「この、巫山戯たスライムだ‼︎ 見てろよ……‼︎」
元士郎は右手を掲げて自身の神器を顕現させる。『黒い龍脈』、それが元士郎に宿る神器。対象のエネルギーを吸収すると言う能力を持つ。
「好きなだけ再生してろ‼︎ 再生出来なくなるまで吸い取ってやるよ‼︎」
そう宣言して右腕を突き出した。右腕に顕現するは——。
「あれ?」
「匙? 如何したのですか?」
思わず間の抜けた声が漏れた。何故なら本来ならば顕現する筈の『黒い龍脈』の姿は影も形も無く、素肌の右腕のみ。あるべき概念はその場所に浮上する事は無かった。
『オニィィィチャァァァン‼︎』
「のぁぁ⁉︎」
想定外の事態となっても状況は、待ってはくれない。弟妹の顔が咆哮を上げながら迫り来る最中、サイラオーグは元士郎の首根っこを掴み反対方向へと走る。
「貴様は一体、何がしたいんだ⁉︎」
「わ、分からないんですよ⁉︎ 神器を展開しようとしたのにうんともすんとも言わない‼︎」
「宿った神器が反応しなくなる。そんな事、あるのでしょうか?」
並走するソーナも疑問符を浮かべる。元士郎も理解出来なかった。自分自身に宿る神器が機能しなくなると言う現象は生まれて初めて知った事実。有り得ないと言いたくとも現実として目の当たりにした以上、信じる他に無い。
「俺も初耳だ……。神器が意志を持つ事例は我が眷属に居る為に知っては居るが、消失となると……知らない間に抜き取られたか?」
走りながらサイラオーグは思案する。宿った神器が消滅すると言う事例と言えば、宿主が完全に死亡する(死亡後、速やかに転生悪魔に変異すれば残る)。或いは神器自体が肉体から取り出されるの2択だった。だが、後者の場合、神器は宿主の魂に宿る為に抜き取られると言う事は死亡する事を意味する。
「……匙。心当たりは?」
「えっと、心当たり……あ」
元士郎は記憶を遡って原因を探る。その時、思い出したくも無い記憶が蘇った。それは、悪意ある光景の記憶。
「匙? 顔が青褪めていますよ?」
肩付近の骨や軟骨に引っかかり、ガリ、ゴリ、ギリと何度も挽くかの様に動かされた。その度に粗々しい傷口から猛烈な勢いで鮮血が視界の先に飛び散る。噴水の如く飛散した返り血を幼女が盛大に浴びる、その表情は艶美かつ狂気に満ちていた。
『あ゛あ゛ッ!あ゛あ゛ッ!』
叩く、挽く。
『ぎゃあぁああぁぁあああぁぁ‼︎』
叩く、挽く、叩く。
『ぃぃいいぃぃぃ……っ‼︎』
折れて、取れた。
歯茎が壊れんばかりに歯を食い縛り激痛に耐える。痛いのは王であるソーナから日夜折檻を食らっている為に慣れては居たつもりだった。だが、目の前の幼女はそんな努力を嘲笑うかの様に抉り切られた己の右腕を持っていた。その右腕は鍋に放り込まれた。
「ごほ、あ゛ぉぉぉぉおぉおおぉッ‼︎⁉︎」
吐いた。その記憶の光景が悍ましかった故に思わず吐いてしまった。吐瀉物が廊下に垂れ流される。
「さ、匙⁉︎ 如何したと言うのですか⁉︎」
「余程、恐ろしい目に遭ったと言うのか。思い出したくも無い程に……聞いた手前、済まなかったな」
『オニィィィチャァァン、マッテェェェ‼︎』
後方では元士郎の弟妹の顔を浮かべた黒いスライムが水音を立てながら這いずり、追って来る。スライム故に鈍いかと思えばそんな事は無く、かなりの速さで追ってくる。
「撒こうにも奴は壁を擦り抜けて移動出来る。追跡を振り切るのも厳しいか。俺以外に来た悪魔達は危険を察知して転移魔法陣で逃げる事が出来た筈なのにその形跡が無い……その上、この建物では転移魔法陣は何故か機能しないらしい」
