マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
藍華は、腰に両手をおいて、灯里の前で仁王立ちになっていた。
「どうしたの、藍華ちゃん?」
「あんたねぇ、よくもまぁ、そんな悠長に食べてられるわねぇ。感心するわ、ほんと!」
「だって、なかなか食べに来れなかったでしょ?久し振りに前を通ったら、つい・・・」
「はぁ~」
藍華は思わず大きなため息をついた。
「それでナニ?」
「ホントに何も知らないの?」
「うん、なんかあったの?」
「ウッディーさんがぁ、あんたがさぁー、危ない危ないって言ってぇー、ずっと飛び回ってるの!」
「私が危ないの?なんで?」
「そうよね。灯里、あんたの言う通りよね。一体どうしたら、この人のこの姿を見て危ないと言えるのか。不思議だわ、ホント」
「エヘヘヘ」
「笑ってるし」
藍華はウッディーから聞いた話を灯里にも聞かせた。
「そうなんだ」
「らしいわよ」
「それで」
「何よ」
「藍華ちゃん?」
「だからナニ?」
「私」
「はぁ?」
「どこで」
「どこで?」
「寝たらいいの?」
「寝る?」
「藍華ちゃん?」
「だからどうしたの?」
「今晩、泊めてくれる?」
ドテッ!
「あんた、そんなこと心配してんの?」
「だって、いっぱい人がいるんでしょ?帰れないじゃない!」
「そりゃそうかもしれないけど」
「私、ヘンなこと言ってる?」
「だってさぁ、普通、なんでそんな危険な目に会ってるのかを心配するんじゃないの?」
「心配だから、寝るところが心配なんじゃない!」
藍華は脱力感に見舞われると、灯里の側の大きな石に座り込んだ。
「わかったわよ。好きにすればいいんじゃない?」
「ホントに?」
「はいはい、どうぞどうぞ」
「藍華ちゃん、ありがとう♡」
「結局、あんたとは腐れ縁というかさぁ、いったいどうしたらこんな・・・」
「あっ、ウッディーさーん!」
「ちょっとぉー!まだしゃべってるでしょ!」
灯里の声に気づいたウッディーが、エアロバイクで急降下してきた。
「灯里ちゃーーん!」
「うーわっ!だから危ないって!ウッディーさん!」
ウッディーのエアロバイクの勢いで、じゃがバターの屋台周辺は、風が吹き荒れていた。
「あわわわ~~」
串の先に残っていたじゃがいものひとかけらが、地面に転がっていった。
「ああ~~」
「灯里ちゃん!スッゴい危険なのだぁーー!」
「もう、説明しましたぁー!」
「したのだぁ?」
「言いましたっ!」
「なんだ、そうなのだぁ・・・」
「もう!」
ウッディーは、バイクから降りると、灯里と藍華の横の椅子に腰かけた。
そして、少し落ち着きをとり戻した。
「ちょっと落ち着きました?」
「うん、まあ、落ち着いたのだぁ」
「灯里?あんたからも何か言いなさいよ?」
灯里は、先喉までじゃがいもの刺さっていた串を眺めていた。
「ウッディーさん?心配して頂いて、ありがとうございます」
「とにかく無事でよかったのだぁ。でも、ARIAKカンパニーへは戻らないほうがいいのだ!」
「その辺は灯里も納得していて、今夜はうちに泊まりにくることになってます」
「それはいいアイデアなのだぁー」
すると、今度は運河の方から灯里を呼ぶ声が聞こえてきた。
「灯里さーん!」
そこには、ひとつのゴンドラに一緒に乗っているアトラと杏がいた。
「大丈夫なんですか?」
「身体は無事なんですか?」
アトラと杏は、とても心配そうに声をかけてきた。
「うん、大丈夫だよ!」
灯里の笑顔を見て、二人は安堵のため息をついた。
「それにしてもあんたたち、なんで知ってんの?」
藍華はふたりの様子に呆気にとられていた。
「藍華さん!なんでって、あちこちでその噂でもちきりなんですよ!」
