邪神さまがみてる   作:原 太

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13 段取り八分、仕事二分 × 2

 

 

 広域指定ロイヤル、ファルネウス組による未曾有の自爆テロ未遂事件。

 今まさにその現場から辛くも逃れることに成功したおれは、扉の外で待機していたグリゼルダと最速で合流し「行こう」「あ、ハイ」1秒でも早くこの場から離れようと音速(マッハ)で歩き出した。

 

 旧離宮の廊下には一切の人気(ひとけ)がない。

 今ここの主役は、色とりどりの猫たちだ。

 床に壁に天井に、所構わずすまし顔で歩いたり丸くなったりぐぐーっと伸びたりして、いい感じに異界感を演出してくれている。

 

「あ、あの、なにがあったんですか? 敵ですか?」

 

 とくに急ぐでもなく、余裕で音速移動(限界早歩き)中のおれについて来るグリゼルダ。

 ……普段は歩調、合わせてくれてたのね。

 

「あ、今日は誰も聞いてないから大丈夫ですよ。この猫(こ)たちを怖がってるみたいです」

 

 いやいや、盗み聞きの方法なんて山ほどあるし、たとえば盗聴魔法とか絶対にある――といいかけて、やっぱり止めた。

 ……なんだか神経質になってる。

 まだ心根が怯えている。

 こういう時は、無理して口を開かない方がいい。

 

 おれの沈黙をどう受け取ったのか、グリゼルダは軽い調子で、

 

「もう帰るならボク、先に馬車の手配してきますね」

「いや、まだいい。グリゼルダ、ちょっと座ろう」

 

 ちょうど廊下に面した中庭があったので、そこに備えつけられた芸術品のような足の細い椅子に腰かける。

 ……おっ、さり気なく椅子とか引いてくれちゃったりするのね。

 

 そのままおれの後ろに控えたグリゼルダ(さすがに場所柄的に隣の椅子へ座ることはしなかった)と、しばし無言のままキャッツが闊歩する中庭を眺める。とにかく心を落ち着けることに専念する。

 

「あ、この猫(こ)たちって当然のように池の上を歩くんですね」

「水上くらい普通の猫でもいけるよ。こう、石とかが水切りする要領で」

「それ着地の衝撃で内臓破裂しませんか? あと必要な勢いを考えたらスタートダッシュで足折れますよ、たぶん」

 

 こいつグリゼルダ、空想科学〇本みたいなことをいいやがる。

 だがこういったアホみたいな会話こそ、今のおれには必要だった。

 なにせ頭を空っぽにしてのヒーリングタイムだ。こういうのでいいし、こういうのがいい。

 

 そう。今おれは精神に多大なダメージを負っている。

 ガチな悪意の結晶は、ただ見るだけでずずんと気分が落ち込む。

 おれはこと『闇』に関しては、ピラミッドさんのおかげか、異常なまでに見通せる。

 だから否応もなく、知りたくもないことをつぶさに把握できてしまった。

 

 あれは、なにをどうこねくり回しても……終わり切ったクソの塊としかいいようがなかった。

 

 さっきサリアデールさんがや(・)っ(・)て(・)、しかし姉さまにより阻止され不発に終わった『ホウセンカ』とやら。

 

 あれによって拡散される毒性は、おそらく遺伝子レベルから変異させたりダメにしたりする放射線のような性質を持つ最低最悪なやつだ。

 たとえその場で死に至らなかったとしても、ほぼ確実に重篤な後遺症を残す上にきっと治療法もないだろうという、絶対に喰らいたくないクソったれの極みだった。

 

 もしあのまま炸裂していれば、誇張抜きで新市街も旧市街も終わってた。

 仮にキャッツリカバーでおれだけは死ななかったとしても、息を吹き返す度にもがき苦しんで死ぬという最低のサイクルを延々と繰り返していたに違いない。

 

 無法な筈のピラミッドキャッツパワーを押し切る致死性と持続力。それを元手はほぼゼロで大量生産できるという悪夢のようなコストパフォーマンス。しかも人体を保管容器とする為、どこにでも自由に持ち運べる取り回しの良さも完備。さらには叔母上とのカスみたいなコラボレーションによりその拡散規模は大都市を易々と呑み込むレベルへと達し、もはや誰にも止められない。

 

 率直にいって、存在しない方が良い類の大量破壊兵器である。

 

 

 だから、2度と『起動』できないようにした。

 

 

 全キャッツに「ホウセンカと呼称されるこの大量破壊兵器が、未来永劫効力を発揮しないように」とお願いしておいた。

 それだけでは不安だったので、さり気なく若い衆(スパイキャッツ)を送り込んだ上で「怪しい動きがあったら即座に阻止してくれ」と念入りにお願いしておいた。

 

 そうしてどうにか、悪夢のようなマジカルバイオ兵器を封じることには成功したのだが……おれの気分はどん底だ。

 得意気な顔で、自身の命ごとあんなものをぶっ放そうとするやつとか、もう怖いを通り越して気色悪い。只々(ただただ)かかわりたくないと心底から本気で願うばかりである。

 

 

「……なあグリゼルダ。わたしも外から見たら、ネグロニア貴族のように見えているのかな?」

 

 だとしたら、路線変更が必要だ。

 おれは、あんなものになんてなりたくない。

 殺し殺されの世界で顎先まで血の海に浸かりながら生きて行くなんて絶対にゴメンだし、おれの性質的にもたぶんすぐに死ぬ。肉体的にも精神的にも全く適性がない。だから周囲からのイメージが固まる前に、

 

「え? ゼンゼン違うと思いますよ」

 

 あれ、違うの?

 

「もしアマリリスさまが貴族みたいな感じだったら、今ボクはここにいないと思いますし」

 

 にわかに感じ取る。

 もしかしてこれはあれか? 照れ臭くもいい感じに褒められる流れか?

