マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第三十九話 じゃがバターと時のひと

アデリーナは、いつものようにアロンソの背後から回り込むように、その顔を覗きこんだ。

 

「お久し振りです」

 

アロンソはロビーに視線を向けていた。

 

「大丈夫なんですか?」

 

「ええ、まあ、なんとか」

 

「そうですか」

 

「だってホテルがこんな大変な状況だと知って、じっとしてられないでしょ?」

 

「でも犯人が捕まったわけじゃない」

 

「わかってます。アデルモ総支配人がいなくなったってことも」

 

アロンソはチラッとアデリーナに目を向けた。

 

アデリーナは真剣な表情で前方に視線を向けていた。

 

「でも、あのあと、犯人を追ってくれたって聞いた。もう逃げられたかもしれないのに、必死になって」

 

「仕事だから」

 

「それでリネン担当の従業員にたどり着いた」

 

「当然仕事だから」

 

「アガタに連絡を取って、あの刑事さんも助けに来てくれて」

 

アデリーナは、少し離れたところで、目頭を指で拭っているアガタと、優しく笑いかけているアールドの方に振り返った。

 

「でも、あれはどうだったのかなぁ?」

 

「何がだ?」

 

「アガタを呼び出したこと」

 

「ホテル内を誰にも勘ぐられずに動けるのは、彼女しかいなかった。だから協力してもらった。それだけだ」

 

「でも危うくブスッと」

 

「ブスッと?」

 

アデリーナはアロンソの目を覗きこんだ。

 

「もういいわ。でもアガタを信用してくれたこと、ちょっとうれしかった」

 

アロンソはその言葉には反応せず、また前を向いていた。

 

「で、どうするの?」

 

「鋭意捜査中」

 

「ホントに?」

 

「ああ」

 

「なんか深刻なんでしょ?」

 

「知ってるならそれでいい」

 

「知らないわ。ほとんど。だって病室から出してもらえなかったから」

 

「安全のためだ」

 

「でも、私が狙われたのには、理由があった」

 

アロンソは黙った。

 

「そこに問題の糸口があるということね?」

 

「それ以上はやめておけ」

 

「危ないってこと?」

 

アデリーナの頭には、アンナリーザ・エレノアの顔が浮かんでいた。

彼女がうかつとはいえ、アデリーナの前で話したことが、単なるホテルを狙った脅迫事件でないことを裏付けていた。

そして、それはすなわちアデルモを指し示していることでもあった。

それに、なぜアンナリーザのような人物が関わっているのか。

 

だが、アデリーナにとっては、アデルモは今でもこのホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーに引っ張ってくれた恩人であることに変わりなかった。

 

そして、なぜ自分が狙われたのかを、自分にはそれを知る権利があると考えていた。

 

「アデリーナさん?退院祝いをすると、彼女が言ってるけど?」

 

アールドは自分の背中から顔を覗かせたアガタを振り返った。

 

「先輩?いいですよね?」

 

「どうしようかなぁ・・・」

 

アデリーナは、何気なくアロンソの横顔を見た。

 

それに気づいたアガタが、ちょっと怖い顔で睨んだ。

 

「あのぉー、これはあくまでも有志による参加ということで」

 

「アガタさん?有志なんて言葉、知ってるんだ!」

 

「ちょっとおじさん!失礼ですよ!」

 

「その、おじさんて呼び方の方が傷つくんだけどなぁ」

 

「そうだ!先輩!」

 

「どうしたの、アガタ?」

 

「灯里さんも呼びませんか?灯里さんもスッゴく心配してたんです!」

 

それを聞いてアデリーナは、ロビーを見渡していた。

 

「先輩、もしかして知らなかったんですか?」

 

「ええ。どういうこと?」

 

「灯里さん、お役目御免だそうです」

 

「あまり詳しくは言えないけど、捜査方針が変わったのでね」

 

アガタの後でアールドが説明に入った。

 

「そうだったんですか」

 

アデリーナは自分がいない間に、事態が大きく変わったことを痛感していた。

 

アデリーナとアガタがフロントの方に戻ろうとしたとき、アデリーナだけに聞こえるように、アールドが声をかけた。

 

「ちょっといいですか、アデリーナさん?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「実は確かめておきたいことがありまして」

 

アールドはアガタやアロンソが気がついてないことを確かめるように、二人の様子に目を向けた。

 

「アデリーナさんは、エレノア家とは何かご関係がおありで?」

 

