非きこもり、JDを拾う。そして、育てられる。   作:なごみムナカタ

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お待たせいたしました。
また三ヶ月かかってしまいましたが、なんとか無事に投稿できました。

今回、久々に沙希視点ですが、参戦キャラがだいぶ特殊です。
【やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。アンソロジー 3 結衣side】を履修していると、幾分かは馴染み易くなるかも。

これは比企谷八幡が大学二年生の物語。
八幡と沙希は同居することになり、様々な出来事が起こっていく。


JD、バーでお客様方を翻弄する。

 ジャズピアノの演奏と穏やかな灯りが品格を演出している。心地良い雰囲気にお客様もさぞ満足していることであろう。

 

 ここはエンジェルラダー。かつてと、そしていまアルバイトをしている高級バーだ。

 

 近年の景気のせいか、はたまた元々のハイソサエティゆえか、今日は客が疎らで従業員としては助かる一日だ。もっとも、経営者視点でいえば全く逆の感想を抱くだろうし、従業員目線でも長期的に見れば望ましくない。夏休みのアルバイトだからこその感性である。

 

 こういう日は、比企谷がシフトを譲って休んでいるのだが、そうした状況が逆にあたしにとって好ましくない流れを生んでいた。

 

「子供の頃は一緒に花火大会へ行ってたのに、最近は誘っても行ってくれないんだ……。今年も誘ってみようかなぁ……」

「……」

 

 カウンター席に座したお客さんが、誰に聞かせるでもなくつらつらとしゃべり続ける。カウンターのこちら側でグラスを磨くあたしは否応なく聞かされているのだが。

 

「……それでね、普段料理をしない娘がママに料理を教わってたんだよ。友達の誕生日に料理を作ってお祝いしてあげるんだって張り切ってて……」

「はぁ」

 

 今日は他のお客さんも少ないためか、ついにあたしに話しかけてきた。オーナーは奥に引っ込んでいて、あたしに聞き役をさせる腹づもりのようだ。

 シフトを譲ってくれた比企谷を逆恨みしてしまうくらい、あたしの苦手分野といっていい。

 

「……」

「……」

 

 役職としては部長くらいであろう壮年の大人に、その娘ほどのあたしがどう助言すべきなのか。オーナーを恨みつつ、これも仕事と割り切って似合いもしない相談相手の役を演じようとするも、適切な言葉が浮かばず無言になる。

 

「……友達って女の子だよね? そうだ、そうに違いない! そうだよね⁉」

「それはなんとも……」

 

 言葉を濁したのはあたしなりの気遣いで、まず十中八九男だろう。

 

「そうだよねぇ、本人に訊いてみないとわからないよねぇ……、答えてくれるかなぁ……」

「……それでしたら、先にお母さまに訊ねてみるのがいいかと」

「え、ママにかい?」

「はい。もしあたしが娘さんと同じような境遇なら、父親に言いづらいことでも母親には話すと思うので」

「そっかぁ……ママかぁ……」

 

 それが最適解だろう。ほんとに男だったら訊いても答えないだろうし、あたしなら絶対に父親に話さない。ごめんね、世の中の娘を代表して謝らせてもらうよ。心の中で。

 

「……うん、ありがとう。お嬢さんのお陰で自信が湧いてきたよ。お会計お願い」

「かしこまりました」

 

 部長風ミドルのお客さんは納得した様子で席を立った。

 

 

 

 グラスを下げてひと息ついていると、新たなお客さんが席に着く。

 

「……キツイお酒をいただけるかな」

 

 オールバックで顕わとなった額を抑え、絞り出すように注文する。難しい表情が悩みの深度を物語っていた。

 これは……来るなぁ。その予感は的中し、ぽつりぽつりと懊悩する原因をこぼし始める。

 

「……娘が知人の誕生日を祝いたいと言ってきてね」

「は、はぁ」

 

 前の部長風ミドルと似たような案件かと思ったが、次の瞬間、そんな予想をはるかに超えた悩みが打ち明けられた。

 

「それで、私が持っている数珠を貸してほしいと言われたんだ」

「は?」

 

 あまりにも想像外の単語が出てきたので素の声が出てしまった。単語というより、組み合わせの問題。誕生日に数珠? 法事の間違いじゃないの?

 色々推察しているとオールバックのお客さんは独自の予想を展開していた。

 

「その時は言われるがまま貸してしまったが、まさか数珠を使うためにその知人を亡き者にする気では……!」

 

 なにそれ、行動順序がサイコパスじゃん。

 

「それとも、誕生日プレゼントに数珠を渡するつもりなのかも……⁉」

 

 そうだとしたら壊滅的にセンスないでしょ。

 

「もしかして得度するつもりなのか……? そうなったら剃髪しなければならないんだぞ⁉ あの娘の美しい髪を剃るなんて一家の、いや日本国の損失に他ならない!」

 

 一家族の動向が国家にかかわるとか、あんたの娘はスパイか何かなの?

 

「……僧侶になるかより、もっと他に疑うべきことがあるかと」

 

 おそらく的外れであろう想像をするお客さんの思考をやんわりと引き戻す。

 

「……あ、ああ、そうだね。誕生日が命日の可能性もあるからね……」

 

 初めのエキセントリックな発想よりはだいぶ落ち着いたが、今度は無駄にドラマチックな疑念を示唆してくるオールバック氏。もっと一般的な想像できないのこの人。

 とはいえ、聞いた瞬間あたしも理解できなかったくらい奇抜な相談だ。

 

「とにかく、娘さんに数珠を返してもらう時に訊いてみてはいかかでしょう」

「……そうだね。訊いてみたら案外、話してくれるかもしれないね。ありがとうバーメイドのお嬢さん。なんだか勇気をもらった気分だよ」

 

 結局、『本人に訊け』という月並みなアドバイスで乗り切っただけなのに、勝手に納得してえらく感謝されてしまった。なんか上手く騙したみたいで決まりが悪い。

 

 オールバック氏はお代を置いて、静かに店を後にした。

 

 

 

 平穏な時間が流れ始めたのも束の間、髭を蓄えサングラスをした壮年の男性がカウンター席に座った。そのお客は近寄り難い負のオーラを纏って、けだるげに注文してくる。

 

「……強いやつをお願いできるかな」

「……かしこまりました」

 

 言いながらお客さんはマッカランを指差した。ロックグラスを傾け、冷凍庫から取り出した丸氷を滑らせる。注がれたウイスキーが表面の霜を優しく溶かし、丸氷は水晶のように透明な球体となった。その見た目はあまりに幻想的で、こんなに強い酒は飲まないあたしでも、思わず頼んでしまいそうになるほどだ。

