ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション   作:ウママママ

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N36-忘れられない過去

 ────自分の脚が、とてつもなく重い。

 今まで17年生きてきた中で、そう思うことは初めてだった。

 

 ただ、そう思うこと自体は初めてではない。今と昔で、ベクトルの向きが大幅に違うだけであって。

 疲労が蓄積した結果、今まで動かし続けてきた脚が鈍器のように重くなり。それでも走り続けた結果、だんだん脚の疲労に関する部分が麻痺してきたといったことはあった。

 

 だから、厳密に言ってしまえば″脚が重い感覚″を覚えたことがないというのは、嘘になる。

 

 ただ、今は違う。ケアを行わず、行ったとしても最低限のレベルに留めていたあの時とは、まるきり全てが違うのだ。

 海堂やオグリキャップと出会い、休むことの大切さを知り、努力の最適化を知ったフジマサマーチは、元々の体の頑丈さも相まって、怪我とは限りなく無縁の存在になった。

 

 当然、常に最高状態でトレーニングができるのだから。無我夢中に走り続けていたあの頃と比較しても、今の効率は比べ物にならないはずなのだ。

 最高状態に見える調子、夢の実現が近づき昂る感情。

 

 ────夢は、私の手中にある。

 少なくとも、そう思っていた。それが実現に移る段階に、いた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ただ、偶に────とてつもない、不安感に駆られることがある。

 疲労感とは違う脚の重さや、身体にはびこる妙な不調感。自分の心の中に存在する、押したら駄目だとわかっているボタンの上で、今か今かとそれを押すタイミングを窺っているかのような手の動き。

 

 そのボタンを押せば、爆発する。今は好調のように見えている調子が、爆発して────東海ダービーで、見るも無残な結果を残すだろう。

 

 焦りが掛かりを生み、自分の得意の戦術が通じなくなる。

 仮に負けるとすれば、相手に封じられてでは無く、自滅が引き起こす────言葉では表せられない、みじめで、滑稽な負け方であろう。

 

 ────負ける、とは?

 コーナーを曲がりながら、フジマサマーチは考える。

 

 今まで、一度も考えることのなかった″敗北″が。

 オグリキャップと三度戦っても、決して浮かぶことのなかった″敗北″が。

 

 こうも、鮮明になって頭の中に現れる理由は?

 わからない。だから、考えるのをやめて無我夢中に走り続けるのだ。

 

 身体を蝕む鋭い痛みを簡単に忘れる方法は、我武者羅になってやらなければならないことをやることである。

 心の感覚を麻痺させ、来たる日まで誤魔化す。心の中に確実に存在するそれを一瞬でも忘れるために、あの頃のように無我夢中に走り続ける。

 

 やってはならないと頭で理解している過去のルーティーンを、もう既に1週間は行い続けている。

 一瞬でもいい。それが気を紛らわすことに繋がるのなら────と。

 

 半ば、原因不明の苦痛から逃げるようにして。フジマサマーチは、ひたすらに走り続けていた。

 

「……ふぅ」

 

 ゆっくりと減速しながら立ち止まり、ストップウォッチを持ちながらゴールで待っていたトレーナーを見る。

 

「悪くないね。前よりタイムが上がっているわけじゃないけど、常に最高状態はキープできてる」

 

 ────トレーナーの過去を、ほんの少しだけ知ってしまったから?

 自分の目の前に立つトレーナー────海堂真を見て、フジマサマーチはふと思う。

 

 ウマ娘と人間の間にある、決定的な種族差が産んだ事故。

 海堂は、フジマサマーチに聞こえていないつもりで呟いていた。万が一にも、自分の過去が外に漏れないように。誰にも聞こえないような、そっと小さな声で呟いたのだから。

 

 しかし、フジマサマーチには聞こえていた。″君の夢を背負うと誓って、何もしてやれなかった。最低の、ド三流のトレーナーの過去だがな″という言葉の、一字一句全てが。

 

 別段、気にしないつもりではいた。

 誰にとっても、隠したい過去という物は存在する。それは自分も同じであるのだから。

 

 大事なのは、隠したい過去と向き合った上でこれからどうするかを考えることだと。それを教わったのは、カサマツトレセンに入学してからであった。

 故に、フジマサマーチは誰よりも理解している。

 

 ただ────聞いた時、耳を疑ったのは本当であり。

 誰よりも強く、誰よりも尊敬していたトレーナーに、こんなにも弱い一面があったのかと。決して、動揺が無かったわけではない。

 

 それを聞いた衝撃で、心のバランスが崩れたか?

 

(……いいや、それは決して違うだろう)

 

 頭の中に浮かんだ考えを否定し、フジマサマーチは再度考える。

 

 おそらく、この不調自体はそれを聞くより前に存在していた。4月よりももっと前の、スプリングC前後から。気づいていないだけで、その不調の芽は既にうっすらと存在していたのだと思う。

 だと思うというのは、それが不確かであることを意味する。スプリングCで1着を取得し、問題がないように見えていただけであった。

 

 ────いつから、募り始めた?

