マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第六十一話 教会の浮かぶ島で

 

水無灯里は、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼の前で立ち止まると、高く上の方を見上げた。

 

後ろの方からは、息を弾ませてアーニャがやってきた。

 

「灯里さーん!ちょっと待ってくださーい!」

 

灯里に追いついたアーニャは、その上の方を見上げている背中に話しかけた。

 

「アリス先輩から不審者じゃないことを説明するよう頼まれましたけど・・・灯里さん?」

 

「アーニャちゃん?」

 

「はい、えっと、どうかされましたでしょうか?」

 

「まだいるかなぁ」

 

「先ほどの女性の方ですか?うーん、どうでしょうかぁ~」

 

「じゃあ、見てくる」

 

「えっ、灯里さん?」

 

灯里は、アーニャの心配を気にすることなく、そのまま歩きだした。

 

鐘楼の入り口に立っている男性が、灯里の姿を見て一歩前に出てきた。

 

「あ、あのー、こちらの方は、けっして不審者ではなくてですね・・・・」

 

アーニャは、あたふたして説明に必死になっていた。

 

「灯里ちゃんじゃないか?久し振りだねぇー!」

 

「あれ?」

 

その男性は、灯里に笑顔で話しかけてきた。

 

それも相当親しそうに・・・

 

「お久し振りです。お元気されてました、司祭さま?」

 

「灯里ちゃんこそ元気そうで何よりだねぇ」

 

「あ、あの、シサイサマ?」

 

アーニャは二人の会話の前で、頭の上にはてなマークを浮かべていた。

 

そんなアーニャに、灯里は振り返って説明した。

 

「こちらは、教会の司祭さま。教会で何か行事があるときは必ず来られる、とても重要な立場の方です」

 

「そんなジューヨーな方がどうしてこんなところに・・・」

 

「なんでも手伝うのが私の流儀でな。こういうときは少しでも人手が必要じゃろ?」

 

司祭は親しげにアーニャに答えた。

 

「はぁ、そうなんですか・・・」

 

「あなたもお忙しいのにご苦労様ですな」

 

「あっ、初めまして!オレンジぷらねっとのアーニャと申します!」

 

灯里と教会の司祭は、アーニャの挨拶をにこやかに聞いていた。

 

「ところで司祭さま?赤ちゃんを抱いた女性の方が来られませんでしたか?」

 

「うん、先ほど来られたなぁ」

 

「その方は?」

 

「上がってもらったよ」

 

「そうなんですね!」

 

「なんじゃ?灯里ちゃんの知り合いだったかな?」

 

「そうなんです!」

 

「そうかそうか!じゃあ行っておいで」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

灯里は弾んだ声で鐘楼の中に入っていった。

 

「ああ~」

 

アーニャは開いた口が塞がりそうになかった。

 

「これがいわゆる、アリス先輩が言ってた〈でっかい友達作りの達人〉ていうやつなんだ」

 

アーニャはそうつぶやくと、くるりと振り返って、軽快に歩き出した。

 

そして、ふと立ち止まると鐘楼の入り口の方にまた振り返った。

 

司祭がにっこりと笑って、小さく手を振っていた。

 

 

 

 

灯里は、いつかの出来事を想い返していた。

 

なぜか、何も躊躇せず、そして疑うこともなく、ひとりの少女と登ったあの時のことを。

 

階段を登りながら、途中窓から見える風景が段々と遠くまで見えてくる。

 

それを眩しそうに眺めながら。

 

すると、美しい歌声が聞こえてきた。

 

教会の島に響き渡るその歌声が、鐘楼の中にまで響いていた。

 

「始まったんだ。アテナさんのコンサート」

 

灯里はその歌声を聞きながら、鐘楼の最上階を目指した。

 

すると、その一番高いところに近づいたところで、赤ちゃんのはしゃぐような声が聞こえてきた。

 

それは、まるでアテナの歌声に反応しているようだった。

 

灯里は、まだはっきりとわからない、そこにいる誰かに鼓動が早まるのを感じていた。

 

階段から明るい空が見えてくる。

 

