マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第四十二話 ロビーの光景

 

アダルベルトは、人気のない、運河沿いの古びた工場跡にいた。

 

黒皮のハーフコートを着た姿は、紳士然としたいつもの印象と変わらなかったが、黒いサングラスをかけた表情は、冷酷なほど厳しい印象を、見るものに感じさせていただろう。

 

そんなアダルベルトのそばに、音もなく別の人影が近づいてくる。

 

辺りを警戒しながら歩いてくると、アダルベルトの横にすれ違うように立ち止まった。

 

「悪いな。急なことなって」

 

アダルベルトのしわがれた声が静かに聞こえた。

 

「あんたが召集をかけるなんて、何年ぶりだろう」

 

その男も年期の入った声をしていた。

 

「実は少しややこしいことになってなぁ」

 

「ややこしい?おもしろそうだな、それは」

 

「初めはひとりでカタをつけるつもりだったんだが、意外とそういうわけにもいかなくなってね」

 

「あんたが言うくらいだ。結構なことなんだろ?」

 

「アイアート・ライデン」

 

「アイアート・・・」

 

そう言って、男は少し微笑んでみせた。

 

「また、エライことに首をつっこんだんだなぁ」

 

「成り行きでね。仕方がない」

 

「成り行きね」

 

男は懐からタバコを一本取り出した。

 

アダルベルトは、すぐさまライターを取りだした。

 

カチッと音が鳴って、炎があがると、男はその炎にタバコを近づけた。

 

少し吸い込んで、スゥーと吐き出す。

 

「で、何をやらかそうと言うんだ?」

 

「ある生き証人を横取りする」

 

「ライデンから?」

 

「エレノア財閥からだ」

 

男はそれを聞いて、思わずむせ返った。

 

「今何て言った?エレノア?ライデンじゃないのか?」

 

「その生き証人をライデンも狙っている」

 

「なるほど。そういうことか。へぇー」

 

「どうする?協力してくれるか?」

 

「かなりの戦争になるなぁ。またなんでそんなややこしいことに首を突っ込んだんだ?」

 

アダルベルトは、ライターの蓋を閉じると、目を地面に向けて、おもむろに話始めた。

 

「昔、世話になった恩人が破産に追い込まれた。その奥方が、なんとかして仕返しをしないと気がすまないといった。だから、協力すると言ったんだ」

 

「それがライデンとエレノア。どうしたらそんな大事につながるんだ?」

 

「だから、成り行きだ」

 

「なるほどねぇ」

 

「人生最後の大勝負になると思う」

 

アダルベルトはそう言って、目を閉じた。

 

 

 

アイアート・ライデンの側近として裏の世界で暗躍していた男、アガシは、筋金入りのスナイパーでもあった。

 

アクアにあるライデンの白亜の豪邸では、新たな麻薬の密売ルートを開拓できたとして、政界や財界から数々の来客で盛大なパーティーが繰り広げられいた。

 

だが、そんな中にあって、アガシの顔を知るものはいなかった。

 

そこにアイアート・ライデン本人が姿を現した。

 

70歳とは思えないほどの若々しさで、ネオ・イタリア製のスーツを優美に着こなしていた。

 

浅黒い肌に鋭い眼光。その上、他者を寄せ付けない、威圧的なオーラを放っていた。

 

タイトな高級スーツに身を包んだ女性秘書が、ライデンのそばで耳打ちをした。

 

そこには反応しないライデンだったが、目線は間違いなくアガシに向けられていた。

 

今度はそばにいる秘書に耳打ちすると、ライデンはパーティー会場のあちらこちらに挨拶をして回った。

 

そしてしばらくの後、ライデンの姿は、会場のどこにもなかった。

 

アガシもいつの間にか姿を消していた。

 

ライデンは、豪華な調度品で彩られた、広大な一室にいた。

 

葉巻をくわえながら、そこから見える広大な庭を眺めていた。

 

庭の中央にある大きなプールでは、若い女性たちがその自慢げなプロポーションをさらしている。

 

「相変わらず趣味が悪いな」

 

そこには、アガシがいつの間にか立っていた。

 

そして、部屋の中央にある豪華な応接セットの一角に腰をおろした。

 

「アデルモ、知ってるか?」

 

ライデンは、しゃがれた太い声で、窓の外に目をむけたまま、そう言った。

 

「アデルモ?確か、あんたの女と一緒にネオ・ヴェネツィアへ行かせたヤツだな?」

 

「始末して欲しい」

 

「ほう?結構重宝がってたんじゃなかったのか?」

 

「過去の話だ。ちょっと面倒なことになってきた」

 

「面倒?珍しいな。お前がそんなこと言うなんて」

 

「インターポールが動いている」

 

「ほう」

 

「それに、エレノア財閥もだ」

 

「エレノア?なんでだ?」

 

「アレスタの娘が関わってたらしい」

 

「エレノアか。あそこはちょっと厄介だぞ」

 

