妄想投棄場   作:妄想投棄場

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タイシンとお家デート(後編)

 雲から見え隠れする日の光が新緑を育む。

 少しでも、恩恵を受けようと高く伸び枝から差す木漏れ日の下を歩く。時折頬を撫でる風が心地よい。

 昼食を済ませた私はタイシンと一緒に腹ごなしついでにレンタルDVDショップに行き、適当に愉快な作品を見繕っていた。

 

「お昼ご飯を食べて、散歩ついでにDVD借りて、夕方まで映画鑑賞。いやー、とっても贅沢な休日を過ごさせると思うとワクワクするね」

 

「本当、社会人かよって感じだね」

 

 凝り固まった体をほぐすため、背伸びをしながら呟いた私の発言にちくちく言葉が刺さってきた。

 もしかしたら、たまたまだったのかもしれない。隣を歩くタイシンの方をちらりとみやる。

 目に入るのは彼女の愛用しているベレー帽に、ぴんと伸びた栗毛の耳。

 少しずつ視線を下ろすと、深い青に吸い込まれた。口元を抑えてはいるが三日月に歪んでいるのがはっきりと分かる。

 やはり、このウマ娘、私を攻撃してきている!

 

「むぅ……」

 

 返す言葉を探して、ため息を漏らした私を見て、タイシンは抑えていたものが噴き出した。

 

「ぷっ、ぁはは! 冗談だって。……アタシも浮かれてたみたいだ」

 

「ん?」

 

「アタシもアンタと過ごすこういう時間、結構悪くないなって思ってるよ」

 

 トゲのない言葉が私を乱す。痛みの裏にある優しさだけで満足していた。痛みが無ければ、受け止めるには正気ではいられないだろうから。

 

「ぁ……」

 

 だからだ。今もこうして呆けてしまった。

 停止した私を見てタイシンは胡乱な視線を向けてくる。

 

「あーあ……ほら、行くよ」

 

 不意に手を差し出された。

 どうして、という疑問を口にする前にタイシンは答えてくれる。

 

「そんな、ぼーっとしてたらあっという間に時間が経つじゃん。まだまだアンタにはやりたいことがあるんでしょ? 立ち止まってる暇なんかないんじゃない?」

 

 力強い言葉だと思う。気高さを感じる振る舞いだ。気づけば私は、縋るようにタイシンの手を取っていた。

 

「じゃあ、行こうか」

  

 後半戦は始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 自宅に戻った私たちは電気を消して、カーテンも閉める。暗がりのなかで灯る明かりはテレビのみ。

 借りてきたDVDを見るための最高の空間を用意する。

 座り心地の良い、ソファにドカッと座り、ポップコーンと炭酸ジュースを用意する。

 レンタルDVD特有の何を見ようとしていたのか忘れるぐらい長いCMを見て覚悟の準備を決めた。

 

「よし!」

 

「いや、よしじゃないけど」

 

「実は私、ホラー苦手なんだよね」

 

「別にそんなこと聞きたいんじゃなくてさ」

 

 ホラー好きの半分ぐらいはホラーが苦手だと思う。私も怖いもの見たさのために、いくつも見ているが怖い部分やスプラッターな描写は震えるほどに怯えてしまう。一人で見れば寝付けない夜もあるほどだ。だが、今日はそんな心配はしなくていいという確信があった。

 

「どうして、アタシがアンタの抱きしめるクッション代わりになってるのかを聞きたいんだけど」

 

「趣味と実益を兼ねた性能をしてるからかな」

 

 私は足を広げて、その間にタイシンをすっぽりと入れていた。視界の端に耳が見えるが、観賞する分には問題はない。むしろ癒しによるストレス軽減効果が期待できるぶん、メリットしかなかった。

 

「ぶっ飛ばす!」

 

「あ、ほら本編始まったよ」

 

 このまま追及されれば分が悪くなってしまうのは明白だった。露骨に話を逸らしてみたが、どうやらタイシンも映画はしっかりと観賞したいようでそれ以上は特に何も言うことはなかった。

 

 

 

 幼いころの思い出だった。少年と少女が何か意味深なことを言った場面は変わる。

 そこは薄暗くライティングされたマンションの一室だった。全てが行き詰ったかのような表情を浮かべる男性が藁にも縋るような思いで電話から指示を受けていた。それだけで私は恐ろしかった。

 縋るような行動も傍観していれば狂気のようにも覚えて、ついタイシンを抱きしめる力が強まってしまった。

 

 びくりと、と体が震える。

 

――ん?