窓のそばには、赤ちゃんを抱いた女性が立っていた。

 

優しくほほえむその横顔は、明るい陽射しの下、子供を抱く母親の顔そのものだった。

 

だが、灯里にはそれが誰なのか、わからなかった。

 

階段を上がりきったところで立ち尽くす灯里に、その女性は気がついて振り返った。

 

「灯里さん?」

 

灯里は、そうたずねる女性の顔をじっと見つめた。

 

「あの、もしかして・・・」

 

「灯里さん、お久し振りね。わかる?私のこと」

 

その女性は、まだぼんやりとした灯里の表情を、楽しそうに微笑んで見つめた。

 

「もしかして、アデリーナさんですか?」

 

「もしかしなくても、私よ」

 

灯里の顔にいっぺんに笑顔が溢れた。

 

それを見たアデリーナも、喜びを溢れさせていた。

 

「お久し振りです!アデリーナさん!」

 

「ホントにお久し振りね。かねがね活躍ぶりは耳にしているわ」

 

「ええー!なんて言ったらいいでしょう~~」

 

「フフフフ」

 

照れ臭そうに笑った灯里の目は、アデリーナに抱かれている赤ちゃんに向けられた。

 

「かわいい!おいくつですか?」

 

「先日一歳になったばかりよ」

 

「そうなんですかぁー!って、結婚されたってことですか?」

 

「そうよ」

 

「いつですか?」

 

「この子が生まれる、ちょうど半年ほど前に」

 

「そうだったんですかぁー」

 

灯里は思わず赤ちゃんの顔を覗き込んでいた。

 

「あの~、旦那さまはどなたか聞いてもいいですか?」

 

「アロンソ」

 

「そうなんですねぇー」

 

 

 

 

 

「灯里さんはあれから何か変化あった?」

 

「そうですねぇー。変化といえば、わたしにも後輩ができました!」

 

「そうだったわね。かわいい後輩さんね」

 

「そうでした!もうすでに会ってたんですよね?」

 

「会ったわ。とてもいい方ね。私の様子をみかねて、ここまで送りましょうかって言ってくれたわ」

 

「アイちゃん、やっぱり・・・」

 

「もちろんお断りしたわ。まだペアのウンディーネだったしね?」

 

「ス、スミマセン。ちゃんと教育しておきますぅ~」

 

アデリーナは灯里の恐縮した顔に嬉しそうに笑っていた。

 

「そうか。灯里さんもいよいよか・・・」

 

「アデリーナさんは、ホテルの方はどうされたんですか?」

 

「今は育児休暇中ってところかな」

 

「じゃあ今ホテルは?」

 

「もちろん彼女がしっかりと守ってくれているわよ」

 

「彼女って、もしかして・・・」

 

「アガタよ」

 

「そうなんですね!」

 

「私が帰ってくるまで、絶対に自分がこのホテルを守るって」

 

アデリーナの穏やかな顔に灯里はなんだか幸福感を感じずにはいられなかった。

 

だがアデリーナは、少し違うようだった。

 

「アデリーナさん?何かあったんですか?」

 

アデリーナは子供の顔を見ながら、何か複雑な心境のようだった。

 

「ここに来れば、きっと灯里さんに会えると思ったの」

 

「どういうことですか?いつお店の方に来ていただいても大歓迎ですよ」

 

「ありがとう。でも、ここじゃないと意味がないの」

 

「ここ、ですか?」

 

「実は私、ここに来るのは今日が初めてなの」

 

「そうなんですか?」

 

「ここへ来るには、少し勇気が必要だったから」

 

 

 

 

「一度はここへ来る必要があると思ってた。でもそれを受け入れるには、あの頃の私には無理だったの」

 

「あの頃?」

 

「そう、あの頃。あの事件のあと、あれこれいろいろとあって、すぐには日常には戻れなかった。特に私の置かれた環境は、とても複雑で、どう受け入れていいのか、困惑していた。でも、ホテルを立て直すのに必死で、悩んでなんていられなかった。今から思うと、そんな忙しさが、救いになってかもしれない」

