非きこもり、JDを拾う。そして、育てられる。 作:なごみムナカタ
八幡と沙希は同居することになり、様々な出来事が起こっていく。
お久しぶりです。またも八ヶ月の間隔が開いてしまいました。
まだ覚えていて下さる方がいれば読んであげてください。
間隔開き過ぎて前の話3つくらい何度も読み返して完成させました。伏線とか整合性があるのでそこは手抜き出来なかった。つらい……(・_・;)
タイトルがいいの思い付いたので、前話とタイトル違いますが前話とこの話で前後編です。
今回ほとんど沙希がでませんが、それでもよろしければどうぞ!
川崎と別れてから家路に着くと、小町の
小町に元気がないのが単純に受験ストレスの可能性は捨てきれない。総武高を受ける前も受験ブルーに陥っていたし、大学受験ともなれば重圧は
俺に弱味を見せたくない一心で吐いた嘘ってのが濃厚か。高校受験の時は見せまくりだったくせに反抗期のお年頃かね。
ただそれだと俺が帰省しない方が都合いいだろうし、やはりこの帰省は小町に迷惑のような気がしてきた。
何度考えてもそこに帰結してしまい、帰省を踏み切った時に比べ格段にモチベーションは減退するし、俺の方が悄愴漂う有り様だ。そうしている間に半年以上もご無沙汰の実家へ到着してしまう。
ここまで来ては帰ることもネカフェに泊まることも許されない。意を決して一歩踏み出すと鍵がないことに気づいた。
「あれ? …………はぁ」
確か今日は夏期講習がないので小町がいるはずだったな。実家なのにインターホンで入れてもらうとか自分の家ですらない錯覚に襲われる。益々帰りたくねぇよ……。
やっぱ今からでもネカフェに泊まろうかと本気で考えていると『しゅぽっ』という通知音。
【そろそろ家着いた?】
川崎からのLINEメッセージだった。しかも、見てるだろというレベルのタイムリーな内容に、思わず周囲を見回してしまう。
[今まさに魔界の門を開くボタンを押すところだ]
【家の鍵忘れたの?】
[ノータイムで察するなよ]
あまりのボケ殺しに何とも言えぬ遣る瀬無さと、反面すぐに理解してくれた嬉しさが滲みいり、複雑な心境になる。
【意外と抜けてるよねあんた。とにかく早く妹に顔見せてやんなよ】
[まだお前の言ってたことがわからんから正直怖いな]
彼女がカフェで残した謎めいた言葉。その意味がまだ解けておらず、このまま家に入るのに不安を感じていた。それをうっかりと洩らしてしまい、送信してから失敗だったと後悔する。こんな弱気を見せるなど俺らしくない。
既読がついてからの返信が遅く、やきもきさせられる。体感では長く感じたものの、ほんの二、三分で返事が来た。
【難しく考えなくてもきっと大丈夫だから。それと、あんま嫌がられるようなら大人しくお世話されときな】
彼女なりの助言で俺を後押ししてくるが、答えも知らず従うことは難しい。もう家の前まで着いてしまい、答えを解く時間もなく、残された手段は一つしかなかった。
[大丈夫な根拠、教えてくれねぇのかよ]
出題者に解答を教わるという盲点にして真理。
だが、そう上手くいかないのが世の常というもので、
【だめ。恥ずいから】
にべもなく断られた。
それにしても、風呂上りにバスタオル一枚で部屋を練り歩くようなやつが羞恥するってどんな答えだよ。是非訊きかせていただきたい。決して変な意味を期待しているわけじゃないぞ、うん。
『しゅぽっ』
卑猥寄りに傾き始めた俺の意識が通知音で引き戻される。
【とにかく、あたしの言うこと信じとけばいいの】
ぐずぐずしていた俺の背中を後押しするメッセージに軽く不満を洩らす。
「まぁ、お前を疑ってはいねぇけど…………ん?」
無意識に呟いた言葉を反芻して自覚すると、自分の変化に驚いてしまった。
昔の俺が言われたら鼻白んでいたであろう『信じる』という言葉。だが、今の俺は驚くことにその言葉を自然と受け容れていた。
きっと、どんな言葉かでなく、誰が言ったかに起因する否定的な感情だったのだと、改めて自己理解する。
川崎と同居して三ヶ月。いや、高校時代まで遡ると俺たちはもっと長い時間を積み重ねてきた。そうした中で生まれた信頼が確かに存在していたのだ。
らしくない情動に戸惑いを覚えながらも、妙に気分が良い。そうやって認めると身体が軽く感じられた。先ほどまで心に圧し掛かった躊躇という重さが身体にまで影響を及ぼしていたのだと自得する。
少しの間だけ思考を巡らせ、スマホの画面をタッチしていく。
[さんきゅ]
考えた割りには単純で、俺に似つかわしくない素直な一言であった。
深呼吸してゆっくりとインターホンのボタンを押す。半年以上帰っていないことも手伝って、まるで他所のお宅に訪問する気分になる。実家に対してこれなのだから、俺は絶対訪問販売する職業には就かんぞと固く心に誓う。
――鎮まり帰る比企谷宅前。
住宅街が纏う
……おかしい。今日は予備校がないはず。もう昼だし、気分転換に外へ食べに行ってるのか?
