マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
アデリーナは少し緊張した表情で、総支配人室のドアをノックした。
勤務中、直々に総支配人に呼び出されることなど、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーのフロントクラークに任命されてから初めてのことだった。
他のホテルで働いているところを、アデルモ総支配人にヘッドハンティングされ、新しく造られる話題の豪華ホテルのフロントクラークに大抜擢された。
アデリーナにとって大恩人といえるアデルモは、現場を第一に考える人物であり、従業員からの信頼も厚い。
そんなアデルモが、いきなりアデリーナを総支配人室に呼び出した。
「失礼します」
部屋に入ったアデリーナは、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
部屋の中央にある応接セットには、アデルモ総支配人の他に見たことのない人物がふたり座っていた。
「何かご用でしょうか?」
「すまない。勤務中に呼び出したりして」
アデルモは、額のしわを寄せて笑顔でこう言った。だが、いつもと違う、少し緊張感を漂わせていた。
アデリーナは、アデルモに促されるまま、彼の隣のソファーに座った。
「君には事情を知っていてもらう必要があると判断したんだ」
「どういうことでしょうか?」
アデリーナはチラリと前にいるふたりの男性に目を向けた。
明らかに普段接する機会の多いビジネスマンとは違って、独特の雰囲気を醸し出していた。
「そうだね。それでは先に紹介しておこう。こちらはネオ・ヴェネト州警察のアルフ捜査官とアロンソ刑事だ」
アデルモ総支配人の前に座っていたアルフ捜査官は、ソファーから立ち上がった。
それに合わせてアデリーナも立ち上がった。
「アルフです。よろしく」
差しのべられた手に、アデリーナは軽く握手した。
続いて立ち上がったアロンソ刑事とも握手を交わした。
「アロンソです」
アルフはとても紳士的に見えたが、アロンソは日焼けした精悍な顔つきで、目付きも少し鋭く感じ、違うタイプの人間のようだった。
「州警察の方がどうしてこちらに?何かあったのですか?」
アデリーナはソファーに座ると、緊張した面持ちでアデルモ総支配人に向き直って聞いた。
「実は少し厄介な事態になりそうなんだ」
アデルモがそう話始めたとき、アルフ捜査官が割って入った。
「総支配人?私からお話させていただいてよろしいですか?時間が迫っていることもあるので、手短に済ませたいので」
アルフ捜査官は、アデリーナの方に向き直って話始めた。
「これから話す内容は極秘事項となっています。限られた人しかお話していません。その事をまずご理解頂きたい」
アデリーナは「わかりました」としっかりとした口調で答えたが、その声には不安が滲み出ていた。
「一週間前ですが、殺人の犯行をほのめかす脅迫文が警察に届きました」
「殺人・・・」
「ええ。その内容からこれまで過去にあった殺人事件との関連性が浮上してきたのですが、ただその脅迫文にはもうひとつ、気がかりな内容がありました。数字の羅列です。当初はその意味がわからなかったのですが」
「わかったと」
「少々手こずりましたがね。なんせ、暗号を解読させるなんて小細工をしてましたから」
「それがこのホテルと関係があるのですか?」
「お察しの通り。そこにはある場所を示す座標が書かれてあった。その場所が、このホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーだったというわけです」
「ここ・・・」
アデリーナは話の内容にまだついていけず、把握できないでいた。
「つまり、殺人予告です」
アルフ捜査官は、あっさりと付け加えた。
「驚かれるのも当然です。だが、我々には正直申し上げて、時間がない」
アデリーナは、アルフの我々という言葉を聞いて、もう自分もその只中にいるのだと思い知らされた。
「これからどうするんですか?」
「そんなふうに頭を切り替えてもらえると有難い。もうお気づきだと思いますが、このホテルは本日から厳戒体制に入ります。それについては、総支配人と打ち合わせ済みなので、また話を聞いておいてください」
アデルモはアデリーナを見て、うなずいて見せた。
「そして、アデリーナさん?あなたにわざわざ来ていただいたのは、もちろんただ説明するためではありません。あなたには、重要な役割をお願いしたいのです」
「それって、どういうことですか?私に何を・・・」
困惑の表情のアデリーナを前に、一同は静まり返った。
「犯人逮捕の協力です」
アデリーナは絶句した。
「お恥ずかしい話なのですが、まだ犯人の目ぼしがついてないのです。いくつかの目撃証言もあるのですが、どれも有力なものではない」
「でもどうして私なんですか?」
「総支配人からお聞きしています。あなたは、他のホテルからヘッドハンティングされた優秀なお方だと。記憶力や対応の的確さなど、お若いのにとても優れていると」
アデリーナはアデルモを横目で見た。
「総支配人、買いかぶりです」
「違うのですか?」
「いえ、彼女の優秀さは私が保証します」
すかさずアデルモが答えた。
「申し訳ないのですが、あなたのその洞察力を、是非我々の捜査に生かしてもらえませんか?」
「でも私なんかが一体何をするのですか?」
「特に何かをしてほしいわけじゃないんです。いつものようにフロントクラークとしてお仕事をしていただければ結構です。ただ、その時に少しでも気になることがあれば、我々に教えていただければと考えています」
アデリーナは、事態の把握に努めようとしたが、普段の業務と捜査協力という話に、不安を感じずにはいられなかった。
「もちろん、危険なことにならないよう十分に配慮するつもりです。そのため、彼をそばにつけます」
アルフ捜査官は、隣に座っているアロンソに手を向けた。
これまでじっと黙ったまま、足を組み、両手を握り合わせて膝の上に置いていたアロンソは、少し上目遣いでアデリーナに目を向けた。
その目を見たアデリーナは、心の中がざわつくのを感じていた。