 きっと気に入ってくれるはずだと確信していたのに、彼が口にしたのはウイスキー……ではなく、重い言葉であった。

 

「……娘がさ、来年大学受験なんだけど」

 

 ……嫌だねこれ、絶対にくる(愚痴る)やつじゃん。

 

「娘にね、帰って来るなっていわれちゃったよぉ……」

「……」

 

 ほら、きたよ。目の前に座した髭面の男が泣き言を零し始める。見るからに豪胆そうで、野放図を絵に描いたような大の男が、娘の言葉にショックを受けて愚痴る。世のお父さんはどれだけ娘に気を遣ってんの。

 まぁ、お客さんだし、少しでも気分良くお帰りいただけるよう優しく接しようじゃないの。

 

「……それはきっとお客様を何かのお祝いで持て成したいから、帰宅を遅らせてほしいだけかと」

 

 根拠はない。

 

「今日って俺、誕生日だったかなぁ……?」

 

 あたしが知るわけないでしょ。

 

「八月八日って何かあったっけ?」

 

 だから知らないって。そんなこと。

 

 冷静に分析すると『娘に避けられているお父さん』って感じなんだけど、そこまではっきり言うわけにもいかない。なんとかフォローしないと。これも仕事だ。

 

「娘さん受験生なんですよね? 勉強とか色々大変で余裕がないのかもしれませんよ」

 

 無難な意見で様子見するも、驚くような言葉が返ってきた。

 

「いやぁ、水くさいなぁ……受験に失敗したって可愛い娘に変わりないんだから、また頑張れって笑顔で励ますんだけどね。なんだったら一生浪人してくれって願っちゃうまである。それなら俺、喜んで一生養っちゃうからね」

「は、はぁ……」

 

 重度の親バカっぷりにあたしは呆れかえっていた。これは娘に煙たがられてるわ。間違いない。おそらくだが似たような年齢の女として、その娘の気持ちを内心でそう代弁する。

 ふと比企谷に通ずるものを感じてしまうが、あいつの場合は妹に慕われているだけマシか。

 

 そうして延々と娘愛を聞かせられて辟易した頃、ようやくお帰りになられるようで。

 

「……そろそろお会計お願い。あ、あと、いつものお願いしていい? 話聞いてもらっちゃったし、君にもあげるよ」

「は、はぁ、あ、ありがとう、ござい、ます」

 

 会計の際、そう言われてあたしに差し出された缶コーヒーは最近馴染みのある激甘モノ。顔の引き攣りを抑えることができなかった。

 

 

×  ×  ×

 

 

「お嬢さん聞いてくれ! 娘は俺のこと煙たがってたわけじゃなかったみたいなんだ!」

「は、はぁ」

 

 翌日カウンター席に座るなり、意気揚々と告げてきた内容がこれである。

 

「あ、飲み物頼んでなかった。甘い酒を作ってくれない?」

「……かしこまりました」

 

 二種類のリキュールと生クリームをシェイカーで少し強めにシェイクする。グリーンペパーミントリキュールのミントグリーンと生クリームの白が上手く混ざり合ったカクテルがグラスを満たした。見事な白緑(びゃくろく)色により、グラスそのものが青磁器であるかように錯覚してしまうほど美しい。本来、香りづけにナツメグを振るのだが、より甘くするためにチョコチップを振りかける。

 見た目も味もどちらかといえば女性向けで、このいかつい髭面には似合わないカクテルだが、あたしはこのお客さんが甘党だと知っている。

 お客さんは一口つけて、話を続けた。

 

「昨日は息子の、ああ、娘の兄なんだけど、それの誕生日だったらしくてね」

「……へぇ、そうだったんですか」

 

 昨日、何の日だったっけって言ってなかった? 『それ』とか『らしい』とか息子の扱い雑すぎない?

 

「それのお祝いに友達が来てくれたらしいから、俺が居たら空気悪くなると思って帰って来るなって言ったんだって」

 

 喜色あふれる表情から肯定的に受け止めてるみたいだけど、どう捉えたら煙たがられてないって結論付けれるのさ。それ充分煙たがられてるから。

 

「まさか娘の監視とガードのためにこさえた長男に邪魔をされるとは思わなかったな」

 

 ガハハ! と豪快に笑いながらどクズっぷりを露呈する髭面氏に閉口する。

 

 こさえたとか……、ちょっとその長男に同情したくなってきたよ。やっぱりカクテルのトッピングをナツメグにすれば良かった。大さじ一杯くらい。

 トッピングのチョイスに殺意を込めようと考えている間にも髭面氏の話は続いた。

 

「そういえば、昨日帰ったらその長男がカクテルを作ってくれてねぇ」

「はぁ?」

 

 虐げていた息子から急に何かしてもらうとか、カクテルに一服盛られていないと整合性のとれない話なんだけど。

 訝しんでいると、予想外のエピソードを打ち明けられた。

 

「ぽそっと『仕送りさんきゅな』って照れながら言うんだよ」

 

 ……なにそれ。あんたクズなだけじゃなく、ちゃんと父親してんじゃん。

 風邪引きそうなくらい寒暖差の激しい話で髭面氏を見直していると、三度潮目が変わる。

 

「これで盆と年末年始以外帰って来ないなら仕送りくらい安いもんだ」

 

 息子を想っての仕送りが、実は娘から遠ざける経費という下心で成り立っていたらしい。どんだけ息子のこと嫌いなのさ。さっき見直したあたしの感動を返せ。

 

 うちでは父親が大志に冷遇したりはないため、男親が息子に向けるこのような感情が想像できない。

 しかし、長子という立場でならこの息子の気持ちが少しは理解できる。あたしも今まで、放任という聞こえの良い親の無関心で育ってきた。うちの親が京華に目をかけてやるのと、このお客さんが受験生の娘を偏愛するのとでは意味合いこそ違うものの、上の子にとっては疎外感に変わりはない。

 そんな父親と確執を持つ息子が、自ら歩み寄ろうとした言葉を裏で茶化す。その行為にあたしは我慢できなかった。

 

「……あの、差し出がましいようですが、もう少し息子さんのことを考えてあげてもいいかと」

「ふえ?」

 

 その間の抜けた返事で我に返ったあたしは、言わなくていいことをしゃべってしまったと自覚する。長年に渡って信頼関係を築き上げたバーテンダーならまだしも、単なるアルバイトが口にしていい言葉ではない。なんとなく腹が立ったにしては軽率すぎる行動だった。

 弁解を考えていると、髭面氏越しに声をかけられる。

 

「いやいや、そうではないよお嬢さん。露悪的だからこそ援助出来る。男親とはそういうものさ」

 

 訳知り顔で論説を口にしたのはオールバックのお客さんであった。二人は、ここで何度か飲みながら話していたこともある知人と呼んでいい間柄だ。娘から数珠は返してもらえたのだろうか?

