ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション   作:ウママママ

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N38-心残り

 誰よりも強い人だと、そう思っていた。

 人目を惹く端正な顔立ちをしていて、努力を欠かさないで、いつも他人のことを一番に気にかけていて。それでいて、ある程度の家事もできてエスコートもできる完璧超人(・・・・)

 

 弱点らしい弱点はなく、あったとしても″少々ニブい″というレベルのかわいい物しかなく。

 誰にも言えない裏。誰の心の内にもあるそれが、彼の心の中には存在しないんじゃないかと。

 

 それがフジマサマーチから見た海堂真の姿その物であり。ましてや、それ以外の弱さ────そもそも、弱さという概念自体が存在しないと思っていた。

 

 ただ────目の前に映る、隣に座っている彼は。

 本当に、彼なのだろうか?

 

「……笑えるだろ? マコトって名前なのに、俺は君の前ではずっと嘘をつき続けてたんだ」

 

 海堂は、フジマサマーチに全てを説明した。

 

 スカウトする前から、フジマサマーチをスカウトするようにと約束していたこと。

 1人のウマ娘との別れで一生消えない覚悟を背負い、心まで鬼に変えたこと。

 そして────そのウマ娘が、本当に大切な存在であったこと。

 

 リトルプロキオンとの出会いから、別れまで。″東海ダービー制覇を約束としている″という部分だけは濁して、それ以外は全てを吐いた。

 心が繊細で、優しいフジマサマーチであれば。内容全てを話してしまえば、そこに責任を感じてまた新たな重荷ができてしまうだろう、と。それを理解していたから、約束の部分は話さなかった。

 

「……これで、ド三流トレーナーの哀しき話は終わりだ」

 

 項垂れ、全てを吐き────もぬけの殻のようになってしまった海堂を見て、フジマサマーチは胸を抑えた。

 大変だったのですね、どうして私に言わなかったんですか、気にしないでください。言いたいことは沢山あるし、何をかけてもいい、何をかけたって、きっと海堂は怒らない。

 

 ただ、それは怒らないだけであって。海堂に何をかけようが、この呪縛は離れない。それがわかっているからこそ、どんな言葉を選べばいいかわからない。

 だから、無言で聞き続けるしかない。 

 

「君だけじゃない。オグリキャップの前でも、シンボリルドルフの前でも、穣さんの前でも……本当の俺と呼べる存在は、このカサマツトレセンにはいなかったんだ」

 

 真の自分を押し殺し続けて、常に強い自分を演じなければならない。貫き通さなければならない。

 他人に弱みを見せることは、すなわち敗北を意味するのだから。見えない闇相手に常に勝ち続けるために、己に傷を付け、嘘を吐き続けた。

 

 どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか。

 本当の海堂真は、今目の前で項垂れている姿そのものであるのだろうか。

 今まで見てきた海堂真の全てが、偽物であったのだろうか。

 

 それは、本人にしかわからない。もしかしたら、本人もわからないかもしれない。

 嘘と真実の線引きが曖昧になり、どちらが本当の自分であるかを認識できていない。そういった一種の錯乱が起きていなければ、どちらが正しい自分であるかを認識できているはずだが。

 

「……君から見た海堂真は、とっても強い人物だったんだと思う。思い上がりだったら悪いけど、俺のことを尊敬の眼差しで見てくれていたんだとも思う。

 俺は、君に謝んなくちゃならない。君が見ていた俺自身は全くの赤の他人で、本当はこんなちっぽけな存在なんだからさ」

 

 ────もう、これ以上は耐えられない。

 どんな言葉をかければ良いのかわからず、初めて見た″本当の姿″に困惑して。

 

 ずっと、無言でいた。無言でい続けることしかできなかった。

 それでも、耐えられなかった。自身が尊敬し────好意を抱いているトレーナーが、自分自身を卑下し続けるのは。とても見ていられるものではなかった。

 

 フジマサマーチが、固く閉ざしていた口を開く。

 言葉を慎重に選び、何をかければ彼の心の闇が晴れるのか。

 

「……海堂トレーナーは、トレーナーになったことを後悔していますか?」

「……後悔はしていないさ。元々トレーナーになるのが夢だったんだし、大切な仲間や君にも出会えたんだから」

 

 ただ、未練はある。

 後悔は、という言葉を使わなくても、これに答えるのなら″していない″だけで良かったのだから。わざわざ主語を用いて強調したのは、きっとそういう意味が存在するのだろう。

