【完結】サトリな僕とTSな君   作:虫野律

10 / 11
10話と11話は連続投稿です。
一応、ホントの最終エピソードのつもりです。


心を開いて①

 私の中には2人分の記憶がある。

 1つは男として生まれ、野球のことばかりを考えて生きてきた記憶。

 もう1つは女として生まれ、両親から野球をすることを許されなかったり、妥協してバレエを習ったり、周りの子たちと上手くいかなくて辞めたり、そんな感じの少女の記憶。しかし、女としての記憶は神様を自称する大きな蝿に植え付けられた偽物だ。

 信じがたいことに、世の中にはアホな野球少年を美少女に変えてしまう神様がいるらしく、ある日、目を覚ますと女の子になっていた。

 部屋に漂う薬品の(にお)いと白を基調とした内装からそこが病室であると察した私は、ヤバい奴らが寝ている私を(さら)い、無断で性転換手術を完遂してしまったのかと疑った。神様だとか怪奇現象だとか認識の改ざんだとかを信じていなかったからだ。

 しかし、どうやらそれは違うようだった。親父も母さんも妹も皆、私を元から女の子であったと認識していて、〈昨日までは(そら)という名前の高校球児で、150キロオーバーの直球を投げられたんだ〉といくら主張しても信じてもらえず、彼女たちは静かに首を振り、私を心配した。

 医者が言うには、意識のない私が突然、病院の待合室の長椅子に出現したそうで、看護師たちが大層騒いで、患者から、〈院内ではお静かにお願いします!〉と叱られていたらしい。 

〈後頭部にたんこぶができているが、身体に異常はない。むしろ健康すぎるくらいだ。念のため数日入院してもらうけど、まぁ何もないでしょうね〉と中年の女医は予言した。整形外科医をしている母さんは、〈頭は悪いけど、身体能力だけはすごいんです、この子〉と薄い胸を張っていた。

 

 予言は的中し──退院し、私は高校2年生になった。

 神様には美的センスがあるようで、私はいろいろな人から性欲と妬みの視線を向けられるようになっていた。たしかに野球少年だったころも嫉妬されることはあったし、エースの座を争った先輩から複雑な敵意を感じたこともあったけれど、こんなに強烈に男連中から顔と胸と尻と股に性的な視線をぶつけられた経験はなく、非常に戸惑った。私も男だったから気持ちは分かるが、やられるほうはあまりいい気はしない。

 だから、私は、見られていると悟られぬように細心の注意を払い、推定Fカップの三上(みかみ)先生を観察し、人生において絶対に必要のない授業を凌いでいたのだけど、その日、私に事件が起きた。クラスメイトの男の子が聞き捨てならないことを口にしたのだ。

 私の性別が変わったことに気づいている人間はいない。神様曰く、全ての人間の認識を改ざんしたそうだ。にもかかわらず、その男の子は真実を知っていた。びっくりした私は、周りの目も憚らずに彼の手を握り、人目の少ない公園まで連行した。

 それが、源 水季(みなもと みずき)との友人関係の始まりだった。

 

 水季は変な奴だ。最近はそうでもないけど、最初のころは性的な視線を寄越すことが一切なく、私を見ているようで違う何かを見ているような、でもやっぱり誰よりも私を真剣に見ているような、一言では言い表せない不思議な目をしていた。

 そういう奴だったから、嫌悪感は抱かなかったし、無駄に警戒する必要もなかった。気楽に話すにはもってこいの相手だった。 

 いつからあいつを好きになっていたのかは分からない。

 一緒にいることが多くなって、話を聞いてもらうことが当たり前になって、最高に居心地がいいことを自覚して、ふと淋しさが込み上げてきて、自分の容姿が気になり出して、不安になって、2人でご飯を食べて、空回りして、キスをして、怒って、キスをして、セックスをして、また話をして、そういうことを繰り返して、気がついたら愛していた。

 

 

 

 

 

 

 私たちは水季のアパートでテレビ──お昼のニュースを観ている。

 最近、私はラッコ座り──水季が後ろから包み込むように座る──というものに大いなる可能性を見出(みい)だした。強い安心感を得られるのだ。したがって、今も水季の中に収まっている。

 

『……紙谷(かみや) 貴登(たかと)被告人は、事件のことは憶えていないと主張しており……』アナウンサーが春に起きた殺人事件の情報を伝える。『……弁護人は、〈被告人は事件当時、統合失調症により心神喪失状態にあった〉と……』

 