 おれは内心どきどきしながらも「まあ一応聞いてやるからいってみな」みたいな顔してグリゼルダを見る。

 

「アマリリスさまには、その、なんていうか、においがあるといいますか」

 

 ……なんか微妙にわかりづらいな。

 とは思いつつも、必死になって褒め褒めパンチラインを絞り出そうとしているグリゼルダのさらなる追撃に期待していると、

 

「――あっ! アマリリス様~!」

 さくっと褒め褒めタイムはインターセプトされた。

 声に振り向けば、そこにいたのは猫を抱えたプルメリア。

 こいつ微妙にタイミング悪いな。

 一瞬だけそう思ったものの、すぐさま違うと気づいたおれは笑顔で彼女を出迎えた。

 死をバラ撒こうとする相手に対し、彼女ほど頼りになるやつはいない。

 

「もうお話は済んだのですか?」

「途中で抜け出してきちゃった。やっぱりわたしはああいうの、向いてないみたいだ」

 自爆テロの被害者に向いているやつなんて、見たことないが。

 

「そっちこそ、ピーノとピーオ(あの2人)処置はもう済んだの?」

「はい。恐ろしいことに、乗せて軽く縫合したらあとは勝手に繋がりました。こう、むちゅむちゅさくさくっと全自動で。……なんというかもうみんな、笑うしかなかったですよ」

「あは」

 やっぱコメディはそうでなきゃ。

 原作でも、綺麗にくっつけさえすれば問題なくいけてた。

 ちゃんとそこまで再現できていたようでなによりだ。

 

「じゃあ2人とも、とくに問題はなかったんですね」

 グリゼルダの言葉に、なんだか微妙な顔をするプルメリア。

「……それがですねえ。見学に来ていた高名な学者先生が『どのレベルまで繋がっているのか確認してみたい』とか言い出しちゃいまして」

「うわ。嫌な予感」

「べつにこのおじさんに従う必要はないですよ、と私は言ったのですが……学者先生の刻む余りにも挑発的なステップに2人の負けん気が一瞬で着火し――応酬するかたちでブレイクダンスの代表的パワームーブ、ヘッドスピンをやっちゃいまして……」

 

 あれ? 急に意味不明になった。

 というかあるのかよブレイキン。

 

「けどやっぱりまだ完全に治っていたわけではなかったようで、自重と圧巻のスピンにより傷口が開いて大惨事に」

「ノリで生きすぎじゃない?」

「きっと、アマリリス様の力の凄さを証明したかったのだと思います。舐めたことを抜かすんじゃねえと見せ付けて、アマリリス様にケチをつける空気を一掃したかったのではないでしょうか」

 

 あ、なんか凄く真面目な話に。

 いやけど、さすがに身体張りすぎだって。

 そこまでされても困る。

 

「……今は大丈夫でも、夜が明けたらどうなるかわからないよ?」

「ええ、承知しています。ですのでヨランダちゃんが付きっきり(完全拘束)で容態を注視(軟禁)しています」

「いけそう?」

「はい。おそらく2人は大丈夫だと思います。むしろ、学者先生をぶち殺――殴ろうとするヨランダちゃんを止める方が大変でした。というか今もヨランダちゃんが殺(や)らかさないよう、役割を与えて隔離している感じです」

 

 まあうん、せっかく治ったのに煽って傷口を開くやつとか、ヨランダガチ切れ案件だよね。

 というかお前ら、4人中3人が軟禁ってそれ手術の結果としては意味不明すぎだろ。

 

 

「つまりまとめると、ちょっとしたトラブルはあったけど大体全部うまくいったってことでおっけー?」

「おーるおっけーです。取りこぼしなしの100点満点。完璧と言って良いかと」

 

 ならばそれを維持してもらおうと、おれはさくっとチクることにした。

 

「じゃあサリアデールさんからは目を離さない方がいい。ついさっき、全てを台無しにする毒爆弾を爆発させようとして姉さまに阻止されてた。向こうの手持ちがあれ1つとは限らないから、最後まで油断しないで」

「あー、やっぱりそういうことしちゃいますかー。ホントにもーあの人たちは」

 

 これといった驚きもなく、さらっと受け止めるプルメリア。

 この予想していたかのような反応は。

 

「もしかして、それを阻止する為に急いで来たの?」

「最悪に備えて、のつもりだったのですが、まさかもうやっちゃった後だとは」

 ホント度し難い〇△□☆ですねー、とさり気なく毒を吐くプルメリアに、おれはただ笑っておいた。

 

 余計なことはいわない。

 

 こちらからすれば忌むべき大量破壊兵器でしかないが、きっとファルネウスさん家からすれば財産である。

 それを勝手にぶち壊したという事実は、当然ながらトップシークレットだ。

 損害賠償の請求。リベンジヒットマンの襲来。……うん。どう考えても、誰にも知られない方がいいな。

 

 おれの理想としては、10年後くらいにちょっとしたきっかけで明るみに出て、諸説飛び交うものの結局は原因不明に落ち着くパターンが望ましい。

 まあ、あんな過激な連中ならきっとあちこちから恨みとか買ってるだろうし、ワリと本気でいける気がしてる。

 さらにいうなら、いくら広域指定系ロイヤルだとしても、あんなくそオブくそな大量破壊兵器とかそうそう使う機会はないだろうから、普通に100年くらいはバレない可能性も十分にあると思ってる。

 

 とっさのアドリブにしては及第点。

 おれはでき得るベストを尽くした。

 プルメリアへの引き継ぎも済んだ。

 もう、ここでやるべきことはない。

 うん。気分も持ち直してきた。

 よし。さっさとずらかろう。

 

 

「じゃ、そろそろわたしたちは帰るね」

「ならそのまま正面から出て頂けば、帰りの馬車が常にスタンバイしていますので」

 おーVIP待遇だね、そりゃVIP待遇ですよー、などと和やかに談笑しつつプルメリアに別れを告げ、おれたちは仁義なき旧離宮からマイホームへと帰る馬車に乗り込んだ。

 

 往路(おうろ)での襲撃に対するアンサーなのか、帰りの車体はフル防弾フル防刃仕様の王族御用達特別車両(当然のように紋付き黒塗り)だった。車内の間取りはほぼ同じだが、その防御力はケタ違い。もしまた同じように襲撃されても、絶対にこれは斬れないだろうと確信させるどっしり感に思わずおれもにっこりだ。

 

 御者を務めるのは男1人と女1人の2人組み。ピーノたちと同じ近衛の制服に、さも当然のように出しているゴツくて立派な影馬。その落ち着いた立ち振る舞いと年齢感から、かなりのベテラン勢であることが窺える。

 

「後ろからもう1台護衛車両が付きますので、ご了承の程よろしくお願い致します」

「わかった。ありがとね」

 

 軽く挨拶を交わし、さあ出発といったところで、

 

 

「待って! 待ってくださーい! 乗ります乗りまーす!」

 

 

 タクシー乗り場のおばちゃん(強)のような台詞が聞こえた。

 いや、この馬車そういうシステムじゃねーから。

 

「これ、無視して行っちゃダメかな?」

「さ、さすがにカワイそうですよ」

 

 まあいってみただけだ。

 姉さまたちとの話し合いで『ニニィさん』がおれの側に付くことはもう決定済みだ。

 おれはにこやかに片手を上げ、アンジーに応えた。

 

 実際のところ『闇の薔薇の導師』とかいうくっそやばそうな敵に対するカウンターがいてくれるのは心強くはあるのだが……そもそもなんだよ夜の母(ナイト・マム)って。

 しかも『原初の』とかいうこれまた曰くのありそうなワードも飛び出してた上に、他者の中に入り込んで肉体をシェアするとか普通に考えて悪のラスボスみたいなやり口じゃん。なんかもう基本設計からして邪悪さが隠し切れてない。

 

 正直いって、こっちはこっちでやばい臭いがぷんぷんしてる。

 旧王家の現当主とバイオテロやくざ貴族が『まあアンタがいうなら』みたいな空気感を出してたのもまたやばやばレベルを引き上げている。

 

 そんな疑惑のアンジーが、息を切らせることもなく一瞬で馬車のドアまで駆け寄った。

 ……いや速っ!