懸念を抱きながら、念のためにもう一度インターホンを押して待つ。
『……』
『……』
『……はい、どちら様ですか』
留守なのかと諦めた瞬間、とてつもなく不機嫌な声で応答があった。
うっわぁ……受験ノイローゼってのは本当らしいな。
「あー、小町、帰ったぞ。開けてくれ」
大志情報の信憑性が増したところで怖じ気づきながら応答すると、インターホンから『えっ⁈』という驚嘆の声が上がる。どたどたとけたたましい足音と声が近づき、ついに玄関まで到達すると勢いよく扉が開いた。
「――、――いちゃん⁈ お兄ちゃんなの⁈」
つっかけ履きで駆け寄ってきた小町は、門扉越しに俺の顔を覗き込むと驚愕の表情を見せる。
「お、お兄ちゃん⁈ え、ほんとにお兄ちゃん? なんでいるの?」
「えぇ……」
そういえば、小町に『やっぱり帰省する』と報せた記憶がない。結果的にサプライズとなってしまったが、想像を遥かに上回る驚き様にちょっと引いた。言葉に疎んじられるニュアンスが含まれていたようにも感じられて少しへこむ。
「帰って来ちゃダメなのかよ。泣くぞ? 酒も飲める年齢になったのに号泣しちゃうよ? そんなお兄ちゃん見たくないだろ?」
「うわぁ、気持ち悪ぅ!」
言葉とは裏腹に、その表情には何故か笑顔が滲んでいた。
「え、ちょっと待って、帰って来ちゃいけなかった? お兄ちゃんいなくて寂しくなかったの? ね? 小町ちゃん?」
「え、逆になんで寂しいって思ったの?」
「ぐはぁっ!」
俺は右ストレートをまともに喰らったみたいにバランスを崩す。結構なダメージを受けていた。
「あー……、うそうそ。小町もすっごいサビシカッタヨー?」
なにその最近の合成音声の方が人間味を感じるサビシカッタヨーは。Voidollのがまだ人間味ありそう。ちょっと人間捨ててるレベルで血が通ってない。逆にどうすればそこまで感情を込めずに宣えるのか教えて欲しいまである。
「お前なぁ、嘘吐くならせめてもっと感情をだなぁ……」
「えっ、嘘なんて吐いてないよ、酷いよお兄ちゃん……っ!」
小町は潤んだ瞳を隠すようにうっと手で顔を覆い隠す。ついでにくすんと感涙の嗚咽までついてくる大サービス。そのサービスに乗せられ、つい軽口を叩いてしまう。
「なら今度、小町も一緒に合コンしようぜ。戸塚も呼んで」
普段、家で過ごす時に洩らす小粋なお兄ちゃんジョーク。それに対して我が妹は芝居の只中であったことも忘れ、超嫌そうな顔を向けてこう糺す。
「……参加者に妹と友人がいる合コンってお兄ちゃん正気なの?」
「妹は確かに議論の余地がある人選かもしれないが、戸塚は問題ないだろ! 戸塚だぞ⁉」
声を荒げて力説してしまった俺に超面倒そうな口調で追い打ちをかけてきた。
「普通の感覚ならそうだけど、お兄ちゃんが思い描く合コンって戸塚さん
「おい、戸塚は戸塚だぞ。男(Male)、女(Female)、戸塚(Totsuka)。つまり、Tジェンダーだな。ジェンダー問題の一つとして、国際民間航空機関へ性別欄の表記に『T』を追加しないかという訴えを起こそうかと画策してるまである」
「絶対にやめてね? やったら小町、お兄ちゃんと縁切るから。それに百歩譲ってMでもFでもなかったらXがあるでしょーが」
おお……、まだ日本では扱われていないX表記を、あのちょっとおバカだった小町がよく存じ上げていらしたものだ。これも受験勉強の賜物か。いや、受験関係ねぇか。
「だいたいなんで帰って来たのさ? その合コンのせいでお財布ピンチだったんでしょ? しっかり稼いでちゃんと食べないと身体壊しちゃうから、帰省するよりバイトしてた方が良かったんじゃない?」
兄思いを偽装しつつもしっかり
完全にいつもの調子を取り戻した小町。最初の応答と違い、見たところ受験ノイローゼとは程遠い状態に思える。これは大志の情報が疑わしくなってきたぞ。
「それにわざわざ呼び鈴鳴らすとかなんなの? 新手のいやがらせ?」
「……あー、鍵忘れたんだよ。勉強の邪魔しちまったか?」
「え、ああ、うん。別にお昼ご飯どうしようか考えてただけだし、へーきだけど」
「そ、そうか、……模試結果って出たんだっけ。どう、だった?」
一応警戒しながら成績のことを訊ねてみると、小町はあっけらかんとこう言い放つ。
「模試の成績? まぁ、じゅんちょーだよ。え、なんで?」
「あ、いや……、その、うん、なんとなく?」
その表情には一片の嘘偽りを感じさせない。この瞬間、大志の報告が虚偽だと確信した。罰として、大志が小町へストーカー行為に及んでいたと告発する刑に処してやろう! ……さすがにしないが。なにせ、すればそこから芋づる式に川崎の関与ばかりか、俺と川崎の関係性までもが詳らかになると懸念されたからである。
「それよりさ、お兄ちゃんもお昼まだなんじゃない? 小町が久々に作ってあげる」
さっきまでの不機嫌さが嘘のようにうきうきした様子で話す。この展開はまずい。電話で母ちゃんに言われた注意事項をそのまま踏襲する流れだ。
「いや、俺も自炊してるし、帰省の間は俺が……」
「いいから! 普段うちで料理なんてしてないんだから物の場所とかわかんないでしょ。小町に任せる!」
