非きこもり、JDを拾う。そして、育てられる。   作:なごみムナカタ

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8ヶ月の沈黙を超える脅威の投稿間隔14ヶ月!
もはや悪びれもせず誇る始末だが、反省はしている。
まだ覚えている人はいるのかな……。

永い永い合コン話もこれにて完結!
お楽しみください。


非きこもり、JDをお持ち帰る。

 俺は、真鶴がぽつりと漏らした『ヒキタニ』という言葉に打ち震えていた。

 

 ――勘付かれた⁈

 

 何故?

 何故⁉

 何故⁈

 

 そればかりが頭に去来する。

 変装は完璧だった。当然だ。比企谷に扮したのは(本人)なのだから。

 だが、呟きから真鶴が俺に辿り着こうとしているのは明白だった。

 

 原因はなんだ?

 なにをミスった?

 

 すぐ傍にじっと俺を覗き込む真鶴の顔。少しでも距離を取ろうと仰け反ると、引いた分だけ眉根を寄せた彼女の顔が迫ってくる。

 すん、と鼻が鳴る音。出処は真鶴だが、そんな些細な音が聞こえるのは、それだけ接近していたからに他ならない。これだけ近いとさぞかし馥郁とした小町特選コロンの香を楽しめていることだろ…………うっ!

 

 ……まさか⁉

 

 いや、そうとしか考えられない。

 俺が小悪魔セラの正体を見破ったように、彼女もプルースト効果によって俺の正体に気づいたと考えるのが自然であろう。

 敢えて晦渋(かいじゅう)な言い回しをしているが、文字通りヒキタニの匂いを消し切れなかった俺の落ち度である。合コンだからといって、変に普段と違うことをしたのが裏目に出た。

 これ以上の疑念(ヒキタニ香)を匂わせないよう大袈裟な女性不信ムーブで距離を開ける。真鶴も確証がないのか視線には猜疑が含まれているものの、直接問い詰めてくることはなかった。

 

 内心、ほっと胸を撫で下ろしていると、真鶴が唐突に切り出す。

 

「……ねぇ、新戸部くん。先に帰ったヒキタニくん体調大丈夫かな?」

「はぁ? え? ヒキタニ、くん?」

 

 この発言に訝しむ似戸部。話題が飛び過ぎて周りもぽかんとしていたが、次の言葉で俺だけが意図を理解する。

 

「一人でちゃんと帰れたか心配だし、スマホに連絡してくれない?」

「心配するとか真鶴ちゃんマジ天使だべっ! わーった、電話するっしょ!」

「⁈」

 

 似戸部はすぐにスマホを取り出し、ヒキタニへと電話する。

 

 ――――まずい‼

 

 俺を問い質すほどの証拠を持たない真鶴は、ヒキタニ(・・・・)の方をつついてきた。

 

 prrrrr...

 

 咄嗟に対策(ミュート)を試みようとするも、このタイミングで不審な動きを見せれば逆にヒキタニだと証明するようなもの。顔には出さないが、内心苦々しい思いで着信音を聞いていた。

 

 こうして似戸部に電話を掛けさせて俺のスマホが着信すれば、正体不明であった比企谷=ヒキタニという確証を得られる。

 しかも、体調を崩した男子の心配するわたし可憐(いじら)しいアピールまで兼ねていた。こういう計算高い立ち回りをする奴にはむしろ好感すら覚えるが、もう少し余裕のある場面でお披露目して欲しい。対応を間違えると社会的にも肉体的にも死ねる今とかハードモード過ぎるだろ。

 

「あれ? ヒキガヤくんのスマホも鳴ってますよ。出ないんですか?」

 

 傍目からは見ればごく自然な真鶴の心配だが、行動の意図を理解している俺からすると高度な煽りである。

 

「ん、じゃあ、ちょっと席外すわ」

「別にここで出ればいいじゃないですかー?」

「いや、いい」

 

 この場で出る振りなどしようものなら、スマホを覗き見してくるのは分かっていた。似戸部の着信が切れる前に場所を変えようと足早に個室を出る。誰が見ているか分からないので、一応スマホに耳を当てて通話する振りまでする俺って策士。

 

 さて、現状を打破するには俺が比企谷だと証明しなければならない。だが、学生証や健康保険証なんて持ち歩いてるわけもなく、バイト三昧の一人暮らし大学生には免許証を取得する暇もなければ金もない。

 こんなことならマイナンバーカードを作っておけば良かったと後悔する。通知カードで事足りちゃうから、ついつい作ろうと行動しないんだよなぁ。つまり俺は悪くない。社会の仕組みが悪い。

 他に提示できる物証があるとすればスマホくらいか。川崎からの着信履歴を見せることで証明できるだろう。とはいえ、いきなりスマホを見せての身分証明は怪し過ぎるし、猜疑心が増すまである。

 取り敢えず、スマホを見せるかもしれない可能性を考慮し、似戸部の着歴は消去しておく。そのまま似戸部も消去されてくれないかという期待も込めて。

 

 

 個室に戻ると、ヒキタニが電話に出ないことが話題となっていた。飲み過ぎで倒れて出られないのでは? と心配の声も上がったが、大体は茶化した言い方で本気じゃないのが分かる。

 

「……………………出ないべー」

「あ、そうなんだぁ……、ちょっと心配、だねぇ?」

「……そうだな」

 

