マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第六十二話 大鐘楼のメッセージ

 

灯里の乗った旅客機は、マルコ・ポーロ国際空港に降り立った。

 

内陸部からヴェネツィア本島へ渡る大きな橋の、その付け根に位置するところに空港はあった。

 

搭乗ロビーの大きなガラス窓から見るヴェネツィアの空は、どんよりと曇っていた。

 

その空の色は、これから先の灯里の気分を象徴しているかのようだった。

 

トランクを受け取り、そのままロビーを進んだ。

 

ネオ・ヴェネツィアへ向かうとき、確かにここから出発したはずだった。

 

でも今は、懐かしさよりも知らない街へ来たような気分だった。

 

出入口の方向を思い出しながら、灯里はまだしっくりこない印象のまま、ロビーを歩いていた。

 

「灯里さーん!水無灯里さーん!」

 

その声に驚いて、キョロキョロと辺りを見回していた灯里は、こちらに向かって手を振っている少女を見つけた。

 

すると、不思議そうに見ている灯里のところに向かって、その少女は駆け足でやってきた。

 

「水無灯里さんですよね?」

 

「はい、そうですけど」

 

「よあったぁ。遅れたかと思って、ヒヤヒヤしてたんです」

 

少し息を弾ませて、その少女は安堵の表情を浮かべた。

 

「あなたは、どなたですか?」

 

「私は環境衛生局のアローラと申します。よろしくお願いします」

 

灯里がマンホームに行くと決めたのを知ったアリシアが、ヴェネト州の環境衛生局に手を回してくれていたわけだった。

 

だが、そこに現れたのは、明らかに後輩のアイよりも年下に見えるひとりの少女だった。

 

「長旅ご苦労様でした。お疲れじゃないですか?」

 

「いえ、大丈夫なんですけど・・・」

 

「そうですか?なんか、ご気分が優れないような感じですけども」

 

「そんな感じに見えますか?」

 

確かにアローラの言った通り、灯里の表情は今一つすっきりはしていなかった。

 

「もしかして、やっぱりあれが理由じゃないですか?」

 

アローラは、その大きな窓越しに見える外の風景に目を向けた。

 

ヴェネツィア本島へ伸びる連絡橋の先に、これまで見たことのない光景があった。

 

「あれがヴェネツィア?」

 

灯里は想像していたよりも、その異様なその姿に茫然となっていた。

 

遥か高い壁に囲まれていた。

 

そこにあるはずの島の風景は見る影もなかった。

 

かろうじて、サン・マルコ広場の大鐘楼の頭の部分が見えているだけだった。

 

「地盤沈下と潮位の上昇が思ったよりも早く進行してしまって。モーゼ計画も継続されてきたのですが、地球規模の環境の変化にはついて行けず、結局、ああするしかなかったんです」

 

「そうだったんですか・・・」

 

ヴェネツィア島は高い壁に囲まれて、なんとか持ちこたえている状態だった。

 

その痛々しい姿に、灯里はやるせない気持ちになっていた。

 

 

 

 

「寄って行かれますか?」

 

アローラは、灯里にそう声をかけた。

 

頭にはヘルメットを被っていた。

斜めかけにしたバッグと、片方の腕にはたくさんの書類を閉じているファイルを抱えていた。

 

二人は、環境衛生局が用意したボートの上にいた。

 

波の上で大きく揺られながら、ボートはヴェネツィア島へ近づきつつあった。

 

だが、目の前には高々とそびえ立つ壁が迫ってくるだけだった。

 

「内部はかろうじて、崩れるのを食い止めています。今は、海からの影響を最小限に押さえていますので、地盤沈下の対策に集中しています。それも、これのおかげなんですけどね」

 

アローラは、目の前に迫る巨大な壁を見上げた。

 

「失礼なんですけど、アローラさんて・・・」

 

「そうですよね?灯里さんもそう思われますよね?」

 

「えっと、どういうことでしょうか?」

 

「だから、思ってたより若いなぁとか、いやいやそれよりも幼く見えるよなぁとか、じゃないですか?」

 

「まあ、そんなこともあるような、ないような・・・」

 

「別に気にしてません。だって私、十五歳ですから!」

 

「ええー!そうなのー?」

 

「いきなりタメ口で嬉しいです!灯里さん!」

 

