マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
港の外れにある造船所跡では、銃撃戦がくり広げられていた。
海からボートで乗り付けたライデン一派は、周辺に散らばった手下とともに総攻撃をかけていた。
アダルベルトは、傭兵仲間たちと手慣れた様子であちこちに別れて応戦していた。
だが、どうしても数の点で分が悪かった。
しかも、その傭兵たちはかなり年季の入った顔ぶればかりだった。
アダルベルトの後ろについて移動していたアデルモとアルマは、物陰に隠れて逃げるのに精一杯だった。
すると少し遠く離れた造船所の影から合図を送っている人間の姿が見えた。
その男は、なんとか銃撃の雨をかいくぐってアダルベルトたちのところまでやって来た。
息を荒くしてその場にしゃがみこんだのは、アレキサンドロだった。
「すまない、アダルベルト。少し手間取ってしまった」
「ご苦労だったね。あなたをここまで巻き込むつもりではなかったんだけど」
「協力は惜しまない。そう約束したはずだ」
アデルモとアルマがふたりの会話に何なのかと、アダルベルトの顔をみていた。
「彼には船の用意を頼んでいたんだ。ことネオ・ヴェネツィアに関しては、建築物の修復に携わっていた彼の方が詳しいからね」
だがそのアレキサンドロ本人は、この銃撃戦の状況に険しい表情となっていた。
「しかしこの状況では、ここから逃げるのもかなり難しいのでは?」
「逃げる?」
アダルベルトはアレキサンドロの言葉にすぐに反応した。
「私は逃げるとは、一言も言ってないつもりだが?」
「しかしこの状況では・・・」
アダルベルトは耳のイヤホンに人差し指を押し当てた。
「いや、待て。まだそこまでの状況じゃない」
「どうしたんだ?」
「仲間のひとりが、手榴弾かバズーカー砲の指示を言ってきた」
「バズーカー砲・・・」
アダルベルトとアレキサンドロの会話に、アデルモは茫然となっていた。
「アデルモさん?我々の感覚からしたら、別に特別なことではない」
「でもここはネオ・ヴェネツィアですよ?そんなことをする場所じゃない!」
アデルモの言葉に、アレキサンドロが割ってはいった。
「あんた、今さら何を言ってるんだ?これは、あんたが招いたことでもあるんだぞ?」
「私が招いた?」
「あんたがアイアート・ライデンというケダモノを引き寄せたんだ!」
アレキサンドロは憎悪に満ちた顔で、アデルモに怒鳴った。
「アレキサンドロさん?今はそれよりも、ここからどうやって抜け出すかが、一番我々が考えなければならないことです」
アダルベルトは冷静に語りかけた。
「でもこれでは・・・」
アレキサンドロの周辺にも時折、コンクリートの壁や柱に跳ね返る銃弾の音が響いていた。
それは、そこにいる四人にも危険が迫りつつあることを物語っていた。
「私にいい考えがある」
アダルベルトがぽつりと呟いた。
「私が敵を引き付けておく間に、アレキサンドロさんは、この二人をつれて用意したボートで逃げてくれればいい」
「そしたら、あなたはどうするんですか?」
「私は元来プロの傭兵だ。こういうことは慣れている。それに傭兵といっても、何も戦争ばかりやって来たわけじゃない。守ること、逃げることだって、請け負った来た。仕事だったからね」
「しかし・・・」
「勿論ここは戦場だ。間違いない。それに私にとって最後の戦争になるだろう。それがライデンなら相手に不足はない」
アダルベルトはニヤリと笑って、眩しそうに遠くに視線を向けた。
「アダルベルト。あんたって人は・・・」
アダルベルトは相手の様子をうかがいながら、中腰になってライフル銃を構えた。
「アルマ?あなたを巻き込んだ責任の一端は私たちにもある。だから、せめて罪滅ぼしをさせてくれ。そして、誰かを恨んで生きる人生は、もうこれで終わりにするんだ」
「アダルベルトさん?どうして今になってそんなこと・・・」
アルマがその背中に言葉をかけようとしたとき、アダルベルトはもう走り出していた。
アダルベルトがライフルを続けざまに乱射しながら走り出した途端、残された三人のところにも銃弾の雨が降り注いだ。
アダルベルトは柱や積み上げられた資材の影に逃げ込みながら、三人からどんどん離れていった。
「さあ、次は我々の番だ!」
アレキサンドロは、そう声をかけると銃撃が止んだタイミングで、柱の影から走り出した。
それに続いて、アデルモとアルマも走り出した。