 中には、何故か俺を見ながら同意を求めてくる奴もいる。真鶴って奴なんですけどね。もう含みしかない問い掛けに苦笑で答えるしかない。

 俺がヒキタニを心配するわけないだろ。体調不良で電話に出れない訳がないと、他ならぬ本人()が一番良く知ってるんだから。疑ってるこいつが言うとか、これもう心配じゃなくエッジの効いた皮肉だよな。

 

 早急に比企谷≠ヒキタニだと証明せねばならないが、疑いを持った真鶴にスマホを見せたところで証明とはならないだろう。着歴を消せる時間があったし、わざわざ見せようとする方がより疑惑が濃くなる。

 俺に出来ることは、川崎が起きるのを待ちながら素知らぬ顔でやり過ごすしかない。

 しかし、それすらも許さぬ言葉が続いた。

 

「……そうだ、今度川崎さんが酔った時に連絡とれるようケー番交換しませんか?」

 

 その提案を聞いてじんわりと汗腺が開く。真鶴の新たな狙いに気づいた俺は、どう対処すべきかでまた頭を悩ませる。

 

 恐らく、真鶴は俺の番号に興味などない。番号を教えるためにスマホを出させるのが目的だろう。そのタイミングで似戸部にまた電話させ、スマホが着信すれば『ヒキタニ=比企谷』の証明完了というわけだ。

 

 普段なら「え、やだけど?」でお断りしているところだが、こうした俺色を前面に押し出した拒否は躊躇われた。合コン中はどちらかというと普段通り振舞っていたので、あまりヒキタニ臭を洩らすとますます『ヒキタニ=比企谷』と結び付けられてしまう。notヒキタニでありたいなら、俺のキャラにない断り方を演出すべきだろう。

 

 比企谷と欺くために比企谷らしく出来ないという矛盾。まさにヒキドックス。これは比企谷八幡という存在の抹消に他ならず、元々気配を消すことに長けていた俺でも未だその境地には至っていない。こうなると俺を隠匿するには超人預言書を燃やすくらいしないと不可能ではないか。今の俺ならロビンマスクよろしくメガネだけ残して消えるまである。

 

 ともあれスマホを見せられないのがマストなため、俺の返答はこの一択であった。

 

「……遠慮しとく」

 

 男女問わず周囲が目を見開く。男子大学生といえば、合コンで女を喰い漁ることしか考えていない性獣のような人間ばかり(俺の偏見)だ。そんな飢えた獣が生肉(JDのケー番)を前に興味を示さないなど自然の摂理に反している。

 

「えっ⁉」

 

 この返しに最も大きな衝撃を受けたのが、自分のケー番に見向きもされなかった真鶴であった。あまりに予想外だったのか、顔を引き攣らせながら驚嘆の声を上げてしまう。

 正体を隠匿したい俺にとってこの反応は当然であり、見破ろうと策を弄す真鶴にも織り込み済みのはず。だが、それが抜け落ちてしまうくらい女のプライドを甚く傷つけたのかもしれない。

 しかし、すぐ冷静さを取り戻した真鶴は俺の正体を暴くべく違うアプローチを仕掛けてきた。

 

「……そう、ですよね。わたしのケー番にスマホのメモリを割くほどの価値なんてないですよね……ごめんなさい」

 

 ――――こいつ!

 

 その発言に俺は舌打ちする。無論、心の中での話。

 

 一聴すると、謙る殊勝な態度に思える。だが、その実、自分を弱い立場にキャラ付けして『番号交換しない俺=悪者』という流れを作り出そうとしているのだ。こんな縋り方をされてしまうと、普段の俺なら流されていただろう。

 しかし、正体がバレれば、俺が川崎と同棲(ルームシェア)していると白日のもとに曝され、男共の嫉視で社会的どころか物理的な死が待ち受ける身分。何としても回避しなければならなかった。

 

 比企谷らしさを出さず、真鶴の番号を断る合理的な理由……あるにはある。ただ、その解答は俺の精神的ダメージが計り知れない。

 だが、社会的・物理的な死と、精神的なダメージを天秤にかけると、選択の余地などなさそうだ。

 

 俺は悩んで悩んで悩み抜いて、魔貫光殺砲を放てそうなくらい長いタメ時間を要した。逡巡している俺をじっと睨め付け、スマホが出るのを今か今かと待ち構える真鶴。

 その圧に耐えきれず、避けたかった断り文句を不承不承ながら絞り出すこととなる。

 

 

「……遠慮しとく。女子と番号交換するのは、か、かか、かっ、」

 

 徐々に声が切れ切れになる。歯の根もカチカチ鳴っていた。かつて、アイデンティティクライシス(俺は、本物が欲しい)を引き起こした若気の至りに比するレベルの言い難さ。

 

 それでも俺は、この続きを言わなければならない。

 

 

「……………………彼女に、悪いからな」

 

 聞いた周囲は目を丸くしていた。それを受けて、己が発した言葉の意味を改めて理解する。

 

 

 彼女がいるから他の女子と連絡先を交換しない――なにそれ、身持ち堅すぎだろ。ストーカーの嫌疑を晴らすための恋人設定だが、その重すぎる誓いが俺の中の『束縛されたい願望』を露呈していた。なんならストーカーとは別次元の変態性をも詳らかにしたまである。

 気恥ずかしさから思わず視線を逸らす。顔が熱くなっていくのを感じた。由比ヶ浜がここにいたら『キモいキモいキモい』と連呼しているだろう。なんだったら、俺の脳内小町と脳内一色からの『きついきついきつい』と『無理無理無理』の大合唱も止まらない。

 いやいや、これってエモくないか?

