マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
灯里はアヴェリーノの問いかけにギクッとなり、思わずその顔を見つめた。
「そんなに驚くことですか?」
「だって、いきなりそんなこと言われると、驚くというか・・・」
「まあ、確かにそうですね」
アヴェリーノは、そのクールな顔にうっすらと笑みを浮かべた。
「それで・・・」
「はい?」
「いや、実際のところ、どうなのかなと思いまして」
「はあ」
灯里は少し困惑の表情になっていた。
「あの、なんでそんなこと、お聞きになるんですか?」
「だってそれは、いまこのホテルで起こっている出来事の、一番の関心事じゃないですか?」
「そう言われると、確かにそうですが・・・」
「別に無理にとは言いませんよ。だって、言いにくい話ではあるわけですから。そこは理解しているつもりです。でも、少しくらいは、信用してほしいけどなぁ」
本当にそう思っているのかどうか、アヴェリーノの真意は計りかねるところがあった。
「まだ、何もはっきりしていることはありません。それに、私はあくまでも何か気づいたことがあれば、報告するという程度のことだとしか聞いてませんので」
「ふーん、なるほど」
「変でしょうか?」
「変というわけではありません。ただ、灯里さんが考えてるほど、そう簡単ではないのかなぁと、僕は思ってる次第です」
アヴェリーノは灯里の方には顔を向けず、前方に視線を向けたまま、淡々とした表情で言った。
「ただ、これだけはわかっていてほしいんです。僕は灯里さんの味方だということを」
そう言って灯里の方に顔を向けた。
「はぁ」
灯里は、そのうっすらと浮かべた笑みを、どう受け止めていいかわからず、曖昧な返事を返した。
「ところで灯里さん?」
「はい?」
「本当にどうされます、お昼?」
灯里は、ロビーに飾られている大きな時計に目を向けた。
11時を少し回ったところだった。
「僕は責任上、しばらくここにいます。少し早いけど、今のうちに行かれてはどうですか?」
「そこは、大丈夫なんです。わたしはあくまでも、つけたしみたいなものなので。時間がくれば、いつでもそうしていいと言われているんで・・・」
「そうなんですか」
アヴェリーノはそう応えながら、灯里が何かぼんやりとロビーの方に目を向けていることに気がついた。
灯里の目線の先を追っていくと、ロビーを歩く一人の女性の姿があった。
黒いハーフコートにグレーのパンツ姿、ショートカットの髪型がボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。
その女性は、ロビーの端の方をエントランスに向かって歩いていた。
「あの女性の方が何か?」
アヴェリーノの言葉に、灯里はハッと我に返った。
「あっ、いえ、その・・・なんて言ったらいいか」
「知ってる方なんですか?」
「ええ、そんなような感じがしたもので」
「それって、本業の方で、ということ?」
「うーん、はっきりとは・・・」
「じゃあ、聞いてみましょうか?」
「えっ、そんなこと!」
「冗談です」
「もう~アヴェリーノさ~ん!」
灯里の困った顔を見て笑っていたアヴェリーノだったが、すぐさま耳のイヤホンに人差し指を押し当てた。
アヴェリーノの表情が変わり、イヤホンから聞こえる音に集中していた。
その時には、アヴェリーノの少し先に見えていたはずのアロンソの姿はすでに消えていた。
「灯里さん、ここを動かないで下さい」
アヴェリーノの緊張した表情と声が、何かが起こっていることを知らせていた。
「どうしたんですか?」
「また、起こったかもしれません」
「起こったって・・・」
その時だった。
ロビーにけたたましい非常ベルの音が鳴り響いた。
一斉に緊張感に包まれるロビー。
ロビー中にいた多くの人たちは、何が起こったかわからないまま、色めきたっていた。
すると、一気に緊張の糸が切れたように、多くの人たちが出口に向かって走り出した。
「最上階で火災が発生したようです」
「火事?」
「だけど、今すぐどうなると言うわけではなさそうなんです。灯里さん、悪いけど慌てずに外へ向かうよう、声をかけてくれませんか?」
アヴェリーノは、出口に急ぐ人たちの群れを見ながらそう灯里に告げた。
「は、はい!わかりました!」
灯里は他の従業員たちと一緒になって、逃げようとして玄関に集中する人たちにむかって、必死に声をかけた。
「そのままゆっくりとお願いします!前の方を押すと危険です!大丈夫ですから!今すぐ危険はないんです!」
それは、誰もいないはずの部屋で起こっていた。
テーブルの上には焼け焦げた雑誌があった。
誰かが意図的に燃やしたとしか考えられなかった。
そして、やはり今回も内通者がいることが考えられた。
いや、いまやそれ以外考えられない状況だと言えた。
だが、目的だけがわからない状態のままだった。
アデリーナが襲われ、その犯人の逃亡の手助けをしたと思われるリネン室の女。
今度は誰もいないスイートルームでボヤ騒ぎ。
唯一はっきりしていたのは、当初の犯行予告の通り、このホテルがターゲットとなっていることだった。
アルフ捜査官は、会議室のテーブルを力任せにドンと叩いた。
「いったい犯人の目的はなんなんだ?それに、何も要求してこないのはどうしてだ?」
アルフのジャケットの内側のポケットの携帯電話が忙しく振動した。
アルフはかけてきた相手の名前を確認すると、急いで電話に出た。
