マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第三十七話 キーパーソン

「ご心配なくって、あなたねぇ、それはこちらが言うセリフでしょ?」

 

アリーチェは、何事もなかったようにゆっくりとした足取りで近づいてくるアレッサンドラ・テスタロッサに向かって言った。

 

「ご無事で何よりだったですわね」

 

「それはまぁ、そういうことではあったかも・・・」

 

「お使いは、ほどほどになさってくださいな、ご当主?」

 

「お、お使い?」

 

アレッサンドラは、アリーチェたちを襲った男が残していった拳銃を拾うと、ジャケットの後ろをはらいあげ、パンタロンに差し込んだ。

 

ナイフは、ゴミの散乱しているそばの路地裏に投げ込んだ。

 

アレッサンドラのその動きは、素早く迅速だった。

 

「慣れていらっしゃるのね?」

 

アリーチェは皮肉混じりに言った。

 

「それより、早くここを離れたほうがよろしいかと」

 

「どうして?今あなたが追っ払ってくれたんじゃなくって?」

 

「いいえ、またすぐに来ます。今度は手加減なしで」

 

「アレッサンドラ?あなた、いったいどこまで何を知ってるの?」

 

アレッサンドラは、辺りに視線を配りながら、もう少しアリーチェに近づいた。

 

「ご当主?いくらご自身のメイドのためとはいえ、その範疇を越えていると、理解されてますわね?」

 

「そんなことをなぜ、あなたが・・・」

 

「事態は切迫していると申し上げておきます。あなたが動いたことで、連中はどうにかして証拠を隠蔽するでしょう。目指すものが違っても、結局は同じものにたどり着くことになる」

 

「つまりそれって、アデルモ?」

 

「そういうことです。まさかエレノア財閥が動いているなんて、連中は予想もしていなかったはず。ここから先は、命の保証はできかねます」

 

「それをどうやって信じろというの?あなたはいったい、どの立場に立ってそれを言ってるの?それを教えないで、信じろというのはむしがよすぎると思わなくて?」

 

「少なくとも、合法的にぶっ放すことが出来る立場だと申し上げておきますわ」

 

アレッサンドラは、仏頂面のアリーチェに、にっこり微笑んでみせた。

 

「それと・・・」

 

「なんですの?」

 

「アデルモ氏と同様に、黙ったままの姿で再会したくはありませんので、お気をつけ下さいまし」

 

「なんですの、それ・・・まっ!」

 

アリーチェは、文句を言いたげな顔をしていたが、その一方で少しその表情には緊張が走っていた。

 

「大事なお立場でしょうから、お屋敷でおとなしくしていることをお薦めいたします」

 

「余計なお世話よ!」

 

アレッサンドラは路地に消えていった。

 

それと入れ替わるように、アレグロがアリーチェのそばに近づいてきた。

 

「お嬢様?私の勘違いかと思うのですが、先程の方、どう見ても、あのアレッサンドラ・テスタロッサに見えたのですが?」

 

「どうもこうもないわよ。あの高慢ちきな女そのものよ!」

 

「でもどうして、あのアレッサンドラが拳銃を片手にあのような格好でいるのですか?」

 

「そんなこと、私に聞かれても知らないの!」

 

「もしかして、スパイか何かですか?」

 

アレグロは、アレッサンドラが消えていった路地の方を見ながら、嬉しそうに微笑んだ。

 

「スパイがこんなところでぶっ放した挙げ句、悠長に気取ってポーズなんかつけたりしないでしょ?」

 

「じゃあなんなんでしょうか?」

 

「少なくとも、私たちと同じところを目指しているに違いないわ。しかも、それなりの公の立場でね」

 

「女優ですよね?」

 

「そうなんでしょうね」

 

アリーチェも、アレッサンドラの後を追うように、路地の方に目を向けていた。

だが、先程までとは違い、真剣な眼差しが、何かを悟ったようだった。

 

「あの女、自分の正体を明かしてまで私達の前に姿を現してきた。事態は思っていたより深刻だというの?」

 

 

 

 

ARIAカンパニーの前にポツンと立って、そのかわいらしい建物を見上げていたアールドは、なぜかニヤリと笑った。

 

その疲れた中年のおやじの風貌は、どうしてもその場の風景と似合ってなかった。

 

岸辺から渡してある桟橋を進み、ドアのところで立ち止まった。

 

「ここへ来るのも、いつぶりかなぁ」

 

そう呟くと、アールドはドアをノックした。

だが、中からは何も返事がない。

 

もう一度ノックしたが、やはり同じだった。

 

「出掛けてるのかなぁ。それじゃあ・・・」

 

アールドは、デッキをくるりと回ると、海に向かって開け放たれたカウンターの方に回った。

 

中を覗き込んだが、誰の姿もない。

 

「営業中なのは間違いないようだけど。灯里さんの顔を拝んで、癒されようと思ったのにさぁ」

 