「なんでだ?」

 

「今の当主になってから、やり方がヤバイことになってるらしい。かねがね噂は耳に入っている。そういうことなら、早く片付けた方がいいだろうな」

 

「アデルモはエレノアの当主の手中にある」

 

「なるほど。そういうことね」

 

ソファーの皮がきしむ音がした。

 

ライデンが振り返ると、そこにはアガシの姿はもうすでになかった。

 

 

 

 

アリーチェは、アクアの中でも比較的新しい方の財閥だったエレノア家を、ここ最近はその存在感を世に知らしめるのに、多大なる貢献をしていた。

 

抱えていたグループ企業を大きく再編し、宇宙開発に大きく舵を切っていた。

 

そこに乗り出そうとしていた多くの企業と衝突していたが、すべて蹴散らし、ひとつの航行ルートを新規に開拓していた。

 

鉱物資源や人的輸送など、重要な交通網を手中に収めることに成功していたわけだった。

 

その一方で慈善事業にも力を入れていた。

 

アルマとの出会いは、そんな最中の出来事だった。

 

今、エレノア財閥は新たな局面を迎えようとしていた。

 

不正との決別。

 

それはアリーチェの人格そのものといえた。

 

だがそれはまた、これまでこの世界を支えてきた悪しき慣習との決別でもあった。

 

「アレグロ、いいかしら?」

 

アリーチェは、執務室の大きな漆黒の机の上にある、インターフォン越しにアレグロを呼び出した。

 

室内に入ってきたアレグロは、大きな窓越しにネオ・ヴェネツィアの風景を見ているアリーチェに、これまでとは違う雰囲気を感じていた。

 

「わたくしは、決心するべき時が来たと思っています」

 

アリーチェは、そのまま窓の外を眺めながら、独り言でもいうようにささやいた。

 

アレグロは、黙ってその場に立って、アリーチェの言葉を聞いていた。

 

「マンホーム時代から受け継ぐ、このエレノア財閥を、本当に意義のあるものにする。目先のことにとらわれず、真に人類の歴史に貢献する。そのために、まずわたくしが一歩踏み出すことにしますわ」

 

アリーチェは座ったまま、くるりと振り返った。

 

「このアクアにくさびを打ち込みます!」

 

アリーチェの決意のこもった言葉に、アレグロは驚いて目を見開いていた。

 

「くさび?打ち込むのですか?このアクアに?なぜ?」

 

「あなた、そんなにハテナマークばかり並べて、なにが不満なの?」

 

「不満というわけではないのですが・・・」

 

「人が強く決心した時は、そんなふうに言うもんでしょ?」

 

「そういうものなんですか・・・」

 

「何よ!今度は・・・ばかり!」

 

「それでお嬢様?その打ち込むというのは、結局のところ、何をされると?」

 

「乗っ取るの」

 

「はぁ?」

 

「あれやこれやら、すべてひっくるめて、全部乗っ取ってやるのよ!」

 

アリーチェは椅子から降りると、窓に向かって仁王立ちになり、高らかに笑い声を上げた。

 

「お嬢様、とてもお下品に見えます」

 

「いいの!もうなりふりなんて構ってられないですわ!」

 

「いったいどうしたらそんなふうになるのでしょう・・・」

 

「アレグロ、これから忙しくなるわよ!」

 

「わ、わたくしもですか?」

 

アレグロは頭を押さえていた。

 

思わずめまいで倒れそうな気分だった。

 

「できれば、危険でないこと限定でお願いします」

 

 

 

 

感情をすべて押し殺したような能面のような顔で、アージアは、その薄暗い部屋の中で、じっと椅子に座っていた。

 

目の前のテーブルの上には、鈍く重たく光る、荒々しい狂気のイメージを抱かせるようなサバイバルナイフが一本、無造作に置かれていた。

 

そのテーブルを挟んだ向かい側にいる人物が、写真を一枚、ゆっくりとアージアの前に置いた。

 

アージアは、その写真をじっと見つめた。

 

「さあ、どうするんだ?」

 

男の声が、ささやくようにアージアに語りかけた。

 

するとアージアは、サバイバルナイフにゆっくりと手を伸ばし、そっと握りしめた。

 

そして、なんのためらいもなく、写真に写る顔にまっすぐ突き立てた。

 

アデリーナの笑顔の真ん中に、その狂気は突き立てられていた。

 

 

 

 

 

アデリーナは、忙しくカウンターの中で動き回っていた。

 

朝からほとんど休憩も取らず、次々やって来る客への対応に追われていた。

 

その様子を見かねたアガタが、アデリーナのそばに近づいてきた。

 

「先輩?少し休憩を取ってください。いくら先輩でも、まだ病み上がりじゃないですかぁ?無理しないでください!」

 

アデリーナはアガタの言葉に少しほほえんでみせた。 

 

「でもこの状況だと、そういうわけにも行かないでしょ?」

 

