マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第五十二話 決着

 

灯里は、アルピーナ婦人が持ってきたコップの水を、なんとか両手で持ちながら口に運んだ。

 

「ありがとうございます」

 

それを少し口に含んだだけで、目の前のテーブルに置いた。

 

それとは対照的に、手にサバイバルナイフを持ったまま、アロンソが部屋の中を必死の形相で歩き回っていた。

 

すると、壁にもたれかかって茫然と座り込んでいるアージアの前で、アロンソはしゃがみこんだ。

 

「どこだ?彼女は、アデリーナはどこなんだ?」

 

アージアの虚ろな目は、目の前のアロンソを見ているようだったが、焦点は合っているようには見えなかった。

 

「おい!」

 

アロンソは思わずアージアの両肩をつかんで、力任せに揺すっていた。

 

「あの人には、アクアの海に返ってもらうのがいいと思った」

 

「何を言ってるんだ!」

 

身体を揺り動かされるまま、アージアの頭が、されるがままに前後に揺すぶられていた。

 

「きっと、アクアの水がキレイにしてくれるはずだから」

 

アロンソは、そうつぶやいたアージアの顔を凝視した。

 

「水?」

 

すると、アロンソは急に立ち上がって走りだした。

 

そして、バスルームの扉を力任せに開けて中に入っていった。

 

水がいっぱいに溜められたバスタブの中にアデリーナはいた。

 

蛇口から少しずつ落ちる水が、今にもバスタブを満たそうとしていた。

 

だがアデリーナの顔が半分近くまで、その水の中に沈み込んでいた。

 

アロンソは、そのままバスタブの中に片脚を突っ込んだ。

 

勢いよくバスタブの水が溢れて出た。

 

両手両足を縛られたアデリーナの身体を抱き抱え、水の中から引っ張りあげた。

 

そして、そのままタイルの床に倒れ込んだ。

 

「おい!しっかりしろ!」

 

アロンソはアデリーナの片方の頬をパンパン叩いた。

 

すると、アデリーナが苦しそうに眉間にシワを寄せ、むせるように息を吹き返した。

 

その様子を見たアロンソは、アデリーナを横向きに寝かせた。

 

アデリーナは咳き込みながら水を吐き出した。

 

アロンソは思わずタイルの床に座り込んでいた。

 

アデリーナは、そばにいる人物がアロンソだとわかると、顔を歪めたまま、ゆっくりと手を伸ばした。

 

そして、びしょ濡れのスーツの袖口を掴んだ。

 

アロンソは、その手をぎゅっと握りしめた。

 

 

 

部屋の中では、灯里の横のソファーに座っているアルピーナ婦人が心配そうに灯里に寄り添っていた。

 

「アデリーナさん、大丈夫だったみたい」

 

それを聞いた灯里は立ち上がろうとした。

 

だが、苦しそうにまたソファーに腰をおろした。

 

「無理しないで、灯里さん?」

 

その時、ドアが開く音がした。

 

ゆっくりとドアが開くと外の廊下の灯りが入り込み、恐る恐る誰かが覗き込む頭が見えた。

 

そして、小声で話す声が聞こえた。

 

「先輩?大丈夫ですか?」

 

アガタが、ゆっくりと足音がしないように忍び足で入ってきた。

 

両手にはスティック型のコードレスクリーナーを持っていた。

 

腰を低くし、それを前に突きだしている。

 

「アガタさん?そんなもの振り回さないほうがいいと思うけど」

 

アガタの後に続いて、アールドが入ってきた。

 

「いいんですぅ!何かあったら、これでやっつけてやりますから!」

 

ドアを閉じたアールドは薄暗い部屋の先を目を凝らして見つめた。

 

「なんかやけに静かだなぁ」

 

そう呟くと、壁の照明のスイッチを入れた。

 

部屋中の灯りが灯った。

 

すると部屋の奥に入ろうとしていたアガタがその場で立ち止まった。

 

