マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第四十三話 必然の出来事

水無灯里は、再びホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの制服に身を包んでいた。

 

ロビーの中央付近に立つ姿は、以前からそこにいたように見えるくらい自然な印象だった。

 

そして、いつものにこやかな表情にも、余裕が感じられるようだった。

 

「あら、あなた?久し振りね。最近見かけなかったけど、どうしてたの?」

 

ブランド品で着飾った、セレブな常連客の婦人が、灯里に気がついて立ち止まった。

 

「どうもお久し振りです。ちょっと大事な用事があったもので」

 

「そうだったの。がんばってね」

 

しばらくすると、今度は男性客が灯里に声をかけてきた。

 

「灯里さんじゃないか?どうしてたの?」

 

「お陰様で、なんとか頑張ってました!」

 

「そうなの?そりゃあよかった!」

 

少し言葉を交わすと、その客は笑顔で去っていった。

 

カウンターからその様子を見ていたアガタは、不満げな顔で見つめていた。

 

「なんか納得いきません!」

 

「何が?」

 

アデリーナは、そんなアガタの顔を見て、ふっと笑みを浮かべた。

 

「だって、しばらくご無沙汰だった灯里さんが、復帰していきなりあれですよ?おかしくないですか?」

 

「灯里さんらしいといえば、らしいんじゃないの?彼女はそういう人よ」

 

「でも、それなら必死にやってきた私たちは、なんなんですか?」

 

「だけど、灯里さんに応援を頼めないかって言い出したのは、アガタでしょ?」

 

「それはそうなんですけど・・・」

 

従業員不足を補うため、経験のある灯里に応援を頼めないかと言い出したアガタの案を、灯里は快く引き受けることにした。

そのため、本来ARIAカンパニーとして受けていた予約客のうち、さばききれなかった分を急遽藍華に依頼していた。

それを聞きつけたアリスまで協力を申し出てくれたことで、すぐにホテルのロビーに復帰することができた訳だった。

 

その頃には、水先案内業界にもホテル業界のざわつきが伝わり始めていた。

もちろんそこは、先日のウッディーの果たした役割(?)が大きかったわけだが・・・

 

同じ観光業界ということもあってか、次第に灯里の思いがネオ・ヴェネツィアに関わる人たちの思いへとかわりつつあった。

 

いつもの笑顔でいる灯里から少し離れたところで、これまた、いつもの仏頂面のアロンソが立っていた。

 

ネオ・ヴェネツィアーティーを取り巻く状況が変わってきていることを聞いていた灯里は、アロンソだけは変わらずそこにいることに、ちょっと驚きを感じていた。

 

アロンソの方を横目でチラリと見る灯里。

 

ロビーを見渡していたアロンソが、そのまま灯里に目を向けた。

 

「はひっ!」

 

「何か?」

 

「あっ、いえ、そのぉ・・・」

 

「いいんですか?」

 

「えっ?」

 

「ウンディーネの方は?」

 

「ああ、はい、そちらはなんとかなりました・・・ので」

 

「そうですか」

 

「はい~」

 

「それで?」

 

「それで?」

 

「聞いてるのはこちらなんですが」

 

「そ、そうですね」

 

灯里は大きくため息をつくと、意を決したようにアロンソの方に向いた。

 

「私がここでの役目を終えたということは、このホテルも一旦落ち着いたのかと思ったもので」

 

「それなのに、この男はまだいるのか?と言いたい訳ですね?」

 

「あわわわー!そんなことは・・・」

 

「顔に書いてある」

 

「えっ?」

 

灯里はうつ向くと、思わずほっぺに手を触れた。

 

そして、何かに気づいたように顔を真っ赤にしていた。

 

「私って、バカみたい」

 

灯里はアロンソの表情を確かめようと顔を上げた。

 

アロンソは相変わらずロビーに目を向けていた。

 

「冗談・・・なの?」

 

そんなふたりの変なやり取りの様子を、アデリーナは、フロントのカウンターからぼんやりと眺めていた。

 

そうしてると、目の前に客にが現れた。

そこでようやく我に帰った。

 

一通りの応対の後、ベルボーイと一緒に客は部屋へと向かった。

 

再び、ロビーに目を向けた時には、アロンソの姿はなかった。

 

灯里は、走り回っている子供の後を追いかけていた。

 

アガタは、客への対応で、フロントを離れていた。

 

その時、アデリーナの前の電話が鳴った。

 

「はい、フロントでございます」

 

アデリーナは、その電話に返事を繰り返していたかと思うと、すぐに電話を切って、その場を立ち去ろうとした。

 

だが、そこで伝言を残そうかと横を振り向いたが、アガタがいないことに気がついた。

 

アデリーナは、素早くそばにあった付箋に走り書きをして、それを電話の横に張り付けた。

 

そして、急いでその場を離れた。

 

フロントに戻ってきたアガタは、辺りをキョロキョロ見回していた。

 

「あれ?先輩はどこ?」

 

そして、カウンターの内側に目を走らせた。

 

「先輩らしくない。メモくらい残していけばいいのに」

 

