マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
「アージア、28歳、独身。アデリーナとの接点は、いまのところ見つかってません」
普段使用している会議室の、もうひとつ奥にある部屋には、今回の事件に何らかの関係があると思われる人物を中心に捜査を行っている専従捜査班が集まっていた。
その中で、先日デリーナを刃物で切りつけた犯人と繋がっていると見なされていた、例の「能面注射器女」の素性を追っていた捜査員2名が、その女のことを報告していた。
「ホテルの従業員との関係性は?」
「あまり他の従業員との交流はなく、アージアのことをよく知っているものは、ほとんどいませんでした」
「いない?」
アルフは、「ウーン」と納得がいかないと声を漏らした。
「しかし、今のところアージアが犯人の手引きをしたと考えるのが妥当だ。なのに誰からもアージアのことについて、それらしき証言が出てこないだと?」
「勤務態度は真面目で、今回のことに繋がるような話はどこからも出てきていないのが現状です」
「アデルモ総支配人とはどうなってる?総支配人とは、同じホテルにいた過去があったよな?」
「その件ですが、新しい情報として、アージアの母親もホテルに勤めていた経歴があることがわかりました」
「母親?総支配人との接点はあるのか?」
「ありました」
「ビンゴ!」
アルフ捜査官は、正解だと言わんばかりに捜査員を指差した。
「どこだ?マンホームか?それともネオ・ヴェネツィアか?」
「ホテル・エクセルシオール・ネオ・ヴェネツィアです」
「また、エクセルシオールだと?」
「母、娘ともにエクセルシオールで働いていた経歴があります」
「親子でエクセルシオール?」
アルフは無精髭の顎をさすりながら、なにやら考え込む仕草をしていた。
「それともうひとつ」
「まだあるのか?」
「母親にはもうひとり、子供がいたという情報があります」
「つまり、アージアの兄弟?それとも姉妹か?」
「はっきりとはわかっていません。ただ、昔を知る人物が言うには、男の子のようだったと」
「男の子・・・」
アルフは眉間にシワを寄せた。
「それでその母親はどこにいるんだ?」
「わかりません」
「どういうことだ?」
「消息不明です」
「なんだと?」
アルフの表情が一変に険しくなった。
「これで間違いなく総支配人には話を聞かなければいけなくなったな」
報告を行っていた捜査員が椅子に腰かけると、アルフは何かを思い出したように、捜査員たちを見渡した。
「それとあの件、アルビーナ婦人の件はどうなった?」
担当していた捜査員が立ち上がった。
「アルビーナ婦人という人物は、存在していません」
「おい!ちょっと待て!どうしてそんな重要な情報を今まで知らせなかった!」
「すみません。正確にはいないというわけではなく、まだはっきりとした素性がわかってないんです」
「一体何を言ってるんだ?」
「実は、そのアルビーナ婦人は、1ヶ月程前からこのネオ・ヴェネツィアに姿を見せるようになっています。他のホテルの宿泊記録からもわかっています。ただ、どういった人物なのか、まだ何もつかめていない状態です」
「素性はわからない。だが、いることはわかっている。一体どういうことなんだ?」
アルフは、頭を抱えてしまった。
「それに重要な件が、もうひとつあった」
「なんですか?」
捜査員のひとりが訪ねた。
「ボヤ騒ぎのとき、灯里くんが遭遇した黒ずくめの男は、最初の目撃証言の、例のゴンドラに乗せた男じゃないかと、灯里くん自身が証言してる。そして・・・」
アルフは座り直すと、ぐっと正面を見据えた。
「その時から、アルビーナ婦人の姿が消えた」
「消えた?どういうことですか?」
捜査員のひとりが、難しい顔でアルフに問いかけた。
その時、アルフが何かに気づいたような顔になった。
「そうか。もし、そういうことなら・・・」
灯里は久し振りに、ARIAカンパニーで一日を過ごしていた。
様々な人たちが、灯里を訪ねて来たあの日、さすがに疲れた表情をしていた灯里を見て、アルフ捜査官は休みを取るよう言った。
灯里がアルビーナ婦人と一緒の時にホテルで遭遇した黒ずくめの男は、結局違っていたという灯里の印象だったが、ボヤ騒ぎの時に遭遇した男は、最初に会った男だと直感で分かったという。
これで、犯人は複数いることは確かで、目的はわからないが、黒ずくめの男もまた、複数いると想定することもできた。
これで、ほぼ、灯里の役目は終わっているといえた。
灯里がサンミケーレ島に送った黒ずくめの男。
間違いなく、犯人と繋がっている確証が得られたわけだった。
だが、肝心の灯里が、もうひとつ納得がいかない顔をしていた。
じゃあ、あの朝、あの男はどうやって島を出たのか?
