マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第五十三話 夢をみるとき

 

灯里は、ぼんやりと目を開けた。

 

そこに見えるのが、白い天井と照明の灯りだとわかった。

 

周りを見回したが、見慣れない光景に戸惑いが顔に浮かんでいた。

 

その時、ドアをノックする音がした。

 

灯里はそこで、自分がどこかの部屋の中で寝ていることに気がついた。

 

ドアがゆっくりと開いてゆく。

 

「灯里さん?」

 

そう言った男は、中を覗き込むようにしながら静かにドアを開けていった。

 

そこでベッドの上の灯里がドアの方に顔を向けた。

 

「あっ、ゴメン。起こしちゃった?」

 

アールドは、気を使うように部屋の外から声を小さくして話しかけた。

 

「アールドさん?」

 

「うん。いいかなぁ、入っても」

 

「どうぞ」

 

灯里は、まだはっきりしない表情で答えた。

 

「どうなの?」

 

「えーと、そうですねぇ・・・」

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

「あの~~」

 

「なに、灯里さん?」

 

「ここどこですか?」

 

「ああ、そこね」

 

アールドは表情を崩すと、ドアを途中まで閉めながらゆっくりと話した。

 

「ここは病院だよ。灯里さん?ほら、ホテルでさあ、ちょっと大変なことがあったでしょ?あれで様子を診るために、少し入院することになったってわけ」

 

「ホテルで、大変なこと・・・」

 

灯里はアールドの言葉を繰り返した。

そして、見上げた天井に目の焦点が少しずつ合ってくると、顔つきが変わり始めた。

 

「確か、お部屋にお届け物をして、そこで中に入って・・・」

 

「そうだね。アロンソがワゴンの下に隠れてさぁ、何かあったらすぐに出ていくって言ってたくせに」

 

「そうだ!」

 

「ナニ?」

 

「どうなったんですか?」

 

「だから、灯里さんがアルピーナ婦人を助けようとして、3人で揉みくちゃになって」

 

「アージアさんは?アージアさんは、あれからどうなったんですか?」

 

アールドは、心配そうに話す灯里の顔を見ながら、八の字に眉を下げて呟いた。

 

「なんでさぁ、自分の首を締めた人の心配なんかしてるのかなぁ・・・」

 

 

 

 

アールドは、壁際にあったイスをベッドのそばにおいて腰かけた。

 

灯里は、まだ少し虚ろな表情で天井に目を向けていた。

 

「アージアは、彼女は今、検査入院してる。別の病院だけどね」

 

「そうなんですね」

 

「重要参考人だからね。ホテルの脅迫事件やアデリーナを襲った一件、ライデンの手下とも関わっていたし。結構な重要参考人だよね」

 

「アデリーナさんは?」

 

「彼女も入院してる。彼女はここの病院だから、時期が来れば会えると思う。ただ、騒がしいのが、付きっきりだけどね」

 

「アガタさんですか?」

 

「ご明答!」

 

灯里はクスッと小さく笑った。

 

「アガタさんにも会いたいです」

 

「心配しなくても、そのうちやって来るから。耳栓用意しておいた方がいいかもよ」

 

「はい、そうします」

 

「灯里さん、言うねぇー!」

 

ふたりは顔を見合わせて笑った。

 

「ところでさぁ、灯里さん?」

 

灯里は、少し表情を変えたアールドの方に顔を向けた。

 

「少し気になることを聞いたんだよねぇ?」

 

「なんですか?」

 

「あの時、僕がアガタさんと705号室に入った時、すでにアージアは壁にもたれて座り込んでたんだけど、なぜ、あーなったの?」

 

「なぜって、アロンソさんがアージアさんを捕まえて、それで・・・」

 

「うん、それは聞いてる。でも彼女、結構興奮してたって。それで灯里さんを盾にしたってことだったわけでしょ?アロンソはアデリーナさんがどうなっているかがわからないうちは、出るかどうしようか迷ったらしいんだけど、状況が危なくなって出たって言ってた」

 

「そうだったんですか・・・」

 