 

 俺はすっと腕組みし、斜に構えると、視線を遠くやる。その眼差しは今ではなく、ここではなく、形而上の恋人へ。

 俺だけに見えている彼女、その輝くばかりの笑顔を見つめて、俺は静かに微笑み、ゆっくりと頷いた。

 わかってる、わかってるからな、俺だけは。お前のことを。本当のお前を、俺だけは……と念じながら。

 そして、ただ一人の、姿なき想像上の恋人へ向けて、俺は胸の内だけで語りかけた。

 

 ……ああ、分かっているよ。俺は、今も君だけに誓いを立てているんだ、……俺は、お前だけのもの、……だから、他の女の連絡先なんて必要ない、…………お前に、悪いからな。

 

 ありもしない俺と恋人の日々を思い、自嘲ぎみな笑みを含んだ吐息を洩らし、軽く首を振る。

 遠い目をして、清々しい気持ちで「ああ、ちゃんと断ったからな……、俺のアドレス帳に登録していい女は、お前の番号だけだ……」と、口の中だけで返事をして、俺はこくりと頷いた。

 

 が、そんな昔の男面した自分を振り返ると、微塵もエモさを感じない。

 彼女持ちでもキツいのに、なんで元カノに遠慮して女子のケー番拒否してんだよ。しかも、実際には彼女いたことないんだぞ。思考回路がストーカーそのもので、冷静に見るとただひたすらに気持ち悪い。由比ヶ浜の正しさが証明されてしまった。雪ノ下に朝昼晩のお薬飲んでるかを心配されるレベル。

 

 

 自らの心象世界を恥じ入り、顔を熱くしていると、俺の予想とは違う反応が返ってくる。

 

「きゃー、そんなことわたしも言われてみたい!」

「いいなぁ、川崎さん羨ましぃ……」

 

 意外にも、こんな『逆モラハラ束縛彼氏』が女子たち(真鶴以外)には好評で、俺の感性がズレていないと証明されてしまった。それとは裏腹に、男共と真鶴は渋面を作り「ぐぬぬ」となっている。

 しかし、心象世界まで曝け出していたら結果は違っていただろう。なんせ本人が気持ち悪く感じるほどだからな。気づけただけ正常だと思いたい。

 

 どうにかスマホを出さず誤魔化せたが、なおも男共の川崎引き留め工作は続いた。にべもなく切り捨てるが、その都度、挑み続ける様は、まるで時代劇の斬られ役を彷彿とさせた。あれって少ない役者で大人数に見せるため、一度斬られて画面外にはけたらまた斬られに来るんですよ。まさにこいつら。是非、福本清三を目指していただきたい。

 解せないのは、真鶴まで男共に同調している節があるところだ。電話で言っていた『早く川崎を引き取ってください』要請を忘れているのか。

 

 このままここに居続けると、正体がバレる危険性が上がっていく。焦燥感に駆られた俺は、早く川崎を連れ出し、この場を離れようと決意する。どうせ、比企谷としてこいつらに会うことは二度とないのだし、強引でも構わない。

 

「……川崎、そろそろ行くぞ。起きろ」

 

 肩を軽く揺すり、覚醒を促そうと声を掛ける。

 しかし、真鶴がそれを許さない。

 

「あぁ、無理に起こしちゃ川崎さん可哀想ですから、起きるまで寝かせてあげましょうよ」

 

 その言葉に全員、特に男共が力強く同意する。俺だけ部外者感がハンパない。俺も本来そっち側なはずなんですよねぇ……、さっきまで合コンに参加してたヒキタニだし、……今は比企谷だが。自分の都合でヒキタニと比企谷を使い分けないで! ってエマ中尉にビンタされそう。なにそれ、御褒美かな?

 いつから俺は『八幡? なんだ、神社か』と言われたら軍人に殴りかかる少年になってしまったのか。スイカバーアタックからの精神崩壊待ったなし。でも幼馴染枠として小町に介護してもらえるなら精神崩壊するのも悪くない。むしろ、今まで介護してもらってたので、逆説的に高校時代までの俺は精神崩壊してたといえよう。なんだったら、今も川崎に介護してもらってるので絶賛精神崩壊中まである。

 そんな精神がヤバい奴と家に帰りたくないからか、川崎はなかなか起きない。いや、アルコールのせいだろう。誰が精神異常者だ。

 心の中で、そんなノリツッコミを繰り広げていた時、真鶴が質問してきた。

 

「……普段もこんな寝起きなんですか?」

「いや、酔ってるからだろ。川崎は寝起きはいい……はずだ。基本、いつも川崎が先に起きてるから確証はないが」

 

 借金の利息代わりに家事全般をしてもらってるので、俺は起こされる側なのだ。起きれば朝食が用意されており、大学の日は手作り弁当を持たされる。あれ、専業主夫とは一体? もはやヒモ以外の表現方法が見当たらない。

 

「え、それってぇ川崎さんにお世話されてるってことですかぁ? ダメですよぉ、お婿さん(・・・・)なら誠心誠意、川崎さんに尽くさないと」

「川崎は大手出版編集者じゃないから、いいんだよ………………っ!」

「――――‼」

 

 思わず出た言葉を脳が理解した瞬間、内臓がきゅっと締め付けられた。じわりと背中に汗が浮くのが分かる。

 

