邪神さまがみてる   作:原 太

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5.2 藍色のシャツを着た色男Ⅰ

 

 

 こんなもん動かしたらどうなるか、本当にわかってんのかねえ。

 

 

 闇が敷き詰められた広大な地下空間。

 その機関室と呼ぶには余りにも広すぎる真っ暗闇を歩きながら、彼はどうにも残念な気持ちになった。

 

「あの灯りに向かって進め。あれが目的地じゃ」

 

 この爺さま――魔術公はきっと彼なんかよりもずっと頭の良い男だ。

 こんな超大規模の古代遺物(ロストロギア)を実用レベルにまで復旧するなど、彼はもちろん、彼のコネクションをフル活用しても絶対に不可能だ。

 それを魔王(ゲオルギウス)と共同とはいえ成し遂げたのだ。その優秀さは疑う余地がない。なのに、

 

 

 ――本気で絶滅戦争とか始めちゃったら、こっちも向こうも、損しかしないじゃん。

 

 

 優秀なのに、性能は凄く良いのに、頭の根っこにこびりついた妄執(クソ)によって全てが決まるその様が、彼には残念でならなかった。

 

「ね、キッドマン。キミならこの闇を見通せるんじゃない? どう? 端っこがどうなってるか見える?」

 

 彼の前を行く、人型を模した金属と生肉の塊が、声を弾ませ振り返る。

 死職人(異常者)。記録に残る最初の名はマニファクチュア。技術以外をすべて炉にくべることで自己を最適化した、最高に合理的な気狂い。倫理という犬の餌を皿に盛ることを止めた、最先端技術者(くされ外道)たちのカリスマ。

 

「あーなんというか、ある一定のポイントから先がぼやけてるな。まるで波だ」

「波かー。空間で波が起きちゃうかー。やっぱ闇が質量もってるっぽいよね。ここだけかな? それとも見えないだけでどこでもかな? 旧王家なら知ってるかなぁ」

 

 なまじ人に近い形をしている分、尚更に嫌悪感が増すその造型。顔に該当する部分が鉄面で覆われているのがせめてもの救いか。

 

「けどそっか、キミには見えるんだ。やっぱまだ暗視の性能じゃ追いつけないかぁ」

 

 そんなグロテスクな見た目のくせして、声だけはめちゃくちゃ可愛い。

 ちなみに、本人曰く地声らしい。

 

「前に買った商品(死体)は、参考にならなかったかい?」

「なるにはなったけどさー。なんか低クオリティっていうか」

 

 そりゃ侵蝕深度(フェーズ)2の死体だからな。性能としては底値だよ。

 

 不要な言葉は飲み込む。吐き出すならこっちだ。

 

「また入荷したら、いるかい?」

「うーん、あのクオリティならもういいかな。もっと質の良いヤツ、それこそ元貴族だとか軍の上の方とか、そういうのが入ったら教えて」

「そこら辺は『お国』ががっちり管理してるからなあ。ま、あんま期待はしないでくれよ。出ればラッキー、ぐらいで」

 

 流石に彼とて、本格的にネグロニア(お国)を敵に回すつもりはない。

 だからまあ、この話はここまでだろう。

 

 

「過去の文献に記されていた名はアルバコア。どこからどこまでが――ではなく、この漆黒の巨大四角錐全てを指してそう呼ぶそうだ」

 

 闇の果てから徐々に近づいて来るピラミッドもどきを指し、魔王(ゲオルギウス)がペラ回しを始める。

 

 なんでも、起動した暁には周辺地理が大きく変わるとか。

 そんな馬鹿でかい規模の自走する要塞とか、いやはや、凄いねホント。ただ走るだけで千単位を殺せる? うん、マジでやべえな。邪神を動力にした後の運用方法? 夜に充填して昼に放出? オッケイよくできてる、継戦能力もばっちりだ。……は? 英霊鎮魂悲願の成就? スペックの説明中だろ? 急にエモーショナルな演説に切り替えんなよ、シラけるだろうが。

 

 こうして彼はまた、残念な気持ちになってしまう。

 何をやらせても1番を取れる、破格の天稟を備えたこの魔王(ゲオルギウス)でさえも、頭の根っこに植え付けられた妄執(クソ)には逆らえないのだ。

 

「あ、そうだ、この黒いの、端っこでいいから斬ってみてよ。中身気にならない? あの斬撃重ねるヤツならいけそうじゃない?」

「魔王閣下にどやされるか、愛刀が駄目んなるか。……自分でせい」

「だよねー」

 この場でそういった妄執(クソ)と無縁そうなのは、もっと悪質なモノで頭が一杯の死職人(こいつ)と……魔女(ローゼガルド)の影響下にあるヒルダぐらいだろうか。

 

 

「その棺の中に器がある。興味があるなら見てみるといい」

 

 

 見るも何も『これ』の販売に彼は一枚噛んでいる。

 なので当然、商品がどんなものかは把握しているし、そもそも魔女(ローゼガルド)が一体『誰』をつくろうとしているのかも知っている。

 

 

 ――ダリアガルデ様、ねえ。親父がいうには、なかなかに大したタマだったらしいが。

 

 

 そのまま素通りしようとした彼の足が一瞬だけ止まる。

 器が眠る棺の前で棒立ちになったヒルデガルド(ヒルダ)が、愕然とした表情で固まっていたからだ。

 

 そりゃ自分のお袋が複製されてこれモンじゃなあ、と素知らぬ顔で通り過ぎようとした彼に「待て」と声がかかる。

 当然、呼び止めたのはヒルデガルド(ヒルダ)で、かけられる言葉は「てめえナニ考えてんだコラふざけんなマジでぶっ殺すぞこのゴミクズ」といった内容を上品な言葉づかいで丁寧に表現したものだった。

 

 傍から見ると、この『商品』を取り扱う彼が関係者からクレームを受けている、という図でしかない。

 

 だが、たったひとつ『とある要素』が挟まるだけで、その意味はがらりと変わる。

 

 誰も知らない、知りようのない、取るに足らない昔話。

 まだ彼が小さな子供だった頃、事情があってしばらく預かることになったと親父が連れて来た親戚の子供。互いに自分が1番だと確信している2匹のくそがき。どちらが馬鹿かを決める暗号ゲーム。指差す部位と同時にいう言葉による区分わけ。紐付けするシチュエーション。省く文字。バカバカしいものほど何故かよく覚えているという不思議。

 

 それを、いい歳した大人がこんな場所で本気でやっていることに、思わず笑いのひとつでもこぼしそうになってしまったが……内容が内容だったので彼は真顔でいることができた。

 

 

 これから、ここ、殺す、全部。

 

 

 そうして最後に、たった今ぶつけられた「私の視界から消えろ」を組み合わせると。

 

 

「やーい、怒られてやんのー」

「いやいや、俺にいわれてもねぇ。こういうのは直接魔女殿にって、次からは箱に書いとくよ」

 

 だる絡みをしてくる死職人(異常者)をいなしつつ、彼は取るべき行動を決める。

 

 普通に考えるならヒルダの行動は魔女(ローゼガルド)の命によるものだ。

 つまり、あのくそやべえおばさんが、選りすぐりの化物どもが一堂に会するこの場で『こと』を起こすというのだ。

 当然、勝算があるのだろう。彼には想像もつかない、悪魔がゲロを吐くような手管の数々が、獲物に向け解き放たれる瞬間を今か今かと待ち構えているに違いない。

 

 だが、それでも。

 

 ――いや、流石に、ムリじゃね?

