邪神さまがみてる   作:原 太

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7.1 湿地帰りの蜚蠊(ごきぶり)

 

 

 半世紀ほど昔の話だ。

 

 まだ彼が若かりし青年だった頃。

 まだ魔王(ゲオルギウス)による(くさび)が各地に打ち込まれるずっと前。

 まだ蜥蜴(とかげ)と呼ばれる異種族(隣人)が、領土拡大の野心に燃え滾っていた時分。

 

 

 地方商家の5男として生を受けた彼は、成人と同時に軍へと入隊した。

 不安定な情勢の煽りを受けた業績の悪化に伴う事業の縮小。従業員と一緒にカットされる、跡取りのスペアのスペアのさらに予備。ちなみに4男は漁師見習いとなり海へ行った。泳げなかった彼は陸を選んだ。

 

 有り体にいうところの口減らし。

 

 上等だ馬鹿野郎。2度と帰るかあんな家。

 そう吐き捨てた彼の言葉は、およそ半年後には現実となった。

 

 攻め寄せた蜥蜴の軍勢により故郷は壊滅。蜥蜴は捕虜をとらないという事実のみを残し他は全て消えた。

 

 行くあても帰る場所もない彼は惰性で軍に残り続けた。

 

 国境の番人などと呼ばれていた防衛拠点は既に陥落した。

 もうとっくの昔に『魔法』は解けていたのだと証明された。

 偽りとはったりをぐるぐる巻きにした涙ぐましい虚仮威(こけおど)しは、もはや通用しない。

 

 これは、顔も知らない祖父のさらに祖父あたりの尻拭い。

 

 やれ革命だなんだのと囀り、景気良くあれこれぶっ壊したそのツケだ。

 数えて3世代目には綺麗さっぱり消えていた『選ばれし力』とやら。

 ぽんと与えられた『それ』を前提につくられた国防計画の静かな破綻。

 もう守ってくれる『精霊さま』はいない。君たちの父祖が根絶やしにした。

 かつては貴族のお歴々がその命をもって御願い奉り(起動し)、瞬く間に侵略者を皆殺しにしてくれた『広域殲滅兵器(精霊さま)』はもう存在しない。

 なぜか?

 忌まわしき権威と残虐の象徴と声高に叫んだ君たちの父祖が、全て殺し尽くしたからだ。

 だからもう、君たち自身がやるしかないのだよ。

 

 そう告げる旧王家の紋をつける将官の言葉に「自分たちには関係のない昔話だ!」と反駁する声はなかった。

 理屈を戦わせる段階は、とうにすぎていた。

 誰かのせいにして事実から眼を逸らす余裕は既に踏み潰された。

 なにもしなければただ殺されるのみだという現実は、もう嫌というほど味わった。

 家族や知人の数が半分になったところで、いくら温厚な者でも必然的にそうなった。

 

 湿地方面防衛軍。

 

 大仰な名こそついているがその実、大半が故郷を失った難民の寄せ集めである。

 正規の軍隊が敗北した相手に、果たしてそんな烏合の衆でなにができるというのか。

 

 旧王家の紋をつけた将官は語る。

 

 

 軍部の首脳陣はこの辺境――南部一帯を見捨てる腹積もりだ。

 蜥蜴どもの性質と総数からして、占領されるであろう土地面積は許容範囲内だそうだ。

 そんなことより今は、東から押し寄せる四つ腕どもに注力すべきなのだと。

 高官の別荘や保養地が無数にある、富裕層の集中する東部一帯を守るのは自明の理だと。

 ……まあ、そんなものよ。

 所詮彼奴等は金や地位の犬。儲かるから、偉そうにふんぞり返って居られるからその椅子に座するだけの雇人。

 だが、我は違う。

 我は、我々は、この地に対し責を負う一族。

 刮目せよ、捨てられし哀れな民たちよ。

 この旧王家第5王子フィリップが、諸君らと共に、屍を晒しに来てやったぞ。

 せめて、女子供を逃がす時間ぐらい、稼いでみせようじゃあないか。

 

 

 通常なら、こんな身も蓋もない内容を大声でいってしまえば、烏合の衆は瓦解する。見捨てられて他方面からも攻められて絶対絶命。

 死ぬのは嫌だ、やってられるか、お前だけでやれ、などと銘銘(めいめい)にわめきながら一気に四散し収拾がつかなくなる。

 いくら女子供を逃がすという大義名分があったとしても『だから死兵になれ』といわれて『はいわかりました』とはならない。

 百歩譲って軍人ならまだしも、湿地方面防衛軍の大半は民兵もどきだ。

 状況やできることを勘案すればそうなるからといって、本当にそれが実行できる鉄の精神など持ち合わせてはいない。

 

 だというのに。

 どうしてか、これが通った。

 するり、と各人の胸の内に染み渡り、誇り高き決意の火種となった。

 

 

 もう守るべき誰かなど存在すらしない彼まで()()()()()のだから、きっとここで第5王子は()()()()()()

 常人にはまずできないそれを、進んで(みずか)らの手で選び()()()()

 それは。

 いうなれば、()(せん)も等しく誇り高くさせる、英雄譚への片道切符。

 受け取った覚えがなくとも、知らずに血肉となっている、下々の是非など歯牙にもかけない王権よりの下賜。

 なるほど、頑なに『志願兵』という形式を固持したのはせめてもの情けだったか。

 

 

 周囲の士気が天井知らずに上昇してゆく中、彼の内で膨れ上がる違和感。

 その家業から誰かを『使う』立場だった彼には、この気高く尊い決意があまりにも綺麗すぎて、どうにも薄気味悪かった。

 10名もいれば2、3はどうしようもない奴が紛れているのが常なのに、軽く千を超えるこの場の全てが『気高く美しい』という現実に、全拠点を合計すれば万に届こうかというその全員がきっと『こうなる』であろう確信めいた予感に、なぜか背筋が寒くなった。

 

 ただ第5王子の言は正論でもある。

 亀のような歩みで逃げることしかできない、膨大な数の非戦闘員を安全圏まで逃がすには、誰かが時間を稼ぐ他ない。

 なりゆきで入った軍とはいえ、ここで立たねば、とんだ恥さらしなのでは? ここで奮起できぬような軟弱者では……あまり好きではなかったが、それでも成人までは育ててくれた亡き両親に対し、とてもじゃないが顔向けなどできぬのでは?