 しまった……なにを口走ってんだ俺は。なんでわざわざ大手出版編集者なんて具体的なワード出してんだよ。これじゃ『リズムに乗ってゲーム』に参加してましたって言ってるのと同義だ。変装までして比企谷と偽った努力(?)が水泡に帰す致命的失策。

 

 俺の軽口を聞き、我が意を得たりという表情の真鶴。誘導尋問に引っ掛かったというか、嬉々として話してしまったというか、まさに墓穴というか。

 

 小町贈呈コロン

 電話に出ないヒキタニ

 大手出版編集者(のお婿さん)

 

 比企谷をヒキタニたらしめる疑惑が三つも出揃ってしまった。いや、三つめのは自白なんですけど。

 この後、真鶴の口から判決が下されるのかと思うと、恐怖で震えが止まらない。

 

「やっぱり、あなた……」

「……ん、寝ちゃって、た……?」

 

 真鶴が俺の死刑(社会的の方)を執行する直前、川崎が覚醒する。

 

「あ……、ひきがゃ……今日ご飯いらないんじゃなかったの?」

 

 まるで、家で俺を迎えたような反応。呂律も戻り、少しは酔いも覚めてるはずだが、ここを下宿と勘違いする程度には酔っているらしい。むしろ、素面だとヒキタニと呼ばれる可能性もあっただけに助かったと言えよう。

 これは僥倖。川崎の覚醒によって真鶴の追及が遮られたこともそうだ。このまま、真鶴が咎めてくる隙を与えずに押し切ってしまえばいい。言い淀む真鶴を無視して、川崎への対応に全振りする。

 

「ここは鉄板焼き店だ。うちじゃない」

「ああ、そうだったっけ……あれ、あんた今日飲み会だって言ってなかった?」

 

 俺の芝居に合せているのか、記憶の混濁がたまたま状況に合ってしまったのか、ヒキタニの存在はなかったことにされたまま、俺を比企谷として認識してくれている。川崎さん、非常に助かります。

 

「……迎えに来たんだよ」

 

 嘆息し、やれやれ感を醸し出す。彼女を迎えに来た彼氏ってこんな感じでいいんだよな? そうだよな? 彼女は居たことないが、溜息を吐くのには慣れている。なんだそれ、嫌な人生だな。

 心の中で、誰にともなく彼氏の立ち居振る舞いの答え合わせを求める。だが、彼女が居たことのない俺に明確な解答があるはずもなく、真鶴に疑念を持たれたままなのも相俟って、不安を抱きながら川崎の反応を待つ。

 

「……え、迎え……、あたしの? え?」

 

 聞いた川崎はきょとんとして、目をぱちくりさせていた。数瞬の間が空いてから、突然酔いが回ったのか真っ赤になる。

 ひと眠りして酔いがぶり返すとかあり得るのかよ。それとも、大学生にもなって迎えに来るとか恥ずかしいんだよ死ねとか思われてない? だとしたら泣いていい?

 

「おい、顔赤いぞ。酔いが戻ったか?」

「っ‼ ――――見るな」

 

 酔いが戻ったか? って、どんな慣用句だ。この世に存在しねえよ。

 あぁ、川崎が両腕(・・)を交差させて顔を隠してる。お前それ、悟空が天下一武道会でマジュニアの超爆裂魔波を防ぐ時に使ったガードだぞ。俺のお迎えは街を吹き飛ばす威力があるのかよ……、そこまで拒絶しなくてもいいじゃん。やっぱ泣いていい? ってか泣く。ほら、周囲の視線も何とも言えない感じになってるし。

 しばらくして、そんな圧倒的拒絶が解かれ、俺と目が合うとぷいと顔を背ける。まあ、いつものことだが。

 

「大丈夫なら、そろそろ帰るぞ。ちょっと小腹も空いてきたし」

「は? 外で済ませるって言ってたじゃん。……まったく、ちゃんと食べときなよ」

「飲み会は食うより飲みがメインだからな……」

 

 本当はヒキタニの振りをしながら摂る食事に全く集中出来なかったせいだが。特に最後を炭水化物で締められなかったのが響いた。締めのラーメンだったり、締めのラーメンとか、ラーメンで締めるのもいいな。結局、ラーメンなんだよなぁ。ラーメンは正義。……鉄板焼き屋にラーメンなんてねえよ、シット!

 

「まぁ、家帰ったらなんか作るわ」

「あんたが作るとキッチンが大変なことになるんだけど」

「あ、いや、そんなことはないと思うんですけど……ちゃんと後で片付けるつもりだったし……」

 

 じとりとした目で俺を見ている川崎。これでも一応、『迎えに来た彼氏』って設定だから、あんま邪険に扱うのは良くないと思います。

 

「どーだか……、結局いつもあたしがやってるじゃん」

「それは違うぞ。俺の中の『後でやる判定』は翌日まで。その日の23時59分59秒までをタイムアップとしている。川崎のタイムアップとズレが生じているんだろ。言うなれば、川崎はサッカーの時計で時間を計っていて、俺は野球の時計で時間を計ってると言ったところか」

「……それ、時間じゃなくて競技ズレてない? それに野球のタイムアップは延長12回でしょ」

「俺は延長無制限のMLB方式を採用しているからな。なんだったら『後でやる判定』が翌日に持ち越されるのも無きにしも非ずだ」

「より一層ズレが増してんじゃん……バカなの?」

 