 

「……それは買いかぶりってもんでしょ。これは娘との円満な関係を築くための投資ですよ」

 

 そう言ってピーナッツを注文する髭面氏の顔は、薄暗い店内でも赤くなっているのがわかった。それを見て、今までの発言が仕送りするための大義名分に過ぎないのだと理解する。

 そういえば身近に似たような奴がいたっけ。男って生き物はいくつになっても意地っ張りなんだということか。髭面氏の言うことを真に受けて、異議を唱えた己を恥じる。

 

「……その、出過ぎたことを言ってすみません」

「あ、ああ……、いや、気にしてないよ」

「……」

「……」

 

 あたしは髭面氏に丁寧な謝罪をした後、オールバック氏の注文を受ける。オールバック氏は髭面氏と一つ席を空けて隣に座り、酒を待ちながら話しかけていた。

 酒を用意している間、何やら髭面氏の視線を感じて居心地が悪かった。

 

「……どうぞ、ゴッドファーザーです」

 

 オールバック氏の前に置き、グラス磨きを再開したものの、未だに視線が纏わりついて落ち着かない。

 

「……」

 

 やっぱ見てる……よね? さすがに気になるし、釘を刺しておいた方がいいか。

 意を決してそう言おうとした矢先、意識の埒外から機先を制された。

 

「強めのお酒を見繕ってくれない?」

 

 声の主は、同じく昨日娘のことについて相談してきた馴染み客。親バカ三銃士の一角、部長風ミドルだ。アバウトな注文なのをいいことに、あたしも手を抜いて手元にあった髭面氏と同じマッカランを注ぐ。

 

「……どうぞ」

「ありがと。……くぅ、キツいなぁ」

 

 口をつけた第一声が己の判断を悔いるもので、本人は大真面目なんだろうが内心笑ってしまった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 現在、カウンター席には向かって左から部長風、オールバック、髭面と並んで酒を飲んでいる。それぞれ間に一つ席を空けていることから、傍からは彼らが好誼の関係だと気づけないだろう。

 その上、中年男三人が顰め面で酒を嗜んでいる姿は異様の一言に尽きる。これで話す内容が各々娘に関することなのだから、他人からはなおさら不気味に映ること請け合いである。 

 

「……やっぱり男の子の誕生日だったよ」

 

 受験に失敗した高校生のように項垂れる部長風ミドルは、そう言って酒を呷る。さらに溢れ出る不満を吐露し続けた。

 

「しかもだよ? その料理が上手く出来たって喜んでるんだよ! それでうっかり胃袋掴んじゃったらと思うと気が気じゃないよ!」

 

 祝いの成功を素直に喜べぬ直截な感想。男親ならではの感性だが、よく考えてほしい。ここでの失敗がどのような結末を招くのか。滔々と語り聞かせてさしあげるとしよう。

 

「お気持ちはわかりますが、胃袋を掴めない方が問題では?」

「そ、それはどういう意味だい?」

 

 部長風ミドルは狼狽えて、あたしの話を真剣に聞く態勢をとっていた。

 

「仮に、今後意中の男性へ料理を作って、その結果が芳しくなかったとしたら、交際のチャンスを逃すかもしれません」

「そうなったら僕が嬉しいけど?」

 

 部長風ミドルばかりか、隣に座るオールバック氏も深く頷く。髭面氏が特殊かと思っていたが、男親の思考回路とはどうやら同じらしい。あたしは思ったことが口から零れそうになるのを抑えて、話を続けた。

 

「……交際できないということは、強いて言えば結婚できないことと同義かと」

「最高すぎるんだが?」

 

 その言葉に他二人が何度も頷く。ダメだこいつら。早くなんとかしないと。

 

「いまどきは平つ……生涯独身も珍しくないですが……」

 

 思わず具体例が口を衝きそうになったが、そこはなんとか自重した。

 

「……果たして娘さんがそうなることを望んでいるのでしょうか?」

「うっ!」「ぐっ!」「ぐぬぬ……」

 

 三人揃って顔色が変わる。どうやら自分でもそれに気づいているが、気持ちも抑えきれない板挟みのような状態なのだろう。どうか現実を直視してほしい。

 

「きっと早く結婚したいと考えているはずです。平つ……いえ、なんでもありません」

 

 まずいまずい。油断するとあたしの中の平塚先生が反面教師として顔を覗かせる。最近会ったばかりだし、話題が話題だけに、つい脳裏に浮かんでしまう。

 頭からそれを振り払い、気を取り直して話を続けた。

 

「……ですので、むしろ応援してあげた方が娘さんに好かれるのではないかと」

「……‼ その発想はなかった」

「天才では?」

「……娘に欲しい」

 

 三者三様の賞賛の中におかしなものも混ざっているが聞かなかったことにする。

 

「ってか、それもしかして君の経験談なのかい?」

「え、ああ……うちの親は、あたしが一人暮らしするのを快く許してくれたりと理解があるので、父のことは好きですよ」

 

 よりご納得いただけるよう実体験の話をすると、三人は揃って感心していた。

 

「最高かよ」

「私にそんな寛容さが持てるだろうか……」

「娘になってほしい」

 

 またしても不穏な感想が漏れ聞こえたが、努めて聞かなかったことにする。

 尊敬すら含んだ眼差しを向けられ面映い気持ちでいると、髭面氏から爆弾発言が飛び出した。

 

「……お嬢さんは彼氏とかいるのかい?」

「……は?」

 

 え、もしかして、あたし今セクハラされてる? おじアタックという言葉が思い浮かび、それと同時に悪寒が走る。

 

「あの……そういうのはちょっと……」

 

 本気で引いているあたしを見かねて、他の二人が助け舟を出してくれた。

 

「僕も不倫は良くないと思うんですよね……」

「勇者過ぎでは? 私がそんなことしたら文字通り命懸けですよ」

 

 妻帯者二人の実感がこもった苦言で、自分の言葉の意味を理解したのか、髭面氏は慌てて訂正する。

 

「ちがうちがう! もし彼氏がいなかったら息子を紹介しようと思っただけで……!」

「いや、それ大して違くないのでは?」

「さっき言ってた『娘になってほしい』って本気だったのか……」

 

 確かにそれだとおじアタックでも不倫でもないが、解釈がうまいこと科白と一致してしまったせいで、何ひとつ誤解が解けていない。

 

