ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション   作:ウママママ

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N18-アンタみたいなトレーナーに

「本気で言ってんのか!」

 

 バシン! とトレーナー室にけたたましい音が鳴り響く。

 トレーナー室にいるのは、眉間に皺を寄せながらクシャクシャになった新聞を持つ海堂と、何故か左頬が赤くなっている北原。

 

 何が起こったのかを端的に説明するならば――――掌で相手の頬を打つ行為――――世間一般的には″ビンタ″と呼ばれるものを、海堂は北原に対して行った。ただ、それだけだった。

 そもそも、ここまで平静を失っているのは何が起こったからなのかという話だが。

 その理由こそ、海堂が持っている新聞の記事に詰め込まれていた。

 

「アンタはオグリキャップは中央にいるべきだって分かった上でこんな条件にしてんのか、そうじゃねぇのか……今ここで答えろ!」

 

 普段は崩れることのない敬語が崩れ、親しみのこもった穣さんという呼び方もアンタに変わり、机に叩きつけられた右手は力がこもり過ぎるあまりぷるぷると震えている。

 これだけで、今の海堂がどれだけ平静を失い、逆上しているかが分かるだろう。

 

 新聞を叩きつけ、怒りの根源となっている記事の一部分を指さす。

 

 記事のタイトルは″オグリキャップ、中央に移籍か″。

 これだけならまだいい。オグリキャップがシンボリルドルフにスカウトされたというのは、知っていたのだから。

 

 問題は、その記事の内容にあった。

 ″勝てば中央、負ければ地方″という一文。ここに逆上する理由の全てが詰め込まれていた。

 

「敗退行為なんてすりゃレースからは永久追放だ。つまり、アンタは……オグリキャップが全力を出さざるを得なくなる状況さえ作りゃ、オグリキャップはフジマサマーチに余裕で勝てるって判断してんだよな? 違うか?」

 

 別れるなら、笑顔で別れること。

 その約束を反故にするだけだったならば、海堂は怒るにしても逆上はしなかっただろう。

 少なくとも、怒る際に敬語が崩れることもなかっただろうし、アンタと呼ぶこともなかっただろうと推測できる。

 

 そもそも、その約束には無理があるとも考えていたのだ。

 どんな選択をしようと、選択という行為を行った瞬間に誰かの夢が途絶えてしまう。全員の夢が続かない以上、笑顔で別れるというのは無理があるのだ。

 99.9%無理だと分かっていても、弁護士が『無罪にしてみせます』としか言えないように、その約束は一種のおまじない程度でしかなかったのだ。

 

 若く、経験が乏しい海堂でも無理なものは無理だと理解している。

 夢を見るのはいいが、夢を見るにしても限度がある。そして、その約束はその限度を超えている、と。

 

 こうも責めるつもりはなかったのだ。北原がどんな選択を取ったとしても、考えられる限り最悪の選択さえしなければ、多少怒りはすれど、ある程度の理解は示していただろう。仕方なかった、と。

 しかし、よりにもよって北原は、考えられる限り最悪の選択をしてしまった。

 

 オグリキャップが勝てば移籍という条件は、こうも捉えることができる。

 

 勝利すれば中央――――つまり、オグリキャップならフジマサマーチに余裕で勝ち、中央に行ってくれるだろうという考え。

 敗北すれば地方――――フジマサマーチなら、もしかしたらオグリキャップを打ち負かして、自分が持つ夢を繋ぎとめてくれるだろうという淡い期待。

 

 オグリキャップはここにいるべきではないという考えは、北原も持っていたはずなのだ。

 つまり、北原は″オグリキャップならフジマサマーチに勝てるだろう″と推測して、この移籍条件を提示したということになる。

 

 オグリキャップに結論を委ねているように見えるが、逆である。

 

 現在、オグリキャップの戦績に泥を付けているのはフジマサマーチしかいない。

 オグリキャップの戦績は10戦8勝2敗。その2敗はデビュー戦とジュニアクラウンで喫したもので、その2敗はどちらもフジマサマーチに敗北したもの。

 

 裏を返せば――――現在、カサマツでオグリキャップに勝てる可能性があるウマ娘は、フジマサマーチのみの可能性が高いということにもなる。

 

 もちろん、海堂はオグリキャップに次も勝てるとは思っていない。

 前回は、無意識に領域形成の条件を達成したから勝てたのであって、普通に戦っていたら結果は分からなかったし、もしかしたらギリギリ負けていたかもしれないと。そう認識しているからだ。

 