 

 例に漏れず、すぐに彼も気高くなった。 

 

 

 そうして即席の死兵と蜥蜴(怪物)の軍勢との、お世辞にも戦いなどとは呼べはしない、しかし恐るべき速さで命が消費されてゆく、歪な絡み合いが始まった。

 

 

 そもそもの大前提として。

 まず、勝てない。

 

 しっかりと鍛錬を積んだ国境守備隊の正規兵を正面から蹴散らす蜥蜴の戦士を相手に、槍が弾かれたと敵に背を向け拾いに行くレベルの素人が太刀打ちできるわけがない。

 

 練度だけではない。生き物としての基本性能にも隔たりがあった。

 

 身体の大きさは同程度だが力はずっと向こうの方が強い。鎧の下にはさらに鱗があり多少の攻撃ではびくともしない。一息で2、3人は跳び越える頭抜けた跳躍を軸とした別次元の集団戦法の前には為す術もない。

 

 だから根本から見直した。

 

 ろくに使えもしない武器に固執し振り回され、なにもできないまま串刺しにされるぐらいならいっそ無手で組み付いた方が有効だという、実利以外の全てを削ぎ落とした、まるで冗談のような結論が採用されるに至った。

 

 湧きあがる恐怖は、溢れ出す勇気が押し流す。

 そうして動きを封じたのなら次は。

 

 幾度かの試行錯誤を経て考案された『仕手(して)』と『討手(うって)』という役割分担。

 難しいことなどできやしないので、誰でも簡単に理解できる単純明快な仕組み。

 

 盾を構えた『仕手(して)』が先陣を切り肉迫し組み付く。

 さすがの蜥蜴も腰に1人ぶらさげた状態ではろくに身動きが取れない。

 

 そこを『討手(うって)』が仕留める。

 鎧の隙間に槍の穂先をねじ込む技術などないので、どでかい棍棒を大上段に構え突撃し、身動きできない対象の頭部をひたすらに叩き続ける。これなら技術など関係ない。いくら鎧や鱗が厚かろうとお構いなしに潰せる。

 

 これなら倒せる。殺せる。勝てる。

 

 そんな、笑い話にもならない絵空事を、数え切れない程の死兵が本気でやった。

 

 活動圏内に森があったのがいけなかった。

 避難民の中に大勢の木こりが居たのも運がなかった。

 盾や棍棒を量産できる職人がそれなりに居たのもよくなかった。

 第5王子の下、統制だけはほぼ完璧にとれていたのが最もダメだった。

 こちらは守る側なので、蜥蜴の投槍や矢などの飛び道具は陣地に篭ってやり過ごし、しかる後に来る突撃にのみ当たればいいという、一応のかたちとして成立してしまったのも本当にどうしようもなかった。

 

 討手を担えるほど――大振りな鈍器を振り回せるほど体格に恵まれていなかった彼は、仕手として参加した最初の防衛戦でいくつかの学びを得た。

 

 べつに彼が特別(さと)かったわけではない。

 隣を走っていた戦友たちが、その命をもって教えてくれたのだ。

 

 

 ひとつ。

 槍で1、2回突き刺されたぐらいでは、そうそう即死などしない。

 

 ひとつ。

 たとえ致命傷を受けても、本当に動けなくなるまで、平均しておよそ100秒ほどの猶予がある。

 

 ひとつ。

 最初から『そのつもり』でことに臨んだならば、よほど不運でない限り組み付くぐらいはできる。死に際の馬鹿力は2つほど道理を超える。

 

 ひとつ。

 最初の1撃を基本通りに盾で逸らせば、長槍の内側には無傷で入れる。

 

 ひとつ。

 蜥蜴の尻尾には気をつけろ。

 

 ひとつ。

 女神は、実在した。

 

 

 ほぼ新兵も同然だった彼だが、それでも他の民兵もどきとは違い、一通りの基礎訓練は済んでいた。

 それが功を奏したのか、教えられた基本通りに盾を使い、そのまま無傷で蜥蜴の腰にかぶりつくことに成功した。蜥蜴の纏うざらついた皮鎧の感触が汗でぬめる手に吸い付いた。

 

 そこでどうしてか、不意に彼は幼い頃兄たちと取った相撲(すもう)を思い出した。

 年少で力に劣る彼が兄たちに勝つには……。

 

 蜥蜴の腰に手を回したまま、すすすと背後へまわる。

 その途中、ぐにゃりとなにかを踏んだ。

 足首が捻れバランスを崩し、近づく地面にあったそれは――尻尾だった。

 個体差はあれど蜥蜴の尻には必ずついているあれ。

 どうやらこいつは長いタイプだったらしく、地につく程の長さだったそれに足を取られた彼は、蜥蜴諸共派手にすっ転んだ。

 

 一瞬の空白の後、まるで子供のケンカのような揉み合いが始まる。

 微笑ましさなど欠片もない。

 命懸けの、本気の組み合いだ。

 腰の短刀を抜こうとする蜥蜴と必死にそれを押さえつけ阻止する彼。

 当然、腕力では敵わない。この拮抗は長くはもたない。

 彼が死ぬまで後ほんの、

 

 そこで彼は見た。

 

 女神を、見た。

 

 彼に圧し掛かる蜥蜴の首が、ぼとりと落ちたその向こう。

 

 得物に付いた血を払い、すぐさま次へと駆け出す、その美しい姿を見た。

 

