マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
アデリーナから真剣な眼差しを向けられたアンナリーザ・エレノアは、その表情に笑みをたたえ、目を閉じた。
「アンナリーザさんは、エレノア財閥の方だとお聞きしましたが、本当ですか?」
「ええ、そうですわね」
アンナリーザの眼差しは、当初と違って、落ち着いた、優しいものに変わっていた。
「わたし、わかりません。まったく縁もゆかりもないエレノア財閥から、支援を受けるなんて」
「理解します。ただ、アデリーナさんになくとも、こちらにはあるのです」
「どういうことなんでしょうか?」
「今はまだ、ハッキリとは言えないのですが、あなたには多大なるご迷惑をおかけした。それだけは申し上げておきます」
「多大なる迷惑・・・」
アデリーナは、困惑した表情で、改めてアンナリーザを見た。
「それってつまり、私が襲われたことと何か関係しているということなんですか?」
「それ以外に考えられませんですわね」
アンナリーザは、あっさりと答えた。
「いったいどういうこと・・・」
「先ほども申し上げたとおり、今の時点では、詳細については申し上げることはできないのです。それに、アデルモ氏本人に確かめなくてはいけないことでもあります」
「総支配人にですか?」
「ええ」
「ちょっと待ってください。私が襲われたことは、総支配人と関係があるということなんですか?あれは、ホテルを狙った嫌がらせみたいなことではなかったのですか?」
アデリーナの顔色が変わっていった。
「アデリーナさん?わたくしは警察ではありませんのよ。その辺のところは、警察に直接お聞きになられてはいかがですか?とはいっても、この状況ではできないですわね」
アンナリーザは、少しため息まじりの反応を返した。
「なんにせよ、そのホテルへの殺人予告は、本当だったということではないかしら?」
「つまり、私がその犠牲者・・・」
そう言ったアデリーナが何かに気づいたような顔をした。
「アンナリーザさん?今、殺人予告っておっしゃいましたよね?」
「そうですわね。それが何か・・・」
今度はアンナリーザがハッとした表情になった。
「なぜそれをご存知なんですか?正式には発表されてないはずですけど」
「それはなんといいましょうか・・・ハ、ハハ、ハハハハ!」
「アンナリーザさん」
「どちらにせよ、アデルモ氏に出てきてもらわないことには、ハッキリとしないことですわ!」
アンナリーザの言葉を聞いたアデリーナの顔に緊張が走った。
「出てきてって・・・」
アンナリーザは、またもやハッと表情を変えた。そして、自らの額を押さえた。
「総支配人に何かあったのですか?教えて下さい!どうしたんですか?」
「わたくしとしたことが、やらかしてしまいましたわ」
「アンナリーザさん!」
アンナリーザは、しょうがないといった感じで、大きく息を吐きだした。
「御姉様から調子に乗らないよう注意されていましたのに。これはわたくしの失態です。しょうがありません」
アデリーナの憔悴した表情をしっかりと見据えたアンナリーザは、決意したように口を開いた。
「ショックをお受けられると思いますが、気をしっかりとお聞きになって下さい。アデルモ氏はいなくなりました」
「いなくなった・・・」
アデリーナは目が点になっていた。
「わたくしの知る限りではございますが、警察の疑いがアデルモ氏に向けられ始めて、その数日後には、姿を消したということです」
「でも脅迫を受けていたのは、総支配人だったはず」
アンナリーザは、少し気の毒そうにアデリーナの様子を見ていた。
「そうですわね。あなたにとっては、あくまでもホテルの総支配人ですわね。でも、この数日で事態は変わってしまいました。あなたのように氏を受け止める人は、もういないかもしれません」
「どういうこと・・・」
それ以上、アデリーナには聞き返す気力がなかった。
「これ以上は、本当に申し上げることができませんの。実は、当初思われていた以上に事態は深刻のようです。ですので、知るということは、それだけで危険ということになります」
アデリーナからは、何も反応が帰ってこなかった。
ただ、茫然と前を見つめている状態だった。
アンナリーザは、その様子に憐れみの表情を浮かべた。
「そろそろ失礼致しますわ。退院は近いと聞いております。元気を出して下さいましな」
廊下に出たアンナリーザは、部屋のドアをゆっくりと静かに閉じた。
その直前に、ドアの隙間から見たアデリーナは、まだ前を見つめている状態だった。
アリーチェ・エレノアは、アデリーナへの対処は妹のアンナリーザに任せて、あまり目立った行動は避けるようにしていた。
だが、アクアを代表する財閥家として、その情報網を駆使すれば、現在ネオ・ヴェネツィアを取り巻く状況が、危機的状況に近づきつつあることは、容易に察知することができた。
アリーチェの頭の中は、この度のできごとが、自らが撒いた種が原因であろうと、責任を痛感する思いでいっぱいだった。
アルマのことを思ってしたことが、こんな裏目に出るとは・・・
だから、アリーチェは動かずにはいられなかった。
「当主、ここから先は危険かと」
「その当主って言うの、やめなさい!知らない人が聞いたら、私がどこかの野球チームでピッチャーでもやってるように聞こえますわ!」
「当主・・・投手・・・なるほど」
「バンザ・・・何を納得してるの!」
アリーチェと、アリーチェの元で仕事をしている第一秘書のアレグロは、少し寂しい裏通りを歩いていた。
目立った行動は命取りになりかねないと用心した結果、秘書だけを連れて出掛けていた。
