マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第四十五話 能面 再び

「お前は、戻りなさい!」

 

アデルモは、重たい足をひきずるようにして、必死に歩き続けていた。

 

アルマは、その少し後ろを厳しい表情で歩いていた。

 

そして、片時も見逃すまいと、アデルモを凝視し続けている。

 

「勘違いしないで!あなたが逃げることに協力したわけじゃないから!」

 

「そんなことはわかっている。でもここから先は、お前が関わるべき話ではない」

 

「今さら何を言ってるの?関わるも何も、あなたが撒いた種じゃない?あなたには、それ相応の責任を取ってもらうから」

 

アデルモは、それには答えずに、フェンス際の道路を、その先を睨むように歩いていた。

 

雑草が生い茂った荒れ果てた空き地を横に見ながら、誰も人の姿を見かけることのない、閑散とした道路を進んでいた。

 

すると、少しずつだが潮の匂いが漂い始めていた。

 

その先を進むと、視界が開け、海岸が目の前にひろがっていた。

 

左右には古びた造船所跡が連なっている。

 

アデルモは左右を見渡していたが、すぐさま右の方に進んだ。

 

「どこへ行くつもり?」

 

アルマは、必死に歩いていこうとするアデルモの背中に向けて言った。

 

だがそれには答えようとしなかった。

 

「もしかして、ライデンと会うの?」

 

アルマはそう言いながら、アデルモとの距離を縮めた。

 

「そんなの、殺されに行くようなもんじゃない?」

 

「元々、お前だって私を引き渡そうとしていたじゃないか?」

 

「それは違うわ!あなたを捕らえ、あなたに恨みがあるひとたちのために罪を償ってもらうためよ!」

 

「そう言われたんだな?」

 

「言われたって、どういうこと?」

 

「お前の素性を知って、お前に近づいた。そしたら、その先には私がいる。労せずして始末が出来るというわけだ」

 

「それじゃあまるで、私は利用されたように聞こえるじゃない!」

 

「その通りだ、アルマ」

 

アデルモは冷静な口調で答えた。

 

振り返ってアルマの顔を見なかったが、アルマから言葉が返って来なかった様子に、その場に立ち止まった。

 

「悪いこと言わない。今からでも引き返しなさい。それがお前のためなんだ」

 

「私のため?そう言って、またごまかすつもりなんでしょ?」

 

「そうじゃない。それなら聞くが、お前に協力するようなことを言った者と、連絡は取れているのか?どうなんだ?」

 

「それは私だってお嬢様のところにいたわけだし・・・」

 

「エレノアのお屋敷か」

 

「あなただって同じでしょ?」

 

「アルマ?お前には悪いが、そいつはもういないと思う」

 

「いないって何?

 

「この世にはいないということだ」

 

「それって死んだということ・・・」

 

「そういうことだ。お前を使って私を誘きだした。そこまでは計画通りだったかもしれない。だが、そこでまさかエレノアの当主が直々に出てくることまでは想定していなかったはずだ。その段階でそいつは失敗したんだ。失敗はライデンにとって敗北を意味している」

 

アデルモは、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの総支配人の顔でも、幼い頃のアルマが知っている男の顔でもない、別人の顔をしていた。

 

「でも、アージアが・・・」

 

その言葉を聞いて、歩き始めようとしたアデルモは、また立ち止まって振り返った。

 

「今何て言った?アージアがどうしたんだ?」

 

「私が動けない状況にいることを知って、私の代わりに動いてあげるって」

 

「連絡が取れたのか?」

 

「証拠不十分で釈放になったからって」

 

「それで何をするって?」

 

「私の代わりにアサドと連絡をとって・・・」

 

「そのアサドって、まさかサン・ミケーレ島でエレノアの兵たちにやられたあいつのことか?」

 

「そうだけど」

 

アデルモの顔が変わった。

 

「なんてバカなことを・・・」

 

「なんなの?さっきから」

 

「だから、そいつはもうこの世にはいないはずだ!」

 

「じゃあアージアはどうなるの?」

 

アルマもことの重大さをようやく感じ始めていた。

顔から血の気がなくなって行く。

 

「アージアはどこなんだ?」

 

「わからない」

 

「どうしてだ?そもそもの計画はなんだったんだ?」

 