アールドは、カウンターに置いてある小さな花瓶に生けてある、小さな花にちょんと指を触れた。

 

「あれ?アールドさん?」

 

その声に振り返ると、ゴンドラに乗った灯里が、海の上から見上げていた。

 

「やぁ、灯里さん!お久し振り!」

 

「お久し振りですぅー!どうされたんですかぁ?」

 

「灯里さんの顔が見たくなって来ちゃった!」

 

「そうなんですね・・・」

 

苦笑している灯里とは対照的に、アールドは嬉しそうに目の前の灯里に手を振っていた。

 

 

 

テーブルのところでそわそわ座っているアールドの前に、灯里はカップを置いて紅茶を注いだ。

 

そのカップを手にとってアールドは満足げに香りを嗅いだ。

 

「うーん、いいねえ。なんか落ち着く。やはり灯里さんが入れてくれたからかなぁ?」

 

灯里は何も言わずに、にこやかに微笑んで返した。

 

「でもどうされたんですか?」

 

灯里はテーブルを挟んで向かい側に座った。

 

「灯里さんの顔が見たくなったって言ったでしょ?」

 

アールドはカップを皿の上に戻すと、にっこりと微笑んでみせた。

 

だが、灯里は黙ったままアールドを見返していた。

 

「わかったわかった!灯里さんにはウソつけないなぁ」

 

そう言うと、アールドはふぅーと息を吐き出した。

 

「あれからさぁ、誰か灯里さんに会いに来た人、いた?」

 

「会いに来た?私に?」

 

「うん。もちろんホテルに関係する人の中でね」

 

「いいえ、誰とも会ってませんけど」

 

「そうなのか。それならちょっと安心した」

 

「どういうことなんですか?」

 

「うん、そうだねぇ」

 

アールドは、部屋の中をぐるりと見渡した。

そして、壁にかかっているスケジュール・ボードに目が止まった。

 

「灯里さん、本当に営業再開したんだね?」

 

「そうですね。少し仕事から遠ざかっていた分、取り戻さないとと思ってます」

 

「そうなんだ」

 

アールドは紅茶を一口飲むと、おもむろに話始めた。

 

「実はね、今回のこの事件、いろいろと考えてみたんだけど、時間の経過と共に登場人物は増えてくるし、話自体も複雑になってくるし、いったいどうなってるのか、訳がわかんなくなってきたんだよねぇ」

 

「はへぇ~」

 

「それでね、もう一度整理しなおしてみようと思ったわけ」

 

「はぁ」

 

「やはりこういうときって、最初に戻るのがセオリーだと思うんだよね」

 

「最初ですか?」

 

「そうなんだよ。そこでこの事件の発端はなんだったかを考えたら、灯里さんが黒ずくめの男と出会ったところから始まった」

 

「はぁ」

 

「そして、犯人はわざと意図的にそれを実行したんじゃないかと、以前ぼくの推理を話したよね?」

 

「そうでした」

 

「ウンディーネに目撃させるための演出だとね」

 

「はい。私をアリシアさんと勘違いしたと」

 

「そうそう。灯里さんは重要な目撃者だったのに、捜査本部は、その灯里さんをフロントクラークから外した。まだ主犯格のめぼしがついたわけじゃないのにね」

 

「はい」

 

「つまり・・・」

 

アールドはそのカウンターから、明るく眩しい海に目を向けた。

 

「アールドさん?」

 

「いや、実はね、灯里さんには悪いんだけど、捜査本部は、この脅迫事件そのものから手を引こうとしてるんじゃないかって、ふと思ったんだよね」

 

「どういうことなんですか?」

 

「例えば、脅迫事件より、何か大きな事件になってきた、とかね。つまり、そっちの方が今の捜査本部、いや、ネオ・ヴェネト州警察にとって重要なのかもしれない。それだと、灯里さんがホテルにいる意味は確かになくなったのもうなずける」

 

灯里は、アールドが難しい顔で顎のあたりをさすっている様子をじっと見つめていた。

 

「でもね?」

 

「はい?」

 

「だからこそ、この事件の中心人物であるアデルモ総支配人に、もっと近づく必要があると思ったんだよね」

 

「はい」

 

「そこで改めて思ったんだけど、ゴンドラって、誰でも漕げるもんなの?」

 

「さすがに誰でもって訳にはいかないと思います」

 

「やっぱりそうだよねぇ。それなりに訓練て必要だよね?」

 

「はい」

 

「でもね、もしだよ?もしボートをこぐことに慣れていたら、意外とできちゃうのかと思ったんだけど、どうかなぁ?」

 

「その人によると思いますけど、出来ないわけではないと思います」

 

「そうなの?」

 

「はい、たぶん」

 

アールドは、今度は頭をかいて、また考え事にふけっていた。

 

「以前、灯里さんにゴンドラの工房を案内してもらった時、職人さんが軍人らしき人が訪ねてきたって言ってたじゃない?あれが気になっていてね。もしかしたらって考えてたんだよね」

