ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション 作:ウママママ
彼は、夢を持ったことがなかった。
おそらく、記憶が無いだけで持っていたかもしれない。記憶の外側────それこそ、幼少期の頃。その時には、特撮ヒーローになりたいだのといった夢を持っていたかもしれない。
ただ、記憶の内側────彼が覚えている範囲で、彼の中にこれといった夢があったかどうか。それに関しては″あった″とは答えにくい。
結論から言ってしまうと、本当に持っていなかった。
そして、それをコンプレックスと感じることもなかった。別に、夢はなくとも生きていける。それは分かっていたし、実際そうだった。そしてそうだったとしても人生は楽しかった。
とりあえず上を目指し、とりあえずライバルを設定してそれを超えるべく努力し、最終的にそこそこ良い評価を得る。
彼の全ての行動に、副詞のとりあえずが付いていた。その″とりあえず″は、夢を持っていないが故に、外せないノロイの装備と化していた。
基本的に、彼は″何でも″できる。
何でもできるというのは、ある程度の物事ならそれなりにできる────といった器用貧乏レベルの話ではない。
器用貧乏ではなく、どちらかと言えば″センスが良い″。それでいて、自分自身に課した努力がちゃんと結果に反映される。
故に、彼は現状にある程度満足していた。
おそらく、職に困ることはない。大きく道を踏み外すことさえなければ、ある程度の大学に進学し、ある程度の企業に就職できる。
まぁ、過程はどうあれ最終的にはうまく行く。その考えが、夢を持たない彼を阻害していたとも言える。
今ある現状の何かを変えなければという意識。もしくは、何かにあてられなけるといった経験がなければ、夢というものは見つからない。
ただ、別に不満があったわけではない。
家庭に何かしらの問題があっただの、経済的な問題があっただの。そういった問題は彼には一切存在しなかった。
どこにでもある普通の家庭。何かしらの歴史があるわけでもなく、政治的な力を持っているわけでもなく、特段裕福であるというわけでもない。
本当に、普通の家庭に生まれた。故に、不満など出てくるわけがなかった。
とりあえず、なりたい職業とかはない。ただ、今はないだけでいつか見つかるだろうし、その時に後悔しないようにしておこうだ。
高校生活では、そんな感じのスタンスを基本として立ち回っていた。
彼は夢を持っていない。だが、そうだったとしても未来に期待はできる。
今日は右足から踏み出そうか、左足から踏み出そうか。こっちの道から行こうか、遠回りしてみようか。未来というのは、毎秒のように訪れる、些細な選択を幾つも積み重ねた上で形成されている。
そして、未来を読むことは誰にもできない。ただ、未来を読めずとも、見えない未来を少しでもより良いものにしようという努力くらいはできる。
だから、未来の彼自身にバトンを託すため、彼はその努力を積み重ねた。
今はまだわからない未来────未来の自分なら、何かしらの夢を持っているだろうと。そう信じて、常に上に立とうとしてきた。
彼が唯一上に立てなかったのは恋愛だけだったが、逆に言えば他のほとんどで″上″に立つことができた。唯一ダメだったのが恋愛だというのに、別に後悔はしていない……と言えば嘘になるが。無理なもんは無理だと割り切ることで解決した。
とにかく、彼の未来がより良くなるための努力。それはほぼ成功していたと言えた。
そして────高校卒業直後の、春休みのとある1日。
その1日が、彼の人生を劇的に変えた。
その日は、なんとなしに地元カサマツのレースを見に行った。
大学受験も終わり、色々と制約やしがらみから解放された春休みのとある1日。友人にウマ娘のレースを見に行こうと誘われた彼は、いつものように″とりあえず″で行ってみることにした。
恥ずかしい話であるかもしれないが、野球・サッカーと並ぶ″日本三大スポーツ″に含まれているウマ娘のレースを、彼は見たことがなかった。
まぁ、強いて言うなら、シンボリルドルフというウマ娘が滅茶苦茶に強く、三冠を狙えるかもしれないだどうだというのをニュースで見た気がするなと。当時の彼には、その程度の知識しかなかった。
初めてのレース場に関しての感想も、思ったより広いしテーマパークみたいでテンションが上がるな、程度のものであった。
当然、脚質なんてものはわからない。逃げと差しはギリギリわかる程度で、先行と追い込みなんてもっての外。陸上を少しでも齧っていればわかったのかもしれないが、生憎陸上は齧ったことがなかった。
故に、レースを見ると言っても────ゲートが開いて、飛び出して────人間には出すことのできない超スピードで駆け巡り、綺麗な黒髪のウマ娘が一番早くゴール板を切った。見たレースの説明をしろと言われたら、その程度の説明しかできなかっただろう。
ただ────成程、競バファンや周囲が熱狂する気持ちも分からんでもないな、と。人生初めてのレースを見た時、彼はそう思った。
何も分からないなりにも、分かるものはあるものだ。
(独走できる先頭と、誰にも邪魔されない最後方。そこ以外のポジションだと、必然的に読み合いが生じる……その読み合いを楽しみにしているのか?)