 相変わらずこっちのやつらの身体スペックはバグってるとしかいいようがない。

 

「というかヒドいですよアマリリス様。帰る時には迎えに来るっていったのに」

 完全に忘れていたおれは、ただ黙ってにっこりと微笑んだ。

 無駄を悟ったアンジーはグリゼルダへと向き直り、

「グリちゃん、止めてくれてありがと。もしかして、思ってた10倍くらいわたしのこと好き?」

「降りるか黙るか、好きな方を選びなよ」

「あ、ハイ」

 

 アンジーは黙って席に着いた。と同時に音もなく馬車は出発した。

 

 ……まあ見る限り向こうに敵意はないみたいだし、導師ともなにやら因縁があるみたいだし、王家筋以外にコネをつくっておくのはいざって時の生命線になりそうな気もするし……なんというか、ギリで許容範囲なんだよな。ほんとギリで。

 

 

「あ、そうだグリちゃん。わたし、しばらくそっちでお世話になることになったんだ」

「そうなの? どうしてアンジーが――」

 

 よし。

 ならまずは最低限を確保するところから始めるか。

 なにをするにも、これが成立しなければお話にならない。

 おれは少し硬い声で切り出した。

 

「アンジー。話を始めるより先に、1つクリアしておかなければならない大前提がある」

 

 2人の視線がおれに集まる。

 遮る声はない。ちゃんと真剣な話だと伝わっている。

 

「君の『姉』の存在だ。それをグリゼルダに明かさなければ、ここから先の話はなにも進まない。進めることはできない」

 

 グリゼルダとの『ニニィさん』に関する情報の共有。

 これは絶対に避けては通れない。通ってはいけない。

 

 アンジーの中にいる『ニニィさん』という未知の脅威足り得る存在をグリゼルダに知ってもらわなければ……守ってもらえない。

 もしなにかあった時、護衛のグリゼルダが『知らない』のではおれのことを守れない。守りようがない。

 だからこれは大前提。これをNOといわれてしまえば、ここまでだ。

 この話はなかったことにする。誰になにをいわれようとも構わない。

 起こり得るいかなる不利益も、グリゼルダ(護衛)抜きで未知の存在と至近で接するリスクに比べれば安いものだ。

 おれはびびっているという事実を恥じない。おれは英雄でも豪傑でもない。できもしないロールプレイの奴隷になるつもりはない。

 

「信用していないと取るか、五分以上の存在としてちゃんと真っ当に向き合っていると取るか、好きな方を選んでくれていい。しばらく待つよ。相談して」

「オッケーだそうです」

 

 まさかの即答。

 

「あとその……『思ったより臆病なんだね』って。これ、わたしじゃなくてお姉ちゃんが言ってるんですからね? ほ、ホントですよ?」

 

 うーん、煽ってきたか。

 今回に限りスルーはない。対話の拒否は論外だ。

 ならこちらにできるのは2つに1つ。

 びびって萎縮するか、前に出るか。

 

「そりゃ怖いからね。慎重に、臆病にもなるさ。夜の母(ナイト・マム)ってのが何なのかわたしは知らないけど、こちらの命なんて道端の石コロくらいにしか思っていない、というのはわかるよ」

「えーと……『驚いた。読心の心得が? 2重だぜ?』って、いやいや! そこは否定しようよお姉ちゃん!」

 

 よしここだ!

 ここでかます!

 

「わたしよりずっと頭のいいやつがいってたんだ。大体、相手も同じことを考えているって」

「……『だったらもうボクたちは友達だね』って、なんかこう、にちゃっとしながら言ってます! ちょっと判断に困る感じなんでわたしに詳細とか聞かないでくださいね!」

 

 よしここだ!

 ここで前に出る!

 

「その通りだねマイフレンド。わたしは君のことが知りたいな。夜の母(ナイト・マム)って何なの?」

 

 ノリとフィーリングでアクセルをベタ踏みするおれの前に「あの、ちょっといいですか」と控え目なグリゼルダの声が挟まれた。

 

「ええとその、さっきからやってる劇団1人アンジー? は一体なんですか?」

 

 すっと頭が冷えた。

 共有しなきゃヤダヤダ! とかいってたおれがグリゼルダを置き去りにしてるのは、さすがにアホすぎるね、うん。

 

 

 

※※※

 

 

 

 音もなく進む馬車の中。向かい合うように設置された長椅子型の座席上。

 おれは隣に座るグリゼルダに、アンジーとニニィさんの事情をざっくり説明した。

 

 その途中、ちらりと正面に座るアンジーの顔が目に入ったのだが……驚いたことに、そこにはほんの一握りの怯えが垣間見えた。

 ちゃんと秘密を明かすことに恐怖を感じている。良くない変化を恐れている。今のグリゼルダとの関係に価値を認めている。友達だと思っている。おれはついつい嬉しくなってしまった。

 

「それって要するに、独立して会話可能な『ボクたち』ですよね。いいなあ、お話しできるとか」

 3秒ほど待って、続きがないのを確認したアンジーが、

「……それだけ?」

「うん」

 

 まあそんなものだろう。

 べつにグリゼルダは切り札を隠していたからといって怒るようなアホではない。

 そこで怒りを見せるやつとは、こちらの管理人や飼い主を気取っているカン違いさんか、もしくは『オレが好きな奴の名前いうからお前もいえよ!』系のパワハラもどきだけだ。

 

 もしグリゼルダがそんなやつなら、おれは彼女を側には置いていない。

 

「じゃあ共有も済んだことだし、話を戻そうか」

「え? そんなさらっと行っちゃうんですか? 引かれたらどうしようとか、結構イロイロ考えてたのに」

「そんなこといったらアンジー、前のボクの方がどん引きだよ」

「たしかに! さすがにあれはちょっとキショかっウゲッ!」

 