 

「アデリーナさんにもいろいろあったんですね」

 

「ほんとに、いろいろとね。今では、ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーに残っているメンバーであの頃の人は、私とアガタだけになったわ」

 

「そうなんですか?」

 

「アリーチェ・オーナーが、すべて人事を刷新してしまったの。残ったのは二人だけ」

 

「はぁ~すごいですぅー!」

 

「ほんとに」

 

 

 

 

「あの時の事件に関わっていた人たちは、それ相応の裁きを受けることになった。ただ、それぞれに動機があったから、そこは聞き入れてもらったみたい」

 

灯里は黙ったまま、真剣な眼差しで聞いていた。

 

「ただ、その原因を作ったのはアデルモだったから、本当は私が何も言える立場じゃないけど」

 

「アルピーナ婦人は、どうなったんですか?わたし、未だに信じられないんです。婦人が中心にいたってことらしいですけど」

 

「アルピーナ婦人の亡くなったご主人が、アデルモと同じホテルで働いていた時に、トラブルがあったようだった。アデルモはその頃からこの業界を転々としていたから、残されたご主人が相当苦労されたという話で。破産寸前まで追い込まれたということだった」

 

「そんなことが・・・」

 

「おそらく婦人は、灯里さんのような人には話すつもりはなかったんでしょう。決して自慢できる話ではなかったし、灯里さんとは、ネオ・ヴェネツィアの将来や夢を語り合いたかったんだと思う」

 

「私と・・」

 

「アダルベルトさんは、そんなご主人にお世話になったという話だし、アレキサンドロさんも奥様への思いがあった。だから、アダルベルトさんやアレキサンドロさんも、決して犯罪を進んでやろうとした訳じゃなかったと思う。それぞれに思いがあって、結果としてそれを踏みにじられて・・・」

 

アデリーナの重く苦しい表情が、痛々しかった。

 

「ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまって」

 

灯里は自分の興味から聞いてしまったことに反省していた。

 

「いいの。気にしないで。それより、肝心なことを伝えないとね?」

 

「はい?」

 

「アージアのこと」

 

「あっ、はい・・・」

 

灯里は、その名前を聞いて少し表情を固くした。

 

「今、アージアはマンホームにいるの。アデルモと一緒に」

 

「マンホーム?」

 

「アデルモが若い頃にいたリゾートホテルが受け入れてくれることになって、そこからもう一度やり直すって。そこにアージアを連れて行ったの」

 

「そうだったんですか。じゃあアルマさんは?」

 

「彼女は、アリーチェ様が責任をもって引き受けることになって、少しだけ刑の軽減があったの。さすがに無罪放免とはいかなかったけど」

 

「でもそれって、アデリーナさんが被害者のはず・・・そうか。つまり、そういうことなんですね?」

 

「私も少しだけ、協力させてもらった」

 

「大変だったんですね」

 

 

 

 

 

「アージアさんは結局のところ、どうされたのか、聞いてもいいでしょうか?」

 

「もちろん。そのために来たんだから」

 

アデリーナはその時のことを思い出すように、明るい海に目を細めた。

 

「最初はなかなか話すことさえままならなかったけど、灯里さんの話だけは出来たわ」

 

「わ、わたしの話?」

 

「だって二人の共通の知り合いだったからね?」

 

「私の話で盛り上がりました?」

 

「別に盛り上がるというわけじゃなかったけど」

 

「それはそうだと思います」

 

灯里の改まった顔が、思わずアデリーナをほほえませる。

 

「アージアにとって、幼い頃の大事な想い出だったことは間違いないわ」

 

「そう・・・だったんですね」

 

「孤児院で育ったアージアにとって、あの時のことはアデルモと繋がっていた唯一の想い出だった。その後、アイアート・ライデンの圧力もあって、アデルモがアージアを訪ねてくることはなくなってしまった。だから、灯里さんはその想い出をつなぐ唯一の存在だったの」

 

「私が唯一の存在」

 

「だから灯里さんには重荷を背負わせてしまった」

 

アデリーナは、灯里の方を向いて、申し訳なさそうに悲しい表情をしていた。

 

