迷鳥 作:フェルニケ
強化術式が確立された現代を生きる我々には信じがたいことだが、地球暦150年代のレイヴンに施される肉体強化手術の成功率は非常に低いものであった。
過酷な施術の最中に落命する者。
ACから流れ込む膨大な情報の処理に脳が耐え切れず、発狂する者。
実戦投入までなんとか漕ぎ着けた者も、戦闘を繰り返す中で精神負荷に苦しめられ、安定して長期運用可能な被験者は2割を切っていたという。
この惨憺たる結果をもたらした原因は、技術の稚拙さにあった。サイバネティクス技術は【大破壊】以前の人類が保有していたテクノロジーに端を発するものであり、当時の二大企業といえど、手探りの状態が続いていた。一日の長があったムラクモ・ミレニアム(以下ムラクモ社)ですら、何度か「失敗」した被験者の処分を子飼いのレイヴンに依頼していた記録から、両企業の苦闘ぶりが窺える。
だが、決して採算の良い事業とはいえないにもかかわらず、二大企業は強化手術の研究をやめなかった。施術を乗り越えた少数の成功者たちが、いずれも通常のACパイロットを遥かに凌駕する能力を発揮した故である。
地下世界という人類の生存領域が限られたフィールドは、大量破壊兵器の投入を困難化し、二大企業は長らく膠着状態にあった。そのような状況下において、人為的に高いAC操縦能力を付与させた強化パイロットたちは、戦局を変えうる存在とみなされたのである。
当時の各地下都市には、こうした非合法の強化パイロットたちが少なからず存在した。正確な数は不明であるが、当時のACアリーナの上位層においても、この強化施術を受けた者たちが少なからぬ割合を占めていたと言われている。
事情に通じる人々は、彼らを「強化人間」と呼んだ。
(N.オカムラ著「サイバネティクス技術の黎明」より抜粋)
スミカの淹れてくれた緑茶を啜りながら、エルシェーは情報端末をタップした。
クロームの影響下にあるエリアで生まれ育った彼にとって、緑茶は馴染みのあるものではない。だが、鼻腔をくすぐる茶葉の馥郁たる香りは、嫌いではなかった。多少の苦みはあるが、故郷の酸味ばかり効いた合成コーヒーに比べれば、雲泥の差だ。
「……私はフリーランスのレイヴンなんだけれど、少し前から依頼を受けてある組織を探っていたの。
その組織はかなり用心深くて、詳しいことは掴めなかったわ。わかったのはウェンズデイ機関という名前と、アンバークラウンのどこかで、新兵器の開発を行っているということだけ。
それで情報を求めて、奴らの物資搬入ルートから洗っていたんだけれど……」
「そこを捕まった、というわけだな」
エルシェ―はスミカの首筋にちらりと目をやった。そこに金属製のコネクタが埋め込まれた痕跡は見受けられない。
環状回廊で戦ったAC部隊の姿がよぎる。スミカの愛機がどんなものかは知らないが、あれだけの戦力で待ち伏せされたとしたら、強化手術を受けていない彼女が一人で対処するのは困難だったろう。捕らえられたとはいえ、五体満足で生き延びたスミカは、実力と幸運双方の持ち主だったのだ。
当時のことを思い出したのか、マグカップを片手にしたスミカが、形の良い柳眉をしかめた。
「そう。おかげで私のコーラルスターはオシャカにされちゃって……。
散々な目に遭ったわ。でも一度連中に捕まったからこそ、得られた情報もあるのよ」
これも怪我の功名ってやつかしら。スミカはそうごちながら、エルシェーに情報データを共有すべく、手持ちの端末を操作していく。
(それにしてもウェンズデイ機関、ねえ。……聞いたことがない名前だな)
今しがた知らされたばかりの組織名を口の中で転がしながら、エルシェーはスミカからデータ資料が送信されるのを待った。
非合法な武装組織のほとんどは、二大企業と何かしらの繋がりを持っていることがほとんどである。
ムラクモ・ミレニアムの力を削ぐため、クロームが資金援助をしているイミネント・ストーム。逆にクロームの力を削ぐため、ムラクモ・ミレニアムが裏で手を引いているストラグル。
代表的な例でいえば、上記の二組織が有名どころだろう。しかしそれに限らず、レイヴンとして日々依頼を受けていれば、自然と様々な武装組織の情報が──合法・非合法を問わず──入ってくるものだ。
しかし、ウェンズデイ機関なる組織は、初めてエルシェーが耳にする名前だった。比較的新興の組織なのだろうか?
