ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション   作:ウママママ

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N37-誓いの場所

 ────とても、幸せな夢を見た。

 そう語っていた俺の顔は、どれだけ醜いものだっただろうか。

 

 ″夢を背負う″と誓って。

 ″君と走り抜ける″と誓って。

 

 そうして、1人の少女と約束を交わして。

 ────その結末は、どうなった?

 

 彼女の最後の言葉を、俺は今でもハッキリと覚えている。

 何を言ったのか、どんな顔で言ったのか、どんな声で言ったのか。それらを全て、一言一句間違えなく復唱できる。

 

 それは、俺の永久に心に刻まれた、二度と忘れることのない悲しき思い出だから。

 ……いいや、違う。忘れることのない思い出となったのは彼女の方であって、その上被害者は彼女の方であるのだから。

 

 悲しき思い出なんて言葉は、俺が使っちゃならない。

 

 隣に座るマーチを見て、過去の話に想いを馳せる。

 くだらない、バ鹿で、どうしようもないトレーナーの話を。

 

 ────″海堂さん、大好きでした″

 それが、彼女の最後の言葉だった。

 

 

***

 

 

 月夜の下の約束から、1年半が経った────クリスマス・イヴの日に。

 海堂は、校長室で面談をしていた。

 

 その理由は、未勝利で終わっているウマ娘────つまり、海堂の担当ウマ娘の解約解除の話であった。

 

「ちょっと待ってください! 制限時間までまだ数ヶ月はあるはずです!」

 

 契約解除が知らされたのは、12月24日────クリスマス・イヴの日だった。

 海堂に渡された、最悪のプレゼント。全てが書いてあるであろう一枚の紙を強引に受け取り、記載されている内容を読んだ。

 

 1勝もできていない彼女に対し、いずれ引退勧告が来るだろうというのは薄々気づいていた。

 海堂も夢ばかり見ているわけではないし、この時までは、理想の真逆にいる現実と向き合っていたのだから。

 

 彼女の人生を潰してしまうかもしれない焦り、恐怖心。それらが冷静さを削り、また新たな失敗の種を生む。そんな負のループにハマりかけていた海堂に対して告げられたのが、事実上の引退勧告であった。

 ただ、海堂も引かなかった。未勝利の彼女にも、ほんの少しではあるが時間が残されている。出れたとしても1、2戦であるが、そこで勝利さえ掴めばまだ続けられる。夢も叶う。

 

 そう思っていた矢先に渡された、実質的な契約解除の通知。

 信じられるかというより、信じてたまるかという気持ちの方が強かった。だって、まだ期限は残っているのだから。渡すのはもっと後だろうと思い、カサマツトレセンの最高権力者に噛み付いた。

 

 海堂の言葉を聞いた学園長が、静かに頷く。

 

「……海堂くん。確かに、君の言う通りだ」

「え……?」

「ほんの僅かではあるが、彼女にも時間は残されている。この時期に契約解除の話を切り出すことはあるが、契約解除だと告げるのは特別な事情がない限りはありえない」

「だったら、どうして……!」

「……彼女から、私に頼まれたんだ」

「……は?」

 

 ────今、なんて?

 そう聞き返そうと思っても、声が出なかった。

 

 喉の一部分を切り裂かれたかのように、声帯を取り除かれてしまったかのように。事態を受け止められない人間から一番最初に奪うのは″声″なのだと。

 海堂の口から声は出なかったが、どうやら相手は理解を示してくれたようであった。

 

「……私もわからないんだ。私から見ても、君たちの関係は皆のお手本にしたいくらいに良かったのだから。とても、彼女から切り出すようには思えなかったんだ」

「っ……!」

 

 学園長が嘘をついていないのが、わかってしまう。

 受け入れたくなくても、受け入れるしかない。これは真実であって、何枚も噛んだドッキリではない。

それが偽りを否定して、事実であることを強固にする。

 

 言い方からしても、学園長も受け入れてないのだ。

 彼女に限ってあり得ないし、何か理由があったにしても、海堂と不仲になった結果の契約解除ではないとも考えている。

 

