一日の終わり。
オレは自室でグラスを傾けて、酒精を取り込む。高揚した頭の中に、悪魔的発想が湧き出た。
「メジロライアンの背筋って凄そうだな。調べてみるか」
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「お疲れ様です、トレーナーさん! 今日も練習お願いしますね!」
「次のレースに向けて頑張ろうな、ライアン」
「はい!」
次の日の放課後。
ミーティングルームにてオレはライアンと練習前にメニューを確認する。
引き締まったライアンの肉体は、美しさの一つの終着点と言えるほどに惚れ惚れするものだ。
上半身の運動を支える筋肉として後背筋、僧帽筋がある。
にわかなフェティシズムを持つものであれば腹筋を触りたいなどという、安易で面白味もない発言をするだろう(過激派)。
しかし、そうではない。
腕を振るうという行為は走る際に、体を前進させ、リズムを整える重大な役割を担っていると言っても過言ではない。それを支えるのは間違いなく、背中の筋肉なのだ。
完成された肉体美を持つ、メジロライアンであればその背筋はどうなっているのだろうか。普段、見ることは出来ない。見てはいけないものである。だからこそ、好奇心を掻き立てられるのだ。
しかし、見えないものを想像で補うだけの時間は終わった。
どうして思いつかなかったのか、答えは遥か彼方にあると思っていた。しかし、真理はすぐそばにあったのだ。
たった一つの、冴えた答え。今日、俺はライアンの背を直接的に触れる。
ライアンの方に視線をやる。練習前であるが、高まりが抑えきれないのか、既に準備運動を行っている。
そこから見える、筋肉の隆起だけで、とてつもないエネルギーを感じる。
肌で感じることが出来ればそれだけでオレはその力で散り散りになってしまうのではないかと言う錯覚さえ覚える。
そんな興奮をぐっと堪えて、俺は静かに動き出す。
まだ、ライアンはこちらを意識はしていない。ヤるならば今しかないのだ。
「くぅ~~~~、今日も私の筋肉、震えてます! まだ見ぬマッスルの境地に行かなきゃいけません」
ライアンは少しずつギアを上げていっている。ブンブンという空を切る音が強まる。その隙を狙い椅子を引き、立ち上がる。
息を殺せ。存在感を無くせ。もの音一つ立ててはいけない。
姿勢を正し、踵から地につける。その動作を左右で慎重に繰り返しライアンの下に近づいていく。
「誰よりも、力強い走りを見せられるウマ娘になりたいなあ」
――大丈夫だぞ、ライアン。お前はもう既に力強い走りを見せられるウマ娘だ。その実態を俺が今明らかにしたやるからな。
その大きなものに触れたくて俺は手を伸ばした。まるで夢見たものに手を伸ばすように胸の高鳴りが止まない。あと一寸で届きそうという時に、足を進める俺の体が浮遊するのを感じる。飛んでいるような心地だ。
いや、違う! 俺は実際に宙に浮いている!!
走馬灯のようにすべての事象がゆっくりと認識できる。どうなったのかを確認しようと俺の足元を見ると、そこにはバナナの皮が転がっていた。
ハヤヒデェェェェェェェェ! 妹にバナナを渡すときはちゃんとゴミ箱に捨てろと言って渡せとあれほどなあああああ。
そんな怨嗟の言葉はすぐに閉じる。今も落ち続けているこの体が倒れて物音を立ててしまえば、それこそ全てが終わってしまう。どうにかして、俺は掴まなければいけないのだ。
その一心で、俺は前に体を進めた。藁にもすがる思いで必死に手を伸ばした。届くかは分からない。でも、届いて欲しい。だって、そこが、俺が求めた夢のカタチなんだ。
「獲ったあぁぁぁぁぁ」
「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁ、と、トレーナーさん!? どうしたんですか?」
「これが! オレの! 夢のカタチなんだ!!!」
「何を言っているのかわかりませんよ!?」
図らずも俺はライアンに抱き着く形になってしまった。ライアンも怒りと言うよりは困惑を感じているようで、多少の俺の行動は気にならないほどになっている。ここは、ダメ押しでもう少し俺の正当性を主張しておこう。
「なあ、ライアン」
「?……はいなんでしょうか」
「ライアンの背中って大きいな」