「そんなことありませんよ?」

 

「えっ?」

 

灯里はそんなアデリーナに向かって、にこやかに答えた。

 

「私がアージアさんとアデルモさんとをつなぐことに役立っていたのなら、こんな光栄なことはありません!」

 

「灯里さん、あなたって・・・」

 

「実は私も何かスッキリしないところがあったんです。いったい私はあの時、なんであそこにいたんだろうって。今、初めてわかりました。ちゃんと、誰かと誰かとをつなぐことに役立っていたんですね!」

 

「灯里さんにそんなふうに言っていただけたら、少しは気が楽になれ・・・」

 

「それはきっと、このネオ・アドリア海の女神様が、私たちに下さった出会いの奇跡に違いありません!」

 

「奇跡・・・なのね」

 

アデリーナは、窓の外に広がる海を見つめている灯里の横顔を優しい表情で眺めていた。

 

「確かにそうかも。奇跡かもしれない。それに・・・」

 

そう言って、アデリーナは我が子の顔を見つめた。

 

子供は、アデリーナの腕の中ですやすや眠っていた。

 

「この子がいてくれたから、ここへ来る勇気をやっと持てたのかもしれない」

 

灯里もそのかわいい寝顔に思わず顔がほころんでいた。

 

 

 

 

 

「ありがとう、灯里さん。アージアにも伝えておくわね。きっと、彼女も喜ぶと思う」

 

「えーと、それに、それに・・・」

 

「なに?どうしたの?」

 

「なんかいろんなことがありすぎて、誰のことを聞けばいいのか、わからなくなってしまって」

 

「そうよね」

 

「アールドさんはどうされてますか?アロンソさんとご結婚されたなら、何かご存知ですか?」

 

「ああー、彼ね・・・」

 

「ど、どうかされたんですか?」

 

「これは内緒の話なんだけど」

 

「ゴクン」

 

「どこか、飛ばされたみたい・・・」

 

「飛ばされた?」

 

「実はね、彼は隠密専門をやってたのね?」

 

「隠密・・・つまり、忍者・・・」

 

「潜入捜査ってこと」

 

「ああ、そ、そういうやつ・・・大変そうですねぇ~はははは・・・はへぇ~」

 

「元々その途中で知り合った人と結婚したの」

 

「そんなロマンスがあったんですね」

 

「捜査対象の人に手を出しちゃったの」

 

「はへぇ~~」

 

「でもその後、離婚騒ぎになっちゃったの。それでバレて、今じゃどこにいるのやら・・・」

 

アデリーナは大きなため息をついた。

 

「アロンソも何か協力するという約束で、いろいろとアールドにも協力してもらってたみたいだったんだけど・・・」

 

灯里は、目を丸くして、口を大きく開けていた。

 

「あ、あの~、そうだ!アデリーナさんは、アレッサンドラさんのこと、何かご存知ですか?」

 

「アレッサンドラ・テスタロッサでしょ?」

 

「はい!結局、何も教えていただけなくて・・・」

 

「それはだって、彼女はアクア方面特命捜査班特別指令官で・・・」

 

「あわわわー!なんなんですか!それぇー!」

 

「えっと、灯里さんて、もしかして・・・」

 

「私がなんなんですかぁー?」

 

アデリーナは灯里の困惑ぶりに目を丸くしていた。

 

そして思わず吹き出していた。

 

「アデリーナさ~ん」

 

「あのね、灯里さん?」

 

「なんですかぁ?」

 

「彼女はどこまでもファンタジーの世界の人なの。だから自分のプライベートは話したくないって」

 

「なんだ。そうだったんですね。さすが女優さんです」

 

「どういうこと?」

 

「だって、最後まで演じきってたってことですよね?」

 

「灯里さん?」

 

「はぁ」

 

「やっぱり、あなたって、スゴイ」

 

「なんかそれって、複雑な気分なんですけど~~」

 

 

 

 

 

アデリーナは、連絡船が停泊している船着き場で、夕陽の中、灯里と対岸に見えるサン・マルコ広場の大鐘楼を眺めていた。

 