「僕が聞きたいのはそこじゃなくて、その前のこと」

 

「その前ですか?」

 

「つまり、アージアがなぜ、ためらったのかということ。アルピーナ婦人は、アージアが灯里さんの名前を聞いた途端、驚いて灯里さんの顔を確かめたって言ってたんだよね?それってもしかして、アージアは灯里さんのことを知ってたってことだよね?」

 

「そう・・・だったんですね」

 

灯里は考え込むように、天井を見つめた。

 

「それにアルピーナ婦人が、もうひとつ気になることを言ってたんだけど。灯里さんがしきりに、手を振ってたとか、誰かのことを言っているようだったとか・・・」

 

灯里はそれには答えようとしなかった。

 

アールドは言葉を続けようかどうしようか迷いながら、灯里の横顔を見つめた。

 

すると灯里がポツリとつぶやいた。

 

「不思議だったんです」

 

「どういうこと?」

 

「あの時、私も忘れていたことを、思い出したんです」

 

灯里は、シングルに成り立ての頃、ある少女と出会ったときのことをアールドに話した。

 

じっと海を見つめていた少女とサン・ジョルジョ・マッジョーレ島へ渡ったこと。そこにある鐘楼に登って、対岸の景色のすばらしさに思わず見とれていたこと。そして夕陽に染まるサン・マルコ広場の大鐘楼を目指して帰ったこと。そして・・・

 

「つまり、その時の少女がアージアだってこと?」

 

「わかりません。だいぶんと前のことなので。でも、一緒に見ていたから。だから、アージアさんもわかったと思うんです」

 

「それ、どういうこと?」

 

「あの時の光景を、アージアさんと見てたんです」

 

「ちょっとゴメン。わかるように話してくれる?」

 

「私にもわかりません。でも確かにアージアさんと一緒に同じ光景を見ていました。それだけは、はっきりとわかったんです」

 

「つまり、その少女がアージアで、一緒に体験したことを、その時、同時に思い出したってことなの?」

 

「たぶん」

 

「たぶんかぁ・・・」

 

アールドは思わず後頭部を掻いていた。

 

「それで、どうなったわけなの?」

 

「それが・・・」

 

灯里は少しためらうような表情になっていた。

 

「今となっては確かなことだとは言えないのですが、誰かが手を振っていて、それは明らかに私の目の前に座っていた女の子に向けてだったと・・・」

 

「それは誰かわからないの?」

 

「すごく眩しそうにしていて、でもとっても笑顔が印象的で・・・それはわかったんですけど」

 

「そうか。だから灯里さんはアージアに尋ねたんだね?アージアならそれが誰かわかったんじゃないかと」

 

アールドは、何か少し納得したような仕草をした。

 

それを見た灯里は、アールドに真剣な顔で見つめた。

 

「何か知ってるのですか、アールドさん?」

 

「うーん、そうだなぁ。灯里さんはそれ以上、その時のことは思い出せないんだよね?」

 

「はい。それ以上は・・・すみません」

 

「謝らなくてもいいんだよ。ただね、ずっと気がかりだったんだよね。なぜ、アージアは思いとどまったのか。灯里さんの名前を聞いた途端様子が変わって、しかもふたり同時に忘れていた記憶を思い出すなんて。なんなんだろうってね」

 

「はぁ」

 

灯里は力の入らないため息をもらした。

 

「ただね、灯里さんの記憶に残っていた最後のシーン。それを聞いてもしかしたらって、思うところはあるんだよね」

 

アールドは、灯里の方をチラッと見た。

 

灯里はアールドの話しかけた言葉に、真剣な眼差しを向けていた。

 

それを見たアールドは、思わず苦笑いの表情で後頭部を掻いていた。

 

「まあ、あんまり細かいことまで話すのはどうかと思うんだけど・・・まぁ、いいか!灯里さんだし!」

 

「ええー!どういうことなんですかぁ?」

 

今度は表情の崩れた灯里の顔を見たアールドは、うれしそうにニヤリと笑った。

 

