ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション 作:ウママママ
「シンボリルドルフからね、スカウトされたんだ」
スティック状の栄養食品を齧りながら、海堂はおもむろに呟く。
朝はパンを食べた。今日の朝寝坊しかけた。そういった、何気ない日常の一欠片を語るかのように、なんとなく呟く。
「……え?」
それを聞いたフジマサマーチの耳が、一瞬ピンと跳ねる。
冗談はよしてください――と、言いたかった。しかし、言えない理由があった。
ギャグはそこそこ嗜んでいるかもしれないが、こういったつまらない冗談は絶対に吐かない。海堂がそういう人間であることを、フジマサマーチは知っていた。
だから、その発言が本当なのだと、直感的に分かってしまった。
「オグリキャップと同じってことで、俺も中央に来て欲しいらしい」
海堂は、この発言の重みを理解していない。
まぁ、シンボリルドルフに直接断りも入れたし、話をしても大丈夫だろうと。その程度の認識でいたのである。
――何故、8割から9割の確率でパーフェクトコミュニケーションを行えるのに、肝心なところで1割を引いてしまうのか。それが不思議でたまらなかった。
話を切り出すならば『シンボリルドルフにスカウトされたけど、断ってきた』が最適だろう。実際、無意識下にある抽選機で当たりの9割を引けていたのならば、海堂はそう切り出していた。
しかし、あろうことか肝心なところで1割を引いた。後1人で完全試合だという時に、ピッチャーの代打で出てきた1割バッターにヒットを打たれた。
まぁ、大事なところではかいこうせんを外すのと同じようなものだろう。
「昨日、1人で帰ってくれって言ったでしょ?」
「確かに、言いましたが……」
「シンボリルドルフに引き留められたからなんだ。結局、積もる話もあって2時間前後話をして、そこで色々と聞いた。ライセンスを取得しなくても中央に行けたり、待遇がちょっと良くなったり……そういう色々な条件を提示された」
結局、カフェには2時間滞在した。
内、スカウト関連の話をしていたのが15分から20分。残りの1時間40分を、野望や将来性やウマ娘の幸福についてだなんだと語っていた。
当然、カフェ側は困った。というか気が気じゃなかった。
いや、客としてはかなり良かった。コーヒー1杯で2時間滞在されたわけではなく、ケーキやらサンドイッチやら色々頼んで金を落としてくれたのだから。
ほとんどのウマ娘が健啖家であり、シンボリルドルフもその例に漏れない。事実、シンボリルドルフはサンドイッチを4つ頼み、コーヒーに至っては7杯頼んでいた。
だが、それにしたって怖いものは怖い。そこに滞在していたのはカサマツNo.1トレーナーと中央の最高権力者だったのだから。
私の権力次第で、この店潰すことだってできるんだぞってことで――と、急に言われたらどうしようかと恐れていた。言われるわけないのだが。
ちなみに、その店のサンドイッチとコーヒーは絶品だった。怒りのあまり、机の上の物を全部倒してしまうなんてことが考えられないくらい絶品だった。
まぁ、それはそれとして。
スカウトされたことを黙っていようかとも考えたが、一応話しておいた方が良いだろうとも海堂は考えていた。
移籍するなら相談をするべきだが、2人の間で断ると完結したのなら話したところで何も変わらない。それは正しい。
ただ、表裏一体である。海堂の裏には、フジマサマーチが存在する。それがもう1人の僕だ――というわけではないが、ほぼそれに近い存在である。
だから、話しておくべきだと。肝心なところでハズレを引いただけで、その判断自体は正しかった。
フジマサマーチの意見によっては話が変わってくるかもしれないが、基本は断る方針で行く。何かあれば、相談した後に再度電話をする。
結局は、行ってくれと言われようが行かないでくれと言われようが、断りの連絡を入れるつもりでいる。海堂とシンボリルドルフの間には、そういった約束が交わされていた。
「……海堂トレーナーは、どうするんですか?」
しかし、フジマサマーチからしてみたらどうだろうか。
ライバルが中央に移籍し、最も敬愛するトレーナーも今まさに引き抜かれようとしている。