アテナのチャリティーコンサートは、大盛況の中、無事に終演を向かえていた。

 

大聖堂の周辺は、人影もなく、すっかり静まり返っていた。

 

「もうそろそろ時間だわ。じゃあ行くわね」

 

今日最後の、ネオ・ヴェネツィア本島への連絡船が、出航の合図の鐘を鳴らしていた。

 

「またお会いしたいです」

 

「きっとそうしましょう。この子の手が離れたら、時間が取れると思うしね」

 

「いつでもいらしてください。今度はARIAカンパニーへ。年中無休でお待ちしています」

 

「それもお願いしたいけど、是非ホテルに遊びに来て!ウンディーネのお仲間と一緒にね!」

 

「わかりました!是非!」

 

夕陽に輝く海の上を、連絡船はゆっくりと出航した。

 

少しずつ離れてゆく船の上の、我が子を抱いたアデリーナをみていると、あの日の光景が甦ってくるような、そんな感傷的な気分になっていた。

 

「みんな、あんなふうだったらよかったのに・・・」

 

灯里は、ついに、これまでの時間を費やした物語が終わろうとしているんだと、胸に迫ってくるものを感じていた。

 

そして、たくさんの人たちが登場したなかで、ようやく本当の自分の役割を知ることができたよう気分だった。

 

これからも、誰かとつながってゆくことになる。きっと。

 

このネオ・ヴェネツィアで・・・

 

 

 

 

 

「ちょっとー?そこでひとりで何やってんのぉー?」

 

「もう!藍華ちゃーん!」

 

「さっきから、でっかい黄昏てましたよね?」

 

「アリスちゃん!」

 

海からはゴンドラに乗った藍華が、後ろからはアリスがやって来た。

 

「二人ともどうしたの?」

 

灯里は藍華とアリスとを、キョロキョロ交互に見比べていた。

 

「どうしたもこうしたもないわよ!仕事が忙しくて、アテナさんのステージを見損なったのよ!」

 

「藍華先輩?今頃来ても遅すぎますよ。もうすっかり終わってます」

 

「そ、そんなの、わかってるの!それでもちょっとぐらいは、見れるかなって思っただけよ!」

 

「本当ですか?少し天然の同僚が気になったんじゃないですか?」

 

「何言ってんの?そんなことより、あんたは何してんのよ?コンサートは終わったんでしょ?」

 

「私はまだ片付けが残ってるんです!これでもでっかい忙しいんですから!」

 

すると、アリスの後ろから声がかけられた。

 

「アリス先輩?もう帰りませんか?片付け終わりましたよ」

 

「アーニャ!タイミングが悪すぎます!」

 

「はい?」

 

ゴンドラの上の藍華はニヤリと笑った。

 

「へっ、へっ、へっ、へっ」

 

「なんですか?その笑い方は!」

 

「ホントはアンタが黄昏てたんじゃないの?」

 

「違いますー!」

 

すると今度は藍華の後ろから声がした。

 

「藍華先輩?もうそろそろ帰りませんか?灯里さんの無事な様子も確認できた訳ですし」

 

あずさが藍華の顔を覗きこむようにしていた。

 

「なっ!あ、あんた!なんでホントのことをばらすの?」

 

「だってウソついてもしょうがないですし・・・」

 

その様子を見ていた灯里は、ちょっと照れたような、それでいて嬉しそうにしていた。

 

「藍華ちゃん、アリスちゃん、それにあずさちゃん、アーニャちゃんも、ありがとう」

 

「それで、あんたの用は無事にすんだの?」

 

「うん、すんだよ。これで一応次へ進めそうな気がする」

 

「そうなの。じゃあよかったじゃない?」

 

「これで、灯里先輩も心置きなくプリマ・ウンディーネに専念できるってわけですね?」

 

「アリスちゃんて、そんなふうに心配してくれてたの?」

 

「まあ、心配というか、なんというか・・・」

 

「それで灯里?その次っていうのは何なの?」

 

「次?なにそれ?」

 

「い、いや、あんたが今自分で言ったでしょ?次へ進めるって」

 

「次かぁ」

 

「で?」

 

「う~ん」

 

「だから?」

 

「わかんない」

 

ドテッ!

