マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第四十一話 過る不安

エレノア財閥の若き当主、アリーチェ・エレノアは、ベッドの上で静かに寝息を立てている自身のメイド、アルマの、そのやつれた寝顔を眺めていた。

 

ベッドのそばの椅子に腰かけ、なぜこんなことになってしまったのかを考えていた。

その表情は、固く険しいものだった。

 

ドアをノックする音に、アリーチェは我に返った。

 

ゆっくりと静かに開けられたドアから、第一秘書のアレグロが、軽く頭を下げて入ってきた。

 

「お嬢様、失礼致します」

 

「ご苦労様」

 

アリーチェの元気のない声に、アレグロは心配そうにアリーチェの顔を見つめた。

 

「お嬢様?お身体の具合が、よくないのではございませんか?」

 

「今のところ大丈夫よ。それより、あなたの方こそどうなの?アルマがいない分、あなたにも負担がかかっていなくて?」

 

「私の方こそ、お気になさらず。それより、大事なご報告があります」

 

「何かあったの?」

 

「アデルモ氏がお嬢様に面会を望んでおられます」

 

「私に?あの男が?いけしゃあしゃあと?」

 

「はい」

 

アレグロは、アデルモの名前を聞いた途端、アリーチェの口調がガラッと変わったことに苦笑していた。

 

「で、あやつは何を話したいと言ってるの?」

 

「それは、お嬢様に会って直接話したいとおっしゃっています」

 

「直接ですって?」

 

アリーチェは眉間にシワを寄せ、「フン!」と鼻から息を吐き出した。

 

「今さら何を言うつもりなのか聞いてやろうじゃないの!」

 

 

 

 

「あのふたりは、私の娘ではありません」

 

意気消沈の姿でアリーチェの前に座っていたアデルモは、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの総支配人としての姿は、今や見る影もなかった。

 

髪は乱れ、顔には生気がなく、おそらく与えられたであろう白いワイシャツ姿が、もうどこにも行く宛のない男の姿に見えた。

 

だがそんなアデルモに、容赦ない視線で、アリーチェは睨みつけていた。

 

「いったい今になって、何を言ってるの?バカなこと、言わないで!」

 

「本当です、アリーチェ殿。それが事実なんです」

 

「それをそのまま信じろというの?あなたがしてきたことを考えたら、八つ裂きにしてもいいくらいよ!」

 

アデルモは、眉を下げて、困った顔になっていた。その情けなさは、アリーチェの苛立ちをいっそう強くさせるものだった。

 

「この期に及んで逃げるつもり?」

 

「違うんです」

 

「何が違うって言うの?」

 

「ふたりは・・・あの子たちは、アイアート・ライデンの子なんです」

 

「ラ、ライデンの?」

 

アリーチェはその言葉を聞いて、あんぐりと口を開けていた。

 

あまりの驚きに、アデルモの顔を大きく目を開けたまま、じっと見つめていた。

 

「今、あなた、何を言ったの?」

 

「ですから・・・」

 

「それ、本当なの?嘘だったら、承知しないわよ!」

 

アデルモは、床を見つめるようにうなだれてしまった。

 

「そんなまさか、よりによって・・・」

 

アリーチェは言葉を失っていた。

 

執務室の、その大きな机の前で、アリーチェは大きな椅子の背もたれに身を預け、天井を見上げた。

 

アリーチェにとって、それは予想外の展開だった。

 

アデルモに恨みを持っている者たちの存在はわかっていた。

 

そして、自分のメイドであるアルマが、その者たちと接触を図っていたことも把握していた。

 

それは、うかつにもアルマに身の上を教えてしまったアリーチェの贖罪として、ある程度は見過ごそうと思った結果だった。

 

だが、アデリーナの登場によって、事態は一変する。

 

それは、母親と自分と妹を見捨てたと思っていたアデルモへの憎しみを増大させ、かろうじて保っていた自制心を失わせてしまう結果となった。

 

なぜ自分の子を捨てておきながら、他人の子に肩入れをするのか?

