非きこもり、JDを拾う。そして、育てられる。 作:なごみムナカタ
八幡と沙希は同居することになり、様々な出来事が起こっていく。
タイトルが思い付かなかったので前後編にしました。
そこに時間使うくらいなら本編を進めたいので。
あれから二週間。
俺は下宿で前期考査を終えた余韻に浸っていた。
――前期考査終了。なんと甘美な響きであろうか。後に控えた夏休みという楽園。それを隔絶する重く強固な前期考査というゲートが取り払われる開放感。大学生というモラトリアムの中に身を置きながら、これ以上の
……などと考えていた時期が俺にもありました。
実態は帰省しない予定を埋めるため、バイト三昧の夏休みなのである。昔ほど働くことに忌避感はないが、”楽園”と”労働”のコントラストが鮮やか過ぎて情緒が付いて行かない。
そして、さらなる問題が俺を苦しめた。
求人情報フリペをぱらぱらと捲っていると、後ろから覗き込んでくる人影。この間は初見だったので情けない声を上げたが、もう耐性がついた。無視しようとするも、ふわりと薫る馥郁がその意志を挫く。同時に頬を撫でるさらさらとした髪が触覚を刺激し、意識を支配する。
「……バイト探してんの? あ、ごめん」
川崎は話し掛けながら、俺を撫でていた髪を右手で搔き上げた。同居に慣れてきたせいか、最近距離感が近い。こちらはどきりとすることが増えたのに、川崎の方はどう思っているのか窺い知れない。
「なんか、いま俺のバイト先、俺を含めて夏休みでシフト入れるやつが多くて人手余ってるらしい」
経緯を説明すると、ふーんと言いながら提案してきた。
「あたしで良ければ紹介しようか?」
「え、お前の紹介? 悪いが遠慮しとくわ」
「なんでさ?」
「俺、メイドにコスプレして美味しくする呪い注ぎ込むとか出来そうにないしな……う゛っ⁉」
「そこを紹介するわけないでしょ。余計なこと覚えてないで忘れな、
魔界の憩いネタで揶揄すると、首に何かが絡みつき、じわじわと絞め上げられる。シメるって言うから
首に巻かれたものに触れると、どうやら川崎の髪のようだ。え、これ髪の毛で首絞めてるの? なら京本政樹というより山岸由花子か。っていうか、さらさらしてちょっと気持ちいいし、いい匂いするし、どっちかっつーとご褒美なのでは?
そのご褒美を堪能していると川崎のスマホが鳴り、ふっと髪が緩んだ。解いた拍子に青みがかった黒髪が鼻先を横切っていく。まるでテイストをプレビューするように、ふわっと甘い香りが鼻腔を刺激し脳まで達した。
幸福に浸っていると、それを遮るように川崎のスマホが鳴る。
「……あ、メール」
「ごゆっくりどうぞ」
スマホを取ろうと髪が解かれたが、フレーバーを楽しみたかった俺にとっては複雑な心境だ。……フレーバーを楽しむとか扱いが葉巻のそれなんだが。むしろ
心中で一通りツッコみ終えると、視線をフリペに戻した。夏といえばリゾートバイトや海の家が思い浮かんだが、この辺は海がないので除外だ。千葉が恋しい。
他にはイベントスタッフなど狙い目か。そこに絞って目を通していると、川崎が話し掛けてきた。
「……ねえ、あんた本当に帰省しないわけ?」
既に終わって久しい話を再び持ち出すとはどういうことだろうか。逆にこちらも質問で返す。
「しないって言ったろ。なんでだ?」
「んー、あたしも帰省やめようかなって」
「はぁ⁈」
さらっと物凄いことを言われ、軽くパニックに陥る。
帰省やめる? なんで?
「いや、お前は帰れよ」
「あんたが残るなら、あたしは家事で支払わなきゃいけないからね」
「そんな無茶な理屈……」
それを聞いて言葉を失う。お盆に働かせるとかどんだけブラック認定されてんの。そもそも帰省するなとは一言も口にしておらんのですよ俺。捏造やめて?