 

灯里以外の四人全員がずっこけた。

 

藍華は勢い余ってゴンドラから落ちそうになっていた。

 

「大丈夫?藍華ちゃん!」

 

「ダイジョウブ」

 

藍華はギリギリのところで姿勢を保っていた。

 

そこへ後ろのゴンドラにいたあずさが、心配するよりも不思議そうにたずねた。

 

「前から思ってたんですけど、先輩はそういうとき、なんで鼻をつまむんですか?」

 

「あんたねぇ、そんな冷静に突っ込んだら面白くもなんともないでしょー?」

 

それを聞いた灯里が、ぷっと吹き出した。

 

「わたし、突っ込んだつもりなかったんですけど?」

 

「もういいの!」

 

その様子に、アリスが話に入っていきた。

 

「よかったですね?藍華先輩?」

 

「何?どういうこと?」

 

「新しく漫才コンビになってくれる人が見つかって」

 

「な、なに言ってんの?なんでよりにもよって、後輩と漫才コンビを組まなきゃいけないの!」

 

「藍華ちゃん?そこはやっぱり突っ込みが欲しかったんだ!」

 

「灯里ぃ~!あんたまで何言ってんのよ~~!」

 

「人気者ですね」

 

 

 

 

 

 

そこからしばらくの月日が流れていた。

 

灯里は、何かを決心するときは、いつもそうだったように、ARIAカンパニーの、その海を望むカウンターから、きらめく海を眺めていた。

 

その時が、もうすぐそこにやって来ていると感じていた。

 

すると、海から灯里を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

近づいてくるゴンドラから、愛野アイが手を振っていた。

 

アイは、ゴンドラをつけると、急いで階段をかけあがり、カウンターのところまでやってきた。

 

「灯里さん!もうそんな時間ですか?」

 

驚いた顔に目を大きくして、ドンとカウンターに手をついたアイは、中にいる灯里の方に身を乗り出していた。

 

その両手には、すでに手袋はなかった。

 

「もうそろそろ行くね?」

 

「ええー!まだいいじゃないですかぁ?来たばっかりでしょ?」

 

「でも船の時間があるから」

 

「じゃあ明日に変更すればいいじゃないですかぁ~」

 

「アイちゃん」

 

スーツに身を包んだ灯里は優しい眼差しで、甘えるように文句をいうアイに困った顔をしていた。

 

「ホントに行っちゃうんですか?」

 

「大丈夫だよ。もう返って来ないわけじゃないんだから。一週間くらいだから」

 

「でもひとりは心配です」

 

アイはプリマになってから初めて、ひとりでARIAカンパニーのお留守番をすることになっていた。

 

きのうまでは「任せて下さい!」と胸を張っていたアイだったが、その日を迎えると、不安が募ってくるようだった。

 

「そんなに大事な用なんですか?」

 

「うん、そうだね」

 

灯里は、次のステップに進むための準備を始めていた。

 

いったい自分には何ができるのか。

 

グランマ、アリシア、そして・・・

 

相談したアリシアは、こう言った。

 

「それなら一度行ってみてはどうかしら?原点回帰・・・っていうでしょ?」

 

灯里の夢は、いつまでもネオ・ヴェネツィアがこのままであり続けること。

 

それは、変わりゆく時代への、灯里なりの挑戦だった。

 

そのためにも、この世界がどこから出発したのかを見てみることは必要だと、アリシアがヒントをくれた。

 

「じゃあ行くね」

 

「わかりました。それならせめてメールを送ってください。マンホームに着いたら」

 

「そうだね。メール・・・」

 

「どうしたんですか?」

 

「私がマンホームにいて、アイちゃんがネオ・ヴェネツィアで。それでメールを送るんだね?」

 

「ホントだぁー!」

 

アイはその事に気がついて驚いていた。

 

灯里は、そんなアイの可愛らしい笑顔を優しく見つめていた。

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