「彼女にもまだチャンスは残されている。私だって、君の担当ウマ娘がこういった形で君の下を去るのは見たくないんだ」

「……話を聞いて、説得させてこい。そう言いたいんですね?」

「……そうだ」

 

 この話に結論を出せるのは、他ではない君でしかない。

 その先を説明せずとも、学園長が何を伝えたかったのかが理解できた。

 

 右手に持った契約解除通知の紙を握り締めて、″失礼しました″とだけ告げて、海堂は部屋を飛び出した。

 廊下を全力で走り、すれ違う生徒に奇妙な目で見られ、ありとあらゆる部屋を訪れ、同室のウマ娘に居場所を聞いて。

 今思えば、そんなに急いでどうしたんだと奇妙な目で見られていたんだと思う。ただ、そんなのは全く気にもならなくて。

 

 彼女の話を聞きたい。何が心を突き動かして、何がそうさせたのか。

 他でもない彼女の口からそれを聞き出すために、海堂はトレセン学園を駆け回った。ある一箇所を除いて、ほとんど全ての場所を探した。

 

 最後に訪れた場所────思い出の詰まったトレーナー室で膝に手をついて、海堂は呟く。

 

「どこだ……どこにいるんだ!」

 

 彼女は、どこにもいなかった。

 

 ────いいや、違う。どこにもいなかったのではなく、探そうとしてないだけだと。

 海堂は自虐的に笑いながらゆっくりと座り込み、右手に持った紙を見つめる。

 

 右手に持った紙に書かれた悪夢が、事実であることを認めたくない。

 たとえ事実であったとしても、彼女にそうさせてしまったという事実と向き合える気がしない。

 何より────彼女の夢を、粉々になるまで壊してしまった。この紙に書いてあることが事実だと判明すれば、必ずそうなってしまうとわかっているから。

 

 壊したくない。どうすれば罪を償えるのかわからない。なんと声をかけてあげればいいのかすらんからない。

 そんな子供みたいなくだらない理由で、海堂はとある場所を意識的に避けていた。

 

 冷静であれば、真っ先に向かう場所。かけがえのない思い出が幾つも生まれたあの場所。

 いつもの彼女であればそこにいると断言できるほどには訪れて、時間さえあれば自身もそこに行って一緒に時を紡いで。

 

 年月を重ねて共に作り上げてきた、彼女との思い出の場所。

 それが先程から避けていた、ある場所であった。

 

 ────それから、数分が過ぎて。

 自虐的に笑った後に少しばかり冷静になった海堂が、虚空に向かって口を開く。

 

「……現実と向き合わねぇで、どうすんだよ。バ鹿野郎」

 

 彼女は、″誓いの場所″で待っている。

 きっとでもなく、たぶんでもなく。100%そこで待っている。

 

 そう断言できるのは、海堂が粗方全ての場所を探し尽くしたからというのもあるが。

 全ては、あそこから始まったから。俺と彼女の大切な思い出は、あそこから構築されたから。それが脳に強く刻まれているからこそ、きっとこの時も待っている、と。それが確信に至った理由だった。

 

 彼女は、現実と向き合っている。

 彼女の心を突き動かす何かが確実に存在して、一度現実と向き合ったからこそ、こうやって形に現れて────契約解除の話になった。

 

 なのに、自分は現実と向き合っていない。今も″これだったらいいな″を求めて、空虚な理想と向き合い続けて、現実と向き合おうとしていなくて。

 そんな弱っちい自分が、嫌になった。恥ずかしくなった。

 

 何をしてんだ、と。自身を正気に戻すために強く頬を叩く。

 その後にゆっくりと立ち上がって、椅子に掛かったコートを手に取り、通知書はポケットに畳んで入れて。

 

 ────誓いの場所になら、必ずいる。

 その思いを胸に、海堂は再び全力で走り出した。

 

 肺が潰れそうになっても、足が縺れても。彼女がそこで待つというのなら、俺はそこに向かって走り続ける。それが俺たちの関係だったじゃないかと思っていたから、途中でぶっ倒れることはなかった。

 

「ぐっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 ゆっくりと減速し、ふらふらになりながらも前を見る。