 画面に紙谷さんの顔が映される。くりくりとした目と胡座(あぐら)をかいた鼻が印象的だ。

 

「大変だなぁ」私はしみじみと言った。詐病でないのならば、みんなが可哀想な事件だ。

 

「ちょっと会ってみたいな」水季はたまに変なことを言う。「紙谷さんって、どんな人なんだろう?」

 

「さぁ?」としか答えられない。「私に分かるわけないだろ?」

 

 そんなことよりおやつを食べたい、とキッチンにあるスナック菓子を取りに行こうとした時、テレビ画面にそれが流れた。

 

『どうして息子が、と思わない日はありません。犯人には精神障害があるようですが、そんなことで……』どこか見覚えのある中年男性が、溺れているかのように苦しげな顔で言葉を吐き出している。画面左のテロップには、〈月見里(やまなし) (たまき)くんの父親の(たける)さん〉とある。

 

 不意に、痛みに似た不快感が喉の奥からせり上がってくる。頭がズキリと痛む。痛みが爆発的に拡がる。

 

「空?」水季の声がした。

 

 けれど、「ぅ、ぁ……ぁ」と上手く答えられない。世界が不規則に回転している。苦しくて不安で水季の手を強く握る。

 

 握り返され、でも水季の中で死ねるなら悪くはないな、とアホなことが頭を過った瞬間、私の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 これは夢だろう。

 気がついたら、私は投手をしていた。マウンドからバッターを見下(みお)ろす。目が合うと、諦めと僅かな怯えが彼の瞳に浮かんでいた──私に萎縮しているようだ。

 だが、手加減はしない。捕手(あいかた)のサインに頷き、大きく振りかぶり、真っ直ぐ(ストレート)を放つ。

 分厚いキャッチャーミットから心地()い音が生まれた。今日は調子がいい。空振り三振だ。

 

 場面は変わり、先ほど私のボールをキャッチしていた捕手の少年が、「調子いいじゃねぇか」と笑う。

 

「まぁな」と私は応えた。すると、監督らしき人が、「環! ちょっと来い」と大きな口を開いていやに白い歯を見せてきた。私を呼んでいるようだ。なんだよ、と思いつつ、向かう。

 

 夢というものにまともなストーリーなんてない。だから、典型的なおっさんである監督がいきなり銀髪の美少女に変わっても不思議ではない。

 河原に、怪我をしている銀髪の子と私がいる。どういう状況だ?

 

 そう思ったら、今度は住宅街にいた。少し離れた所を私が歩いている──ん?

 自分が2人存在している。おかしいな、と気持ち悪さを感じるも、俺は環なんだから何もおかしくはないということに思い至り、胸を撫で下ろす。

 突き当たりのT字路から1人の男が現れた。ニュースで見た紙谷なんとかっていう人だ。彼は私に視線を向け──。

 

 

 

 

 

 

 ぼーっとしている。眠い。また寝ようと寝返りを打つ。

 

「……」

 

 あれ? と違和に気づく。枕の匂いが違う。

 

「おはよう」聞き慣れた声がした。そちらに顔を向けると、水季がいた。背もたれのない椅子に座っている。

 

「ああ、おはよう」応え、「ここは病院?」と殺風景な白い個室を見て、訊いた。

 

「うん。空が気を失っちゃったから救急車を呼んだんだ」それから水季は私たちの町にある総合病院の名を口にした。

 

 今は何時だろう、と時計を探す。見当たらないな、と諦めたのとほとんど同時に、「今は夜の19時過ぎだよ」と水季が教えてくれた。

 

 本当に察しがいい。

 

 もしかして水季は私の心を読めるんじゃないか? 

 

 そんなふうに思うことがある。幽霊も蝿の神様もいるのなら心を読める人がいても不思議ではない。

 

「……」なぁ、水季は私の心が分かるのか? と無言で見つめる。

 

 水季は立ち上がった。「お母さんとお医者さんを呼んでくるよ」

 

「待って」その前に少しだけ触れてほしい。不安なんだ。

 

〈月見里 環〉〈殺人事件〉〈銀髪の少女〉〈襲われた私〉

 

 いくつかの記憶の断片が私の心をかき乱している。

 私はなんなんだ? なんで今まで男のころの名前を勘違いしていた? 空という男の子が女の子に変えられたんじゃないのか? (おれ)はどうして──。

 

 ふと、頬に熱を感じた。いつも私を安心させる手のひら。「何があっても僕は空の味方だよ」

 

