ウマ娘 ワールドダービーDLCカサマツ編 東海ダービーレギュレーション 作:ウママママ
ややスローペースでおっとりとした声が聞こえ、海堂は不意に顔を上げる。
環境が変わって1日。慣れない変則的なトレーニングに音を上げ、ウマ娘もトレーナーもぐっすりと眠っているだろうと見込んだからこそ、海堂はここを選んだ。
事実、海堂の体力消費は0である。
視察と砂浜ダッシュを軽く繰り返し、サクラチヨノオーと会話をし、その後は寮に戻り疲労回復の酢の物を中心とした食事を取り、食事メニューから始まる1ヶ月分のトレーニング計画プランをみっちりと形成する。
それが海堂の1日────と言うか今後1週間行うスケジュールの内容であり、担当ウマ娘は六平に全て託す形となる。担当ウマ娘の面倒を見ないなんてそれでもトレーナーかと言われそうだが、これが指示なのだから仕方ない。
何をすべきか。それを判断する意思決定のタイムラグが0に等しい。
トレーナーとして成長する上で、これが非常に大きい。大抵の新人トレーナーが先輩トレーナーに振り回される中、何をすべきかを己で即判断できる。
この環境がウマ娘にとっての楽園であれば、現在のこの個人行動は海堂にとっても楽園であった。
他のトレーナーが疲労で行動できない深夜帯に、軽く睡眠時間を削って1人で作業をする。
その予定でいた。からこそ、来訪者に対して怪訝な面持ちで訊ねる。
「……夏合宿は明日からも続くんだから、体力回復のために寝といた方が良いと思うよ」
「そう言うトレーナーさんこそ、お眠りにならなくても良いのですか?」
「別に、疲れてないからね。特例で自由行動が許されてるんだ。だから体力もほとんど消費してない」
「あら……それでは、私と同じですね」
"私と同じ"。
同じが示すのは、特例で自由行動が許されているという点か。
問題なのは、その特例がどのような理由で発生しているか、なのだが。
夏合宿初日から飛ばさず、徐々に体を慣らしていく。そのような選択も決してない訳ではない。
ただし、夏季キャンプにあたる合宿からしたら、その選択は不正解であると言わざるを得ない。
最高峰の学園スタッフを用意し、最高峰の設備を用意する。それでも尚"慣らすのが必要"であれば、それは己の調整不足でしかない。
となれば────そう思い、海堂は彼女の膝下付近を見る。
「……よりによって、2人目か」
彼女の膝に巻かれたサポーターを確認すれば、はぁと1回溜め息をついて頭を抱える。
どうしてこうも、怪我持ちのウマ娘と出会うのが多いのだろうか。
担当のフジマサマーチが怪我とは無縁で、類を見ないほどの健脚だったのもあって、海堂も怪我とは無縁のトレーナー人生だった。
帳尻合わせをするかのように、中央に訪れてからは爆弾持ちのウマ娘に出会うようになった。
呪われてはいないだろうが、何か不穏な雰囲気を感じる。オカルトの類は信じていないが、今後もまた出会うんじゃないだろうかと思ってしまうほどには。
しかも、だ。
────日本ダービーの神に好かれているんだろうか。
またオカルトチックな事を思い浮かべれば、すっと目の前に立つウマ娘に指を向け、本来であれば知りえるはずのなかった名前を呼ぶ。
「君も怪我をしているのか? メジロアルダン」
そう訊ねたところで、海堂は少し憂いを帯びた顔で俯く。
「……いや、野暮だったね。すまなかった」
「いえ、いいんです。生まれつきのものですから……諦めてもいませんので」
中央のレースに造詣が深くない海堂ですら知っている、水色の髪をしたガラスの靴を履いたウマ娘。
生まれつきの体の弱さに、強い衝撃が加われば粉々に砕けてしまいそうな脚。それがメジロアルダンというウマ娘を象徴するモノであり、ウマ娘にとっては絶望的なまでに相性が悪い体質だった。
昼時に出会ったサクラチヨノオーもそうだが、メジロアルダンもあの日本ダービーに出場したウマ娘の1人である。