「こ、これは息子を持つ親が誰しも考える心配であって、決して下心からくる誘い文句では断じてないと律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)に誓う!」

「あれだけ息子を冷遇しといて、それはさすがに筋が通らんでしょ」

「露悪的なのは愛情の裏返しだと説明しましたけど、その言い方だと逆に下心しか感じないのですが」

 

 ジャッジメントチェーンとかあたしには何を言ってるのかよく解らないが、今度は息子の心配とか白々しいにもほどがある。二人も同様に感じたのか、冷たい視線を送りながら投げかけた言葉には疑念しかない。

 

「ま、まぁ、とにかく彼氏がいないなら一度会ってみるのもいいかと思うんだよね。これも縁だし、なんだったらそのまま付き合っちゃっても……」

「やっぱりワンチャン義娘狙ってるじゃん……」

「そういうことに息子を使うのはどうかと思いますよ?」

 

 懸命に食い下がる髭面氏に対し、二人が反論する。あたしもいい加減キッパリ断らないと。そう思って自然と口を衝いた言葉がこれであった。

 

「すみませんが、好きな人がいるので……」

 

 ハッとなって口を押さえるが、自身の声が耳に届いて理解をすると、その内容に戸惑いを隠せない。振り返れば今まであいつに対して起こした行動は、この感情に基づいていたのだと強く認識する。

 

「振られてしまいましたね」

「息子がね!」

「いや往生際悪いなこの人」

 

 あくまでも息子に紹介する体を貫く髭面氏。オールバック氏は事実を述べて、部長風ミドルは呆れていた。そのことがあってしばらくは大人しくなったのだが、お酒が入ると効果も薄れていく。

 

「昨日息子が誕生日だったんだけど俺から何も渡せなくてね。プレゼントだと思って一回息子に会ってやってくれない?」

「いえ無理ですから」

 

 三杯目のグラスが空になる頃には、正しく絡み酒の様相を呈していた。特に髭面氏は息子を紹介したくて仕方がないようで、事あるごとにアプローチを重ねてくる。

 

「それってプレゼンターがバーメイドのお嬢さんなのでは……」

 

 部長風ミドルの指摘に、あたしとオールバック氏は深く頷く。あんたらしか得しない提案を誰が受けるというのか。こっちには損しかない。

 

「……そんなに会わせたいなら息子さんをこのバーに連れてきてあげたらどうです? お客として来るくらいならお嬢さんの負担にもならないし、プレゼントとしての体裁も保てる」

 

 このオールバック氏の提案に心の中で舌打ちした。適当なことを言わないでほしい。本当に来られたら営業的に拒むことができないし、何より紹介されること自体負担なんだって。

 憮然とした表情でグラスを磨いているあたしを見て、拒絶の意を汲み取ったのか、オールバック氏の意見に誰も追従しようとはしなかった。

 

「あー、えーっと……、ちょっとトイレに」

 

 髭面氏はそう言い残して席を立ち、視界から消えてく。残された二人は顔を見合わせた後、再びお酒に口をつけた。

 

「……嵐のように騒がしい人だねぇ」

「お嬢さんもお客さん相手とはいえ、無理なものは無理と断ってもいいんですよ」

「は、はぁ、そうしているつもり、なんですけど……」

 

 なんだかんだ言っても相手はお客。ある程度は穏便に対処しなければいけないとなると、いつもみたいに思い切った塩対応はできない。それを汲み取ってくれたのか、こう続ける。

 

「僕たちも援護するからしっかり拒否しよう」

「ええ。息子のいない我々にとっては娘を持つ親の立場で、お嬢さんの味方になるのは当然ですよ」

「! ……ありがとう、ございます」

 

 二人に励まされ、どうやって髭面氏の誘いを断るかの作戦会議が始まった。たださっきの発言から、あたしに寄り添った意見を二人が出せるのか不安しかない。

 

 

「やっぱりね、好きな人がいるってだけじゃあ、ちょっと弱いと思うんだ」

「は、はぁ……」

 

 部長風ミドルはロックグラスの酒を呷り、呂律の怪しい口調でそう指摘する。オールバック氏も同調し、さらに議論を積み上げていった。

 

「しかしだ。お嬢さんが彼氏の存在を認めなかった以上、それを理由に断ることは今さら不可能。ならば、その好きな人とは限りなく恋人関係に近い段階だと訴えるのはどうだろう?」

「お、それはいいですね」

「え、え?」

 

 あたしが口を挟む間もなく勝手に話が進められ、事態は不穏な方向へと展開していく。

 

「嘘をつく場合、少しの真実を混ぜると信憑性が増すと言われているので、実際にあった男の子との出来事を思い浮かべ、それを誇張したらどうでしょう?」

「なるほど。ああ、そうだ。好きな人が本当にいるなら、その人とこうなりたいという願望を事実として話すのもいいのでは?」

「!」

 

 やはりというか、不安は的中する。二人の助言はあたしにとってあまり良い提案とは言い難かった。元々髭面氏の誘いを断るために嘘をつくのは想定内だったが、こんなことを言われて吐いた嘘は妄想を告白するのと同義である。なにそれ、ただの罰ゲームじゃん。

 

 二人の提案に困惑していると髭面氏が席に戻ってきた。離席で話も切れたし、このまま諦めてくれていればいいんだけど、その辺は接客しながら探っていくしかない。

 

「おっと、酒が切れてた。新しいのをお願い。それと、何か軽食も」

「……かしこまりました」

 

 グラスを(あらた)めると、髭面氏は一口つけてから話を続けた。

 

「そういえば一人暮らしを許されたと言ってたけど、今も一人暮らしなの?」

「……」

 

 ああ、さっき余計なこと言っちゃったな。女の一人暮らしなんて舐められるに決まってるし、独り身が強調されたことでさっきの話が再燃されるかもしれない。

 危惧したあたしは、反射的に先ほど助言された通りの嘘(?)で答えてしまう。

 

「……いえ、今は男性と同棲していますが」

「⁉」「‼」「⁈」

 

 勢いで返答したが、この発言によってどう思われるのかを瞬時に理解し、血の気が引いた。そりゃ、三人が驚くのは無理もない。実際、嘘でないことが一層あたしの心をかき乱している。

 

「え、さっき彼氏いるって言ってたっけ?」

「……いないと同棲しちゃいけませんか?」

「いや、いけなくないけど……彼氏じゃないのに同棲? マジかぁ……」

 

 よくよく考えればおかしな話で、髭面氏が納得できない表情でドン引いているのがその証拠だ。これ、他人から聞かされたら順序どうなってんの? ってあたしも思うし。そう感じたら、自然と顔が紅潮していくのがわかった。