「そうでしょうね。私自身、今回の依頼を受けて奴らを本格的に探るまで、まるで実体がつかめなかったから」手慣れた様子でスミカが画面をタップすると、エルシェーの端末にもデータが共有された。
長年トップに君臨する「皇帝」アンプルールから、万年最下位の地雷伍長まで、アンバークラウン・アリーナに登録されているレイヴンの名前がずらりと並んでいる。
おそらく、このリストはエルシェーがアンバー・クラウンにやって来る前のデータなのだろう。彼自身の名前はランキングに登録されていなかった。代わりに何人か、見覚えのないレイヴンの名前が載っている。
「これは4か月前のアンバークラウン・アリーナのランキングデータよ。……そして、こっちはアンバー・クラウン周辺で活動している、ネストに登録されていないレイヴンのリスト」
しなやかな指がすっと端末をなぞり、画面が切り替えられる。
見慣れたネストのランキングデータと異なり、こちらには実力を分かりやすく示すアリーナランキング制はないようだ。レイヴンの名前は依頼料ごとにリストアップされ、上位層にはスミカ自身の名も含まれていた。
スミカが画面をタップする度、リストが更新されていく。
半年前に3人、3か月前に1人、2か月前に4人……。
(半年で8人がMIA。……いや、ネスト所属の連中で入れ替わったやつらも合わせれば、ざっと10人が消えた計算になるのか)
無情に刻まれた「LOST」の赤字。
これがアイザックシティやアヴァロン・バレーであれば、数か月で頻繁にレイヴンが入れ替わるのも不思議ではない。二大企業の利権が複雑に絡み合うアイザックや、ムラクモのお膝元たるアヴァロンでは、それだけ企業間の衝突も多いのだから。
だがアンバー・クラウンのような二級の、言うなれば「捨て置かれた都市」でこれだけのレイヴンが戦死・行方不明扱いになっているのは異常だった。
「やけに多いな。……一応確認しておきたいんだが、アンバー・クラウンではここ半年、企業がらみの大きな案件はなかったはずだろう?」
ええ、とスミカが首肯した。
「昔ならともかく、今のアンバー・クラウン周辺で出される依頼なんて、規模も量もたかが知れているわ。この数値は明らかに異常なのよ。
でもウェンズデイ機関の連中は、消えても気づかれにくい相手を──ネスト非所属のレイヴンばかり狙っている。だから、きっとアンバークラウン・アリーナのレイヴンたちはまだ、ことの重大性に気づいていないでしょうね」
ネスト所属のレイヴンがMIAとなった数は、“半年に2人”。
この程度なら、現在のアンバー・クラウンでも不自然な数値とは思われにくい。
なるほど、敵も違和感を持たれない程度のラインをわきまえているわけだ、とエルシェーは苦い思いで画面を見つめた。
(おいおい、本格的にきな臭くなってきたな)
これはまぎれもなくレイヴン狩りだ。それも散発的なものではなく、組織だって長期間で行われている、質の悪いタイプの。
「しかし、わからんな……連中はなぜレイヴンばかり襲う?」
新兵器開発が目的だ、とスミカは言っていた。
ならば、わざわざ危険を冒してレイヴンを攫ってくる必要などないではないか。IDを持たない下層民、企業の統治下では暮らせないような脛に傷持つ住民たち。行方不明になっても騒がれない存在など、地下都市の最下層を攫えばいくらでもいるのだから。
だが、エルシェーの問いにスミカは首を振った。
「ただの実験体じゃ駄目なの。今の強化手術はレベル5が最大だけれど、連中はそのさらに上……レベル6の強化人間をつくって、新型兵器に乗せようとしているのよ。
そのために、AC操縦経験のあるレイヴンを必要としているんだわ」
ガレージのシーリングライトに照らされた機体を見て、ウェンズデイ機関専属メカニックの男は息を呑んだ。
至近距離からレーザーキャノンの直撃を受けた頭部は吹っ飛び、首無しの無残な姿を晒している。爆発の余波を受けたコア周りも損傷がひどい。高熱に炙られた純白の装甲は溶解し、異様な形に変形している。
いくら頑丈さが売りのクロームACであっても、ここまで壊されているとお手上げだった。
「これは……もう上半身のパーツをそっくり取り換えた方が良いですね。装甲どころか、防御スクリーンの発生機構まで駄目になっている。修理できる範囲を超えていますよ」
ざっと一通りの検分を終えると、彼は背後に向き直った。
新しく警備部門の統括者になった男が、苦虫を嚙み潰したような顔で佇んでいる。それとは対照的に、その隣に立つACの主──スティンガーは無表情で傷ついたヴィクセンをじっと見つめていた。
「替えのパーツをすぐに用意したとして、戦列復帰にはどのくらい時間がかかる?」
男が低い声で尋ねてきた。
「最速で5日です」
「5日!……長すぎるな。もう少し短縮できないのか?」
研究所を襲ったレイヴンの行方は、杳として知れていない。
アンバー・クラウンの根城にネスト専用ガレージを選んでいたことまでは突き止めたが、それ以降は足取りを掴めなかった。きっとあの女レイヴンが手引きをしたのだろう。そうでなければ、余所者が痕跡を残さずに立ち回ることは難しい。