 

しばらくの沈黙のあと、アデルモはゆっくりと話始めた。

 

「私は若い頃、マンホームでライデンの息のかかった、あるリゾートホテルで働いていました」

 

アイアート・ライデンがホテル業界を代表する富豪であることはつとに有名な話だったが、その裏の顔も噂されていた。

 

麻薬の密売は、ライデンの成功の証とさえ言われているぐらいだった。

 

アデルモは出世のためならと、ライデンの裏側にも関わるようになっていた。

 

だが、厄介なことを任されることになる。

 

妻に弱味を握られていたライデンは、浮気相手だった女性アレスタに子供が出来たことに困り、アデルモに後始末を頼んできた。

 

アデルモは親子を引き受けることへの交換条件として、ネオ・ヴェネツィア行きの約束をとりつける。

 

そして、ライデンの威光を背景にアデルモは、出世にとりつかれるようになってゆく。

 

「ライデンの浮気相手だったアレスタには、アルマの他にもうひとり、お腹に子供がいました。それがアージアです。だが、アレスタは元々身体があまり強い方ではなく、ネオ・ヴェネツィアの慣れない生活もあって、病気がちでした。それでもライデンは、不自由なく生活ができるように送金を続けていましたが、ついにアレスタが亡くなってしまった。その時を境に状況は一変しました」

 

ライデンはこれを機に、アレスタとの過去を精算しようと考えた。

 

そのため、まだ幼いふたりを別々の孤児院に預けたのだった。

 

だが、ここで歯車が狂うことになる。

 

うっすらと幼い頃の記憶が残っていたアルマは、孤児院に自分を送り届けたアデルモを、自分を捨てた父親だと思い込んでいた。

 

自分の過去を封印しようとしていたアルマは、図らずもアリーチェのはからいにによってその過去を知ることになり、母親の死と妹との生き別れ、その原因を作った男、アデルモへの憎しみを増大させていくこととなった。

 

「あなたはそのことを知っていたの?」

 

アリーチェは責めるような口調で、アデルモに聞き返した。

 

「いいえ、知りませんでした」

 

「どういうこと?結局はあなたが、その親子の面倒をみていたんでしょ?」

 

「それはそうだったんですが・・・」

 

アリーチェは険しい表情のアデルモの顔を凝視していたが、大きくため息をつくと、椅子の背もたれにどっと倒れこんだ。

 

「つまり、あなたも親子を見捨てたということ?」

 

「見捨てたというわけでは」

 

「結局は同じことでしょ!」

 

アリーチェはアデルモの中途半端な言い回しに、間髪いれず言い放った。

 

アデルモは両手を握りあわせて、前屈みになって目を閉じた。

 

「私は、ライデンの弱味を握ったと確信していた。これで好き放題にネオ・ヴェネツィアでやりたいことができる。その結果として、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの総支配人という地位を手に入れるところまで行った」

 

「その間、アルマとアージアはどうなったの?」

 

アリーチェは冷静だが、厳しい口調で言った。

 

「それだけじゃない。あなたのやり方は、多くの人の恨みを買った。でしょ?」

 

「それはその通りです」

 

「えらく素直じゃない?今になって反省しているとか?まさかね」

 

アリーチェは、厳しい表情で、皮肉たっぷりに言った。

 

「アデルモさん?あなた、自覚があるの?今、相当ヤバイ状況にいること、わかってらっしゃる?」

 

アデルモは、顔を上げると、アリーチェの厳しい眼光を見つめた。

 

「ハッキリ言って、あなたは調子に乗り過ぎた。自らの身の丈もわからずにね。ライデンは、今後、本気であなたをなんとかするでしょう。それに、インターポールが本格的に動き出してる。ライデンの悪事を、この際だから暴こうとするはず。あなたは、その重要な証言者よ。それに、あなたに恨みを持つ者たちの復讐が終わったわけじゃない。それなりに、覚悟が必要になると思っておいた方がいいでしょうね」

 

「それは理解しているつもりです。ただ・・・」

 

アデルモは何か言いかけて口ごもった。

 

「何かあるの?この際だから、吐いてしまえば?隠していたら、尚更こじれるかもしれないし。どうなの?」

 

「こんなこと、今さら言える立場ではないのですが・・・」

 

アリーチェは、何かを察したのか、怖い表情のまま、左の眉をつり上げた。

 

「ナニ?」

 

「あの子だけは、なんとかしてもらえないかと・・・」

 

「あの子?それってアルマのこと?」

 

「いいえ」

 

「誰?」

 

「ライデンの恐ろしさは理解していました。だから、今まで誰にも一切言わなかったことがある」

 

「あなた、まだ何か隠してるの?」

 

アデルモは、改めてアリーチェに向かって大きく頭を下げた。

 

「せっかく夢を掴んだんです。だから、娘は・・・アデリーナだけは、これ以上傷つけたくないんです!」

 

アリーチェは、あんぐりと大きく口を開けていた。

 

「まさか、あのフロントクラークが?どういうこと?」

 

 

 

 

アガタは、アデリーナの腕にくっついて、夜のネオ・ヴェネツィアを歩いていた。

 

姉に甘える妹のように、嬉しさいっぱいの表情だった。

 

「ああ~おいしかった!先輩はどうでした?」

 

「おいしかったわよ、とっても」

 

