疎まれた子供はかの親を終始憎むか……それともいつの日か、赦すか?
『……ふぅん。クライネ・レヴィン症候群の事?(*1)』
「……‼︎ 知っているのですか⁉︎」
インターフォン越しに聞こえた言葉。それはソーナには聞き覚えの無い病気の名前であった。
『童話の名称を持つ病名の1つ。その悪魔の言う眠り病は知らないが類似性のある病名と言えば其れが思い当たる』
ソーナと元士郎は顔を見合わせる。そんな病名は初めて聞いたが少なくとも何かしら知って居るのは確かと言える。
「ッ‼︎ お願いします‼︎ 話だけでも聞いてください‼︎」
『ボランティア精神とか全く無いし、今は忙しいからぶぶ漬け食って帰れ』
二重の意味で『帰れ』と言われた。と言うよりも代償の伴わない利益は無意味だ。レーキュからすれば頼られる謂れは無く、外界の面倒事は煩わしいの一言に尽きる。
——やはり、一筋縄では行きませんか。
否定から入る。いや、魔王が無理をした所為か中々、承諾してくれない様である。しかし、ソーナも後が無いと言う事情を抱えている。退く訳には行かない。御家断絶、その存亡の危機に瀕している為に藁にも縋る思いだった。
「いいえ、退けません‼︎ 対価が必要なら出来うる範囲で用意します‼︎」
悪魔稼業故に対価を貰って願いを叶える。タダでやってくれる程、誰でもお人好しでは無い。寧ろその認識を持つ者の方が少数派なのだ。そんな同情観念を持つ行動と言うのは大方、アニメの世界でしか見る事は少ない。
『……
その時、声音が底冷えするかの様に恐ろしく聞こえた。遍く事象に対して代償が伴う、それが摂理であり厳然たる現実である。
「……か、会長……? ヤバいんじゃ無いんスか……コレは」
元士郎は相手が自分達の予想よりも遥かに異常な存在だと警鐘を鳴らしていた。その事をソーナに進言する。相手がどんな存在か、全く把握出来ない。
「……他に手は有りますか?」
——無い、無いのです。
無謀な賭けである事も承知の上。だからこそ、縋る他に無いのだ。
『その気なら、勝手に入れば良い。嫌なら帰れば良い。止めはしない……
その言葉の直後に、扉が独りで開かれその扉の先に塞ぐ様に降りていた壁の様なギロチンの刃が天井へと引っ込んで行った。侵入者対策としては些か物騒な仕掛けと言える。その先に見えるのは埃が無い白い壁と天井、床が広がる廊下であった。
「会長……最後の言葉は一体、如何言う意味なんでしょうかね?」
「分かりません……ですが」
玄関口を潜った直後、ギロチンの刃が落とされ玄関口が覆い尽くされ塞がれた。一方通行だと言わんばかりの光景だった。
「……口調から彼女の琴線に触れてしまった事は確かの様です」
——何故、怒らせてしまったのでしょうか?
ソーナはレーキュの台詞から怒りを感じ取れた。何故、彼を怒らせたのか? その理由が分からない。何に対して怒りを示したのか。その疑念を抱きながら不自然に明るい廊下の中を歩いて行く2匹の悪魔。
「……な、何だよ、コレ?」
「…………」
廊下を歩いて行くとポツポツと増える赤い斑点。雫が落ちた様な跡の模様、いや、引き摺った跡、ぶち撒けた様な跡……奥に進めば増えていく様々な形で描かれた『跡』の模様。この廊下は入り組んでおりガラスで仕切られた壁も複数、見受けられる。何故、こんな壁を用意する意図が分からない。ガラスには血塗られた手の型がくっきり残っており諸々を含めて予感は徐々に嫌な方角へと傾いて行く。そして、曲がり角に差し掛かった時、嫌な予感は現実となる。
両腕が砕かれた死骸、頭部が融けた遺骸、引き千切られた喉仏、肋骨を剥き出し内臓だけ穿き出され、開き切った口から飛び出す大腸の肉、眼窩に差し込まれる指の骨、懇切丁寧に剥かれ肉が剥き出しになった脚の破片。
形容し難い殺し方の悪魔の屍が彼方此方に散乱している光景であった。余りにも惨い殺し方、元士郎は動揺しソーナも、この光景には思わず目を背けた。殺すにしてもコレは最早、拷問で死んだ様なやり方であった。
——な、何ですか、コレは……‼︎
年代は判別出来ない程に損壊具合が激しい。死体が残っている事が唯一の救いか?