 誓いの場所────多くの思い出が詰まったコース場に辿り着いて、そこに確実に存在する彼女の姿を探す。

 

「……!」

 

 彼女は、存在した。

 ただ、ここからでは顔は見えない。それが彼女であると象徴するのは、他の娘にはない黒い犬毛が生えていたからだった。

 

 ゴール板の下に立っていた彼女にゆっくり近づいて、息を整える。

 ただ────何か様子がおかしいというか、彼女が立っている場所が変であった。

 レース場の中にいるにはいる。ただ、彼女が立っている場所はコースの中ではなくて、その内側の何ともない部分────有り体に言ってしまえば、コースではない部分。そこに彼女は立っていた。

 

 あえてそこに立たなくてもいいだろう。そう声をかけたかったが、それよりも聞きたいことが多くて、どうしてそこにいるかを聞いている余裕はなかった。

 

 先に口を開いたのは、顔を見せない彼女の方からだった。

 

「……海堂さんなら、ここに来てくれる。そう思って、私はここで待ち続けてました」

「……君に聞きたいことは山ほどある。どうしてあんな選択をしたのか、何が君の心を動かしたのか。俺が悪いなら、ハッキリ向き合って悪いと言ってくれ」

「何を聞きたいかなんて、全部わかってますよ……私は海堂さんとずっと一緒にいたんですから、海堂さんの心なんてお見通しです」

「とにかく、寒いだろうからトレーナー室に行こう。話は向こうで聞くからさ」

 

 彼女の傍に歩み寄り、コートを脱いで、彼女に掛けようとする。

 12月の夕方となれば寒いに決まっていて、彼女はおそらくこの場所で自分を待ち続けていたのだから。

 厚着をしていたとしても、寒いものは寒い。凍え死ぬとまではいかないだろうが、この寒い中待たせ続けてしまった自分に全ての責任がある。そう思って、彼女がいる向こう側(・・・・)に行くために、海堂が柵を跨ごうとしたところで────

 

「……止まってください」

 

 彼女が、再び口を開いた。

 

「止まってくださいって言ったって……ここを跨がなきゃ、君にコートを掛けられないだろ」

「……海堂さんは、こちら側の人じゃないんですから。ここを跨いじゃダメなんです」

 

 ────こちら側。

 その4文字だけで、海堂は悟ってしまった。彼女が言うこちら側とは、何を指しているのかを。

 

「何言って……!」

「海堂さんが立っているコース。貴方と共に、何度も走り抜けたコース……もうそこに、私は入れないんですから」

 

 そう言って、振り向いた彼女の目には。

 ────大粒の涙が、灯っていた。

 

 それを見て、今日自分の身に起こった全ての出来事が真実だと理解した海堂は、彼女に向かって思い切り口を開いた。

 己が持つ想いを、全て伝えるために。

 

「君はまだやれる! 今は未勝利だったとしてもまだ3ヶ月はある! 夢が叶うチャンスは残ってる! 諦めないで、走り続けて……それが君らしさじゃなかったのか!」

 

 たとえ無理だとわかっていても、努力することは放棄したくない。

 それが彼女のポリシーであるからこそ、海堂は説得をした。それは君らしくない、と。

 

「まだ諦めちゃダメだ! 這い上がるチャンスは残ってて、それさえやれれば────」

「……もう、いいんです。海堂さん」

 

 ゆっくり歩み寄った彼女が、海堂をそっと抱き締める。

 それでも、頑なに柵は越えようと────向こう側から、こちら側の世界へ来ようとはしなかった。

 

 私はもうそこに立つ資格がなくて、貴方と同じ場所にはいられない。けれど、せめて、貴方のことを感じるくらいはさせてください。

 今夜はクリスマス・イヴなんだから────それくらいは、許されますよね? と。

 

 宝石のように輝く大粒の涙を零す彼女が、名残惜しげにそう呟いた。

 

「私、思ったんです。神様って本当に存在するんだなって」

「何言ってんだ……まだ終わっちゃいないだろ! 君の夢は!」

「……貴方は、私と違うんです。私が立ってるのはここで、貴方が立っているのは光り輝く向こう側」

「ここに立つ資格は俺の物だけじゃない! 今夢を諦めようとしている君にだってある! 君だってまだ走れる! 止まっちゃダメだ!」

 