「とにかく落ち着け。帰らないと、きっと後悔するぞ」
「身体で支払うって言っちゃったし」
「家事だからね⁉」
外聞の悪い脚色をしないでいただきたい。それ他人に聞かれたら通報されるんだって。
俺に付き合わされる形で帰省を取り止めたのだとしたら、そうさせる
「なら利子は支払わなくていいから、胸を張って帰省してくれ」
「……」
それを聞くと、哀しげな表情で俺を見つめていた。
え、なんか地雷踏んだ?
「……身体で支払ったの、迷惑だった?」
「お前それ気に入っちゃったの?」
ポイントはそこじゃないのに、思わずツッコまずにはいられなかった。
「いや、そういうこと言ってんじゃなく、そもそも利子はいらなかったって話なんだわ」
「……それはあたしが気分悪いし」
繰り返し主張するも納得出来ない様子。このままでは俺も川崎も不幸になりそうで、どうにか説得しなければと強く思う。
こうして『第一回川崎を帰省させようねゴシエート』が開催された。
「そもそもお盆休みなんだから、家事もお休みでいいだろ」
「家事にお休みはないの」
旦那に『専業主婦は楽でいいよな』と愚痴を溢された妻が抗弁する時の常套句みたいなこと言ってんじゃねえよ。確かにそうだけど、そーいうことじゃねえんだわ。帰省していいって意味で条件提示してるのに、誰が家事をリスペクトしろと。上手く伝わらない苛立ちをぐっと飲み込んだ。
そんな察しの悪い川崎に分からせるため、ブラコン特効であるドメスティックカード・大志を帰省表示で場にセット!
「大志だってお前に会いたがってるんじゃないか?」
「う……」
川崎が苦悶の表情で呻く。自分で言っといてなんだが、少しは感情隠せよ。罪悪感湧いちゃうだろ。まぁ、効いているのは明白なので、このまま畳みかける。場にセットされた大志を生贄に川崎家デッキ最強のカードである京華を召喚! お世話表示で川崎を攻撃だ! ――大志を生贄に……なんて心地良い響きだろうか。
「大志だけだと、けーちゃんのお世話も大変だろ。盆の帰省くらいけーちゃんのお世話するのもいいんじゃないか? 会いたいだろ? けーちゃん」
「うぅ…………」
ドメスティックカード・大志の上位である”京華”の召喚は効果抜群だ。このまま一気に畳みかける。
「それに考えてもみろ。帰省してけーちゃんをお世話することで、受験生の大志が勉強に集中できる。大志を可愛く思うなら帰ってやるべきだ」
「……」
今さら弟妹の大切さなど説かれても釈迦に説法だろうが、帰省を後押しするためには訴え続けねばならない。正直、”大志を可愛く思う”とか口に出すと鳥肌が立つが、これで少しでも望郷の念を抱いてくれれば安いものだ。むしろ、偶には大志も役に立つなと少しだけ見直したい気分に……
「…………それって”大志”を”小町”に置き換えたら、そのまんまあんたのことなんだけど?」
――ならなかった。完全に藪蛇である。京華の生贄として消費したんだから大人しく墓場で眠ってろ。川崎の反撃材料としてゾンビアタックしてくるんじゃねえよ。やはり俺の中で大志の扱いはゴミムシである。
「うちの大志とあんたの妹でずいぶんと対応が違うじゃん」
普段なら『そりゃそうだ。逆に何故同じ扱いだと思うのか。俺、今まで大志の扱い雑だったぞ?』と返答しているところだ。無論、川崎がそういう意味で言ってるわけではないのは分かっている。要は、帰省について真逆の姿勢を取るダブスタ発言を問うているのだ。
しかし、小町は俺が帰ると世話を焼きたがるのだから、それは無理な話。下手に帰省すれば、むしろ負担を与えてしまうが、それを口に出来ないジレンマ。小町からLINE通話が来た時もこんな感じだったな。
話が前回の焼き直しになりかけて、ふと思い出す。
「……なあ、この前言ってた『初めて会った時のあたしみたい』ってどういう意味なんだ?」
省みるヒントをくれたつもりかもしれないが、川崎の内面まで解らない俺にとっては実質ノーヒント。野暮なのは承知で訊いてみた。唐突な質問に少し驚いた反応を見せる川崎。しばし逡巡して、こしょこしょと呟く。
「分かんないの? ってか、忘れてる? ……あたしの中では割りと大きい出来事だったんだけど……」