だが次の瞬間、銃声とともに、アレキサンドロは勢いそのままに地面に突っ込むように倒れていった。
反射的に身体を低くして身構えた二人のその先で、アレキサンドロはうつ伏せのまま倒れていた。
身動きひとつなかった。
そして、胸のあたりから赤い液体のようなものが広がっていくのが見えた。
「アレキサンドロさん!」
アルマは思わず叫んでいた。
だが、アデルモはそのアルマの手首を掴んで走り出そうとした。
「早く走るんだ!このままだと撃たれるぞ!」
「でもアレキサンドロさんが・・・」
だが、銃を持った数名の男たちがふたりの方に向かってくる姿があった。
「生け捕りにする必要はないといわれている」
その中のひとりが、わざと二人に聞こえるように言った。
「ライデン!これが血を分けた娘に対してやることかぁ!」
アデルモは怒りに任せて勢いよく立ち上がった。
それを見た男たちが一斉に銃を構えた。
銃弾の雨に撃たれるはずだった。
アデルモの目の前を、疾風の如く何かが通り過ぎた。
次の瞬間、男たちの全てが地面に倒れていた。
アデルモは、訳がわからずその場に茫然と立ち尽くしていた。
そこにいる女性は、その常人とは思えないプロポーションの身体にピッタリと張り付いた黒皮のジャケットとパンツ姿で、涼しい顔をして立っていた。
長い髪は頭の上に巻き上げられ、額のほつれ毛が、いま信じられないスピードでやったことなど微塵も感じさせないように、海からの風に揺れていた。
「命を大切になさい」
その女性は冷静に言った。
「悪いけど、あなたたちには今死んでもらう訳にはいかないの。こちらに協力してもらうから」
アデルモは眩しそうに、そこに忽然と立つ女性に目を細めた。
「あんたは・・・」
そこに背後からアルマが呟いた。
「アレッサンドラ・テスタロッサ。どうして、あなたがここにいるの?」
705号室のドアの前に立って、アヴェリーノは、そのドアをノックしながら中に向かって声をかけていた。
「返事がないようでしたら、中に入ります。よろしいですか?」
少しの間そのまま待ったが、何の返答もなかった。
「この部屋にいるはずだ。それしか考えられない」
アヴェリーノは、ポケットからカードキーを取り出した。
そして、ドアノブにある差し込み口に、その手をゆっくりと近づけて行った。
その時、横から別の手が伸びてきて、アヴェリーノの手首を掴んだ。
「何をしてる?」
驚いたアヴェリーノが咄嗟に顔を上げた先には、鋭い目を向けたアロンソがいた。
「なんですか?」
「質問しているのはこちらだ」
「何って、部屋の中を確認するんですけど?」
「宿泊中のはずだ」
「それはわかっています」
「わかってるなら、勝手には入れないだろ?」
「呼び掛けましたが、返事がなかったので」
そう言って、アヴェリーノはアロンソの掴んだ手を振りほどいた。
「知ってるんだな?」
「何を言ってるんですか?そもそも、あなたはロビー担当の刑事さんでしょ?こんなところで油を売っていていいんですか?」
「あんた、アデルモ総支配人の甥なんだって?」
「それがなんだっていうんですか?緊急事態だっていうから、応援に来てるわけです。悪いですか?」
「悪いわけじゃない。だが、この部屋には、うかつに入ってもらっちゃあ困るんだ」
アロンソは凄みをきかせるように、自らの顔をアヴェリーノに近づけた。
「アデリーナがフロントからいなくなったあと、短い時間だったが、誰もいない時間があった。その時、あんたがフロントに姿を現したのが、ちゃんと防犯カメラの映像に写っていたんだ」
アヴェリーノは少したじろいで後退りした。
「ホテルの仕事をしていて、フロントに顔を出すなんて、当たり前じゃないですか?」
顔が見るからに焦りの色を浮かべていた。
「あの直後から、アデリーナの姿を誰も目撃していない」
「だから」
「そしてあんたは、この部屋の前に立っている。どういう理由でだ?」
「だから、この部屋のお客様から急ぎの用があるっていう呼び出しが・・・」
「いつそれを受けたんだ?」
「だから、さっきあんたが言っただろ?フロントにいたときだ!」
「映像では、あんた、電話に出てなかったが?」
アヴェリーノの顔から、みるみる血の気が引いてゆくのがわかった。
「とりあえず話を聞かせてもらおうか?」
一階のロビーのエレベーターが開くと、アヴェリーノと、その背後に身体を近づけたアロンソが降りてきた。
「あれ?」
それにアールドが気がついた。