 オグリキャップならフジマサマーチに余裕で勝てる。もしくは、フジマサマーチならオグリキャップに勝ってくれるかもしれない。

 

 中央に移籍させる理由と、カサマツに残留させる理由。

 フジマサマーチが、自身の愛バが。その2つの理由を正当化するための″道具″に利用されているとしか、思えなかった。

 

「俺との約束を反故にしただけじゃねぇ……マーチもバカにしてんだ! アンタは! それを分かってんのか、分かってねぇのか! どうなんだ!」

 

 ヒートアップするにつれ荒くなる息が、海堂がどれだけ怒り慣れていないのかを証明していた。

 北原も、こう言われるだけのことはやったと自覚している。逆上する海堂の一言一言を受け止めている。

 

 故に、冷静になれと海堂を諭す人間はこの場にいなかった。

 ここにオグリキャップやベルノライト、同僚トレーナーの柴崎やフジマサマーチがいれば逆上することは無かったのかもしれない、が。

 

「大切な教え子バカにされて、黙ってられる程……大人じゃねぇんだ……俺は!」

 

 俺はという言葉を境にして、少しずつ、怒りの炎がクールダウンしていく。

 怒り疲れた頭を正常に戻すために深呼吸をし、荒ぶる気持ちをゆっくりと抑えていく。

 

 少しずつ、少しずつ、燃え盛る怒りの炎を抑えること30秒。

 30秒をかけ、海堂の頭は普段通りになった――と、思われたのだが。炎はまだ止んでいなかった。

 

 怒りの炎は収まったかのように見えたが、色が変わっただけだった。

 マグマのように燃え盛る赤い炎から、冷ややかかつ超高温で燃え盛る青い炎に変わっただけだったのだ。

 

 頭に酸素が回り、少しばかり心が落ち着いて冷静を取り戻したが故に、止んだと思われていた炎は更に力を増していた。

 逆上して怒るか冷静に怒るか。そのどちらかが怖いかは人によって変わるだろうが、少なくとも、端正な顔立ちの海堂には後者の方がお似合いだった。

 

「……見損ないましたよ。アンタの事を信頼してたのが、バカみたいだ」

「……んなこと、俺も分かってんだよ」

 

 しかし、北原も反論をする。

 海堂の胸ぐらを掴み、らしくない弱々しい声で訴えかける。

 

「オグリも、俺も、シンボリルドルフも! みんなが満足する選択があったってのか!? だったら教えてくれよ……海堂……!」

 

 北原も理解はしているのだ。どうしようもなかった、と。

 全員が満足する答えなんてない。オグリキャップに東海ダービーを諦めさせるだけの理由も見つからない。中央に移籍させるには、こうするしかなかった。

 

 オグリキャップとベルノライトに黙って条件を許容して貰い、シンボリルドルフと海堂に条件を否定された北原の精神は、既に限界ギリギリと言っても良い程ボロボロだった。

 

 3ヶ月の間、夢と現実の間で板挟みになり、存在しない答えを追い求めた。

 オグリキャップに夢を諦めさせ、中央に移籍させる理由。それを必死になって考え続けた。

 

 一歩間違えれば、今まで築き上げてきた信頼関係は粉々になる。最悪、中央移籍もできずに契約破棄という可能性だってあり得る。

 そのシビアな問題に、答えを出さねばならなかった。誰もが納得するわけではないが、大抵は満足し、一部の者も納得こそできないが″まぁ、仕方ない″と思えるような答えを。

 

 それが出すのがどれだけ大変かは、海堂にも分かる。

 

「……俺が言いたいのは、アンタのその選択は絶対に間違ってるってことだ」

 

 しかし、精神がボロボロであろうが、問い詰めることには変わりないのだ。

 同情の余地すらない選択をしたというのもあるが、大切な教え子――――フジマサマーチを侮蔑することは、海堂の一番の地雷と言っても過言ではなかったからだ。

 

 問い続けたのは、同情の余地すらない選択をしても、仕方ないねやそうするしかなかったで済ませられるほど、海堂が大人でなかったからかもしれないが。

 今よりも少し大人であったとしても、多少怒りはしたかもしれない。それでも、ゴールドジュニアで目を覚まさせてやるだけだと考え、直ぐに冷静になっただろう。

 

「オグリキャップを信頼しないだけじゃなく、マーチをも侮辱した。そして俺との約束も反故にした……それを考慮しても自分の選択は間違ってない、自分の選択に満足してるって、アンタは胸を張って言えるか?」

 

 いいや、俺なら言えないね、と。

 無言で首をゆっくり横に振り、話を続けた。

 