「ゴ、ゴメン・・・なさい」

 

アローラは、灯里の反応に思わず笑い声をあげていた。

 

「やっぱり、灯里さんだぁ・・・」

 

灯里はアローラのつぶやきが気になって、その無邪気に笑う横顔を見つめた。

 

「私の所属する環境衛生局にはいくつもの部署があるんですけど、第七環境課の中に環境再生チームていうのがあるんです。私、そこのチーム主任なんです!」

 

「それはそれは!」

 

「チームは私ひとりなんですけど・・・」

 

「そ、そうなの?」

 

「でもね、通称〈ヴェネツィア・チーム〉って呼ばれてるんです!」

 

「そうなんだぁー!」

 

「他の誰も知りませんけど・・・」

 

「はひぃ~」

 

「環境再生チームは、実はまだ立ち上げられたばっかりなんです。これまでは、ヴェネツィアの環境破壊を食い止めることに精一杯で、内部のことまで、手が回らなかったのが実情でした。でも、いろんなところからの支援もあって、街を再生するためのプロジェクトが開始されることになったんです!」

 

灯里は、明るく話すアローラを見ていて、少し気持ちが晴れるのを感じていた。

 

「そうだったんだ。スゴイね!アローラさん!」

 

「いやぁ~私なんて、まだまだですからぁ~」

 

アローラは照れまくって、顔を紅くしていた。

 

「でもアローラさんてスゴイね。まだ十五歳だなんて信じられない」

 

「そうですか?私、このために来たので」

 

「来たって?」

 

「私、アクア出身なんです!」

 

「ええー!そうだったのぉー?」

 

灯里は目を丸くしていた。

 

 

 

 

灯里はアローラの薦めを断った。

 

今はヴェネツィアの中を見て回る気にはなれなかった。

 

「それじゃあ、あそこに行きませんか?」

 

アローラが指差したのは、アクアでも見慣れていたサン・ジョルジョ・マッジョーレ島だった。

 

だが、ここマンホームのこの島をモデルにしたはずなのに、違う島に見えた。

 

「灯里さんがそう思われるのも無理もないです」

 

アローラは感慨深くそうつぶやいた。

 

「あそこは、本当に海に浮かぶ教会になったんです」

 

「どういうこと?」

 

「フロート・アイランド。海の上に浮かべているんです」

 

「島全体がってこと?」

 

「そうなんです。そうした方がいろいろと都合がよかったんです」

 

灯里は、そう聞いてしまうと、なんだか教会が揺れてるように感じてしまった。

 

頭が自然と斜めに向いてしまう。

 

「灯里さん?」

 

「なに?」

 

「揺れませんから」

 

「はっ!」

 

アローラがクスクス笑っている様子を見て、灯里は照れ臭そうに顔を紅くしていた。

 

船着き場に到着し、降りようとした灯里は、改めてアローラの方を見た。

 

「ホントに?」

 

「大丈夫です!」

 

大聖堂から鐘楼と、そのどれもが見れば見るほどそっくりだった。

 

灯里は感心して辺りを見回していた。

 

「灯里さん、本気ですか?」

 

「ゴ、ゴメン。ついそんな気分になっちゃった!」

 

アローラは、目の前の高い鐘楼を見上げた。

 

「ここへ誘ったのは、これが目的だったんです」

 

「それって、この鐘楼のこと?」

 

「はい」

 

アローラは灯里に、その入り口へとエスコートをするように手招きしてみせた。

 

「わかった。行きましょう」

 

灯里はそのアローラの仕草に笑顔で応えた。

 

だが、上へ登るにしたがって、そこに見えるものは、灯里の中にあったイメージのものではないことに改めて気づかされた。

 

全くと言っていいほど、違う風景がそこにはあった。

 

どんよりとした空の下、高い塀に囲まれた島の全容が露になった。

 

端から端まで、あのヴェネツィアの風景は、異様な島の要塞と化していた。

 

灯里は、ヴェネツィアの現状を知るためとはいえ、マンホームまでやって来たことに、少し後悔していた。

 

だが、灯里は驚かされた。

 

横にいるアローラは、流れてくる風に髪を揺らしながら、その顔は嬉しそうにほほえんでいた。

 

灯里にはわからなかった。

 

アローラの笑顔の真意が・・・

 