 

 私の体ではなかった。視線を真下に下ろすと、タイシンの毛は少しだけ逆立っていた。このウマ娘も知らず知らずのうちに緊張していた様子だった。

 その事実に気づいた私は怖いものよりも、もっと気になるものを見やるようになった。

 

 

 カタチだけの家族。綻びだらけで、薄氷を踏むくらい危うい関係性の中で忍び寄る怪異の気配。不気味な怪奇現象はボロボロだった家族が関係性を補強し団結するのに十分な出来事だった。しかし、惜しむらくはもはや、修復することが出来ないくらいに、家族の体を成せていなかったということ。

 心霊現象への対策を求める中で、霊験あらたかな霊能者にであう。そんな存在でさえも歯が立たないほどの怪異であり、簡単に傷つけられてしまう。

 

 

 

 ひどく、驚いた。なんとなく想像はついていたけれど、でもここまで流血表現があるとは思っていなかった。また、びくりと私の体は震えた。つい抱きしめる体も強まってしまった。

 それに伴って、握り締められた体も震える。

 わずかな震えだった。遠目から見ていれば絶対に気づかない、触れていなければ分からない。その事実が私の中に湧き上がる好奇心をひどく刺激した。

 私の中の悪魔が冒涜的な提案をする。振り払わなければいけないものだが、私には魅力的過ぎた。

 気づけば突き動かされるように私は動いていた。

 

「ふっ」

「ひゃっ」

 

 タイシンの耳に息を吹きかけた。

 手を回している私の腕に、タイシンはしがみつくように力を込めた。

 その瞬間に私の視界が開けた。下に目をやるとプルプルと震えて縮こまったタイシンの姿があった。

 

「大丈夫、タイシン」

 

 私の行動に迷いはなかった。

 震える彼女を慰めるため、優しく頭を撫でる。丁寧に梳かされた髪は柔らかく、何度往復しても一つもひっかかりない彼女の髪を少しだけ羨ましいとさえ思った。

 私がタイシンに触れた瞬間も彼女は少しだけ震えたが、その後は私のなすがままで特に抵抗などはなかった。

 

「急に、風が吹いてたみたいだ」

 

 本当にひどい話だ。風はすぐにいたずらをしてくる。姿が見えるなら私がぶん殴ってやりたいくらいだ。

 

「……」

 

「もう、大丈夫。とりあえず、映画も途中で止めたし。いっかい休憩しようか」

 

「……あのさ」

 

「ん?」

 

「おかしな風だったよね。どうしてか、アタシの片耳にしか吹いてこなかった」

 

「うーん、謎だね」

 

「吹く前に、アンタの声が聞こえた」

 

「映画で驚いてたからさ」

 

「アンタがやったんでしょうが!!!」

 

 タイシンは私と対面になるように体を起こした。

 一時停止した画面の明かりだけが私たちを照らす。ほんのりと赤くなった顔、首筋まで赤くなっているのはなぜだろうか。しかし、彼女が怒っていることだけはなんとなく分かる。

 誤魔化すのに失敗したようだ。私としてはうまくやったつもりだったけれど。

 

「まあ、落ち着いてよタイシン。どこにそんな証拠があるっていうの?」

 

「ああ、もう! そうやってズラすな!」

 

 タイシンは怒っている。だから私はもうちょっとだけ、反省しないといけない。そのはずなのに、タイシンに対してニコニコする気持ちが抑えきれない。

 

「こんな感じ?」

「ちょっ」

 

 怒りで顔を歪ませているタイシンの体を胸元に抱き寄せなが言う。少しだけ、彼女の赤みが増したような気がした。

 先ほどと同じように耳に息を吹きかける。

 