「灯里さん!」

 

アガタは灯里の姿を見つけるなり、コードレスクリーナーを横に投げ出し、そばに駆け寄った。

 

「大丈夫なんですか?」

 

「うん、なんとか大丈夫」

 

「心配してたんですよ?予定の30分を過ぎても何も知らせて来ないからぁー」

 

「すみません、ご心配をおかけして」

 

「何を言ってるんですか!灯里さんたらぁー!もうー!」

 

その後ろに立って安堵の表情を浮かべていたアールドは、その横の方の壁にもたれかかって床に座り込んでいるアージアの姿を目に留めた。

 

アージアの前にしゃがみ込むと、ゆっくりと両手首に手錠をはめた。

 

アージアはされるがまま、そこからまったく動くこともなかった。

 

「灯里さん?アロンソはどこ?」

 

アールドは、アージアの虚ろな顔を見ながら、そう声をかけた。

 

灯里が何か言いかけたがしっかりと声にならなかった。

 

代わりに横にいたアルピーナ婦人がそれに答えた。

 

「先ほど、浴室で彼女を見つけたわ」

 

「見つけた?」

 

「大丈夫。安心して。アデリーナさんは無事よ」

 

するとその言葉と同時にアデリーナを両腕で抱き上げたアロンソが浴室から姿を現した。

 

「先輩・・・」

 

それを見たアガタが目に涙を浮かべてその場に立ち上がった。

 

目を閉じた、苦しそうな、やつれた顔のアデリーナを見てアガタは、心配そうにゆっくりと近づいて行った。

 

「先輩!」

 

そして、だらりと力なく下がったアデリーナの腕に思わずしがみついた。

 

「死んじゃイヤですぅー!」

 

どこかに電話していたアールドが、その叫び声に驚いてそちらに目を向けた。

 

「あっ、違うんです!大丈夫なんです!」

 

「ああー先輩ぃー!」

 

「本当なんですよ!」

 

「なんでなんですかぁー!先輩が~なんでぇ~こんな目に合わなきゃいけないんですかぁ~~!」

 

「あっ、いや、大丈夫なんですって!」

 

「せんぱい~~!」

 

「本当なんです!嘘ついてもしょうがないじゃないですかぁー!」

 

「ああ~~~」

 

「信じて下さいよ~~!」

 

すると、アデリーナがうっすらと目を開けた。

 

「先輩!気がついたんですか?」

 

「アガタ?」

 

「なんですか?なんでも言ってください!何か欲しいものでもありますか?」

 

「アガタ?」

 

「はい!」

 

「今、いいところだから」

 

「はぁ?」

 

うっすらと微笑んだ顔でそう言ったアデリーナの言葉を聞いて、アガタはその意味に気がついてアロンソを睨み付けた。

 

アロンソは何もなかったように、横を向いた。

 

「もう~~~~~!」

 

 

 

 

ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーの周辺は、騒然となっていた。

 

ネオ・ヴェネツィアの観光スポットとして注目されていたホテルで、いったい何が起きたのかと多くの人たちが取り囲んでいた。

 

正面玄関には多くの警察車両が停まり、派手に赤色灯を回転させていた。

 

厳戒体制になっていることを示すように、黄色い規制のテープが張り巡らされ、警察官が厳重に見張っていた。

 

そことは反対の、関係者出入口となっている裏口の方には、こちらも何台もの救急車が停車していた。

 

すべての救急車のバックドアが両側に開け放たれ、すぐにでも出発できる準備が整えられていた。

 

そこにストレッチゃーに乗せられたアデリーナが運ばれてきた。

 

乗せられた車両にアガタも一緒に乗り込んだ。

 

そのあとから灯里を乗せたストレッチゃーも出てきた。

 

そこにはアルピーナ婦人が付き添っていた。

 

それを止めようとした警察官を、アールドが制した。

 