 その日の23時59分59秒がタイムアップを秒で翻す清々しいまでのダブスタ。それを聞いた周囲の人間も引くというか、聞いて損したと言わんばかりに呆れている。

 これでは恋人設定ムーブどころか俺たちの普段の会話を見せているだけ。少しは川崎にも同棲(同居だが)している恋人感を演出して欲しいものだ。

 

 川崎はふぅと溜め息を吐いて、迎えに来た時の俺に負けない”やれやれ感”を醸し出しながら続けた。

 

「はぁ……いいよ、帰ったらなんか作るから」

「いいのか?」

「あ、材料ないかも」

「じゃ、帰りどっか寄って買い物するか」

「ん、なんか食べたい物ある?」

「あー……、まかせる」

 

 川崎の作る物はなんでも旨いから、なんてこと恥ずかしくて口にできるはずもなく、言外に滲ませたつもりなのだが、この『まかせる』という答え、同居初日の買い物でも口にしたNGワードでもある。

 

「はぁ……、作り甲斐ないね」

 

 呆れ顔で拗ねたように呟く川崎。さすがに悪いと感じた俺は、滲ませるだけでなく言葉として漏らしてしまう。

 

「いや、まぁ、川崎の作ったものはなんでも旨いから、な」

「なっ……! なな、なにバカなこと言って、はあっ!?」

 

 川崎の顔が見る見る紅潮していき、またしても拒絶の姿勢(顔面ガード)を取る。オコなのかな。

 旨いと褒めようが枕詞に『なんでも』と付いてしまうと女子の感情を逆撫でするらしい。ほんと分っかんねえな女子。

 

 ふと真鶴を見ると微妙な面持ちをしていた。やはり、まだ疑いは晴れていないようだ。ここまでで色気のある会話など皆無だし、真鶴が疑いの目を向けるのも分かる。疑念を打ち消すためにも、より恋人らしさを演出するべきだろう。なにそれつらい。

 

 演出として分かり易いのは、やはり名前呼びだろうか。

 ……なんて名前だっけ? 川なんとかサキサキだったか? サキ多くね? 川サキサキ、川沙希崎か。……ちょっと違うな。音は合ってるから余計に紛らわしい。もうサキサキで良くね?

 だが、サキサキと発声した自分を想像したら死にたくなるほど恥ずかしいことに気づく。ならさーちゃんで……駄目だ。両方愛称系だから羞恥レベルは大差なかった。紆余曲折の末、沙希に落ち着くも、実行するのはなかなかに難しい。

 

 大体、俺が人生の中で唯一名前呼びする小町は、血縁特権に因って許されたものだ。これに比べ、同級生の女子(しかもちょっと怖い)を名前で呼ぶのはハードルの高さが棒高跳び並みに跳ね上がる。試しに小町相手のつもりで呼んでみようと画策するも、とても川崎を妹として捉えるのは無理があった。一色相手ならそれも可能だったかもしれないと『いろは』呼びする自分を想像し、やっぱり無理だと翻意した。

 結局、呼べないのかよ。そこに至るまでが無駄に長え……。

 

 ふと周りを見渡すと、真鶴だけでなく全員が俺たちの関係に注視していた。明らかに川崎が俺を拒絶しているので無理もない。事情(ニセ恋設定)立案者の俺もこんな様だから、川崎を責める気には全くならないが。

 

 未だ顔を見せてくれない川崎と周囲の状況に、どうにかせねばと焦燥感が湧き上がる。

 しかし、彼女イナイ歴=年齢の俺には女性の機微など分かるはずもなく、どう声を掛けていいのか……教えて、小町ちゃん!

 

 

 ――そうか。小町のように名前呼びせずとも、扱いを小町のようにすれば恋人関係(偽)が成立するだろう。なんせ俺の小町に対する接し方はもはや恋び……、いや、熟年夫婦の域に達する。

 なによりも小町相手のつもりで接することにより、羞恥心が緩和されるかもしれない。そう考えた俺は、実家のリビングで小町に話しかけるように言葉を選ぶ。

 

「だって、この間、川崎が作った里芋の煮っころがしなんて凄え旨かったぞ」

「は、はぁっ⁉」

「もう母ちゃんの飯より旨いだろ、小料理屋とか開いたら行列が出来るレベル」

「そ、そんなわけ、は、はぁっ⁉」

 

 こんな機会でもなければ絶対口にしないであろう賛辞の言葉を並べた。実際、川崎の料理が旨いのは事実だし、お世辞でもない。なんだったらそっち(お世辞)の方が普段の俺からは出ない言葉だろう。

 だが、顔は見せてくれたものの、川崎の反応は芳しくない。こちらが一方的に褒めて彼女ははぁっと返すだけ。まともに会話が成立しているとは言い難い。どう褒めれば色好い返事が貰えるのか途方に暮れてしまう。

 完全に俺都合だが、恋人(偽)らしいコミュニケーションを取らなければヒキタニと身バレして社会的に抹殺されてしまうことを配慮して欲しい。

 そういえば、合コン中に将来の夢がどうとか言ってたな。とすると、これは使えるか……?