早口な上、消え入りそうな声だったのでよく聞き取れなかったが、その表情には隠微な切なさを感じさせる。
「え、なんだって?」
「……だから、あたしの深夜バイトをあんたたち兄妹が辞めさせた時のことだよ」
「あ? ……ああ、早朝マックの」
「…………覚えてんじゃん」
それを聞いて、今度は心なしか喜色を浮かべたように見えた。
「え、初めて会った時判定それなの?」
正直、予想外過ぎて戸惑う。初めて会ったっていうから、てっきり屋上での出逢いかと思っていた。ずいぶんと俺の存在を認識されていなかった時間が長いですね。
まぁ、こちらも屋上で黒のレースを見るまで、いや、その後の教室で黒のレースを窃視するまで川崎の存在を認識していなかったので問題ない。むしろイーブンだ。
それにしてもあの時か……。
あの時は、大志を含んだ全員に川崎が深夜バイトをする理由の説明と、その
川崎が高校生の頃から自分に掛かる教育費を稼ごうとしていたのに、俺は大学生となった今、ようやくその域に達したからだ。スカラシップ錬金術などと言ってたあの頃の自分を殴ってやりたい。説教めいたこと言っててマジですいません。
さて、ヒントは貰ったが答えに全く結びつかない。当時の川崎がしたことと言えば、深夜バイトで家族に迷惑をかけたくらいだ。俺は小町に心配をかけていないので、重なる部分はバイトに勤しんでいるくらいか。
むしろ、小町の負担を考えて帰省しない辺り、気遣ってるまである。川なんとかさんという苗字の穴埋め問題といい、こいつの出題は難問揃いだな。
「……なぁ、もう一声ほしいんだが。マジで意味分からん」
「は?」
どれだけ思弁を重ねても答えが出ず、気づけば次のヒントを求めていた。
「……ばか。後は自分で考えな。これ以上言ったら……恥ずいじゃん」
ぽしょぽしょと呟く挙止に魅せられ、強く出られなくなる。その拒否の仕方は反則じゃないでしょうか? 普段、強気な川崎が偶に
【へぇー、鉄板焼き屋さんで合コンしたんだ。結構、お高くない? ああ、だから貯金ピンチになったんだっけ】
【うわぁ、合コンの席で専業主夫とか言っちゃったわけ? それはない、それはないよ……。これだから、ごみいちゃんは……】
【うえぇ、お兄ちゃんが王様ゲーム⁉ 中学の同級生とかが聞いたら人生棒に振るレベルで一生笑われ続けちゃうよ】
俺はサイゼでコーヒーを飲みながら、こうして小町のLINEメッセージを眺めている。まだ前期考査が終わっていない川崎は部屋で勉強中だ。
あの部屋が瑕疵物件と知った川崎は、当初一人で眠るのも難儀していたが、今では昼間ならある程度は許容出来るようになっていた。
この前、久々に通話があってからというもの、小町のLINEメッセージが頻繁に届く。急にお兄ちゃんが恋しくなったとか? ないか。ないな。今年は帰省しないから、LINEで土産話だけ受け取ろうという魂胆なのかもしれない。
一番パンチ力のある合コン話を中心に、最近の話題を振られる。さすがに全て伝えては川崎の存在が浮き彫りになるので、要所要所ぼかさなければならなかった。
【今日の晩御飯ってなに作るの?】
[今日は、さといもの煮っころがしだな]
【おー、ちゃんと自炊してんじゃん! えらいえらい! って、ずいぶん渋いというか、お兄ちゃんの発想になさそうなチョイスなんだけど。和食の料理本でも買った?】
あたかも俺が作るような口振りだが、川崎のことを伏せておくためなので仕方がない。正確には一緒に作るんですけどね。
実は小町と通話した日から、川崎にちょくちょく料理を手伝わされるようになった。あの時、流れとはいえ”利子は支払わなくてもいいから”と言質を与えてしまった手前、丸投げなど出来ようはずもない。ただ、手伝わされるとは語弊があって、教わるというのが正しい。
実家にいる時は、情けないが邪魔になるという理由で料理(それ以外もだが)は戦力外だった。なので、前に由比ヶ浜の家で小町の誕プレケーキを作って以来の共同作業である(言い方)。一緒に料理するとか、ビジネスライクな付き合いから逸脱し始めてる気がするんですが、どうしちゃったの川崎さん……?