「灯里さん?ショックを受けられたのではないですか?」

 

「あっ、うん、そうだね。でも、なんでわかったの?」

 

「なんとなく、わかります」

 

アローラはまっすぐに目の前の風景を見つめていた。

 

「私がこのチームの主任に任命されてから、これまで私のした仕事といえば、再建を待ち望んでいる、この痛々しいヴェネツィアを案内することだけでした」

 

「だけ?」

 

「はい。それだけです。だから、私みたいのでよかったのかも知れません」

 

「そんなこと・・・」

 

「わかってたんです。それでも引き受けたんです」

 

「どうして?」

 

「だって、灯里さん?ヴェネツィアですよ?あの、ですよ?」

 

アローラは灯里の方に振り向いて、力強く言った。

 

「ヴェネツィアの再建に携われるなんて、こんなこと滅多にあることじゃ、ないじゃないですか!」

 

アローラはホントに嬉しそうな表情を灯里に向けた。

 

「それに、運命だと思いました」

 

でもそう言ったアローラは、またヴェネツィア島の方に視線を移した。

 

「私の母は、何かあると必ずサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼に連れていってくれたんです」

 

「アクアの、だよね?」

 

「はい。そして、あそこから見える対岸の風景をながめながら、しばらく過ごすんです。すると、いつも同じ話をするんです。もういいっていうくらい」

 

灯里は懐かしそうに話すアローラを優しく見つめた。

 

「そうなんだ。お母さんとの思い出なんだね。ちょっと聞いてみたい気もするけど・・・」

 

「いいですよ」

 

アローラは開け放たれた窓のところに手をついて、少し前に身を乗り出した。

 

「それは、あるウンディーネさんとひとりの女の子のお話なんです」

 

灯里は、ハッとなってアローラの横顔を見た。

 

「そのウンディーネさんは、まだお客さんを乗せられないのに、島へ行きたそうにしている女の子を見て、思わず乗せて行ってしまったそうなんです」

 

「アローラさん、それ・・・」

 

「でもそれが女の子にとって、とてもかけがえのない想い出になった」

 

アローラは灯里の方には振り向かずにいた。

 

「そんなとき、母が必ず言うんです。後悔をしないこと。それはとても大事なことだと。それがどんな結果になってもって」

 

「アローラさん?あなたって・・・」

 

「私にとっての想い出のあの島と教会は、とても素晴らしい風景で、いつも母と一緒の想い出なんです。でも、もしあの風景がなくなったらと考えたとき、とても悲しくなって・・・」

 

灯里は、もう何も聞かずにいようと思った。

 

何も聞かなくても、その横顔をじっと見つめていれば、わかるような気がしたからだった。

 

「ある時知ったんです。ヴェネツィアが瀕死の状態だと。それまで関心がなかったのに。それで母に相談したんです。ヴェネツィアに行かせて欲しいと」

 

「それで、お母さん、アデリーナさんは何て言ったの?」

 

アローラは、思いっきりの笑顔で振り返った。

 

「すぐに言ったんです!行ってきなさいって。自分の娘がマンホームに行っちゃうんですよ?どういう母親なんですか?」

 

アローラのその屈託のない笑顔を、灯里は眩しそうに眺めていた。

 

 

 

 

灯里は、信じられない思いと、目の前にしている少女の笑顔に、どうしようもなく感動していた。

 

目の前の風景は、切ない気持ちにさせていたが、それを打ち消すように、この出会いは、いつまでも輝き続けるに違いないと思わずにはいられなかった。

 

「でもアローラさん?私、気になってることがあるんだけど、聞いていい?」

 

「どうぞ、なんでも聞いてください!目下のところ、それが私の役目ですから!」

 

灯里はアローラの笑顔に聞いてみた。

 

「この鐘楼に登ってきたとき、正直言って、私、とてもショックだったの。こんなヴェネツィアを間近で見て。でもその時、アローラさんは、なぜか笑ってた。それはなぜ?」

 

アローラはそんな灯里に向かってやさしく微笑んだ。

 

「灯里さん、見てください」

 

そう言って、アローラはバッグから小さな双眼鏡を出して灯里に手渡した。

 

「あそこです」

 

アローラが指差した先を辿ってゆくと、そこには高い壁の上に突き出ている大鐘楼の屋根と、最上階が少しだが、かろうじて見えていた。

 