「どれだけアウェーだったとしても、ウマ娘の勝利を願って隣に立ち続けるのがトレーナーの役目だって、俺はアンタから学んだ。負けは考えちゃならないって思えるようにもなった」

 

 勝ったらこうしろ、負けたらこうしろじゃない。

 トレーナーというのは、常にウマ娘の勝利を願い続けるためにいるのだと。海堂は北原から学んだのだ。

 

 トレーナー1人じゃ夢は叶わない。ウマ娘1人でも夢は叶わない。

 トレーナーとウマ娘。その2人が出会い、信頼関係を築いて人バ一体となることで、夢というものは初めて形になる。

 

 ウマ娘はトレーナーに勝利を届けるべくして走り、トレーナーはウマ娘の勝利を信じ続ける。それが本来のあるべき姿なのだ。

 だが、目の前に座るトレーナーの関係はどうだ?

 

 勝ちを目指して走る。その目的を失い、何のために走ればいいか分からなくなったウマ娘。

 勝ってくれと口では言うが、心の中では負けてくれと密かに願うトレーナー。

 

 これはあるべき姿ではないと、誰が見ても分かるだろう。

 

「俺は……アンタみたいなトレーナーになりたかった。自分の夢をバカみたいに追いかけられる、アンタみたいなトレーナーが俺の理想のトレーナーだった」

 

 言ってしまえば、海堂は″芯″となる自分の夢を持っていなかった。

 ――いや、厳密に言えば持ってはいる。だが、それは自分で作ったものではない、他人によって作られたものだった。

 

 東海ダービーを制覇したいという細かい夢から、歴史に名を残すウマ娘になりたいといったアバウトな夢まで。それが君の夢なら、俺はどこまでもついていくといった風に。

 それが、海堂真というトレーナーのスタンスであった。

 

 だが、海堂にはこういうトレーナーになりたいという夢が無かった。

 三冠ウマ娘のトレーナーになりたい。凱旋門賞を制覇したい。地方の英雄になりたい。トレーナー誰しもが持つ自分のための夢を、海堂は持っていなかった。

 

 普通、トレーナーとウマ娘は契約前に互いの目標を語り合う。それが一致して初めて、トレーナー契約をするかどうかのスタートに立つことができる。

 トレーナー契約には、そういったプロセスがある。

 

 しかし、そのプロセスに当てはまらない例外もいる。

 たとえば、一方的に夢を聞いて、聞いたら聞いたで自分はそれについていくだけだと言って他人に委ねるをスタンスとする男。

 

 ……まあ、その例外の男が今現在怒りに燃えている彼なのだが。

 

 とにかく、君の夢を叶えるが基本スタンスであるが故に、海堂は他人のための夢と呼べるモノは持っていた。

 トレーナーとして成長する上で一番大事とも言える、自分のための夢は持っていなかったのだが。

 

 だから、かもしれない。

 自分の夢を持ち、自分の夢をガムシャラに追い続ける北原が羨ましく、北原のようなトレーナーになりたいと思うようになったのは。

 

「俺はアンタにトレーナーのイロハを教わった。オグリキャップと同じで、アンタがいなけりゃ今の俺は存在しなかった。アンタの教えは決して無意味なんかじゃなかった……!」

 

 どうしてそうなったんだ、と。

 怒りと同時に現れる、苦しみの感情。海堂の顔からは、その2つの感情が読み取れた。

 

(……オグリキャップに、話を聞きに行こうか)

 

 ふと、頭の中に1つの考えが浮かぶ。

 今回のこの話で、オグリキャップが満足しているとは到底思えない。他人のためにをモットーとして走るオグリキャップが、誰かを幸せにできない走りに不満を抱いていないはずがないのだ。

 

 今ここでオグリキャップと話をすれば、何か解決するかもしれない。少なくとも、今よりかは良い状態に傾くだろう。

 

(けど……それを俺がして、一体何になるんだろうか)

 

 オグリキャップのトレーナーでないからこそ、新たな活路が開けるかもしれないというのは、あながち間違いでもないかもしれない。

 だが、それで良いのかと。今より良い状態になるとはいえ、それが本当に今やるべきことなのか、と。

 

 いいや、違うだろう。

 今やるべきなのは、ゴールドジュニアで全てを出し切ることだけだと。そう判断した海堂は、無言でトレーナー室を出て行った。

 

「……俺もまだまだ、子供で半端者だってこと、か」

 

 冬の夜空に響く、弱々しい小さな声。

 その声は、誰にも聞かれることはなかった。

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