 一刀で蜥蜴の首を飛ばし、打ち合っては押し切り、仕手が手間取っている箇所を的確に処理して行くその圧倒的な勇姿を見た彼の脳裏に浮かぶ酒の席での与太話。

 

 

 ――神兵部隊。

 

 

 まことしやかに囁かれていた、異種族を『単独で正面から打倒』するなどという、まるで現実味のない絵空事。あったらいいなの寄せ集め。彼我の差を知る誰もが一度は口にする、愚痴の中に潜ませた切なる願い。

 

 もしそんなものが現実に降り立ったのなら。

 そしてそれが美しい女の姿をしていたのなら。

 

 呆けていた彼の足下に蜥蜴の長槍が放り投げられる。女神からの神託が下される。

 

 ――さぼってんじゃないよ。まだ息のあるトカゲを突いてまわりな。

 

 女神の凄みに尻を蹴られた彼は飛び上がるように駆け出した。

 

 

 

 

 あれは軍属ではなく、第5王子の身を案じた旧王家からの私的な増援。

 どうやら各戦域に2、3名ずつ『同様の存在(英雄)』が配置されていたらしい。

 勇気あるひとりが「貴方は一体?」と直に聞いた答えは「主命によりお答えできません。しかし蜥蜴を狩れと命を受けここへ来ました。つまりは味方です」とのこと。

 

 どうにか生き延び陣地へと帰った彼が耳にしたのは、そんな熱を帯びた噂話の数々だった。

 

 誰かと誰かが話し合えば、もれなく与太話が生まれると知っていた彼は話半分に聞き流し、まあ3割ほど減った仲間の数に消沈するよりはましかと、野暮はいわないでおいた。

 

 彼は疲れ果てていた。

 おそらくはこの数時間だけで一生分の蜥蜴を突き殺した。もはや立っているのも億劫だ。

 だが飯を食わねば疲れは取れない。

 なので彼は美味くも不味くもない配給食を素早く受け取り、そこらで適当にささっと流し込もうとしたところで、

 

 粗末なテーブルの上で、普通に飯を食っている女神と再会した。

 

 女神はひとりではなく、場違いな連れと一緒だった。

 どう見ても(とお)にも満たないであろう、軍服を着た子供。

 ほんの一瞬だけ躊躇した彼だったが、すぐさま相席しても良いかと聞く。

 他を『使う』立場だった経験から、萎縮するより先に訊ねる程度の経験値はあった。

 

 ――ターナさま。悪い虫に構うことはないかと。

 

 軍服の女児には嫌われたようだったが、本人から「いいよ」とのお許しが出たので席につく。

 そうして彼は、彼女と色々なことを話した。疲れなど一瞬で吹き飛んでいた。

 

 彼女の名はターナといい、なんでも旧王家の中でもぶっちぎりでやばい奴の下についてしまい、そのせいでここに来る破目になったと。

 

 また彼女は他の『英雄さま』たちとは立場が違い、これといって特に偉かったりはしないらしい。

 なのでそんなお偉い方々と同じ空間に居ると苛められるので、こうして一般区画に避難して来ているのだと。

 

 ――いやターナさま、ウルバーノさまのアゴ割りましたよね? 泣き入っても止めませんでしたよね? 私が止めなきゃ、眼球えぐってましたよね?

 

 この女児は彼女専用の医者のようなものであり、まあ他の者に対しては特にできることもないので気にしなくていいと。

 

 ――私がウルバーノさまの怪我をどうにかしなきゃ、たぶん王子通り越して姫様まで話いってましたよ。ええ、あのプライドの高いウルバーノさま(くそばか)が自分でいうことはないでしょうから大丈夫だとは思いますが。

 

 見ての通りこの女児――ヴィクトリアちゃんは最高に可愛くて頭が良い世界の至宝なので、もし困っているのを見かけたら助けてやってくれと。

 

 ――そんな露骨に擦り寄られてもそう長くは隠し切れませんよ。え? 姫様は問題ない? 生殺与奪の自由? あの、そういう本気で頭おかしいの反応に困るんでやめてください。

 

 思いのほか彼女は気安かった。肩の力を抜いてごく自然に喋るその様につられて、つい彼は余計なことをいってしまった。

 

 覚えていないかもしれないが、今日は助けてくれてありがとう。まるで女神のようだった。

 

 彼女は噴き出した。それが顔に直撃したヴィクトリアちゃんは心底嫌そうにハンカチを取り出した。彼女はいった。

 

 畏れ多いことをいうな。そういうのはもう沢山だ。それにあそこまで生き延びたのは間違いなくお前の実力だ。まずはそれを誇れ。あの蜥蜴にへばりつき素早くかさかさと背後にまわる、まるで蜚蠊(ごきぶり)のような素早い動きは中々のものだった。

 

 ――それ悪口ですからね? ターナさまって、そうやって自然に相手を見下すところがありますから、本当に気をつけた方がいいと思います。

 

 そのやり取りを聞いていた数名の戦友の悪乗りと嫉妬から、彼のあだ名は蜚蠊(ごきぶり)になった。

 

 どう考えても悪口の類なのだが、女神につけられた名だと思えば拒絶する気にもなれなかった。

 

 

 

 

 蜥蜴の軍勢の第2波が撤退した時点で味方の数は半分以下になったが、それでも彼は生き延びた。

 理由はただひとつ。

 運よく女神の近くに配置されたからだ。

 どうやら女神は、怪物ぞろいの『英雄さま』たちの中でもさらに一線を画す別格の存在であるらしいと、その働きを見た誰もが理解し始めた。

 

 女神がいる戦域では死亡率が目に見えて下がる。

 その事実は、どんな説法よりも有り難く神々しい。

 

 すぐに女神は『皆の女神』となった。

 どんなへそ曲がりも、一度戦場でその姿を見れば必ずぞっこんになった。

 