 あたしの変化を受けて、部長風ミドルが恐る恐る口を開く。

 

「え、告白、してないんだよね? 同棲する時、どう切り出したの? あ、お嬢さんから提案したとは限らないか……でも、男の方が迫ってきたとしても受けちゃうってどうなの……?」

「もしかして、脅されているのでは……」

 

 オールバック氏が冗談めいたことを言うが、実は存外鋭い指摘なのかもしれない。その当たらずとも遠からずな言葉に思わず苦笑し、ぽしょっと呟いてしまう。

 

「……ある意味そうかも」

「え……」

 

 そんな冗談一〇〇パーセントの肯定に対して、三人が温度差のある反応をみせる。オールバック氏が心配そうに訊ねてきた。

 

「……言いづらいかもしれないけど、おじさんたちに話してみないかい? 力になれるかもしれないよ」

「え?」

 

 思いの外深刻に受け止められているようで、どぎまぎしてしまう。

 

「そもそも、どうして同棲することになったのです?」

「それは……ちょっとお金借りてて……」

 

 ……しまった。この言い方だと本当に脅されてるみたいじゃん。見方によっては、借金によって同棲を強要されたと言えなくもない。

 しかし、その拘束力は借金で生み出されたわけではなく、恩義から望んで従ったものだ。同時に住む場所も提供してもらっているので、あたしの方が得してるまである。

 そして、その懸念は現実のものとなった。

 

「……そんな男はすぐに家から叩き出しなさい!」

「ひっ⁉」

 

 オールバック氏の迫力に圧され、思わず悲鳴のような声が漏れた。それに部長風ミドルが追随する。

 

「そうだよ、お金を貸したからって家に転がり込むなんてろくな男じゃない。ここは毅然と追い出すべきだよ」

「は、はぁ」

 

 いやいや、それだと住むとこ乗っ取ることになるんだけど。こっちが転がり込んでるとは普通思わないよね。

 

「ふむ、これは渡りに船というやつじゃないかな。実はさっき席を立った時、息子に電話してたんだよ。紹介したい人がいるからここに来い、って」

「はぁっ⁈」

 

 これ幸いと髭面氏がカミングアウトする。いやいや、そんなの頼んでないし。むしろ迷惑だし。

 

「突然呼び出してよく来てくれますね。失礼ながら、すぐに来てくれるほど息子さんと良好な関係を築いているとは思えなかったですよ?」

「ガハハ、仕送りの話をちらつかせたからよゆーよゆー」

 

 部長風ミドルが怪訝な面持ちでほんとに失礼なことを言ってのけたが、それが霞むレベルの返答に目眩がした。

 

「それはもはや仕送りを盾にした脅迫なのでは……コンプラ通り越して犯罪まである」

「……さっきお嬢さんには援助前提の露悪ムーブと説明したが、今のを聞く限り言葉通り仕送りで息子を言いなりにしてるような気がしてきた」

 

 まるで悪びれる様子のない髭面氏に、あたしも二人も呆れるしかない。あんたの方が立派に脅迫してんじゃん。

 

「ちょっ、困りますから……」

 

 それ以上に問題なのが、紹介してほしくないのに息子さんに会わせられることだ。

 

「うん、困るよねぇ。じゃあ、彼の息子さんを紹介されてちょうどいいんじゃないかな?」

「息子さんに対する扱いはアレだが、同じ娘を持つ父親としてお嬢さんには親身になってくれていると思いますよ」

 

 部長風ミドルとオールバック氏が紹介を後押しした。やめてよね。別に同棲が不満ってわけじゃなく、紹介されるのが嫌なだけだから。酔っ払いは話が通じなくて困る。

 そもそも、ここまでしつこく勧められるのは同棲を誤解されてるせいだし、真実を伝えれば諦めるかもしれない。

 でも、家賃滞納してたせいでお金借りたとか、あたしから同棲したいって申し出たとか言うわけ? だめだめ。そんなこと言えるわけない。

 思い描いた真実が存外に酷すぎて、顔が熱くなっていくのがわかる。それを打ち消すため、一心不乱に手を動かしていたらオムレツが完成していた。

 髭面氏の軽食(注文)にあたしがチョイスしたオムレツは、実家で京華によく作っていた得意料理だ。髭面氏の前に差し出すと、無意識にケチャップでトッピングしてしまう。オムレツには『四〇万』という文字が描かれていた。

 

「……⁈」

「あっ、えっと、これはその……!」

 

 三人が唖然としているのを見て、違うバイトのサービスを提供をしてしまったことに気づく。

 

「……オムレツ一品四〇万円? え、なにこれ、ぼったくり?」

 

 真実どころか新たな誤解を生み出してしまい、弁明を要する事態となった。いや、一部真実なんだけど。

 

「ち、違います! これは借りた金額の話で、決して提供価格ではないので安心してください!」

「え……そんなに借りるって何に使ったの? ……もしかしてホスト遊び?」

 

 あたしってどう見えてるわけ?

 

「いやぁ、このお嬢さんの美貌からすると、エステかもしれませんよ?」

 

 一見褒められているようだが、あたしの感性では浪費家みたいに言われている気がして全く嬉しくない。

 

 話が逸れたが、このままだと同棲を強要されていると思われ、通報されかねない。己の恥部を晒すようで口が重くなりかけたが、比企谷の潔白を証明するためにも誤解を解かねばならなかった。

 どうせ、この人たちには夏休みが終われば会うこともないのだから、気にする必要はない。身近な人より他人の方が話しやすい典型ではないだろうか。

 そうやって自分を納得させ、決意して言葉を絞り出す。

 

「……実はあたし、家賃滞納で追い出されそうになっていて……」

「え、それで借金したから、弱みとして家に転がり込まれたと?」

「いえ、家賃は払えたけど結局退去させられて、転がり込んだのはあたしの方で……」

「あ……それは思ってたのとだいぶ違うね」

 

 部長風ミドルがズレを認めるもオールバック氏は未だ警戒心を抱き、あたしとの関係性を問うてくる。

 

「しかし、それでも男の一人暮らしにお嬢さんを招き入れるなんて、いささか常識というものが欠けていると思うのですが」

 

 確かに、あたしたちの背景を知らない者にはそう感じるだろう。誤解を解くため、丁寧に言葉を尽くす。

 

「その……、彼は高校の時のクラスメイトで、よく知っているというか、お互いの弟妹ぐるみで付き合いがあって。……それだけじゃなく、当時あたしの身に起きたトラブルを解決してくれたことがあるんです」

 