 グリゼルダは一瞬の躊躇いもなく手を出した。手刀でアンジーの喉をずぐっと突いた。

 おれは『以前のグリゼルダ』を知らないが、あまりそのことには触れない方がよさそうだ。

 

「……えー、それでは話を戻しまして、お姉ちゃんが言うには、夜の母(ナイト・マム)とは――」

 

 3秒前の失言をなかったことにしたアンジーが、いそいそとおれの質問に答えようとする。

 そのゴリ押しに文句はない。ただ。

 

「あれっ? アンジーが喋るの? わざわざ伝言ゲームしなくても、本人に出て来てもらったらいいのに」

 なにせもうこの車内にいる者は全員知っているのだ。

「いえ、それが、お姉ちゃんは『本当に必要な時』にしか出て来てくれないんです。おまえの人生の主はおまえであるべきだ、とかいって値打ちこきやがるんです」

 

 ふむ。

 やっぱり『単なる寄生先』というよりかは、もっと情が籠もったなにかに思えるな。

 姉妹と自称しているのも、あながちデタラメではないのかもしれない。

 

「問答無用で抜刀しちゃえば?」

 さっきのお返しとばかりに、ちょっと煽ってみる。

「抜いたところで最終決定権はお姉ちゃんにあります。いくら準備を整えても、結局はお姉ちゃんに出る気がなければダメですね。というかそもそも、刀を抜くとは『殺す』の意思表示ですから、そうポンポンやるわけにもいきませんし」

 

 おお、結構ちゃんと考えてる。さすがは元剣の里出身。

 ……ただその言葉を踏まえた上で、もう少しだけ深く考えてみると。

 

 これまでにアンジーが『自分の意思で』刀を抜いたのは1度だけ。

 最初にやって来た娼館の食堂(レストラン)での1度だけだ。

 色々と言葉を尽くし誤魔化してはいたが、あれは間違いなく彼女の意思による抜刀だった。

 

 おそらくは。

 

 もしあの場で、なにかしらがこじれてやり合うような事態になっていたならば、きっとお姉ちゃん(ニニィさん)は出てきたのではないだろうか。

 旧王家の現当主とバイオテロやくざ貴族が自然と『まあアンタがいうなら』となる原初の夜の母(ナイト・マム)とやらが、あの狭い密室内でその力を振るっていたのではないだろうか。

 

 ……まあこっちも、マジックミラーの向こうに最強の魔女の巫女をスタンバイさせてたし、そこはお互い様か。

 

 

「あ、ちなみにこの夜の母(ナイト・マム)? の話はわたしも完全に初見なんで、所々ぎこちなくなっちゃうのは優しい心で見守って、褒めて伸ばす方向で行きましょうね」

 

 ナチュラルに厚かましいのはもうスルーするとして、

 

「ずっと一緒にいるお姉ちゃんのことなのに、知らなかったの?」

「いくら聞いても『今は知らない方がいい。時期が来たらね』とかいって、具体的なことは教えてくれなかったんですよ。凄いことが沢山できるってのは知ってるんですけどね」

 

 まあお前、ビッグネーム(推定)がバックに付いてると知ったらめっちゃ調子に乗りそうだもんな、とはいわないでおいた。

 

 そうしておれたちは、原作・ニニィさん、朗読・アンジーによる『夜の母(ナイト・マム)とばっくれ研究者エルリンク ~えっ!? 馬鹿にされ冷遇されていた彼らが逃げ出した先で王家に!? ほぼワンオペで現場技術を支えていたオレたちが消えると困るだろうがもう遅い!!~』を拝聴した。

 

 ふむふむ。

 別の大陸。貴種(ノーブル)。その上に位置する古(エルダー)貴種(ノーブル)。そのさらに上に君臨するのが夜の母(ナイト・マム)と。

 んでもって、欠陥品と蔑まれていた『貴種(ノーブル)もどき』の血統エルリンクが我慢の限界でブチ切れて今いるここにトンズラかまして王家になって、その時ついでに付いて来たのがニニィさんだと。

 

『けど方向性の違いで本流とは疎遠になっちゃって今に至るって感じだね。どうだい? 凄いだろ夜の母(ナイト・マム)』

 

 いちいち「~だそうです」とか「~といってます」などというのが面倒になったアンジーは、ニニィさんの台詞を物真似することでリアルタイム翻訳を可能としていた。

 

「じゃあ貴種(ノーブル)もどきなエルリンクの末裔である王家は、上位種である夜の母(ナイト・マム)――ニニィには逆らえないってこと?」

『いいや、逆らいまくりだよ。追放されたし殺されかけたし、他にも好き勝手ばっかり』

 

 いきなり失墜! 夜の母(ナイト・マム)の権威!

 

「……どゆこと?」

『さっきも言っただろ? エルリンクには欠陥があったって。彼らは一部の重要な形質が先天的に不全だった。それは彼らから貴種(ノーブル)の定義たる騎士の任命(アコレード)を奪ったけど、同時に夜の母(ナイト・マム)に対する無条件の敬愛をも奪い去ったのさ』

 

 ……んん?

 なんかまた新情報が出てきたなおい。

 上位種たる夜の母(ナイト・マム)は、その下に位置する古(エルダー)貴種(ノーブル)たちから『無条件の敬愛』を受ける?

 

 それってつまり。

 

「なんかいい感じに好かれるってこと?」

『それこそ母のようにね。ただしこれはそう万能なものじゃない。母親を殺したり殴ったりするやつは結構いるし、大体自我が確立してくると鬱陶しいと感じるようにもなる。うっせえババア構うんじゃねえ! とかいっちゃう若者なんて、どこにでもいるものだろ?』

 

 だがそれでも、大半のやつは『従う』と思う。

 本気で譲れないもの以外は『まあそこまでいうならいいけど』となってしまうのではないだろうか。

 嫌うにしても悪運か努力か資質が必要となる『基本的に』心底からは嫌いになれない存在。

 遺伝子レベルですり込まれている、好感度の初期値に対する最上級のブースト。

 

「……そんなの、やりたい放題できるんじゃ?」

『いいやつばかりじゃない。同じ数だけゴミやカスも惹きつける』

 いわれてみればたしかに。

『それに考えてみなよ。国やら大商会やらを始めとする、強い力を持った組織のトップはみんな年嵩(としかさ)の女かい? 違うだろ? 集団の利益や社会のシステムや風潮の前ではかき消される程度の儚いものさ。アテにしすぎるとバカを見る』

 

 あらドライ。

 ただまあ、それ1本で行くには頼りないのも事実か。

 

 

「……あのー、ちょっといいですか」

 

 

 それまで翻訳に徹してしたアンジーが、おずおずと手を上げた。

 

「そのですね、なんといいますか……さっきから、全ての根本がひっくり返るようなくっそやばい話題を気軽にポンポン話すの止めてもらっていいですか? せめて、わたしが寝てる時にやって欲しいかなーって」

「あ、予想より遥かに大物だったニニィの正体にアンジーがびびってる」

「びびってますね。どうしようもないくらいに当事者なのに」

「いやグリちゃん、なんでそんな平然としてるの?」

「だってアマリリスさまの方が上だし。慌てる理由がないよ」

 

 あ、止めてグリゼルダ。そういう方向でマウント取るのまじで止めて。ニニィさんがそういうの気にするタイプだったらこじれるだろええとそうだ話題を変えよう!