ソーナの呟きに答える声は居ない。ただ陰惨な沈黙が広がる。廊下には数多の返り血で激しく染まり黒く澱んだ光景が広がってこの空間の凄惨さを物語る。
「……こ、この人らもレーキュって奴に会いに来たんですかね?」
「レーキュさんの能力に目を付けて眷属の勧誘が絶えないと聞いています。サーゼクス様も勧誘したと聞きますが素気無く断られた、と……」
——冥界を襲った異常気象を数秒で対処した、と。見た事のない神器、変貌した姿、強力な魔法……と、未知数の能力を持つ事から眷属として欲している悪魔が多い……悉く断られているとも聞きます。定住せず何れは去る、と言う理由で。
ソーナも機会が有れば眷属の勧誘はしたい。特に今は眷属は全滅状態。1人でも仲魔となる者が欲しい。しかし、望みは薄そうとも言える。この凄惨な光景を見れば殊更、そう思えてしまう。
「……ッ。何か、聞こえ」
白い世界に響く水音。その音が聞こえて来る。此処には自分と元士郎しか居ない。となればレーキュが現れたのか? しかし、水音の理由が分からない。
「……な、何か急に紅くなってません?」
視界が紅くなって行く。赤い光か? いや、紅くなると視界の先が赤くなり過ぎて奥が見え難くなって行く。それは宛ら『赤い闇』と言おうか。
「匙、構えなさい。嫌な、予感がします……もしかしたら此処は……」
辛うじて見える視界の先、その曲がり角。其処にドロドロに溶けた黒い粘性のスライムが固まった様な腕の様なモノが掴まれ、その胴体が顕わとなった。
「うっ……⁉︎ な、何だよ、アレは⁉︎」
通路を覆う程の巨大な黒いスライム状の胴体。肉体が維持されず崩壊してグチャグチャになってしまったかの様な姿。そのスライムからは複数の悪魔達の顔が浮き上がり蠢いていると言う形容し難い程に不気味な姿であった。特に中央にあり、唯一、赤い色をした頭部は——。
「お、お姉様ッ⁉︎」
セラフォルー・レヴィアタン。即ち、ソーナ・シトリーの実姉の顔が浮き上がっていた。その光景にソーナは酷く動揺した。
『ニ、ゲ……』
『オイデ、オイデ……‼︎』
『クル、ナ』
『オマエ、モ、イッショ、ニ』
『ユウゴウ、せ、ヨ』
『ヒトツニ、ナレ』
『カイホウ、シテ』
『イヤダ、イヤダ』
『サイキョウ、ノゾミ、コンナ』
『カエリ、タイ。オウチニ』
黒いスライム状に浮かび上がった顔が口々に片言の言葉で呟いている。呪詛の様な懇願する様な、支離滅裂な言葉の羅列。
「匙。先程、見た死体……殆ど、頭部がありませんでしたよね?」
「え、そ、そうっすね……まさか……‼︎」
——……取り込まれて1つになってしまった、と言うのですか⁉︎ お姉様も……‼︎
自分の知らない内にセラフォルーもレーキュに会いに来て、こんな姿になってしまったのかと愕然するソーナ。
『ソーナ、チャン、モ、イッショ、ニ……‼︎』
そして中央に浮かび上がったセラフォルーの顔は血走った眼でその顔を揺らしながらそう言葉を発しながらドロドロの腕で壁を掴み胴体を引き摺りながら迫り来る。
「か、会長‼︎ あ、アレはヤバいですって⁉︎」
元士郎の言葉はソーナに届かない。あり得ない事実を前にソーナの思考は停止してしまっていた。
「ッ。お姉様……⁉︎」
セラフォルーの顔がソーナの眼前に迫った。顔が伸びてその口が開かれる。顎が外れる程に開かれ原型が崩れた顔が迫り——。
「耳を貸すな、ソーナ・シトリー‼︎‼︎」
崩れたセラフォルーの顔がソーナの頭を齧ろうとしたその刹那。近くのガラス壁が破砕され、何者かが割り込み、セラフォルーの顔の側面から思い切り殴り付け僅かに仰反らせた。
良く考えなくてもレーキュのやり口は最悪の一言。