マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第三十二話 知らない自分との出会い

 

アルピーナ婦人を捜査員二名が部屋に訪ねていた。

 

もちろんボヤ騒ぎ以降、姿を見せていなかったことを聞くためだった。

 

これまでに掴んでいた捜査班の情報はこうだった。

 

アルピーナ婦人はある資産家の家に生まれ、夫が亡くなって以降その当主の座を引き継いだが、今は引退し、悠々自適の生活を送っているということだった。

 

だが、アルピーナ婦人の資産家としての活動実績が判然としない。

 

そして、最近の動向も。

 

ボヤ騒ぎ以降は知り合いのところに身を寄せていたらしい。

ホテルへの連絡が遅れたことは申し訳ないと釈明した。突然のことで気が動転していたという。

 

今のところ、事件への関与は認められないことから、捜査員を引き上げさせたアルフだったが、引き続き、アルピーナ婦人の身辺調査を続行するよう指示を出していた。

 

そして、アルフ捜査官にはもうひとつ、やっておかなければならないことがあった。

 

今回の本当の意味での最重要参考人、アデルモ総支配人に話を聞くことだった。

 

今となっては逃げることも出来ないであろう、アデルモは、ここ最近、総支配人室から姿を見せる機会が少なくなっていた。

 

アデルモは、ネクタイのしまり具合を確かめると、ジャケットを羽織り直し、そのドアをノックした。

 

中から返事が聞こえ、ドアをゆっくりと開けた。

 

眼鏡をかけた女性秘書が会釈すると、インターフォンでアルフが来たことを告げる。

 

「中へどうぞ」

 

アルフは言われるがまま、その先にあるでドアを開けた。

 

「捜査官、お待ちしてました」

 

アデルモはそう言って、大きな執務机を立ち上がった。

 

アルフはすすめられたソファーに腰掛けた。

 

そして、その向かい側にゆっくりとアデルモも座った。

 

「総支配人、予想されていたようですな」

 

「ええ。実は遅いぐらいだと思っていました」

 

そこにノックをして、先程の秘書が二組のコーヒーカップを運んできた。

 

「失礼します」とだけ言った秘書は、テーブルにカップを置いて、黙ったまま軽く頭を下げて部屋を出ていった。

 

そのドアが閉じられるのを待って、アルフは口を開いた。

 

「もっと早くにこうなると?」

 

「そうですね」

 

「つまり、そう理解されていた」

 

「捜査官、色々とお調べになっているんでしょ?」

 

「まあ」

 

アルフはいつもように、無精髭のあごをさすった。

 

「こうなった以上、当然調べられていると理解ぐらいしています。ただ、捜査官には、理解していただく必要がある」

 

「何をですか?」

 

「私は被害者だということです」

 

「まあ、確かにそれはそうでしょうなあ」

 

「当然です。大事な従業員が襲われ、別のフロントクラークまで危ない目に合ってるんです。その上、ボヤ騒ぎまで起こされている」

 

「理解しているつもりです」

 

「それにホテルとして大変な損失です」

 

「損失?」

 

「信頼を失うことです」

 

「確かに。だからマスコミ発表を遅らせることに協力させていただいた」

 

「それは捜査官には有難いことだと感謝しいています。だが、一部マスコミには漏れている」

 

「100パーセントは無理です。事件が事件だけにマスコミの格好のネタです」

 

「そこが困りごとだと言ってるわけです」

 

「そのうち、色んなことがほじくり返されるでしょうな」

 

「捜査官、それは一体どういう意味でおっしゃっておられるのか?」

 

アルフは、わざと焦らすようにコーヒーカップを持ち上げ、ゆっくりと口をつけた。

 

「こうなった以上、隠してもしょうがないじゃないですか?」

 

「何を言ってるんですか?」

 

「単なる嫌がらせとは考えにくい。そのことは、私と総支配人との間で考えは一致しているはず。ですので、心当たりのあることを話して頂けるとありがたいのですが」

 

「狙われる原因があると?」

 

「そうです」

 

「捜査官?こんな商売を長く続けていると、恨まれることなんていくらでもある。それをいちいち取り上げるなんて、実際無理な話というもんですよ」

 