「……私を、海堂さんと出会わせてくれたこと。夢を見せてくれたこと。幸せな日々を過ごさせてくれたこと。全部、神様に感謝しなくちゃですね」

 

 ────もう、ダメなんだと。

 どんなに言ったとしても、彼女は気持ちを変える気はない。どんなに引き止めても、彼女がこちら側に戻ってくることはない。

 

 焦りながらもほんの少し冷静ばかりだった頭が、事実を突きつける。

 とても残酷で、絶対に認めたくなかった、事実を。

 

 それ以上はやめてくれ。そう一言かけられたら、どれだけよかっただろうか。

 

「……なんで、契約解除を選んだか。その理由をお話しないとでしたね」

 

 そうして、彼女は優しい声で語り始めた。

 

「海堂さん、優しいですから……きっと、私が未勝利のまま終わって自動的に契約が解除されたら、燃え尽き症候群みたいになっちゃうんじゃないかって。そう思ったんです」

「だったとしても……君の口から、契約解除を告げる必要なんてなかっただろ……?」

 

 夢を叶えることができなかった。

 それに直面したとなれば、海堂は燃え尽き症候群になってしまうというだろう彼女の読みは、大方当たっていた。

 

 海堂真の弱点でもあるが、彼は1人のウマ娘に対しての思い入れが激し過ぎるのだ。

 トレーナーである以上、何十人もウマ娘を担当する。その何十人に対しても真摯に接して、共に泣いて、共に喜んで。若さ故に存在しない、トレーナーとしての非情さ。

 海堂には、それが存在しなかった。

 

 ただ、そうだったとしても。遅かれ早かれ契約解除になるのならば、今このタイミングで切り出さなくても良いだろうという海堂の疑問も的を射ていた。

 

「……海堂さんに、見てもらいたいウマ娘がいるんです」

「見てもらいたいウマ娘……?」

 

「その娘は誰よりも速くて、誰よりも夢を持ってて……でも、ずーっと1人ぼっち。誰かと一緒にいた所を見たことがなくて、1人でずっと走って、夢に向かって努力してる。そんなウマ娘がカサマツにいるんです」

 

 このタイミングで、一体何を。

 そう言わずに、いつまでも子供でいるのをやめて現実を受け入れた海堂は、両手を彼女の首元に回して、俯いて。彼女の話を、黙って聞き続けた。

 

「その娘は東海ダービーを目指してるくらい凄いから、きっと人気になります。そんな時に海堂さんがへこたれてたら、他のトレーナーさんに奪われちゃいますから」

「……どうして、俺に担当してほしいんだ。俺じゃなくてもいいだろう?」

「……海堂さんじゃなきゃ、ダメなんです。私たちウマ娘のことを考えて、とにかく戦い続けて。必要なら、私の靴になって、翼になって、壁にもなる覚悟がある。

 誰よりもウマ娘を考えるトレーナーさんじゃないと、その娘を担当できないから」

 

 ────だから、自分自身を諦めるというのか。

 その想いで、海堂は名前を尋ねた。

 

「……その娘の、名前は?」

「″フジマサマーチ″って娘です。海堂さんが、その娘と一緒に東海ダービーを制覇するのを見る」

 

 ────それが私の今の夢です。

 白い息と共に漏れた誓いが、海堂の胸を強く打つ。

 

「今の、夢……」

「……約束してくれますか? 海堂さん」

 

 約束しない、なんて言えるわけがなかった。

 

 それが今の彼女の夢であるならば、彼女が新たな夢を見つけたのであれば。

 もう、トレーナーでない自分にやれることは、たった1つしか残されていなかった。

 

 ウマ娘の持つ夢を尊重するスタンスに則った海堂は、全てを受け入れるしかなかった。

 

「約束する……俺は必ず、君の夢を叶えてみせる……」

 

 夢を叶えられなかった男が言うな────そう言われても、おかしくはなかったが。

 今の海堂では、そう言ってやることしかできなかった。

 

 本物の″覚悟″を決めた海堂を見て、彼女が泣きながら微笑む。

 