「ゴンドラをうまく操れるのって、やっぱり・・・」
誰か、自分と同じ世界に属する者が関わっていたんだろうか。
その日の早朝にゴンドラを目撃した者がいたという話を、口外しないという約束の下、アルフから教えてもらっていた灯里は、そのことが頭から離れないでいた。
「ウンディーネさん?」
「はひっ!」
営業は行っていなかったが、カウンターのシャッターを開けていた。
そこから、とぼけた表情をした男が、中を覗き込むようにして立っていた。
「あ、あの~、今日はお休みなんです。申し訳ありません」
「あっ、いいのいいの。気にしないで」
「気にしないでといわれても」
「そうか。セリフがあべこべだね。これは失礼しました」
男はニヤリと笑った。
「あの、どういったご用件で?」
「ご用件というほどではないのだけど。いや、ご用件か」
「はぁ」
「僕のこと、覚えてません?」
「えっと、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「そうなんだ。なんか、ちょっとショック」
「す、すみません!」
「いいのいいの。記憶に残らないタイプだから。昔から」
「そうなんですか・・・」
「街で前のかみさんとすれ違っても、完全に気づかれなかった。なんなんだろうね、女性ってのは」
「はぁ」
「あっ、違うか!問題があるのは、ボクの方だった!」
「ところで、あの~」
「ゴメンゴメン。ご用件だったね?」
男は背広の内ポケットから黒い手帳を出した。
広げたそこには、身分証と顔写真があった。
「ネオ・ヴェネト州警察のアールドと申します」
「警察の方?」
「見えない?」
「ああ~そういうことではなくてですねぇ~」
「ハハハハ!噂通りの楽しい人だね」
「それって、どんな噂なんですかぁ~~?」
「ところで、あなた」
「水無灯里です」
「ごめん。お名前あったよね?」
「一応」
「そうだよね。じゃあ、灯里さん?なんか噂では顔がすごい広いらしいけど、それでも知らないウンディーネっているの?」
「それは知らないわけですから」
アールドは目を見開き、驚いて灯里をじっと見た。
「あっ、一本取られた!」
「えっ?」
今度は灯里の反応に思わず笑顔になっていた。
「つまりね、あの早朝のゴンドラのことなんだけど」
アールドは、自分が言った言葉に灯里の顔が少しこわばったのを見逃さなかった。
「やっぱり聞いてた?」
「あっ、いえ、私は何も聞いてないというか・・・」
「灯里さん?それ、聞いてるのと同じだから」
アールドはそう言って、またニヤリと笑った。
「はぁ」
「ゴメンゴメン。変な聞き方だったよね?」
「ええ、まあ」
「じゃあ単刀直入に聞くね。灯里さんは、見たことないウンディーネって、見ればわかるの?」
「はぁ?」
アールドと灯里は、ちょっとの間、お互いの顔を見つめあっていた。
「おっしゃっている意味が、よくわからないのですが・・・」
「そうだよねぇ。ボクも何言ってるかわかんんない」
「はぁ」
「またまたゴメンね。つまり、ウンディーネじゃない人が、ウンディーネみたいなことやってたら、灯里さんのようなプリマからすると、見破れるもんなのかなぁと思ったんだよねぇ」
「そういうことでしたら、わかると思います」
「そうなの?」
「でも、普通は無理だと思います」
「無理ってどういうこと?」
「コツが要るんです。オールをこぐコツが。だから、まねごとでも難しいかと」
「そういうことかぁ」
「じゃあ、もうひとつ」
「はい、どうぞ」
「ありがとう、灯里さん。あなた、いい人だぁ!」
「そうですか・・・」
「ゴンドラって、もし処分するとしたらどこへ持っていくんですか?」
「処分ですか?」
「そうです」
「一応、専門の職人さんの工房のところへ持っていくと思います」
「それは、例えばお店をたたむときも?」
「辞めるってことですか?」
「そうなりますね」
「う~ん」
灯里は首をひねって考えてみた。
「なんだったら、聞いてみましょうか?ゴンドラ協会に知り合いがいますので」
「ゴンドラ協会って・・・もしや」
「現在、名誉理事をされているアリ」
「ああー!」
「どうされたんですか?」
「いいえ、そこは結構です!」
「いいんですか?」
「はい!そこは刑事の勘がやめとけっていうもんで」
「そこで灯里さん?」
「はい?」
「あなたに是非協力してほしいことがあるんです」
「刑事さんに協力ですか?」
「はい。もちろん危険なことは何もありません」
「はぁ」
「ただ、一緒に見つけて欲しいんですよ」
「えっと、一体何をですか?」
「例のゴンドラです」
「例のって・・・」
「あの早朝のゴンドラを」
「見つけるって、どうやってですか?」
「もちろん、やみくもに探すわけではないんですよ。ちゃんと目星はつけてあるんです」
アールドはまたもやニヤリと笑ってみせた。
「この事件、いろいろと裏がありそうなんですよ。それで、ちょっと仮説を立ててみたんです」
得意気にニヤリと笑うアールドの顔を見て、灯里もつられるようにニヤッとしたが、どう見てもひきつった表情になっていた。