これでは当初懸念した通り、俺がいるだけで小町に負担をかける結果になってしまう。小町の邪魔になる可能性があったが、手伝いを申し出た方が良いのではないか。この日のために川崎料理講師のレッスンを受けてきたのだ。ここでやらねばいつやるか? 今でしょ! 心の中の林がそう叫ぶ。……それは予備校講師だろ。そこは川崎が叫ぶとこだから。
「そんな広いキッチンでもあるまいし、気にすることじゃないだろ。小町はくつろいでてくれればいい」
いつもなら引いている俺が頑なに譲らず労働を求める姿。小町はこんな兄を望んでいたはずなのに、なぜか意固地に俺の助力を拒絶する。売り言葉に買い言葉で、さっき川崎から賜ったありがたい助言が見事に頭から吹き飛んでいた。
「あー、もう! 小町は家事するのが好きだって前にも言ったじゃん! 黙ってお世話されてればいいの!」
「そうはいかねぇんだよ。受験生の小町にこれ以上お世話されてたまるかっつーの」
玄関前で言い争う俺たち。それを近所の人が奇異の目で見ていることに気づき、小町の手を引き家の中へと入る。
一息吐いて小町を見やるとなぜかはにかみ、その眼差しは繋いだ手に向けられていた。
今までの言い合いからは想像のつかない小町の様子に戸惑っていると、我に返った小町が再び噛み付いてくる。
「……あ、て、ていうかお兄ちゃんがやると雑だし、片付けしないし」
その点は川崎にも真っ先に指摘された欠点だ。それゆえ重点的にレッスンされたとも言える。
「舐めるな。かつてのままだと思うなよ? 一人暮らしで鍛えられたんだからな」
「えぇ~、嘘だぁー」
「受験の邪魔にならんよう家事するつもりで帰省したんだ。そこは信じろよ」
「え……」
俺の言葉を聞いて小町が固まる。あまりに似つかわしくない言葉で茫然自失させちゃったか? 言ってて悲しいが小町の俺評はそんなものだろう。
「う、そ、そんなこと言ったって騙されないからね! お兄ちゃんはカー君みたいに今か今かと餌を待ち侘びてればいいんだよ!」
硬直が解けたと思ったら今度はなんかにまにましてないかこの妹。言ってることもちょっと酷い。ペットと同類に扱うとは。プロのぼっちとして精神力が鍛えられていなければショックで枕を濡らしていただろう。
だが、小町に対する貢献度ではともすれば”カマクラ>俺”の疑いがあるため、一概に否定できないのがつらいところだ。いや、比較対象がペットなのだから競技種目は癒し度であり、だとすれば俺に癒し要素なんぞないので疑いどころか文句なく完全敗北である。
それにしてもコイツ、なんでこんな頑ななんだ。家事が好きってだけじゃ説明つかなくねぇかこれ。こちらとしても引けねぇんだ。ここで引いたら俺がやってきた努力が無駄になるから。
いや、それだけならいい。俺の労力が無になるだけならいつものように小町の我が儘に付き合ってやるくらいの度量はあるつもりだ。
しかし、
――――そういえば……。
川崎のことが頭を過ぎると、彼女の言葉が同時に思い浮かぶ。
『あんま嫌がられるようなら大人しくお世話されときな』
そう……言われたっけ。労を割いた本人にそんなこと言われたんじゃ、聞かないわけにはいかないよな。これ以上反発を続けるのは俺のエゴか。
川崎の忠告を思い出して、ようやく身を引けるくらいに冷静さを取り戻した。すまん川崎。
「……わかった。お前に任せるわ」
「だからお兄ちゃんがやると――、え? あ、そ、そうだよ! お兄ちゃんは口を開けて餌が運ばれるのを待ってればいいの! 小町のペットみたいなもんなんだから!」
「……俺は雛鳥かよ」
いや、もうペットって言っちゃってますやん。そこまで許容してねぇ。
というか、発言に看過できない矛盾生じてません?
「え、そんな至れり尽くせりなペット感覚な割りに、俺が帰って来なくても寂しくないとかおかしくない?」
「そっかなー。別にお兄ちゃんがいなくても全然気にしないんだけど、お兄ちゃんに餌を与えるのが習慣? みたいなとこあったじゃん、そんな感じ」
「おい妹よ、兄の飯を餌と表現しちゃうくらい受験で脳が焼かれちゃったのかい?」
「失礼な! 今の小町は受験勉強という名のハンマーで叩かれ、鍛え上げられた刀剣のような切れと鋭さを持っているであります!」
「お、おう……」
小町がビシッと敬礼しながらウインクする。
いや、それだと頭叩かれ過ぎて残念になったとしか聞こえねぇよ。もともと残念ではあったが。
やはりこの妹、脳が少し足りないのかしら。受験が心配である。
「ほら、料理は愛情っていうじゃん? だからつい餌って言っちゃうんだよねー」
足りないのは脳ではなく俺への愛情だった。なんだったら俺のは『餌』で、カマクラのを『ご飯』と呼ぶまである。なにそれ、薄々勘づいてたけどお兄ちゃん、ペット愛でカマクラに完敗しちゃってるじゃん。そんな真実墓場まで持ってけよ、愛だけじゃなく気遣いも足りないぞ。妹が足りない尽くしで八幡的にポイント低い。
川崎ぃ、この扱いで小町がブラコンはありえんだろ……。あとで抗議のLINEを送ってやらねばならんな。
「ではではー、お兄ちゃんは小町が餌を作るまでの間、リビングで待機するのでありまーす!」
なぜか大はしゃぎしながら、ぐいぐいと両手で俺の背中を押してくる。わかったわかった。カマクラよりも大人しくしてるからせめて荷物くらいは置きに行かせてくれ。