「なんだか、懐かしいですね……去年出会った時も、こんなこと言ってませんでしたっけ」

「……泣いてなかっただろ、その時は」

 

 契約を解除するにあたった、彼女なりの理由。

 彼女が抱いた、新たな夢。

 彼女と交わした″最後の約束″。

 

 それらを全て聞いて、何かが吹っ切れ────海堂の目から、大粒の涙がぽろぽろと流れ始めた。

 

 男は大声で泣くことができない。それが心の底にあるとわかっていても、泣かざるを得なかった。泣くことしかできなかった。

 こんなバ鹿なトレーナーでごめん、と。子供のように泣きじゃくって、彼女に謝り続けた。

 

「ごめん……ごめんな……こんなバ鹿なトレーナーで、夢を叶えることすらさせてやれなくて……本当にごめん……ごめん……!」

「……海堂さん、泣かないでくださいよ。私以外のウマ娘を担当する時もこうやって泣いちゃってたら、笑われちゃいますよ?」

 

 泣きじゃくる海堂の胸に顔を埋めて、誰にも聞こえないであろう声で、彼女がそっと呟く。

 

「……海堂さん、大好きでした」

 

 

***

 

 

 情けない、申し訳ない。そんな言葉で取り繕ったって、過去は変えられない。変えられるのは今と未来だけで、十字架を背負い続けるのは賢くない。そう言われるのも、痛いほど理解できる。

 ただ────俺は誰よりもバ鹿で、賢くなかったから。あっさり十字架を捨てるなんて選択肢が、頭の中にうっすらとでも思い浮かぶわけもなくて。

 

 だから、背負い続けている。

 どこまでも、共に居続ける。

 これまでも、これからも────俺は、一生消えない呪縛と共に生きていく。

 

 十字架を背負い続けるのは、罪を償うためだと。そう言えば聞こえはいい上に、実際そうでもあるのだが、それは少しばかり違う。

 誰よりもバ鹿だった男が、誰よりも丈に合わない夢を見た。そして二度とそれを起こさないように、忘れないように。

 彼女に対する贖罪の意味合いと、自分の身に消えない焼印を打ち込むが如く意味合い。その2つがあった。

 

 他人の人生を潰し、浅ましくトレーナーを続ける俺自身の姿に反吐が出る。

 ただ────これから先、トレーナーを続ければ、俺は何十人もウマ娘を担当することになる。その担当したウマ娘全員が良い成績を残し、全員が無敗で終わらないことなんてほとんどありえない。

 その現実を知っているからこそ、前を向いて立ち上がって、這い続けなければならない。弱音なんか吐いていられない。

 

 彼女と最後の約束を交わした時から、俺は鬼になった。

 異変を外部に漏らさない、悟らせない。表面上はなにもなかったかのように取り繕って、マーチに出会った時も″初対面″を貫いて。

 

 俺が最初に担当した彼女は、どこにでもいるただの1人のウマ娘だった。そう思わせるために、強い自分を演じ続けた。

 それでも、マーチが直ぐに俺を選んで″貴方でないと駄目なんです″と言った時は、それが彼女の姿と重なって────一度、拒否をしてしまったが。

 

 トレーナーという職業の性質上、現実を理解して、理想を割り切る必要性はどうしても存在する。

 ────それでも、俺がガキだったからか。夢を追いたいってだけでトレーナーを目指した、己の理想すら持たない半端者だったからか。

 

 あの時、何度も現実と直視したというのに。

 あの時、何度も事実と向き合ったというのに。

 

 俺は、理想を切り捨てることができなかった。

 頭の良いトレーナーであれば、今よりも賢ければ、すっと忘れていたのだろうが。

 

 一人きりでも、二人でも、例え何人の支えがあったとしても。

 この傷は、二度と上書けないだろう。

 

 ────″リトルプロキオン″

 それが、彼女の名前だった。




 Q.1勝でもしてたらどうなってたの?
 A.契約が続行してたのでリトルプロキオンは海堂と契約したまま卒業。その後正式に交際を始めて、2人で府中に行って結婚して幸せな家庭を築きます。

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