「ひゃっ」

 

「大丈夫?」

 

「っっ~~~~!」

 

 我ながら意地汚いと思う。驚いた彼女の体を放さずに息を吹きかけるのだから。

 羞恥や、耳を撫でる感覚に震えるタイシンの姿を逃さないように、ぎゅっと抱きしめる。顔をよく見ようとしたら、胸元に顔を押し付けられて防がれてしまった。しょうがないので、耳を少しだけ口に含む。

 

「っっ!」

 

 当たり前だが熱が通っていて、

 暖かい。モフモフとした触感も口に含めば毛が多い。だから、ゴワゴワとした食感がある。

 それでも、私はやめるつもりはなかった。縁をなぞるように舌を滑らせたり、少しだけ奥に進めるだけでタイシンの体は分かりやすいように震えるのだ。

 

 先ほどまでのタイシンの怒気は息を潜め、今は必死に私からの刺激に耐えている。拒否するわけでもなく、終わるまでじっと堪えているところが愛おしくて続々と嗜虐心をくすぐられてしまう。

 

「ねえ、答えて?」

 

 胸元に押し付けている顔を少し引きはがした後に、直接耳元でそういって囁いた。

 

「んっ」

 

 タイシンの口から甘い吐息が漏れていた。ドロドロとした最低な感情が私を扇動する。

 

 とても愛おしい。だからこそめちゃくちゃにしたい。

 タイシンの羞恥に震える表情に私も切なさを感じる。だからもっとその感情を引き立たせたい。

 自分の見せたくない部分を必死に隠そうとする彼女の健気さに心を打たれた。だから、全てをつまびらかにしたい。

 

 自分の中に生じた矛盾を通して自分の異常性を自覚する。でも、それが分かったところで、一番愛おしいものをもっと、ぐちゃぐちゃにしたいという破壊衝動にも似た、この欲求を抑えることは出来なかった。

 

「ごめんね、ひどいことをしちゃって」

 

 そう嘯いて私はタイシンの頭に口づけを落とす。このぐらいでは愛を伝えるには不十分すぎる。

 

「好きだよ。だから、こんなにいたずらしちゃってる」

 

 額に口づけをする。

 

「ごめんね、私はちょっとだけおかしいみたいだ」

 

 白々しいぐらいの謝罪を口にしながら、ぴたりと閉じ切った瞼の上に口づけを落とす。

 頬に、顎に、首筋に、胸元に、余すところなく、印をつけるように私は口づけを繰り返した。

 

「ねえ、いい?」

 

 猫をあやすように喉元をくすぐる。目を開けることもないつれない態度に少しだけ寂しくなってしまったから。どこまで自分勝手なのは分かっているが、機嫌を取り、目を合わせてもらえよるようねだってみた。

 

「なんにも言わないなら勝手にしちゃうよ?」

 

 その言葉に、タイシンの体はびくりと震える。しかし、終ぞその岩戸が開くことはなかった。

 少しずつ、顔を寄せていく。吐息が聞こえる。たぶん、私のこの呼気も届いているのかもしれない。鼻息が聞こえたらどうしようか、なんて考えて気を逸らさないと私だって、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 心音がうるさい。

 周りの音も聞こえないくらい大きく響く鼓動が私の気をせかす。

 だから、気づくのが分からなかったんだ。

 

「ぅが……ぁ?」 

 

 口に鋭い痛みが走る。

 転んで唇を切った時と同じ感覚だった。

 口の中に異物が侵入した。

 生暖かい感触が私の口腔を蹂躙していく。上あごをこそがれて、腰が少しだけ浮いた。ムードなど欠片もなく、ただただ貪るような口吸いだった。

 

「タイ……シン?」

 

 暴力的な快楽の中でも理性を保っていたのは、上唇に鋭く刺さる痛みのおかげだった。

 先ほどまでの健気な姿はなかった。

 私たちの口元にかかった透明な糸の先を辿る。その瞳からは理性が失せていた。ただ本能的に全てを貪ろうとする獣のような欲望だけが宿っていた。

 

