「ヌルフフフ、みなさん今頃はテスト中でしょうか? なんにせよ、結果が楽しみというものです」
今日は本校舎での中間テスト当日。目の前の超生物はウキウキとした様子で触手をうねらせている。
「全員50位以内という条件だったか。随分と自信があるようだな」
「当然です! 先生、本校舎の教師陣に劣るなどとは一切思っていません。それに彼らも自身も全員が優秀な生徒ですし、先生が信じないわけにもいきませんから」
「そうか。まぁ、
タイピングを一時中断して顔を上げる。俺にはいくつかの懸念事項があった。
「京田辺さんはどうした? 結局学校には一度も顔を出していないし、今朝も教室に来ていなかったぞ。お前は何度か彼女の自宅に訪問していたそうだが……何か聞いていないのか?」
「あぁ、それならご心配には及びません。どうやら久しぶりに学校に来るのは気まずいらしく、先に試験会場に向かっていると連絡がありました。先生としては1度くらい教室でお会いしたいものですが、無理にとは言えませんからねぇ」
「それなら良いが……」
「ちなみに成績は問題ありませんでした。試しに小テストをやってもらいましたが余裕の全教科100点です。むしろ教えるところが無くてこっちが大変でしたよ」
ふむ、それならば彼女がテストを受けない、または50位以内に入らずにこいつがE組から出て行くという最悪の事態は防げるか。彼女とは一度しか話をしていないし、俺も時間が空けば様子を見に行くとしようか。
「他にお前から見て何か気になったことはないか」
「気になったことですか。そうですねぇ……」
触手を顎(?)にあてながら何かを考え込むように黙り込む。その顔にはいつものごとくニヤケ笑いが張り付いているが、珍しく真剣な雰囲気を感じる。
「一つ、どうしても気にかかることがありまして」
「それは何だ」
「先生、嗅覚には自信があります。それで彼女に家にお邪魔した時にうっすらと異臭を嗅ぎ取りました」
「異臭? 俺が彼女の自宅に入った時には何も感じなかった。それどころか不審な物も無かったはずだが」
「ええ、先生だからこそ気づけたことです。私は嗅いだことのある匂いを絶対に間違えない。彼女の家の壁、床、机、椅子……綺麗に拭き取られていましたが、あらゆる場所に染みついていたんです」
そして超生物は感情の伺えない笑顔でこう言った。
「人間の、血液の臭いがね」
●●●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●●●
誰もいない本校舎のE組試験会場。時間的にはまだ隔離校舎の生徒は移動途中のはずだ。
自分の席を立ち、窓際の手すりに腰掛けて意味もなく中庭の木々のせせらぎを見つめる。今日が中間テストということも相まり、だだっ広い庭は閑散として人っ子一人いなかった。
そうしてすっかり青くなった桜の葉を見つめていると、ガラガラと音を立てて教室の扉が開く。しかし入ってきたのは生徒ではなく、昨日早めに学校に来るようにと連絡を入れてきた人物。
「ご無沙汰しています、浅野先生」
「あぁ、久しぶりだね京田辺さん。君の病気が悪化してからだから、4か月ぶりか。体調はどうだい」
「問題ありませんよ。快調そのものです」
浅野先生とは学秀くんを通して知り合った。彼は私に並ぶレベルの天才であり、勉学の質問によく答えてもらっていた。私が気安く話せる数少ない人間のうちの一人。
「それでご用件というのは」
「そうだね、単刀直入に言えば君のA組復帰に関する打診だが……」
「お断りします」
「……やはりか」
浅野先生は表情こそ変えなかったが、明らかに落胆したような声でそう言った。彼とは付き合いが長いし、もしかしたら気づいているのかもしれない。
「それにしても貴方も無茶をするものです。普通は超生物を教師にしようなどと思わないでしょうに。明らかにメリットとデメリットの釣り合いが取れない」
「そう思うかね」
「はい。……貴方も迷走していますね、全く」
「君にだけは言われたくないな、それは」
そしてお互い同時にクスクスと笑い合う。彼は性格が悪いので私は彼に親愛を抱かない。あるのはただの同族意識だ。だからこそこうした気の置けない仲を保っていられる。
「さて、そろそろ私も戻ろうと思うが、その前に一つ君に聞いておきたいことがある」
「何でしょうか」
「最近この椚ヶ丘では殺人事件が多発している。私もこの街を長い間見てきたから、これが異常な事態だというのは一目でわかる」
「……」
浅野先生は一切の感情が篭っていない瞳で私を捉える。
「一連の事件の犯人は未だ不明。私の知人には警察官もいるんだが、いつも肝心な時に上からストップがかかり、そのせいで大規模な捜査活動ができないと憤っていた……。他にもマスコミ達にかかっている通常とはいささか違った報道規制、ネット上に流布される真偽不明の雑多な情報。実に不可解だと思わないかい?」
「まぁ、そんなことが。相変わらず顔が広いのですね」
「そこで私も知人に頼み込まれてね、暇を持て余していたし独自に調査をしてみたんだが、これがどうにもおかしいんだ。
君のご家族は交通事故で君以外は死んだとされているね。それが今から1か月程前、ちょうど新学期が始まった頃だ。しかしそれはでっち上げの偽情報だった。実際には彼らは行方不明とされている。さらにその時期に前後して件の殺人事件が発生した……。