 

 

「じゃあ次は『導師カラマゾフ』について聞かせてよ。やっぱり、当面の問題はこいつなんだろ?」

「ですよね! まずは直近の問題からですよね!」

 

 この国の闇! 裏側! みたいな話から離れたいアンジーはすぐさまおれの話題転換に乗ってきた。

 

『そうだなあ……結論から言っちゃうと、たぶん誰もあいつには勝てないと思う。もちろん、ボクだって例外じゃない。そもそもボクは戦闘員じゃなくて研究者だし』

 

 え?

 じゃあお前、なにしに来たの?

 

 

 

※※※

 

 

 

 とくに何事もなく娼館に帰り着き、すぐさまターナさんに事情を説明した。

 もちろん、アンジーの中の『お姉ちゃん』についても話した。

 これを黙ったまま彼女を娼館に置くのは、秘密裏に爆薬を持ち込むのと大差ないと思ったからだ。

 

 もしターナさんに「そんな危険物をウチに持ち込むな」といわれたなら、大人しくべつの場所を探すつもりだったが、

 

「委細承知しました。いよいよとなった際、生かしておく必要はありますか?」

 

 なんかめっちゃ前のめり、かつ物騒な返事がきた。

 

「……店のみんなを最優先で」

「恐れ入ります」

「こちらこそ、面倒を持ち込んでごめんね」

 

 不確定な要素はあるものの、基本的にアンジーは味方だ。

 問題なのは明確な敵。

 闇の薔薇の元導師カラマゾフとかいう、なぜかおれをロックオンしたらしいやばそうなやつ。

 襲い来る次の敵。

 

「いえ。その為の我々です。御気になさらず」

 

 いや君ら、えっちなお店の経営者とそのスタッフたちで、べつにおれの私兵とかじゃないだろ。

 とは思ったものの、ここはこう返すのが1番だろう。

 

 

「ありがとう」

 

 

 心底からの本音だ。

 おれのせいでマイナスがやって来るのが確定しても、それでも味方でいてくれる人たち。

 これがどれほど天文学的な価値を持つか、おれは知っている。

 余りにも得難い、誇張抜きの宝物。

 それを失わない為には。

 

「ターナ。少し娼館(ここ)に手を加えてもいい? たぶん、見た目の変化はないと思う」

「勿論構いませんが……何をなさるので?」

「準備をしようと思う」

 

 来るとわかっているのなら、備えるべきだ。

 ターナさんや強面のナイスガイたちに丸投げなど論外。

 事前準備ならおれにもできる。

 おれにしかできない、イカサマがある。

 

「戦(いくさ)の備えで御座いますか」

「そんな肩肘張ったやつじゃないよ。もっとこう馬鹿げてふざけた、どこまでもわたしにとって都合のいい反則とイカサマで塗り固めた――ごっこ遊び(敵の破滅の再現)だよ」

 

 

 きっとここが分かれ目だ。

 おれの存在は疫病神か、あるいは幸運の招き猫か。

 今回の結果でそれが決まる。

 

 よし。

 やろう。

 徹底的に準備しよう。

 もしここが襲われても、誰も死なないように。

 そして2度と、そんなことが起きないように。

 ここへの襲撃は割に合わない『愚行』だと、広く万人に知らしめるような。

 どうしようもない理不尽の準備をしよう。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

「うわー、これ凄いですね。最上階全部アマリリス様の部屋ってことですか?」

「わたしとグリゼルダ、2人だけしか使ってないけどね」

 

 次の日の昼過ぎ。

 諸々の手続きを済ませたアンジーが、最低限の手荷物片手に娼館最上階――おれの独占フロアにやって来た。

 

 話し合いの結果、アンジーにはおれのボディーガードとしてこのフロアの一室に滞在してもらうことになった。

 

「これ、どの部屋を使ってもいいんですか?」

「うん。わたしの部屋との距離はそう変わらないからね」

「じゃ1番大きい部屋がいいです。アマリリス様の部屋よりでっかいのが!」

「アンジー、発言が動物だよ……。ちょっとは考えて喋ろうよ……」

 

 グリゼルダの忠告も虚しく、いきり立ったアニマルは最も大きい4人部屋を占拠した。

 

「それでアマリリス様、今日のご予定は?」

 

 人の心を取り戻したアンジーが、むかつくくらいまともなことを訊く。

 

「娼館(ここ)の防衛力を強化したいと思う。具体的にはカラマゾフ一派に襲われても誰も死ななくて済むレベルまで」

「どういったプランで?」

「……まだ未定。どれも決め手に欠けるんだよなあ」

 

 ちょっと強がった。

 実はまだノープランだったりする。

 あれから色々と考えてはみたものの、どれもピンとこなかった。

 当然、防衛の為に使用するのはなにかしらの『再現』になるのだが……そもそも、娼館が舞台の映画というのがほとんどない。

 いや、大昔からある商売なので、きっと沢山題材にはされてきたのだろうが……少なくともおれの知識の中には「これだ!」といったものはなかった。

 

 ならば多少ゴリ押しでも行くしかない。

 そう考えた時にまず出てきたのは――館防衛もの(おれラベリング)の名作ホーム〇ローンだったが、これにはちっともエロ要素がない。娼館との食い合わせがよくない。そもそもあれは相手に対する不殺が大原則だ。泥棒たちはトラップ(今思うと数回は死ねる)を1時間以上喰らい続けた後半でも元気いっぱいに動き回ってた。状況一致が不十分な今回はクオリティがガタ落ちすることを考えると……やはり論外だ。使えない。

 

 ううむと悩むおれに向け、気持ちドヤり気味の声がかけられる。

 

「アマリリス様。お姉ちゃんが」

 いってアンジーが差し向けたメモには『もしかしてお困りかな?』の文字が。

 