「あれは応援くんと無愛想さん」
アガタは、さりげなくディスるように言った。
「アガタさんは、ネーミング番長だね」
「おじさん?ムリして変な言い方しなくてもいいんですよ」
そのそばで灯里がクスっと笑っていた。
「どうしたの?なんか灯里さんに伝言して走って行ったんじゃないの?」
そうだと言わんばかりに、灯里が心配そうにアロンソに顔を向けた。
すると、その前に立っているアヴェリーノが顔を背けるように下を向いた。
「こいつが705号室に入ろうとしていた」
「えっ?どういうこと?」
「それを聞くために連れてきた」
アヴェリーノは、ふてくされたような態度で、辺りをキョロキョロ見回した。
「こんなところでいいんですか?」
「こんなところで悪かったですね!」
アガタが間髪入れずに突っ込んできた。
「そういう意味じゃなくて、人に聞かれてはマズくないですか?」
「なるほど。そうだね」
アールドが納得したようにこたえた。
「じゃあ、奥で」
アヴェリーノはそう言うと、カウンターを回り込んで、奥へと入って行こうとした。
途中、先ほど705号室で使おうとしたカードキーを、ポケットから手を滑らせて、床に落とした。
その瞬間、素早くゴミ箱から何かを掴み出した。
そして誰も気づいてない様子に、そのままカウンターの奥へと進もうとした。
「えっと、何かなぁ?」
アールドがとぼけた口調でそう言った。
「おじさん、なんですか?」
「いやね?その応援くんが、そこで何かを拾ったみたいな感じがしたものでね?あっ、ゴメン。回収したのかな?」
アヴェリーノはポケットに突っ込んだ右手を、そのまま出そうとしなかった。
「何のことだか、ボクには・・・」
「705号室のお客様から緊急の連絡です。行ってきます。アデリーナ」
アールドはシワになっている小さな黄色い紙を広げてそれを読み上げた。
顔色が変わったアヴェリーノは、ポケットから出した同じような黄色く小さい、クチャクチャになった紙を必死になって広げた。
そして、愕然とした顔でそれを見つめた。
それを横から奪うように取り上げたアロンソは目を通した。
「先輩、キャラメル・マキアートでいいですか・・・」
「そうだ!忘れてた!」
アガタが声を上げた。
アヴェリーノは、その場に崩れるように尻餅をついた。
「アールドさん?それって、もしかして・・・」
灯里は戸惑いの表情でアールドに尋ねた。
「灯里さん?これは、アデリーナさんが残した付箋のメモだ」
「アリスちゃーん!」
アリス・キャロルは、サン・マルコ広場のすぐそばの船着き場で、そこで下ろした客を見送っているところだった。
突然声をかけられて、驚いてキョロキョロと周りに見回していた。
人だかりの中、同じ色のユニフオームを着たふたりのウンディーネの姿を見つけた。
いつもの人懐っこい、やわっこい表情の杏と、おしとやかなアトラが、こちらに向かってくるところだった。
「アリスちゃーん!元気ぃー?」
「杏さん、アトラさん、どうしたんですか?」
ふたりはアリスの目の前まで来ると、うれしそうに微笑んだ。
「お久し振りね、アリスさん?」
「そうですね、アトラさん・・・」
「こんな時間に会えるなんて、いつくらいぶりかなぁ?」
杏は無邪気にアリスに話かけていた。
「確かに、こんな時間、ですよね?お二人ともどうしたんですか?」
太陽がまだまだ高い時間に、しかも観光客が溢れ返っているサン・マルコ広場のそばで、ウンディーネ同志が立ち話しているのは、いかがなもんか、といった感じだった。
「実は今日のトラゲットね、午前中でちょっと中断になったの。アリスちゃん、知らなかった?」
「中断ですか?急なことですね。何かあったんですか?」
「そうか。アリスさんは、ずっと観光案内していたから、まだ知らされてなかったのね?」
「それって、どういうことですか?」
「なんかね、ちょっとしたトラブルがあって、念のために街の交通機関をストップさせてるらしいの」
「トラブル?それって結構深刻なことなんですか?」
「何かって、ハッキリしたことはわかってないんだけどね」
「それで、お二人はここにこうしているわけなんですね?」
「そういうことなんだよねぇー」
「でもアリスさんは、このあとも営業ってこと?」
「さあ、まだ何にも聞いてませんので」
三人は、お互いの困惑した顔を見比べていた。
すると、ボートが一艘、結構なスピードで向かってくるのが見えた。
「あれ?あのボート、うちのじゃない?」