隣を走るウマ娘がこう動けば、自分はこう動く。それをさせまいと、他のウマ娘は自分に干渉してくる。それを避けつつ、フルパワーを出せるように場をコントロールする。
レースを、空間を。どれだけコントロールし、自分の思うままに支配することができるか。他人の世界に干渉し、思考能力を奪っていくか。
厳密に言えば、それはどちらかというとトレーナーが考えることであるし、その視点からレースを見ている観客はごく少数であったのだが。
とにかく、彼の興味はその″読み合い″の部分に注がれていた。
野球やサッカーに関わらず、どのスポーツであれ読み合いという要素は存在する。
ただ、ウマ娘のレースは違う。他のスポーツがチームとチームのぶつかり合いであるのに対し、ウマ娘のレースは個と個のぶつかり合い────それも、複数人が入り乱れた上での読み合いが展開される。
人間の陸上とは違う、圧倒的速度で繰り広げられる頭脳戦。それに彼は魅了されていた。
(俺があのウマ娘だったらこうする……いや、違うな。人間とは出せる出力が違うんだから、あそこで本気を出そうもんなら体勢が崩れて走るどころじゃなくなる、か)
面白いな、とは思った。これでこの後にライブを行うというのだから、ウマ娘のレースが国民的人気になる理由もわかった気がした。
ウマ娘は皆揃って別嬪であり、その上プロスポーツ選手とアイドルを兼ねているとなれば、人気にならないわけがないのだ。
まぁ、ウマ娘側はとんでもないハードスケジュールを強いられているだろうなという想像はできるが。それはともかくとして、人気になるのも分かる。
ただ、結局はそこまでだった。
面白いとは思うが、だからといってウマ娘のトレーナーとか、トレセンの職員になりたいかどうかと問われれば────いや、別にいいかな、と。
サッカーの試合でスーパープレーを見たからといって、心が揺さぶられてサッカー関連の職に就きたいと思うようにはならない。それと同じだった。
そう、その時までは、そう思っていた。
「……なあ」
「どうした?」
彼の視線の先に、1人のウマ娘が映る。
彼の目に映ったのは、1着を獲得し、観客席に手を振っているウマ娘────ではなく、その後ろにいた、一歩力の及ばなかった2着のウマ娘だった。
10人中2着。一言で言ってしまえば、上位20%である。ハッキリ言って、母数が少ないだけで素晴らしい成績であると言える。
ただ、彼女はこのレースに対し、誰よりも強い想いを懸けていたかもしれない。それこそ、2着では満足しない。1着でなければダメなのだという強い想いを。
────いや、というか、懸けていた。彼女の目に浮かぶ涙がそれを示していた。
それが見えたからこそ、彼は疑問に思った。
このレースの
「このレースってさ、どんだけ有名なの?」
「有名っつったってな……重賞とはいえ、SPIIIのレースだし……ってか、重賞レースってわかるか?」
「重賞レースが何かは分からないけど、反応からしてありふれたレースなんだなってのはわかった。助かるよ」
一生に一度しか挑むことができないレースも存在するということは、流石の彼でも知っていた。
中央の皐月賞・日本ダービー・菊花賞。クラシックレースと呼ばれるそれらのレースは、デビューしてから2年目のクラシック期にしか挑むことができない格式高いレースである。
まぁ、それら3レースを全勝したウマ娘が歴代で何人いるのかまでは知らなかったし、あれだけ騒がれているシンボリルドルフならやりそうだな程度の認識でいたのだが。
ただ、そのレースに挑むべく、勝利するべく努力しているウマ娘が大半を占めているのだろうなと。何も知らない彼でも、その程度の想像はできた。
しかし────友人の反応から察するに、このレースはそれに当てはまらなさそうだった。
重賞。言葉の響きがいいから、おそらくレベルの高いレースなのだろう。
SPIII。IIIというのがランクだとしたら、上にIIとIがありそうだな、と。