 

 何が、この不安感の原因になっているのか。過去を見つめ直し、フジマサマーチはそれを探ったが、答えは見えてこない。

 原因を探そうとすれば、深い霧の中に迷い込んだようになり。ふと、気づかぬ内に後ろに回り込んでいたもう1人の自分自身(・・・・・・・・・)に刺し殺されるような。

 

 そんな奇妙な感情が、フジマサマーチを襲った。

 

「……マーチ?」

 

 ふと、トレーナーが自分の名を呼んでいることに気づいたフジマサマーチは、はっと目を開く。

 考えに耽ることはあった。ただ、それはあくまで集中力を伴っているもので。

 

 集中力を伴わない、ただぼーっとしただけの思考。それは、フジマサマーチにとって初めての体験であった。

 

「疲れてるのか? それとも脚の違和感か? 最近、走りすぎにも見えるが……」

 

(……貴方は、とてつもなく強い)

 

 誰よりも真っ直ぐで、誰よりも強欲で。それでいて、誰よりも努力を積み重ねているのだから。

 フジマサマーチが知っている人間の中で、最も強い者。それが、自分自身のトレーナーでもある海堂であった。

 

(オグリも、海堂トレーナーも……私よりも、ずっと強い)

 

 ただ、海堂の強いというのは人間の中での話であって。

 海堂の強いとは意味が違う強さを持つウマ娘。それが、かつてのライバルのオグリキャップであった。

 

 中央初戦でペガサスステークスに勝利し、その次の毎日杯で皐月賞ウマ娘・ヤエノムテキに勝利し、果てには5バ身差の大差を付けて京都特別杯に勝利し。

 3戦3勝。内1勝は後の皐月賞ウマ娘を圧倒しての勝利。

 

 悔やまれるのは、クラシック登録を逃したが故に日本ダービーに出場できないことか。

 当然、後の皐月賞ウマ娘を下したのだから。もしもオグリキャップが皐月賞に出ていたら、オグリキャップのクラシック登録が間に合い、日本ダービー出場が叶っていたら────という、たらればの話は生まれ。

 

 一種の民衆運動のような形に変貌したオグリキャップフィーバーは、遂にトレセン学園の生徒会長、シンボリルドルフまでをも動かすようになった。

 

 片や地方の1ウマ娘。片や社会現象を巻き起こす成り上がりのシンデレラ。

 

(……そう、か)

 

 やっと、気が付いた。

 黙り込む担当ウマ娘を見て、慌てふためく海堂を尻目に────フジマサマーチは、何が不調であるかに気がついてしまった。

 

 幸いなのは、これに気づいたのが東海ダービー2週間前であるということか。

 

「……海堂、トレーナー」

「どうした? 違和感があるならすぐに言ってくれ。東海ダービーもすぐ近いから、身体を休めることだって────」

「そうじゃありません」

「……言ってみて」

「違和感は……ないわけじゃないです。ただ、それは脚や身体ではありません」

 

 東海ダービー2週間前であるのにも関わらず、タイムは好調であり────言ってしまえば、例年の1着取得ペースは既に超えているのだから。

 つまり、邪魔さえされなければ問題ないラインまで仕上がっていると言える。これで身体や脚に不調があるわけないだろう。寧ろ、調子は限りなく絶好調に近いのだから。

 

 ただ、本番になれば一瞬で崩れる。それがわかっているからこそ、フジマサマーチはここで早くから切り出したのだ。

 

 フジマサマーチが持つ違和感に、海堂は気づく。

 

「……オグリキャップ、かな?」

「……!」

 

 海堂は、ある程度アタリを付けていた。

 元々孤独で、精神力が並のウマ娘より強かったフジマサマーチ。少なくとも、東海ダービーが────夢の実現が近くなったからといって、動揺するような娘ではないだろうとは思っていた。

 

 だから、仮に精神的な何かが発生しているとなれば────フジマサマーチ自身によって引き起こされた変化ではなく、フジマサマーチの周りが変化を作り出しているのだと。

 その読みは当たっていた。海堂がオグリキャップという言葉を呟いた瞬間、フジマサマーチの耳が反応したのだから。

 

「やっぱし、読みは当たってたみたいだな……間違ってるのが怖くて、今の今まで言えなかったけどさ」

「気づいていたんですか?」

「薄々だよ。つっても、1週間前まではあるかないかすらわからないラインにいた。本格的に確信したのはつい最近の話。トレーナーとしては、恥ずかしい話だけどね」

「つい最近……もしかして、私の走る量が多くなったのを悟って?」

「それを見て、昔のマーチみたいに戻った気がして……そこで確信したんだ。痛みを忘れるために走ってるんだって」

 