どうしちゃったの? といえば小町だ。もう夏期講習も始まっているはずなのに、急に連絡を増やすとは。やっぱり兄が恋しくなったのか。だとすれば可愛いやつめ。一瞬でもそう思ったせいで調子に乗った俺は、つい軽い気持ちでメッセージを打ち込む。
[ところで夏期講習始まってるよな? 勉強捗ってんの?]
受験生に送る言葉としては最悪レベルで地雷だと、送信した後で気づいた。
はぁ~、何してんだ俺は……ダメだろそんな質問。普遍的にダメじゃん。ほら、既読ついてんのにレス遅えし。これもう絶対踏んだじゃん地雷。それも特大のやつ。
びくびくとしながら沙汰を待っていると、『しゅぽっ』という音により審判が下される。今はこの間抜けな音がありがたい。程よく緊張を緩和してくれた。
【捗ってる捗ってる。ごみいちゃんいないお陰で勉強に集中できるし】
ナーバスな受験生の心は守られたが、妹を持つ大学生の心はしっかりと断罪していく容赦のなさである。
そうか……、ごみいちゃんは要らないか……。
帰省を辞める決断は正しかったのだと自分を慰め、そっとスマホ画面を閉じる。
改めて帰省しないことを心に誓うと、今度は別の問題が頭をもたげた。俺が帰省しないと川崎も残ると言い出したことだ。
止めさせようにも、川崎は頑固なところがあるので難しい。実際、大志と京華を持ち出して説得したが不発に終わっていた。
もうお盆まであまり時間がない。家に帰ったらまた説得を試みなければと、陰鬱な気分で帰路へ着く。策を練っているとメールの受信音で我に返った。
いまどきメールとは、一体誰だと疑問を抱く。交流のあるやつは、大抵LINEに切り替わっているはず。だとすればスパムメールか。開いて2秒でダストシュートしようとして、手が止まる。
差出人名が――大志だったからだ。
【TITLE nontitle:
お久しぶりっす、お兄さん』
[TITLE Re:送信されたメールアドレスは現在使われておりません
と言いたいところだが、遺憾にもまだ使われている。何の用だ。っていうかお前誰だよ]
【TITLE Re2:川崎大志っす』
もはや様式美と化している『お前誰だよ』だが、今日ほど相応しいと思ったことはない。実に二年ぶり。メールに限れば三年ぶりだ。俺でなくとも『お前誰だよ』と言いたくもなる。
だが、川崎との話題によく出てくるせいで、懐かしいという感覚は微塵もない。
歩きながらメールを打つのが面倒過ぎるので、電話を掛けさせて続きを聞くことにした。
「寛大な俺はこれから家に着くまでの間だけ用件を聞いてやる。っつーか誰」
『全然変わってないっすね、なんか安心したっす! 川崎大志っす!』
なんで嬉しそうに返すんだよ。ウザがられてるって気づけ。気づいててこれなら真性のマゾヒストだぞ。
「用がないなら電話キルぞ」
『お兄さん、なんか切るの言い方が怖いっす』
「黙れ。声から
誤字でなく本音だが、とは言わずに話を促す。
『その……言い辛いんすけど、比企谷さん最近元気がないみたいなんす……』
「……なに?」
元気がない?
