マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
「灯里さん?」
灯里がロビーを走り回っていた子供たちと、迎えに来た父親に手を振って見送っていた横で、アガタも手を振って立っていた。
「アガタさん、どうかされたんですか?」
アガタの表情がいつになく元気がなかった。
「なんかですね、最近わかんなくなってきまして」
「はぁ」
「なんか、いろんなことがありすぎて、よく整理できてないというか、なんというか・・・」
「整理ですか」
「そうなんです。なのに、なんでかわからないんですけど、やたらと忙しいんですよ。ここ最近」
「ホテルが忙しいのって、いいことじゃないんですか?」
「でも、程度ってものがあるじゃないですか?」
「まあ確かに、そうかも」
「でしょ?灯里さんもお仕事柄、あるんじゃないですか?」
「そうですね」
「ふーん」
アガタはロビーの真ん中で、大きなため息をついた。
「いったいこのホテルの教育はどうなってるの?」
灯里たちよりだいぶんと背丈の低い、お嬢様気質いっぱいのオーラを発散した少女がそこに立っていた。
「い、いらっしゃいませ!ようこそ、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーへ!」
灯里は練習していたフレーズを条件反射のように言葉にした。
その横でアガタは、不思議そうな顔をしていた。
「確か見たことあるような・・・」
しかし、次のセリフを言う前に、数名の男性従業員が必死の形相で走ってきた。
「あれ、副支配人に部長に・・・」
アガタの前を通過すると、かしこまったように一同が直立不動になって立ち止まった。
「お待ちしておりました、アリーチェ・エレノア様!」
そのセリフを聞いて、アガタはようやくわかった。
「そうだ。あの、なんかやたらと偉そうなお嬢様です。ね?灯里さん?」
「そ、そうですね?いや、あの、その~~」
灯里は、アガタの声がアリーチェに聞こえていないか気が気でなかった。
「どうなの、ホテルの調子は?」
「はい、それはもう、順調でございます!ご当主様!」
「それはよかったわ」
副支配人は、従業員たちに指示を出す普段の口調とは大違いの声のトーンだった。
「君たちもちゃんと挨拶をしたまえ!」
副支配人は灯里とアガタに厳しい口調で言った。
「このホテルの新しいオーナー様だぞ!」
「オーナー様?」
「いつの間に?」
二人は目を丸くして、涼しげに微笑むアリーチェを見つめた。
「そういうことだから、よろしくね」
アリーチェは腰に手を当ててポーズを決めていた。
「お嬢様?あまりお時間がありません」
そのアリーチェの後方で、第一秘書のアレグロが声をかけた。
アリーチェの手がズルッと滑った。
「アレグロ!私の立場も考えなさい!それにタイミングも!」
アリーチェは、不満げな顔ながらも、ホテルの男たちを従えて奥へと進んでいった。
灯里とアガタは、大きく息をついた。
「アガタさんは、ご存知だったんですか?」
「知りません。いきなりですよ!そんな重要なこと、なんで従業員に知らされてないんですか?」
「そうなんですね」
灯里は、アガタのプンプン怒る表情を見て苦笑していた。
その時、アロンソが怖い形相でロビーに現れた。
ロビーを見回すと、そのまま階段の方へと走っていった。
「なんだったんでしょう」
「わたし、あの人、ちょっと苦手なんですよねぇ」
「ホント、なんだろうね」
いつの間にか二人に並ぶようにアールドが立っていた。
「おじさん!いきなりなんですか?」
「だからさぁ、アガタさん?もうさぁ、止めてくんない?」
言葉は冗談めかしていたが、アロンソの後ろ姿を追う目は、笑ってなかった。
灯里はそんなアールドの表情に、何か不安を感じ始めていた。
「そういえば、アデリーナさんはどうしたの?休み?」
「休みな訳ないじゃないですかぁー!」
「じゃあ、どこ?」
アールドはフロントからロビーへと視線を走らせていた。
途端に表情が曇り始めた。
「アールドさん、どうしたんですか?」
灯里は心配になって、アールドの緊張感を漂わせた横顔に尋ねた。
アガタは腕を組んで難しい顔で言った。
「わかりません」
「わからない?お客を部屋まで案内に行ってるとか?」
「それならそうとメモでも残すはずなんですけど、先輩にしては珍しく、なんにも書き残してないんですよねぇ」
「じゃあ今、アデリーナさんがどこで何をしてるかってことを、把握してる人はいないってこと?」
そのアールドの言葉を聞いて、アガタの表情が一変した。
アルピーナ婦人は、ホテルでぼや騒ぎがあって以来、長期滞在用の部屋へと移っていた。
その部屋から出ようとドアを開けた瞬間、目の前の廊下を灯里が走っていく姿があった。
廊下に出たアルピーナ婦人は、キョロキョロ辺りを見回している灯里の後ろ姿に声をかけた。
「灯里さん!」