「あの、当主・・・お嬢様?護衛をお付けになられた方がよろしいのではないですか?」
「目立ちたくないのよ!そんなことしたら、かえってこちらの存在を知らしめるようなもんでしょ?」
「ですが、このような怪しいところは、危ないのではないのですか?」
「今は、わかっている情報を頼りにするしかないの」
辺りをキョロキョロ見回しながら歩くアレグロの前を、緊張した面持ちでアリーチェは歩いていた。
アリーチェが得た情報、それはアルマが立ち寄りそうな場所だった。
「あの子の素性は知っていたつもりだったけど・・・」
そこは、決して豊かとは言いがたい街並みが続くところだった。
孤児院で育ったアルマは、その後、修道院で人助けをすることに日々を費やす人生を送っていた。
その頃のアリーチェは、自分のお側付きのメイドが何人も変わることに腹を立てていたが、知人の紹介でアルマと出会うことになった。
アルマは何事にも動じることもなく、アリーチェの無理難題も懸命にこなそうとする姿勢が認められ、アリーチェのお側付きとしての地位を築くことになった。
アリーチェのような何代も続く家系とは対照的なアルマは、天涯孤独と自分の出生については何も考えることをしてこなかった。
そこでアリーチェは、密かにアルマの身元を調べて、自分のルーツとは何かを知らせてあげようと考えた。
エレノア財閥の力を持ってすれば、すぐに調べられると考えていたが、意外にもそうではなかった。
むきになったアリーチェは、逆にそのことで地雷を踏んでしまうことになった。
「でもお嬢様?そこまでやる必要があるのですか?これ以上は危険かと。お嬢様に何かあっては、エレノア財閥にも影響は避けられません」
「そんなオーバーな!と言いたいところですが、確かに雲行きが怪しいですわね」
そう言ったアリーチェは、さりげなくチラッと後ろに視線を向けた。
「どうかなさいましたか?」
「アレグロ!後ろを向いちゃダメ!」
アリーチェは声を押し殺してはいたが、アレグロを制するように言い放った。
「つけられてる」
アリーチェの言葉にアレグロはカチッと固まったまま、前を向き続けていた。
「お、お嬢様?」
「いいからそのまま歩くのよ!」
アリーチェは少しずつ歩く速度を速めてゆく。
アレグロは、それについて行こうと小走りになっていた。
「アレグロ、いい?私が合図を出したら一気に走るのよ!」
「は、はい!」
そう言ったのもつかの間、その細い路地の向こうにサングラスをかけた、スーツ姿の男が三人、ゆっくりとこちらへ向かってくる姿が見えた。
振り返った先には、同じ姿の男たちがこちらも三人向かってくる。
その場で立ち止まったアリーチェは、どうするか迷った。
「お嬢様に何かあってはいけません!」
アレグロは、アリーチェの背中にピッタリとくっついて、離れようとしなかった。
「あ、あなた!言ってることと行動が合ってないわよ!」
だが、そんなふたりとは裏腹に、距離を縮めてきた男たちは、それぞれ上着の内側に手を差し入れた。
「アレグロ、あなた何か持ってないの?」
「何とおっしゃられても・・・あっ」
「ナニ?」
「ベルが」
「護身用ね?早く鳴らしなさい!」
チリンチリン♪
「帰ったらどうなるか、わかってるわよね?」
「だって、これしかないんです!」
後方から近づいてきた男は拳銃、前方からきた男はナイフ。
絶体絶命のピンチ。
「走って!アレグロ!」
アリーチェは、その小さな身体を投げ出すように、前からきた男に向かっていった。
「お嬢様!」
その瞬間、銃声が鳴り響いた。
続けざまにもう一発。
アリーチェがぶつかろうとした男が、その場でうずくまっていた。
反対にアレグロの目の前では、苦しさに耐えかねたように手を押さえて男が倒れていた。
拳銃は路面に落ちて、少し先に転がっている。
他の男たちは身構えて、辺りを忙しく目を向ける。
その中のひとりが、アリーチェに近づこうとした。
その瞬間、銃声が鳴り響き、男の足元で火花が散った。
続けざまに他の男たちの足元にも撃ち込まれてくる。
それはまるで、これ以上は許さないといっているかのような、鬼気迫るものがあった。
男たちは、少しずつ後退りしながら、一斉に駆け出していった。
口をあんぐりとあけたまま、その場に立ち尽くしているアレグロのそばで、アリーチェは厳しい目付きで周辺の気配に神経を尖らせていた。
風に乗って、硝煙の臭いが漂ってくる。
だがそれに混じって、アリーチェの神経を逆撫でする、あの香しい臭いが漂ってきた。
「どうして・・・どうしてあなたがこんなところいるの!」
少し離れた路地の角から、音もなく姿を表したその人物は、いつもとは違うレイバンの黒いサングラスと、黒のジャケットに黒のパンタロン姿で立っていた。
ただそれだけなら、どこかの世界的な有名モデルが、お忍びで街を歩いているようにも見えたが、決してそうは見えないのは、その片手には拳銃が握られていたからだった。
アレグロは、ずっと口を開けっ放しのまま、その姿を見つめていた。
その路地からふたりの方に近づいてきた姿を、アリーチェは正面からじっと見据えていた。
「そんな物騒なものを非合法でぶっ放したりできないわよね?どうなの?アレッサンドラ!」
少し近づいたところで立ち止まったその人物は、サングラスを外した。
印象的なその大きな瞳が、ふたりを捉えて離さないでいた。
「大丈夫?お怪我はないかしら?」
「もし当たったらどうするつもりだったの?」
アリーチェは批判的に言い放った。
「ご心配なく。かすりもしなかったでしょ?」
「あ、あなた!いったい何者なの?」
アレッサンドラ・テスタロッサは、拳銃をジャケットの脇の下にあるホルスターに差し込むと、きれいにウェーブのかかった髪をその手でかきあげた。