 ソファ沿いに体を押し倒された。その勢いのままタイシンは私の上に跨る。

 シャツをめくり上げられた、抵抗をしようとする気さえ起きなかった。有無を言う言葉を抑えつけられているような圧力があった。

 お腹が空気に触れる。ひんやりとした感覚で体がまた浮いた。

 先ほどまでと立場がひっくり返ったのだ。先ほどまで好きにしていた相手に蹂躙される、という状況が私の羞恥をより煽る。お腹が剝き出しになっているだけでひどく心細い。顔から火が出そうなほど恥ずかしい。めくられた服を下ろしたい。そう思っても腕は既に抑えられている。

 抵抗する手段を根こそぎ奪われた。

 

「た、タイシン?」 

 

 意味はないと思っても声をかける。

 返事はない。顔も逆光で窺えない。

 タイシンの顔が少しずつ下がる。

 

「んっ」

 

 お腹に吐息がかかる。その動作だけで体が震えてしまう自分が情けない。

 熱いぐらいの息だった。タイシンの中のぐつぐつと煮立った感情が実態を伴ったようなそれは、私のお腹を舐るように広がる。

 力では絶対に勝てないウマ娘に抵抗することできず好きにされる。その事実が私に倒錯的な快楽をもたらす。彼女から漏れる吐息一つとっても、肌に触れる快感の一つ一つが共鳴し、軽い愛撫で全身を震わすほど大きなな快楽になる。

 直接的にはなにもされていないだけで、これだ。

 これよりも激しくなってしまえばどうなるのだろうかと、想像するだけで私の体は甘くしびれてしまう。

 

「いっっ」

 

 しびれて脱力していた体に緊張が走った。

 お腹に鋭い痛みが走る。

 それを食いしばろうとすると、口の痛みも重ねて響き、私は快楽に溺れ理性を手放すことはなかった。

 噛まれた。そして、強く、吸われている。刻まれるようにジンジンとした痛みを受け止めていると、お腹の周囲に生ぬるい刺激が広がる。

 噛まれた部分を中心に、円を描くようにゆっくりと彼女の舌が私の上を這っていた。

 気持ち悪いはずなのに、私は嫌悪よりも快楽の方が大きかった。ただ舐られているだけではなかったから。甘く吸われたり、肋骨の縁に沿って歯で私の体をなぞったり、一辺倒ではない接触が私の感度を高めている。

 次に何が来るかも分からない。ただ、与えられるものを中身も分からずに受け入れなければいけない。

 快楽を貪るだけに腐心するほど私の頭は浮かれていない。だけれど、抵抗する力も気力も削がれている。抵抗も出来ないのに、身構えてしまう私の理性が倒錯さを加速させている。理解は出来ていても何も出来ない。その無力感で私の体はますます甘く痺れていく。

 

「あっ」

 

 タイシンの顔が下がっていく。鼠経に近づいていく。

 幾重にも重なりあった神経の上を彼女が這うだけで、私は痙攣するように体を震わせてしまう。恥ずかしいという感情も、時折、彼女が刻むように与える痛みも全部がぐちゃぐちゃのドロドロに溶けて、どうしてか快楽として受け止めてしまう。

 どれだけ大きな波が来ても私の閾値を超えることはない。まるでコントロールされているかのようにギリギリで押し留められてしまう。まるで、私にゆだねているとでも言いたげなほどの悪辣だった。

 

 私が言わせたいのかと思うほどに、陰湿だ。

 浅ましい存在であると、快楽に溺れてしまう意思薄弱な人間であると、私が懇願するまではただただ嬲るだけであると、タイシンの愛撫はそう邪推してしまいそうなほど、ひどくへばりついてくるものだった。

 

「んっ……は……ぁ……」

 

 ズボンも下ろされる。もはや、タイシンのなすがままだった。

 それでも決して彼女は触れることはない。ただ、舐るだけだ。時折刻むような痛みを与えられながら足先に至るまで調べられていく。

 

 

「ん……あ……?」

 

 