その声に驚いて灯里は振り返った。
「アルピーナさん!」
「どうしたの?何かあったの?」
「はい、実は・・・」
灯里は言った方がいいのか、少し迷った。
「何か大変なことがあったのね?」
「アルピーナさんにもお聞きした方がいいのかも」
「どういうこと?」
「アデリーナさんを見かけませんでしたか?」
「アデリーナさんて、あのフロントクラークの方?」
「そうです!さっきから、どこにも見当たらなくて、手分けして捜してるんです!」
「いない・・・」
アルピーナ婦人はそう呟いて、灯里の顔を真剣な顔で見つめた。
「そう、いないの。いないのね?」
「アルピーナさん?」
「一足遅かった。また、同じ過ちを繰り返してしまったのかもしれない」
アルピーナ婦人は後悔の念を滲ませた表情をしていた。
「あの、どういうことですか?」
「おそらく、ライデンね」
「はぁ」
「アデルモ総支配人は、まだ戻ってないわよね?」
「総支配人ですか?まだ、戻られてないと思いますが」
「そうなのね。だから矛先を変えた」
「あの、アルピーナさん?」
灯里は話しが見えてこず、困惑していた。
「もしかして、アルピーナさんは、何かご存知なんですか?」
すると、先ほどアルピーナ婦人が閉めたドアが、カチャリと音がなって開いた。
「アダルベルトさん!」
部屋からは、浅黒い顔をした、眼光鋭い男が姿を現した。
「婦人?今、情報が入りました。ライデンが動いたと」
「そうなの」
不安な表情で見つめている灯里の方に、アルピーナ婦人はゆっくりと振り向いた。
「灯里さん?思っていたより、急がないといけないかもしれない」
「それってどういうことなんでしょうか?」
「このホテルは、負の連鎖に囚われている」
「あの、どういうこと・・・」
灯里はそれ以上聞けなかった。
アルピーナ婦人とアダルベルトの表情が、あまりにも真剣だからだった。
「悪いこと言わないわ。今からでも、ここを離れることはできないの?あなたのような方がいるべき場所ではないと思うの」
灯里はどう返事していいかわからなかった。
深刻な状況にいることは感じていた。
だが、ここを離れることはそれ以上に考えられなかった。
「婦人?先程の情報ですが、続きが」
アダルベルトが声をかけた。
「ライデンが配下の者を始末したというものです」
「配下?仲間ということ?」
「先日、アデルモの奪取に失敗した者のようです」
「でもそうすると、ライデンの目的は何?」
「おそらく推察するに、取引を持ちかけて始末された」
「でも、アデルモ氏はエレノアのご当主のところでしょ?アルマも・・・」
「つまり」
「だからなの?」
二人の会話を聞いていた灯里は、顔を強ばらせて動けずにいた。
「私には、お二人が何をおっしゃっているのか、わかりません」
アルピーナとアダルベルトは、灯里の言葉に不安な顔を向けた。
「灯里さん?」
「わたし、聞かなかったことにします」
そう言って、灯里は足早にその場を去っていった。
アルピーナ婦人は、そんな灯里の後ろ姿を見つめていた。
「確かに、灯里さんが知る必要のない話だったかもしれない。でもね、あなたが必死になって捜している人のことなのよ」
廊下の角を曲がっていく灯里の背中には、まるで不安と焦りが張り付いているように見えた。
アガタは落ち込んだ表情で、従業員出入口からとぼとぼとロビーに戻ってきた。
「どうだった?」
正面玄関から走ってきたアールドが、そんなアガタに声をかけた。
「いません。どこにも」
「そうか」
うなだれているアガタに、アールドはどう声をかけていいか、困った顔をしていた。
「先輩、どこにいったんですか?」
「アガタさん、諦めるのはまだ早い」
「誰も諦めてません!」
「そ、そうだよね」
アールドは気まずそうに頭をかいていた。
「アガタさん?バックヤードや関係者が出入りしそうなところ、それにホテルの周辺にもいないとなると、後は客室と考えるのが妥当だと思う」
「客室って言ったって、どれだけあると思ってるんるんですか?」
「確かにそうなんだけど、フロントにいたはずのアデリーナさんがそこにいないとなると、考えられるのは、お客への対応でフロントを離れたということじゃないの?」
「そうかもしれません」
「そうだ!宿泊名簿は見れる?」
「見れますけど」
「片っ端から捜すんだ!アデリーナさんがトラブルに巻き込まれそうな客はいないかを」
「捜すって、おじさん!このホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーに、どれだけの宿泊客が泊まってるって思ってるんですか?」
「別に全部って言ってるんじゃない。ここ一日二日の話だ。しかも短期の宿泊予定の客だ!」
アガタはカウンターの中に回り込むと、タブレットに指を走らせた。
「でも、ここ最近でも、30名ほどのお客様がいます」
「なんでそんなにいるの?」
「知りません!」