 きっと女神はこちらを向いてなどいない。あれは別の理で生きてる。それぐらいわかってる。

 だが同じ戦場に居る限り視界には入る。ならば。

 情けない姿を見せたくない。腰抜けだと思われたくない。タフでありたい。最後まで。

 そんなどこにでもある当然の見栄が幾重にも重なり、地獄を回す歯車の潤滑油となる。

 自壊前提の機構が最大効率を叩き出すことで、ほんの一瞬だけ、終わりまでの時間を引き延ばす。

 どこかの誰かが1歩でも蜥蜴どもから遠ざかる為の、黄金にも勝る価値を持つ一瞬だ。

 

 少なくとも彼はそう信じた。

 

 ちょっとした小康状態の間に『志願兵』の補充があり、数だけは最大時の8割ほどに戻った湿地方面防衛軍だったが……蜥蜴どもの第3波が撤退した後には、補充前よりさらに少なくなっていた。

 そもそもが死兵の群れなので、もはや数字の大小にはさほど動じないという振り切れた有様だったのだが、それでも今回の損失には少なからず衝撃が走った。

 ここで初めて『英雄さま』から死者が出たのだ。

 

 支柱たる存在に陰りが見え始めたが、しかし全体の統制だけは揺るがない。

 女神と英雄と王子。それぞれが奇跡的に噛み合い、湿地方面防衛軍の瓦解を阻止し続けていた。一度閉じた地獄の蓋は、そうそう簡単には開かない。

 

 だがそれでも、第4波を半ば共倒れのように潰した頃にはもう、たぶん次で自分たちは全員死ぬのだろうなと、皆誰もが理解していた。

 

 第4波防衛の際、王子は戦死した。

 先にゆく。ついて来るでないぞ。

 

 笑いながらそう残した旧王家第5王子は、最初の宣言通りに、半壊した屍を晒した。

 彼の言葉は全て事実であり嘘はひとつもなかった。

 

 この地に縁もゆかりもなかった第5王子は、本当にただ女子供を逃がす為だけに、死にに来たのだ。

 

 そこまで()()()おいて、今さら元々の住人であった彼らだけが逃げ出す気には、どうしてもなれなかった。

 借り物だった気高さは、王子の死をもって自身の一部と成り果てた。

 

 まだ非戦闘員の避難は完了していない。その半数は手が届いてしまう距離にある。

 なら、しょうがないか。

 できる限り、やるしかないか。

 

 そんな諦めにも似たなにかが充満するのを見かねたのか、もはや唯一の希望となった女神がぽつぽつと語り始めた。

 

 これはしょぼくれたお前たちを騙すうそっぱちだ。安い気休めだ。

 

 そんな前置きから始まった、かつてどこかの馬鹿女が信じたという神様のお話。

 

 タチの悪い連中の詐欺だなどといいつつも、誰から見ても、今でも信じているのが一目でわかる、決して優しくはない、しかし救いに満ちたおとぎ話。

 

 他の誰でもない『女神』が語るのも大きかっただろう。

 

 お前も信じろ、などとは一言もいわれなかった。

 信じたいと、誰もが請い焦がれた。

 自分達は必ず報われるのだという約束に、唾を吐ける者などいなかった。

 

 彼らはその人生で初めて、心からなにかに祈りを捧げた。

 

 そこで、ぽう、と。

 

 まるでそれに応えるかのように、真っ暗な平原のあちこちが、仄暗い光に満たされた。

 彼は思い出す。そういえば今夜は満月だった。

 回収できてない遺体は優に千を超える。

 同じ数の仄暗い光が天へと帰ってゆく。

 ひとつひとつは小さくとも、数が数だ。

 それはまるで、地より立ち昇る光の滝。

 

 わかっている。

 これは単なる自然現象。ただいつものように『猫が来た』だけ。

 

 しかしつい彼は女神へ問うた。

 自分たちも、こうして御許へ行けるのだろうか。

 

 女神は答えた。

 行くだけなら誰でもできる。褒められるかはお前たち次第だ。

 

 それが結果にどう作用したのかなんて、誰にもわからない。

 

 ただ総員の9割が戦死し、湿地方面防衛戦は勝利の報を響かせた。

 

 昔の話だ。

 もうほとんど思い出すことさえなくなった、遠い昔の話だった。

 

 不意に訪れた、夜空の大河を見るまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 空から女神が降ってくるのはまあいい。

 詩的な比喩ではなく、彼女ならそれぐらいの無茶は当然のようにやってのける。今さら驚くようなことではない。

 

 店が半壊したのも旧市街(ここ)では些事の類だ。どこかの馬鹿が暴れる度に、いちいち気にしていてはキリがない。だからそれも、まあどうでもいい。

 

 そう最短で気を持ち直した彼は、まずは自身の確認をした。

 咄嗟に伏せたおかげで目立った損傷はない。問題なく動ける。

 

 ゆっくりと具合を確かめながら立ち上がった彼は、荒れ果てた室内を見渡し――やはり居た。見間違いではなかった。片足を負傷した女神が倒れていた。

 

 彼女が怪我を負う時点で特大の異常事態。

 

 おそらくはその原因と思しき、四つん這いになって激しくむせている子供。

 長い黒髪からしておそらくは女児か。しかしその服装はとても女児が着るようなものではなく、どちらかといえばヤクザ者が好みそうな上下一式。……まともな趣味ではない。

 

 眺めていても埒が明かないと、彼は声をかけてみる。

 

「おい嬢ちゃん、大丈夫か?」

 

 こちらを見た女児の顔は――魔女(ローゼガルド)に瓜二つだった。

 あえて言葉にするならそう、反吐が出るほど綺麗で冷たい。

 どんな馬鹿でも一瞬でわかる。

 これは最悪の厄ネタだと。

 