つまり、このレースは周りから見てもそこそこ価値のあるレースではあると言えるけど、じゃあこのレースに絶対に勝たなければならないかどうかと聞かれたら────
(……いや、違うな)
そもそも、根本から違った。
客観的に見れば、このレースは東海ダービーなどのSPIのレースとは違って、ただのありふれた1レースでしかない。友人が言うように、それは事実である。
ただ────レースを走るウマ娘側。つまり走る側の主観から見たら、それは違うとも言える。
例えば、自分の親が同レースで1着を取得したとか、トレーナーとこのレースで1着を取得することを約束したからだとか。
観客の知らないところで、そういった人間ドラマが形成されている。レースに出場するそれぞれの想いがぶつかり、交錯する。
勝つ。レースに出場する以上、全てのレースで勝つ。
────そのウマ娘にとっての勝ちたいレースが、出場するレース全てだったというだけだと。俺は認識を改めた。
誰にとっても、絶対に勝ちたいレースというのは存在する。
そして、それはどんな規模のものでも良い。小さい地方の1レースから、中央の有マ記念まで。勝ちたいと思うことは罪ではなく────同様に、夢を語ることも罪ではない。
たとえそれがどんなに大それたものであっても。それこそ、デビューしてから引退するまでの全てのレースで1着を取るとか。そういうほぼ不可能なものでもいい。
夢を叶えるために、人は成長する。努力して、落ちてはまた這い上がって。そうした過程の上で、1着を取得し、目標に手が届き【夢】は叶う。
勝ちたいという闘争本能が、自分を更なる高みへ連れて行くということを、夢を持っていなかったが故に知っていた。
そして、ウマ娘にとっての勝ちたいレースこそが────彼女らそれぞれが持つ【夢】である、とも。
「どう思った?」
「は?」
「どう思ったはどう思っただよ。感想みたいなもの」
レースを見て、どう思ったか。彼はそれを尋ねた。
そして、おそらく″面白かった″が返ってくるだろうなと。そう予想を立て、友人の返答を待っていた。
「いや、感想か……面白いレースだなとは思ったよ。6番の娘の末脚も良かったし、逃げを貫いた2番の娘の姿勢も良かった、ってとこだな」
まぁ、概ね予想通りではある。
ただ、彼の感想は違う。そういったレースの感想ではなく、根本から違う。
レースを見たのが初めてだったからか、もしくは────走り、夢に向かいひたむきに努力するウマ娘の姿を見たからか。彼はレースというよりも、その内側に存在する本質の方を評価していた。
「俺はさ……美しいな、って思ったんだ」
「……お前、恋したのか? ウマ娘に?」
「別にしてないし、美しいって言ったってそういう意味じゃないよ。可愛いとは思うけど」
ただ、純粋に美しいなと思った。
美しいなと思ったのは、彼が夢を持っていないからとか、走っていたウマ娘が滅茶苦茶に可愛かったから────ではないとは思うが。
とにかく、夢を持っているからとか、夢を持っていないからとか。そういうのを抜きにして、夢に向かってひたむきに努力するのは美しいなと思った。
自分のような″なんとなく″ではない。
それぞれが夢を持ち、それぞれが夢に向かって努力を積み重ねる。そうした上で、今回のような涙が、喜びが生まれる。
夢の当事者にはなることができない。ただ、夢の道を舗装する役割にはなれる。
「あのさ」
そして、彼の思考はシフトした。
ただのプロスポーツの1つであるという視点から、その裏側の────挑むに至るまでの想いだとか、夢だとか。そっちの方向に、興味を持ってしまったのである。
「俺がウマ娘のレースに触発されたって言ったら、笑う?」
「別に笑わねぇよ。それも良いじゃねぇか。美しいって思うのは自由だしな」
「そう。ならそう言わせてもらうよ」
彼は────海堂真は。
この日、この時、この場所で。【夢】を抱いた。
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