 無論、細かな事情までは口にせず、ぼかして説明した。弟妹がいること。裕福ではないこと。当時から大学に進学したかったこと。無理なバイトで心身をすり減らしたこと。スカラシップを勧められ、解決したこと。

 

 三人ともが頷きながら、一頻り話を聞き終える。オールバック氏がゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「なるほど、同棲はお嬢さんの意志だったのか……」

 

 そうなんだけど、改めて言葉にされると身悶えそうになる。気づくと、オールバック氏の握りしめたグラスがカタカタと震えていた。

 

「しかし、自分の娘が男と同棲してるなんてわかったら、その男に数珠を正しく使う自信しかない……!」

 

 供養するってこと? それってつまり……怖い怖い怖い。

 

「僕も聞かされたら精神に変調をきたしそうだ。よくお父様が許してくれたよね」

「そ、そうですね、うちの父は寛容ですから……」

 

 理解ある父親で通したものの、当然報告などしていないし、言えるわけがない。

 

「いやぁ、違うなぁ。父親に必要なのは寛容さではなく、同棲を全力で反対する頑固さだ!」

 

 髭面氏が熱弁を振るうが、どう考えても私欲塗れの昭和オヤジムーブだ。やっぱり、絶対娘に煙たがられてる。間違いない。

 

「金を貸した上、家にまで住まわせる男など何を要求されるかわかったもんじゃない。悪いことは言わないから、うちの息子で手を打ってはどうだい? そうすれば、息子はお嬢さんとお付き合いできるし、うちの家系は存続して、なにより俺にもう一人(義娘)が出来てみんなハッピー!」

 

 物凄い笑顔で持論を語るこの人、大丈夫なの? あたしの所感は他の二人も同じなようで、ドン引きした表情で呆れ返っていた。

 

「……既に精神に変調をきたしているみたいですね」

「少しは煩悩を抑えた方がいいのでは……私の数珠、使いますか?」

 

 二人は髭面氏の正気を疑いつつ、憐れんで見せた。

 

「ああ、数珠ですか。お嬢さんの同棲相手に使うのもいいですなぁ」

 

 その憐憫がまるで堪えていないのか、いつの間にか比企谷を供養しようと画策していた。さっき比企谷の為人(ひととなり)を聞かせて、それでもなお悪しざまにする物言いに、お客といえど腹が立ってきた。

 

「あの……要求っていっても、利子はお金の代わりに体で払ってくれた方が助かるって言われただけで、これのどこが脅してることになるんですか」

 

 ピシッ

 

 ひびの入る音が聞こえたような気がした。カタカタとテーブルを叩くような音は実際に聞こえている。こちらは三人がグラスを持つ手が小刻みに震えることで鳴っていた。

 

「か、かかか、身体ぁっ⁉」

「……けしからん」

「許せない……」

 

 皆、想像以上に衝撃を受けていたのがピンとこない。家事を一手に引き受け、最近では料理の指南も行う家事代行兼調理の先生として、充分利子に見合うだけの労働で支払っている。何もおかしいことは言ってないはずだが、大人たちは事件を聞いたような反応を示す。三人を代表して髭面氏が詰問してきた。

 

「お嬢さん、そんな生活ツラくないかい? ご両親が聞いたら泣くよ? 俺が父親なら今からでも猟銃免許取得して男を駆除しに行くレベル」

「え? いえ。別にあたしは(家事が)嫌いじゃないですし……」

「嫌いじゃない⁈ 身体で支払うのが⁉」

「へ? は、はぁ」

 

 実家でも弟妹たちの面倒を見ていたし、家事は好きな方だと思う。それにしても、働いて支払うのってそんなに驚くことなわけ?

 

「で、でも、嫌々してるんでしょ? 嫌いじゃないって言っても、借金の支払いのためだなんて……」

「え、別に嫌々してるわけじゃないし。それに、基本的にはあたしがしてますけど、あいつも――」

「え!? お嬢さんからするの!?」

「は? はぁ、そりゃしますよ。利子の代わりですから。でも、あいつも気を利かせてあたしのして欲しいことしてくれたりするので、……その、結構悪くないって思ってます」

「し、して欲しいこと……!」

「悪くない、だと……?」

「懐柔されてる……」

 

 あたしより早く帰ってきてたら洗濯物を畳んでおいてくれるし、逆に遅く帰る時は連絡くれて買い足りない物がないかお伺いを立ててくる。つい最近では、あたしをお小遣いで美容室へと送り出している間に、昼食を用意する始末だ。そういった気遣いが心地良いと感じるのは、ごく自然なことではないだろうか。

 それにしても、三人とも顔赤いんだけど飲みすぎなんじゃないの?

 

「どんなことさせてるんだ……」

「デリカシーがないですよ、コンプラ違反どころか通報されるまである」

「そういうこと訊いてると娘さんに嫌われますよ」

 

 髭面氏が驚いて比企谷の気遣いに興味を持つも、二人に容赦なくやり込められていた。っていうか、それって通報されるほど失礼な質問なの?

 

「別に話してもいいですけど」

 

 むしろ話したい。比企谷が都合よくあたしを使ってるんじゃないと知らしめてやる意味で。そんな思惑で話そうとしたら、髭面氏が制止してきた。

 

「いや、やっぱりいいから! 同じ娘を持つ親として聞いてると辛くなりそうだから!」

 

 娘を持つ親としてって……、この人の娘さん家事とか全くしない感じなのかな。だとしたら、男の比企谷が家事に勤しむ話を聞かされたら辛くもなりそうだけど。

 

「確かに、娘が喜んで男に奉仕してるなんて聞かされては、憎悪だけで男を殺せる自信がある」

「奉仕って……うわぁ、想像するだけで辛い……」

 

 奉仕とか高校の部活名で聞いて以来だよ。なんでそんな大仰な言い方するわけ? 家事してるだけなのに。

 

「奉仕なんて大げさな。実家で弟妹たちにしてたのと同じことしてるだけです」

「‼ 弟妹たちに! 同じこと! してるぅって⁉」

 

 力強く驚愕する髭面氏に理解ができなかった。親が忙しいから長子のあたしが面倒を見るって、割りと普通のことじゃないの?