立て続けに起こる引き抜き、消えようとしている心を許すことのできる相手。
シンボリルドルフに対し、許せないという憎しみの感情は全く湧いてこない。
オグリキャップと海堂。身近にいる2人が、現環境最強のウマ娘に認められたという事実が嬉しいという感情の方が勝っていた。
ただ、嬉しさは純度100%ではない。
8割方は嬉しいが占めているが、残りの2割は――行かないで欲しい、という願望の気持ちが心を占めている。
フジマサマーチは、海堂が既に決断を下していることを知らない。
だから、もしかしたら自分を置いて中央に行ってしまうのではないかと。心配でしょうがなかった。
「まあ、迷っているというか……いや、全然迷ってはいないけど、一応、マーチの意見も聞きたいと考えてはいる」
海堂の言い分から、移籍をするつもりは全くないということが読み取れる。
――ああ、そういえばこの人はそういう人だったな、と。少しばかり冷静になったフジマサマーチは、海堂真という男の異常さを再確認した。
おそらく、自分のことを思ってここに残る。君を置いていくつもりは無いと言って、スカウトを断る。
(……ただ)
しかし、それで良いのか、どうなのか。
何百倍もの倍率の試験を受けなくても、皆が夢見る中央の世界に行っても良いですよと言われ、断る人間がいるのだろうか。
いや、いない。ほぼいない。そう断言できるくらいには、地方と中央の差は大きい。
給与にしたって、待遇にしたって、環境にしたって。全てが天と地の差である。
普通は、上を見る。今いる環境よりも、少しでもいいからより良い環境になるように必死に努力する。
そして、より良くなるように努力をしていたら、頂上へのフリーパスが神から授けられた。今の海堂は、そういう状況にいる。
自分がいなければ、そのフリーパスを貰って頂上へ行く。それが分かっているからこそ、こうも思ってしまうのだ。海堂を縛っているのは他でもない自分なんじゃないだろうか、と。
奇しくも、フジマサマーチは北原と同じ考えを持ってしまったのである。
北原は『中央に行け』と言葉に表すことができなかった。その分、レースに条件を付けることで遠回しに中央に行けと伝えたのだが。
フジマサマーチは、言葉に表すことができるウマ娘だった。
だから、行ってくださいと言おうと思って
「……行かないで、ください」
しかし、言えなかった。
行かないで――と、引き留めてしまった。違う、自分が言うべき言葉はそうじゃないと分かっているのに。
言葉が直前で変わった理由は、特になかった――というよりかは、ただ漠然と嫌だったから、変わった。
その嫌が、どこから出てきているのかは分からない。
ただ、なんか嫌だ。海堂真というトレーナーが、自分以外のウマ娘を担当しているのが嫌だ。そう思ってしまったのである。
勿論、海堂がトレーナーである以上、自分がレースから引退すれば別のウマ娘を担当する。それは別に構わない。というか、そうしないとやってられないというのは分かりきったことである。
だが、自分がまだ競走バとして現役を続けている間に、他のウマ娘に手を出されるというのが――それがとにかく嫌だった。
孤独に慣れていたウマ娘が、もう孤独では耐えられないとカミングアウトをした。
海堂とオグリキャップが中央へ行けば、フジマサマーチの生活は元に戻る。
孤独に戻り、また己を超えるべく走り続ける。そして東海ダービーを制覇し、また新たな山の頂を決める。
今までが圧倒的なプラスだっただけで、2人が離れたからと言って圧倒的なマイナスにはならない。
初期状態――0に戻るだけだと。頭ではそう理解していた。
しかし、もう0では満足できなくなっていた。
満足できなくなったのは、何時からだろうか。
最初は、自分の努力を正当化するために走っていた。レースは勝って当然であり、東海ダービー制覇のための、果てしなく長い階段の内の1段でしかない。
故に、勝利しても嬉しくはなかった。それが当たり前だと思っていたから。
それは何時しか、周囲から強く刺激されることで変わっていた。勝利は当たり前じゃなく、敗北は全てのウマ娘に共通して降りかかるのだと。
オグリキャップとの出会いで、思考が変わった。負けたくない相手が、過去の己から他人に変わった。