 

 他の連中はともかく、獣の旦那と魔王(ゲオルギウス)が本当にどうしようもない。

 半身や心臓が吹き飛んでも、大笑しながら殺し合う異次元の怪物たちをどうすれば仕留められるというのか。

 

 かといって。

 

 あの魔女(ローゼガルド)が、こんな大一番で下手を打つとも思えないのだ。

 実は誰よりも計算高い魔女は、できないことはしない。

 する以上はできる。少なくとも、かの魔女はそう判断した。

 

 仔細は不明だが、これからヒルダは何かをする。それはきっと、とても残酷で暴力的な『何か』だ。

 そんなものに巻き込まれるのはまっぴらごめんな彼に告げられた「逃げろ」というメッセージ。

 つまり、今ならまだ間に合う。

 

 ――けどなあ。あの2大巨頭以外も、どいつもこいつもガチな化物ぞろいだしなあ。 

 

 だがもしヒルダがその『何か』に失敗した場合、急に消えた彼にも疑惑の眼が向く。最悪共犯にされ、馬鹿でかいマイナスを背負うことになる。

 

 ……たぶんこれは、大きな分かれ目だ。

 

「なあ死職人(マニィ)。何か硬い物を用意できるか? できれば小型のハンマーみたいな、俺でも楽々使えそうなヤツがいい」

 

 彼はこれ以上、悩むのを止めた。

 悩む時点で決め手はなく、ならばここからは単なる浪費でしかない。

 

「……なんでそんな懐かしい呼び名を知ってるのさ」

「べつに極秘情報ってワケじゃないだろ? で、ないのか? 金槌」

「あるけど、何に使うのさ?」

 

 ついさっき、なんとなく耳に入ったどうでもいいやり取り。

 だからこそ、ただただ結果のみを受け取れる、いわば(さい)の目。

 

「賭け――ってほど大袈裟なもんじゃないな。占い? 願掛け?」

「なにそれ?」

「この黒いピラミッドの端っこらへんを殴って、割れたり欠けたりしたら勝ち。オッケイ。レッツゴー。割れも欠けもせず無傷なら駄目。残念、()()()()()()

 

 普通に考えると、この場にひしめく化け物どもを相手に何をしたところで、即座に返り討ちだろう。順当な結果であり、まあそうなるよね、と誰もが頷く当然の帰結だ。

 

「ふうん。もし砕けたら、その欠片はボクのポケットに入るよ? きっとなんか凄い偶然が起きて絶対にそうなる」

「勿論だとも。大きな欠片はそっちに転がり、小さな破片は俺のポッケにダイブする。凄い偶然だよな。解析班におみやげまでできちまう」

 

 普通に考えると、こんなくそやべえ古代遺物(ロストロギア)最重要機構(心臓部)が、彼ごときの力で叩いたところでどうにかなるワケがない。

 だから少しだけ下駄を履かせて、1番良い道具を持っているであろう奴に借りることにした。

 まあバランス的にはこんなものだろう。

 

「ほい。ちゃんと返してよ」

 

 死職人(マニィ)から片手用の金槌を受け取った彼は「お前はそこ、お主はここ、そして貴様は――」とピラミッドの死角に人員を配置している魔術公からは見えない背面へとまわり、最下段の角へ向けて躊躇うことなく金槌を振り下ろした。

 

 

 これといった音はなく。

 直撃した箇所から網目状にひび割れが飛び散り、瞬間、辺り一面が粉々になった。

 結果はまさかの大勝利。超オッケイ。さっさとトンズラかまして風呂入って寝ろ。

 

 

「ちょっと! やりすぎだって! ていうかキミ、そんなパワータイプだった!?」

「いやいや! 軽く叩いただけでこの威力、おかしいだろ! てめえ死職人(マニィ)、なんてもん渡しやがんだ!」

 

 アルバコア右後の一角が、完全に崩壊していた。

 

「それ何の付与もない、ただ頑丈なだけの金槌だから! こんな超破壊力とか秘めてないから!」

「俺にこんな超パワーとかあるワケねえだろ! こちとら狙撃屋、後方支援だぞ!?」

「けど現にぶっ壊れてるじゃない!」

「おまえのくれたスーパーハンマーのおかげだよ! すげぇよ死職人(マニィ)見直した!」

「いいや違うね! 無法者の星(アウトロースター)の奥の手さ! 流石としかいいようがないよ!」

 

 双方必死のなすり付け合いは「なんじゃ、どうかしたのか?」という最上段にいる蛇女王からの問いかけにより「いや楽しみだなってついテンション上がっちまってさ!」速やかに集束した。

 

「おいマズいぞどうすんだよ。これじゃあ儀式の妨害をしに来た破壊工作員だ」

「え? そうだったのキッドマン? ちっとも気付かなかった!」

「ヘイ死職人(マニィ)、俺はたとえ首だけになってもお前との友情を叫び続けるぜ。証拠はないが事実と演技力と根性は腐るほどある。その路線は駄目だ。誰も得をしねぇ。どうせやるならみんなハッピーだ。違うか?」

「……これだから、ムダに地力が高い奴は」

 

 うんざりしたように吐き出した死職人(マニィ)が、腕と思しき部位を上方へと向ける。

 つい釣られて視線を向けた彼が見たのは、頂上玉座で何か作業をしている蛇女王だった。

 でかい蛇の下半身をローアングルから眺めたところで何も感じない。

 あれにエロスを嗅ぎ取れる位階に、まだ彼はない。

 自分は今、何を試されたのだろうか。

 そう思いつつも視線を戻すと、砕け散った筈の一角が、完全に元通りになっていた。

 

「触らないで。ガワを取り繕っただけ。中身はなにも直ってないから」

「それやばくね? 本番が始まるとボロが出るんじゃ」

「元々、つぎはぎだらけの中古品だよ。そんなオンボロで、神と呼ばれるレベルの超高負荷に、耐えられる筈ないよね」

 

 嘲るような半笑いの声。

 彼は気付く。

 こいつ、ハナからこうするつもりだったな、これ。

 

「それにキミだって、こんなもの、動かない方がいいだろう?」

 

 彼は笑う。

 こいつ、この場にいる誰よりも、ちゃんと理解してやがる。

 

「なんだよ死職人(マニィ)、思ったよりずっと話せるじゃねえの。ほれ、あるんだろ? 俺の取り分」

 

 そういって差し出した彼の掌の上に、ぽん、と黒い石が置かれた。

 

「サービスでそれっぽくカットしておいた。共犯の証拠だ。ブローチにでもするといい」

 

 目の前のピラミッドそのままの質感。光沢がないと思いきや、不意に輝く意味不明な黒石。

 

「ちなみにさ、そっちはどんな形にしたんだ?」

「全身の2割と置き換えた。内側だから、誰も気付きやしないさ」

「……まじで合理的だな、それ」

「残念だけど、予約は10年先まで埋まってるよ」

「え? そんなシノギもやってんの?」

「適合率は5%だけどねー」

「有料の自殺じゃん」

「だろ? おかしいよね」

 

 などと話ながら、ごく自然に皆の中へと戻り、さもくそ真面目な顔をしてうんうん頷く作業をこなす。

 そうして全ての準備が整うあたりで、

 

「じゃ、俺は良い感じの場所で」

 

 彼は全員の視界から消えた。

 場にわだかまる極上の闇は、いつもより容易く強固な足場を形成してくれる。

 それを駆け上がり、そのまま出入り口へと向かう彼の背に、

 

「おいキッドマン! 何度も言うが、好き勝手に撃ってくれるなよ。下に居る誰かが攻撃を『当てる』までは待機だ。脅しでわざと外す一撃を放つ事があるやも知れん。彼奴が動かなければ事は成るのだ。如何に殺し易いとはいえ、本当に殺しては計画が水泡と帰す。わかっておるな?」

 

 水泡と帰す方がいいよな。

 どっちが勝っても負けても、バカでかいマイナスしか生まない、消極的な集団自殺なんぞ。

 

「あー、はいはい。わかってますよ爺さま。俺はオーダー以外の仕事はしないよ。誰かが当てるまでは見てる。了解了解」

 

 そういつも通りの返事を残して、彼は唯一の出入り口へと駆けて行った。

 その途中で、

 

 ――あ、死職人(マニィ)に金槌返すの、忘れてた。

 

 ただ、死ぬ方に賭けた彼としては「もう会うこともないだろうしまあいっか」で全てが片付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 A&J大陸総合商社 中部第7支店管理事務所。

 

 創業者(両親)の頭文字を冠した看板が掛けられたドアを、彼はノックもなしに開け放つ。

 通常ならこんな深夜には誰も詰めていないが、今夜に限っては例外だ。

 

「あら、おかえりなさい若。ずいぶんと早かったのね」

 

 今夜の一大イベント(降神)の結果如何によっては大勢が変わる可能性もある。

 なので『本社』から、現場から最寄のここへ、信頼と実績を兼ね備えたできる奴が派遣されていた。

 

「ただいま、おばちゃん。まあいろいろあってなあ」

 

 それがこのおばちゃんだ。

 見た目は普通の中年女性。印象に残らない顔立ち。平凡な雰囲気。やや太めの中肉中背。服装と髪形を変えるだけで、きっと世界中のどこにでも埋没できる角のなさ。

 そんな(なり)をしているくせに、仕事は滅茶苦茶できる。

 書類関係はもちろん、血は嫌いだが厭わない肝の太さ。誰とでも上手くやれる人柄。立ち上げの最初期からいたメンバーのひとり。

 

 基本的に一族経営である『A&J大陸総合商社』において、一切の血縁がないにもかかわらず、一族の者と肩を並べる地位と権限を有するガチの大幹部だ。

 