 返事をしようとした女児が吐いた。吐瀉物に血が混じっている。どう考えても大丈夫ではない。

 それによく見ると、ばたばたと大粒の血を落としている。

 あの出血量。頭でも切ったか。

 彼は一瞬だけ考えてから、なにか血止めに使えそうなものはないかと、ひっくり返っている室内をさらにかき回すと……懐かしい物が出てきた。

 

 それは一振りの歪な短刀。

 刃の一部を加工し『かえし』をつくることで、一度刺さればそう簡単には抜けないよう調整された特別製。

 仲間内では『留め金』と呼ばれた、遠い昔の記念品。

 

 これといった理由があったわけではない。

 しかし彼はそれを、そっと懐に忍ばせた。

 

「あの」

 細く高い子供の声に振り向く。

 魔女と同じ顔をしたそれは、口元を袖で拭いながら息も絶え絶えに続けた。

 

「すぐに、ヘンなローブを重ね着した、偉そうなヤツが来るだろうから」

 

 むせて、吐いて、構わず続ける。

 

「わたしは外へ逃げたと、正直にいえば、たぶんあなたは大丈夫だから、それで」

 

 そこで一度、大きく深呼吸して。

 

「損害の補填は、現当主のヒルデガルドへ、そのままを伝えて」

 

 途切れ途切れにいいながら立ち上がり、覚束ない足取りで外へ向かう。

 

 彼は小さく「おう」としかいえなかった。

 てっきり『手を貸せ』や『助けろ』といった要求が飛んで来るものだとばかり思っていた。

 しかし実際には、どう見ても窮地なのに、欠片もそんな素振りを見せない。

 それどころか、彼が『無事に済む』であろう手順と損害の補填を伝えてくる始末。

 

 底抜けのお人よしか、あるいは、こちらに対してなにひとつ期待していないか。

 

 反射的に声をかけようとした彼だったが――いつの間にか目覚めていた女神の『黙ってろ』のサインに従った。

 

 小さな背が戸口に吸い込まれ、視界から消える。

 

「……あの(なり)で殊勝なこといわれると、ケツがむず痒くなりやがるなァ」

「まあね。だが()れ物としちゃあ、特上品だろうさ」

 

 むくりと上体を起こした女神が一目見て、こりゃどうしようもないねと、自身の片足を諦めた。

 

「ハハ、歳食ったなあ女神さま。高い所から落ちたぐらいでそのザマたァ」

「うるさいね。無駄口はいいからさっさと備えな。あとその呼び方はやめろって何回いわせるんだい」

 

 ()れ物。備えろ。嫌な言葉が積み重なる。

 こういう時はひとつずつ。

 

「備えろって……何に?」

「闇の薔薇の副首領。ちらっと見ただけだが、たぶん単騎で手負いだ。やってやれないことはないさ」

 

 羽織を一枚脱ぎ、飛び出た骨を押し込むようにぐるぐる巻きにする。

 その言動を見るに、

 

「その足で、やろうってのか?」

「おまえもやるんだよ」

 

 闇の薔薇の副首領。たしか名はイグナシオ。狂人たちのまとめ役。名の知れた本物の外道。やくざ者が避けて通る、殺しに特化した魔術の使い手。

 老いた凡人でしかない彼が、どう逆立ちしても敵う道理のない相手。

 その道理を飛び越えるには。

 

「……こんな老いぼれに、また『あれ』をやれってか?」

「誰を守る戦いだと思ってるんだい? きっとどいつもこいつも、こぞって代わりたがる。けどもうおまえぐらいしかいないからね。猛れよ。使いどころさ」

 

 外見と振る舞いとの違和感。女神が躊躇なく命を張る相手。

 とうとう彼は、それに触れた。

 

「さっきのありゃ、誰だ?」

「昨夜来た私の恩人さ。おまえも見ただろ、光の河を」

 

 この世で唯一、この女神だけは絶対に、その手の嘘はいわない。

 だからきっと、これは事実だ。

 

 ……余りにもことが大きすぎてどう取ればいいのか、彼にはさっぱりわからなかった。

 だからとりあえず、現実的な話にいった。

 

「歳を考えやがれ。もう動くモンもろくに動きやしねェ。今さらあんな真似、できるかってんだよ」

「できるさ、おまえなら。腹くくりな。おまえは今日ここで、私と死ぬんだよ」

 

 そうまでいわれちゃあ、しょうがないか。

 

「それにおまえ、考えてもみな。ここまで老いぼれても、かの副首領と相討ちまでやってのけるんだ。もうナメたこという奴なんざ、後にも先にも出てきやしないよ」

 

 まいった。この女神、歳を重ねてからは理屈を繰る術まで身につけたものだから始末に負えない。

 

 

 

 

 

 それは、あの湿地防衛戦から10年ほどが経った頃。

 なにをいったところで「けどお前らは自国民を見捨てたよな?」で全てが叩き落され、信用も発言力も底をついた前権力残党の放った最後の苦し紛れ。

 

 あの湿地の悪夢、さも美談かのように語られる夥しい数の戦死者は、実は旧王家の謀略によって強制的に()()()()()()()哀れな犠牲者たちであると。

 英雄とされている第5王子フィリップによる怪しげな力で操られた、同情すべき生贄たちであり、権力層の刷新を企てた旧王家の薄汚い陰謀の被害者であると。

 もはや風前の灯となった前権力層の残党たちは、最後の力を振り絞り全力で吹聴した。

 証拠なんてひとつもない。ただそうだと声を荒げるだけの、酷く醜い悪あがき。

 本当にそんな力があるのなら、とっくにお前たちは蜥蜴の領土へ突撃してる。

 相手を責めたところで自分たちが見捨てた事実は変わらない。

 命を賭して女子供を逃がした英雄たちを貶める最低のやり口。

 こんなやり方で事態が好転するわけがないだろうと冷めた視線が集まる中、当の『生き残り組』だけは、皆一様にこう思った。

 

 ――おそらくこれは、事実だ。

 

 さすがに10年も経てば、当時の熱狂の不自然さに気づくことぐらいはできる。

 きっとこれを広めた連中の中には『生き残り組』の誰かがいる。

 