 もう、思考もまとまらないほど私は惚けていた。

 何を我慢していたのか、どうして欲しかったのか。よく分からない、ただ、終わりが欲しかった。

 この終わりのない地獄みたいな快楽の中で、全身が鋭くなってしまうほど敏感になった体を静めて欲しかった。

 

「あ、タイ、シン」

 

 タイシンはどうやら舐り終わったようで顔を上げていた。

 口元から垂れる糸は淫猥さを感じる。しかし、その表情は妖艶と言うよりは、飢えた獣という様相を呈していた。タイシンの青い瞳は青い炎がごうごうと燃え盛っている。満足しているわけではなく、一時の休憩なのだとなんとなく分かってしまう。

 未だ飽くことのない彼女に手招きをする。

 近づいてきた顔面を掴み、彼女の口の中に侵入する。彼女の中にあるものを全部舐めとるほどの舌を滑らせる。

 

「ぷっ……は……ぁ……」

 

 橋がかかるように糸が垂れる。どこまでも繋がっているような充足感が湧く。

 また、触れたくなった。繋がっていたい。溶け合うという感覚とは違う。肉体が全部繋がっている。近くに確かにある。その存在を確かに感じたくて、私は何度も口づけを求めた。

 

 息が上がる。汗で服がびったりと張り付いている。下着一つでひどく心もとない下半身でタイシンの体を絡めとる。敏感になった素肌で体温を感じると幸福が満ち溢れてくる。

 私は自分の存在を残すように、タイシンの首元に首をこすりつける。

 

「……アンタのせいだ」

 

「ん?」

 

 こすりつけていた首を掴まれる。そのまま、タイシンは倒れるように私の体に覆いかぶさった。

 首の拘束が解かれ、胸元をきつく握りしめながらタイシンは顔を押し付けてくる。少しすると鼻をすする音が聞こえてくる。

 

「アンタ、のせいだ。アンタのせいで……アタシはおかしくなった」

 

 タイシンはぽつりぽつりと自分の気持ちを吐き出していく。

 私は気持ちが喉に詰まってしまわないように、なだめるようにタイシンの頭を撫で続ける。

 

「こんなに、抑えがきかないなんて……初めてだ」

 

「嬉しいな」

 

 タイシンはさっきまでのことを覚えているのか、全く分からない。

 でも、彼女はきっと記憶の残滓を繋ぎ合わせて、自分が何をしていたの検討がついているのだろう。タイシンは後悔や自省で押し潰されてしまいそうなのだろう。そんな彼女の頭を撫でながら、私の気持ちを伝える。

 

「アタシは嬉しくない」

 

「そうだよね、私のエゴだ」

 

 

 

 

 

 私達がこんな関係性になったのは、今年のバレンタインの時だった。

 去年、病み上がりのまま菊花賞に臨んだタイシンを見て、私がタイシンに抱いていたのはトレーナーとして担当ウマ娘に抱く感情よりも更に大きなものであると自覚した。そして、傷つきながら走りつづける彼女を見ていられなくなった。自分の選択で彼女を走り続けさせてしまえば、取り返しのつかないところまで追い込んでしまうのではないかという不安がいつも頭をよぎるようになった。もう心がざわついて、練習メニューも指導も手につかなくなってしまうほどひどくなってしまった。

 

 だから、私の気持ちをいつ切り出そうか。そう思っていた時にバレンタインが来た。

 私は普段の感謝と共に、これからのことを告げるためにチョコを渡した。

 そこで、私とタイシンの関係性は変わった。

 

『アンタはいっつもそうだ。自分の事ばっかだ』

『……ごめん』

『……どうすればいいんだよ』

『え?』

『アタシは、どうすればいいんだよ!』

 

 タイシンの顔はひどくボロボロだった。全てが無くなってしまったような絶望感さえ漂う切ない表情を浮かべていた。

 

『怖くて、怖くて。何か言われたらどうしようって、いっつも震えてた。いつものアンタの調子のいい発言が頼りだった。絶対にこいつだけはアタシを見てくれてるんだなっていう安心感があったから、アタシは前に進めた。それなのに、アタシが傷つくかもしれないから、アタシとの契約を辞めるって、なんだよ。なんだよ、それ……』