全然いつもと変わらなかったぞ?
ついさっきしていたLINEのやりとりと乖離した内容に、戸惑いを隠せない。
詳細を知りたくなった俺は、業腹だが通話を継続することにした。
「詳しく話を聞こうか」
俺の声音が変化したことに気づいた大志は、神妙に話し始めた。
大志曰く、最近小町の様子がおかしいのでそれとなく探りを入れていたのだという。この時点で看過できない部分もあるが、とりあえず最後まで聞くことにする。
『今までは、ほんといつも通りっていうか普通で……でも、ここ最近急に落ち込みだして溜め息が増えたっていうか。それで思い当たるのが成績くらいしかなくて』
成績か……勉強は捗っていると返信は来ていたが、既読がついてからリアクションまでにタイムラグがあったことを思い出した。
成績で悩んでいるところに勉強捗ってるか、なんて答えに窮するに決まっている。やはり地雷を踏んでいたらしい。
既読スルーをしなかった妹の寛大さに心の中で感謝しつつも、より具体的な原因究明を求める。
「ん? お前小町の成績知ってんのか?」
『いえ、それが一緒に勉強することとか滅多にないんで分かんないんすよね……』
おっと、いきなり大志の情報に信憑性がなくなったぞ。それじゃただの想像だろうが。
しかし、小町と一緒に勉強していないという新たな情報は俺にとって朗報なので、許してやろう。
「……お前、それじゃ原因として結びつけるには無理あんだろ。何を根拠にそう思い至ったんだよ」
呆れ口調で問いかけると、大志は迷いなくこう答える。
『だって夏の模試結果が出たタイミングっすよ? それしかなくないですか?』
「はぁ? 模試だと?」
小町からは聞かされていない情報に面食らいながら、なんとかして原因究明の糸口を探し出そうと模索する。
「それっていつの話だ?」
『二週間くらい前っす』
二週間前……このワードに引っ掛かりを覚えた。
確か俺が小町に帰省しない旨を話した時期と符合する。それだけではなかった気もするのだが、何か思い出そうとするとバスタオル姿のJDが頭に浮かんで全てを上塗りしてしまうのだ。
顔が熱くなるのを感じる。雑念を振り払い、小町を最優先に考えることにした。
さっきLINEでしたやりとりは小町の空元気だったのだろう。成績が芳しくなく苦悩していたところに無神経な愚兄の勉強捗ってるかLINEが届くとか、お兄ちゃんは鬼畜ですか?