「それは、あなたを誘きだすことが目的で、それで罪を償わせて・・・」

 

アルマはそこで違うことに気がついた。

 

「それはあなたを、そのライデンという人に?」

 

「そういうことだ。私をライデンに引き渡すために、お前に近づいたんだ。お前は利用されたんだ」

 

「じゃあなんで、私たちは今まで苦労して、あんなことまでして・・・」

 

アルマの表情がみるみる崩れ落ちていった。

 

だがそこで、アデルモは顔をこわばらせた。

 

「ちょっと待て。じゃあいったいどうやって私を誘きだすつもりだったんだ?お前と私はエレノアの屋敷にいた。それをアージアも知っていたんだろ?」

 

「だから合流して、そこでアサドと会って・・・」

 

「そうじゃない!どうやって私を誘い出すつもりだったんだと聞いてるんだ!」

 

「だから、私がお嬢様の屋敷から連れ出して、そしてアージアはアサドと連絡を取って・・・」

 

アルマはそこで何かを思い出したのか、表情が固まった。

 

「どうした?アルマ!」

 

「私の代わりにちゃんとやり遂げるからって言ってた、あの子。それがあなたを誘い出す一番の方法だって」

 

アデルモの表情がいっそう険しいものになった。

 

「お前たちは、どこまで知ってるんだ?」

 

「知ってる?知ってるって何を?」

 

「アサドという男は、間違いなくライデンの手下だ。その男がアージアを利用することを考えていたとしたら、狙うべき矛先もわかっているということになる」

 

「いったい何をいってるの?わかるように話して!アージアは何をするつもりでいるの?」

 

アルマは必死にアデルモに詰め寄った。

 

「アージアは、私の采配でホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーに採用した」

 

「だから何?」

 

「だがあの子は、あまり愛想が良くない性格だったから、ロビーや接客には向かないと思って、なんとかリネン担当にねじ込んだんだ」

 

「それがなんだというの?今さら!」

 

「だからアルマ、正直に教えてくれ。あの夜、あの事件のとき、アージアは会ってるのか?」

 

「会ってるって・・・もしかして、あのフロントクラークのことを言ってるの?」

 

アデルモはうなだれるように、視線を落とした。

 

「お前たちが、あそこまで恨みを持っているとは思っても見なかったんだ。だが、それは私が招いたことだとも理解している。だが、あそこまでのことをやるとは・・・」

 

「ちょっと待って?それとアージアとどういう関係があるの?あの女はあなたのコネでホテルに入ったヤツでしょ?そんなヤツが、なんの苦労もせずにあんな大きなホテルのフロントクラークに抜擢されるなんて、おかしいに決まってるじゃない?それだけの報いを受けて当然よ!」

 

「それはわかった。だからアルマ、教えてくれ。あの夜、アージアはアデリーナと顔を会わせているのか?」

 

「なんなのさっきから!会ってるわけないでしょ?アージアはリネン室で捕まったんだから!」

 

「やっぱりそうか・・・」

 

アデルモは、腰が抜けたようにその場に座り込んでしまった。

 

それを困惑した表情でアルマは見下ろしていた。

 

「いったい何だって・・・まさか、あの子」

 

「私はそれを一番恐れていたんだ」

 

「それは私がすべての責任を負うから、だから絶対に手を出さないでねって言ったはず・・・」

 

「アージアはどこなんだ?」

 

「わからない。でも、あなたのコネでホテルに入ったヤツなんてゆるせないと私がいったら、あの子、黙ってしきりにうなずいていた。だから、あなたを誘きだすために、あの女に近づくとなると、どうしたって・・・」

 

「わかった」

 

そう言ってアデルモは立ち上がると、今来た道を戻ろうと歩き始めた。

 

「ライデンは?会ってケリをつけるんじゃないの?そうしたら、私の話に従うって言ったじゃない!」

 

アルマはアデルモの腕を掴んで引き戻そうとした。

 

「もうそんなこと、言ってられなくなった」

 

アデルモはそれを振り払おうとした。

 

「親子げんかはそこまでだ!」

 

アデルモとアルマは、その声に身を固くして立ち止まった。

 

「まあ、仮の親子だがな」

 