 

「……弟はまだしも、妹にもしてるのは闇が深い。いや、弟にしてるのもアウトなんだけども……」

 

 ぽかんとしていると、部長風ミドルも理解できないと言わんばかりに呟き始める。いや、なんで弟にはよくて妹にはダメなわけ。むしろ、うちは妹の方が幼いから世話が焼けるのは当たり前でしょ。

 

「……うちの姉妹は大丈夫か心配になってきた」

「うちは兄妹だからもっとまずい予感しかない」

 

 オールバック氏と髭面氏が不安を口にしているが、うちの京華と違ってこの人たちの娘ならあたしと同年代だろう。ならば家事が碌に出来ないのは確かにやばい。

 

「うちの妹はこの前小学生になったばかりだからいいですけど、娘さんは年齢的に心配なのもわかります」

 

 ごく自然に洩れた意見だった。だが、なぜかあたし以外の時間が止まり、数時間にも感じた数秒の後、堰を切ったように言葉が奔流となって押し寄せる。

 

「しょ、しょっ、小学生⁈ 年齢的に心配なのはそっちでしょ!」

「いや、何歳だろうとやばいから!」

「それはまずい、非常にまずい。そんなの聞いたら通報しなきゃいけなくなっちゃう!」

 

 通報って、もしかしてネグレクトで? 親が忙しい分、あたしが面倒見てたんだけど。でも、今は進学して一人暮らししちゃってるから、通報されたら冗談じゃ済まないかも。

 

「そこまでではないと思いますけど、通報は大目にみていただけませんか?」

「そこまでではあるよ! 年齢的にも倫理的にも大丈夫じゃないからね⁉」

 

 え、そんなに? 確かに、大学生になってからは京華の相手ができなかったし、今からでも面倒見ればこの人も納得してくれるかな。

 

「そんなにですか? ……はぁ、わかりました。帰省中はもっと妹の相手をしますから、それでいいでしょ?」

「いいわけないでしょ! なんでさらにダメな方向へと舵を切るわけ⁉」

「だめなんですか⁉」

「ダメに決まってるじゃん!」

「えぇ……」

 

 育児放棄で通報されないよう妹のお世話がんばろうとしたらダメ出しされた。ちょっと待ってよ、なにすれば正解なの?

 その疑問を見透かしたように髭面氏が話し出した。

 

「君がすべきことは、弟妹になにもしないことだ」

 

 ……なにカッコイイ風にネグレクト推奨してんの。するのにしないとか禅問答? 訳わかんないんだけど。

 でも、オールバック氏は真剣な表情で、部長風ミドルは心配そうな面持ちを作っている。両者とも表情こそ違うものの、髭面氏の意見に同調していた。

 何か深い考えがあるのだろうか。頭から否定せず、意味を汲み取ろうと努めてみる。

 

 なにもするなということは、その方が弟妹のためだと捉えられているのだろう。弟妹をお世話して何が悪いっての。あたしが作った料理を食べる弟妹たち。その姿を思い浮かべ、自然と口角が上がる。

 

 はっ⁉ やばい、にやにやしてて気持ち悪かったかも……。気づけば三人が怪訝な表情であたしを睨め付けていた。その視線で、ふとあることに気づく。

 もしかしてあたしって、……過保護?

 

 目の前の髭面氏と同類かもしれない疑念。娘の溺愛と弟妹の溺愛に然したる差がないことを認識し始める。

 大志が(縁起でもないけど仮に)受験に失敗したって可愛い弟に変わりないし、京華だったら喜んで一生養おうと思う。そんなあたしの感性が、前日髭面氏が呟いたものと一致し過ぎてて笑えない。

 

 恐らく、あたしの言動と溺愛ぶりから優しい虐待に発展していくと懸念して、何もするなと助言したのだろう。だとしても、この三人(特に髭面氏)には言われたくないので、素直にわかったと言い辛いのが正直なところだ。

 

 だが、確かに歪んだ愛情を向け続ければ、大志は身の回りのことが出来ないままかもしれない。京華は姉離れできないままかもしれない。姉離れした時のことを考えると胸が締め付けられるが、黙って従うしかないだろう。業腹だが。

 

「わかり、ました……。今後は過剰に世話を焼かないよう気をつけます……」

「いや、そこはきっぱりとやめるって言わなきゃ……って、お世話?」

 

 僅かなお世話すら許さない髭面氏が、途中から驚きの混じった疑問を返してきた。

 

「完全にやめるのはさすがに無理です。妹はまだ小学生ですから」

 

 小学校低学年に、身の回りのことを全てやらせるのは無理がある。至極当然の返しをすると、三人が数秒の間を経て妙な反応を見せる。

 

「あ、小学生って……そういう……」

「え、……奉仕って、もしかして健全なやつ?」

「……どうやら、僕たちの心が穢れてたみたいだ」

 

 三人は、自分たちだけで納得しているようだ。どうやらネグレクトで通報されることはなさそうなので、胸をなでおろした。

 

「あの……穢れてたっていうのは、どういう意味なのかお聞きしても?」

「えっ? あっ、いや、その……!」

「……」

 

 純粋に疑問を抱いたので伺ったが、部長風ミドルは酷く動揺し、へどもどするばかりだった。ちらりとオールバック氏を見ると、空調の効く店内では有り得ないほどに発汗していた。額にハンカチを当てながら言葉に窮するくらいには。

 

「そ、そういえば愚息の奴はまだ来ないのか。ちょっと迎えに行ってくるよ!」

 

 慌ただしく席を立った髭面氏は、荷物を持って店外へと消えていった。気づけば、彼が飲み終えたカクテルグラスの足に一万円札が挟まっていた。

 

「逃げたねぇ」

「逃げましたね」

 

 あたしは一万円札を手にしながら、二人の呟きを聞いて途方に暮れる。

 

「ああ、それね。お釣りもらっちゃえば?」

「そうですね。彼もそのつもりで置いていったわけだし」

「……そう、ですね。そうさせてもらいます」

 

 お釣りをどうしようか困っていると、二人が察して答えてくれた。

 正直、チップとしては貰い過ぎな気もするが、変な嫌疑をかけられた慰謝料と思って快く受け取っておく。

 そして、嫌疑といえば先ほど有耶無耶になった疑問が再び頭を擡げる。

 

「そういえば、さっき穢れてたって言ってたのはどういう意味ですか?」

「!」「!」

 

 二人とも示し合わせたように同じ表情のまま固まる。赤面するタイミングまで一緒だ。

 

「い、いやー、えー、それはだねぇ……」

 

 部長風ミドルの絵に描いたような狼狽具合に、こちらまで落ち着きを失いそうになる。

 

「……」

 

 隣を見やると、気配を消して傍観を決め込むオールバック氏。小狡いなこの人。

 ってか、そんなにやばいこと訊いちゃったかな。なんか申し訳なくなってきちゃったんだけど……。

 

 好奇心よりも同情心の方が勝りかけた時、見覚えのある顔が近づいて来るのに気づいた。

 

「あ」

「…………よ、よう」

 