「コールはどうしたの? あの子が仕事中に、若の側を離れるなんて」

「現場近くの待機所に置いてきた。あそこには他ン所の連中もいたからな。俺だけイチ抜けしたってバレたら、きっと面倒なことになる」

 

 おかげで、深夜の湖上をひとりでマラソンする破目になった。

 今度から、常に『足』は2つ用意しておこうと、彼は新たな学びを得ていた。

 

「色々とクソみたいな話があるんだが、その前に――そっちの彼女は、一体どちらさんだい?」

 

 基本、この管理事務所に部外者は入れない。

 僻地の小規模な町にあるとはいえ、それでもここは『A&J大陸総合商社』の関連施設なのだ。

 管理事務所(ここ)までには2つほどの『私有地と財産を守る検問所』があり、許可なく踏み込んだ不審者は皆こぞってどこかに消える。

 なので、ここにいる時点で身内のはずなのだが……どれだけ記憶をほじくり返しても、目の前の来客用ソファに浅く座る彼女には見覚えがない。

 

 管理事務所とは、重要度こそ低いものの、機密書類の保管場所でもある。

 そこへの入室を許可されるのは、組織を管理する側か、それと同等の重要人物かのどちらかなのだが……。

 

「マナナ、自己紹介なさい」

 おばちゃんに促され、ほどよく日に焼けた肌が活発そうな印象を与える彼女が立ち上がった。

「はじめまして。マナナ・サンチャゴっす。本社の――副社長の命でやって来ました」

 

 目の前の若く健康的な娘さんが、一瞬で死神になった。

 

「……よろしくマナナ。ミゲル・ベインだ。A&Jでの役職は代表兼警備部長(暴力装置)。キッドマンとか無法者の星(アウトロースター)とか、まあ色々と名前はあるが、身内は大体ミゲルで統一してる。キミもそう呼んでくれたら嬉しい」

「よろしくお願いします。ミゲル様」

 

 がしっと握手する。

 柔らかそうな見た目に反した岩のようなごつごつした手。無数の深い切り傷の跡。

 彼はなんともいえない気持ちになる。

 予想はしていたが堅気の手ではない。戦士の手だ。

 

A&J(うち)に入ったのは最近だよな? 誰のスカウトだい?」

 彼と面識がなく、しかしこの場に居ることができる。条件を満たすのはそれぐらいだ。

「2週間前、アルフレド様に」

「ああ、うん、あいつかあ」

 

 ごみ漁り(スカベンジャー)と揶揄される2番目の兄貴。

 拾ってきたごみを黄金に変える、性根の腐った錬金術師。

 

 進んで話題にしたい奴ではない。彼は無言のまま、テーブルを挟んだマナナの向かいのソファへ、どかっと身を沈めた。

 

 そうして、少しだけ目を凝らす。

 すると目の前のマナナから、ちらりと嫌なものが滲んだ。

 案の定、仕込みは済んでいる。

 最悪だ。

 

「よし、自己紹介は済んだわね。それじゃあ若、さっそくだけど聞かせて。あの時代遅れの怪物どもはどうなった?」

「あー、その、彼女、いいのかい?」

 一応確認をしてみるものの、

「アルフレドの所から来たのだし、良いんじゃないかしら。私は必要なことだと考えるわ。このタイミングであの子が寄越したのだから、無関係だとは思えないし」

「……そうだな。わかった」

 

 そうして彼は全ての主観を削ぎ落とし、ただ事実だけを報告した。

 

 聞き終わったおばちゃんは「5分待って」と長考に入る。

 正直、気は進まない。

 だが必要なことだと割りきった彼は、マナナに「何か質問はあるかい?」と努めて軽く振った。

 

「……A&Jと魔女(ローゼガルド)様はグルなんすか?」

「いいや。取引はあるが、まだそこまでの関係は築けちゃいない。東側の販路開拓の鍵だから、食い殺されない程度に入り込むのが現在の目標だ」

 

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けるA&J大陸総合商社。

 

 もとはチンケな一地方のやくざから始まり、今や西側のほぼ全ての裏家業を取り仕切るまでに成り上がった、口さがない連中がいうところの『最も成功したチンピラ』たち。

 

 しかし、西側の主要部に根を張ることができたとはいえ、所詮は闇精霊という一種族内での話でしかない。

 総数が桁違いの為、さも順調に支配地域を拡大しているように見えるが、実際は砂上の楼閣に過ぎないというのは全ての幹部に共通の認識である。

 

 がつんと1発ぶん殴られると、跡形もなく吹き飛ぶ。

 経済的な意味ではなく、物理的な意味で。

 

 他種族との個体性能差。

 それは如何ともし難い現実として、圧倒的な不利を押し付けてくる。

 

 率直にいって、喧嘩で勝てない。

 1対1なら勝負にならず完敗。3対1の袋叩きでようやく、といったところか。

 

 まあこれは、強化措置が施されていない『素』の場合の話だが。

 

 

「知っての通り、周りは化物ばっかだからな。近しい所から地道にこつこつやっていくしかないのさ」

 

 彼が『近しい所』といった瞬間、わずかにマナナが反応した。

 そこが知りたいならもっと素直に聞けばいいのに、とはいわないでおく。

 

「それだけかい? まだまだあるんじゃないか?」

 

「……じゃあ、コーシンの場で、どうして向こうは、わざわざミゲル様に逃げるよう伝えてきたんでしょうか? いつもの魔女(ローゼガルド)様なら、誰が居ようと構わずにやると思うんすけど」

 

 マナナの魔女(ローゼガルド)に対する理解がやけに深い。

 実によくない傾向だ。

 

「新しく用意するのが面倒だったんじゃないか? 向こうからしても、こっちは西側に食い込むフックだからな。あとやっぱ血縁ってのも無視できない要素か。魔女殿は血統主義のきらいがあるからなあ」

「え? 血縁なんすか?」

「細かい家系図は忘れたが……うん、まあ親戚だ」

「入り込むもなにも、ずぶずぶじゃないっすか」

「親父の代で1度完全に縁は切れた。けど、たまたま商売が上手くいったから、またぼちぼち復縁してる真っ最中ってところさ。だから、ずぶずぶになるのはこれからだ」

 

 まあたぶん、どこかのポイントで必ず破綻するだろうが。

 

「その、さっきから、いいんすか? そんなことわたしに話して」

「ま、アルフレドの所から来た時点で最低限の信用は保証されてるからな。あ、当然だけど、血縁云々の話は、親兄弟にも絶対に内緒だぜ?」

「はい」

 

 彼は意図して軽くいったが、それは心底からの言葉だった。

 彼女を拾ったアルフレド(2番目の兄貴)の『仕込み』は芸術的ですらある。

 一体どういう仕組みなのか、見当もつかないし知りたくもない。

 ただ、人間が内側から破裂するのは、何度見ても嫌なものだった。

 

「じゃあマナナ、今度はこっちから質問しても?」

「あ、はい、どぞ」

 

 正直、知らんフリしたままでいたかったが、副社長――姉貴案件だ。そうもいってはいられない。

 

「マナナはA&J(うち)に来る前、どこに居たんだい? 荒事関係なのはもうわかってるから、具体的な所属先を知りたい」

 

 最初の質問で魔女(ローゼガルド)の名を出して、自然と『様』づけをして、戦士の手をしていて、やけに魔女とA&Jの関係を気にする。

 嫌なピースが連続しているが、まだ決まったわけではない。

 今も彼の問い掛けにめちゃくちゃ答え難そうに視線を彷徨わせているが、だからといって決めつけるのは良くない。

 彼はじっと返事を待つ。

 

「えっと、その……特別行動隊、っす」

 

 特別行動隊。

 表向きには存在しない、魔女の私設部隊。

 存在しないのだから、どんなことをしても記録に残らない。

 存在しないのだから、目撃者なんてひとりもいない。

 存在しないのだから、隊員の死体は身元不明の誰かにしかならない。

 

 そんな理屈で、ただただ死体を量産し続ける、自壊しながら前進する魔女の悪意。

 それを、特別行動隊という。

 

 当然、辞表を出して退職できるようなところではない。

 それこそ、物言わぬ名無しのひとつになる以外、抜ける道などないだろう。

 

 だが今、彼の目の前にいる。

 そこの元隊員が、ワリと元気そうな感じで。

 なんかスカウトを機に転職して、A&Jの新入社員として事務所にいやがる。

 

「……そっかあ。特別行動隊かあ。親衛隊かな、とは思ってたんだが、そう来たかあ」

 

 考え得る限り、最悪の厄ネタだった。

 