これでヤエノムテキ────皐月賞ウマ娘でもあり、日本ダービーで熾烈な争いを演じた彼女と出会えればビンゴとなるのだが。それはどうでもよく、どうして知っていたのかという話だが。
「それよりも、トレーナーさんはどうして私を……?」
「日本ダービーに出るようなウマ娘だからね。いずれライバルになるだろうと思って、カサマツにいた頃から軽く調べていた。君の怪我を知ったのも、その時だ」
「あら……とすれば、マーチさんの?」
「トレーナーの海堂だ。マーチが世話になってるみたいで何より。元々は気性難だったけど、社交性はある方だから仲良くしてやって……まぁ、オグリがいるなら大丈夫か。オグリはもう人気者なんだよね?」
「ええ、もちろんです。ユーモアのあるお方ですし、実力もありますからね。私も慢心せず、彼女の姿勢を見習いたいものです」
「……ユーモアは見習わなくていいから」
いくらカサマツでの出来事にしか手を回せなかったとしても、日本ダービーや皐月賞などのクラシック三冠の話は嫌でも耳に入ってくる。
今回はたまたま、シンボリルドルフによる中央への勧誘があったために事前にリサーチができた。それでも精々実績のあるクラシックウマ娘程度の範囲でしかなかったが、メジロアルダンもその中に入っていた。ただそれだけの話だった。
その際に、知るべきではなかったかもしれない、メジロアルダンの体質について知ってしまった。
レースを全力で走れないほどではないが、常に限界ギリギリで戦っているようなモノ。一度暴発すれば長期の怪我に繋がるのは確定し、最悪は選手生命を絶つ怪我になるかもしれない。
体調管理や怪我に対する知識・予防。いくら事前に準備をしていようと、来るものは来てしまう。ここまで来れば運の問題だが、その恐怖に勝たなければレースには出られない。
かわいそう、とは言えない。
そもそも部外者の1人であるし、自分はメジロアルダンではない。かわいそうなんて以ての外だし、頑張れもかける言葉としては違う。
だからこそ、海堂は"すまなかった"を選んだ。
できれば水に流してほしい。そしてもう、メジロアルダンが口に出さない限りはできる限り触れない。お許しがあれば別ではあるが。そう心に決めて、再びパソコンに向き合った。
「良ければ……私もご一緒しても? ご友人のトレーナーさんがいらっしゃるのに別のソファに座るというのも、少々おかしな話でしょうし」
「構わないよ。少しタイピング音がうるさいだろうけど、気にしないで」
「気にしていたら帰っていますよ。一期一会……ではありませんが、折角なら貴方とお話をしたいですしね。オグリさんからは多少聞きましたが、トレーナーさん目線でのカサマツの話も気になりますから」
メジロアルダンがソファに座るのを確認すれば、海堂は再びノートパソコンのキーボードを打ち始める。
ノートパソコンに映る情報は細かく、メジロアルダンが座る位置からでは断片的にしか確認することができない。
しかし、それでもわかる異常な物量にメジロアルダンは目を見開かせる。
トレーニングの取捨選択から始まり、中央のウマ娘に追いつくための効率的な部位別強化。食事メニューから身体ケア、その他仮想ではあるが30分刻みで作られたタイムスケジュール表。拾い上げるならこれらが確認できるが、細かいところまで挙げるとすればキリがない。
フジマサマーチが此処に来たのは3日前。となれば、仮想であれど、この物量の文章をわずか2~3日で書き上げたこととなる。
異常な熱量。
この人は、どう────そう思えば即、メジロアルダンは質問を口にする。
「……トレーナーさんは」
「ん?」
「トレーナーさんは……"今"のために全てを投げ捨てるウマ娘を担当したとして。ウマ娘のその意思を、尊重することはできますか?」
「……所々で問題になっている話だね、それは。ウマ娘のレースだけじゃなくて、甲子園やインターハイ。"今"しかできない事であれば、嫌でも考えなくちゃならない」
とすれば、君もか。
そう訊ねなくとも、メジロアルダンの背景を知っていれば自然と理解してしまう。