 歯切れの悪い挨拶を送ってきたのは、最近家族よりよく見る同居人(比企谷)であった。さっきまで話していた件の人物が現れたことにより、あたしの胸が急激に高鳴る。

 

「……休みなのにそんな恰好してまで来るとか暇なの?」

「暇ではあるが……、恰好はしょうがないだろ。ちゃんとしないと入店()れてもらえないんだから」

「で、なんか用?」

「用というか、呼ばれたというか、なくなったというか……。まぁ、ついでで寄っただけだからお構いなく」

「なにそれ、お客として来たのに構わないわけにいかないでしょ」

「いやいや、量販店とかアパレルショップで店員が話しかけてくるだろ? 静かに商品を見させてくれよって。そういう意味でお構いなくしてほしいだけだ」

「販売業と飲食業を一緒にすんじゃないの。店員が構わなかったらどうやって飲み食いするのさ。ここにドリンクバーはないんだよ」

「飲み食いしなくても、ハイソで静かな店の雰囲気を楽しんでるから問題ない」

「問題大ありでしょ。そーゆーのを『冷やかし』っていうんだよ。――注文しな」

 

 浮かれていたからか仕事中なのを忘れて、つい軽口を叩いてしまう。それを見た二人は、あたしたちの関係性を測りかねていた。失礼な接客態度と映ってしまっただろうか。あたしは慌てて弁明する。

 

「あ、この人ここの従業員で、今日は非番なんです」

「どうも。お客様方は、どうぞごゆっくり」

「これはこれは、ご丁寧に」

「楽しませていただいておりますよ」

 

 紹介されて軽く会釈をしながら接客する比企谷と愛想よく返す二人。

 

「……あー、もしかして俺ってお邪魔になってますか?」

 

 申し訳なさげにお伺いを立てていたが、それは杞憂に過ぎなかった。

 

「いえいえ、ちょうど私も娘たちの顔でも見ようと思っていたところですので、お二人は是非そのまま親交を深めてください。では、この辺で」

「僕も家で妻と娘が待っているので、お会計お願い」

 

 二人はそう言い残し、お会計を済ませて席を立つ。足早に店を出ていく姿を眺めながら、あたしはぽつり独り言を呟いた。

 

「……逃げたね」

「逃げた?」

「ん、なんでもない。こっちの話」

 

 穢れていたという言葉の意味を聞けなかったのは心残りだが、苦手な接客の負担が減る喜びが勝った。

 

「……やっぱ、俺のせいか?」

「なにが?」

「お客さん二人が帰ったのが、だよ」

「え? ああ、元々あの二人はどうやって逃げようかと隙を窺ってた感じだし、むしろあんたが来たのをこれ幸いと利用して帰ったから、気にしなくていいよ」

「なるほど。だから『逃げたね』なのか」

「そ」

 

 お客さんが帰ったことに対して責任を感じていたようだが、事情を説明すると納得したようだ。

 

「で、逃げた原因ってなんだったんだ?」

「穢れてたからどうこうとか。あたしもよくわかんないから訊いたんだけど、逃げられちゃったしね」

「ふーん。わからん」

「あたしも」

 

 顔を見合わせるとくすっと笑いが込み上げる。比企谷とは帰省してからバイトでしか会ってないので、気安く話す機会がなかなか得られないでいた。だから、こうしてテンポよく気楽にやりとりが出来たことが嬉しくて、気分の良さが笑みとなって表れたのだろう。

 

「で、なんか作る?」

 

 その気分のまま、料理や酒を勧めてみた。

 

「んじゃ……オムライスって出来るなら頼む」

「……りょーかい」

 

 いつか口にした願望がここで叶い、さらに上機嫌になったあたしは軽快なフライパン捌きでオムライスを完成させる。今度はケチャップで四〇万と描くことはなかったが、逆に何を描けばいいのか悩んでしまう。

 そういえば、部長風ミドルが娘を誘って行こうとした花火大会ってそろそろじゃなかったっけ。そうだ、花火大会……これ描こうかな。かといって『花火大会』と描くのもセンスがなさすぎる。

 頭を悩ませた結果、『花火』そのものを絵として描くことにした。そして、それが大失敗であったと後に気づくこととなる。

 

「…………うわぁ」

 

 あまり美術の成績が良くないことを思い出す。花火が綺麗な放射状にならず、端的にいって汚い。食べ物に使う表現ではないが、とにかく汚く醜い。

 洗って描き直すわけにもいかないし、絵を隠すために上から塗りつぶすにはケチャップ過多になる。詰んだ。

 

「……おーい、まだか? もう出来たんだろ。ケチャップでなんか描こうとしなくていいから、早いとこ食べさせてくれ」

 

 調理姿が席から丸見えなので、ケチャップアートをしてるところまでばれていた。仕方なく、この不協和音のようになった歪花火ケチャップを比企谷に差し出す。

 

「……」

「!?」

 

 出した方は無言。出された方は硬直。何が描かれているか懸命に推理しているのだろう。何度か瞬きを繰り返し、目頭を指で押さえる比企谷。振り絞った第一声がこれだった。

 

「え、なんなのこれ、嫌がらせ? 見てると気持ち悪いんだけど」

 

 あたしの料理で集合体恐怖症(トラウマ)を植え付けられた比企谷は渋面を向けてきた。実際は美的センスの無さを指摘されたのだが、食べる前に料理を貶されたような気分になってしまい、さっきまでの機嫌の良さは何処へやら。急激に仏頂面へと豹変したあたしは、ケチャップの容器をオムライスの上で鷲掴みにして握り締める。

 

 ぶちゃっ、ぶびゅるるっ!

 

 飲食店で鳴らしてはいけない効果音と共にケチャップが降り注ぎ、不細工な花火アートはこの世から消滅した。ふん、これで気持ち悪くないでしょ。

 一部始終を目にした比企谷は、まるで人の頭を握り潰す現場を目撃したような恐怖の表情へと変化していく。

 なぜなら、不細工な花火は確かになくなったが、今のオムライスは血塗れの殺人現場のようだったからである。

 

 

 

つづく




いかがでしたでしょうか。

前回の後書きで予告してあった通り、意外なキャラが参戦です。
正直、めっちゃ難しかった。というのも、ただでさえ初登場で手探りな上、沙希視点のせいで余計に会話を回しづらい。基本ボケない娘なのでメインで展開していくのはいつも苦戦しています。
でも読み返してみたら、まぁまぁ面白かったかなと多少満足してる!
次回は誰を出そうかな。地元だし、まだ出せそうなキャラはいそうなのでじっくり考えます。

それでは次もお楽しみに。
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