「今向こうでのマナナの扱いは?」

「作戦行動中の行方不明、からの10日間経過による死亡判定って感じかと」

 

 このマナナ、魔女からすれば、血みどろ非合法活動の生き証人だ。

 それをこっそり確保している時点で、同盟とか友好とか協調などという路線はもう半分以上死んでいる。

 あの魔女相手に、生温い言い訳など絶対に通用しない。むしろ、こちらを潰して飲み込む口実ができたと喜び勇むのがあのおばさんだ。

 

 つまり。

 

 彼女を確保しているという事実が露見した瞬間、A&Jと魔女の殺し合いのゴングが鳴る。

 

「……おばちゃんは、いつから知っていたんだ?」

「4時間前。マナナがここに来た時ね」

 

 徹底している。

 この極秘裏に準備された急な方向転換。間違いなく『副社長案件』が進行している。

 しかも最重要人物(マナナ)を動かすとか、どうやらすでに、事態は最終局面へと突入しているようだった。

 

 いやいやなんで代表()だけが最後まで何も知らねえんだよ、と声に出すのは我慢した。

 新入りの前で、そうネガティブな言葉を吐き出すもんじゃない。

 彼は決して、そんなこともわからない間抜けではない。

 

 そもそも『副社長案件』である時点で、それは他の何よりも優先される。当然、彼とて例外ではない。

 

 だから不要な言葉は飲み込む。吐き出すならこっちだ。

 

「いいかマナナ、よく聞け。過去の経歴で待遇に差をつけないのがウチの方針だ。王様でも乞食でもスタートラインは同じ。前なんざ知ったこっちゃない。だからマナナ」

 

 そこで一度区切って、方々から『むかつく』と評判のスマイルを貼り付ける。

 

「俺はキミを歓迎するよ。これは個人的なカンなんだが……荒事が多い我が社において、きっとキミはなくてはならない奴になる。そんな気がする」

「ミゲル様のカンって、当たるんすか?」

 初めてマナナの表情が柔らかくなった。

「当たるとも。ここまで100%だ。きっとこれからもな」

「それってもう『予言』っすよね?」

「……いいね。会社をクビになったら、そっちでやって行くのもアリだな」

 

 余計なことをいったと悟った彼は、笑い飛ばすことでこの話題を終わらせた。

 

 それに合わせるように――実際に合わせたのだろうが――おばちゃんが口を開く。

 

「若。今すぐ出発の準備を」

「構わないが、これまた急だな」

「お待ちかねの、副社長案件よ」

「ようやくか。随分と溜めたな、おばちゃん」

「ええ。最後の判断は私に委ねられていたの。どれだけ急ぐか、その判断を」

「へえ。それで、今すぐ出発にしたのかい?」

「ダブルダッシュよ。ふたりとも若いのだから、平気でしょう?」

 

 ダブルダッシュ。

 採算度外視の全速力。

 A&Jが保有するありとあらゆるものを使い、1秒でも早く現場に送り込むことのみを追求した『半』自殺行為。

 前回実行時には、その年の上半期の予算が全て一瞬で吹き飛んだ、悪夢のような最終手段だ。

 

「オウケイ。おばちゃんがそう決めたんだ。異論なんてないさ。ただ、どこで何をしろって話なんだい? オーダーの内容は?」

 

 副社長案件――つまり姉貴の指示は、いつもそう複雑なものではない。

「具体的な指示はたった2つよ」

 ただシンプルだからといって、容易(たやす)かったことなど1度もなかったが。

 

 

「マナナとネグロニアの旧市街へ行け。そこで最低限の権益を確保しろ」

 

 

 いつもながらアバウトで、いつもながら何回かは死にそうな内容だった。

 ネグロニア旧市街――現役稼動を続ける旧世代の最高傑作、魔女の巫女の縄張り(テリトリー)だ。

 

 さらに、存在そのものが火種であるマナナを連れて行くリスクも無視できない。

 権益の確保といいつつ、トラブルの原因を同行させろともいう不条理。

 

 しかし彼は知っている。これまでの経験から、嫌というほど理解している。

 きっとこれが、今回A&J(自分たち)が勝利する為の『必須条件』なのだ。

 

「なんか同行者になってるけど、マナナはいいのかい? 最悪、死ぬ可能性もあるが」

「はい。大丈夫っす。むしろ思ってたよりずっと早く約束を果たしてくれて、正直、安心してます」

「……約束?」

「はい。アルフレド様のスカウトを受ける条件に『隊の仲間をあと2人、A&Jで雇ってくれる』ってのがあって、それのことっす」

 

 彼は目線だけでおばちゃんに確認する。

 

「ええ、聞いているわ。ただし、若が見て『これは絶対に駄目だ』と判断したなら、その限りではない、という条件付きよ」

「土壇場でモメるのはごめんだ。マナナはそれで納得できるか? 俺は本気でイカれてる奴とかは、仲間にしないよ」

「はい。それでいいっす。いい方は悪いっすけど、あの2人は『使いやすい』タイプですから、問題にはならないかと」

 

 おばちゃんが何もいわないことから、その2人は『権益を確保』の内に入っているのだろう。

 彼としても、人手が増えるのは悪くない。

 ただ。

 

「その2人は、ネグロニアの旧市街に居るのか?」

「はい。というより、特別行動隊の拠点が旧市街にあります」

 

 それもそうか、と彼は納得する。

 いくら表向きには存在しない部隊とはいっても、実際には人がいて、生きるに必要な営みがあるのだ。

 その活動拠点の所在として、旧市街ほど適した場所もないだろう。

 

「表向きは、レストラン『エルダーエルダ』を経営してます。仕入れから調理、接客、季節の新メニュー考案や採算の調整まで、ぜんぶ隊員内で回してる感じっすね」

 

 エルダーエルダ。その名前には聞き覚えがあった。

 

「確かあれだ、旧市街を取り仕切る4つの組織のひとつ『エルダ商会』の直営店」

 

「はい『エルダ商会』は特別行動隊の隠れ蓑として魔女(ローゼガルド)様が用意したダミーカンパニーです。従業員は全て侵蝕深度(フェーズ)7以上の隊員たちで構成されてます。基本、どいつもこいつもロクデナシばっかなので、迎えに行く2人以外は皆殺しにしても大丈夫っす、はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりが照らす夜道を馬車が行く。

 御者は侵蝕深度(フェーズ)3なので夜目が利く。

 2頭立ての馬は最初から夜目が利く。

 なので、これといって問題など起きる筈もなく、ただただ順調に進んで行く。

 

 A&J(会社)の支店をつくる際に、周囲の『掃除』は完了している。流れ者の散発的な犯行以外は途絶えて久しい安全な道。

 街道の整備状況もまずまず。

 乗り心地もまあ及第点。

 なにより、ただ座っているだけで目的地に着くのはやはり素晴らしい。

 

 ただ、あるひとつの要素が、それら全てを台無しにしていた。

 

「……あの、ミゲル様。なんでわたし、目隠しされてるんすかね?」

「安心しろ。俺もばっちりされてるよ。まあ、こればっかりは決まりだからなあ」

 

 車内にいる3人の内、彼とマナナには黒い目隠しがつけられていた。

 

「えっと、今わたしたちは、ネグロニアに向かってるんすよね?」

「そうだよ。だからわざわざ、正装に着替えたんじゃないか」

 

 目的はA&Jの権益の確保。

 ならばまずは、こちらの所属を明らかにしなくては話にならない。

 よって彼は、滅多に袖を通さない正装に着替えていた。

 

「え? あのガラの悪そうな縞々ジャケットって正装なんすか?」

「いかにもって感じだろ? A&Jの母体となった(実家)の直系しか着用を許されない、いわくつきの正装なんだぜ」

「目立っちゃうと、狙われませんか?」

「ああ。的にされるよ。だから死亡率が高すぎて、普段使いはされなくなった」

 

 そこで一笑い起きた。

 これで笑えるんだから、やっぱこの娘は特別行動隊なんだなあ、と彼は実感した。

 

「ふたりとも、そろそろ目隠しを外してもいいわよ」

 

 おばちゃんから許可が出たので目隠しを外す。

 べつに彼もマナナも、手足を拘束されていたりはしない。

 ただ、町のどの出口から出てどの方角に行ったのか、それを知らせたくなかっただけだ。

 

「いつも思うんだけど、これって、星の位置を見れば方位とかバレねえ?」

「だから途中で目隠しを外せるのは、星のない夜だけよ」

「なんかロマンチックっすね」

「そうかあ?」

 

 いわれて窓の外を眺めると、確かに、夜空に星はなかった。

 