「貴方1人の時は如何やって撒いたのですか?」
「ずっと殴り合っていた。奴が突然、俺を無視して去って行ったんだ。その先にお前達が居たと言う訳だ」
サイラオーグは初遭遇時、愚直にもずっと黒スライムと殴り合っていたらしい。彼らしい行動と言えたが相手が何度でも蘇生するが故に旗色は悪かった。
「……オロロ、ず、ずみません……‼︎」
「気にするな。誰とて以前より使えた力が無くなれば困惑もする」
理由が理解出来たので、サイラオーグは特に責めはしなかった。走り抜ける廊下の先、自身の頭上を通り超えて廊下の床に小さな黒い粘性の塊が降って来た。後方を見やれば黒いスライムが這いずる傍らで腕を振るい自分の身体の一部を投げ付けて来ている。その一部も独りで蠢いて気味が悪いと言えた。
「倒せずとも押し流す事は出来ます‼︎」
蘇生に加えて分裂されては退路さえも無くなる。通路が塞がれる前にソーナが水の魔法で分裂体のスライムを通らない廊下の方へと押し流す。
「再生に加えて分裂からの増殖とは、キリが無い……‼︎ もし、こんな奴が冥界に侵攻したら……‼︎」
不死身な上に分裂して際限なく増殖する。業火に焼かれた冥界の惨状の傷跡も未だに深く喰い込み残っている中で、不死身の黒スライムと言うのは心を圧し折りに掛かる。たかがスライム……しかしその中身は悪意の塊だ。
「物理も魔法も効果が無い……その癖に壁を擦り抜ける……‼︎」
転移魔法陣で飛ばす? その先は如何する? 場合によっては冥界との戦争状態に突入しかねない。既に日本神話との緊張状態に突入しているので自分達の勝手で敵を悪戯に増やす訳には行かない。最も、この研究所では使えない為に無意味だが。
「……ッ。ソーナ、こっちだ‼︎ 此処は外部から見れば塔になっていた。こうなれば上に逃げるしか無い‼︎」
サイラオーグが円柱状の部屋を見つける。其処は壁際に螺旋階段が上へと続く階段区画であった。レーキュは塔の上に居る可能性が高い。幾ら自分の研究所でもあんな得体の知れない生物が跋扈している光景は危険過ぎる。
『オニィィィチャァァン、オニィィィチャァァン‼︎』
「くそ、テメェを弟妹にした覚えは無ぇっての‼︎」
螺旋階段を登り1階分、登った時に黒いスライムがこの場所に到達し咆哮を上げた。その時、その胴体が一際強く膨張を始めその容積を増大させ間欠線の如く上部へと噴き上がり巨大な粘性の水柱を発生させた。
「マズいな……増殖するぞ‼︎」
元士郎の弟妹の顔が黒いスライムの中に飲み込まれて悍ましいレベルにまで膨れ上がった大量の黒スライムが溢れ出し階下から迫り来る。
「うわぁぁぁ‼︎⁉︎ どんどん増えていくぞ⁉︎」
「上へ逃げるしかありませんね⁉︎」
『オニィィィチャァァン‼︎ オニィィィチャァァン‼︎』
『ソーナチャン、ソーナ、チャン』
『サイラ、オーグ……ワタシハココヨ』
倍々の如く増殖を繰り返し際限なく声が残響を伴って聞こえて来る。何度も繰り返して囁かれる声。
「……飲み込まれたら確実に即死だ。落ちるなよ‼︎ ソーナ‼︎」
「分かっています、此処で死ぬ訳には行きませんから‼︎ 気がかりなのは中央部のあの黒スライムの水柱です……」
ソーナが視線を中央にて間欠泉の如く噴き上がっている黒スライムの水柱に向けられていた。その時、水柱から粘性の触手が生えて来てソーナ達が登る階段の一部を叩き壊してしまう。本来ならばこの建物の壁や天井、床は速やかに再生するのだがこの区画の階段は再生まで猶予があるらしい。こう言う時に限って迷惑な時間猶予であった。
「何が何でも逃さん腹積りか‼︎ 何とか振り切るぞ‼︎」