それに微笑んだアルピーナ婦人が振り返った。

 

「逃げも隠れもしないから」

 

二台の救急車は続けざまに出発した。

 

アロンソとアールドは、その様子を並んで見送っていた。

 

やれやれといった表情で、アールドは頭を掻いた。

 

「ところで、あんたはいいの?一緒に行かなくて?」

 

アロンソは、けたたましい音を鳴らしながら走り去る救急車の姿を目で追っていた。

 

「ああ」

 

「そうなんだ」

 

すると、ふたりの背後の従業員出入口から、両脇を刑事たちに抱えられたアージアが姿を現した。

 

歩くのがやっとといった状態のアージアは、手錠をかけられたまま、もう一台の救急車に、刑事たちと乗り込んでいった。

 

「いろいろと検査を受けるんだとさ」

 

アールドは何かスッキリとしない表情で、そうつぶやいた。

 

「それと、ネオ・ヴェネツィアのとある運河で、ボートの上で男の死体が見つかったって。風体からあの705号室のアサドらしい。しかも、射殺されてた」

 

「アージアがそのアサドからの指示を待ち続けていた」

 

「そうだろうね。連絡も指示も、もう何も届くことはなかったんだよね。虚しい復習劇だったってことだよ」

 

アールドは少し感傷に浸っていた。

 

その横でアロンソがその様子を見ながら、アールドに向かって言った。

 

「それで、あんたはどうずるんだ?」

 

「どうするって、何が?」

 

「さっき、どこに電話してたんだ?」

 

「どこって、そりゃあ本部に決まってるでしょ?」

 

アロンソが顔を向けた先で、アルフ捜査官が深刻な表情で電話をしていた。

 

「捜査官ならそこにいる」

 

「ほんとだね。忙しそうだ」

 

「で?」

 

「で?ってなんだよ!」

 

「言わないつもりなんだな」

 

「な、なんだよ」

 

「じゃあ、あの話はなかったことでいいんだな」

 

「話し?なんの?」

 

「あの夜、あんたにホテルまで来るよう頼んだとき」

 

「ああ、あの夜でしょ?アガタさんと会うように電話してきたとき・・・」

 

アールドはそこで重要なことに気がついた。

 

「ちょっと、待ってよ?」

 

「おれに協力する代わりに、取引したけど」

 

「ああ!」

 

アールドは焦った顔でキョロキョロと辺りを見回した。

 

「いいんだよな?」

 

「ちょっと!それはないんじゃない?」

 

「じゃあどうする?」

 

「わかった!わかりましたー!降参ですぅー!アロンソ様!」

 

アールドはアロンソの背中に手を回すと、振り返って、なにやらコソコソと話始めていた。

 

「おい!お前たち!そこで何やってんだ?」

 

ビクッとしたアールドが、ゆっくりと振り返った。

 

そこには、アルフ捜査官が浮かない表情で立っていた。

 

「いやー捜査官?ご苦労様です」

 

「何コソコソやってんだ?」

 

「そんな、いい歳した大人がコソコソだなんて。それより、捜査官こそ浮かない顔して、どうかしたんですか?」

 

アルフは遠くを見つめるように空を見上げた。

 

「クレーム」

 

「クレーム?誰からですか?」

 

「あの人、見た目はすごく優しそうなのに、なんか怖い」

 

「怖い?捜査官が?」

 

「なんでなんですかって、すごく冷静に理詰めでくるんだよ」

 

「理詰め?」

 

「そう。あのゴンドラ協会の、お美しい理事様が・・・」

 

「それって、もしかしてアリシア・フロー・・・」

 

「顔を出せって言ってきた」

 

「言ってきたって、捜査官に?」

 

「ああそうだ!灯里さんの身の安全の保障を約束したじゃないか!ってな具合で・・・」

 

「まあそうですねぇ。約束したんなら、仕方がないんじゃないですか?」

 