「目的地付近まで来たら、また目隠しをつけて貰うわ」

「はい。それは全然いいんすけど、ここからだとネグロニアまで、どんなに急いでも2週間ぐらいはかかりますよね?」

 

 あれを知らないマナナからすれば、目隠しの意味はわからないだろう。

 だから彼は少しだけ、潤滑油を流し込む。

 

「実はなマナナ、これから俺たちはちょっとした『ズル』をするんだよ。A&J(ウチ)の保有する機密のひとつを用いた、馬鹿みたいに金を喰う、普段は絶対に使わないし使えない、大損必至のやつなんだけどな」

「……機密っすか。なら新入りのわたしはわかるんすけど、なんでミゲル様まで目隠しを?」

 

 誰よりもそれを扱うのが上手なおばちゃんが、優しく諭すように新人教育を行う。

 

「機密――秘密なんて、実はどこにも存在しないの。あるのは、特定の者だけが知ることのできる情報だけなのよ」

「俺の意思とかお構いナシに情報を抜く手段なんて、腐るほどあるからなあ」

 

 知らなきゃバレない。バレようがない。

 なら、知らなくてもいける奴は知らない方がいい。

 

「ま、何が待ってるかはすぐわかる。なに、俺も一緒なんだから、そうまずいことにはならないさ」

 

 そういうのは、現地に到着してからが本番だ。

 

「まずいこと、っすか。……あの、ミゲル様。わたしを連れて旧市街に行くと、絶対にどっかで1回は殺し合いになりますよ。特別行動隊の拠点周辺には厳重な警戒網が敷かれてます。補足されないのは、まずムリかと」

「行方不明の仲間が生きてたやったーおかえり、ってならねぇ?」

「生きて動けるくせに10日以内に帰還しない。その時点で『裏切り者として処分』ってなっちゃいます」

「だよなあ」

 

 ――迎えに行く予定の2人も『そう』なってなきゃいいんだけどな。

 

 余計な言葉は飲み込む。吐き出すならこっちだ。

 

「なら、いざって時の為に、事前のすり合わせをしておこう。確かマナナは侵蝕深度(フェーズ)7以上なんだよな?」

「あ、はい」

「じゃあ何か得物はつくれるよな? どんなのだ?」

 

 侵蝕深度(フェーズ)5からは、闇を特定の形に固定し、手に取れるようになる。

 その際、どんな形に固定するかは、いってみれば個人の趣味だ。

 ただ最初についた手癖は、ほぼ矯正は不可能とされている。

 趣味とは性根に紐付いたものであり、後からああしろこうしろといわれたところで、そうそう変わるものではないからだ。

 

「ちなみに俺はクロスボウだ。色々と面白いギミックが満載だが、そいつは見てのお楽しみってやつさ」

「……え、それ、めちゃ強じゃないすか。ズルくないすか? 剣持ってる人らとか単なる的じゃないっすか」

 

 実はこの得物、男の9割は剣になる。

 国民的人気を誇る英雄譚。その主人公が闇の剣を片手に無双し頂点にまで駆け上がるサクセスストーリーは、知らない男児を探す方が難しいレベルで普及している。

 

「なんだ? マナナは剣なのか?」

「違うっすよ。はい、どうぞ」

 

 彼の手に、ぽんと黒い筒が乗せられる。

 掌3つ分ぐらいの、長くも短くもない黒筒だ。

 

「……触っても?」

「右端をつまむ感じで引くと伸びます」

 

 いわれた通りに右端を引く。じゃこんじゃこん、と3段階に伸びた。

 なにこのギミック、くっそ格好良い。彼の琴線がばるんばるんになる。

 

「これ、望遠鏡か」

「はい。父が職人だったんで、小さい頃からよく見てたんです」

 

 試しに覗いてみると、窓の外の遥か向こうにある木の葉っぱの模様が見えた。

 本物同様に機能している。

 

「これ、めちゃくちゃ凄くね? 内部の機構まで完全再現とか、初めて見たんだけど。つうかどうなってんだ? 闇でレンズ再現しても、こうはなんねーだろ」

「専門家がいうには、概念の再現ではないか、とかなんとか」

「あら本当に凄い。最近ウチで輸入した品より、倍率も精度も上だわ」

 

 おばちゃんの方を見ると、全く同じものを覗き込んでいた。

 

「個数制限なし?」

「最大同時に10ってところっすね。それ以上はクオリティがガタ落ちに」

「マナナから離れても、形を維持できる?」

「10000秒が目処っすね。月明かりが一切ない夜なら、その倍は」

 

 最大限に伸ばしたそれを、爪先で叩いてみる。

 硬い。それなりに重量もある。

 

「もしかしてこれ、武器としても使える?」

「刃物なら、ぶつかった瞬間に向こうがへし折れます。鉄の兜も、ちょっと厳しかったけどいけました」

「曲がったり歪んだりしたら?」

「それはポイして、また新しいのを出せば新品に」

 

 あれ、これガチで凄くね? と彼が内心そわそわしていると、さらにおばちゃんが追い討ちをかけた。

 

「もしかしてこれって、強化措置を受けていない人でも、暗闇の中が見えるようになるんじゃないかしら?」

「……凄いっすね。1発でそこに気付く人、初めてです」

「本来望遠鏡って、見えないものを見る為のものだから、もしかしたらと思って」

 

 夜間において何の役にも立たない筈の一般人が、超視力を有する見張りへと早代わりする。

 広範囲は無理だろうが、特定ポイントの監視なら十分実用に耐えるだろう。

 

 もし敵方にマナナがいたのなら。

 ただ『見る』だけで、一体どれだけの選択肢が潰されることか。

 たぶんこいつ(マナナ)は、真っ先に潰さなければ、まともに勝負のフィールドにすら立てない類の奴だ。

 

「……マナナって特別行動隊の要だった?」

「いや、流石にそれはないっすよ。いれば便利、ぐらいでしたね。隊には元狩人の子がいて、その子は闇で鷹をつくれたんです。偵察から報告まで全部やってくれる凄いやつで、わたしはそのサブって感じっすね」

 

 おいおい特別行動隊が想定の10倍はやばいぞおい、などという内心をおくびにも出さず、彼は笑ってみせた。

 

「そいつはいい。昔から鷹は、矢に撃ち落とされるモンだって相場が決まってる。こっちは商人で矢も放てる。相性はばっちりだ」

「いや、撃ち落としちゃダメっすよ。その子、迎えに行く2人の内の1人なんすから」

「……そっか、気をつける」

 

 それからしばらく、おばちゃんと2人して窓から望遠鏡を突き出し、あーだこーだと性能チェックという名の楽しい遊びに興じていたところへ、不意に、それは降り注いだ。

 

 端的にいうと、急に夜道が明るくなった。

 

 なんだこりゃと疑問に思った彼は、1方向しか見れない望遠鏡から目を離し、光源を――夜空を見上げる。

 

 

 光の河が、蠢いていた。

 

 

 さっきまで星ひとつなかった真っ暗闇。

 それを大きく抉りながら進行する、蠢く光を束ねた『河』としかいいようのない馬鹿げた規模の何か。

 それがゆっくりと――いや、あの高度を考えると超スピードで、どこかへ向かいまっしぐらに突き進んでゆく。

 

 ――ダメだ。見えねぇ。

 

 河が途切れることはない。その総量も終わりも、ちっとも見えてこない。

 ワケがわからない。

 こんな自然現象、見たことはもちろん聞いたことすらなかった。

 

 だが、何が起きているのかはわかる。

 

 これが何を意味するのかなど……誰にでもわかる。

 

 こんなの、どれほど鈍いやつだろうがすぐわかる。

 

 ここまで派手にやられると、わからないフリをするのは不可能だった。

 

「……いやいや、なんかがあるだろうとは思っちゃいたが、こうなるかあ」

 

 思い当たるフシはひとつしかなかった。

 彼が途中でばっくれた降神の儀。

 あの場に勢ぞろいしていた化物たちをどうやって皆殺しにするのか、その答え。

 

「なあおばちゃん。もしかしてあれの向かってる先って、ネグロニア方面だったりしない?」

「ええ。その通りよ」

 

 彼の一番深いところが、ほんの一瞬だけ、怯みそうになる。

 自覚するより早く、握り潰す。

 

 伝承に語られる邪神は、戦で『討たれて』終わりを迎えた。

 つまり、殺せる。

 お空の彼方におわす分には手出しもできないが、同じ地に足をつけるのならば、殺せる。

 その事実は、ひどく彼を安心させた。

 

 

「なあに若、神殺しの英雄にでもなりたいの?」

 

 