玄関前で言い争いが始まってからこっち、やりとりがシームレスだったので荷物も手にしたままだ。とりあえず自分の部屋に置きに行かなければと、小町の手をすり抜けて階段へ向かう。
「およ? どこいくの、お兄ちゃん」
「家着いてからずっとお前としゃべってたからな。荷物くらい部屋に置きに行かせろよ」
「あー、うん、そうだ……ねっ⁉」
途中からおかしな調子で声を上げた小町。振り向くと分かり易く動揺しているように見えた。
「い、いやいや、荷物なんてリビングに置いとけばいいじゃん! まずはゆっくり休んで小町のご飯が出来るの待ってれば⁉」
なんだこいつ。あれだけ強調していた餌呼びをご飯て……。この山の天気みたいな態度の変え方。……さては、何か隠してるな。
「リビングに置いとくと母ちゃんがうるさいだろ。置いてきたらすぐリビングでくつろぐよ」
「いやいや! お母さん今いないし、仕事忙しくて全然帰って来ないからへーきだよ! そ、それに、お兄ちゃん疲れてるんだから小町が持ってってあげる!」
慌てた様子で俺から鞄を奪い取ろうとする小町。いつもなら俺に持たせるのに今は逆だ。何か裏があるのではないかと俺でなくても疑念を抱くだろう。その不自然な行動を推察すると、部屋に入れたくないのが見て取れた。
ははーん、読めたぞ。これはあれか、俺が実家出たのをいいことに部屋を好き放題使ってるとかそんな感じか? ……汚部屋化とか勘弁してくれよ。
「小町は料理するから暇じゃないだろ。いいって。自分で行くわ」
小町には悪いが早く部屋の状況を確認したかったので、翻意を促す提案を無視する。
「わー、でもでも、お兄ちゃん家帰るの久々だし、家の勝手も分かんないだろうから小町が運ぶって!」
「え、一年も経ってないのに実家の構造忘れるとか俺の方が脳焼かれてない?」
その引き留め方は無理あんだろ。足止めの説得内容がもはや意味不明なレベルに達し始めているのを鑑み、自室が無事である可能性はゼロに近い。どれほどの惨状になっているのか想像もつかない。
いやだなー。片付けも川崎に仕込まれたけど苦手なものは苦手なんだよなー。
軽い絶望を心に宿し、部屋の前まで到達した俺はドアノブに手を掛けた。すると両手で服の裾をがっちり握り締められる。振り向くと俯いてその表情が窺い知れない小町がいた。
「待って待って、お兄ちゃんの部屋、今ちょっとアレだから!」
こいつ、ついになりふり構わず力づくで止めに来やがった。え、ちょっと部屋の中見るのが怖くなってきたんですけど?
「……小町ちゃん? 服が伸びるんで手を離していただけませんかね?」
「うー……」
なぜか敬語が出てしまうも小町からのツッコミはない。代わりにしがみつく手にますます力が籠る。
小町の様子から、見たら人生が終了するレベルのやばい光景である可能性が出てきた。なら、なおさら何があるか知っておかなければならない。
法的にアウトな植物を栽培してたらどうしよう?
はたまた扉を開けたら猟奇的な処理がされた親父と母ちゃんがやっはろーとか? うわっ、イマジナリー両親のグロさやばっ! それに比べたら割りとマジで前者の栽培であってくれと力強く願う。
いや、そっちもアウトだけどトラウマを植え付けられないだけマシだわ。栽培してるのに植え付けられないって不思議ですね。って、たいして上手くねぇわ。
まぁ、小町に限ってそんなことないだろうけど、これだけ最悪を想定しておけば何が来ても動揺せずに対処できる。
ごくりと唾を飲み込み覚悟を決めた。
渾身の力で服の裾を握り締める小町を振り切って扉を開く。
――キィ
「…………あれ」
約八ヶ月ぶりに嗅ぐ自室の空気にわずかな違和感を持ったが、それ以外は至って普通に見えた。
小町の物と思われる私物は確かに紛れ込んでいたが、散らかってるというほどでもない。最低でも汚部屋や物置状態を想定していた俺には酷く拍子抜けの光景であった。生活感はあるものの、別に見られて困るような部屋じゃない。
……小町のやつ、何を慌ててたんだ?
不思議に思っていると裾を掴んでいた手がすっと離れる。振り向くと両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでいる小町がいた。髪の隙間から覗く耳朶は真っ赤に染まり、羞恥に震えているのがわかる。
この部屋のどこに恥じ入る要素があるのか、改めて部屋を見渡す。
元々物が少ない俺の部屋から何故か滲み出る生活感。机にはたった今勉強していましたよと主張するように開いたノートと参考書が積み重なり、ベッドの上にも偏差値換算で25くらいの記事を擁するファッション雑誌が放置されていた。前者はともかく、後者は明らかに小町の私物。傍らでぷるぷるしている小町の反応。
――――これらの事実を突き合わせていくとたどり着く答えは一つ。
「…………お前、もしかして俺の部屋……使ってた、のか?」
「――っ!」
ただの事実として捉えていた俺は、この言葉の意味が小町の急所そのものだとまでは思い至れていなかった。
小町の肩がびくっと跳ねてから、しばらくすると勢いよく立ち上がって思いの丈を吐露する。
「ぅぅうう~~~~、……そーだよ! 今年はお兄ちゃんが帰ってこないって――」
「え?」
「言うから小町は――えっ、て………………え?」
――俺が帰ってこない。
このワードが俺の部屋を使う動機と結びつかず、思考がフリーズして地蔵となった。