「なるほど」

 

「あなたも警察の人間なら色んな事件に携わってきたんだから、おわかりでしょ?」

 

アルフは心の中で「だから聞いてるんだろう?」と呟いていた。

 

「ここまでホテルとしては全面的に協力してきました。できる限り早く事件を解決して頂きたい」

 

アルフは足を組み換えて座り直すと、ふぅーと息をはいた。

 

「ところで総支配人?昔、マンホームにおられたとか?」

 

「それが何か関係あるんですか?」

 

明らかにアデルモの顔色が変わった。

 

「参考までに聞いておこうと思いまして」

 

「知っているのなら、それでいいじゃないですか?」

 

「リゾートホテルで働かれていたとか?」

 

「その通りです」

 

「そのあと、アクアへ来られてからも?」

 

「ええ、当然です。私はホテルマンですよ!」

 

「丁度その間、半年間だけ経歴が空白ですよね?」

 

「捜査官?私は被害者だと言いましたよね?」

 

「気分を害されたのなら、謝ります。仕事柄、どうしても人にものを尋ねる癖が染み付いてまして」

 

「旅です。若いうちにあちこち回って見聞を広めようと思っただけです」

 

「旅ですか?ちなみにどちらへ?」

 

「だからあちこちです」

 

「ネオ・ヴェネツィアへは?」

 

「そんなの、いちいち覚えてませんよ!」

 

アデルモの苛立ちは、この事件の意図がどこにあるのか、それがまだわからないことを示しているように、アルフには感じられた。

 

だが間違いなく、この男の存在が事件のカギになっていることを、アルフは確信していた。

 

 

 

 

アデリーナは、病院のベッドから起き上がると、まだ背中に走る痛みに少し顔を歪めた。

 

じっとしていると、痛みがやわらいでくる。

 

こわばっていた身体の力が抜けて行き、ふと窓から外に目を向けた。

 

「あれからみんな、どうしてるだろう・・・」

 

そうぼんやりと呟いた時だった。

 

ドアをノックする音。

 

アデリーナは返事を返す。

 

ドアがゆっくりと開けられ、キャップを被った青年が顔を覗かせた。

 

「アデリーナさん、お届け物です」

 

「どうぞ」

 

青年はいく種類かの花をあしらった白いかごを抱えていた。

 

アデリーナはそれを窓際に置くよう青年に告げた。

 

サインをし、その青年が部屋を出てゆくと、背中にさわらないように、ゆっくりとベッドを降りた。

 

「誰からかしら」

 

だが、差出人を示すカードなどは、そこにはなかった。

 

すると今度は、病院の職員らしき人物が入ってきた。

 

「アデリーナさん、よかった。もう立てるようになったんですね」

 

「はい、お陰さまで」

 

「それはよかった。この分だと、退院も近いですね」

 

「ありがとうございます」

 

「うちの病院でも最高の腕を持つ外科医が執刀しましたから、安心していいと思います。傷痕も最小限で済むと思いますよ」

 

「そうですか」

 

「丁度マンホームから戻ってきたところだったんですが、急遽スケジュールがキャンセルされたんですよね。ほんとにタイミングが良かったですねぇ」

 

「そんなことがあったんですか・・・」

 

「それと、こちらも」

 

と言って、その職員は一枚の書類をアデリーナに差し出した。

 

入院費や手術代など、かかる費用のすべてが精算されていることを証明するものだった。

 

「これは?」

 

「そこにサインをいただければ、それで結構です。あとは何も必要ありません」

 

「必要ないって、どういうことですか?」

 

「ですから、全て精算済みです」

 

「全て?誰が支払ったっていうんですか?」

 

アデリーナは驚いた顔で、その書類の隅々まで目を通した。

 

そのサインを記入する欄には、見たことのない名前が記されていた。

 

「アンナリーザ・エレノア」

 

「お心当たりは?」

 

「ないです」

 

「そうですか。てっきりエレノア財団の方だと思っていたのですけど」

 

「エレノア財団?」

 

「だから、色んなことがスムーズに進んだのかと・・・」

 