 

「俺は……自分が情けなくて、それが嫌でどうしようもなくて堪らないんだ」

 

 ふるふると弱く震える、右手に作られた握り拳。

 責任、絶望、悲観。海堂の心にある信念が本物であるからこそ、根から優しい人間であるからこそ。

 誰も頼らず、一人で十字架を墓場まで持っていくことを決意した。その責任に、耐えられるかどうかは別として。

 

 その責任に耐えられているかどうかというのは、震える握り拳を見れば一目瞭然であろう。

 きゅう、と。フジマサマーチは、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 ────こんなになるまで抑えていたのだとしたら、どうして相談をしてくれなかったんですか。

 そう言って、震える手を握りたかった。握れればよかった。

 

 ただ、きっと。海堂の優しさが、弱みを他人に漏らすことを許さなかったんだと思ったから。黙って、優しく手を握るだけにした。

 

 水が溢れんばかりに注いであって、それでいて壊れかけているの心の器。それを他人に修復をしてもらうくらいなら、黙って貫き通して背負った方が耐えられる。

 どこまでも、どこまでも。背負い続けると誓った壊れかけの心の器は、たった今崩壊して、水が溢れ出した。

 

「彼女の夢を叶えると言って、叶えられなかったこと。彼女の契約解除を引き止められなかったこと……何より、強い自分を演じることしかできなくて、誰も頼りにしなかったこと。大切な仲間だって言ってんのに、その大切な仲間を当てにしないで、自分を押さえつけることしか思いつかなかったんだ」

「……それは、海堂トレーナーが他人に迷惑をかけまいと思っているからです。それは弱さじゃなくて、海堂トレーナーの優しさですよ」

「……それが優しさだったとしても、君に嘘をつき続けていたのは変わりない。俺の傍に居続けて、誰よりも俺を理解してくれていた娘に。君に、どう謝ればいいんだ」

 

 尊敬の眼差しを向けていたトレーナーの姿はハリボテで、実はこんなに弱い存在でした。

 そう言われても、フジマサマーチも怒りはしないだろう。辛いことがあったんですね、話してくれてありがとうございます、と。そう声をかけてくれる可能性の方が高いに決まっているのだ。

 

 それで満足するかどうかは、別物ではあるが。

 そんなに辛いのだったら、私を頼ってください────きっと、心の中には。そういう気持ちが、渦巻いているのだから。

 

「結局のところ……君を一番信頼しているだなんだ言ってる癖に、俺は君にすら本当の姿を見せようとはしていなかった。君の前では本当の姿を演じるべきだったのかもしれないのに、君に見せていたのは偽りの姿だった」

 

 ────ずっと偽りの姿と過ごしていたとして、その人と共に過ごしていたと本当に言えるのか?

 去年の4月から、今に至るまで。目の前に立つトレーナーは、海堂真であって、海堂真ではなかった。

 

 本当の姿を押し殺して生き続けるというのは、それまでの自分自身をなかったことにする、ということであり。

 過去を消し去り、リトルプロキオンとの出会いを何もなかったことにして。彼女の願いを受け入れて、前を向き続けることを決意して。

 

 空白の2年間によって作られた、ぽっかりと空いた溝。

 その溝を忘れ、今までのトレーナー人生を全て否定した生き方を選ぶことを選んだとしたら。

 

 それを選んだ場合、本当に″トレーナーとしての海堂真″と呼べるのだろうか。

 

 2つの人格が存在するわけではない。別人格をあえて演じていたわけでもない。

 それらでいるのと、今までの過去をすべて否定するのは。どちらがマシで、どちらが良いのか。

 

「どう顔を合わせれば良い! どう謝れば良い! 君に……君に……!」

「……もう、いいんです。″真さん″」

 

 強引に、だけど優しく。

 フジマサマーチが右手で海堂の頭に手を回し、そっと胸元に引き寄せる。

 

「本当の姿であっても、仮の姿であっても。どちらであろうと、貴方は貴方として過ごし……その名前は、海堂真として歴史に刻まれる。私が貴方と過ごした時間は、決して偽りの時間なんかじゃなかった。どんな姿であっても、それが嘘であっても……私は、海堂トレーナーの下で指示を仰げれば良かった。だから、謝る必要なんてないんです」

 

 とくん、とくん、と。

 フジマサマーチの胸の鼓動が、海堂の耳から心に伝わり。煉獄が如き火力で心を燃やしていた呪いの炎が、ゆっくりと鎮火していく。

 