不意を突かれて同じく地蔵となっている小町と顔を見合わせ、互いの反応が噛み合わないぬ現状を思索する。
部屋に入れないよう阻止してきたのは、こうして使っていることを知られるのは決まりが悪いから。
では、なぜ隠したかったのか。残念ながら理由は思い当たらない。幼少の頃より妹に従属してきた俺であり、そんな兄が妹に部屋を使われた程度で不興を抱くことは有り得ないと小町も分かっているはず。つまり、遠慮や申し訳なさといった感情を起因としてはいないのだ。
……情けない。先ほど川崎に
短い時間、沈思黙考するが欠片も閃かない。今なら脳内メーカーで空白が表示されるのではと益体もない妄想をしてしまう。そのあまりのくだらなさに思考がリセットされた俺は、ふと目の前の小町から得られる情報に注力した。
頬を染めるどころか、髪で見え隠れする耳まで赤いのが見て取れる。明らかに恥じらいを含む懸想にも似た反応に、いま再び一笑に付した川崎の言葉がフラッシュバックした。
『あたしはブラコンの気持ちは誰よりもわかるからね』
はっとなって小町に意識を向けると、視線がぶつかる。その双眸には俺の顔が映るほど近しい。有り得ぬと初めから排した答えの一つが頭をもたげる。小町もなにかに思い当たったのか、はっとして顔を赤らめた。その反応を見て、川崎の言葉が確信に変わっていく。
「……もしかしてお前、俺が帰って来なくて、…………寂しかった、とか?」
「え? って……それいま気づいたわけ? わかってて部屋使ってたのかって訊いたんじゃないの? ――あっ⁉」
小町が短く声を上げる。そう、俺の質問を肯定していたことに自ら気づいたためだ。瞬く間に顔だけでなく耳を、さらには首までもが真っ赤に染まっていく。
だが、一呼吸置くと唸りながらいつもの調子を取り戻す。
「うぅぅ……っていうか、今年はもう帰ってこないんじゃなかったの⁉ なんで帰ってきてんのさっ⁈」
「ええぇ……理不尽ぇ……」
がーっと捲し立てる見事な逆切れに、これぞ小町だと密かに安堵する。……俺の小町評って案外酷いかもしれん。
しかし、この傍若無人な振舞いも、顔の赤味が引かないままされたところで嫌味など一つも感じない。むしろ、ただただ可愛らしく、妹が世界一可愛いだけの証明でしかない。あまりに嬉し過ぎて、某二世政治家構文の如きトートロジーで小町の可愛いをアピールしてしまった。
だって考えてもみなさいな。いつもごみいちゃん呼ばわりしているくせに、いざ兄が実家を出たら寂しさのあまり兄の部屋に閉じ籠る。そんな妹の尊さに見悶えない兄がいるだろうか。いや、いない。普段見せる俺への態度や言葉が照れ隠しだったとハッキリ証明されてしまったのだから。
一言で表すならば――うちの小町はブラコンでした。
それにしても、いくらブラコンの気持ちが分かるとはいえ、こんなにも示唆した通り小町を解き明かしてしまうとは……。
思い返せば、帰省前に『今のあんたって、初めて会った時のあたしみたい』と俺の内面を表した物言いは予言めいてすらいた。その知見の確かさには、感心よりも怖さが先立ってしまう。
そうして、頭の中で川崎の言葉を反芻していると、至近距離で小町とずっと目を合わせていたことに気づいた。全く小町を意識していなかった俺と違い、あちらは熟したトマトのような顔になっている。
「――――! に、荷物置いたら、リビングで大人しくしててよっ! お昼ご飯作ってくる!!」
言い残して、小町は一階へと降りて行く。口調はアレだが、今は顔を見られたくない照れ隠しと、こっそり
キッチンでは小町がぱたぱたと忙しなく動き回り、昼食の支度をしている。結局、小町の強い意向もあり、リビングで昼食が出来るのを今かと待ち続けるどうも雛鳥の八幡です。
いや、初めは悩んだんですよ? 手伝わなくていいのかと何度か訊いたし。しかし、その度ににべもなく断られ俺の心を折ってくるうちの妹マジ捻デレ。今まで兄ロス症候群だっただけに、俺を歓待したい気持ちの表れなのだろう。ならば俺に出来ることは大人しくお世話されること。ペットでいえば、小町の膝に乗って気が済むまで撫でられてやる。これぞまさに兄マルセラピー。そう心に留めて自堕落に料理を待ち侘びる。なんか今の俺って益々カマクラとペット枠を争ってる感あるな。
てきぱきと家事をこなしていく小町をぼんやり眺めていると、不意に川崎の姿が浮かび上がった。それと同時に脳裏を過ぎる言葉。
『だって、あんたの妹はいまのあたしみたいだからさ』
先ほどサンマルクカフェで川崎が呟いたもの。あの時はさじを投げた難問だが、今は逆に小町が解を示してくれている。全く似ていないと断じたが、川崎に引けを取らぬ家事の手際良さや献身的に尽くしてくれるところなど、重なる部分が多いことに気づく。おっと、世の母ちゃんはみんなそうだとか言うなよ? うちの母ちゃんはバリキャリ社畜でそんな一面全くないからな。家庭的とは程遠い比企谷家の母君を引き合いに出し、小町と川崎の共通点を見出していく。
手持ち無沙汰のせいか、何の気なく小町に声をかける。
「なぁ、俺の部屋使い出したのっていつからなんだ?」
「っ⁉ ……うわぁ、デリカシーってものがないよ。お母さんのお腹の中に置いてきちゃった? これだからごみいちゃんは……」