アデリーナは穏やかな笑みを浮かべ、前方の街路灯に浮かぶ街の景色を眺めていた。

 

「灯里さんのおかげです。こんなにおいしいじゃがバター屋さんは、初めてかも!」

 

ふたりの後ろを歩いていた灯里は、振り返ったアガタにニッコリとほほえんだ。

 

「とんでもないです。私の方こそ、声をかけていただいて、ありがとうございます。アデリーナさんもお元気そうで、何よりです」

 

その言葉を聞いて、アデリーナは足を止め、振り返った。

 

「ありがとう、灯里さん。私の方こそ、こんなおもてなしをしていただいて」

 

その言葉に反応するように、今度はアガタが会話に入ってきた。

 

「ああー、先輩?この会を企画したのはワタシですからねぇ~」

 

「わかってる。アガタもありがとう」

 

そこに今度は、咳払いをして割り込んでくる声があった。

 

「ゴホン」

 

「なんですか、おじさん?」

 

「ちょっと!そのおじさんは、やめてって言ったろう?」

 

灯里の後ろには、いつものニヤけたアールドと、ネクタイを緩めたアロンソが歩いていた。

 

「それで何か言いたいことでもあるんですか?咳払いなんて、わざとらしいですよ」

 

「アガタ女史は、いつもキビシイからなぁ」

 

「ワタシは優しいですよ。こんな会を開くくらいなんですから」

 

「確かにそうだ。アガタさんは優しい。間違いない!その分を少しでいいから、こっちにも分けて欲しいんだけど」

 

「考えておきます!」

 

アガタの間髪入れず返した言葉で、一同は笑いに包まれた。

 

「それでね、そろそろお開きとしませんか、という相談なんだけど」

 

「ええー!そうなんですか?」

 

「おじさんたちは、明日もあるしね」

 

「ワタシにだって明日はあります!」

 

「それは十分に承知しております!それに灯里さんも、また明日も営業でしょ?」

 

アールドに言われて、灯里は振り返った。

 

「そうですね。明日も朝から予約のお客様がいらっしゃいます」

 

「でしょ?」

 

アールドは、ほらぁと言いたげにアガタを見た。

 

少し不服そうなアガタは、ほっぺを膨らませていた。

 

「アガタ?もうこれで十分よ。みんなも忙しい身なんだし、ここでお開きにしましょう?」

 

アデリーナにそう言われて、渋々納得するようにコクリとうなずいた。

 

「わかりました。ここは灯里さんの顔を立てて、お開きにします」

 

「そこの言い出しっぺは、ボクなんですけど」

 

すかさず、アールドが言い返した。

 

「灯里さんはー、明日も忙しいとぉー、いうことでぇー、ご迷惑をー、おかけすることはぁー、できません!」

 

アガタに出しに使われた灯里は恐縮して、小さくなっていた。

 

「アガタさん、わたし、よかったら残りましょうか?」

 

「ほらぁ!アガタ!」

 

アデリーナがちょっと怖い顔になってアガタをにらんでみせた。

 

「すみません。もうこの辺でお開きにしましょう」

 

アガタは意気消沈となってしまった。

 

灯里は、そんなアガタの表情を見て、こう言った。

 

「アガタさん、またみんなで集まりませんか?」

 

「えっ、灯里さん?ホントですか?」

 

アガタの表情がみるみる明るくなっていった。

 

「今度はネオ・ヴェネツィアをゆっくりと見てまわりませんか?ネオ・ヴェネツィアには、まだまだ素敵なところがいっぱいあります!」

 

「じゃあ、その時は灯里さんのゴンドラに乗せていただけるんですか?」

 

「はい!もちろんです!」

 

アガタはアデリーナの腕を掴んで、ぴょんぴょん跳び跳ねていた。

 

「第2回が、今、決定しましたぁー!」

 

アールドは、やれやれといった感じで、眉が八の字に垂れ下がっていた。

 

だが、その少し後ろを歩いていたアロンソが、少し固い表情をしていた。

 

アールドは、そんなアロンソに声をかけようとしたが、その先のいる人影に気がついた。

 

「あれ、なに?」

 

「わからん」

 

「いつからなの?」

 

「少し前から」

 

「ゴメン。気づかなかった」

 

前を行く三人から少し距離をおいて、歩くスピードを緩めたアロンソとアールドは、わざと振り返って、その方向に顔を向けた。

 

するとすぐさま、その人影は路地裏に消えていった。

 

ふたりは、少し足を止めて、気配をさぐっていたが、何もなかったように歩き始めた。

 

だがアデリーナだけは、そんなふたりの様子を、不安な表情で振り返って見ていた。

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