 この筆談は、素早く無難にニニィさんの言葉を知らせる方法だ。

 さすがに人目のある娼館で『劇団1人アンジー』をやっていると本気で頭のおかしいやつだと思われかねない。

 ただでさえおれのゴリ押しで内に入れる余所者に、これ以上不安要素は付け足したくないのでこれが採用となった。

 

 アンジーの手がさらさらとメモ上で踊り、続きが綴られる。

 

 

『誰も死なないというリクエスト。ボクなら叶えることができるぜ?』

 

 

 来たか、ニニィさん。

 正直、ちょっと期待してた。

 超凄い原初の夜の母(ナイト・マム)なら、きっとなにかある気がしてた。

 

 

『たださあ。無料(タダ)ってのも、逆にそっち的にも信用ならないんじゃない?』

 

 

 おれはできるやつに教えを乞うのに躊躇いも抵抗もない。

 なので、あらかじめ用意していた報酬を先出しする。

 

 

「ならお返しにアンジーを『今回の騒動では死なない』ようにしてあげるよ。ただし、夜間限定だけど」

 

 

 この『再現』はすぐに思いついた。

 作中との符合が多かったので、真っ先にピンときた。

 ただ「こいつを不死身にしても単身だし、娼館全体をカバーできないよなあ」という理由から却下したが、ニニィさんを動かす報酬にはなり得る。

 

「具体的には、この指輪を起動して――」

 

 廃棄予定の呪物のスペックなど惜しくもないので全公開してやる。

 あとはその『再現』の元ネタとなる名作……2作目が良すぎただけで、この1作目も十分に名作だとおれは思うよ、うん。まあとにかく、そのストーリーラインを軽く説明する。

 

 

 それはどこかメキシカンな薫りのする町に1人のマリアッチ(ギター弾き)がやって来ることから始まる一連の騒動を描いた物語。後のヒットメーカーとなる著名な映画監督のデビュー作。

 普通に仕事を探しに来た、黒い服に黒いギターケースを持ったマリアッチ(主人公)。

 時を同じくして刑務所から脱走した、黒い服を着て黒いギターケースに銃を隠し、次々と裏切り者を始末して行くやべー殺戮ギャング。

 なにも知らない主人公が、偶然にも殺戮ギャングと同じような格好をしていたせいで追っ手から犯人だと間違えられて――。

 

 

「――で最後は主人公が町を支配するボスをぶっ殺して終わる。けどその代償にギター弾きの命たる手がダメになって、さらに惚れた女も喪う」

 

 だが主人公は生き残る。

 絶対に確実に間違いなく、手(・)を(・)怪(・)我(・)す(・)る(・)だ(・)け(・)で生き残る。

 たとえ相手がどれだけいようとも、如何に不利で絶望的な状況であろうとも、絶対にそうなる。

 

「いや、なんですかそのバッドエンド。というかそれをわたしに当てはめるなら、最後わたしの右手(利き手)が潰れますよね」

 ノーダメージを希望するアンジー。

 

「潰れても普通に治せるし、実質無傷みたいなものじゃない。千切れても回収すればくっつくし」

 ダメージに超寛容なグリゼルダ。

 

「あと惚れた女であるグリちゃんを喪うとかイヤです」

「きしょ」

「照れんなって」

「……すぞ」

 

 心温まる交流を続ける2人。

 喋りながらもアンジーの手だけはしゃかしゃか動いてメモオープン。

 

 

『クオリティの程度は? それは確実に、アンジを死から遠ざけ得るか?』

 

 

 同じ白鞘を使った人違い。そこから派生する命の危機。良い女(がいっぱい居る娼館)のもとへと転がり込んで、基本、本人は軽い感じ。声(音)を取り戻したこちら。ギターを弾く手(音楽)を失ったあちら。ベクトルの向きは逆だが性質と絶対値はほぼ同じ。

 うん、要素としてはばっちり。符合の数と精度はこれまででナンバー1。

 少なくともおれとしては、文句のつけようがない。

 つまりは100点だ。

 

「遠ざけるどころか隔離するよ。少なくとももう1人の『白鞘』と、今回の敵のボスであるカラマゾフが倒れるその時までは確実に」

 

 断言できる。

 この『再現』は、かつてないほどに強固であると。

 

『――よし乗った! さあホラ手を出して』

 

 いわれるままに手を差し出す。

 アンジーの、ニニィさんの指が『呪物』に触れる。

 次の瞬間、染み込むように訪れる理解。

 今なにかが解除された。

 

『アンジとの間に独立したラインをつくった。これで昼夜関係なく、キミの『再現』はアンジにだけは公演を続ける。私的な、小さな舞台をこっちで勝手に用意したと思えばいい』

 

 うん、なにをいってるのかさっぱりわからん。

 ただ確実なのは。

 

「ニニィはこの呪――指輪を知っているの?」

『ああ、知っているよ。それの名は「いと醜き愚者の悲願」といって、初代から脈々と受け継がれている闇の薔薇の盟主たる証さ』

 

 いらない。

 まじでいらない。

 というかイグナシオあいつ、トップの証をしれっと押しつけるとか、もしかして嫌がらせの天才だったのか?

 

『今さらキャンセルとかナシだぜ? アンジの命の保護は、ボクが手を貸す絶対条件だ』

「……わかったよニニィ。ただし今回の件が片付けば、この指輪は君の物だ」

『いらないよ、そんな辛気臭いの』

 

 ノリで押しつけようとしたが無理だった。

 しかし話題をスキップすることには成功した。

 

 どうにもニニィさんは闇の薔薇の関係者っぽかったけど……こっちは普通にイグナシオをやっちまっているので、下手に突(つつ)かずそっとしておいた。

 地雷の可能性が1パーセントでもあれば触れない。

 現代社会で培われた、もにょっとした処世術が火を噴いた。

 

 

 

※※※

 

 

 

『そうだなあ……娼館(ここ)の見た目からして『神殿化』なんて呼んでみたら、それっぽくていいんじゃない?』

 

 結局その日は、ニニィさんによる娼館のカスタム強化――本人曰く『神殿化』とかいう、なんだか超凄そうだがしかし意味不明な作業を延々と手伝うことになった。

 

 いや、手伝いというか、ほぼおれのワンオペだった。

 

 そもそも『闇』の加工がおれにしかできなかったので(アンジーボディではムリらしい)、そのまま夜明けまでぶっ通しでニニィさんの指示通りに動く忠実な作業マシーンとしての業務に従事し続けた。

 

 

『つまりさ、キミのその肉体も夜の母(ナイト・マム)の系譜になるんだよ。だから王家が闇と呼称するエネルギーに対する親和性がバカ高い。たぶん、ほぼ理論値なんじゃないかそれ』