アデリーナは、背中に痛みを感じてベッドに手をついた。

 

「大丈夫ですか?」

 

職員の手を借りて、アデリーナはベッドに横たわった。

 

「サインはまた今度で構わないので」

 

そう言って、職員は部屋を出ていった。

 

アデリーナは、手にした書類の、その署名をもう一度見た。

 

「エレノア財団といえば、アクアでも指折りの財閥グループのひとつ。それがどうして・・・」

 

何かの間違いだと考えようとしたアデリーナだったが、自分の知らないところでことが進んでいるような、そんな感覚に襲われていた。

 

「私の知らないところ・・・」

 

 

 

 

アリーチェは、受話器を戻すと、そばにいた秘書に話しかけた。

 

「アルマは?」

 

「本日は休んでいます。気分がすぐれないと」

 

「そうなの。そうでしょうね」

 

アリーチェは、歴史を感じさせる古い造りの執務室の、その大きな机を前にしてため息をついた。

 

どう見ても幼く見えるその姿には似つかわしくない部屋で、悠然とした態度で天井を見つめていた。

 

「お嬢様、ご気分がすぐれないのですか?」

 

「そうね。すぐれないかと言われれば、確かにそうなるわね」

 

「それでは、医務官にお薬を持ってくるよう伝えます」

 

「お薬は結構よ。この気分を沈める薬は、ないと思うから」

 

「それはどのような意味なのか、わかりかねますが・・・」

 

「いいのよ、わからなくて。それより、アルマに伝えて。気分が晴れても晴れなくても、どちらでもいいから、とにかくここへ来るように」

 

「今すぐがよろしいですね」

 

「そうね。私の気がそう長くないこと、知ってるはず」

 

アリーチェは、遠くを見るように目を細めた。

 

「あの子、なんてバカなことをしたの?」

 

 

 

 

アルフが会費室に戻って来るのを待っていたかのように、専従捜査班の一組が椅子から立ち上がった。

 

「ご苦労。何か収穫があったんだな?」

 

「アージアの素性がわかりました」

 

「そうか。話してくれ」

 

「アージアはホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーに来る前に、看護師として勤めていた経歴があります」

 

アルフはそう言って、パイプ椅子をまたぐように腰掛けた。

 

「つまり、アガタを狙ったあの注射器に入っていた薬物は、そこが出所だといえそうだな」

 

「その前は修道院にいた模様です」

 

「家は?生まれは?」

 

「アージアは、身寄りのない子供を預かっていた孤児院で育っています」

 

「親がいない?ということは、素性もわからないということか?」

 

「そうなるのですが、実は、アージアを捜していた人物がいたようなんです」

 

「捜していた?誰だ?」

 

「実際に捜していたのは、興信所の調査員だったわけですが、その背後にですね」

 

「なんだ?何か出たか?」

 

「エレノア財団の名前が出てきました」

 

「なんだと?エレノア財団?なんでいきなりアクアを代表する財閥の名前が出てくるんだ?」

 

「どうやら、アージアの生まれと関係があるのかも」

 

「関係って言ったって、孤児院で育てられた女の子が、実は財閥の娘だったとか言うんじゃないだろうなぁ?」

 

アルフはそう言って、何か腑に落ちない表情になった。

 

「おい、ちょっと待て。宿泊客名簿を持ってきてくれ!」

 

モニタールームにいた捜査員がアルフにそれを渡した。

 

アルフは眉間にしわを寄せて、その名簿に目を通していたが、あるところで目が止まった。

 

「まさかと思ったが、まさかまさかだな」

 

アルフが目を止めたところには、その印象的な名前が記されていた。

 

アレッサンドラ・テスタロッサ。

 

その誰もが目に止めるに違いないその名前を、訂正するために引かれた二重線の下に、別の名前が書かれていた。

 

「アリーチェ・エレノア。間違いない。エレノア財閥の第三十代目当主だ」

 

アルフは、事件の真相に間違いなく一歩近づいたと確信した。

 

だがそれは、とても厄介なことに首を突っ込みかねない、危ういことを意味していた。

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