 率直に凄いと思った。

 表層から彼の内心を読み取るのはもちろん、軌道修正まで一息の内に済ませるその早さ。

 これだから、このおばちゃんには頭が上がらない。

 

「まさか。いくら儲かるかって考えてたのさ」

「こんなもの相手に、逞しいこと」

「いうほどエグい化物ってわけでもない。まだ『入る』前の器は、ガキの頃のヒルダによく似た、可愛らしい娘さんだったよ」

「……なら、長じれば手に負えなくなるわね。中身も子供だといいのだけど」

「いやいや、きっと気さくな良い奴さ。その方が都合がいいからな。そうに決まってる」

 

 そこでふと、さっきから妙にマナナが静かだなと気付いた彼が眼をやると、

 

 窓から大きく身を乗り出し、おそらくは望遠鏡で光の河を観察しているのであろう彼女から――全ての力が抜け落ち、車外へと滑り落ちるまさにその瞬間だった。

 

「若っ!」

 

 おばちゃんと2人して、まだかろうじて見えるマナナの足に取り付く。望遠鏡が、からん、と外を転がる音が響く。だが、そこまで。

 ぎりぎりで間に合い、どうにか車内へと引き戻す。

 現着の前にひとり脱落など、笑い話にもならない。

 

「必要なものは?」

 

 目を閉じ動かないマナナの状態を確認しているおばちゃんへ問いかける。

 これはA&Jの社用車だ。なので当然、応急処置セットぐらいは標準装備してある。

 

「特に何も。外傷なし。脈拍、呼吸も正常。ただ寝てるだけにしか見えないわ」

「俺もおばちゃんも同じものを見た。だが、マナナだけがこうなった」

「きっと習慣の差ね。私と若はあれを見て真っ先に、どう活かすかを考えた。彼女はいつも通りつぶさに観察した」

「……これかあ」

 

 脇に置いていた黒い望遠鏡を手に取る。

 

「距離、いや、俺もマナナも位置は同じ。ならアップで『見る』のがダメなのか?」

「意識が戻るわ。詳しく聞いてみましょう」

 

 いやそんだけ容赦なくばちばち叩いたらそりゃ起きるだろ、とはいわないでおいた。

 そうして、とくに後遺症もなく意識を取り戻したマナナがいうには、

 

「なにかと目が合って、声が聞こえました。なんて言ってたのかはちょっと覚えてないんすけど、とにかくそれが聞こえた瞬間から、記憶が途切れてます」

 

 まとめるとこうだ。

 あの光の河は何かの集合体で、それと目が合えば、声が聞こえて意識を失う。

 

 さっぱり意味がわからない。

 ただ手に負えないことだけはわかる。

 見るだけで意識を失うとか、一体どうしろというのか。

 

「色々と試してみますか?」

「いや、止めとこう。次も無事な保証はないし、目が合うってことは、最悪向こうにも『見られている』可能性がある。顔を覚えられたりしたら、怖すぎるだろ」

 

 そこで前方の御者台から、ちりんちりん、とベルの音が聞こえた。

 

「ちょうどお時間だ。ほらマナナ、また目隠しの時間だ」

「あ、はい。つーか御者のおっちゃん、凄いっすね。夜空がびかびかなのに、ちっともびびってない」

「やばい時に足を止めたら死ぬだろ? だから死んでも止めない根性がある奴しか、あそこには座れないんだよ」

 

 そうして再び、彼とマナナは黒い目隠しで視界を塞いだ。

 

「じゃあマナナ、これからの手順を説明するからよく聞いてくれ」

「は、え? 手順っすか?」

 

 どこか上の空な返事に、どうせ外は見えないだろと笑いかける。

 

「どうにも夜空がやんちゃしてやがるが、俺たちにできることは何もない。だから、そっちは一旦スルーだ。いいな?」

「……はい。夜空さん、思ってたより若かったっすね」

「きっと10年後に今夜を思い出して悶えるぜ」

「若。時間が押してるから早く」

 

 怒られた。

 

「改めて確認するが、マナナは侵蝕深度(フェーズ)7以上で間違いないな?」

「はい。半年前の検査で、7でした」

 

 数値の上では問題なし。

 だが彼はきちんと説明を続ける。

 

「目的地に着いたら、おばちゃんが手を引いて先導してくれるからそれに続け。絶対に目隠しは取るな。もしズレたりしたら、ちゃんとおばちゃんに言って直してもらえ。これは本当に大事なことだから徹底しろ」

「はい。わかりました」

 

 かつて、これを怠り失明した者がいる。

 目隠しには、情報の隠匿のほかに『眼球の保護』という大事な役割がある。

 目を閉じろといわれても、咄嗟の反射まではどうしようもない。なので目隠しは必須だ。

 

「それである程度進んだら、おばちゃんが『ここから』って合図するから、そこから先は絶対に喋るな。口を閉じろ。口で息をするな。口呼吸禁止。どんなに小さくとも、絶対に口を開けるな」

「了解っす」

 

 かつて、これを怠り喉を焼かれた者がいた。

 この被害を防ぐ為、専用のマスクをつくろうかという案もあったが、この程度の指示も守れない奴は『ここで間引こう』となり、ふるいとして捨て置かれることになった。

 目とは違って完治するからべつにいいだろ、とは彼の弁だ。

 

「で、そのまま進んだら『絶対に』バランスを崩すだろうから、無理に体勢を維持しようとするな。倒れ込む感じで受け身を取れ。そうしたら終了。お疲れ様でしたで完了だ」

「え? それ、ただどっかで転ぶだけっすよね?」

「俺も具体的な絵図は知らない。目隠しで見えないんだから当然だよな。ただ毎回()()()って経験がある。だから今回もきっと()()()。……だよな? おばちゃん」

「ええ。何も問題ないわ」

「……了解しました。指示に従います」

 

 元軍関係者はこういうところがスムーズだ。

 そして1度了解といったからには、きちんと指示は守るしこなす。

 

 そうして、停車した馬車からおばちゃんの手を取って降車し、引かれるままに何処かの建物に入る。いくつものドアをくぐり、わずかな金音から恐らくは武装しているであろう複数の視線を感じつつもさらに奥へと進む。階段を上って降りて、右折して左折してを繰り返し、その要所要所で誰かの視線に背を押されながら、さらに歩くこと体感で10分。重い鉄の塊がぎぎぎとこすれる音を最後に、ようやく足が止まった。

 

「ここからよ」

 

 到着だ。

 おばちゃんの声が、彼の横へと移動する。

 ここから先へ行くのは、彼とマナナだけだ。

 

「若、マナナ、限界だと思ったら迷わず撤退なさい。無理をして、死んじゃ駄目よ」

「もちろんだとも。俺を失う以上の損失はないし、いきなり新入りをダメにするような大損、俺が許すワケないだろ?」

「そうね。私たち(A&J)に、損はさせないで頂戴ね」

「ああ。行ってくる」

「いってらっしゃい。マナナも、気をつけるのよ」

「え? あ、はい!」

 

 いまいちよくわかっていないマナナへ「説明通りに、落ち着いて、ゆっくり進むんだ」と促す。

 

 1歩。

 2歩。

 3歩。

 

 4の接地と同時に、身体が横向きになる。

 次いで吸い込まれるような、落下するかのような浮遊感。

 

 ただじっと我慢すれば長く感じるこの時間。

 少し考え事でもすればあっという間の時間。

 

 彼の脳裏に浮かんだのは、今回の副社長案件、その備考。

 

 事務所を出る際、荷物を取りに行ったマナナを待つ間に告げられた、今回の特別指定人員。

 

 

 

 特別指定人員(ついてないやつ)

 副社長案件の際、必ずセットで添えられる特定の誰かの名前。

 最初の内は誰にも意味がわからなかった。見覚えのない名前ばかりだった。当の姉貴すら「わからない」の一点張りだった。

 だがある時、副社長案件の報告書を作成していた事務方のひとりが気付いた。

 

 その時の騒動に巻き込まれ、不運にも死亡していた大工の名が、特別指定人員のそれと同じだった。珍しい名だった為、奇跡的に埋没を免れた。

 それから過去の記録を辿り、当時の副社長案件と『それに何らかの影響を受け死亡した人物』の調査を開始すると、あっけなく答え合わせは済んだ。

 

 特別指定人員(はずれくじ)

 そこに名がある者は、副社長案件にかかわる何かで、必ず死亡する。

 

 

 

 今回の()()を聞いた彼は、信じられないと思う反面、そういうことかと納得もした。

 あの魔女を心底警戒していた親父や経営陣が、なぜ今回はこうも大胆な方針へと舵を切ったのか。

 まともにやり合うと勝ち目がないから、かつて東側から撤退したのではなかったのか。

 まともにやり合うのを避ける為に、こつこつと恩を売っていたのではなかったのか。

 