「え? じゃあ姉さまもニニィの複製なの?」

『いや、ヒルデガルドは普通に母体からの出産で生まれた。ダリアガルデと先代の大汗(ハーン)との子だったかな、たしか』

 

 合間の雑談というには重過ぎる新事実をさらっと聞いたりしながらも、どうにか『神殿化』プロセスは完了した。

 

 結局のところ、どういった理屈でなにが起きるのか。

 

 その説明を受けたおれの感想は「あ、こいつ、間違いなく闇の薔薇系列のやつだわ」だった。

 なんというか、ふざけてるというかお下劣というか、けどたしかに合理的ではあるというか……もし本当にそんなことができるならめちゃくちゃ凄いんだけど、そりゃちゃんと真っ当なやつらからは追放されるわお前。

 

 

『2日後――明後日(あさって)には大規模な掃討作戦が行われる予定だからさ。とりあえずの目安はそこかな』

「カラマゾフ一派も掃討対象なの?」

『そうなるようボクがねじ込んだ。地下を使う以上、絶対に避けられない相手だしね。ま、元々危険分子なのは事実だから誤差みたいなものさ』

 

 うーん、絶対に誤差じゃないような気がするが……ま、ノータッチでいっか!

 

「そもそも、本当に娼館(ここ)に仕掛けて来るかな?」

『来なけりゃ掃討作戦ですり潰されて、向こうの戦力はほぼ壊滅する。そうなる前に察知して仕掛けて来るか、数が減ってからやけっぱちでつっ込んで来るかのどちらかだと思ってる』

 

 ああなるほど、もう事前準備の段階で8割方は終わっているのか。

 たしか仕事2割だったっけ? あったよなそんなの。

 

「じゃあ、実はもう結果は見えてる?」

『あとはカラマゾフ(あいつ)だけが不安材料だけど……そこはボクが何とかしよう』

「うん、頼りにしてるね」

 

 よし! ならもう全部解決!

 こりゃ勝ったな! 風呂入って寝る!

 

 慣れない作業でくたくたで、さっさと眠りたかったおれは……徹夜時特有の妙なテンションのまま風呂入ってベッドに飛び込んで寝た。おやすみ!

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 明けて次の日。

 いや正確には『神殿化』とやらの作業中に朝日は昇っていたので、そこから眠って起きた、おれの主観カウントでの次の日。

 もうとっくに日は落ちている、夜も更けた頃。

 いい感じに終わってる昼夜逆転生活を正そうとする者は誰もおらず、なんならおれが1番に目覚めて他の2人を起こした。

 

「……ずっとお姉ちゃんの言葉を伝え続けるのって、実はめっちゃ疲れるんですよ。そりゃ表に出て来るよりかはまだマシですけど……」

 

 長時間の『神殿化』作業中、ずっとニニィさんとの中継役だったアンジーは本当にキツそうだった。

 というかお前さ、まずはベッドから出て来いや。そのまま寝る気満々じゃねーか。

 

「……たぶん、向こうが動くとしたら掃討作戦の前後でしょうから、今日は寝(オフにし)ません?」

 

 実はおれも、まだ昨日の疲労が抜け切っていなかった。

 長時間にわたる『意味不明だが超ハイレベルなことだけはわかる闇作業』は、普段使わない筋肉や神経を酷使しまくった。

 最後にニニィさんが「本当は丸1日かけてやるつもりだったけど、ついつい詰め込んじゃった。まさか半日でできるとは思わなかったよ、凄いね!」などといった時は、やっぱこいつ追放される系のやつだわ、と心底から納得した。ノリとフィーリングで納期を前倒しとか、現代日本なら殺人事件へと発展してる。

 

 まあ要するに、おれもまだまだへろへろで寝足りなかった。

 

「……そうしよっか。けどなにか食べないとちゃんと回復しないから、食事だけは摂るようにしよう」

「……じゃあボク、ちょっと行ってきますね」

 

 とくになにもしていないのに、なぜか1番眠そうなグリゼルダが半分寝ながら詰所へと向かった。

 そうして詰所のナイスガイたちに持って来てもらった食事を半分眠りながらもそもそと食べ終え、おれたちは言葉少なにベッドへと戻った。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 掃討作戦開始前日。

 この日からおれたちは、いつなにがあっても瞬時に動けるよう、起きている間はもちろん寝る時も『即応可能』な服装でいることになった。

 

 グリゼルダは『白服』を。

 アンジーはいつものエセ清楚ファッションの下に『夜戦着』を。

 おれはとりあえずパジャマ以外を着用することになった。

 

 

「ニニィはさ、向こうのことを知ってるんだろ? ならどんな手でくるか予想できない?」

 

 ランチ終わりの昼下がり。

 とくにすることもないおれは自室のベッドに寝転びながら、同じくごろごろしているボディーガードに声をかけた。

 

 現在おれの部屋となっているここには、前の主が使っていた家具や調度品がそのまま置いてある。バカでかいソファ。推定すけべ用のゴージャスマットレス(完全クリーニング済)。少し硬めなのがクセになる応接用のかちっとした長椅子。小細工なしのクソでかクッション――等々、そのどれもが触れば一瞬でそうだとわかる高級品で、めっちゃ使い心地が良い。

 つまりは、おれのボディーガードである2人もその毒牙から逃れる術はなく、いい感じにごろごろしているわけである。

 

 まあずっと張り詰めてても自壊するだけなので、いざという時に動けるならそれでいいと伝えたら秒でこうなった。

 

 ……おれの護衛たちはちっともびびってないと、ポジティブに捉えることにした。

 

 

「あれ? もしかして寝てる?」

「起きてますよ。あれだけ寝たら、もう十分ですって」

 

 呼びかけると返事がきた。

 ああそういうことか。

 

「グリゼルダ。ベッド(ここ)からじゃアンジーのメモが見えないから、音読して」

 

 はあい、と長椅子方面からの返事に続いて、

 

『ええと……まずは大前提として、カラマゾフ(あいつ)は100歳以上の「老人」だということを理解してくれ』

 

 そんな歳なのに「たぶん誰もあいつには勝てないと思う」とかいわれちゃうのか。

 もうこれ、おれの知ってる生物の尺度で考えちゃダメくさいな。

 

「具体的には何歳なの?」

『まだ200はいってないと思う。長く生きてると、どうにもその辺はアバウトになっちゃうんだよ』

 

 そのいい方だとニニィも不老なの? とか、思わず聞きたくなってしまうが……逆におれがキャッツやピラミッドさんのことを聞かれたとしても絶対にまともには答えないので、時間の無駄はカットした。

 