心底嫌そうな声がキッチンから響いてきた。ブラコンがばれたのにブレねぇなこいつ。いや、でも確かにデリカシーがなかった。無理に話題を探した結果、無意識で気になっていた質問が出てしまったようだ。
しかし、口調とは裏腹にぽつりぽつりと吐露する。
「……お兄ちゃんがお盆に帰って来ないってお母さんから聞いて……そっから」
「二週間前か。長期滞在だな。宿泊費も馬鹿にならんし、サブスクを提案したい」
「いつからホテル・ロイヤルヒキガヤになったのさ。ってか茶化さないで」
「はい、すみません……」
小町にとっては恥ずかしいであろうことを真摯に答えてくれているのに、その空気に耐えらず誤魔化す返しをしてしまった。己のヘタレっぷりに反省しかない。小町もちょっと乗ってた気がするけど、そこは触れないでおこう。
「お兄ちゃんが帰って来ると思ってたのに、それがなくなって、また一人なんだって考えたら……」
一旦言葉を切ってから、こう続ける。
「昔小町が家出した時を思い出しちゃって。家に帰ると誰もいなくて、でも小町ももう子供じゃないし、家出なんてワガママできないから。お兄ちゃんがいた頃は、勉強の休憩でリビングに来て気分転換出来たけど、それもなくなってちょっとしんどいって言うか……」
そうして悩んだ結果、俺の部屋で寝泊まりする代償行動へと繋がったわけだ。
帰省前の川崎が言った通り、俺が拗らせすぎてたせいで、逆に小町の不安を助長させてしまっていたようだ。なにが『俺が帰ると小町の負担になる』だ。過去に戻って、あの頃の自分をぶん殴ってやりたい。
「あー、その、なんだ……悪かった、な……」
俺がくそほど歯切れと往生際と、ついでに目付きの悪い謝罪を口にすると、それに呼応して小町もぶちぶちと文句を返してきた。
「……ほんとだよ。可愛い妹を残して一人暮らし始めたと思ったら、合コン行ったりして大学生活満喫した挙句、お盆に帰省しないとか兄失格だよ! ごみいちゃんだよっ!」
出るわ出るわ心の叫びが。ただの
一人ダメージを受けながら悄然としていると、あれだけぶちぶち続けていたお説教がぴたりと止んで小町の声音が変わった。
「…………でも、ちゃんと帰って来てくれたから、小町的にポイント高いよ」
久々に聞いた気がするな、謎のポイント制。それだけ小町とあまり話してなかった証左ともいえる。
ジューッとフライパンから奏でられた音が止み、香ばしい匂いがキッチンから漂ってきた。
「はい、帰省のご褒美。小町特製愛情ランチを召し上がれ!」
出来立ての料理を手にしておどける小町。慌てて皿を受け取って配膳を手伝うと、小町もそれを拒む様子はない。テーブルに並べ終えると、いつ以来かも忘れてしまった小町の手料理に内心心躍った。
ランチにしてはやけに豪華なそれは、夕飯のメニューをスライドさせたとしか思えず、夜の材料が心配になる。しかし、今はただ小町の手料理を全力で味わうことに集中した。
両手を合わせ、小町を崇めるように『いただきます』をしてから一口。そして、一言。
「…………旨い」
鶏肉の滋味あふれる味わいに、川崎とはまた違った懐かしさを感じて涙が零れそうになった。自然と表情筋が緩んでいくのが分かる。さぞ気持ちの悪い表情をしていることだろう。
俺の賛辞を聞き、小町はにひっと最高の笑顔で迎えてくれた。自分の分には手も付けず、俺の食べる姿をにまにまと眺めている。
料理に感動して気分が高揚したのか、深く考えずに軽口が出てしまう。
「こんな旨いご褒美もらっちまったら小町にもご褒美を返さなきゃならんな」
帰省したのはバイトをするためでもあったし、多少の出費なら問題ないだろう。
しかし、そんな皮算用を見事に裏切る言葉が返って来た。
「…………ご褒美なら今もらってるよ」
「え?」
何のことだ? 予想外過ぎて、つい間の抜けた声が洩れ出てしまう。
何が小町にとってご褒美なのか。その真意を思弁していると、小町は続け様に語り始めた。
「……なんか久しぶりだねー。こうやって一緒に食べるの」
「え? あー……、そうだな」
唐突に話題を変えられて困惑し、たちまち思考がそちらに塗り替えられる。
親父との帰省契約によって、俺の帰省タイミングはその期間に限定されていた。年末年始はばたばたしていた記憶しかないので、こうして落ち着いて一緒に飯を食うのは去年の盆以来かもしれない。
「ほら、お父さんもお母さんもいつも忙しくてあんま話せないじゃん? 自分で作って一人で食べても……ねえ?」
あっ……。ここまで聞いて、ようやく気づいた。話題を変えられたのではなく、最初の話題に戻されたということに。
真剣な面持ちで話す小町を見て、真摯な思いを打ち明けているのは明白だ。かける言葉が見当たらず聞き手に回っていると、先ほど感じていた疑問を再び口にした。
「だからね、これは小町にとってもご褒美なんだよ?」
「あ? こうして一緒に食事するのが?」
小町の言葉をそのまま受け止めれば、これそのものがご褒美なのだと誰もが思う。
だが、両親の就労状況を差し引いても、小町に不満が出るほどの寂寥を与えることがあるのだろうか。小町は受験生で夜更かしも多く、両親の帰宅に合わせて食事を遅らせることくらい出来るはずだ。
「ちょっと時間ずらせば母ちゃんとも食えるだろ」
ここで敢えて親父と口にしないところに帰省契約の恨みが垣間見えた。