 マナナを待つ間、そっとおばちゃんに告げられた今回の特別指定人員。

 

 その名は。

 

 

 ローゼガルド。

 

 

 夜空をぶち抜く光の河。

 化物どもを皆殺しにできる、最高におっかねえ何か。

 手綱がするりと手を離れたら。

 

 

 きっと今夜、魔女は死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 どちゃ、と横向きに着地する。

 

 ちくちくした感触と草のにおい。

 どうやら無事に『到着』できたようなので、彼は目隠しを外し立ち上がった。

 

 一面に広がる草原。

 夜なのに、妙に明るく、夜風に波打つだだっ広い草の海。

 見上げると、ここでも『あれ』が夜空を貫いていた。

 

 蠢く光を束ねた、馬鹿げた規模を誇る天の河。

 目が合うだけで気絶する『何か』の集合体。

 

 

 ――姉貴のいう権益に、こいつが無関係なワケねぇよな。

 

 

 最悪『これ』自体を指している可能性すらある。

 そもそも、こんなモンと喧嘩して、良いことなんてひとつもない。

 だが困ったことに、向こうがこっちと仲良くする理由がない。

 

 ないなら探すか。なけりゃつくるか。

 

 ゴッドスレイヤー伝説はどこかの英雄に任せようと決めた彼の耳に、ざり、と何かを踏みしめる音が入る。

 視線だけで追う。

 近場にあった背の高い草むらへ飛び込む影。

 思ったより元気そうだ。

 彼は草むらへ声をかける。

 

「大丈夫だマナナ。周囲に敵はいない。どういう理屈かは知らないが、人目(ひとめ)があるところには出られない。そういう風にできてるそうだ」

「え? あっ! ミゲル様っすか!?」

 がさがさと草むらからマナナが出て来る。

 手には黒い打突武器――鉄兜ごと頭を割れる望遠鏡。

 

 それを見た彼は、怖いなあと思う。

 現状を把握するより先に身体が動き、安全の確保と同時に迎撃の用意。

 とっさの反射で一息に、殺す準備までを完了させる。

 特別行動隊の質の高さを窺わせる、実に素晴らしい錬度だ。

 

「え? 外? 草原? わたしたち、あの音の反響、室内にいましたよね? なんすかここ?」

「俺も正確な場所や名前はわからない。ただまあ、ネグロニアの近くだろうなとは思う。たぶん、あの光の河を辿って行けば着くんじゃねえかな」

「…………まじすか?」

「まじまじ大まじ。とりあえず歩こう。でっかい矢印の方へ行けば、その内なんか見えてくるだろ」

 

 きょろきょろと辺りを見渡しながら進むマナナに合わせしばらく進むと、なだらかな下り坂の向こうに、バカでかい湖が見えてきた。

 

「……山の位置と形。支流の本数。信じられないんすけど、これ、たぶんパスカル湖っすよ」

「よくわかるな。さすが地元民。で、それって旧市街からどれぐらいの場所なんだ?」

「ふつーに徒歩圏内っす。駆け足なら、夜明け前には旧市街に入れるかと」

 

 夜空を貫く光の河を見る。

 バカでかいパスカル湖のど真ん中、その上空を真っ直ぐに突き進んでいる。

 丁度いい。共有がてらやるか、ショートカット。

 

「あの、ミゲル様。これ、軍事の常識がひっくり返りますよ。いや、まじで何なんすかこれ。死ぬほど急いで2週間の道のりが10秒って、意味わかんないっすよ」

 

「そこまで都合の良いもんでもないさ。たぶん人数は2人あたりが限界で、最低でも侵蝕深度(フェーズ)7は必須。6以下じゃ死体も残らず燃え尽きちまう」

 

 昔は処刑道具だったらしいぜ、とはいわないでおいた。

 

「なにより、さっきもいったが馬鹿みたいに金がかかる。今回のこれ1発で、今年の上半期の予算は全部ふっ飛んだと考えていい。正直、やった時点で負けみたいな1発芸的なところがある」

 

 

 距離を無視した移動。

 こんな反則じみた真似、どう考えても現代の技術では不可能だ。

 なので自ずと、何らかの古代遺物(ロストロギア)の再利用、という結論が出てくる。

 

 つまり、詳しい奴がいうところの『つぎはぎだらけの中古品』頼り、というわけだ。

 いつ壊れるかわかったもんじゃないし、修理ができるかは不明。

 

 普通に考えると、使い物にならない。

 

 次も同じことができるかは不透明。送り込める人員は選ばれたごく少数で、さらに無事な保証もない。おそらく必要な魔導具関連に莫大な金がかかる。維持費も安いワケがない。

 以上の理由から、表だろうが裏だろうが、組織というものを運営するにあたり絶対に無視できない()()が『使い物にならない』という結論を叩きつけてくる。

 

 採算が取れない。

 

 それこそ、姉貴のような存在でも抱えていない限り、破産必至の1発芸の域を出ない。

 

 これが秘匿されているのは、姉貴と紐付けて運用されているからだ。

 彼もA&J(会社)も、これ自体には大した価値を見出していない。

 

 なにせ、儲からない。

 

 

「マナナなら、そんな『これ』をどう使う?」

「えっと、そうですね……ぱっと思いつくのは、指導者とかリーダー的な人を逃がす用とか、1撃必殺首狩り作戦とか――あ、本当っすね、先のない1発芸になっちゃいますね」

「他にも、超激レア情報の伝達用とかもあったけど、1発でウチの半期予算を超える収益の見込める情報とか、ここまでひとつもなかったよ」

 

 だがそれでも万が一、まだ未知の可能性が、仕組みの解析が進めば。

 そういった浪漫派の資金と発言力をがりがりと削りながら今日まで維持されてきたが、結局は『副社長案件』専用となっているのが現状だ。

 

「だがまあそれでも、一応はトップシークレットだ。他言無用。誰かに自慢したりしちゃダメだぜ?」

「それは勿論、はい。というか、こんな話しても頭がおかしくなったとしか思われないっすよ」

 

 そんなことを話している内に、徐々にバカでかいパスカル湖が近づいて来た。

 こうして改めて近くで見ると……果てが見えない。海といわれても納得できるサイズ感だ。

 

「これをぐるっと左周りに迂回するのが最短ルートっすね」

「真ん中を突っ切れば、もっと早かったりしないか?」

「泳いで渡れる距離じゃないっすよ」

「歩きなら?」

 

 いって彼は、階段状に足場をつくり、ゆっくりと上って行く。

 

「……まじすか?」

「まじまじ大まじ。俺の後ろを付いて来てみな」

「その、何も見えない透明な足場とか、めっちゃ怖いんすけど」

 

 これじゃ見えないのか。

 ならばと彼は、少し純度を下げてみる。

 

「これでどうだ?」

「……うっすら半透明ぐらいには。幅的には80センチぐらいあるんすね」

 

 おそるおそる、といった感じでマナナが彼の後に続く。

 

「やってることはマナナの望遠鏡と同じだ。複雑な機構がない分、こっちの方が簡単かもな」

 

 10段ほど上ったら、そこからは真っ直ぐに切り替える。

 

「わたしの望遠鏡は空中で固定したりできませんよ。しかも人の重さを支える強度で量は無制限とか」

「そこまでできるほど『本筋』じゃないさ。ちゃんと不要になったやつから消してリサイクルしてる。だから急にバックとかするなよ? 普通に落ちちゃうから」

 

 それこそ、本当に無制限なのはヒルダや魔女(ローゼガルド)ぐらいなものだろう。

 

「そういえば、親戚ってことなら、ミゲル様も『王の血統』なんすよね」

「俺への悪口のひとつに『チンピラプリンス』ってのがあるから、それいってるやつ見つけたらとりあえず殴っといて」

「あの、笑わせようとするの止めてください。落ちたらどうするんすか」

 

 手すりも何もない足場だけの道を渡るのは中々に難しい。

 風、平衡感覚、恐怖、歩法。クリアすべき課題は多岐に渡る。

 

「だからここで練習しとこうって話だ。ここなら落ちても死にはしない。これを使う時は基本ダッシュだからな。のんびり歩くなんてまずない。あと向こうの飛び道具を避けたりで、ジグザグ走行とか上下運動もある」

「なんかそれ、面白そうっすね」

 

 そうしてしばらく、真っ黒な湖上で、光の河が向かう方へダッシュしたり急カーブしたりといった練習兼行進を続けた。

 彼の予想通りマナナの身体能力は素晴らしいの一言で、バカでかいパスカル湖の半分を縦断する頃には、先行するマナナの前に彼が道をつくりながら続くという意味不明なフォーメーションが生み出されるまでになっていた。