 

「犯人、ですか?」

 

「うん。それに、あの黒ずくめの男も」

 

その時、アールドの携帯電話が鳴った。

 

「灯里さん、ちょっとゴメン」

 

アールドは席を立って、その場から少し離れて電話に出た。

 

灯里には背中越しからだが、アールドの様子が変わったのがわかった。

 

そして、声のトーンを一層落とすと、慎重に言葉を選んで話していた。

 

席に戻ったアールドは、ため息をひとつ漏らして、灯里の顔を見た。

 

「ちょっと、重要なことがわかったみたい」

 

「はぁ」

 

「灯里さんなら、カ・ドーロをご存知だよね?」

 

「はい、もちろんです。ネオ・ヴェネツィアを代表する観光スポットのひとつです」

 

「近年ではビジネスの要所としても利用されるようになったとか?」

 

「ええ、その通りです。カ・ドーロがどうかしたんですか?」

 

「灯里さんも会ってると思うんだけど、アレキサンドロ氏は建築家で、そのカ・ドーロの修復に携わっていたんだ」

 

「そうだったんですか?」

 

「それともうひとり、ホテルの客で関わっていた人物がいたんだ」

 

「誰なんですか?」

 

「知ってるかなぁ、アダルベルト氏」

 

「確か、アデリーナさんが相談に乗っていたお客様が、そのお名前の方だったと」

 

「そうなの?なにそれ?」

 

「アガタさんが話してくれました。初めて会った方なのに、資産家の方だともわかったと」

 

「アデリーナさんが?もしかして、そういう力がある人なの?」

 

「そういう意味ではなくてですね、フロントクラークとしての勘だということです」

 

「ああ、なんだ。そういうことね」

 

アールドは自分でもバカなことを言ったと苦笑して、頭をかいた。

 

「ただね、そのアダルベルト氏の経歴がわかってね?」

 

「はい・・・えっ?」

 

「お察しの通り、軍人だった過去があった」

 

「ちょっと待ってください!」

 

「どうしたの、灯里さん?」

 

灯里は誰が見てもわかるくらい動揺していた。

 

「それって、つまり、あの朝、ゴンドラをこいでいるところを目撃された人かもしれないということですか?」

 

「そういうことになるね」

 

「つまり、黒ずくめの男・・・」

 

灯里は呆然とテーブルの上を見つめていた。

 

「灯里さん、さっきからどうしたの?何かあったの?」

 

「その、実は・・・」

 

灯里が何か言いかけたとき、入り口のドアをノックする音が鳴った。

 

灯里はその音にビクッと反応した。

そして、そのドアをじっと見つめたままだった。

 

「灯里さん?どうしたの?出ないの?」

 

「あ、それが・・・」

 

灯里が躊躇している間に、ゆっくりとドアが開けられようとしていた。

 

その様子にただならぬ空気を感じたアールドは、動き出したドアに目を向けた。

 

そのドアの間から姿を現した初老の男は、眼鏡をかけ、ハットを被った、スーツをきれいに着こなした、紳士然とした姿をしていた。

 

だが、眼光はしっかりとした、力強い印象で、本当は見た目とは違うのだということを主張しているように見えた。

 

「これは失礼した。来客中でしたか?」

 

中の様子に気付いたその男は、やさしい口調でそう言った。

 

「す、すみません!お客様!」

 

灯里は椅子から急いで立ち上がった。

 

その様子を見ていたアールドは、男の姿に釘ずけになっていたが、事態を把握したのか、いつものようにニヤリと笑った。

 

「私のことはお構い無く。もう失礼するところだったので」

 

アールドは、立ち上がるとそう言って男の顔を見ると、笑ってみせた。

 

「アールドさん・・・」

 

その心配そうな灯里の声に気付いたアールドは振り返ってこう言った。

 

「灯里さん、お仕事がんばってね。また来るよ」

 

「はい・・・」

 

「よろしいのですかな?」

 

「ああ、気にしないで下さい!こっちの用は終わりましたので。なんか、パッと霧が晴れたような感じです!」

 

「それはよろしいですな」

 

アールドのオーバーな反応に、男は穏やかに笑ってみせた。

 

「じゃあ灯里さん、ぼくはこれで」

 

「はい、大したお構いもできず・・・」

 

アールドは男性とすれ違うようにして、ドアの外に出た。

 

そして、ゆっくりとドアを閉じながら、中から聞こえる声に耳をすませた。

 

「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます。アダルベルト様」

 

少し不安が入り交じった灯里の声が、しっかりとその名前を告げていた。

 

アールドは、ドアを閉じて桟橋を渡り、そこでもう一度ARIAカンパニーを振り返った。

 

「やっぱりそうだった。ぼくの推理は正しかった」

 

アールドはいつもより、なお気持ち悪いぐらいニヤリと笑った。

 

「だから言ったろう?灯里さんはこの事件のキーパーソンだって」

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