「そうですよ!あのウッディーさんが、あちこち飛び回ってですね・・・えっ!ウッディーさん!」
ウッディーは藍華に隠れるようにして、頭を掻いていた。
「ちょっと、やり過ぎたかもなのだぁー」
「今さら何を言ってるんだか」
ゴンドラを船着き場に停めた二人は、灯里たちのところまでやってきた。
「それで、アリスさんには連絡はされたんですか?」
「アリスちゃん?ううん、してないけど」
灯里がキョトンとしている横で、藍華は何かに気づいたようにギクッとしていた。
「あの~、ちょっとお伺いしますが、なんでそこで後輩ちゃんが出てくるの?」
「アリスさんがアメリア統括部長に進言したんです」
「進言?何を?」
「灯里さんが、どうやら大変なことに巻き込まれてるらしいと」
「それで?」
「それで、その時はすでにあちこちで灯里さんのことが噂になってたので」
一同は、チラッとウッディーに目を向けた。
ウッディーはギクッと固まった。
「ARIAカンパニーは灯里さんひとりなので、ここはオレンジぷらねっととしても
何か協力すべきではないかと」
「後輩ちゃんがそう言ったっていうの?」
「はい。そうしたらアメリア統括部長も、そうねって返事したとかで」
「後輩ちゃんて、どんな立場なの?」
「一気に話が進んで」
「で?」
「緊急時に出される救護挺を全部ARIAカンパニーへ向かわせたんです!」
「ぜ、ぜ、ぜ、全部?なんで?」
「こういうときのアメリア部長って、ハリキっちゃうというか、燃えるというか・・・」
藍華は厳しい顔でいきなり立ち上がった。
「灯里!」
「ナニぃ?」
「あんた、今日からVIP待遇だから!」
「ビップ?」
「そうよ!安心して!姫屋は灯里を全力で守るから!」
「はひぃ~」
「やってくれるわね!オレンジぷらねっと!」
「藍華ちゃん?いきなりどうしたの?今晩泊めてくれるだけでいいんだよ?」
「何を言ってんの?何泊でも泊まりなさい!なんだったら一生泊まっていけばいいわ!」
アトラと杏は、立ち上がった藍華をじっと見上げていた。
「藍華さんて」
「太っ腹ですね」
「そうよ!私は太っ腹よ!なんだったら、あなたたちも来る?姫屋に!」
アトラと杏は唖然と藍華を見上げていた。
「あの~そろそろ仕事の続きに戻らないとなのだぁ~」
ウッディーは気づかれないように、そおーっとその場を離れようとした。
「ウッディーさん!お仕事頑張ってください!」
灯里の声にウッディーはギクッとなって、直立不動になっていた。
「はい・・・なのだぁ~」
だんだん声が小さくなっていった。
ARIAカンパニーの周辺は騒然となっていた。
オレンジぷらねっとからやって来たたくさんの救護挺が、ARIAカンパニーの周辺をびっしりと取り囲んでいた。
いったい何事かと岸の方では、人だかりができていた。
その騒ぎを聞きつけた、ネオ・ヴェネツィアの周辺の海を警護する海洋局までもが出動する事態になっていた。
その頃には、ウッディーが心配していた、ARIAカンパニーの周辺に潜んでいた怪しい男たちの姿は、すべて消えていた。
「そう。うん。わかったわ。そうね。そのまま継続してちょうだい」
アリーチェ・エレノアは、執務室の大きな机の上で受話器を置いた。
第一秘書のアレグロは、その机の傍らで、じっとその様子を見つめていた。
「何かあったのですか?」
「そうね。正確には何も起こらなかった、ということかしら」
「どういうことでしょうか?」
「起こそうとしたのだけど、失敗したということ」
「お嬢様のいうことは、今一つ理解し難いのですけど」
「そうね。簡単に言うと、ライデン一派はなり振り構わず、アデルモの拘束を狙っている。そのためなら、手段は選ばない。ただ、向けるべき矛先を間違えたみたい」
そう言ってアリーチェは、高らかに笑い声をあげた。