その言葉に、アデリーナは表情を固くした。

 

「ご存知なのですね?」

 

「まあそうですね。でも他に知れるのも時間の問題かと」

 

アデリーナは少し迷うような顔を見せたが、アールドをまっすぐに見て言った。

 

「初めてお会いしました。病院で」

 

「まあ、あそこはエレノア財閥の息のかかった病院ですから。あなたがすぐに出てこれたのもうなずける。相当な待遇を受けていたことは用意に察しがつきます」

 

アデリーナはそれを聞いて、少しうつ向いて目を伏せた。

 

「でも、ここはやはり、少々気をつけておかれた方がいいと思います。脅かすようで悪いですが」

 

アールドは顔に似合わず、神妙な表情だった。

 

「つまりそれって、総支配人と私が襲われたことと、何か関係していると・・・」

 

「ちょっと!そこで何をコソコソやってるんですかぁー!」

 

アガタが二人の方を向いて人差し指を突き出して、ほっぺを膨らませていた。

 

アデリーナは、それ以上聞き返すことはなかった。

 

 

 

 

アレキサンドロは、出された紅茶には手をつけず、じっと硬い表情まま座っていた。

 

通されたその大きな部屋は、豪華な調度品で彩られ、歴史を感じさせる重厚さが見るものを圧倒していた。

 

窓際の執務机には、その重厚な雰囲気には似合わないくらいの、幼さの残る少女が座っている。

 

アリーチェ・エレノアは、ため息をつくとそのゆったりとした皮張りの椅子の背もたれに身体を預けた。

 

「大体のことは、察しがついています。あなた方のことも了解済みでした」

 

アレキサンドロは、少し驚いたようにアリーチェの顔を見た。

 

「その上でアルマの気持ちを尊重しようと思った。でもそれは浅はかな行為だった」

 

アリーチェの口調は、見た目の印象と違い、老成した大人のようだった。

 

「ご当主は、なぜそこまでしてアルマのことを?」

 

「それは・・・もしかしたら、自分と似てるって思ったのかもね」

 

「ご自身と?」

 

「そうね。境遇は違っても、どこか孤独を抱えている。そこにシンパシーを感じたのかもしれない。もちろん、わたくしの勝手な思い込みですけど。それでもよかったのです」

 

アリーチェはくるりと椅子を、その背後の窓に向けた。そして、また元に戻すと、アレキサンドロの方を向いた。

 

「ところで、あなたたちの計画とやらを、ちゃんと聞かせていただけるかしら?」

 

アレキサンドロは、観念したようにソファーの背にもたれかかった。

そして、深いため息をひとつついた。

 

「すべてはあの男、アデルモでした」

 

 

 

 

 

アルピーナ婦人は、少しため息をつくと、ソファーの背にゆっくりともたれかかった。

 

「私たちの出会いは、正しかったのかしら?」

 

向かい側に座るアダルベルトは、組んでいた脚の上で手を組んだ。

 

「おっしゃりたいこと、理解できます。ここまで来ると、そうお考えになられても仕方がないかと」

 

二人は、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの、アルピーナ婦人が宿泊している部屋にいた。

 

アダルベルトは、先日、灯里に会うためにARIAカンパニーを訪ねた時のことを報告するため婦人の部屋を訪ねていたのだったが、それとは違う深刻な出来事がふたりを悩ませていた。

 

「ですが、必然だったと、あえて申し上げておきましょう」

 

「確かにそうかもしれないわね」

 

「ですが、婦人?先日もお話したように、事態は少し難しい状況になって来ました」

 

アダルベルトの言葉にアルピーナ婦人の表情が固くなった。

 

「アデルモを取り巻く状況が、我々が考えていたより厄介な状況だったことに加え、エレノアの当主が動き出しました」

 

「そうなの。仕方がないわね」

 

「ですが、このままでは沢山の血が流れる可能性もあります」

 

「アイアート・ライデン」

 

「その通りです」

 

「あの男と関わっていたとはね」

 

「ライデンとアデルモが繋がっていたことは、捜査関係者とまだ一部の人間しかしらないことではありますが、それも時間の問題です」

 

「そうなのね」

 

「その上、インターポールも、このネオ・ヴェネツィアに入ってきているようです」

 

「あなたが話していた情報より、少し早かったわけね?」

 

「申し訳ありません」

 

「謝ることないわ。いずれそうなることだった」

 