 

「これならいつでも嫁に行けるな」

「は、よ、嫁っ⁉ はあっ⁉」

「いや、嫁に行かれると困るか。主に俺が」

「それって……、――っ‼ は、はぁ⁈」

 

 いや、不愉快なのは分かる。分かるが、そこは「あんたの世話焼いてるせいで、それどころじゃないから」とか返してくれよ。俺はそのつもりで言ったのに、そういう反応されるとまた別の意味に聞こえるだろ。

 というか、はぁはぁはぁうっせーな、寺生まれのTさんかお前は。破ぁー‼ の気合いとともに俺を吹き飛ばして除霊する気なの? これって超爆裂魔波の使い手はお前ってことでいいですか? 顔面ガードが必要なのは俺だったわ。当の川崎ははぁはぁ叫んだ後、「嫁……嫁……」とぶつぶつ呟いてフリーズしている。

 

 気づけば周囲の視線が痛い。これ以上否定され続けたら、ニセ恋計画の失敗→ヒキタニと暴露→社会的に確殺の三連コンボが完成してしまう。

 もはや一刻の猶予もないと悟った俺は、さらに踏み込んだ恋人(偽)アピールが必要だと感じた。先ほどまでの暈した物言いではなく、もっとはっきりと、誰が聞いても俺たちが恋人関係だと判じられるくらい明瞭に。

 

 ……分かってる。これを言えば一人悶え、後で死にたくなることは。どの道、出来ねば(社会的に)死ぬのだ。腹を括れ、比企谷八幡。

 頼んだぞ川崎、後でいくら冷罵してくれても構わない。今この時だけは空気を読んでくれ!

 

 そう願いつつ、俺は小町に語りかける口調でこう続けるのだった。

 

 

「――――お前に嫁がれると、俺が、その、む、……婿げない、からな……」

 

 ……おい、小町にもこんなこと言わねえぞ。いや、むしろ言ったらまずいやつなんだが。

 そんな千葉の兄妹ルートまっしぐらな渾身のプロポーズ(偽)も、川崎には上手く伝わらなかった。

 

「む、こ……むこげ、え? むこげない、ってなに?」

 

 俺の造語だし、耳馴染みのない言葉なので仕方ない。

 だが、偽とはいえ一世一代のプロポーズを志村けん扮するひとみばあさんよろしく聞き逃されては、先程の川崎以上に反応に困ることこの上ない。

 婿ぐを解説しようものなら比企谷構文と揶揄され、なおかつプロポーズ(偽)再びという二重の恥辱となる。なにその羞恥プレイ。上級者向け過ぎない? 自爆にもほどがある。

 しかし、俺の懸念を余所に、川崎は文の前後から懸命に意味を探ろうとしていた。

 

「むこ……婿? ……嫁がれると……婿げな、い……、――――っ‼」

 

 推察して造語の意味に辿り着くと、川崎は目を見開く。その顔が再び顔面ガードで覆われた。それはもう『バッ!』ってSEが聞こえるくらいの速度。というか実際『ガッ』ってSEも聞こえた。勢い余ってガードした腕が当たったのだろう。

 

「おい、大丈夫か。いま鼻ぶつけてない?」

 

 腹パンされた経験から、彼女が並みの女子以上にストロングなことを知っている。そのパワーが川崎の整った鼻筋に向けられたとなれば、さすがに心配になってしまう。

 

「ちょっと見せてみろ」

「え、あ、ちょっ、やめっ」

 

 手をどかそうとするも川崎が嫌がるので、少々強引に指を絡める。プロレスでいう力比べの状態だ。俺、負けないよね? 川崎相手だとちょっと自信がないが、それは杞憂に過ぎなかった。その華奢な細腕からは抵抗らしい抵抗もなく、すんなりと顔から引き剝がせた。

 

「やっぱり鼻、ぶつけたろ。赤くなってんぞ」

「や、その、これは、だから……」

 

 目を逸らして顔を背けていたが、顔の赤さは隠せない。ってか、顔赤すぎない? 鼻どころか顔全体が赤い。横を向いているせいで、耳まで赤いのが分かる。まだ酔い醒めてねえのかこいつ。

 

 普段、整い澄ましている顔は赤らみ、顰めた眉根の下に佇む潤んだ瞳。いつもの凛とした姿ではない頼りなさげで儚い彼女。その姿を見て、どうしようもない劣情が湧き上がった。加虐心をくすぐられ、もっと虐めてやりたい衝動に駆られる。

 そんな悪戯心に突き動かされ、先程した恋人(偽)アピールを続けるように虐めてみた。

 

「美人なんだし、顔は大事にしとけ。貰い手がなくなっても知らんぞ」

「んなっ……⁈」

 

 目に見えて動揺する川崎。

 ……そんな反応されると、もうちょっと意地悪したくなっちゃうだろ。

 そう思った次の瞬間、口が勝手に開いていた。

 

「……まあ、俺としては貰い手がいない方が助かるんだけどな」

「~~~~っ‼」

 

 川崎が声にならない絶叫を上げる。だが、振り返ると、口にした科白が悶えるほど恥ずかしかったことに気づく。

 なんだよ、美人とか今までの生涯で誰にも言ったことねえわ。酔ってんのか俺。いや、酔ってましたね。さっきまで一緒に飲んでたんだし、酒にも雰囲気にも酔っていると言わざるを得ない。俺は酔えないと思ってたんだけどな。

 

 お互い悶え死ぬとか、心の無理心中なの? 加虐心を満たすと同時に自虐心まで満たしてしまう無差別ジェノサイドに震撼するどうも俺です。

 

 そして、しばらくすると心中相手の川崎は我に返り、力強く切り返してきた。

 

 