「……うん、ごめん、ありがと」愛してる。言葉にはしなかった。きっと伝わっているだろう。

 

 水季の顔に一瞬だけ複雑な影が差す。気のせいだろうか。

 

「呼んでくるね」

 

 手のひらが離れた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 空の身体に異常はなく、次の日には退院した。

 しかし、心には問題が発生していた。不自然に忘れていた記憶を思い出したらしい。自分の存在が不確かになり、〈私はなんなんだ〉と不安を覚えている。

 

 それが原因でいつもよりも離れたがらない。今はまだ夏休みだから僕のアパートでひっついていてもいいけれど、学校が始まるとそうもいかないから少し困った状況だ。

 

 飲み物を取ってきた空が僕の隣──安物のシングルベッドに腰を下ろす。隙間はない。

 

 夜の8時過ぎ、テレビでは男性アイドルが司会を務めるバラエティー番組が流れている。

 空は、今日はこちらに泊まる。父親がごねていたそうだけど、母親と(はるか)ちゃんが、〈まぁいいじゃない〉〈そうだそうだ、金離れのいい彼氏はいい彼氏なんだぞ〉と援護したらしい。

 

 しばらく無言でテレビを眺めていると、とうとう不安に耐えられなくなった空が口を開いた。「前、大きな蝿に女に変えられたって言ったじゃん」

 

「言ってたね」

 

「でもさ、もしかしたら私、死んでるかもしれない」言ってから自分の発言のおかしさに小さく息を吐く。「元気ではあるんだけど」

 

「そうだね、元気に甘えてるね」

 

 うるせーいいだろ別に、いっぱい甘えさせろ、と僕の膝をぺちっと叩いた。白く綺麗な指と何も付けていない自然な色合いの爪が目に入った。

 

(環という少年の記憶も神様の記憶も空という少年の記憶も、すべて私の妄想って考えるのが1番現実的だよな……)けどそれならどうして、と空は自問する。(スムーズに投手をやれた? 遥や母さんは私に野球経験はないって言ってるし、意味が分からない。観てるだけで変化球や立ち回りも問題なく習得できるなんてあり得ない。いくら私でも少しは練習しないと無理だ)普段は、僕と長い時間くっつき続けるためにはどうすればいいかとか、打てる投手の量産に必要な野球教育についてとか、そんなことしか考えていない脳みそが、頑張って働け、と鞭打たれている。

 

 空は自分の中にある記憶について話し出す。環はこんな感じで、男の空はこんな感じ。女の空は野球経験がないのに投手できるし。殺人事件の記憶。殺された月見里 環の父親を見た時の懐かしい気持ち。銀の少女。

 

 一通り言葉にし、それから、「水季ならさ」と自身の美しい手を僕の手に重ねた。「私の心の中にある、この記憶の正体が分からないか?」

 

「……どうだろうね」今の空の心は複雑な状態だから簡単ではない。けど、「やるだけやってみるよ」と安請け合いする。

 

「ありがと」今日はいっぱいサービスしますよ、お客さん、と笑う。

 

「空ってセックス好きだよね」

 

「……私は悪くない」ひねくれた子どもが言いそうなことを口にした。「水季が私をこんなふうにしたんだぞ」そして、責任取れよ、とめんどくさい女の子が好きそうなセリフを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 翌日、空を自宅に送り届け、彼女のお母さんに見つかり、〈この子わがまま言ってない? 大丈夫?〉と心配され、〈無理なことは言われないので大丈夫です〉と中途半端に否定し、彼女たちと別れ、次いで、この地区を担当している退魔師の家──(たちばな)さんの家へと向かった。

 

 彼らの家は市の中心部、市役所の近くにある。和風な雰囲気を漂わせている家だ。

 

 チャイムを鳴らす。間を置かずして、玄関が開けられた。インターフォンは完全無視である。

 

「……」黒髪の少女──透緒子(とおこ)ちゃんが、半開きの玄関扉に手を当てたまま僕の顔をじぃっと観察し、数秒後、「……水季?」と自信なさげな声を発した。

 

 正解、と告げ、「久しぶりだね。元気にしてた?」と再会を形式的に喜ぶ。

 

「元気」と答えた透緒子ちゃんはキョロキョロと周囲に視線を巡らす。「兄さんは?」

 

「いないよ。僕1人。橘さんちの人と百足(ももたり)さんに用があって来たんだ」

 

 無言でこくりと頷き、「入って」と扉を開けきった。

 

「お邪魔します」

 