アトラが呟いた通り、それは緊急時に出動する、オレンジぷらねっとの救護ボートだった。
しかも、オレンジぷらねっとの従業員でも滅多に見ることのない、いざという時に身を守るために必要な重装備を積んだ、特別仕様のボートだった。
「あれはどう考えても、アリスさんに向かって来てるわよね?」
「わ、わたしですか?」
その言葉のとおり、ボートはアリスのゴンドラのそばまできて止まった。
乗船していた制服姿の乗組員が岸に上がって来ると、アリスの前でビシッと敬礼した。
杏とアトラは、ぞの横で呆気にとられていた。
だがそれ以上に、アリスはポカンと口を開けていた。
「オレンジ・プリンセス殿!アメリア統括部長よりのご命令をお伝えします!」
「ご、ご命令?」
アリスはすぐにアメリア部長の得意気な顔を思い浮かべた。
「よろしいでしょうか?」
「ど、どうぞ!」
「本日、ヒトサンマルマルよりオレンジ・プリンセス殿は、通常任務を解除となり、オレンジぷらねっと本社にて待機任務となります。以上!」
「ヒ、ヒト?マルマル?それは一体なんなんですか?意味がさっぱりワカリマセン!」
どうしていいかわからない状態で、立ち尽くしているアリスの横で、杏とアトラは、感心したようにその光景を見ていた。
「やっぱり扱いが違うのね。私たちとは」
「ちょっとなんとか言ってください!アトラさん!」
「二階級特進は、伊達じゃないわよね?」
「冗談でも止めてぇー!杏さーーん!」
「おい!藍華!そこにいたのか!」
藍華は、姫屋本店のロビーのテーブルのところにため息まじりに、ぼぉーっと座っているところだった。
そこへ急に大声をかけてきたのは、チーフ・ウンディーネの晃・E ・フェラーリだった。
「びっくりしたぁー!どうしたんですか?」
「急に呼び出したりして悪かったなぁ」
「一体なんなんですか?私だって、暇じゃないんですけど」
「わかってるわかってる」
晃は、藍華の向かい側に座ると、脚を組んで目を閉じた。
「緊急事態だ」
「なんか、態度とセリフが合ってませんけど」
「細かいことは気にするな」
「わかりました。それで、なんなんですかぁ?」
「藍華?心して聞いてくれ。今からここは、前線基地となる」
「はぁ?いったい何をおっしゃってるのか、意味がさっぱりわかりませんが?」
「おい!藍華?まだわからないのか?」
「それだけで、わかるわけないじゃないですかぁ!」
「珍しいなぁ。お前が世間に疎いなんてなぁ」
「世間?疎い?私が?」
「そうだ。てっきりお前のことだから、すでに知ってるのかと思ってたんだがなぁ」
「だから、なんなんですか?」
「これだ!」
晃は右手の人差し指と中指を二本真っ直ぐに伸ばすと、右手を支えるようにその下に左手を添えた。
「バキューン!」
「ちょっと晃さん!子供と遊びたいなら、他行ってやってください!いい歳して、何やってるんですか?帰りますよ!」
「オレンジぷらねっととの共同作戦になりそうなんだが・・・」
「ちょっと待ってください!今、オレンジぷらねっとがどうしたとか、言いませんでした?」
「ああ、言った」
「なぜそれを先に言ってくれなかったんですか?」
「そう来ると思った」
晃は目を閉じると、口元を緩めた。
「それで、なんでウチが前線基地なんですか?」
「なんだ。ちゃんと聞いてたんだ」
「もちのろんです!」
「なんだ、それ?」
ネオ・ヴェネツィア特別行政自治区より、各水先案内会社に緊急の通達が出されていた。
一部の港で多数の発砲事件が発生し、その周辺地域を封鎖することとなった。
安全を最優先にするため、主要な交通手段、特にゴンドラでの観光案内とトラゲットは一時運休とするというものだった。
そこで水先案内会社には、街の混乱を避けるため、ウンディーネたちに迂回路や安全地域への案内を協力して欲しいというのだった。
「つまり、連絡本部ってところだな」
「でもそれって、大丈夫なんですか?」
「一応周辺は完全封鎖にするらしい。それにウンディーネは、あくまでも案内役だけだ。細かい説明もしないし、第一関わりようがない」
「まあ、そうでしょうけども。それでオレンジぷらねっとは何をするんですか?」
「会社が抱えているすべての救護ボートを出して、対応にあたるそうだ」
「それってもしかして、最新の、なんか凄いヤツを出してくるんじゃないですか?」
「まあ、あり得ることだな」
「ちょっと、晃さん!ウチも買いましょうよ!最新のなんかを!」
「なんかってなんなんだ?」