アルピーナ婦人は、窓の外に見えるネオ・ヴェネツィアの素晴らしい風景に目を向けた。

 

「こんなにも素晴らしい風景が目の前にあるというのに、それを楽しめないなんて」

 

「婦人?」

 

アダルベルトは心配そうに婦人に声をかけた。

 

「私たちも、そろそろ決断するときがやって来たということね?」

 

「決断ですか・・・」

 

「このままだと、アデルモはどうなるかわからない。アリーチェ当主の決断次第では、何も手を出せなくなる」

 

「婦人?まさか、エレノア家とやり合うおつもりですか?」

 

「ことと次第によればね。そうならない方がいいことはわかっているわ。でも、我々は復讐という目的のために、ここまでやってきた。それを断念するほど、お人好しになったつもりはないわ」

 

「そこまでご覚悟されておられるとは・・・」

 

アダルベルトは気持ちに迷いはないといった、婦人の表情を改めて見つめ返した。

 

「それなら、私にも考えがあります」

 

「考え?」

 

「私のこれまでの経験と人脈をフル稼働すれば、アイアート・ライデンを出し抜くことも可能かと」

 

アダルベルトは、その老成した風貌には似つかわしくない、鋭い眼光を放っていた。

 

「ただ、気になることがあります」

 

「何かあったの?」

 

「アデルモとアルマ、その二人と一緒に、アレキサンドロもエレノアのご当主のもとにいるという情報があります」

 

「アレキサンドロ氏もなの?」

 

「彼は仕事柄、ネオ・ヴェネツィアには昔から知り合いが沢山いるとのこと。そこからの情報となると、私よりも詳しい事情に触れる機会も多いでしょう」

 

「つまり、彼の方がアルマやアデルモの行方を先に掴んでいた。そうなると、アリーチェさんにこちらのことは、もうすっかり知られていると考えた方がいいかもね。彼は、ああ見えても、根はとてもやさしい人だから」

 

「おそらく」

 

「でも彼を責めることはできないわ。元々は抱えていた事情がそれぞれ違いますから」

 

「確かに」

 

「アルマもそう。もしかしたら、巻き込んでしまったといえるかもしれない。知らなくていいこともあるわ、人生には」

 

「それと・・・」

 

「まだあるの?」

 

「ライデン一派は、エレノア財閥が出てくることは想定していなかった筈です。彼らもアデルモの、このネオ・ヴェネツィアへ来てからの時間を全て把握していたわけではなかったでしょう。エレノア財閥と関係のあるアルマの登場となると、尚更です」

 

「そこに、あのフロントクラークの一件も」

 

「アデリーナさん?」

 

「そうね」

 

「そうなると、もうひとり」

 

「どういうこと?」

 

「ライデン一派が、アイアートの悪事の証拠を隠蔽するために、見境なく行動に出たとしたら・・・」

 

「一体誰に危害が及ぶという・・・まさか!」

 

「お察しの通りです」

 

 

 

 

ウッディーがいつものように、ARIAカンパニーの上空を通過しようとしている時だった。

 

ARIAカンパニーから少し距離をおくようにして、数ヵ所から数人の男たちが様子を伺っている姿が目に入った。

 

「いったいあれはなんなのだぁー?」

 

急ブレーキをかけたウッディーは、その場に止まった。

 

「灯里ちゃんは、今日は確かお仕事のはずなのだぁー。でも今頃はいないはずなのだぁ・・・」

 

上空でエアロバイクに股がったまま、腕を組んで首をかしげていた。

 

「なんか怪しいのだぁ。きっとこれは赤信号が点滅しているのだぁー!」

 

ウッディーは方向転換すると、エアロバイクを急発進させた。

 

「灯里ちゃんに知らせるのだぁー!急ぐのだぁぁぁぁぁー!」

 

 

 

「本日も数ある水先案内店から姫屋をお選びいただき、まことにありがとう・・・ぬな?」

 

藍華は、とある船着き場で降ろした客に、いつものように挨拶をしていた。

そこへ、いつもとは明らかに違う変な動きをしているエアロバイクを上空に見つけた。

 

「あれって、ウッディーさん?何してんの?」

 

すると、藍華の姿を見つけたウッディーが、すごいスピードで上空から舞い降りてきた。

 

「タイヘンなのだぁぁぁぁー!」

 

「な、なにごと?うわぁぁぁぁー!」

 

勢い込んで、そのまま運河に突っ込みそうになったウッディーは、なんとかその直前で水しぶきを上げながら止まった。

 