いつの間にか十名以上はいるであろう男たちが、ふたりを囲むように立っていた。

そして、手には拳銃が握られていた。

 

 

 

 

真っ暗だと思われていた部屋の中には、ロウソクの小さな炎が、目の前のテーブルの上で、わずかながら揺れていた。

 

目を覚ましたアデリーナは、自分が眠っていたことにようやく気がついた。

 

ソファーの上に座っていたが、なぜか窮屈な苦しさが身体を覆っている。

 

ハッと目を見開いて、反射的に姿勢を直そうとしたが、その窮屈さが動きを阻む。

 

そこで自分のおかれている状況が飲み込めた。

 

後ろ手に両手を縛られ、両足も足首のところで縛られていた。

 

勢いをつけて立ち上がろうとした。

 

だが、誰かに両肩を力強く押さえつけられた。

 

それによって、アデリーナはソファーに勢いよく倒れこんだ。

 

背もたれ越しに見上げた顔には、ロウソクの灯りを受けた能面の仮面が、怪しく浮かび上がっていた。

 

「あなた誰なの?どうしてこんなことをするの?」

 

アデリーナの必死の問いかけに、何も反応しない。

 

そして音もなく後ろにさがってゆく。

その能面の顔は、かろうじて照らしていたロウソクの灯りから消えていった。

 

アデリーナは少しずつ目が暗さに慣れてきたことで、辺りを見回した。

 

カーテンはすべて閉じられていた。

 

そして、ホテルの備え付けの調度品以外、目に見える範囲には何も置かれているものはなかった。

 

身体をねじって必死になって振り返った。

ぼんやりと薄明かりの中、椅子に座る人影が見えた。

 

しっかりと目を凝らして見ないと、そこに人がいることすら気づかないくらい、その能面の女には全く気配を感じられなかった。

 

アデリーナは顔を前に戻すと、あきらめたように、身体の力を抜いた。

 

「お願いだから、どうしてこんなことをするのか教えてくれない?」

 

相手の感情を逆撫でしないように気を使いながら話しかけた。

 

だが何も反応がない。

 

「何も答えないつもりなの?いったい何が目的?それくらい教えてくれてもいいんじゃない?」

 

アデリーナは、まるで誰もいない部屋で、独り言でも言っているかような錯覚におそわれていた。

 

「そういえば、アサド様はどこ?まさか、あなたが・・・」

 

違う。

 

心の中で、アデリーナはそう感じていた。

 

自分で言ったことを打ち消すように。

 

根拠があるわけではなかった。

だが、その能面を着けた女からは、意思のようなものが感じられなかったからだった。

 

「あなた、もしかして、待ってるのね?」

 

部屋の中の空気が、わずかだが変化したように感じた。

 

ロウソクの灯りだけだったことで、返って鋭敏な感覚になっていたのかもしれない。

 

その時だった。

 

「あなたは、いつもそんなふうに、ひとのことがわかったつもりでいるのね?」

 

か細く弱々しい声だった。

だが、皮肉めいた言葉には、アデリーナへの批判的な気持ちが込められていた。

 

「わたしのことを知ってるのね?」

 

アデリーナはまた首をねじってそちらの方を見ようとした。

 

能面の女は笑っていた。

 

うっすらとだが、アデリーナの反応を嘲笑するように声を漏らしていた。

 

「何がおかしいの?」

 

「あなたにも知らないことがあった。いつも自信に満ち溢れたあなたがね」

 

能面の女はさっきよりも笑い声をあげた。

だがその弱々しさに変わりはなかった。

 

アデリーナはじっと息をひそめるように押し黙っていた。

 

「無駄よ。あなたにはわからない」

 

心を見透かされたような怖さをアデリーナは感じた。

 

あの女は私のことを知っている。

だが、私はあの女のことを知らない。

 

どこで接点があったのか?

どんな会話をした?

なぜ会っている?