「おい、ちょっと待て!忙しいから応援を頼んだらしいじゃないか?誰が頼みに行ったんだ?」

 

「誰って言われても・・・」

 

「アールド!」

 

「は、はい!」

 

「お前が代わりに行ってこい!」

 

「ええー?!」

 

助けを求めようと振り返ったが、すでにアロンソの姿はなかった。

 

「なんか、損してるぅー!」

 

 

 

 

埠頭沿いの海を一台のボートが疾走していた。

 

黒く日焼けした顔は、その実年齢が想像できないほど、力がみなぎっているようだった。

 

勢いよく風を受けた顔は目を細めていたが、怯むことはなかった。

 

そのボートの少し後方からヘリコプターが接近していた。

 

激しいヘリの爆音が、みるみる近づいてくる。

 

しかも、そのヘリの下には長いはしごのようなものが吊り下げられていた。

 

そして、その一番下のところには人がしがみついている姿があった。

 

その勇敢な姿はさながら、たてがみを風に吹かれて疾走するライオンのようだった。

 

アレッサンドラ・テスタロッサは、眼下に見えるボートに、その燃えるような目でロックオンしていた。

 

だが、そのボートの進む先に目が行くと、顔色が変わった。

 

大きな運河の入り口が見えていた。

 

〈あそこに入られると、ネオ・ヴェネツィアの市街地へ入り込まれてしまう!〉

 

そうなると、いくら人間場馴れしたアレッサンドラでも、うかつに手を出せなくなってしまう。

 

どんな被害が及ぶかわからない。

 

それに・・・

 

アレッサンドラは、ヘリの操縦士に指示を出した。

 

すると、ヘリは速度を上げて、ボートの前に回り込もうとしていた。

 

〈あいつには絶対ネオ・ヴェネツィアの土を踏ませない!〉

 

だが、その瞬間、銃声が轟いた。

 

そして、アレッサンドラの掴まっていたはしごの片方がプツンと切れた。

 

アレッサンドラは一気にバランスを崩し、絶体絶命の状態になった。

 

アイアート・ライデンが自ら操縦するボートから、ライフルを構えるアガシが姿を現した。

 

「あの女狐め!なんてしぶといんだ!」

 

アレッサンドラは片方の切れたはしごにしっかりとしがみついていた。

 

アガシは揺れ動くボートの上で、しっかりとライフルを構えた。

 

そして引き金を引いた。

 

だが、それに反応するようにアガシは身を屈めた。

 

アガシが目を向けた埠頭には、ボートと平行して走るジープの姿があった。

 

そのジープにはアガシに狙いを着けた男がライフルを構えて立っていた。

 

迷彩柄のアーミースタイルで決めたアダルベルトが、自分の身体をシートにくくりつけてライフルを構え、ピタリとアガシに狙いを定めていた。

 

「あんたが相当の腕の持ち主なのはわかるが、それも今日で見納めだ!」

 

アダルベルトが撃ってくるのに応戦するように、アガシもライフルを撃ち続けた。

 

だが、今度は上空のアレッサンドラも銃撃を始めていた。

 

器用に脇に挟んだライフルで撃ちまくっていた。

 

「バケモノか!あの女!」

 

アガシは両方からの銃撃に耐えられず、逃げるように海に飛び込んだ。

 

だがライデンはそれには一切構わずにボートを走らせていた。

 

もう後がないと判断したライデンは、その先に見えてきた運河に入り込もうと、必死にボートの操縦かんを握りしめていた。

 

だが、ヘリの音がボートの真上に接近した瞬間だった。

 

ライデンの目の前で、たてがみを風になびかせた、その美しきライオンがボートの上に降り立っていた。

 

燃えるような瞳が、圧倒的な威圧感で迫っていた。

 

「勝負あった!ジタバタするんじゃない!」

 

ライフルから拳銃に持ち変えていたアレッサンドラは、ライデンに照準をピタリと合わせていた。

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