 

 

 

 

縮小したとはいえ、ホテルへの脅迫事件が解決したわけではなく、ましてや姿を消した総支配人のアデルモが、あの裏の顔を噂されているホテル王のアイアート・ライデンと通じていた上、インターポールまで動き出したとなると、捜査本部をここから引き払うなど考えられなかった。

 

捜査の陣頭指揮をとるアルフ捜査官は、文句言いたげな無愛想なアロンソの顔をみて、大きくため息をついた。

捜査会議に使われていた部屋は、椅子の数も減り、様々な備品も大半が片付けられていた。

 

いつもの調子でパイプ椅子にどっかと腰を下ろしていたアロンソは、一部開いていたブラインドから見えるネオ・アドリア海を漠然と眺めていた。

 

「この前、お前が言っていた話を、もう少し詳しく聞かせてくれ」

 

「詳しくですか?あれ以外ないですけど」

 

アルフが聞い話は、アデリーナの退院祝いで集まった帰り道、誰かにつけられていた件についてだった。

 

アールドが言っていた、アデリーナが狙われたのは偶然ではなくアデルモとの関係が絡んでいるに違いないという話に、アロンソも同じ印象を抱いていた。

 

偶然、夜のバックヤードに居合わせただけで従業員を切りつけるだろうか。

 

そんな素朴な疑問は、アデルモの失踪でその深刻さが真実味を帯びる結果となっていた。

 

そして、アデリーナから聞かされた、エレノア財閥が格別の扱いをした上、治療費を全て支払ったという話。

 

その後、インターポールの刑事から聞かされた犯人と推察された姉妹の存在。

 

事件直後にアガタを襲おうとしたアージアの背後関係から、エレノア財閥の当主アリーチェが、その生まれを調べていたことがわかった。

 

そして、そのアージアの姉が・・・

 

「アルマ。アリーチェの側付きのメイドだ。だが、ここしばらく姿を消している」

 

「そのふたりがアリーチェを襲った犯人だから、、エレノア財閥が動いたと?」

 

「おそらく。そして、アルマはアリーチェの下にいるとふんでいる」

 

アルフは、無精髭のあごをなで回した。

 

「そして、アージアは証拠不十分で釈放されている」

 

アロンソは、太陽に照らされ輝いている海を目を細めて見ていた。

 

「そのアージアの足取りも掴めていない」

 

アルフはそう言うと、振り返ってホワイトボードに書き出されている、今回の事件の複雑な人間関係をじっと見つめた。

 

そして、黒のマーカーで、ある人物の名前を丸く囲った。

 

「こいつだけは、何をしでかすかわからん!」

 

バン!と叩いたところには、アイアート・ライデンの名前があった。

 

「実行犯と考えられているふたりが、今、どこにいるのかがわからないなんて、どうなってるんだ!」

 

アルフは、握りしめたマーカーのケツの部分でホワイトボードをガン!と突いた。

 

「捜査本部はライデンの不正疑惑の捜査にシフトしたんでしょ?」

 

アロンソは、冷めた口調でそう言った。

 

「ああそうだ。これを炙り出すことに成功したら、ネオ・ヴェネト州警察は世間から注目を浴びるのは間違いない」

 

「じゃあなんで、そんなにイラついてるんですか?」

 

「イラついてる?私が?出世が近づいている、この私が?」

 

「そんな風に見えますが?」

 

「バカなことを言うんじゃない」

 

アルフはホワイトボードの側のパイプ椅子に腰を下ろした。

そして、片腕を背もたれの後ろに回し、身体をあずけるように力を抜いた。

 

「ホテルへの脅迫事件、アイアート・ライデンの黒い疑惑、どちらにも共通しているのが、アデルモの存在だ。でもその中で、唯一といっていい被害者がアデリーナだ。そこだけは、なんとしても解決せねばならん。だが・・・」

 

「何かあるんですか?」

 

アロンソが鋭い視線をアルフに向けた。

 

「そうなると、アデリーナは、かなり重要な存在とみるべきだ。偶然なんかじゃなく、狙われたのは間違いなく必然だ」

 

「アデルモは、アデリーナをほぼ独断でフロントクラークに抜擢している。それほど実績があったわけじゃないアデリーナを。なぜだ・・・」

 

再び窓の外のネオ・アドリア海に視線を移したアロンソに、アルフは顔を向けた。

 

「アデリーナは今どこだ?」

 

アルフの顔が危機感でひきつっていた。

 

アロンソは、眉間にシワを寄せて、部屋のドアを睨み付けた。

その視線は、その先にあるロビーへと向けられているようだった。

 

一瞬の間の後、アロンソは部屋を飛び出していた。

 

アルフは、隣のモニタールームに飛んでいった。

 

 

 

 

 

ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの七階の廊下は、しんと静まり返っていた。

 

そこに音もなく歩く人の姿があった。

 

生きているのか、死んでいるのか、それすらもわからないほど、生気を感じられない様子だった。

 

705号室の前で立ち止まった。

そして、ドアの横の呼び鈴を押した。

 

少しの後、ドアがゆっくりと開いた。

 