「うん、ご苦労様。うん、うん、そうか。よくやった。そうだな。そのまま続けてくれ」
電話を切ったアルフは、険しい表情ながら、眼光は鋭く光っていた。
「繋がったな」
その時、アロンソがアルフの前に現れた。
「こうなったら、全従業員を調べるべきじゃないですか?」
アロンソは、アルフ同様、脂ぎった顔に苛立ちを滲ませていた。
「それは今の段階では難しい」
「なんでですか?」
「そんなに時間をかけてられない。それにそんなことをしたら、どこから情報が漏れるかわからん」
「わからんといっても、もう一部のマスコミは嗅ぎ付けているようじゃないですか?そんな悠長なこと、言ってられないでしょ?」
「総支配人から強い要請もある。この時期に変な噂が拡がると、ホテルの信用問題に関わると」
「捜査官?なんでそこまで総支配人に協力するんですか?既にひとり、怪我人が出てるんですよ?」
「お前の言っていることは、十分わかっているつもりだ。だが、ここで目立った動きをすることは、犯人の思うツボたど思わんか?」
「どういうことですか?」
「これまでの状況で、犯人は複数であることがわかってきた。そして、ホテルそのものがターゲットだということもだ」
「つまりそれは、目的がわかったということですか?」
「そうだ。ホテルの中で騒ぎを起こすということは、何か別に特別な目的があるのではなく、それ自体が目的だからだ」
「騒ぎを起こすことが?」
「おそらくそういうことだ」
「それなら、人を襲うことなんかしなくても・・・」
アロンソは苦い表情で、唇を噛んだ。
「そこは確かに疑問が残るところだ。だが、騒ぎをおこすことが目的なら、つじつまが合う」
「どういうことですか?」
「騒ぎが次々起こると、そのホテルは何か問題を抱えているのではと、世間はそういった印象を抱くだろう。それで困るのは誰だ?」
「アデルモ総支配人」
「ビンゴ」
アルフはパイプ椅子に腰かけると、ふぅーと息をついた。
「中で起こったことを外へ絶対に漏らされたくない。そこにこだわり続けたのは総支配人だ。ホテルの信頼性が関わるからというのも理由としては理解できる。だが、それだけではなさそうなんだ」
「何か掴んだんですか?」
「あの、能面注射器女なんだが」
「捜査官、その言い方・・・」
消防車や警察車両がホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの周辺を取り囲んでいた。
騒然とした雰囲気に包まれた中で、宿泊客やホテルにやって来た訪問者たちは、その周りで心配そうに見届けるしかなかい状況だった。
ロビーに集合していた従業員たちは、このあとの対応をどうするかに時間を費やしていた。
ロビーには各部屋から避難してきた客の一部が、まだそのまま残って、推移を見届けていた。
灯里は、従業員の一団とは離れて、心配そうにロビーを歩き回っていた。
ロビーのソファーに腰かける客たちをひとりひとり確かめるよう歩いていた。
「灯里さん、どうしたのですか?もうすぐ総支配人が来るようですよ」
その様子に気がついたアヴェリーノが、灯里のあとを追いかけるようにして声をかけてきた。
「アヴェリーノさん、知りませんか?あのお客様」
「誰ですか?」
「あの、おばあさんです」
「おばあさんて、誰?」
「私が部屋までご一緒した方なんですけど」
「部屋はどこですか?」
「5階の502号室です」
「確かに、そんな人がいたっけかな?僕がフロントに入る前の話だね」
「そうなんですが、この騒ぎで、どうされたのかと思って」
「で、心配で探しているというわけなのか」
それを聞いたアヴェリーノもロビー中を見回したが、それらしい人の姿は見えなかった。
「外に避難したんじゃないの?」
「でもわたし、ずっとロビーにいました」
灯里は心配でどうしようもないといった表情だった。
「私、行ってきます」
そう言うと、灯里はすぐさま階段をかけ上がって行った。
「灯里さん!まだ警察の調べが終わってないっていってたよ!」
灯里は、少しだが焦げ臭さが漂う階段をかけあがり、5階の廊下までやってきた。
502号室のドアの前までやって来ると、息を切らしながらドアを叩いて呼び掛けた。
「お客様、いらっしゃいませんか?大丈夫ですか?」
灯里は何度も繰り返し呼び掛けたが、何の反応もなかった。
「やっぱり、もう外へ避難されたのかなぁ」
ドアの外でしょんぼりしていると、廊下の先の方で人の気配を感じた灯里は、そちらに目を向けた。
黒の帽子に黒のジャンパー、そして黒のズボン姿の人間が、そこに静かに立っていた。
顔を大きく覆った黒いマスクで、その表情は見えなかったが、余裕の表情でいることがわかるような様子だった。
灯里は、その人物がその場にいることがとても不自然に思えるくらい、異様な光景に見えた。
背筋が凍るような感覚に襲われ、その場を一歩も動けない状態に陥っていた。
だがその姿を見ていて、直感的にあることを思い出していた。
「もしかして、あなたがあの時の・・・」
その黒づくめの男は、黒い革の手袋を着けた右手を顔のそばまであげ、灯里に向かって何かを見せようとしていた。
「お嬢さん、これが必要なんじゃないかな?」
男は、灯里にわかるようにその手に持っているものを、ちらつかせてみせた。
「もしかして、カードキー?」
「正解です」
そう答えると、黒づくめの男はゆっくりと灯里の方に向かって廊下を歩きだした。
灯里は、その男の姿に魅入られたように、身動きひとつ出来ずに立ち尽くしていた。