アガタは苛立ちと焦りの感情をアールドにぶつけた。
その時、カウンターに近づいてきた男性がアガタに声をかけてきた。
「予約をしていたのだが、いいかな?」
「は、はい!お客様!」
アガタは返事をしながらも、タブレットから手を離そうとしなかった。
「どうしよう・・・」
「こちらでお引き受けいたします、お客様?」
アガタの少し離れた横に、涼しげな顔をしたアヴェリーノが立っていた。
「応援のひと!」
「あのときの彼か!」
アガタとアールドは突然現れた救世主でも見るかのように、ふたり同時に声をあげた。
アヴェリーノはニッコリと微笑んで客への応対をしてくれた。
その様子に安心して、アガタはカウンターの上にタブレットを出して、アールドと宿泊者名簿に集中した。
アヴェリーノは手続きの後、ロビーに目をやった。
手の空いているベルボーイは一人もいない様子だった。
「それではご案内いたします」
そう言って、カウンターから出ていこうとした時、思い出したように振り返った。
「そうだ、アガタさん?今、七階って忙しいのですか?」
そう言われたアガタは、怖い顔でアヴェリーノを見た。
「今このホテルで、暇なところはひとつもありません!全部忙しいんですぅ!」
「そ、そうなんですね」
アヴェリーノは、困ったように眉を下げて苦笑していた。
そして、向きを変え歩き出した。
その時、ズボンのポケットから紙屑のような、黄色いものを出し、ゴミ箱に入れていった。
とても自然な、何気ない所作だった。
だが、アールドは視界の隅でそれを捕らえていた。
特別なVIPしか通されない豪華な部屋で、アリーチェはゆったりと大きなソファーに腰かけていた。
第一秘書のアレグロは、そのそばで澄ました顔で立っていた。
「どうして私たちは待たされているのかしら?」
アリーチェは釈然としない様子でポツリと呟いた。
「どうしてと聞かれましても」
「あのねぇ、仮にも第一秘書なんでしょ?」
「そのように仰せつかっております」
「もう!」
その時、アレグロの携帯電話が鳴った。
アレグロは、電話の相手に冷静かつ歯切れいい返答をしていた。
そして、その電話を切ると、おもむろにアリーチェにこう言った。
「アンナリーザ様から、アデルモ氏が逃走したとご報告です」
「ブホッ!」
アリーチェは、飲みかけのコーヒーを思わず吐き出した。
「いきなりナニ?どういうこと?」
「ですので、アデルモ氏が・・・」
「わかったわよ!そんな報告は一回で充分よ!」
アリーチェはカップを受け皿に戻すと、大きなため息をついて、ソファーに深々ともたれかかった。
「今さらなんでそういうことになるの?」
「それともうひとつ、ございます」
アレグロは冷静に言葉を続けた。
「まだあるの?」
「アルマもいなくなりました」
「アルマも?」
「どうやら手引きをしたのが、アルマだということのようです」
「アルマがアデルモの逃走に協力したってことなの?」
アリーチェは思わずこめかみを親指と人差し指で、グッと押さえた。
すると、ドアをノックする音が鳴った。
恐縮しきりの副支配人が、腰を低くして入ってきた。
アリーチェは、上目遣いで睨み付けた。
「ねえ、副支配人?この時間はナニ待ち?」
「申し訳ありません。実は少々手違いがございまして」
「手違い?」
「それで少々ホテルがバタバタしておりまして」
「バタバタって、忙しいってことなんでしょ?いいことじゃない。喜ぶべきよ」
「そうではございませんでして」
「なんなの?はっきりおっしゃい!」
「実は、従業員がひとり、いなくなりまして」
「いなくなったって、何をしてるの?ちゃんと従業員教育はやってるの?」
「そういうことではございませんでして、突然と申しましょうか、姿が見えなくなったということでございます」
「あなたねぇ、何をバカなことを言って・・・」
アリーチェは、何かに気づいたように突然、自ら言葉を遮った。
「アレグロ?あのフロントクラーク、ロビーには?」
「いませんでした」
「いない・・・」
「あの、ご当主?」
「それって、フロントクラークね?」
「なぜご存知で?」
アリーチェは苦い表情で、ソファーをバン!と叩いた。
「アレグロ!」
「はい、お嬢様」
「うちの特命チーム全員に召集をかけて!全員よ!」
「全員ですか?」
「そうよ!」
「別名“”アリーチェ隊“”ですよね?」
「なにそれ?私の知らないところでいつの間に・・・」
「あのー、実は二名が現在休暇中でして」
「当主が声をかけているのに、なんなのよ!」
「一名はネオ・ディズニーランドで、もう一名はユニバーサル・スタジオ・アクアです」
「なんでも、ネオとかアクアってつけたらいいってもんじゃないでしょ!」
「久し振りの家族サービスで、子供たちがはしゃいで喜んでるとかで・・・」
アリーチェは頭を押さえた。
「もうなんでもいいわ。とにかく集められるだけ集めなさい!」
「わかりました!」
「戦争よ!」