君には何か、心当たりがあるんじゃないかな?」
「ふふ、おかしなことを
私と先生の視線が宙空で交差する。これはお互いにとって、ちょっとしたじゃれあい程度のことでしかない。だから私もここで彼に何を言われようが、何を知られようがどうでもいいのだ。どうせ彼には何もできないのだから。
「君の後ろには何がついているのかな。それが少し気になった」
「ふふ、それは———国家機密ですよ。浅野先生」
なので大ヒントをあげることにした。ちょっとからかいたかったので。予想通り彼は困ったように苦笑して
「フ、そうか。それでは私はこの辺で失礼するとしよう」
「ええ、それがいいでしょう。あまり長いこといると碌な目に遭いませんよ」
教室の扉に手をかけたところで、ふと彼は立ち止まって言った。
「言いそびれていたが、ご愁傷様。そして誕生日おめでとう。京田辺さんには期待していたよ、私は」
やっぱり、彼は気づいていたらしい。
●●●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●●●
「はぁ〜、やっと着いたぁ〜!」
「ホント、このシステム面倒だからやめてほしいよね〜」
肩で息をしながら伸びをする茅野と言動とは裏腹にいつも通りにリラックスしているカルマ君。今日は運命の中間テスト……ここで殺せんせーに第2の刃を示さなければ、僕たちはきっと変わることも何もできなくなる。
そんな彼らを横目に見ながら、僕は緊張に震える手で扉を開ける。
「おや、ようやくですか」
その音を聴いた瞬間、僕の脳に電流が流れたような衝撃が走った。
鈴の音のように澄んだ美しい声は不思議と一人しかいない教室に響き渡り、ゾッとするような悪寒が背筋を撫でる。
窓から差す5月の青空と穏やかな日差しに照らされて輝く白銀の髪と、何も映していないかのように透き通った碧色の瞳、そして陶器と見紛うほどに白い肌と整った顔立ち。
美しいという言葉すら霞むほどの美貌に、なぜか『死神』というフレーズが頭を過ぎる。
そして誰もが固まる中、最初に動き出したのはやはりカルマ君だった。
「ほらほら〜、何してんのみんなー。さっさと入んないと試験官来ちゃうよ」
「……あ、そうだね。お、お邪魔します……」
そうして恐る恐るみんな教室に入り、席に着く。ピリピリとした緊張感が満ち、背筋が痒くなってくる。件の女子生徒……京田辺さんの席はカルマ君の隣。彼女から放たれる圧が教室のど真ん中真後ろから発されているのが原因かもしれない。
「ねぇねぇ京田辺さん、君今まで学校来てなかったけど大丈夫なのー? もし君が50位以内に入れなかったら俺たち困っちゃうんだけどぉ?」
「……」
だってカルマ君むっちゃ煽ってるし……それに対してどこ吹く風と無言しか返さない彼女が逆に怖い。
「あれ、黙っちゃってるけどもしかして緊張してんの? あはは、そんなわけないよねー? 仮にも優等生サマなんだからさー、ちゃんとしてくれないとガッカリしちゃうよ?」
「……」
お願いだからそこら辺にしといてくれ……と誰もが心でそう訴えた。
「おいE組! 静かにしろ、これからテストを始める。無駄口叩くな!」
「うわぁ、監督係大野かよサイアク。ね、京田辺さんもそう思わない?」
「……」
「こらそこぉ! 静かにしろ!」
E組全員、今だけは大野に少し感謝できたと思う。
何はともあれここまで来たからには全力を尽くすしかない。集中して自分たちが積み重ねてきたこと、殺せんせーが教えてくれたこと、全部ぶつけるんだ。
その時ふと耳が彼女の声を拾った。
「赤髪の人」
「え、もしかして俺のこと?」
「はい。貴方が何か心配する必要はありませんよ。だってそうでしょう? この学校のレベルがどれだけ高かろうが———通常運転で、サラッと解ける内容じゃないですか」
●●●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●⚪︎●●●
テストは滞りなく終了した。後半になるにつれて他の生徒たちは手が止まっていったが、私は中学高校レベルの知識はすべて頭に入っているのでそよ風のようなものだった。
さて、今日は浅野先生と久しぶりにお話しできて楽しかったし、ちょっと豪華なメニューにしようかな。
冷凍庫から主役となるお肉と付け合わせ用のカリフラワー、アスパラ、ニンジンを取り出し、肉が常温になるまでそれら野菜の調理をしていく。
カリフラワーは小房に分けて茹で、アスパラは固い軸を折って、ニンジンは乱切りしてそれぞれ塩を加えた水で茹でる。そうして肉が常温になったら焼く直前に軽く塩、コショウで下味をつける。
フライパンにサラダ油を敷き、お肉を豆乳してレアぐらいになるまで火を通し、醤油、みりん、ニンニクで作った特製和風ソースをからめてお皿に綺麗に盛り付ければ———
「できあがり」
出来立てのお肉をほおばりながら、今日のことを振り返る。
1番印象に残っているのは浅野先生だ。やはり恩師なだけあって考察が鋭い。でもおそらくこちらに手は出してこないので問題は無いかな。
次にE組の生徒たち。正直眼中に無かったけれど、よくよく見れば面白い人材が何人か紛れ込んでいた。才能が花開けばもしかすると私の足下程度には及ぶかもしれない。未だ興味をそそられる程ではないけれど。
今後の生活に思いを馳せながら黙々とステーキを食べる。
兄の味は、若いだけあってとてもジューシーでした。