 

 玉のような涙を零して訴えるタイシンの顔はとても綺麗だった。でもその涙は、その言葉は私の心を切なく締め付けてきた。この涙を拭ってあげたいと、そう思った時には私は動いていた。

 

『ごめん、本当にごめんね、タイシン。私は本当にバカだったよ』

『気づくの遅すぎ』

『やっぱり、私はあなたのトレーナーを続けたい』

『ちょっとは自分の言葉に責任もってよ』

『……ごめん』

『ん』

 

 タイシンは私のことをそれ以上責めはしなかった。ただ私が抱きしめると彼女も同じくらいに抱きしめ返してくれた。

 

『ねえ、タイシン』

『なに』

『今度、私の家に来ない?』

『は?』

『週末に私の家でデートをしようってお誘い。お泊りをしよう。いっぱい話して、いっぱい笑って。私、タイシンのことをもっと知りたい。トレセン学園のナリタタイシンじゃなくて、一人のナリタタイシンとして』

 

 その言葉を口にするのはとんでもなく勇気が必要だった。顔が熱くなるのが分かるし、噛んだらどうしようなんて、めちゃくちゃに心配だった。

 それに、タイシンもすぐには答えてくれなくて、内心ドキドキが止まらなかった。

 

『本当、アンタは自分勝手だ』

『ダメ、だったかな』

『……そうは言ってない』

『うん』

『アンタはすぐに調子のいいこと言うし、アタシのことからかってくるし、嫌って言っても、止めないくせに、自分の都合ですぐに離れていこうとする』

『うん』

『だから! アンタが言ったんだ。今度は自分の発言に責任もってよね』

『……うん!』

『……アタシは絶対、離す気ないから』

 

 

 それから、私たちは、今みたいにお泊りをするような関係になった。この関係の中で私も自分なりに決まりのようなものを作っていた。

 

 そういうことはタイシンが自分で責任を持てるようになってから。

 

 結局は自分のさじ加減だ。調子のいいことばっかり言っているのは分かっているけれど、なんとなく今まで守って来た。

 そして、タイシンも私の自分ルールに気づいていたようだった。だからこそ、あれだけ理性が無くなってもその一線だけは絶対に越えることはなかった。

 それは、本当に、かけがえのないもので。

 

「タイシンは私以上に私のことを気遣ってくれてる。それが実感できる私は幸せ者だなあと嬉しくなった訳でして」

 

「……バカ」

 

 愛おしさがあふれてしょうがない。でも、これ以上タイシンをいじめるわけにもいかない。なんとなく、そうしたくない。そんな感情に襲われた私は、一つの提案をすることにした。

 

「ねえ、お風呂入ろっか。……ほら、全部水に流しましょうや、姉さん」

 

「何それ……誰だよ、アンタ」

 

「私は私じゃん」

 

「ああ、もう!……どうでもいいや。お風呂溜めてくる」

 

「いやいや、私が行くからいいよ」

 

「アンタはそこで続きを見とけばいいじゃん」

 

「なんで嫌いなものを1人で見なきゃいけないんですか!」

 

「あんたってヤツは本当に……」

 

「二人で溜めよっか!」

 

「非効率的過ぎるでしょ。……やっぱり、夕飯の準備しとくからアンタはお風呂溜めといて」

 

「はーい」

 

 部屋の電気をつける。明るさを取り入れたことで、空気も先ほどに比べてなんとはなしに変わったような気がする。

 ズボンは、まあ、いいか。後で回収しておこう。とりあえずお風呂に入りたいので、私は手早く風呂掃除をすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お風呂と夕食を済ませた私たちは既にベッドの中にいた。

 段々と暖かくなっているこの時期に二人で寝るのは少々暑ぐるしいかもしれない。でも、やっぱり私はタイシンと一緒が良かった。

 

「良い抱き心地だ」

 

「気持ち悪いこと言わないでよ」

 

 言葉はとげとげしいが、タイシンに抵抗する素振りは見られない。

 

「というかさ、タイシン。これのせいで私次の日、長ズボン履かなきゃじゃん」

 