「きゅ、急にどうしたんですか、トレーナーさん」
「俺、ライアンのこの背中が好きだ」
「で、ですから……うぅ……」
「この背中でどんなものも背負ってきたんだよな。メジロの責務も、仲間の信頼も、観客の期待も」
「!?……はい! 期待に応えられているか、まだ分かりませんが、誰が見ても恥ずかしくないように振る舞ってきたと自負しています!!」
「なら、俺を背負うぐらい訳ないわけだ」
「!……なるほど、それでトレーナーさんは私の背中に、と言う訳なんですね」
「さあ、どうだろうな」
「やはり、私もまだまだ未熟者でした! トレーナーさんの意図も見抜けずに驚いてしまって」
よおおおおおおおし!!! よし! よし! なんとか誤魔化せたぜ。今のうちなら十分に彼女の背筋を調べることできるはずだ。
少し、体を密着させてみる。
「と、トレーナーさん!? そ、そのくっつき過ぎでは?」
ほんの少し甘い匂いがする。
シャンプーか制汗剤の匂いか……はっ、そうじゃない。そんなことを考えていたら、超ド級の変態行為をしているクソ野郎じゃないか。俺はもっと崇高な目的のために行動する高潔な人間なんだ。煩悩にうつつを抜かしている場合ではない。
後背筋の方に触れてみる。
「ひ、ひゃん!?」
みっちりと詰まっている。質量密度、共にかなりハイレベルに鍛え上げられている自慢の彼女の肉体であるのは明白だ。しかし、硬いわけではない。硬ければ緊張のせいで瞬発力が落ちてしまう。柔軟でしなやかな筋肉がアスリートには求められている。ライアンの肉体はその要求される基準を軽々と満たしている。というより、普通に柔らかさもあるな。なんというか、普通の女の子って感じだ……
!?!?! ち、違うぞ。違うんだ。そんな邪な考えではなく、あくまで俺の信じる筋肉の体現者としてのメジロライアンを尊敬しているのであって、決して決して!!!
「あ、あのトレーナーさん」
「うん? どうした?」
「その、もういいでしょうか? 流石に私も」
「ああ、すまない。君の筋肉に惚れ惚れしていてね」
「あ、ありがとうございます! 私は別に気にしてませんが、他の子は女の子なんですから、もっと繊細に扱わないとダメですよ?」
ライアンも! 女の子でしょうが!!! どうして、そんなこと言うんだ!!!
こんなことを言わせてるヤツは誰だ!? ぶん殴ってやらねえと気が済まねえ!!!
「すまない、少しブライアンと話し込んでいてな」
「ハヤヒデさん! お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様、ライアン。というより背中にいるのは……もしかしてトレーナー?」
「うわあああああああ」
突然の訪問者に対する驚きのあまり、俺はライアンに抱き着いていた腕を放して後ろに下がる。
ズルっという音と共に、俺の体は再び、宙に舞い、かなりの衝撃で地面に叩きつけられる。
「トレーナーさあああああああん!?!?!?」
「どういうことなんだ一体!?」
薄れゆく意識の中で、分かったことがある。俺は、ライアンの筋肉が好きだ。しかし、ライアンやハヤヒデと共にトレーニングをしているうちにいつの間にかメジロライアンというウマ娘のあり方にも惹かれていた。でも、その気持ちを必死に押し殺して、自分は筋肉が好きであると思い込もうとしていたんだ。
それは、彼女がアスリートとしてのメジロライアンに自信をもつことを後押しできても、一人のウマ娘としてのメジロライアンの自信を薄れさせてしまう一因となってしまった。
だからこそ、俺はこうして報いを受けたんだ。
「ライ……アン、ごめん」
「トレーナーさん!? 喋らないでください! 今、医務室に運びますから!」
「いいんだ、これは俺の責任、だから」
「でも、でもっっ!!!」
「最後に、一つだけ、いいかな?」
「はい、はいっ!」
「筋肉、さい、こ……ぉ……」
「と、と、トレーナーさあああああああん!!!!!」
俺の生涯は後悔と挫折にまみれたものだった。悔やむことなど、数えきれない。
でも、最期に、言葉を残せて、良かったなあ。
「終わっただろうか? どうせいつもの妄言だろうから、医務室に放っておけば勝手に戻ってくるだろう」
てめえは、バナナを始末しろ、ハヤヒデェェェェ。