中から日焼けした恰幅のいい男が姿を現した。

 

「よく来てくれたね、アージア」

 

能面のような、感情のない顔の女性が、その男の手招きに続いて、部屋の中へと入っていった。

 

ソファーにアージアを座らせた男は、サイドテーブルに置いていた黒のアタッシュケースを開けた。

右手には痛々しいほどの包帯が巻かれていた。

それを苦々しい顔で睨み付けると、器用に口を使って、左手に黒皮の手袋をはめた。

 

「アージア、私はこれから大事な用がある。お前は、手筈通りにやってくれればいい。途中で連絡をいれるから、その時はこれを使って、作戦を実行してくれ」

 

男の手には、アージアが先日見たサバイバルナイフがあった。

 

「難しく考える必要はない。ただ、相手に向かって、まっすぐに差し出せばそれでいい」

 

男はくるりとナイフを回して、握りの方を向けて、アージアに手渡した。

 

細く華奢なアージアには、そのサバイバルナイフが、とても重く感じられた。

 

 

 

 

ライデンの側近だった、スナイパーのアガシは、住宅が並ぶ運河沿いのアパートの一室で、持ってきたポットからコーヒーをちいさなカップに注いでいた。

その香りを嗅いで、満足げな表情でコーヒーを口に運んだ。

 

「うーん、いい香りだ。こんな至福のときを味わえるというのに、なぜ命を粗末にするんだろうね」

 

アガシは、コーヒーを飲み干すと、ポットとカップをバッグにしまった。

 

スナイパー専用の、指先の微妙な感触を感じられる手袋をはめると、そばに置いてあったライフルを手にした。

 

そしてライフルを軽く構えると、そこにあるスコープを覗き込んだ。

 

アガシには、運河をゆっくりと進むボートが一艘見えていた。

 

そこには、日焼けした、恰幅のいい男が乗っていた。

 

岸につけるよう、ボートを漕いでいた男に指図した。

ボートが止まると、その男に何かを手渡して、ボートから降りるよう、あしらうように手を振って見せた。

 

その日焼けした男は、ひとりになると、辺りをキョロキョロと見回していた。

 

だが次の瞬間、鈍い破裂音とともに、男はボードの上で崩れ落ちるように倒れた。

 

それを見届けたアガシは、ライフルを解体して、バッグに納めた。

 

そして立ち上がると、振り返らずにドアへと向かった。

 

「ライデンと取引なんて、バカなことを考えなければよかったものを。アデルモ奪取を失敗した時に、お前は終わってたんだよ」

 

アガシが去った部屋の窓のから見える運河の上を、ボートがゆっくりと何もなかったかのように漂っていた。

 

 

 

そこから少し離れた、アパートメントに挟まれた細い路地に、身を隠すように立つ人影があった。

 

キャップを深々とかぶり、顔には黒いサングラス、モスグリーンのハーフコートにジーンズ姿のその女性は、ちょっとやそっとではお目にかかれないほどの、スーパーモデルのような印象の姿をしていた。

 

そして、コートの襟を立て、顔を隠すようにして、そのボートの行方をじっと静かに見送っていた。

 

「こんなことがあったなんて、あの人に知らせるわけにいかない・・・」

 

その女性は、そうポツリと呟いた。

 

そして、音もなく姿を消した。

 

 

 

 

アデリーナは、705号室の前に立っていた。

 

呼吸を整えると、呼び鈴を押した。

 

すると、ドアがすっと開いた。

 

ドア越しに人影が目に入った。

 

「お客様?フロントから参りました。緊急のことということでしたが、どうかなさいましたか?」

 

アデリーナの呼び掛けになんの反応も返ってこない。

 

「大丈夫ですか?どこかお加減でもお悪いのですか?」

 

すると、ドアが先程よりも少し動いた。

 

アデリーナは、そこではっきりと理解できた。

 

その部屋の客が、どうにもはっきりと見えないのは、部屋の中が真っ暗だからだった。

 

「お客様、お部屋の灯りはどうされたので・・・」

 

ドアの影から、その能面のような、真っ白で無表情の顔が、半分だけ覗いていた。

 

その瞬間、アデリーナは、自分でもどうすることもできないほど、震えが止まらなかった。

 

「あの、電話をいただいたアサド様は、確か男性の方でしたが・・・」

 

アデリーナは、その真っ暗な部屋の奥を覗こうとした。

 

だが当然何も見えない。

 

「アサド様は、いらっしゃいますか?」

 

その半分だけ顔を見せた女性は、無表情のまま何も反応しない。

 

「お客様?申し訳ありませんが、お部屋の中をあらためさせていただきたいのですが、よろしいですか?」

 

そう言ってアデリーナは、少しドアに手をかけた。

 

その瞬間、ドアが音もなく開かれた。

 

アデリーナはその勢いで、部屋に一歩踏み入れていた。

 

「えっ?」

 

目の前には、能面を被った、真っ白な顔が迫っていた。

 

そして、信じられないほどの力で手首を掴まれると、そのまま部屋の中へと引きずり込まれていった。

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