「あれって、サン・マルコ広場の大鐘楼でしょ?」

 

「そうなんです。でもよく見てください」

 

灯里は、アローラに言われるがまま、見えている大鐘楼の、壁から出ているところをじっと見つめた。

 

すると、灯里の表情が変わった。

 

「うそ・・・」

 

今まで全く気づかなかった。

 

誰もそれを噂にもしていなかった。

 

でも、その最上階の窓の少し上のところに、それは書かれてあった。

 

「ネオ・ヴェネツィアより愛を込めて」

 

誰かが書いた落書きが、薄汚れて、少し消えかかっていたが、そう書かれていることはちゃんとわかった。

 

「どうして、あんなところに・・」

 

「不思議ですよね。誰があんなこと書いたんだろうって。でもあれを見るたび、納得しちゃうんです。そうだよねって。いつかそんな日が来るって!」

 

灯里は、ただただ信じられないといった顔で立ち尽くしていた。

 

アローラはそんな灯里の表情に、すごく納得した顔になっていた。

 

「いったい誰が告白に来るんだろうって、思ったりして!」

 

アローラは頬をピンク色に染めて、自分で言った言葉に照れていた。

 

「こんな時って、なんて言ったらいいか・・・」

 

「これって、きっと、ヴェネツィアの想いが遠くアクアにまで届いて、そして・・・」

 

灯里は言葉をつまらせていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「そして、誰かがその想いを受け止めて、それを届けにやって来る。これって、壮大な愛のメール便だね」

 

「えっ、灯里さん?」

 

「なに?」

 

「なるほど。これが、例の、あの噂のやつなんだぁ~」

 

「なんのことぉー!?」

 

 

 

 

「ところで灯里さん?このあとはどういった予定になってるんですか?」

 

灯里とアローラは、再びボートに乗って、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島をあとにした。

 

「特には決まってないけど・・・」

 

「けど?」

 

「あのー、アローラさん?」

 

「なんですか?」

 

「アローラさんも、ホテルに詳しいとか、なんとか・・・」

 

アローラはポカンとしていたが、理解したようにニンマリと笑ってみせた。

 

「もしかして、宿泊するところが決まってないとか?」

 

「決まってないとかじゃなくて、そもそも予約するの忘れてたというか・・・」

 

「ええ?アクアから来るのに、ホテルの予約もせずにやって来たんですか?」

 

「エヘヘヘ」

 

「灯里さんて、結構オトナですよね?」

 

「そんなふうに見ないでくれる~?」

 

「わかりました。それなら結構いいところ知ってますので、ご紹介しますよ!」

 

「いいのぉ~?ありがとう~アローラちゃんていい子だねぇ~アデリーナさんの育て方がよかったんだねぇ~」

 

「わかりましたから!」

 

 

 

 

マルコ・ポーロ国際空港から少し海沿いをボートで進んだところに、目的のホテルがあった。

 

こじんまりとした、落ち着きのある印象だった。

 

だが、白色に統一された外観は、観光客を意識したおしゃれな作りになっていた。

 

アローラは、灯里のトランクを嬉しそうにコロコロと引っ張っていた。

 

「おじいちゃんがオーナーなんだけど、実質はおばさんがやってるようなもんなの」

 

「そうなんだ」

 

「ここがあったから、母もマンホーム行きを許してくれたようなもんなんだよね」

 

「親戚がいるなら安心だよね」

 

ホテルの玄関から、そのままアローラは躊躇することなく入っていった。

 

「おばさーん!お客さん連れてきたよー!」

 

すると、カウンターで接客していた女性が振り返った。

 

そしてアローラを見るなりちょっと厳しい顔になった。

 

「アローラ?そこはお客様が使うところでしょ?何度言ったらわかるの?あなたはそこからじゃなくて・・・」

 

アローラからおばさんと呼ばれたが、それほど歳が大きく離れているようには見えないその女性は、正面から入って来たアローラの方を見るなり、動きが止まった。

 

目を大きく見開いて、口を開けたまま、信じられないといった表情をしていた。

 

「おばさん、悪かったわ。でも今日はお客さんを連れてきたんだって。この人は・・・」

 

「灯里さん?」

 

アローラが紹介するより早く、その女性はその名前を呼んだ。

 