「多分なんだけど、アージアもその日、ネオ・ヴェネツィアから招待された子供のひとりだったんだと思う。彼女も孤児院で育ったんだ。だからその日出会った。灯里さんとね?」

 

「そうだったんですか・・・」

 

「彼女が生まれてからしばらくして母親は亡くなっている。父親とはもっと前に離ればなれになっていたから、その存在すら知らない。だけど、そんなアージアの父親代わりになっていた男がいたんだ。時折孤児院にやって来るその男を、幼いアージアは父親だと思っていたんだと思う。でも状況が一変した。ある事情で、会うことも一切なくなってしまった」

 

「どうしてなんですか?」

 

「灯里さんもそう思うよね?なんでそんな可哀想なことをってね。実はその親代わりをしていた男は、アージアの本当の父親から目をかけてもらっていて、裏切るわけにはいかなかったんだ。だから、その実の父親がアージアとの繋がりを、母親が亡くなったことをいいことに切ってしまおうと思った。だから、父親代わりをしていた男も会うわけにはいかなくなった。会っていたら、それは裏切りになってしまうからね」

 

「そんなぁ・・・」

 

灯里は悲しそうな顔でアールドを見つめていた。

 

「でもね、本当は面倒を見ていたんだよ。内緒でね。だから、大きくなって、看護師の仕事についたのを知って、とても嬉しかったらしいんだよね」

 

「えっと、アールドさん?」

 

灯里はさっきまでの表情とは一変、少し不思議そうな顔になっていた。

 

「だけど、途中から歯車が狂いだしたんだ」

 

「だから、あの、なんでそんなに・・・」

 

「えっ、ナニ?」

 

「ああ、いーえ、どうぞ続けてください!」

 

アールドの詳し過ぎる話に、灯里は苦笑いするしかなかった。

 

「それでね、ある時、そのアージアがホテルの仕事を始めたんだ。なぜそんなふうに仕事を急に替えたのかなって思ったんだけど、先程の灯里さんの話を聞いたときに、ちょっとぴんときたんだよね。それってもしかして、その時の記憶が原因になってたのかなぁなんて思ってね」

 

「それって、もしかしてネオ・ヴェネツィアがきっかけということなんですか?」

 

「そうかもってこと。でもね、そのことがアージアの気持ちを狂わせることなるんだよね」

 

「どういうことなんですか?」

 

「そこで、あのエレノア財閥のご当主が登場となるわけ」

 

「アリーチェさんがですか?」

 

「そういうこと。灯里さんも知っての通り、お側付きのメイドであるアルマを気に入っていたアリーチェさんは、身寄りのない彼女を哀れんで色々と調べた。もちろん善意だったわけだけど。そこで結果としてアルマの生まれの秘密を知ってしまう。しかも妹の存在という事実まで知ることとなる」

 

「よくなかったように聞こえますが?それって、家族が見つかったということになるんじゃないんですか?」

 

「それだけで終わってたらなんだけどね」

 

灯里は不安と困惑を同時に抱えた表情になっていた。

 

「父親代わりをしていた男は、自分の力を使ってアージアを自分が支配人を務めるホテルに採用する。ほんとはそこまでの実力はなかったんだけど。そこで、運命の出会いをすることになるんだ」

 

「あのー、もしかして、そのホテルって・・・」

 

「わかった?」

 

「はい。つまり、再会をしたってことなんですよね?」

 

「灯里さん?そんないい話だったら、今回の事件はそもそも起こらなかったんじゃない?」

 

「そう言われてみると、確かに・・・」

 

「運命の出会いをしたのは、父親代わりの男と一緒に、裏切りの存在とも言うべき人物とも」

 

「どういうこと・・・」

 

灯里は、自分でも気がついたことを、考えたくはない気分だった。

 

「そうなんだよね。アデリーナさんは、彼女たち姉妹にとって、父親だと思い込んでいたアデルモ氏の、裏切りの象徴だった。アデリーナさんは、アデルモ氏にとって、唯一の本当の娘だったからね」

 

それを聞いた灯里は、これ以上ないくらいに大きく目を開けていた。

 