自らの行いに猛省しつつ、どう取り返すか思案していると大志からこんな提案がされる。
『お兄さんが比企谷さんに勉強を教えてあげるってのはどうっすか? ついでに俺の勉強も見てくれると助かるっす』
俺が小町に勉強を? その発想はなかった。だが、確かにありかもしれない。問題は受験の出題範囲を俺が覚えているかどうかだけどな。ここ最近バイト三昧だし。
それと、どさくさに紛れてなに厚かましいこと抜かしてんだこいつ。俺が勉強を教えるほど後輩を可愛がる人間に見えるのか。まぁ、相撲部屋的な意味でなら可愛がってやらんでもない。相手が大志なら得意まである。
ついでと言ってはなんだが、この可愛がりで先程の疑問を解消しようという思惑が浮かぶ。
「……しかし、小町の異変を感じ取るとかそれほぼ監視だぞ」
『う……』
「もしかして普段から小町のことを舐め廻すように見てるんじゃないだろうな?」
『そ、そんなわけないじゃないすか! つい最近からっすよ!』
それ、れっきとした自白なんだが気づいてないのかなぁ。
「ほう、つい最近から舐め廻すように見つめていたんだな?」
『ち、違うっすよ!』
逃げ道のないロジックで責め立てると、大志は一層狼狽する。そして、核心に迫る失言をするのだった。
『あれは頼まれたからで! ……………………あ』
「……頼まれた、ね」
大志の口から漏れ出た一言は、俺の中にあった推論を確信に至らしめるものだった。
「誰に頼まれた?」
『う……それは、いくらお兄さんと言えどもしゃべるわけにはいかないっす!』
「そうか。俺はしゃべるけどな」
『え?』
誰にしゃべるとも何をしゃべるとも口にせぬ曖昧な物言い。実際、これから家に帰れば川崎に向かって『ただいま』と
だが、大志にはこのことを小町にしゃべるぞという脅し文句に聞こえたはずだ。
長い沈黙の後、観念したように大志がその重い口を開く。
『その、……姉ちゃんから電話きて、最近比企谷さんの様子はどうだって訊かれたっす』
この内容には心当たりがあった。二週間前にバスタオル姿でずるいと言って電話していた同居人の存在である。
「はっ? なんで川崎が小町のこと気にすんだよ。いい加減なこと言って誤魔化そうとしてるんじゃないだろうな?」
川崎が大志に電話をしていた根拠はあったが、これは大志が嘘を吐いていないことを分かったうえで、自白を引き出すためのブラフだ。
『知らないっすよ。そりゃ、姉ちゃんと比企谷さんって絡みが全くなかったわけじゃないっすけど、急にそんなこと言って来るのは変っていうか……でも理由訊いても教えてくれないし、とりあえず言われた通り観察してたら元気なかったのに気づいて……』
「……いつ頃電話があったか覚えてるか?」
『えっと、二週間前っす』
案の定、べらべらと日付まで白状する大志。ちょっとこいつの将来が心配になってきた。簡単に詐欺とか引っ掛かりそう。
とにかく、二週間前というワードが合致して完全に裏付けがとれた。
『あの……姉ちゃんには俺がしゃべったってこと内緒にしといてくださいね。口止めされてたっすから』
「そうだな。口の軽い男は嫌われるぞ?」
『お兄さんがしゃべらせたんじゃないっすか!』
「安心しろ。川崎
『あ、ありがとうございま……って、いま川崎
「安心しろ。お前が今後小町と会わなければなんの問題もない」
『それ暗に比企谷さんにしゃべるって匂わせてますよね⁈ 比企谷さんに嫌われちゃうかもしれないじゃないすか!』
「安心しろ。かもじゃなく、既に蛇蝎の如く嫌われてるから問題ない」
『大問題っすよ⁉』
「安心――『できませんよ!』」
すっかり信頼をなくした俺の『安心しろ』に、大志が悲痛な叫びを被せてきた。俺にしか安心できる要素がないのでその言い分も納得してしまう。
『と、とにかく! そろそろお盆だし、成績のこととは関係なしに帰省した方がいいと思うんすよ!』
「強引に話変えたな、おい」
有耶無耶にしようと話題を変えたのだろうが、これが思いがけず川崎の問いのヒントとなった。
大志弄りをほどほどに終えて帰路に着く。その間、ぼんやりと頭に浮かぶのは川崎に課せられた宿題である。
――今のあんたって、まるで初めて会った時のあたしみたいだね。
二週間前に川崎の呟いた言葉が想起される。
当時の川崎は自分のことで家族に迷惑をかけたくないばかりが先行して、
受験生の小町に負担を掛けるだろう(母ちゃんのお墨付き)との思いから帰省を中止したが、もしかすると小町はそう感じていないのかもという疑いを持ち始めたのだ。
小町のことを理解し尽くしているという驕りがあったのではないか?
勝手に理解した気になって、そうであろうと決めつけてはいなかったか?
川崎ですら大志の気持ちを推し量れずに行き違いを起こす。なら俺に同じことが起こらないとどうして言い切れる?