常に綱渡りをしていて、いつ暴発して選手生命が絶たれてもおかしくない状態。
本来なら走れていた。この脚さえなければ、自由であれば。自身を不幸だと思ったことは、決してないとは言い切れないだろう。
……ただ。自身を"不幸だ"と思って、何が変わるのか。
与えられなかったウマ娘と思うことで、この脚は治るのか。
いいや、違う。
今すべきなのは、だったらいいなの話ではない。
何もせずとも数日、数か月の差が開いていく。その差を埋めるためには、地獄に飛び込む強い"覚悟"────全てを投げ出し、
要は、その覚悟が貴方にありますか、というだけ。
メジロアルダンに好まれる答えを出すか、己が持つ譲らない答えを出すか。
────そんなの、考えるまでもないか。そう思えば、かたかたと小気味いいキーボードの音を能動的に止めて、顔の前で手を組む仕草をしてみせる。
「ウマ娘じゃないから言えるのかもしれないけれど、レースも"今"しかできないという点では部活のようなモノだと俺は考えてる。……極端な話をすれば、俺がウマ娘であれば、この数年間は『ひとときの思い出作り』と捉えるかもしれない」
「それは……どうしてですか?」
「……学生時代の俺がそうだったから、としか言えないかな。こうしたい、ああしたいという夢がないから程々に楽しむ。いずれ待っている輝かしい未来が訪れたら語る、懐かしい思い出の一部。俺がもしウマ娘であれば、そう思っていたかもしれない」
「そのような選択だって、決して悪くないと思います。……確かに、全てを賭けて挑むのも大事だと思います。ただ、それでも……もう戻れない場所まで行ってしまったら、取り返しのつかないことになってしまいますから。それは私自身が一番わかっています」
負けてもいいや、ではない。
できれば勝ちたいし、できれば良い所まで行きたい。ただし、行けなければ行けなかったで"仕方ない"で終わらせ、また次の人生のイベントに向けて備える。
海堂真は人間であり、ウマ娘ではない。
ウマ娘ではないからこそ、ウマ娘の気持ちはわからない。もしもこうだったらの、たらればで話すことしかできない。
だからこそ、人間としての視点────それも"今"に対して強い熱意を抱いていなかった海堂は、正直にそう答えた。
「ただ、さ。……わざわざトレセン学園に来た、とも言えるでしょ。倍率の高さを実力でねじ伏せて、夢を叶えるために此処に来た。俺が通っていた高校にもウマ娘は普通にいたし、体質を理由にして、此処に来なかった選択もできたんだろう」
此処に来たのは、走るため。
夢を抱き、期待を背負い、そして魂まで燃やし尽くす覚悟があったから。ガラスの脚を持っていたのに一般ルートに進まなかったメジロアルダンには、確かな意地がある。
その意地を止めようなんて、赤の他人が言えるか。
全てを投げ捨てる覚悟を持つウマ娘に対して、"やめておけ"なんて言えるか。
言えない。
言えないからこそ、プレイヤーとしての視点を完全に切り離し、指導者としての視点────
「好きにしろ、ではない。何から何まで自由にさせはしないし、君が言う"取り返しのつかないこと"になりそうだと判断したら俺は止める。ただ、担当ウマ娘がそうしたいのであれば、俺はそうしろと言う。そうしろと言った上で、俺は担当ウマ娘のサポートを死ぬ気でする。やりたい事を全てさせる。……だから、まあ。プレイヤーじゃなく指導者として答えるのであれば、君の質問に対し、俺は肯定でしかないかな」
本当は、安全志向がいいんだろう。
命まで奪ったとは言わない。言わないが、ウマ娘にとって走ることを奪われるというのは、もはやそういう事である。
太く短く活躍できれば良いが、細く短く終わる可能性もある。
それであれば、コンディション重視に路線を切り替え、絶対に怪我をさせないという方針で行くべきという意見は絶対に間違いではない。
何よりも、万が一壊してしまった場合の信用の失墜。安全志向を選択するだけで、トレーナー側はこのリスクを回避出来る。