 

 

 

 

 

 橘君は僕を見て、あ、と声を洩らし、星野(ほしの)となんかやってた妖怪ですよね? と問うた。そうだよ、と答え、君と百足さんに訊きたいことがあって来たんだ、と伝えた。

 

 そして、僕は応接室に案内された。

 

 百足さんと橘君が並んで座り、向かいのソファに僕と透緒子ちゃんが座っている。透緒子ちゃんはいなくてもいいんだけど、彼女は自分も参加するのが当然と思っているようで、実に堂々と無表情を披露している。

 僕らの中心にある小さめのテーブルには、透明なコップに入れられた冷たいお茶がある。氷が、カラン、と涼しげな音を立てた。

 

「それで、私たちに訊きたいことというのは何でしょうか?」百足さん、つまりは若作り特化型の鬼女(きじょ)が、鬼らしい優しい声音で言った。

 

 鬼族は優しい方が多い。ただし、本気でキレると額に角が出現してヤクザみたいな口調になる。ギャップが凄くてとても笑えるので、彼女たちのことは割と好きだ。

 

 けれど、特別愛想良くするつもりはない。なので、普通に言う。「人間の性別を変える大きな蝿について何か知りませんか?」神様らしいんですけど、と補足する。

 

「……なんですか、それ?」怪訝そうな顔をし、「(けい)くんは知ってますか?」と隣を向く。

 

 景君と呼ばれた橘君は、「聞いたことないです」と即答し、「そういう神様を見たって人がいるんですか?」と僕に問いかけた。

 

「うん、まぁ、いると言ったらいるんですけど」

 

「信頼に足らない、ということですか?」百足さんが僕の言葉を先取りした。

 

「特殊な事情がありまして。では、記憶に関する異能を持つ妖怪か、銀髪の少女については──」知りませんか、と最後まで言う必要はない。真剣さの増した百足さんと橘君の表情が、〈知っている〉と物語っているし、心中でも(知っている)と述べている。

 

「何があったか詳しくお話ししてくださいませんか」やはり丁寧に、しかしある種の鋭さをその声に滲ませ、百足さんは言葉を使った。

 

「分かりました」

 

 

 

 

 

 

 空のことを聞いた退魔師の2人は、〈銀髪ちゃん〉という記憶を抜き取る妖怪が関与している可能性が高い、と推理し、彼女について教えてくれた。

 

 一般人から一部の記憶が消滅する事件が、数年前から散発的に発生している。この事実を察知した、国の妖怪・心霊現象対策機関──生物多様性総合研究所は、百足家に〈なんとかしてくれ〉と依頼を出した。

 退魔師たちは、記憶に関する異能を有する妖怪か霊の仕業だと考え、調査を開始した。しかし、簡単にはいかなかった。目撃情報が存在しなかったのだ。被害者すら、いつの間にか記憶がおかしくなっていた、と言うだけで、怪しい人物は見ていない、と口を揃えた。おそらく目撃者の記憶を消すか、そもそも目撃者の記憶に残らないようにしているのだろう、と彼女たちは推測する。

 手強い相手だ、と溜め息をつきながらも、諦めずに調査を継続していると、ついに目撃者を発見した。その目撃者によると、長い銀髪の少女──高校生くらいの美しい──が被害者と会話をしている瞬間を見たそうだ。銀という奇抜な髪色の人はそう多くはない。にもかかわらず被害者の記憶にないことから異能を使用している可能性が高く、したがって、彼女──〈銀髪ちゃん〉と呼ぶことに──を犯人と推定した。ようやく掴んだ糸口に退魔師たちの調査にも熱が入る。

 しかしそれでも、なかなか捕まえられない。銀髪ちゃんの妖怪としての地力は非常に高いようで、記憶への干渉を封じられた状態でも退魔師を退けてみせたそうだ。

 そんな中、僕らの県で式神が彼女を目撃。退魔師が彼女を発見して戦闘を行ったのが隣県であったこともあり、東北地方を重点的に調べる必要があると考えた百足家は、最高戦力である百足 (あさひ)さんを派遣した。

 

「そして、仕事もせずにいい年して男子中学生に夢中になっている、と」

 

「なっ、ち、違います!」百足さんは、後頭部にあるお団子からぴょんと飛び出した黒髪を揺らした。「ちゃんと仕事()しています!」

 

「僕が来るまでイチャイチャしてましたよね?」

 

 銀髪の少女の話題を出すまで、これからだったのに本当に間の悪い子ですね、などと内心で頻りに文句を言っていた。

 