俺の冷静な指摘に対し、ぷくーっと頬を膨らませて不満げに睨め付ける。
「……ねぇ、もしかしてわざと言ってる?」
「え」
わざとってなんだよ。惚けてると思われるくらいに的外れな質問だったか? 一応、理論的な解釈だと自負していたが、どうやらお好みの答酬ではないらしい。
残る可能性。ふと、さっき俺の部屋で起こった出来事が頭を過ぎる。
……うちの小町がブラコンなのを失念していた。
その条件設定ならば、小町の言葉も納得出来てしまうのだ。両親とではなく、俺と一緒に食事するのを望んでいるという憶測。昨日までなら、口にするどころか妄想するだけで羞恥に震え、足をバタバタさせていたに違いない。
「あー、……もしかして、俺とその、飯食うのが、ってことが、か?」
つっかえながらも反射的に訊き返してしまう愚答。それを小町が見逃すはずもない。
「はあぁぁ……やっぱデリカシー0だなぁこの人……お母さんのお腹の中どころか前世に置いてきちゃったでしょ」
生まれる前から無神経。そんな烙印を深いクソデカ溜め息と共に押されてしまう。え、そこまで罪深い? 俺の罪の証といわんばかりに小町の顔は朱に染まっており、それは憎まれ口で隠し切れない照れを表していた。
小町は『誠に遺憾ながら』という言葉を見事に体現した渋面で答える。
「…………そうだよ。まぁ、それだけじゃないけど」
「それだけじゃないって、まだあるのかよ……?」
それが野暮だと自覚していたが、どうしても腑に落ちず、窮追してしまう。
すると、小町は俯きながら小さく呟く。
「……教えない」
「いや、なんでだよ。そんな匂わされたら気になるだろ」
俺の質問に睥睨でもって返す。憾みと恥じらいの混ざったような不思議な表情だった。
しばらくの間、食卓を沈黙が覆う。その空気を緩和する意味もあって、箸を口に運ぶ。真面目に話している時に無作法な自覚もあり、怒られることを覚悟したが、小町は心なしか笑みを浮かべたように見えた。
「…………やだよ。だって、……恥ずかしいもん」
ぽしょぽしょと呟くその言葉と挙止には覚えがあった。
――――『……ばか。後は自分で考えな。これ以上言ったら……恥ずいじゃん』
それは最近、俺の耳朶に触れた声。恥じらいながら拗ねたように
「……教えてくれ」
その瞬間、つい小町に答酬を求めてしまう。
「え? あ、えっと……」
急に真剣な声を出してしまった自分に驚き、小町も俺の変化に酷く狼狽して言葉に詰まっている。
思えば、俺がこんなにも強く意思を示したことはさほど多くない。基本受け身で、クソヘタレなワンチャン狙いのゴミカス(小町談)扱いしていた兄に、強硬に迫られれば面食らいもするだろう。
普段ならこんな無粋に追及せず、『こうして俺と食べれば、後で親父と食わなくて済むもんな。そりゃご褒美だわ』くらいの機知で返していたはずだ。
しかし、誤魔化したり、恥ずかしいという感情を飛び越えてなによりも、
「こうして一緒に食べるだけじゃダメなのか?」
「――え、ええっ⁉ あ、あわ、わわわ、おにい、ちゃん?」
俺の訴えに小町は目を白黒させている。すると、頬はもとより、耳や首までも紅潮していく。やっぱ恥ずかしいよなぁ、すまん。同じ感性を持つ小町でなければいけないんだよ。
小町のことを『いまのあたしみたい』と宣う川崎はかなり近い感性を備えているはず。だからこそ、逆に小町を通じて川崎の内面に触れようと考えたのだ。
「どう感じているのか、教えてくれ」
「だ、だって、えっと、だだ、だめだよお兄ちゃん、兄妹でそんなっ!」
ほんの少しでも川崎のことを理解出来るかも……、そんな期待を込めて問いかけたが、小町の返答は要領を得ない。なんで兄妹が関係すんだよ。そんな疑問を飲み込み、もう一度質問の焦点を絞る。
「兄妹は関係ないだろ。小町が何をご褒美に思ってるのかを知りたいんだよ」
「あ、あう、あぅ……」
改めて問いかけ直すと、小町は取り乱しかけるが、口をきゅっと引き結び堪える。
やがて、顔はまだ赤いままに吐露し始めた。声は小さくゆっくりと、だがはっきりした声音が俺の耳朶に届く。
「一緒に食べるのもそうだけど、……ほんとはね、小町料理するのが好きっていうより、誰かに作ってあげるのが好きなんだよ」
そこまで言うと、目を側め頬杖をつく気のない挙止で間を作る。それは次の言葉を一層際立たせ、期待感を高めていく。
「でも……」
言いながら小町は自分のおかずを箸で挟み、それを自分の口へ運ぶ……のではなく、俺の口に押し込んできた。
「むぐっ、んぐ、もぐ……」
反射的に吐き出しそうになるのを堪え、なんとか咀嚼して飲み込めた。
突然の
「食べてるとこ見るのは、もっと好き」
いつの間にか両肘で頬杖をつき、満面の笑みを浮かべて俺が食べる姿を眺めていた。その表情は心の底から幸せそうで、現役受験生が見せるものとは到底思えない。
料理するのが好きなだけなら、両親や自分に作ることでも気分転換となって精神の均衡を保てただろう。だが、それを良しとせず、俺との食事、いや、俺に食べてもらうことに喜びを感じ、安らぎを求める。小町の表情を見て、ようやくそのロジックに納得することが出来た。
では川崎沙希は?
小町のロジックを川崎に照らし合わせてみる。
家族と共に過ごす願いは叶わず、その望みはどこに向かう?