絶対に間違いではない、が。
それを止める権利はトレーナーにない。から、俺は危ないと判断できる直前までは絶対に止めない。
そのようなニュアンスを含んだ答えを貰えば、メジロアルダンは少し微笑む。少し微笑んだうえで、再び顔に影を灯らせる。
「自分で名乗るのもおかしな話ですが、私はメジロのウマ娘です。夢と期待を背負った、最高峰のウマ娘。……もし、私を壊してしまえば、トレーナーさんは社会的責任を追うことになるでしょう。メジロの最高傑作を粉々にした名も無きトレーナー、と。覆しようのない汚名も付き、退路も無くなる」
「俺は全くと言っていいほどにこの世界の歴史を知らないが、それでも"メジロの冠名"は知っている。人間界で言う所の財閥、エリート中のエリート……その組織に対し、俺が君のトレーナーであれば、俺は責任を取れるかどうか。それを聞きたい……というので、間違いはない?」
そう聞けば、メジロアルダンはこくりと頷く。
「夢を叶えるために此処に来た。のであれば、トレーナーにその夢を否定する権利なんてない。それでも、俺が君のトレーナーであったとして、俺が君の夢を粉々にしてしまったとしたら……目に見える形で責任は取る。責任は取るけど、俺は逃げないし意志を曲げない。『彼女がそうしたかったのだから、俺はそうしたまで。責任は俺にある』と言って……消えない業を背負い続けるしかない、かな」
消えない業は
背負っているから、逃げる選択は取らない。
消えない業から目を逸らして逃げるというのは、過去の自分を裏切るだけではない。
業を作ってしまった原因────失敗を刻んでしまった担当ウマ娘との約束まで、無視してしまうことになるから。
逃げない。ひたすら立ち向かった上で、一生来ないとは分かっているが、いつかその罪を精算できる日が来るまで戦い続ける。
トレーナーとしては、覚悟が決まりすぎた思考。
若さと過去の異質さが故に生まれてしまった、あまりにもトレーナーとして向いていない思考。
その思考は、メジロアルダンの顔に光を灯す。
"今"のために、全てを投げ出す覚悟ができたウマ娘。
"夢"のために、全ての責任を追うと誓ったトレーナー。
もし、後1年早くこっちに来ていたら、
そのあまりにもトレーナーとして向いていない思考は、他でもない
────貴方のような、トレーナーがもっと増えたら。
そう願った上で、メジロアルダンは特に関係のないように思える質問をする。
「……トレーナーさん。この話を聞いた上で、1つだけ。ステイヤーのウマ娘に興味がおありだったりしませんか?」
「ステイヤー……?」
正直に言えばあるに決まっているが、ステイヤーは育成したことがない。
そもそもカサマツでは短・マイル・中距離が主流だったのも関係していて、ステイヤーの育成自体に縁がなかった。
可能性としてあるのは、引き取り手がいない。もしくはトレーナーと上手く噛み合っていないウマ娘がいて、自分に頼みたいパターンか。
おそらくメジロアルダンからして、自分の答えは好印象だった。だからこそ、興味があるかないかという形で訊ねてみた。
そうであれば引き取りたい、が。
「悪いけど、それが"今"の話ならお断りだね」
────俺は"今"を見据えているからな。
頭の中に浮かんだ、今は違う場所にいるフジマサマーチの姿を思い浮かべながらそう言えば、それを聞いたメジロアルダンはクスクスと笑う。
「……ええ、ふふ。私たちは"今"を見据えているのですから。確かに、トレーナーさんの言う通りですね。ご安心ください。このお話は、決して今の話ではありませんので」
「……それなら、このやり取りにその質問は関係あったの?」
「その意味はいずれわかりますよ。ええ、いずれ、です」
結局、彼らはその後30分程話した後に就寝し、無事に全員が夏合宿1日目を終えるのだった。
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