「えっ、どういうこと?知り合いなの?」

 

灯里は正面のガラス扉を入ったところで、じっと立ち尽くしていた。

 

「アローラさん?おばさんて・・・」

 

「アージアおばさん。灯里さん、知ってたの?」

 

「おばさんて言ったから」

 

「ああ、確かに若く見えるよね?お母さんよりも少し年齢は若いはずだよ。ねぇー!おばさーん!そうだよね?」

 

灯里よりも年下のはずのアージアは、どう見ても灯里より落ち着いて見えた。

 

「えっと、何歳だっけ?灯里さんて、おいくつなんですか?」

 

「いいの、アローラさん」

 

「すみません。灯里さんて、年齢を言いたくない人だったんですね?失礼しました」

 

アージアは、灯里のところまでやって来ると、涙を浮かべて、じっと灯里の顔を見つめた。

 

「こんな日が来ようなんて、思わなかった」

 

灯里もつられて涙を浮かべていた。

 

「そうですね。お久し振りです、アージアさん。お元気でなによりです」

 

「こちらこそ、お会いできて光栄です。灯里さん、お身体の方はどうですか?」

 

「大丈夫です。元気でやってます。ご心配いりません!」

 

アローラは、二人の感動的な再会を前に、あっけに取られていた。

 

「なに?どうなってんの?」

 

 

 

 

 

灯里とアージアは、併設されたラウンジのテーブルに座っていた。

 

静かで落ち着いた雰囲気の中で、二人はゆっくりとした時間を過ごしていた。

 

想い出というには、あまりにも短く、劇的で、そして忘れられない時間を二人は共有していた。

 

だから、何から話していいのやら、戸惑いと嬉しさが入り交じった不思議な気分になっていた。

 

「それじゃあアローラさんは?」

 

「知りません。アデリーナは、一切あの子には話さなかった。私はあの子にとって、ただのマンホームにいる親戚のおばさんなんです」

 

「そうなんですね」

 

灯里は、そう話すアージアの顔に、昔の面影を探していた。

 

でも、あの頃を思い出す面影は、もうアージアの顔にはなかった。

 

「私、覚悟をしてました。いつかはこんな日が来ると。いつかは終わりが来るとわかってました」

 

「アージアさん?私、別にそんなことは・・・」

 

「でももう少しだけ時間をいただけないですか?せめてあの子の夢を叶えさせてあげたいんです」

 

アージアは苦しそうに声を振り絞っていた。

 

だが、灯里はそんなアージアに優しくほほえんでみせた。

 

「アージアさん?私、そんなことを目的にマンホームに来た訳じゃないんですよ」

 

「どういうことですか?」

 

「アージアさんが、まさかここでホテルのお仕事をされてるなんて知らなかったし、アローラさんがヴェネツィアの再建に関わってることも初めて知ったし、それにアローラさんがアデリーナさんの娘さんだなんて、今日初めて知ったんですよ!」

 

「灯里さん」

 

「私って、何歳にみえます?」

 

「はい?」

 

「まるで竜宮城から帰ってきた人の気分です!」

 

灯里は満面の笑顔でそう言った。

 

「あっ、えーと、違った。竜宮城に来てる最中でしたー!」

 

アージアは、そんな灯里の明るく笑う表情に救われた思いだった。

 

「あなたって、本当に・・・」

 

「それに私、実は愛の使者なんです」

 

「えっと、灯里さん?ちょっとその辺は、私にはついていけないかも・・・」

 

「いいんです。また時間がある時に、アローラさんに聞いてみてください」

 

灯里はそう言って、ちょっとうつむき加減になっていた。

 

「私、実は後悔してたんです。ヴェネツィアに来たことを。まさか、あそこまでになっているなんて思ってなくて」

 

「ヴェネツィアに行かれたんですね?」

 

「そうなんです。でも、中にまで入る勇気はありませんでした。それでも、アローラさんがサン・ジョルジョ・マッジョーレ島まで連れていってくれて、そこで思い直すことができたんです。あの鐘楼から見えるメッセージの存在を教えてくれたおかげなんです」

 

アージアは灯里の話を聞いて、ふっと顔を上げた。

 

「わかりました。今度あの子からじっくりと聞いてみます。あの子が灯里さんの気持ちを変えることができたという話を」

 

「はい!是非!」

 