海堂との出会いで、思考が更に変わった。勝利は自分に与えるものではなく、他人に与えるものだと教わった。
海堂とオグリキャップがいなければ、今の自分は存在しない。それが分かっているからこそ、強く引き留めてしまった。
離れないでくれ、と。
「いや、行くわけないだろ」
「……え?」
へなへなと垂れていた耳は、みるみると回復していき、再びピコンと立ち上がる。
「そりゃ中央には行きたいけどさ、行かないよ。マーチの夢を追うって約束したんだしさ。シンボリルドルフにも行かないって言ってあるし」
――なら、先にそう言ってくださいよ。
フジマサマーチが海堂に反発することは一度もなかったが、今日ばかりは反発しても良いだろう。
あまりにも酷すぎるというか、そこでファンブルを出すなと言わんばかりのミスをしたのだから、これは誰が悪いかと聞かれれば、100%海堂が悪いのである。フジマサマーチは悪くないのだ。
とにかく、第二次移籍問題はフジマサマーチの杞憂で終わった。当事者の口から『残留する』と出た。
ぐーっと右手を上に伸ばし、見えない何かを掴むかのようにしながら海堂は呟く。
「俺が地方のトレセンに入った理由、聞いた事あったっけ?」
「言ってませんが……それを聞いてくるだけの理由はありますよね」
中央に行ける力があれば、100人中100人が中央を選ぶ。
そして、海堂には中央に行ける力があった。その力はシンボリルドルフにも認められていた。
にも関わらず、海堂が選んだのはカサマツだった。
これは北原も言っていたことであるが、地方のライセンス取得試験に半年で受かるのならば、大学に籍を置きつつ中央ライセンスを取得した方が絶対に良いのだ。トレーナーと試験勉強のマルチタスクほど、効率の悪いことはない。
だから、何か理由があってカサマツにいるのだと。海堂から尋ねられた時点で、それが分かっていた。
「まぁ、中央じゃ色々と制約が多いからな。トレーナーとして1人立ちするには10年前後はかかる。ただ、地方経由で中央に行けば、その1人立ちするための期間が滅茶苦茶少なくなる。俺はそれを狙った……ある種、地方は中央移籍をするための踏み台だと。そう考えていた」
まぁ、厳密に言えばそれは違う。
本気で踏み台だと考えているのならば、地方トレセンで手を抜いていた。本格的に頑張るのは中央に移籍してからで、地方トレセンに在籍していたという情報だけ貰えればいいや、と。
極論ではあるが、結局は中央に移籍するのならば、カサマツにいる間はその舐め腐った思考でもよかったのだ。
この男は、地方トレセンでトレーナー経験がある。その情報さえあれば、中央移籍した後に即1人立ちすることができる。RTAのテクニックが如き圧倒的な時間短縮になる。
しかし、海堂はウマ娘が持つ夢とひたむきに向き合った。
そもそも、地方トレセンを選んだ理由が『夢を早くから追いたいから』である以上、そのような邪道な手を取るわけがないのだが。
「穣さんにも言われたさ。そんだけ早くに受かったんなら、なんで我慢して中央に行かなかったんだって。……ただ、地方を先に選んだその判断は間違えてなかったと断言できる。穣さんに出会い、オグリキャップに出会い……君にも出会うことができた。最初から中央に行ってたら、マーチとは出会えなかっただろうから」
だから、俺は今も満足している。そう付け加えた。
「というか、行かないでくれって言ってくれて良かった。行ってくれって言われたらどうすればいいのか分からなかったんだ」
まぁ、行ってくれと言われた時は、この場でシンボリルドルフに電話をかけて再度断りを入れるといったパワープレイで凌ごうと思っていたのだが。
「最初は、行ってくださいと言おうとしたのですが……」
「その言い分だと、行かないでくれって言う予定はなかったみたいだけど?」
「孤独になるのは、嫌だったので」
「……そっか」
変わったな、と。
少し目を見開いて、その言葉を受け止める。
「なら、俺はマーチが満足するまで隣にいるよ。孤独にはさせない」
そして、海堂の無意識下にある抽選機は9割のアタリを引いた。
プリティー要素、どのくらい欲しい?
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