魔女と少女 作:くえぇ
焦ったように駆ける一人の少女。
薄い黄金色のその髪が揺れる度、仄かに世界に明かりを灯しながら、彼女は手に持つ一枚の紙を大事に抱えていた。暗闇の中を駆ける恐怖は心そこに有らずといった様子で、期待に満ちた輝ける笑顔がその心情を写し出していた。
そして長い長い木製の廊下を抜け、その先。鈍い木と木が擦れる音がしたと同時。明かりを目にしたその瞬間、少女は叫ぶ。爛々と緋色の瞳が焔を灯していた。
「しっ――」
すぐに光の中で形を作るのはとんがり帽子が特徴の、一人の女の姿。突撃してくる少女の姿に、驚いたように目を見開く。
「――しょー!!!」
「……む」
ぽす、と。愛い音が鳴り、勢い良く少女は『師匠』の胸元に飛び込んだ。
透いた銀糸のような髪と、紫紺に染まった眠たげな瞳。その視線が、胸元に顔をうずめる少女を優しく貫く。
「……ネア。私は、夜中に大声を出して狂ったように走り回るのは推奨していない。許されるのは、夜祭の時だけ……あと、貴女の誕生日」
「――そうだけど!そうなんだけど!!私はそれより師匠に見せたい物があったのよ!」
そしてネアは、『ほら!』と手元の――ぐしゃぐしゃになった紙を、師匠の目の前に突き出した。固まった。
「……ん」
師匠は眠たそうに紫色の瞳を何度か瞬くと、停止した己の弟子を二の次に、ネアに握られた紙をつまみ上げた。そのままシワを引き延ばし、軽く目を通す。
「……ん?」
そして師匠は訝しげに視線を強める。目を凝らすように何度かそれを凝視し、やがて納得したのか軽く手を打つ。
伸ばされた紙を、ぎこちなく動作するネアの手に返すと、やがてポツリと呟く。
「…………爆発した、アメジスト?」
「――違ぁぁぁあう!!!」
電池の入った機械が突然動き出すか如く、ネアは唐突に絶叫した。柔そうな指先が紙を突き刺し、散らばった紫の部分――いや最早どこを指しているのかすら分からない――を示す。
「これは――師匠よ!!」
その言葉は酷く重く世界に響いた。
完全に硬直した師匠。隙間風に銀糸が揺れる。一瞬世界が停止したかとすら思えた。そして、目を見開き師匠がゆっくりと紙を指さす。
「…………これが……私……?」
「そうよ!」
自信満々にそれを提示する己が弟子に、なにか思うところがあったのだろうか。師匠はゆっくりとネアを抱き締める。
「……え?し、師匠……?そ、その……そう言うことはちゃんと手順を踏んだ後に――」
一瞬の硬直の後、顔を赤くしわちゃわちゃと動く己が弟子を完全に無視し、師匠は次いで言葉を紡いだ。
「――……今日は、一緒に寝よう?」
「――へ?」
ネアは丸く目を見開くと、次の瞬間真っ赤になった。
◇◆
魔術師である、魔女フィーアは困っていた。非常に困っていた。
己の腕の中で眠る少女を愛しげに見詰め、解決策を考える。
――事の発端はかれこれ十年以上前になるだろうか。
崩壊した集落で、一人の幼子を見つけたのだ。そもそもこの時代、崩壊した村や集落なんかは珍しくない。だが、その姿に思うところがあり、拾い育ててみようと思い立ち。
他の趣味と同じくすぐに飽きるだろうと思われたその試みは――なんと五年を突破する。
そうすれば十年なんてすぐだった。すくすくと育ち、美しくなる少女――ネア。いつもならこんな娘見つけたらすぐにでも悪魔召喚の生け贄にでも使うのだが、欠片もそんな気が起きない事にフィーアは困惑していた。
そして、何より問題だったのがフィーアがネアに酷い愛着を持っていて、そしてそれを自覚してしまっていることだった。
魔導陣を紙に手書きしているのを見つかって、何故か隠さなくてはいけない気がし己の職業――魔女は職業なのなのだろうか?――を『絵描き』と偽ったり。
上記の話の後、何故か絵を描き出したネアに欲しいと言われた、希少な触媒を絵の具として使われるのを許容したり。
――そして何より、フィーアはネアを一度も自分以外の生命と会わせていない。
ちなみに決してこれは、ネアの執着を己だけに集めたいとかそう言う考えではなく、このご時世、外が危険過ぎるからだ。
そう心の中で呟きながら、フィーアは一人自己弁護を始めた。
魔獣の強さは、いにしえの時代と比べ、年々上がっていっている。その話は既に周知の事実だったが、遥か昔から生きるフィーアにはより生々しく感じられた。
昔杖の一振りで消し飛んだ魔獣が、半身を消し飛ばすだけになったり。昔『魔王』を自称していた堕ちた天使が、いつの間にか本当に魔王になっていたり。
ネアの頬をつつきながら考える。
この時代で残っている国は、七つのみ。それもどこもかしくも化け物みたいな強さの王が率いる、多民族国家が大半だ。
かつて冷徹を極めたあの『魔神』が治める国家。その魔神と同盟を結ぶ、
こんな化け物達と同等なのが、残り三人。当たり前のようにその国家には自分と同等かそれ以上の強者達が複数集い、正直どうしてこれでこの暗黒時代を抜け出せないのか疑問なレベルだ。
これだけに飽きたらず、『魔獣』は強化の一途を遂げており、常に張っている結界も破る強者が時折現れる。最近それが多発し、ネアに構ってあげる時間も段々減ってきている。
どうにかしてネアと一緒にいる時間を増やせないだろうか。己がやっている所業もバレない様に。
これがフィーアの悩みで、フィーアの『専攻魔術』の特性上どうしようもない事であることが確かな事柄でもあった。
「…………寝よう」
そして、考えるのが怠くなったフィーアは、暖かいネアの体を抱き締めるとそのまま目を瞑り――パキン、と言う音に目を見開いた。