アデリーナの事件の後、総支配人のアデルモも消息を絶ったことで、一時協力していた周辺のホテルも、応援に出していた従業員を引き上げ始めた。

 

ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーがトラブルに巻き込まれているだけでなく、何か厄介なことにも関わっているのではという憶測も流れ始めていたからだった。

 

それを裏付けるように、アイアート・ライデンが、このネオ・ヴェネツィアにおいても、多方面に手を回し始めているという情報が聞こえるようになっていた。

 

そして、それに追い討ちをかけるように、辞める従業員が続出していた。

 

「先輩、もう無理ですよ!こんなんじゃあ、手が回りません!」

 

「アガタ、とにかく頑張って!今はやれることを、やるしかないの!」

 

「そんなことを言われても・・・」

 

アガタは半べそをかきながら、客の応対に追われていた。

 

その一方で、アデリーナは驚いていた。

 

あの仏頂面のアロンソが、ベルボーイの荷物運びの手伝いをしていた。

 

「意外とわかってるんじゃない」

 

だがロビーを見渡していたアデリーナは、不思議な感覚にとらわれていた。

 

「やっぱりおかしい」

 

多くのソファーに座る客の姿やロビーを行き交う客たちの姿は、まさに盛況と言えた。

 

それは、とてもトラブルを抱えているホテルには見えなかった。

 

「なんでこんなに、たくさんのお客様が・・・」

 

すると、誰か背後から話しかける声が聞こえた。

 

「そんなに変ですか?ホテルが盛況だと」

 

振り返ったアデリーナは、その見たことのない若い男性が、従業員の制服を着ていることに驚きを隠せないでいた。

 

「あなたは?」

 

「申し遅れました。アヴェリーノと申します。よろしくお願いします」

 

「アヴェリーノ?」

 

「聞いてなかったですか?」

 

「ええ」

 

アヴェリーノは、どうしたもんかと、頭を掻いていた。

 

「叔父がいつもお世話になっている、いや、お世話になっていた、といったらいいでしょうか?」

 

「叔父?」

 

「私の叔父の名前は、アデルモといいます」

 

「叔父さん?総支配人が?」

 

「はい」

 

「そうなの?」

 

アデリーナは、あまりの突然のことに、言葉がでてこなかった。

 

「つまり、甥にあたるわけね?」

 

「もちろんです」

 

「で、なんでそんな格好をしてるの?」

 

「なんでって、当然、応援に来たわけです」

 

「応接?つまり、あなたもホテルマンということ?」

 

「見えませんか?」

 

アヴェリーノは、自分の格好を見回した。

 

「でも、こんな大変な時に、来てくれるなんて・・・」

 

「大変な時だからこそ来たわけです。アデリーナさんも、お辛いかと思ったものですし」

 

「まあ、そうではありますけど」

 

「アデルモ叔父さんが、無事だといいですね。これじゃあ、なんのためにアデリーナさんをここに引っ張ったかわからないですよ」

 

「何のために引っ張った・・・」

 

アデリーナは、アヴェリーノの言葉に引っ掛かっていた。

 

アヴェリーノは、少し気まずい表情になって横を向いた。

 

「余計なことを言いそうになった・・・」

 

「なに?」

 

「そうですよ!そんなところで、余計な油を売ってる場合じゃないです!」

 

アガタがふたりを指差して、怒鳴りつけてきた。

 

「アヴェリーノさんも、応接なら応援らしく応接してください!」

 

「アガタとは知ってるのね?」

 

「まあ、そうですね。応援は二回目ですから」

 

「そうだったの」

 

「ええ」

 

アヴェリーノは、なんとなく返事をしながら、ロビーを見渡していた。

 

「どうかしたの?」

 

アデリーナは、そんなアヴェリーノに声をかけた。

 

「ええ、まあ、そうですねぇ。あの人がいないなぁと思いまして」

 

「誰のこと?」

 

「灯里さんです」

 

「灯里さんも知ってるの?」

 

「そりゃまあ、知ってるというか、それが目的というか・・・」

 

「灯里さんは、もうここの役目は終わったの」

 

「そうだったんですか・・・」

 

その言葉に敏感に反応したアガタが、ふたりの方を見た。

 

「アガタ、ごめんね。ちょっとおしゃべりが過ぎた・・・」

 

「それですよ!」

 

「えっ、何が?」

 

「だから、灯里さんです!」

 

「灯里さんがどうしたの?」

 

カウンターの前には、いつの間にか、その緊張感のない、とぼけた中年の男がニヤケけた顔で、会話に参加していた。

 

「おじさん!」

 

「だから、そのおじさんていうの、やめて欲しいんだけどなぁ。これでも頑張って若くしてるつもりなんだけど」

 

「おじさん、すごくいいタイミングです!」

 

「だからぁ、そのおじさんを・・・ ナニ?いいタイミングって?どういうこと?」

 

カウンターの中の三人は、揃ってアールドの顔を見つめた。

 

「ボクって、いつからそんなに人気があったの?」

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