小町は俺に料理を作ることで満たされると言うが、川崎は債務でやらされているのだ。偽りの献身で願望は満たされまい。
家を出た側と残された側で違いはあれど、二人はよく似た境遇にあると考えていた。だが、やはり小町とでは条件の差が顕著であり、改めてこの類推は意味を為さないのだと悟る。
結局、川崎の内面を
しかし、それを覆したのが料理を口にしていた俺を見る小町であった。
「……おにーちゃん、美味しぃ?」
向けられたその笑顔には見覚えがある。下宿先で、川崎が俺に向ける表情がそれと重なった。その慈愛に満ちた優しい笑顔は、とても債務によって生み出された虚妄とは思えない。
「……旨いに決まってんだろ」
……ああ、そうか。
川崎の、家族と共に過ごす願いは、俺が彼女の料理を食べることで代償行動が成立していたのだ。
だが、俺が都合よく解釈しただけかもしれない。いまそれを本人に訊ねることは出来ないが、小町を通して疑似的にでも確証が欲しかった。そう思うと、自然と口が開いていた。
「なぁ、さっき誰かに作ってあげるのが好きって言ってたけど、それって誰でもいいのか? たとえば大志とか」
「はぁ~~?」
深く考えず反射的に口走っていたため、すぐに愚問だと悟る。小町の第一声もそれに拍車をかけていた。
さきほどまでの温もりある笑顔から一瞬でメランコリーな表情へと変わる。
「……あのねぇお兄ちゃん、誰でもいいならお父さんとお母さんに食べてもらえば済むことだし、わざわざ大志くん引き合いに出さなくたっていいでしょ。好きでもない人に食べてもらっても嬉しくないもん」
ぶすくれ面で非難してくる小町。その冷たい視線と、言外に大志をぶった斬る容赦のなさには恐怖すら覚えた。ただなんとなくで名前を出しただけなのに、こうもバッサリ殺られるとは……珍しく心の底から大志に申し訳なさを感じてしまう。
本人の知らないところで振られるのと、告白もしてないのに振られるのは、どちらがより不幸なのか哲学的な命題として議論の余地があるだろう。
ちなみに、前者はもちろん『好きでもない人』扱いされた大志のことだが、後者は告白もしてないのに一色いろはから散々振られた俺の被害報告である。
存外冷酷な小町に身を震わせていると、こそっと目を逸らしてぽしょぽしょと言い募る。
「……嬉しいのは、お兄ちゃんだからだよ」
小さく可愛らしい声音が俺の耳朶を甘噛む。その内容もこそばゆく、俺は目を
なぜなら、俺に料理を作ることは彼女自らの意思で望んだことだと、諦観の末に下した代償行為ではないのだと示されたからだ。
ただ、このアナロジーは論拠にしかならず、俺が思う川崎の証明たり得ない。嬉しいと感じているのは兄妹だからであり、それがそのまま川崎に適用される保証はないのだ。
しかし、川崎自身が望んでいるのかもしれないと希望が持てたのもまた事実。債務の返済が終わるまではまだ時間がかかるし、いずれ本人に訊いてみるとしよう。
差し当たっては、まさに夏の兄妹ボーナスで両親を超えた兄妹愛に対して、感謝の利益還元祭を実施せねばならない。つまり、こういうことである。
「……そうか。愛してるぞ小町」
それは比企谷兄妹にとっての様式美。『小町はそうでもないけどありがとう、お兄ちゃん!』的流れを期待していたのに、小町の反応は予想を裏切っていた。
「――っ!」
出し抜けに打たれたみたいな表情を見せると、瞬く間に頬が朱色に染まっていく。はにかんだ照れ笑いを浮かべて、すぐ目を側める。軽く俯くと、今度は猛烈な勢いでご飯を食べ進めていく。時折り上目遣いにこちらの様子を窺っては食べてを繰り返し、いつの間にか俺を抜き去って食べ終えていた。
「ご、ご馳走様!」
慌てて食器を流しに運ぶ小町。お前が先に食べ終えたらご褒美残しちゃってるだろ、との軽口を言う暇も与えてもらえなかった。
いや、時間的余裕があったとしても、おそらく口には出来なかっただろう。内心、俺も動揺していた。
帰省してから小町のブラコンが証明されただけでなく、こんなにも悪化してしまうとは想像していなかった。
病名:兄ロス → 治療法:兄マルセラピー のコンボが効き過ぎてしまったのかもしれない。ただしゃべって飯食ってるだけのカマクラ並みになんにもしてないんですけどね。
今までは俺が何を言っても冗談めかした受け答えで煙に巻いてきた小町だが、それがないとこんなふうになるのか。これは嬉しいよりも困る気持ちの方が強い。いや、俺も小町のことは大好きだ。可愛いし気も合うし、あと可愛い。
だが、こうなるともはや面と向かって愛してるなどと、金輪際恥ずかしくて言えそうにない。根治には兄離れが必要なのだが、それには妹離れも必要なわけでして……。
まぁ、しばらくはいいよな。ここは千葉だし。
俺の妹がこんなに可愛いなんて分かり切っていたことである。
『しゅぽっ』
久しぶりに自室のベッドでくつろいでいるとLINEの通知が届いた。すぐ傍にはテーブルで勉強に励む小町の姿もある。
【どうだった?】
川崎からのメッセージは一言だが、そこに様々な意味が含まれていた。
あー、帰省の助言もらったし、結果を話すのが筋ってもんだよな。でも、川崎の言う通り小町が俺の帰省を心待ちにしていてくれたこと、小町が重度のブラコンであったこと、大志が告白もしていないのに振られたことなど、色々ありすぎてどう書こうか悩ましい。
事細かに報せるのは野暮だし、小町の気持ちも考えれば知られたくないことだってあるだろう。だらだらと長文を打つのも御免だ。ならばと、なるべく簡潔でメッセージ性の高い文面を熟考する。
「…………これだな」
思い浮かんだメッセージをタップした。
[まさしく”千葉の兄妹”だったわ]
【は?】
まぁ、そんな反応になるわな。
お前も俺に分かりづらいヒントばかりで勿体ぶってたわけだし、せいぜい悩めよ。
「お兄ちゃん、ここ教えてー」
「……おう」
少しだけ意趣返し出来て気分が軽くなった俺は再び兄マルセラピーを始めるのだった。
つづく
いかがでしたでしょうか。
たっぷりと小町を出せて満足です。小町とだとコントしやすいけど、着地が決まっているので自由にできませんでした。それでも18000文字かかったのでコントを増やすと20000文字余裕で超えてた……。
これからは地元での行動なので自然と俺ガイルキャラを出せると思います。ご期待ください。
それでは次もお楽しみに。