 

アデリーナには思いつくような記憶が何も出てこなかった。

 

「あなたの、その困った顔を見せてあげたかった」

 

能面の女には見えていないはずの表情。

 

でも、その通りだった。

 

眉間にシワを寄せて困惑していた。

 

アデリーナは、終わりの見えない迷路に迷い混んだような感覚に囚われていた。

 

 

 

 

 

灯里はホテル一階の廊下をとぼとぼと歩いていた。

 

客室以外の調べられるところは、とにかく調べて回った。

 

だが、どこにもアデリーナの姿はなかった。

 

「やっぱりどこかのお部屋にでもいるんでしょうか?」

 

誰にというわけでもなく、思わず口をついて言葉が出ていた。

 

すると、少し前方の部屋のドアが開いた。

 

中から出てきたのは、アロンソだった。

 

ポケットから取り出した携帯を急ぐように耳に当て話始めた。

 

「ええ、はい、わかりました。何かあったのは間違いない」

 

アロンソは厳しい表情で答えていた。

 

そして電話を切って、それを上着のポケットにしまいながら、歩きだそうとした。

 

その時、廊下の真ん中にポツンと立ち尽くしている灯里と目が合った。

 

「何かわかったのですか?」

 

アロンソは、灯里の表情を見て、ほんの一瞬だが何かを考えるような顔になった。

 

「灯里さん?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

灯里の声に緊張が走る。

 

「アデリーナは間違いなくどこかの客室にいる」

 

「そうなんですか?」

 

「今しがた、本部でモニターを確認した。そこには急いでフロントを離れるアデリーナの姿が映っていた。何か緊急の要件が発生して出ていったんだろう。副支配人や他の関係者から呼び出された形跡はない。そうすると、あと考えられるのは客室だけだ」

 

アロンソは、そこで何か言おうとして躊躇した。

 

灯里には、それが自分に言うべきかどうか迷っているように見えた。

 

「アロンソさん?」

 

アロンソは灯里に鋭い視線を向けた。

 

「言ってください。私にできることがあれば何でもやります!協力させてくれませんか?」

 

灯里の目は、ロビーで見ていたいつものものと違って、真剣そのものだった。

 

「これから先は危険なことが起こるかもしれない。それに、あなたにはこれ以上関わる義務もない。それでも・・・」

 

「それでもです!」

 

アロンソは灯里の真剣さに驚きを隠せずにいた。

 

「もしアデリーナさんに何かあったらと思うと、私、どうしたらいいか・・・」

 

灯里の表情は今にも崩れそうだった。

 

「灯里さん、約束してくれませんか?」

 

その言葉に、灯里はうつむいていた顔を上げた。

 

「危険なことには決して近づかない。何があっても必ず誰かに連絡をを入れる。いいですか?」

 

灯里は涙目の顔をパッと明るくさせた。

 

「はい!」

 

その時、アロンソの後ろのドアが開いた。

 

アロンソが振り返った先のドアには〈リネン室〉と表示されている。

 

中から従業員姿の女性が顔を出した。

 

「よかった。刑事さん、まだいたんですね?」

 

「何か?」

 

「先ほど気になることがないか聞かれてましたけど、実は・・・」

 

灯里は、アロンソの背中越しに覗き込むようにその従業員を見た。

 

「たまにあることではあるんですけど、フロントで受けとることになっていたクリーニングを受け取りに来られなかったお客様がいらして、それでこちらに戻ってきたスーツがあったもので」

 

アロンソは前に踏み出すと、思わずビニールに入ったそのスーツを掴んでいた。

 

「スーツを受け取るはずだった客の名前は?」

 

「えっと、アサド様です。705号室の」

 

「チェックアウトは?」

 

「フロントに聞けばわかると思いますが」

 

アロンソは、そのまま走りだそうとした。

 

「あっ、ちょっと待って、刑事さん!」

 

「あ、あのー!アロンソさーん!まだ続きがあるようですけどー!」

 

振り返ったアロンソは灯里に向かって言った。

 

「灯里さん!聞いておいて下さい!」

 

「ええー?!私がですかー?」

 

その後ろでリネン担当の従業員も大きな声を張り上げていた。

 

「あの子、久し振りに会ったんだけど、別によかったのかなー?!」

 

灯里は振り返って尋ねた。

 

「その方って、誰なんですか?」

 

「地味な子であまり印象はなかったんだけど、確か・・・アージア」

 

灯里はアロンソの方を向いて声を張り上げた。

 

「アージアさんという方、ご存知ないですかぁー?!」

 

アロンソは廊下の途中で立ち止まった。

 

「はひっ!」

 

振り返ったアロンソの顔は、表情を失っていた。

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