「藍華ちゃん、タイヘンなのだぁー!どうしようなのだぁー!」

 

「もう、びしょびしょですよ!ウッディーさん!どうしてくれるんですか?」

 

「それどころじゃないのだぁ!」

 

「いったいなんなんですか?」

 

「灯里ちゃんが」

 

「灯里がどうかしたんですか?」

 

「灯里ちゃんが」

 

「だから灯里が?」

 

「ストーカーに追われてるのだぁー!いや、囲まれてるのだぁー!しかも、いっぱいなのだぁー!」

 

「ストーカー?なんなんですか、それ?」

 

「緊急事態なのだぁー!」

 

「いや、あのですね?ちょっと落ち着いてください!」

 

「落ち着いてなんかいられないのだぁー!」

 

ウッディーはARIAカンパニーの上空から見た様子を藍華に説明した。

 

「なんか、にわかには信じがたい話だけど・・・」

 

「とにかく灯里ちゃんを探してくるのだぁー!」

 

「探すって、どこを探すんですか?」

 

「ネオ・ヴェネツィア全部に決まってるのだぁぁぁぁ!」

 

「ちょっと!ウッディーさーん!」

 

 

 

「前方に見えて参りましたのが、ため息橋と申しま・・・はぁ?」

 

アリスは、少し先にため息橋が見えてきたタイミングで、その説明をし始めた。

が、その上空をエアロバイクが通過してゆく。

 

伸ばした人差し指が、思わずそのエアロバイクを指していた。

 

「タイヘンなのだぁぁぁー!」

 

「そう、タイヘン・・・な、な、なんなんですかぁ?」

 

「アリスちゃん!タイヘンなのだぁー!」

 

「ウッディーさん?」

 

ウッディーはため息橋の手前で急ブレーキをかけると、急いでアリスのゴンドラのところまで戻ってきた。

 

「どうされたのですか?」

 

「灯里ちゃんがタイヘンなのだぁー!」

 

「灯里先輩に何かあったのですか?」

 

「いや、まだなのだぁー。というか、これからきっとおこるのだぁー!」

 

「あ、あのウッディーさん?大丈夫ですか?」

 

「おれは大丈夫なのだぁ!それより灯里ちゃんが心配なのだぁー!」

 

「えっと、つまり・・・なんなんですか?」

 

ウッディーは、藍華に話したことと同じ話をアリスにも聞かせた。

 

「つまり、ウッディーさんの話を要約するとですね?灯里先輩がストーカーらしき人たち数人から狙われているということでいいですか?」

 

「いいもなにも、その通りなのだぁー!急がないと危ないのだぁー!」

 

「うーん、でも、灯里先輩って、そんなに人気ありましたっけ?」

 

「そこはわからないけど・・・危険なのだぁー!」

 

アリスがポカンと口を開けている間に、ウッディーはため息橋をくぐると、急いでエアロバイクで上空高くかけ上っていった。

 

 

ウッディーの騒ぎは、あちこちでウンディーネたちの噂になっていた。

それによって、灯里は、なぜか時の人になっていた。

 

その灯里は、いつもの行きつけのじゃがバターの屋台のそばにゴンドラを止めて、岸に上がってホクホクと熱そうにじゃがバターを食べていた。

 

「やっぱり、おじさんのじゃがバターは最高です!」

 

「灯里ちゃんにそう言ってもらえるとうれしいねぇ。最近見なかったから心配してたんだよね」

 

「ちょっと他の用事で協力することがありまして・・・」

 

そう言いながら、笑顔でじゃがバターをほおばっていると、屋台のおじさんが、なにやら上空を見上げていた。

 

「なんだ?あのバイク便、なんか叫んでやがんなぁー」

 

「はへ?」

 

おじさんの見上げる方を、灯里も見上げていた。

 

すると、運河を通過してゆくウンディーネたちが、ジロジロと灯里の顔を見ながら通りすぎて行く。

 

「はへ?はんか、はった?ハフハフ」

 

「あんた!何してんのよ!」

 

「藍華ちゃん!」

 

藍華がゴンドラの上から睨みつけるように立っていた。

 

「何って、じゃがバターおいしいよ!藍華ちゃんも食べる?」

 

「そうね、それならわたしも・・・って言うわけないでしょ!」

 

「ほうひはの?ハフハフ」

 

「ちょっと!食べるの、やめなさい!」

 

「ええー、なんでぇ?」

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