「なぜそこを狙うの?」
アリーチェは更にお腹を押さえて笑い転げていた。
「それにしても面白いところね。このネオ・ヴェネツィアってところは」
しかし、その次には真剣な表情に変わった。
「ちょっと待って。あのウンディーネに目をつけたのには、何か他に目的があるということ?」
「お嬢様?」
「アデルモにつながる何かがあるというの?」
アリーチェは背後の窓に椅子ごとクルリと向きを変えると、空に浮かんでいる雲にじっと視線を向けた。
「ところでお嬢様?アレキサンドロ氏を、このままお返しになってもよろしかったのですか?」
「別に構わないわ。一応、大方のことは察しがついていた。第一、アデルモはこちらの手にある。どうしたって、今の状況では手を出せない。それにこれ以上アルマにバカな真似はさせられない。ただ・・・」
「何か気になることでも?」
「あの未だ素性のわからない資産家のふりをした婦人と、それなりに渡り歩いてきた元軍人の男。あのふたりがどう出てくるのか。まだプレイヤーの位置にとどまることができるのか?」
「そもそもお嬢様は、どこまでご存じなのですか?」
「そうね。そんなに知ってるわけじゃないですわね。というか、そもそもそんなに知る必要があるの?あんなアデルモみたいな男のために、こんなにも沢山の人が振り回されるなんて、バカバカしいと思わない?」
「それでは、なぜアイアート・ライデンまで乗り出してくるのでしょうか?」
「まあ確かにそこね。それに、あの高慢ちきな女に先を越されたくないし」
「もしかして、アレッサンドラ・テスタロッサですか?」
アレグロは急に目を輝かし始めた。
「ナニ?あなた、あんなのが好きなの?」
「だってお嬢様?あのアレッサンドラですよ?今をときめく人気女優の、あのアレッサンドラですよ?しかも私は知ってしまったんですから!」
「何をそんなに興奮してるの?」
「あのアレッサンドラが、実は秘密の情報機関のスパイだった!なんてったってドラマチックですよ!」
「あなたはそこなのね」
「お嬢様は違うのですか?」
「当たり前でしょ?あの高慢ちき女が言ってたでしょ?自ら拳銃を合法的にぶっ放すことができる立場だって。それを考えると、アイアート・ライデンの黒の部分に相当食い込んでる可能性が高いわ」
「インターポールも動いてるという件と関係しているわけですか?」
「そうでしょうね」
「つまり、アレッサンドラはインターポールの秘密特命特別捜査官てことですか?」
「そこ?それに長い!」
「ええ~~」
「それに、そんな単純な、分かりやすい肩書きなわけないでしょ?ドラマじゃあるまいし」
アリーチェは、アレグロにそんな言葉を向けながらも、どこか府に落ちるとも感じていた。
だが、そこに踏み込むべきかどうか、迷っていた。
「はっきり言って、アデルモがどうなろうと、別にどうでもいいわ。ただ、アイアート・ライデンと繋がっていることは、アルマとも繋がっている。だって、親子なんだから」
「アロンソ、聞いた?」
ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの従業員出入口のセキュリティは、普通に厳しいものだった。
そこで、あれやこれやと質問攻めにあっていたアールドは、伝家の宝刀、身分証を警備員の目の前に見せつけてやった。
アロンソはそれには構わず、そそくさとパスを見せて出ていってしまった。
「ちょっと!冷たすぎるでしょ!」
急いでアロンソの後を追ったアールドは、息を切らせていた。
「あのさぁ、そんなに中年のおじさんをいたぶって楽しいの?」
そう言いながら、アールドはニヤリと笑って見せた。
「ところでさぁ、聞いたのかって?」
「なんのことだ?」
