見ていたアレッサンドラは、ほんの少し笑みをもらした。

 

それが彼女の目の前にいた灯里にだけは、これまでとは違う表情に見えた。

 

「すみません、灯里さん?本当はランチをお誘いしたかったのだけど、どうしても抜けられない用事があるの」

「ああ、いえ~、そんなぁ、お気遣いなさらずにぃ~」

 

アレッサンドラは颯爽と玄関へと歩き出した。

 

それを見たアリーチェは、アルマに合図を送ると、歩幅を大きくとって歩き出した。

 

アレッサンドラを追い抜こうとしたが、すぐさま追い抜かれてしまう。

 

いっそう早く歩いたが、結局抜かれてしまっていた。

 

「はへぇ~」

 

灯里は、エントランスを出て行くふたりのセレブを見送ると、思わずため息をついた。

 

「ねえ、灯里さん?アレッサンドラさんとは、知り合いなの?」

「知り合いだなんて」

「違うの?なんか向こうはそんな感じだったけど。ランチがどうのって言ってたし」

 

アガタは、ちょっと疑うように灯里の表情を伺った。

 

「ああ、なんか疲れました。アガタさん?私たちもお昼にしませんか?」

 

「灯里さん、何言ってるの?まだ10時を少し回ったところよ!」

 

「ええ!まだそんな時間だったんですかぁ?」

 

「大丈夫ですか?」

 

「なんか、今日はすごく長く感じるんですけど。なんでだろう~はへぇ~~」

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