そこまで至って、ようやくあいつの言葉が腑に落ちた。
今の俺が、あの時の自分を映す鏡なのだと彼女は伝えたかったのだ。気づいてみれば、なんのことはない言葉通りの意味でしかなかった。
その懸念を踏まえて小町の現状把握を大志に命じ、悔しいが川崎の推察した通りの結果であったため、頑なに帰省を勧めたのだろう。まるで意趣返しをされた気がして、複雑な心境になる。
初めて出逢った頃とは逆で、俺を正しく導こうとお節介を焼く川崎に感慨深いものを感じた。あの頃の川崎も、俺たちのお節介でこんな面映ゆい気持ちになったのだろうか。
「……ただいま」
「ん、おかえり。コーヒー淹れるとこなんだけど、いる?」
「くれ」
「はいはい」
湯を沸かそうとしながら俺にコーヒーを勧めてくる彼女の表情は幾分明るく、口調も柔らかだ。前期考査に向けて満足いく勉強が出来たのだと予想できた。
ずずっと二人でコーヒーを啜る音が室内に響く。出掛ける前にしていた帰省するか否か論争がまだ決着していない。互いにいつ切り出そうかと様子を窺っている状態だ。
このまま再開してもまた平行線に突入しそうなものだが、果敢にチャレンジしたのは川崎の方であった。
「……ねぇ、お盆の話なんだけど」
来たか。今の俺たちのトップトピック。なんだったら今日一日こればかり考えていたまである。そのせいか、つい質問の最中に質問を返してしまった。
「なぁ、ほんとに帰省しないつもりなのか?」
「……しないよ。言ったでしょ、家事するって」
頑なに拒否の意志を示すが、その表情には憂懼が見え隠れている。帰省して家族に会いたいのが駄々洩れで、なぜ意地を張るのか不思議に思った。
しかし、次の言葉でようやく川崎の意図が垣間見える。
「あんたが帰省すれば、あたしも安心して帰省できるんだけど」
いくら女心に鈍い俺でも、まるで帰省を促すようなその物言いが全てを得心させた。いや、確かに川崎は女だが、女心よりも
――閑話休題。
大志を使って小町の動向の裏付けを取っていたのも帰省に動機づけるためだろう。もっとも、当人は俺がその暗躍を把握済みということを認識してはいないが。
「……」
ここまでお膳立てをされては帰省を拒むのも難しいが、俺は自他共に認める捻くれ者。川崎に導かれるまま帰省を
しかし、その思考すらも川崎に読まれ、先回りされていたと後に気づく。
「でさ、あんたバイトどうすんの?」
「バイト?」
おっと、てっきり帰省するのか畳みかけてくるとばかり思っていたのに予想外だ。
「呪いを注いだコーヒーをお出しする仕事が御所望みたいだから、それ紹介するけどいい?」
「お、おう……」
今朝のことを根に持っているのか、俺が言った皮肉で当て擦ってきた。というか、本気で紹介する気だったのかよ……。
「……いや、そのことなんだがな」
短期バイトを探している現状、本来ならば歓迎すべき申し出である。しかし、拒否一択の
帰省すべきロジックと帰省したいリリックまでもケアする周到な謀は見事という他ない。
この舞台を用意してくれた川崎に報いるためにも、ここは全身全霊で紹介されたアルバイトを忌避しよう。顔を顰め、厭悪を隠さず、不満げに……。
「やっぱ、そのバイト遠慮しとくわ」
「あっそ」
川崎は然して気にも留めず短く答えた。自分の勧めを否定されたとは思えぬ淡泊な反応。この否定が想定内、つまり彼女の描く台本通りであることを意味する。
「……まぁ、バイトもねぇし……」
俺はその予定調和をまた一つ完成に近づけようと、独り言のように言葉を添えた。まるで自分に言い聞かせるように
――――そして、
「…………帰省するか」
「ん」
酷く儀礼的で真に空々しい、
「……そ。じゃ、そろそろ夕飯作るから手伝ってよ。……妹にご飯、作ってやるんでしょ」