 私はそういいながらベッドの中でお腹から足をさする。

 風呂場で見た時は二人して心底驚いた。お腹から下にかけて沢山の赤い痕が私の体に刻まれていた。

 それは、つまり、そういうことで。

 

「それは……ごめん」

 

「いやー、困ったなー、仕事に行くとき大変だなー」

 

 半目でタイシンを見ながら私は白々しく告げる。

 タイシンも思う所はあるのだろうが、先ほどもある手前、強くは言えないのだろう。

 

「……なにが言いたいわけ」

 

「いや、別に、そんな大したことじゃないんだけね」

 

「早くいえ!」

 

 今日の最後のタイシン遊びを終えたところで、私はそろそろ本題にはいる。

 

「好きって言いながらお休みのチュウ、タイシンからしてほしいなあ」

 

「なっ!?」

 

 少し薄暗いベッドの中でも分かるほど、タイシンは顔を赤くしていた。しばらく経っても返答はない。

 流石に、タイシンにとってハードルが高かっただろうか。正直、してもらいたいが、そこまで大事なことじゃない。

 私がタイシンに無理難題を言い、彼女を困らせた。いつものような関係に戻るために行為みたいなものだ。タイシンは結構自分で背負いがちなので、そんな落ち込むだけ無駄、と思うだけでいい。

 もししてくれたら私も嬉しい、タイシンも貸し借りなしでハッピー。どう転んでもいい。そういう類のお願いだ。でも、今回はタイシンにとってハードルが高すぎたようだった。

 私もそろそろ助け舟を出すことにする。

 

「ごめんなさい、タイシン。私はまたからかいすぎちゃったみたいだね」

 

 そう言って、タイシンの頭を撫でる。暗に、言わなくてもいいことを告げようとすると、抱きしめる力を強めようとした。

 

「いいから!」

 

 タイシンは真っ赤にしながら、私の行動を遮る。何かを決心したようにこちらをまっすぐ見つめていた。

 

「す、す、……ああ、もう!」

 

 言葉にしようとしては消えゆく。なんどか繰り返すとタイシンが業を煮やしたのか、いきなり私の首根っこを掴んできた。

 

「一生アタシから目を逸らすな! 逃げ出そうなんて思ってももう遅いんだから! 分かった!?」

 

 押し付けるような乱暴なものだった。

 触れ合った唇は柔らかさよりも、ぶつかる痛みの方が強かった。

 

 でも、確かに、それはキスだった。

 

 痛くて痛くて、痛い。胸が締め付けられるぐらいに痛い。

 鼓動がうるさすぎて破裂しそうなほど、私の中でけたたましく打ち響く。

 

「タイシン、も、もう一回!」

 

「うっさい! バカ! 早く寝て!」

 

 私の中でナリタタイシンというウマ娘の存在がものすごく大きくなっていくのを実感できる。それぐらいに、今の私にめちゃくちゃに効いた。

 だから、私はいても経ってもいられなくなって、掛け布団にくるまってそっぽを向いた彼女に囁く。

 

「私は、タイシンのことずっと見てるから」

 

 鼓動が早い。タイシンのことをもっと感じたくてぴったりとくっつくと鼓動がもっと増した。

 

「どれだけ逃げ出そうとしても、気づいたらタイシンのことを目で追ってるんだ」

 

 鼓動のリズムがおかしかった。理由はよく分からなかったが、直ぐにその意味を理解した。

 

「……バカ」

 

 二つ分のひどく脈打つ鼓動が聞こえているからだった。

 

「好き、好き、大好き。……愛してるよ」

 

 最後の言葉を言うのは少し恥ずかしかった。結構体が汗ばんでしまったような気もする。

 でも、この温もりを、手放したくはなかった。

 私の腕の中に確かにある、大切な宝物だから。

 

「………………………………アタシも」

 

 

 その言葉で私は一層に抱きしめる力を強めた。

 

 ああ、幸せだな。

 

 タイシンと歩んできたこれまでと、タイシンと共に往くこれからに思いを馳せて、私は微睡みに意識を委ねた。

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