 どんな荒唐無稽に聞こえる内容だろうと、事実というやつは一定の説得力を持つ。 

 

 もし……もしこれが事実だと、万人の認めるところとなってしまえば。

 妻を家族を子供を逃がす為にと死んだ戦友(英雄)たちは、哀れな操り人形(被害者)へと成り下がるだろう。

 連中が見捨てたせいで、実際にあれより良い方法など誰にも提示できなかったというのに。

 あそこまでやっても、避難した非戦闘員の3割は行方不明となってしまった事実から、やらなければ確実に全滅していたと断言できるというのに。

 諸悪の根源かのように語られる第5王子も、結局は死んでも逃げなかった、誰もが認める湿地方面防衛軍の司令官だったというのに。

 彼が来てくれなければ、なにもできず、ただそのまま終わっていた。

 思うところがないといえば嘘になるが、それでも、その事実だけはしかと刻まれている。

 

 対して。

 

 自分たちを見捨てた連中が再び権力を握る為だけに、戦友たちの名誉を貶めている。

 英雄を被害者として再利用しようとしている。

 そんなことをしても『許される』と、心の底から、舐め腐っている。

 それを良しとできる者など、いる筈がなかった。

 全員の(はらわた)が煮えくり返った。

 

 ただ、それだけではなく。

 誰も口にしない、奥底に蠢く(おり)も確かにあった。

 どこへ行っても英雄として敬われる自分たちが、一転して哀れな被害者となる危機感。

 明確な『攻撃』に対する過剰なまでの『反撃』の意図。

 

 それらを全てをごちゃ混ぜにした、生き残った彼らによる、亡き戦友たちの『名誉を守る』活動が始まった。

 

 まずは……ふざけたことを抜かす阿呆には相応の報いを。

 とはいえ、向こうは腐っても権力者。返り討ちに遭うケースも多々あったが、彼らはあの『湿地方面防衛軍』の生き残りだ。命知らずの代名詞ともいえる存在だ。

 ならば、()()()振舞わなくてはならない。具体的にはそう、多少死んだところで構うものか。蜥蜴の軍勢に比べれば温い温い。笑い飛ばして、舐めたこと抜かす阿呆の首を飛ばして、彼らはしかと示す必要があった。誇り高く、荒っぽく、勇敢に、容赦なく、疑問の余地など挟まる隙間がないよう徹底的に。時にはこっそりと女神の手も借りて。

 

 

 

 

 

 そうして生き残った彼らの、嘘を本当にする努力は実りつつあった。

 

 湿地帰りはイカれてる。あいつらならきっと本当にやる。

 

 もう十分にも思えるが、なるほど確かに、最後の仕上げというのは大切だ。

 そう考えるとこれは、ただ古株というだけで顔役を張っている彼には勿体ないほどの(ひのき)舞台。

 同時に女神の(とも)までできるとなれば、もはや破格ですらある。

 決まりだ。

 ならどこでどう待ち伏せるかと、

 

 突然、室内に見知らぬ男が現れた。

 

 押し入って来た、飛び込んで来た、というわけではない。

 なんの前触れもなくぽんと、店番用の椅子が転がっていたその場に男は出現した。

 

 黒地に金の刺繍入りの派手なローブを幾重にも纏った男。

 おそらくこいつがイグナシオ。なるほど、右肩付近の布地が破れ、抉れた肉から血を滴らせている。確かに手負いだ。これは危うい。遊びがない。

 彼我の距離は、彼の足でおよそ4歩。

 

 陽が差し込む。

 

 穴の開いた天井、女神と『あの御方』がぶち破った、ついさっきできたばかりの新たな入り口。

 すっかり風通しのよくなったそこから、どうしてか、店番用の椅子が落ちて来た。

 がん、とイグナシオの後方で音を立てて、それが合図となる。

 

 きっとこれは、速さの勝負。

 

 片足が潰れ立ち上がることすらできない女神とこいつの、どちらが先に一撃を入れるかといった勝負。

 

 普通に考えて、女神に勝ち目なんて微塵もない、不意を突かれた時点でもう決まったような勝負。

 

 女神が飛んで、馬鹿でかい白い拳が振り抜かれて、ごすっ。

 鈍い音と同時に女神は吹き飛ばされ、安い壁をぶち抜きその向こうへ。

 

 ここでようやく彼は動き出せた。

 

 元々大した才などない凡人の身だ。

 年齢を加味すれば、これでも上出来なぐらいだろう。

 

 まさか向かって来るとは思わなかったのか、反応としては下の下。

 イグナシオは振り抜いたままだった馬鹿でかい白い拳を、そのまま裏拳のように振り払った。

 

 きっと奴は知らない。

 

 彼が似たような状況を、乱戦となり振り払われた蜥蜴の長槍を、どれだけの数、掻い潜ってきたのかを。

 できなきゃ死ぬを積み重ねた経験が、今の彼に可能な範囲で妥協しつつも駆動する。

 

 地を這う四足獣のように、一瞬だけ両手両足で床を掴み、頭上すれすれを白い塊が薙ぎ払う。

 

 そこで彼の腹が貫かれた。

 

 床に落ちた影から伸びた『白い棘』が、下から彼のどてっぱらをぶち抜いた。

 

 貫通しても棘は伸び続け、2メートルほどでようやく止まる。

 縫い付けられた彼の動きもびきりと止まる。

 棘の太さはおよそ指3本分といったところ。

 幸い正中線は外れた。まだ動ける。

 致命傷ではあるが、まだ死んではいない。

 

 きっと奴は知らない。

 

 この状況からでも、後100秒は彼が動くことを。

 ここからの死に物狂いは、2つほど道理を飛び越えることを。

 

 

「――いやいや! なにやってんの爺さん!」

 

 

 カン高い大声に眼を向けると、出て行った筈の『あの御方』が戸口にいた。

 