「――――ばっ、バッカじゃないの⁉ あんたに嫁ぐとか、地球がひっくり返ってもありえないから‼」

 

 ……終わった。偽装恋人作戦しゅーりょー。

 嫌なのは分かるが、そこまではっきり言い切られると存外傷つくんですよ? 俺が言うのもアレだが、ちょっとは空気を読んでほしい。無理か。ニセ恋作戦も伝えてないし、川崎は責められない。むしろ、こんなバカな作戦を打ち合わせなしで決行した俺こそが悪である。

 

「きゃー!」

「うあ゛あ゛あ゛ぁぁ――!」

 

 絶望と羞恥に打ち震えていると女性陣の悲鳴が響いた。作戦が失敗した以上、俺の科白は女子たちから忌避の対象として思われていることだろう。自分でも寒気がするほどキモいという自覚がある。ああ、早く帰りてぇ。男性陣の断末魔のような叫びに身の危険も感じるしな……。

 

 そういえば、川崎が起きてから俺たちのやり取りに口を挟んでこない真鶴が気になった。大手出版編集者発言で俺の正体を確信したであろう彼女の方を覗き見ると微妙な顔をしていた。その表情は心に来るものがあったが、これから糾問してくるようにも思えない。

 真鶴は深い溜め息を吐きながら、投げやりにこう吐き捨てる。

 

「……もう家に帰って二人で続きやってくれません? わたしたち河岸変えて飲み直しますんで」

「比企谷死すべし……」

 

 おい、猫被りはどうした? 河岸変えてとか言葉遣いがいきなり中年サラリーマンのそれなんだが。

 ただ、この口振りだと川崎を連れ帰ってもいいということなのだろうか。だとすれば喜ぶところなのだが、予想外の出来事に混乱の方が勝っていた。それと、……聞こえない、聞こえないぞ。野郎どもの怨嗟の声は。

 

 しかし、俺の願いが届いたというのになんだか釈然としない。当初の予定では、川崎との恋人(偽)ムーブで『ヒキタニ≠比企谷』と印象付けて速やかに連れ帰るつもりだったが、蓋を開けば俺と川崎の普段通りを曝け出し、挙句川崎が俺を否定し続けただけの会話になっていた。

 何故これで疑いが晴れるのか。確かに会話内容は意識してヒキタニ像と乖離するよう注意を払った。その甲斐あって『ヒキタニ≠比企谷』の印象を与えられたのかもしれない。

 だが、策を弄して絡んできた真鶴の疑念には確信に近いものがあったはずだ。それを払拭できたとは到底思えない。沈思する俺に答えを教えてくれたのは、他ならぬ本人であった。

 

「いちゃいちゃイチャイチャじゃれ合ってんの見せつけられて気分悪いんで」

「は?」

「なっ⁈」

 

 素のままで話し出す真鶴。それを聞き、俺たちは間の抜けた声を上げた。

 

 いちゃいちゃ?

 ICHA・ICHA?

 

 どこをどう解釈すればこれまでがいちゃいちゃに見えるの? 川崎は俺の言葉をひたすら否定し続けてただろ。むしろ、相手にされてないレベル。

 

 しかし、周囲も真鶴と同じで生温かい視線を向けてくる。非常に居心地が悪い。冷たい視線の方が普段から浴び慣れてるので、そちらでお願いしたい。どっちにしろ居心地が悪いんですけどね。いや、どうなりたいんだよ俺。

 

「い、いちゃいちゃなんて、してないし!」

 

 堪らず川崎が反論するも、照れながら言っても説得力が皆無である。

 

「あー、はいはい。そーゆーのいいから」

「ぶっちゃけ、私たちなに見せられてんだろって思ってたわ」

「羨ましい……」

 

 周りも真鶴に同調して口々に不満を洩らし、微笑ましいものを見るような目で俺たちを見ていた。

 

 ……おかしい。いつの間にか俺たちはバカップルのレッテルを貼られていたらしい。

 俺たちがしたことと言えば普段通り過ごしていただけ。いや、確かに恋人同士だと匂わす会話を心掛けていたし、望み通りではある。

 だが、それはこの場限りの話であり、この裁定を認めてしまうと今だけの偽でなく、常にバカップルだということになってしまう。否定したくとも、敢えて恋人同士風な芝居をしていた手前出来ないこの現状が恨めしい。

 

「い、いや、ほんとに、ち、違うから!」

 

 川崎がなおも反論を続ける。いいぞ川崎、もっとやれ! いや、止めろ、せっかく偽恋人設定を信じ込ませたんだぞ。

 ……もうどうすりゃいいのか分かんねぇ。

 

「ほー、その有り様でそーゆーことを仰いますか」

 

 なに見せられてんだろうと抗議していた女子が、俺たちを指差してそう言い放つ。

 今の俺たちがどんな姿かだって? いちゃいちゃとか何をバカなことを。むしろ、手四つで絶賛力比べ中の俺たちはいがみ合ってるようにしか見えんだろ。

 

 などと思っていたら……なんということでしょう。大した力も込めず、顔の前で両手の指を互いに絡め合う。目が合うと慌てて顔を背ける川崎は、耳まで真っ赤になっていたの図。誰がどう見ても恋人繋ぎをしているふうにしか思えない。

 

「あっ、これはっ、えっと、その……」

「もうなんていうか、微笑ましい通り越してエモいよね」

「会話が幼馴染同士っていうの? そんなんフィクションの世界だけかと思ってたわ」

「川崎さん、尊い……」

 