研究所の戦闘で腕部を破損していたようだが、あちらの機体は所詮中破。戦闘復帰までの時間は、大破したこちら側に比べて遥かに短いはずだ。
次に敵がいつやって来るかと考えると、気が気でないのだろう。警備責任者の声には色濃く焦燥が滲んでいた。しかし、彼は首を振る。
「普通のACならともかく、このヴィクセンは強化人間仕様です。頸部コネクタの調整や、パイロットを機体へ馴染ませるには時間がかかります。その期間も考慮すると、やはり5日はいただかないと」
ここで折れたが最後、ろくな結果にならないことを彼は知っていた。
粗雑な調整しか施されないまま、ACに乗り込んだ強化人間の末路は悲惨だ。散々人体実験を行ってきた彼らが、知らないはずはないだろうに。
「……仕方あるまい。その間は他の戦力で奴に対処するとしよう」だがな、と間髪いれずに言葉が続いた。「できる限り急いでもらおうか。襲撃があった時に、ヴィクセンが使い物にならないようでは、話にならんからな」
不承不承といった様子で、警備主任は去っていった。
その背中がスライド式の扉の向こうへ消えるのを見届け、彼は大きく息を吐いた。やれやれ、どうにか乗り切ったか。そして、ガレージに佇むスティンガーにため息をついた。
「スティンガー、あなたもあなたですよ。自分のことなんですから、少しは口を挟んだらどうですか。そうすれば、警備主任もここまで無茶はふっかけなかったでしょうに」
「……外様のレイヴンの言葉に、やつが耳を傾けるとは思えんがな」
スティンガーは、億劫そうな態度を隠そうともせずにごちた。対AC戦での疲労も多少は尾を引いているのだろうが、これは本人の性格によるところが大きいだろう。
事務手続き、バックヤードでの関係者への根回し。そういった、戦闘以外の行為が煩わしくて仕方ないタイプだ。さぞオペレーターに苦労を掛けたに違いない、と彼は推察した。
「それでも物申すべきですよ。大体、私が口を挟まなかったら、あなた今頃未調整のコクピットに放り込まれていたんですよ?
ろくな調整も受けないまま、あのレイヴンと戦うおつもりですか?」
──お節介屋が。
そう言わんばかりに苛立ちの籠った視線を、スティンガーは男に投げかけた。
ウェンズデイ機関専属レイヴンとはいえ、所詮は雇われの身だ。ドライなやり取りに慣れきっていた彼にとって、大して親しくもないメカニックの男からこうも口を出されることは、鬱陶しいものでしかなかった。
「貴様、機関の専属メカニックだろう。なぜこうも俺に構う?」
鋭い視線と共に叩きつけられた問いに、メカニックの男は首をすくめて答えた。
「別に、大した理由があるわけじゃありませんよ。
ただ、アリーナ時代のあなた──『ヴェスパ』のファンだった。だから、未調整ACに乗せて潰すなんて、惜しいと思った。それだけです」
かつてレイヴンズ・ネストに登録していた頃、名乗っていたレイヴンネームだ。懐かしくも忌まわしい響きを予想外の場所で耳にして、スティンガーは目を瞬かせた。
青い瞳が揺らぎを見せるが、それも刹那のこと。
「昔の話だ。今の俺は、『スティンガー』としてここにいる。」
表情から動揺の色を消し去ると、スティンガーはガレージの入り口へと足を向けた。
歩を進めること暫し。軍事施設らしいコンクリート造りの武骨な通路は、研究区画に近づくにつれ、徐々に無機質なリノリウム敷きへと様相を変じていった。
ラボのある一室まで来たところで、スティンガーは立ち止まった。
雇われの護衛レイヴンなどが立ち入ることは許されない、特にセキュリティの厳重な一室である。しかし、彼は新兵器のテストパイロットの権限を以て、入室が可能な身だった。
『虹彩認証完了。レイヴン・スティンガー、生体情報の一致を確認しました。ドアロックを解除します』
扉は開かれた。
静かに足を踏み入れた先、スティンガーの網膜が異形の機影を捉えた。
丸みを帯びた機首、細長い胴体、長く伸びた尾。鮮やかな黄色いボディと相まって、そのシルエットは甲殻類を連想させた。
ACとは似ても似つかぬ、文字通りの「新型兵器」。その奇怪な姿かたちは、ACに慣れた者たちには戦闘力を疑問視させるだろう。だがACの数倍以上ある機体のハードポイントにどれほどの武装を積み込めるか、また各武装が既存ACの装備と比べて強力な威力を発揮する代物か、スティンガーは知り抜いていた。
分厚い強化ガラスに手を添える。AC操縦用のグローブに包まれた手が、愛おしむように機体の輪郭をなぞった。
(プロトタイプは最終調整段階に入った。あとわずかで、俺の望みが叶う……)
エルシェーとかいうレイヴンの強襲を受けてから、ウェンズデイ機関は計画を前倒しに進めている。
おかげで、プロトタイプの完成は間近だ。そして収集したデータを基に、完成型が仕上がるのもそう遠い日ではあるまい。
──そしてその暁に、『奴』をこの手で打ち倒す。
5年前の屈辱を晴らす時が来たのだ。怨敵に引導を渡す瞬間を思い浮かべ、スティンガーは暗い笑みを浮かべた。