「お、おう……そうだな……」
そう言って彼女は柔らかな笑顔を向けてくる。
高校時代はもとより、同居を始めてからも滅多に見せないその表情に、ちょっとどきりとさせられた。これが見れただけでも帰省を決めた己の判断を褒めてやりたい。
促されるままににっころがしを作り始める。肩が触れそうな狭いキッチンに二人で料理。しかも、俺に教えながらで作業効率はすこぶる落ちるだろうに、川崎は実に楽しそうだ。
だが、そんな彼女を見ていると心の奥底で燻る靄があることに気づく。正体の解らぬ
――くつくつと具材の煮えたいい匂いがしてくる。
配膳を終えた川崎が、鍋の番をしている俺の後ろから覗き込んで来た。
「うん、良いんじゃない? ……あんた意外と器用だよね」
「……自分で言うのもなんだが、そこそこ優秀で通ってるからな」
俺が教え通りこなせたことに満足したのか、控え目だが素直な称賛を口にする。
「ん、煮えてきたね。試しに刺してみな」
「主語抜くと物騒すぎる意味に聞こえるからやめて?」
「あ?」
視線で俺の方が刺された。俺じゃなくて里芋を刺せよ、などと怖くて言えるはずもなく。黙って里芋に箸を突き刺すと抵抗なくスッと入っていった。
「おぉ……」
里芋の出来に軽い感動を覚え、改めて川崎の料理スキルに舌を巻く。
「さすがに飲食店でバイトしてるだけあるな。もう新人を教えるバイトリーダー的な役目担ってそう」
一瞬、川崎の顔が引き攣り、口を尖らせる。
「……接客担当なんだからあたしが調理するわけないでしょ」
やべっ、そういえばバイトの話は地雷だったか。俺の帰省を促す材料に使ったくらいだからてっきり吹っ切れてるかと思ったのに、そうではないらしい。
「ま、まぁ、帰省するんだからお前も少し骨休めできるしな」
「……休む?」
一層険しい表情で睨め付けてくる。その迫力に圧され、つい口を滑らせてしまう。
「いやだって、俺が受けないの見越してバイト紹介したんだろ。俺が断って帰省するまでがセットで…………あ」
俺たちの帰省を成立させた
「あ? あんたなんか勘違いしてない?」
「勘違いってなんだよ……。紹介されたバイト受けてたら俺たち帰省できねぇじゃん?」
「あんたこっからバイトに通うつもりなわけ?」
「はぁ? なにを当たり前の、こと、を…………‼」
話の噛み合わなさに今度は俺が困惑するが、途中からその意味を予覚する。初めと違った意味で困惑した俺は、ついそれを口にしてしまった。
「まさかとは思うが、バイトって……
川崎は肯定の代わりにシニカルな笑みを浮かべる。それを受けて、彼女が用意した
確かに川崎は
そして、今回のように俺がバイトを受けずに帰省すればミッションコンプリート。受けた場合でも、
同居してから三ヶ月が過ぎようとしていた。
川崎がこれほど強かな女だと知ったのは初めてのことである。
つづく
いかがでしたでしょうか。
ようやく千葉に帰る段取りが整いました。このプロット自体は結構前から考えてあったのですが、得意の失踪癖が出てしまったため、完成までとてつもない期間がかかってしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。
趣味で書いているので今後も更新は安定しないかもしれませんが、それでもいいよって方だけでも読んでくだされば幸いです。
さて、次話から帰省編です。
やっと原作キャラを出せる土壌が出来たので、少しは面白くなればいいな……。
原作を読み返してキャラたちの癖や文章の雰囲気なども復習しないといけないのがちょっと大変かも。
マイペースで頑張ります。
これから夏のイベントを取り扱っていくつもりですので、ご期待ください。
それでは次もお楽しみに。