 俺たちのことを、まるで神聖不可侵にしてサンクチュアリのように崇める面々。

 中には核心を突く鋭い意見もあり、俺の中ではフィクション(芝居)だからな、と思わず突っ込みそうになってしまった。それが言えればどれほど心休まったことか。言えばきっとノンフィクションで演者を強いられている川崎の心も休まっただろう。だが、その一時的な安寧と引き換えに差し出すのが俺の(社会的な)命では間尺に合わん。川崎には耐え忍んでもらわざるを得ない。合掌。

 

「……じ、じゃあ、許可も下りたし、帰ってしようぜ」

「え……、なっ⁉」

 

 せめてその時間を少しでも減らしてやろうと急いた俺は、川崎と絡めた手をそのまま引いて、店から出ることにした。最初こそ大人しく手を引かれていた川崎だが、何かを思い立ち慌て出す。

 真鶴の気が変わらない内に帰ろうとしたのだが、急にどうしたというのか。先程より顔の赤味も増している。

 

「? なんだよ、帰ろうぜ?」

「え、え、え? だだ、だって、その、」

 

 動揺し過ぎてて言葉にならない。これを解読するのは不可能だろ。川リンガルくれ。

 なんだか周囲の顔付きがニマニマしているのが気持ち悪い。だが、男子陣は殺意のこもった表情で今にも血涙を流しそうなのが対照的だ。

 とにかく川崎を説得するため、真鶴に聞こえないよう耳元まで顔を寄せて囁く。

 

「(ち、ちかい……!)」

「(……グズグズしてたら俺がヒキタニだとバレるだろ。今なら帰れるチャンスだし、早く行くぞ)」

「(か、かか、帰ったら、……す、するんでしょ! む、むりむりむりむり!)」

 

 どもり過ぎてて、なに言ってるか分かり辛いんですが。え、なに? するって、なにそれ?

 

「(するってなんだよ?)」

「(だ、だだ、だって、あんた、さっき、帰ってしようぜ、って……)」

「(帰ってしよう? え、そんなこと言ったか……?)」

「(い、言ったじゃん、『許可も下りたし、帰ってしようぜ』って、はっきりと!)」

 

 言ったっけ? いや、言ったような気も……しかし、それは大いなる誤解だ。

 どうやら俺も動揺しているようで、自然と声が大きくなっていた。弁明するが慌てふためいてしまう。

 

「いや、それは言ったかもしれんが、急いでたから言葉が足りなかっただけだ。正しくは、『許可も下りたし、帰って”いちゃいちゃ”しようぜ』だ! …………ん? いや、ちょっと待て、違う、そうじゃない」

「――――っ‼ だ、だから、それって、え⁉」

 

 真鶴の追及を逃れるため、急いでいた。そのせいで言葉足らずになり、主語(いちゃいちゃ)が抜けたから違う意味に捉えられた。ここまでは間違っていない。

 しかし、広義的には”いちゃいちゃ”がそういう(・・・・)意味に捉えられているのも事実。つまり、結果としてどちらにせよ、俺は川崎に衆人環視の中『帰ったらしよう』と宣っていたというわけだ。うおぉ……恥ずかしいぃ、眼鏡も曇って来た。……もう死にてぇ……。

 

「じゃあ、お二人さん、帰って思う存分いちゃいちゃしちゃって下さいな」

「いや、今のはそういうことではなくてだな……」

「や、ちが、むりむりむりむり!」

 

 俺たちがいくら否定しようとも、真っ赤になった顔を近づけ合う二人という図が、このやり取りの真実味に拍車を掛けている。

 

「さあさあ、お帰りはあちらでーす」

「川崎さん、明日話聞かせてもらうからLINE教えて?」

 

 思考回路がショート寸前なのか、言われるがままLINEを交換する川崎。そのLINEでミラクルロマンス聞かせちゃうんですかね。帰ってもそんな既成事実起こらんけどな。

 

 俺たちの背中をぐいぐい押す女子たち。その後ろから射殺すような視線を送る野郎ども。明日から大学内で比企谷を名乗れないのでは……?

 

 無事、JD(川崎)のお持ち帰りに成功した俺だが、それと引き換えに大切なものを失う。比企谷という名を。

 今後、ヒキタニとして生を全うしなければならないと思うと、大学を辞めたくて仕方がなかった。

 

 

 なお、社会的には助かったものの、肉体的(特に腹部)には悶絶するほどのダメージを負ったのは言うまでもない。帰った後、川崎に事情を話した(ネタばらしした)からである。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

途中から沙希がどもり続けるマシーンと化していました。
あれこそ沙希! って感じで好きではあるんですが会話全体の半分近くをキョドってるのってどうなの……?

今回のお話では随所に原作やゲーガイルの表現を散りばめました。
例えば、地球がひっくり返ってもありえないってのはゲーガイルの沙希ENDから引用。キモいキモいキモい、きついきついきつい、昔の彼氏面などは14.5巻からの引用です。原作好きな方はすぐに気づいていただけたかと思います。

特に沙希は原作でもあまり会話シーンがないので、話し言葉のチョイスには原作のみでは足りず、ゲーガイルも参考に役立っております。

あと女幽霊のネタをなかったことにしました。関連話は全て修正済みです。
詳細は活動報告:非きこもりシリーズがまた帰ってきました。【最新18話投稿】を参照してください。


それでは次もお楽しみに。
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