「えっ!アデリーナさんて、支配人さんの娘さんだったんですか?」

 

「えっ!て、どういうこと?知らなかったの?」

 

「いつからそんなことになってたんでしょうか~~?」

 

「結構前からだと思うけど」

 

「そうか。どうりで大変なことだったんですね~~」

 

「なんなんだろう、この人って」

 

 

 

灯里は、ベッドの上に起き上がって、大きなクッションを背に座っていた。

 

アールドがやって来たときよりも、しっかりとした表情になっていた。

 

「灯里さんは、どう思う?」

 

アールドは、灯里の横顔に向かってたずねた。

 

「やっぱりあれは、あの手を振っていた人って、支配人さん、アデルモさんだったってことなんでしょうか?」

 

「結論からすると、そういうことになるんだろね。アージアは、自分はひとりきりだと思っていたのに、姉がいることを知った。しかも、幼い自分を捨てていなくなったと思っていた男には、別に娘がいて裏切られたと思っていた」

 

「だとすると、あの笑顔はなんだったんでしょうか?あんなにもやさしそうで、あんなにも温かい気持ちになる笑顔って・・・」

 

アールドは、それを聞いて少し下を向いてしまった。

 

「アールドさん、どうされたんですか?」

 

「灯里さん?僕は仕事柄、いろんな人の人生を見ることには慣れてるつもりなんだけど、こういうのって、ちょっと辛くなるんだよね」

 

「どういうこと・・・」

 

「その男の人が手を振っていたという光景なんだけど、もしかして、アージアの夢だったりするんじゃないかと」

 

灯里は驚いた表情でアールドの方に向いた。

 

「でも私も見ました!あの時、アージアさんと見たんです!」

 

「でも灯里さんには、顔がわからなかったんだよね?」

 

「だって、その時はまだ、支配人さんとは会ってなかったから・・・」

 

「逆だよ、灯里さん?知らない人だからこそ、何かイメージくらい残っていてもいいんじゃない?」

 

「だから、とても笑顔で、とてもやさしそうで・・・」

 

灯里の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 

「それじゃあ、アージアさんと会ってたのは、あれも夢だったんですか?私の記憶ではないんですか?」

 

「それはわからない。灯里さん自身も忘れてたって言ってたよね?何かのタイミングでふたりの記憶が重なってしまったとしかいいようがない」

 

「でも、アージアさんは、私の名前を聞いて何かを思い出したって、アルピーナさんがいってたんですよね?」

 

「確かにそうは言ってたね」

 

「それじゃあ・・・」

 

「灯里さん?大丈夫?」

 

灯里はうつ向いて涙をポロポロ流していた。

 

「そんなの、悲しすぎます」

 

アールドは大きなため息ををついて、また後頭部をかいていた。

 

「灯里さんとアージアが見た光景は、アージアが幼い頃から望んでいた光景だったのかもしれない。でもそれと灯里さんが繋がった。それはアージアにとって、ただの夢でなくて、誰かと一緒に見たことで真実になったのかもしれない」

 

「でも・・・」

 

「灯里さん?誰でも夢は見るものじゃない?僕は時々それでもいいんじゃないかって思うときがあるんだよ。だって、それがその人にとって、救いになるんだったらってね」

 

アールドは、ポケットから出したハンカチを、そっと灯里に差し出した。

 

それで鼻をかんだ灯里は、まだ目に涙を浮かべながらアールドに向かって言った。

 

「アールドさんのお話しは、夢ではないんですよね?」

 

「ナニ?いきなり」

 

「なんでそんなに、色々とお詳しいのですか?ちょっと、おかしくないですか?」

 

「おかしいって、どういうこと?刑事だよ、これでも」

 

「いったい誰なんですか?アールドさん!」

 

灯里は、まだ潤んだ瞳でアールドをにらんで見せた。

 

「誰って、なんに見えるって言うの?」

 

「宇宙人!」

 

「まあ確かに、アクア生まれだからね。マンホーム出身の灯里さんからすると、間違ってないというか・・・」

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