 やめさせるだけの、理由が存在しなかった。

 ────いいや、違う。ウマ娘のことを常に思い続ける海堂真というトレーナーなら、確実にやめさせていた。

 

 確実にやめさせていたのに、現実は真逆であった。

 これが示すのは、つまり。

 

「……俺も、否定はできない。意識的に忙しくして、過去の辛い話を忘れようとしてるってのは俺もやってるんだからさ」

 

 海堂も、同じことをやっているからである。

 

「それは、以前言っていた過去の話と関係が……」

「……東海ダービーの前に伝えるつもりでいた、哀れなトレーナーの話だ。それを今夜、君にその話をしたい。時間はあるか?」

 

 そして、呼び方が″君″に変わった。

 

 

***

 

 

 海堂が選んだのは、金華山の展望台であった。

 1年前、フジマサマーチとオグリキャップがここで出会い。腹を割って話し合って、関係性がライバルへと昇華したかのように。

 

 夜空を小さな星々が彩り、少しばかりの月光が差し込む展望台で。

 2人は、腹を割って。隠された過去の話を語ることを決意した。

 

「座って」

 

 海堂はぽんぽんとベンチを叩き、隣に座るように誘導する。

 それを見て、フジマサマーチが隣に座る。

 

 人工の光が少ないカサマツは、自然の光────星々が大地を照らすことが多く、幻想的であるのだが。

 何か、胸騒ぎがする。その幻想的さを壊すような、悲観的な話が来るのではないか、と。話を切り出そうとする海堂を見て、フジマサマーチはそう考えた。

 

「……さて、どこから話せば良いのやら」

「先にこれだけ聞かせてほしいのですが……海堂トレーナーの部屋にあった写真立てと、過去の話は何か関係が?」

「ある。俺が今から話すのは、トレーナーを初めて1年目の話だ」

 

 それから、海堂は過去の話を始めた。

 

「君の前に、担当してたウマ娘がいたんだ。黒髪でモフモフの髪があって、小さくて愛嬌があって可愛くて……それでいて、当時カサマツトレセンにいた誰よりも努力家でいて。

 俺は、その娘の走りに惚れた。もっと速いウマ娘はいくらでもいたけど、その娘が努力家だったから。俺は、その娘を担当することを決めた」

 

 しかし────結果は、知っての通りである。

 海堂の口から漏れた言葉。それを知っているからこそ、そのウマ娘との結末がどうなったのか。それが、わかってしまうのだ。

 

「君を担当しようと言った時、俺はトレーナー3年目だった。この意味はわかるよね?」

「……未勝利で、終わってしまった」

「……そう。そのウマ娘は未勝利で終わったんだ」

 

 通常、トレーナー契約というのはある例外を除いて3年が基本である。

 

 3年────つまり、トレセン卒業まで契約を結ぶ。そして、卒業後はその後のレースをどうするか。トレーナーを変更するか、しないのかの選択が与え得られる。

 とはいえ、大抵はトレーナーを変更することはない。3年間共に走り続けたのだから、絆は深い物になっていることが多く、今更変える必要もないというのが主な理由である。

 

 しかし────3年間の契約を継続できない、例外が存在する。

 それが、未勝利戦に勝利できず、2年の月日が経過するというもの。

 

 ここで、フジマサマーチの脳内にあった点と点がつながった。

 辛い過去、写真立ての意味、涙を流していた理由────そして、凄く幸せであった、海堂の夢。その全てが、1本の線となって結ばれた。

 

「俺はさ、今でも後悔してる。勝たせてやれなかったことが、夢を叶えさせてやれなかったことが……何より、俺自身が情けなくてたまらないんだ。

 あの時は何でも成功してたから、心の底では驕ってたんじゃないか、天狗になってたんじゃないかってさ」

 

 実際、そうではない。

 本人はこう言っているが、天狗になっているなんてことはなく────今もあの時と変わらず、誰よりも真摯にウマ娘に向き合っていた。これは事実である。

 

「そんなことはないです。海堂トレーナーは……」

「……いいんだ、別に。何を言われようが、何をしようが、過去は変わらないって。それは俺が一番わかってるんだからさ」

 

 これが、あの海堂トレーナーかと。

 隣に座り、弱々しく話す海堂を見て。フジマサマーチは、そう思った。

 

「……夢を叶えてやれなかった。その贖罪として、彼女と約束を結んだ」

「約束……?」

「約束さ。俺と彼女とで交わした、最後の約束。それがあるから、俺は君をスカウトした」

 

 おもむろに立ち上がり、海堂は虚空に向かって呟く。

 

「俺は……君のことを、ずっと前から知っていた。君が入学する前から、君をスカウトするつもりでいた」

 

 それが彼女との″約束″である、と。

 そう伝え、過去の話の中身を語り始めた。

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