 どうして、戻ってきたのか。

 

「いや、なんで!? 外へ逃げたって正直にいえって、いったよな!?」

 

 イグナシオの眼が、もう『殺した』彼から戸口へと向いた。

 白い棘が消える。彼の身体が自由になる。

 馬鹿め。

 殺したぐらいで、止まると思うてか。

 

「――ああもう! なあ爺さん! 外で婆さんから、あなたの名は蜚蠊(ごきぶり)だって聞いたけど、それ本当!?」

 

 なぜ今そんなことを訊くのか彼にはわからない。

 

 ただ、本当かと問われれば。

 防衛戦から数年後、海へ出た兄である4男が海賊として手配され、彼はお尋ね者の身内となった。

 追われるように軍を辞してからは、そのまま本名を名乗るわけにもいかず、女神から貰った『これ』で通すようになった。

 もはや彼の人生では蜚蠊(ごきぶり)と名乗り生きた時間の方が長い。

 なのでそれが本当かと問われれば。

 

(まこと)にごぜえやす。一度聞いたら忘れない、洒落た名でしょうや」

 

 踏み出す。詰める。

 手が届くまで、あと2歩。

 

 

「だから! なんで突っ込む!?」

 

 

 ばきっ。

 となにかが安い木壁をぶち抜く音。

 続く風切り音。

 黒く細長い杭のようななにかが壁を突き破り飛来。そのままイグナシオのこめかみに激突――した筈なのに、どうしてか奴は一瞬だけ消えて、さらに後ろへぽんと現れた。

 

 空振りする黒い杭。その下で転がる店番用の椅子。

 せっかくあと2歩まで詰めた距離が、また4歩まで遠ざかる。

 

 だが奴までは一直線。

 彼は迷わず続行する。

 

 仔細は不明だがおそらくは魔術の類。奴は『跳び』やがる。

 蜥蜴(とかげ)は腰に1人ぶらさげた状態ではろくに身動きが取れなくなった。飛べなくなった。

 果たして奴は、どうだろうか。

 

 空を切った黒い杭がぐにゃりと軌道を曲げ、再度イグナシオへと向かう。

 

 走る彼と黒い杭。同時に迫る2つ。

 

 イグナシオは杭の方へ白い手をぶつけた。2つ3つ4つと次々と白い手を重ねて、押し潰すようにして杭を押さえ込んだ。

 

 だからといって、彼の方がガラ空きになるわけがない。

 踏みしめる次の1歩の先に飛び出す白い棘。

 来るとわかっているなら避けられる。

 無様に転がりはするものの、減速はほぼなし。

 よしかわしたと思った彼の背後から伸びる2本目。

 

 この性悪め。影からじゃなくても出せるなら、先にいっとけ。

 

 背後から首を突かれ、ノドから飛び出す白い棘。

 さあ目的を果たすぞと、防御も回避も頭から抜け落ちるその瞬間、背後より迫る不可避の一刺し。

 これは流石に、

 

 ――おまえは今日ここで、私と死ぬんだよ。

 

 まだだ。幸いにも背後から刺されたかたちだ。前に進めば勝手に抜ける。行け。進め。

 

 しかし身体は動かない。

 ひと足先に、もう機能が死んで、

 

 

「死ぬなッ! 走れェッ! 蜚蠊(ごきぶり)ィッ!!」

 

 

 なにかが満ちて、爆ぜた。

 

 全盛期を軽く超える、力と速度に満ちた、跳躍じみた1歩。

 2歩で組み付き、(くわ)えた鞘から『留め金』を引き抜く。

 

 

 湿地方面防衛軍仕手方(してがた)配給装備、特殊短刀2型。通称留め金。

 それは一振りの歪な短刀。

 刃の一部を加工し『かえし』をつくることで、一度刺さればそう簡単には抜けないよう調整された特別製。

 

 相手の身体に、自分の死体を縫い付ける為に用意された、本当にあった悪い冗談。

 組み付いた手の平ごと相手の身体に突き刺し、死ぬまでかぶりつき、死んだ後も固定し続けるを目的とした、他の全てを振り切った狂気の沙汰。

 

 

 蜥蜴(とかげ)はその身体的構造上、尻尾の付け根周辺には鎧を纏えなかった。そこが狙い目だった。

 それに比べるとこいつは、どこにでも刺さる。刺せる。刺した。

 見えずとも感覚でいける。己の左手、骨と骨の隙間を通す。最後の仕上げに少しだけ捻り、

 固定、完了。

 ここから先は、速さの勝負だ。

 彼が負けたことは、まだない。

 なぜなら。

 

 イグナシオが彼の首を落とそうと、手刀を振りかぶる。

 さっきのように『跳んで』逃げず、まず排除にかかる。

 やはり彼がいては『跳べない』らしい。

 確信する。ならばお前は間に合わない。

 

 きっとこいつは知らない。

 女神がいる戦域で、仕手(して)たる彼が死んだことは、まだ1度もないのだ。

 

 手刀より速く落ちて来る。

 覚悟を決めた重石により身動きがとれない、イグナシオ(標的)目掛けて落ちて来る。

 頭上に空いた、さっき彼女自身がぶち破った天井の大穴から。

 いつも通り、最強の女神(討手)が落ちて来た。

 

 気づいたイグナシオが、上を向き頬をへこませる。

 暗器か目潰しか、なにかを吐き出す予備動作。こいつもまた諦めない。

 彼は迷わず手を伸ばす。大雑把に口を塞ぐ。手の平に激痛。しかし力は緩めない。押さえ続けるあと少し。次いで脇腹に衝撃。逆手の手刀をねじ込まれた。力が緩む。しかしこういう時こそ固定が生きる。踏ん張るだけで現状は維持される。イグナシオが椅子を蹴る。暴れるなと踵で踏みつける。この手の揉み合いに才能は関係ない。どこまで無様に足掻けるか。喰らい付けるか。彼は叫ぶ。声にはならぬが張り上げる。お前が死ぬまでだ。