 過去と今と未来が一直線に繋がり、過去を隠し通す必要がなくなり。

 強く燃えていた心の炎は、ゆっくりと消えていく。

 

「それでも、強い自分を演じ続けたいというのなら演じ続けても構いません……ただ、そうするのならば、私の願いを聞いてください」

 

 ────私の前では、本当の貴方を見せてください。

 

 ぽろり、と。フジマサマーチの目から、一粒の涙が零れる。

 重力に従って、零れ落ちた涙が落下していき────海堂の頭に、一粒の雫がぶつかる。

 

 その雫が、波紋を生む。

 一滴の水滴が落ち、凪の状態であった水面を揺らす。

 

 それはまるで────荒れていた心が、たった1粒の水滴によって浄化されてしまうような。

 

「……ごめん」

 

 海堂が、言葉を漏らす。

 ただ、その声は。今までのような怨念が籠っていた声とは、決定的に違った。

 

「あの時、現実を見据えるって決めたはずだったのに……過去を消し去ったフリをして、強い自分を演じ続けるなんて。どこまでも理想を追い続けて……バ鹿だなあ、俺も」

 

 ふるふると力なく震えていた握り拳の震えが、ピタリと止む。

 それは────あの時抱いた覚悟と、別の覚悟を抱いたという証明になり。

 

 ゆっくりと、後ろを向いて。過去と向き合う準備ができた海堂の目から、涙が流れ始める。

 

「過去を忘れて、責任背負い続けて……それと同時に、今までの俺も全部消し去って……あの娘が、プロキオンが惚れた俺自身を捨てるなんて……それで、何が前を向いて責任取ってだよ……!」

「……ゆっくり、思うままに涙を流し切ってください。東海ダービーで泣く分の涙も、呪いも、怨念も。ここで全部流し切って……最後は、笑顔で終わりましょう?」

 

 まるで、あの時とは逆のように。

 胸を借りて、大粒の涙を流して。厄も全部流して、東海ダービーを笑って終えられるように。

 

 海堂は、フジマサマーチの胸に顔を埋めて泣いた。教師と生徒の関係なぞ関係なく、1年半の間で溜まりに溜まった″こころのこり″を全て流し切るために。

 声を抑えて泣く海堂の頭に、フジマサマーチがそっと手を置く。

 

 ────ドイツの詩人、ティートゲはこう言った。

 “喜びを人と分かつと、喜びは二倍になり、(Geteilte Freud' ist doppelte Freude, )

苦しみを人と分かつと、苦しみは半分になる(geteilter Schmerz ist halber Schmerz. )”。

 

 あの言葉も、今なら────本当の意味で、使えるだろう。

 

 

***

 

 

 結局、あれから10分が経って。

 泣き止み、鞄から取り出したハンカチを手に持った海堂の顔が凡そ元通りになったところで。

 

「……本当に、ごめん」

 

 海堂は、もう一度謝った。

 

 それは、今更謝ってごめん、という意味での″すまなかった″ではなく。

 涙を流し、制服をぐしょぐしょにしてしまった、という意味での″すまなかった″で。

 

 事実、フジマサマーチが着ている制服は、海堂の涙でちょっとばかし濡れていた。

 

「明日は休日ですし……構いませんよ、別に。ゴールドジュニアの時は私も迷惑をかけましたし」

「なら、貸し借りナシ……にはならないよ。大人がこんな姿を見せるもんじゃない」

「それでも。貴方らしい所を見れたのなら、それで充分です。おあいこですよ」

「そうか。……というよりかは、さ」

 

 何かを思い出した海堂が、少し笑って語る。

 

「そういえば、マーチの悩みを聞くためにここに呼び出したんだったね……目的が逆になったね。これじゃあ」

「……私は、それでも構わないと思っていましたよ。″本当の海堂トレーナー″に、悩みを話すことができるのですから」

「……まあ、それはそうかもしれないね」」

 

 君の前ならば、本当の俺をさらけ出せる。

 

 本当の俺と言っても、ただ過去を見据えているか見据えていないか程度の違いしかなく、人格が変わるほど大きくないというのは事実であるが。

 その少しの違いが、決して埋まることのない、大きな違いを生む。

 

「聞かせて欲しい。マーチの抱いてる悩みを」

 

 それを告げる海堂の顔は、晴れやかな物へと変わっていた。




 海堂真の弱点→『こころのこり』を忘れること。
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