そこに着替えを終えたアローラがやって来た。

 

「ちょっとー!二人で何を話してるの?」

 

「アローラさんて、結構乙女少女だってことで、盛り上がってたんですよ?」

 

「灯里さん!ちょっとぉー?あれって、まだ灯里さんにしか話してないんですよー!」

 

「ええー!そうだったのぉー?」

 

二人の会話に微笑んでいたアージアが、立ち上がった。

 

「さあ、灯里さん?お食事にしましょう!お腹すいたでしょ?」

 

「ああ~やっとご飯の時間ですね?」

 

「灯里さん、そんなにお腹へってたんですか?」

 

アローラは目を丸くしていた。

 

「だって空港に着いてから何も食べてなかったんだよね~」

 

「うそ!?」

 

「もうペコペコ!」

 

 

 

 

 

灯里は用意された料理を前に、信じられないくらい、目を輝かせていた。

 

「いただきまーす!」

 

「灯里さん、お電話です」

 

ドテっ!

 

「大丈夫ですか?」

 

アローラは灯里のズッコケぶりに思わず声をかけた。

 

「これくらいは、よくあることと言うか・・・それでどこからですか?」

 

「アクアからです。愛野アイ様からです」

 

「アイちゃん?」

 

灯里は、受け取った受話器を耳に当てた。

 

「もしもし?」

 

〈ちょっと、灯里さん!マンホームに着いたらメールするって言ってませんでした?〉

 

「あっ、ゴメン。忘れてた!」

 

〈そんなことだろうと思ってました!灯里さんがマンホームで、私がアクアで、以前とは反対だねって、灯里さんが言ったんですよ!〉

 

「ホント、そうだったね。ごめんね、アイちゃん」

 

〈もう!〉

 

「それでなに?なんか急ぎの用なの?」

 

〈ちょっとその言い方、なんか怪しいです〉

 

「怪しいって・・・」

 

〈なんか食べてるでしょー?〉

 

「ギクッ」

 

〈いったいいつの人なんですか?〉

 

「アイちゃん、すごい!」

 

〈何がですか?〉

 

「私、竜宮城に行ってきて・・・」

 

〈はい、はい〉

 

「なにそれ~」

 

〈どうせ美味しいもの食べてるるんでしょ?〉

 

「わかる?舌鼓をね、打ってたの。ポンポン」

 

〈ああ、そうですか〉

 

「そうなんだよねぇー。ポンポン」

 

〈緊急事態です〉

 

「急になに?」

 

〈ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーで事件らしいんです!〉

 

「それ、もう終わったよ」

 

〈だからぁ!〉

 

「どういうこと?」

 

〈わかりません!なんかやたらとうるさい人がですね?とにかく灯里さんじゃないとダメだって、うるさいんですぅ!〉

 

「とにかくうるさいんだね?誰かは想像がついてるけども・・・」

 

〈今すぐ帰ってきて下さい!〉

 

「ええ~?今からお食事なんだよね~ポンポン!」

 

〈ポンポンポンポンて、いったいいくつなんですか?灯里さん!〉

 

「私ね、マンホームに来て、年齢は言わないタイプの女性になったんだよ?」

 

〈いい歳をして、何を言って・・・プツン!〉

 

「あっ、切れちゃった」

 

そこへアージアがすまなさそうにやって来た。

 

「ごめんなさい、灯里さん?今晩ね、システムメンテナンスだったの、忘れてた」

 

灯里とアローラは、ポカンと口を開けていた。

 

でもそのすぐ後、灯里ははずしかけたナプキンを両膝の上におき直した。

 

「灯里さん、いいんですか?」

 

「うん、いいの。ポンポン」

 

その様子にアージアは、吹き出していた。

 

「えっ、おばさんもそんなふうに笑うんだ」

 

「アローラさん、食べよう?ポンポン」

 

「なんか、結構気に入ってますよね?」

 

「そんなこと、ないよ。ポンポン」

 

次の日、予想よりたくさんのお土産を買うことになったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

「灯里ちゃん?ヴェネツィアのリポート、早めにお願いね?」

 

この人には冗談は通じなかった。

 

「ところで、なんか美味しいものを食べたんだって?ポンポン」

 

「もう言いませ~~ん!」

 

 

マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル  完 (一応)

 


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