「あなたはまだ学生だから分からないでしょうけれど、休むことも仕事なのです」

 

「橘君はあまり休めていないみたいですよ」肉体的に、ではなく精神的に、だ。1人の時間が欲しいらしい。

 

「え?」なぜ俺を巻き込むのか、と橘君が僕を見る。

 

「景くんには仙理眼(せんりがん)があるので問題ありません」自信たっぷりに断言した。「それに、とってもエッチな子なのでこれくらいが丁度いいんです」

 

「本当にそう」透緒子ちゃんが同意する。「妖怪でなければ体力が持たない」無表情で滔々(とうとう)と言った。

 

 精力絶倫のロリコンに顔を向けると、目が合った。素朴な疑問が浮かぶ。「透緒子ちゃんが大人になったら、捨てるの?」

 

「!?」珍しく透緒子ちゃんが動揺する。

 

 しかし、橘君は慌てることなく、「捨てないです」と答えた。

 

「ロリコンなのに?」

 

「いや、ロリコ──」ンじゃないですし、と言いかけて、「ロリコンでもです」と言い直した。

 

 一瞬、カッコいいなぁ、と思ったけど、よく考えると全然カッコよくない。でも、透緒子ちゃんと百足さんは喜んでいる。早く帰ったほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 橘君たちから得られた情報はたしかに有益ではあるが、真相を究明するにはまだ少し不十分だ。

 なので、次は父さんに訊いてみる。

 前に空と来た公園のベンチに座り、電話を掛ける。3コールで繋がった。

 

『どうした?』父さんは田舎で小説家をしている。電話できない時間は、基本的にはないから都合がいい。

 

「退魔師が銀髪ちゃんって呼んでる、記憶に関する異能を使える妖怪がいるんだけど、父さんは知らない?」

 

『記憶の異能は知らないけど、銀髪の妖怪なら1人知ってるよ』

 

「どこの妖怪なの?」

 

『俺たちの親戚』

 

 流石に驚いた。本当に? と疑うも、『本当に』と返された。『名前は……えーと、なんだったかな?』父さんは名前を憶えるのが苦手だ。自分の小説のキャラクターの名前もよく忘れるらしい。『あーと、たしか琴 雫(こと しずく)ちゃんだ。水季と同じくらいの年の子だよ。というか、昔、一緒に遊んでなかったか?』ほら、秋水(しゅうすい)さんの葬式の時、と僕の記憶を喚起しようとする。

 

「ちょっと待って」

 

 アルバムを(めく)るように古ぼけた記憶を確認してゆく。

 銀髪の子、銀髪の子、と思い出を探しても見つからない。

 でも、〈そういえばそんな名前だったような……〉という子には思い至った。

 

 自己満足のための不気味な儀式に飽きてしまった僕が、自宅葬の行われている大きな平屋の家から外に出ると、庭で同じくらいの年齢の子を見つけた。その子は木の下でしゃがみこんで地面に真剣な眼差しを向けている。いい暇潰しになるかも、と近づくと、彼女はもの凄い勢いで木に隠れてしまった。

 好奇心に従い、〈なんで隠れるの?〉と訊くと、数秒後、〈他者が怖い〉という答えが涙目の彼女から返ってきた。〈なるほど〉と納得はしつつも配慮するつもりはなかったので、〈暇潰しに付き合ってよ〉と勝手に構い続けた。

 最初から最後までびくびくしていたけど、〈一人っ子〉〈テレビをよく観る〉〈自分の髪色が嫌いで、お母さんに妖術で染めてもらっている〉〈妖術を教えてもらってるけど、なかなか上手くできない〉と自分のことを話してくれた。 

 

 葬式が終わり、彼女と別れ、それ以来会っていない。

 

「思い出したよ」と静かに待っている父さんに伝える。次いで、「彼女は今どこにいるの?」と1番重要なことを訊ねた。

 

『それは分からない。数年前に雫ちゃんのご両親は亡くなっているし、風の便りもないしね』

 

「そっかぁ」

 

 それから少しだけ話を続け、そして、電話を終わらせた。

〈禁止事項……⑨野球、サッカーその他の球技……〉と記された看板の前でキャッチボールをしている少年たちから白球が飛んできて、足元で止まる。拾って、投げてやる。

 ありがとうございまーす、という言葉を聞き流し、結論を出す。

 

 空に妖怪であることを伝えよう。

 

 そうすれば──。

 

  


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