 

 逆向きのまま、女神の得物がきらりと瞬く。

 それは、試行錯誤の末に辿り着いたひとつの答え。

 基本性能で押し切れた若かりし頃には想像もつかなかった圧倒的効率。

 

 毛先ほどの傷さえつければ。そうして血中に流し込みさえすれば。

 

 1つ、2つ、3つ。

 

 細い針で突かれただけの、傷とも呼べない極小の損壊。

 

 彼女が望んだ、最も効率良く、100を相手にやり抜く手管。

 

 

 毒。

 

 

 すぐさまイグナシオの全身から力が抜ける。

 彼は知っている。

 あれを3つも喰らえば、まず即死だと。

 

 受け身もなにもなく、落下した女神が床に叩きつけられる。

 ただ頭からではなく肩から接地したので、まあ命に別状はあるまい。

 

 彼はひとつ息を吐く。

 やった。成し遂げた。

 

 ぐらりと倒れるイグナシオの身体に、彼はなす術もなく引っ張られる。

 もはや踏ん張る力も底をついた。

 どてっぱらを貫かれてから何秒経ったかなど、もうわからない。

 たしか平均は……およそ100秒だったか。

 

 そう。

 

 彼だけは知っていた筈だった。

 たとえ致命傷を受けても、心底から本気の奴ならば、平均して100秒は動きやがると。

 

 がし、と倒れる身体が踏み止まる。

 歯を食いしばったイグナシオが両手で『留め金』の柄を握る。

 脇腹の肉ごと引き抜き、投げ捨てる。

 その馬鹿力に振り回され、手の平に刺さったままの『留め金』ごと彼は振り払われた。

 

 回る視界の中、彼の目に映ったのは、ころころと転がる店番用の椅子が『あの御方』の足にこつんと当たり――ぽんといきなりそこへ現れるイグナシオの姿。

 

 そうか、あいつは椅子の場所へ『跳び』やがるのか。

 

 横たわる彼の目の前を、店番用の椅子がころころ転がる。正しくは位置の入れ替えか。

 しかし今さら気づいたところでもう遅い。

 奴が手を伸ばせば届く距離に『あの御方』はいる。

 道連れにでも、するつもりか。

 

 半死のイグナシオが『あの御方』の手を取った。

 

 

「受け取るがいい。ただし、貴方の命の代価として、我が矜持だけは返して貰おう」

 

 

 手の平に乗せられたなにかを受け取った『あの御方』が、一瞬の空白の後、あはと笑った。

 

「わかった。返すよ、イグナシオ。お前、道具なしでも、ちゃんと強いじゃないか」

 

「……ははっ、ふは、はは、ハハハハハハ――」

 

 途切れ途切れに笑いながら崩れ落ちた。

 もう起き上がることはあるまい。

 

 やり取りの意味は、彼にはわからない。

 ただあいつは最後に一矢報いたのだろうなと、そう思った。

 

 そこで彼の目蓋が落ちる。

 きっともう目覚めることはないだろうが、確かな満足があった。

 

「あ、ヨランダ! こっちこっち! お? ハウザーと姉さまも!」

「アマリリス様! ご無事ですか!?」

「むちゃくちゃ痛い。また吐きそう。けどこの爺さんと婆さんの方が――」

 

 大勢の足音。

 雑多に交わされる会話。

 流石は女神。もう大声を出せるとは呆れた頑丈さだ。そうでなくては。

 

 彼はやり遂げたという達成感に包まれつつ、意識を手放した。

 

「いえ、お婆はあれだけ喋れるなら最後でも大丈夫です。ヒルデ様はまずはアマリリス様を。あたしはこっちの爺ちゃんを」

 

 ただ。

 誰もが知る、単純な事実として。

 

「……うわあ。なにこの傷怖っ」

「実際はもっと怖いよ。串刺しにされても、足だけはがしがし動いてた」

「あー、……うん、なんというか」

 

 蜚蠊(ごきぶり)は、めちゃくちゃしぶとい。

 ちょっとやそっとで、死にはしない。

 

 

「やっぱ湿地帰りは、イカれてるなあ」

 

 

 







TIPS:護国の盾修友会

湿地防衛戦を生き残った傷痍軍人へ、終身の生活扶助を与える特例法は反対多数により否決(そもそも過半数が湿地防衛軍という軍組織は存在しないという見解)。
同年、匿名(旧王家)の有志(のポケットマネー)による、傷痍軍人への扶助組織『護国の盾修友会』設立。

当初は文字通り傷痍軍人への扶助組織だったが、一部の軍人や志願者に対し『強化措置』が行われるようになってからは、施術の失敗や副作用に苦しむ者たちの受け皿にもなった。

湿地防衛から10年後に再燃した『国辱』騒動の際、かの国賊たちが当初「勝算」としていた「事実の生き証人たち」とやらは、事態が加熱しきった頃には忽然とその姿を消していた。



TIPS:蜚蠊(ごきぶり)

女神と気安く話せるという希少性から、湿地方面防衛軍内でも抜群の知名度を誇った男。

名を捨てたといいながらも、本名よりも蜚蠊(ごきぶり)の呼び名の方が知れ渡っていた為、旧市街に流れて来た際、秒で身元がバレた。
お前ならいけると、怖い旧王家の連中との折衝役を押しつけられた、元『護国の盾修友会』相談役。という名の、怖いおばさんに頭を下げる係。

もう暴力しか頼るもののなくなった失敗作たちは、極限のそこから生還した彼に対する敬意だけは固持し続けた。
壊れて兵隊になれなかった彼や彼女たちにとって、彼は本物の英雄だった。

そんな英雄の語る、決して優しくはない、しかし救いに満ちたおとぎ話。
自分達は必ず報われるのだという約束に、唾を吐ける者などいなかった。


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