「またまたぁ。決まってるでしょ?ARIAカンパニーの件」
アロンソは特に反応せず歩き続けた。
「面白いよねぇ~。あっちは必死だっていうのに、こっちはコメディ劇場みたいでしょ?しかも当の灯里さん、何してたと思う?」
「じゃが」
「えっ、知ってたの?クククク」
アールドはお腹を押さえて笑った。
「じゃがバターだよ?おもしろ過ぎるって!灯里さんらしいって言えばそうなんだけどね」
アロンソは、そのじゃがバターの言葉を聞いて、ふぅーと息を吐いた。
「で、行くんでしょ?」
「わからん」
「わからんて、約束したんじゃないの?」
「特には」
「ええ~?それじゃあ、残念がると思うよ。行ってあげたら?」
「あんたは?」
「私はアガタ女史の誘いを断ることなんてできません!」
「なんだ、それ」
「それに、アデリーナさんの退院祝いと言われたら、尚更断れないでしょ?」
「なんでそれが、じゃが・・・」
「じゃがバター、でしょ?面白いじゃない?アガタ女史らしいよ」
「それで、あのウンディーネも?」
「なんかね、行きつけのおいしいお店があるんだって。実は今日もそこにいたってことらしいよ」
「そんなところに」
「別に事件現場ってわけじゃないわけだし、いいんじゃない?」
そう言って、アールドはまた吹き出していた。
「なんかね、ARIAカンパニーの回りでは騒然となってたらしいんだよね。海洋局までお出ましだったって。しかも、そのシルフ、ネオ・ヴェネツィア中灯里さんを探し回ってたらしいから、そこらじゅう噂になっていたって。なのに灯里さん、じゃがバターって・・・」
アールドは、また笑いが込み上げていた。
「でもさぁ、これで連中は、灯里さんには手を出せなくなった。結果オーライってとこだね」
「ライデン一派がか?」
「ああ、そうとも。おれの推理だと、灯里さんはこの事件のキーパーソンなんだ。間違いない。でも、今回灯里さんは結果的に目立つことになったので、狙われることはなくなったと思う」
そう言ってアールドは立ち止まった。
「なんだ?」
「いや、つまりね、本当の意味で、まだ明らかになっていないキーパーソンがいるってこと」
「ウンディーネは本命でないと?」
「多分。そこにつながるきっかけになると考えたのかも」
「その先に本命がいるというのか?」
「アデルモと本当の意味で繋がっていると考えられる人物」
「誰だ?どこからの情報だ?」
「うーん、まだ核心は得られてないけどね。というか、気づいてるんでしょ?アロンソ?」
アロンソはそれ以上は言葉にしなかった。
「さあ、行こう。あんまり遅くなると、ほっぺを膨らませておこるから」
アールドは、いつものようにニヤリと笑った。
だが、アロンソの硬い表情を見て、アールド自身もこの先の不安を感じれずにはいられなかった。
「そう言えば・・・」
アロンソが何かを思い出したようにつぶやいた。
「なに?なんかあった?」
「アージアが釈放される」
「釈放?なんで?」
「証拠不十分だ。アデリーナが襲われたことと直接関わっていたことを示す証拠がない」
「でも血痕のあったシャツが見つかったんでしょ?それにアガタ女史が襲われそうになった。充分でしょう」
「注射器の中身はただの食塩水だった。本人は護身用だと主張している」
「そんなのが通ったの?」
アールドは唖然としてアロンソの顔を見た。
「それと」
「まだあるの?」
「アージアの弁護人」
「まさか、エレノア財閥が?」
「いや、違う」
「誰・・・まさか?」
アロンソは険しい表情になった。
アールドはその表情を見て、驚きを隠せずにいた。
「いったい何をする気なんだ?アイアート・ライデン・・・」
ふたりの視線の先の方で、アガタが大きく手を振っていた。
そのそばに、穏やかな笑顔でアデリーナが立っていた。