 

「これ本当に凄いっすけど、目立っちゃうのが唯一の欠点ですよねー」

 

 できるだけ『実戦と同じ条件で』ということで、今彼とマナナは黒い薄手のフード付きロングコートを着用している。

 このフード部分にはひと工夫あり、目元から下に蓋を閉めるようにして固定する布地をつけることで、極限まで肌の露出を抑えている。

 これは彼のやり方を知っているおばちゃんが用意したもので、たしかに暗闇では保護色となり、極限まで目視し難くなるのだが……それでも、中空で蠢く成人男性サイズの違和感というものは非常に目に付く。

 

 それこそ、昼間と同じレベルで夜目が利く侵蝕深度(フェーズ)2以上の相手からは、普通に発見されてしまうだろう。

 

「だから、こんなのもある」

 

 最初にマナナが『何も見えない』といった純度で、コートの外側を覆ってみる。

 これなら、闇の中で闇が動くだけになるので、そもそも認識できなくなる。

 

「……ズルくないっすか、王の血統。なんでもありじゃないっすか」

「目と足の動きだけは完全に消せないから、バレる奴にはバレる。所詮は小細工。ガチな連中には通じないから、あんま過信しちゃダメだ。やばいと思ったら迷わず逃げろ」

 

 彼の最大の強みは、何度でも仕切り直せる――いくらでも逃げられるところにある。

 

「……そりゃ、誰も無法者の星(アウトロースター)には喧嘩売らないワケです。こんなの、どうしろっていうんすか」

「ただ隠れて遠くから撃って、ダメなら逃げるってだけの卑怯者さ。そんな大したもんじゃない」

「それ、一方的に相手を狩る理想像じゃないっすか」

「だよな。俺もそう思う」

 

 そこで不意に、夜の眩しさが落ち着いた。

 ほんの一段、闇が前進し光が退いた。

 つまりこれは、

 

「ミゲル様あれ、空が」

 

 光の河が、ある地点へ集束するようにして消えていった。

 

 それはネグロニアを越え、そのさらに向こう、さらに東へ。

 思い当たるのは東の果ての離島群――すなわち旧王家の直轄地。

 かの悪名高き魔女の館の所在地だ。

 

「あー、そうなんのか」

 

 こりゃカチ合ったな、たぶん。

 

 あの魔女ならもしかして、という気持ちもあったが、やはり『特別指定人員』はそうそう覆るようなものではないらしい。

 

「あの、ミゲル様。よくわかんないんすけど、神さま的なやつって、海にどぼん、ですか?」

 

 彼は少し考えて「たぶん魔女の館に直行した」と正直に伝えた。

 

「魔女様が心配かい?」

「まさか。ミゲル様には悪いっすけど、ぶっ殺されたらいいのにって思ってます」

「それは特別行動隊の中じゃ珍しい考え方か?」

「表には出せませんけど、半分ぐらいはこうだと思います。当然、迎えに行く2人も」

「残りの半分は?」

「魔女様を神とする信者、っすね」

「うわ」

「性能はトップクラスの連中ばっかで、最強の隊長がその筆頭っす」

「うわきつっ」

 

 それから、迎えに行く2人の名前――ノエミ、バンビ――と特徴を聞いたところでパスカル湖の『踏破』は完了し、縦断訓練は終わった。

 

 久々に陸地へと足をつける。

 マナナがいうには、このショートカットで目的地までの所要時間を半分にできたらしい。

 

「じゃあ、ここからはちょいと急ごう」

 

 夜の暗闇の中の方が、彼の持ち味は活かせる。

 朝日が昇る前に、最も不安定となる最初期の準備は終えておきたい。

 

 だからさっさと旧市街に入って、まずは潜り込ませてるスパイに話聞こうぜ、と駆け足を始めた彼にマナナが続く。

 

「……あの、ミゲル様」

「うん? なんだ?」

「ひとつ、ずっと気になっていたことが」

「旧市街に入ったら話すヒマもないかもしれない。聞くなら今だぜ?」

 

 むしろ彼としては、もっと早い段階で聞かれると思っていた。

 

「正直、触れるつもりはなかったんです。知らない方がいいことって沢山ありますし、きっとこれも、そんなやつのひとつだろうって、スルーするつもりだったんっすよ、本当は」

 

 薄々感じてはいたが、マナナの頭の良さはかなりガチだ。

 

「けど状況的に、わたしと迎えに行く2人、全員が生き残る確率ってワリと低いって気付いちゃったんです。だから、できることは全部やろうって。上の人に睨まれたりハブられたりしても、できることをしないで後悔するのは嫌だって、そう思ったんです」

「そうだな。できることはやるべきだ」

 

 たったったった、と駆け足の音だけが響く。

 

 

「副社長案件って、何ですか?」

 

 

 正直、ダミーの答えは用意してある。

 各地に潜り込ませたスパイ。情報を集積、分析する専門部署。

 それらが弾き出す、特定の利益が重なる場所への重役派遣。

 それっぽい理屈と裏付けは、それこそ山と準備してある。

 

「あ、いや、違います。正直、副社長案件が『何か』なんて、わたしにはどうだっていいんです。秘密なんて知りたくないんす。わたしが知りたいのは、ええと、その」

 

 たったったった、たったったった。

 彼は急かさない。これは、彼が考える時間でもあるからだ。

 

 

「副社長案件に、わたしや2人の生死に関する言及はありましたか?」

 

 

 いやいや知りたくないとかいいつつほぼ完璧に理解してるじゃねーか! 

 

 不要な言葉は飲み込む。吐き出すならこっちだ。

 

「なかったよ」

 

 実際のところ、マナナから秘密が漏れる可能性はゼロだ。

 彼女をスカウトしたアルフレド(2番目の兄貴)の『仕込み』がある限り、話そうとすれば物理的に()()()()()()

 何がアウトで何がセーフかの線引きは、最初に散々話し合った。そこに齟齬はない。ブレも紛れもない。

 

 なので『話せる内容』を与えてしまうということは、マナナに爆弾を植え付けるも同義だ。

 洩らせば、話せば、どかん。

 だからそんな真似ができるアルフレド(2番目の兄貴)は皆の嫌われ者で、組織(A&J)にとって欠かせない大切な兄弟なのだ。

 

「なら、よかったです」

 

 最初のひとつは彼がおばちゃん(証人)の前でつけた。旧王家との血縁。

 いつもアルフレド(2番目の兄貴)は、骨組みや仕組みはつくるが、それ以上はしない。

 

 

『相手を縛り上げて、ナイフを用意して、毒を塗って、手に握らせるまでは僕がしよう。ただ、それを首筋に押し当てるのはお前たちがやれ。全部こっちにおっ被せるな。ちゃんとお前らも地獄に堕ちろよ兄弟』

 

 

 クソのような物言いだが反論はできない。

 だからこれで爆弾1つ。

 

 2週間の距離を10秒で移動できる『あれ』の存在。

 これで2つ。

 

 予定ではここまでだった。

 3つからは、危険域に突入してしまう。

 

 アルフレドがいうには『安全装置』だそうだ。

 裏切りを警戒しなければならないような奴のところに秘密が集中する。

 その時点でもうすでに、組織としては終わりかけている可能性があると。

 

 

『――だから、個人差はあるが、4か5になったら自動的に爆発するようにしておいた。きっとそれが一番マイナスが少なくて済む。1歩進んで、意図的にこれ使うことで、好きなタイミングで始末することも可能だ。ただし地――おい、エモーショナルポエムタイムは他所でやれ。そこまで僕はヒマじゃない』

 

 

 おばちゃんにも伝えたが、いきなり新入りをダメにするような大損、彼が許すワケがない。

 ……のだが、予想外に良かったマナナの頭が、セルフで腹に発破を巻いた。

 

「一応、お約束だからいっておくぜマナナ。このことは――」

 

「わかってます。絶対に親兄弟にも言いません」

 

 きっと彼女はわかっていない。

 この口約束が、物理的な結果に直結しているなど、理解していよう筈もない。

 

 実のところ、理解されても困る。

 

 これまで、この仕組みを理解した奴とは100%殺し合いになった。

 

「ならオッケイだ。ま、そう(りき)まなくてもいいさ。肩の力を抜いて気楽に行こう。どうせなら楽しい方がいい。そうだろ?」

 

 笑い飛ばす。

 

 彼は無法者の星(アウトロースター)

 

 つまるところ、外道の類である。

 

 

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