 自分がされて嫌なことは、他人にもしないでおきましょう。

 親しい友人ではないやつと上手くやって行く秘訣だ。

 

 

「……カラマゾフが『とても』老人だということは理解した。それで?」

 

『身体はさんざん改造したけど、脳はノータッチだ。通常と同じように劣化する。具体例を挙げるなら、偏屈になる、頑固になる、新しい価値観を受け入れることができなくなる、思考が硬直する、被害妄想が激しくなる、短慮に、攻撃的になる、といった感じの、悪い意味での老化だ』

 

 そう珍しい話ではない。

 老人と接したことがあれば1つや2つは心当たりがある、ありふれたあるある話だ。

 しかし今回の場合は、ちっとも笑えない。

 

「100年以上も魔術の研鑽を積んだ本物の実力者が、今も脅威となり得る力を保持したままで、そんな状態なの?」

『最悪だろ? けどそれは闇の薔薇を追放された時点の話で、そこからさらに長い病床生活を経た今だ。きっと、もっと酷くなってる。まともなコミュニケーションは諦めた方がいい。……ボクの友人はもうとっくの昔に死んで、今はその肉体だけが勝手に動いているようなものさ』

 

 若い頃とは似ても似つかないような、悪い意味でもはや別人。だが間違いなく本人。かつての友人。

 ……シンプルにきついな。

 

『だからボクの知識は役に立たない。しないと思ったことをするだろうし、すると思ったことはしないだろう。ここにズレがなければ、今も友達のままだった』

 

 たしかにその通りな、悲しい正論である。

 おれは余計なことはいわず、ただ話を進める。

 

「対策は?」

『アンジをカラマゾフ(あいつ)と対面させれば、絶対に勝てる切(・)り(・)札(・)をつくった』

「え? なにそれ凄い」

『だろ? 期待していいぜ? なにせ脳の空き容量をフル活用して限界まで詰め込んだ――』

 

 とそこで、それまでクソでかクッションに身を沈めていたアンジーが、がばっと立ち上がった。

 

「だから昨日あんなにしんどかったんだ! なにかするなら最初に言ってって、前も散々注意したよね!?」

 

 いや、本人に無許可でやってんのかよ。

 

 言動の節々から、本当にアンジーを大切にしていることはわかる。

 けど脳の空き容量は勿体ないから無許可で使います。

 さらに本人の前で得意気にそれを自慢しちゃいます。

 さあキミは今回の決戦兵器だ。ガンバレ!

 

 うん。やっぱニニィ(こいつ)、まともなコミュニティからは弾かれる系のやつだわ。ベースがイカれてやがる。

 

 ……あまり距離は詰め過ぎない方がよさそうだと、おれは気を引き締めた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 結局、夕方を過ぎても襲撃はなかった。

 日が沈み月が浮上し、常のように娼館は営業を開始した。

 ……そう。なんとこのお店、こんな状況なのに休まず通常営業するらしい。

 

 なんでも、元々『魔女』という世界最高峰の怨(うら)み辛(つら)みホイホイがバックについていると公言している店なので、こ(・)の(・)程(・)度(・)の危機はこれまで数え切れないほどあったそうな。

 中には目を覆いたくなるような悲惨な事件もあったようだが……それらの経験を踏まえた上での結論として『店を閉めて縮こまるより、いつも通りに営業した方がトータルの死者数は少なく済む』らしい。

 ……なにその算数、血生臭すぎて怖いんだけど。

 

「それに今回は、貴方様の下準備もありますでしょう? ですので実のところ、この店にとってはさほど大した危機ではないと捉えております。こちらのことよりも、まずはどうか御身を最優先に」

 

 などといわれもしたが、それをそのまま受け取るピュアなハートはおれにはない。

 なのでまずは、3階の詰所――今日は休みのお姉さんたちがバイトがてらたむろする飲み処――へと向かった。

 今夜の娼館はどういった雰囲気なのか、怯えている娘はいないか、おれへのヘイトは溜まっていないか等々、現場の人たちに聞いてみようと思ったのだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

「「「王様だーれだ!?」」」

 

 3階詰所内に、息ぴったりな8人分のコールが響き渡った。

 

「あ、ボクです」

 赤い印がついた木の棒をグリゼルダが掲げる。

 

「それでは王様、ご命令をどうぞ」

 この場で唯一ゲームに参加していないおれが場を回す。

 

 今グリゼルダの胸元には『客1 50代男 下品どすけべ』と書かれた、自身の役割を示す札がつけられている。

 

「え、えーと、ええと……」

 ロールプレイに照れまくっているグリゼルダへ向け、アンジーが自身の『3』と書かれた木の棒を向けてアピールする。お、いいね。いち早くこのゲームの本質を理解してる。

 

「じゃ、じゃあ3番の人、自害してください」

「さすがにヒドくない?」

「怪我したり痛かったりする命令はなしだよ」

 

 ひと笑いあってから、木の棒を回収してシャッフルタイムへ。

 

「……いやよく考えたらこのゲーム、勝ち負けとかどうでもいーんだから、今のアンジー、アリじゃね?」

 今日は休みのお姉さんA――アニーさんが気づきを得る。おれはそっと補足する。

 

「もし王様を引いたのが自分の贔屓の客だったとして、その彼に自分の番号をこっそり見せると……相手はどう思う?」

「100パーセント自分に気があるってカン違いする! アホみたいに呆気なく1発で……っ!」

 カン違いと断言するドライなお姉さんB――ベスティさんが慄(おのの)く。

 そう。人は自力で辿り着いた答えを疑えない。

 かけた労力と真実か否かにはなんの因果関係もないというのに、なぜかそうなる。

 

「あー、じゃあこれ、始める前にそれぞれ担当決めとかなきゃモメるね、けっこう本気のやつ」

 木の棒をシャッフルしているお姉さんC――クレアさんが、トラブル回避の安全策を提案する。

「娼館(ここ)でやるなら、それは必須だろうね。あと――」

 

 おれからのアドバイスを挟みつつも、それからさらに数セットの試行錯誤を終えた頃には、

「これってゲームのフリをしてるだけで、実際は即興の舞台みたい。オーディエンスの反応を見る視野の広さが求められるわ」

「最初にこちらで王様をやって『基準ライン』を示さなきゃダメかもね」

「おっさん――ごほん! お客さん同士のエロを回避するには――」「イカサマは咎められない。むしろ笑いや武器になる」「こちら側の番号の共有は必須なんじゃ?」「たまにはいつもの担当以外で」「そうか危機感! 目の前で!」「上がるわね。位階(ステージ)が」「脳を破壊」

 なんかもうおれのいうことがなくなる勢いでガンガンレベルアップしててびびる。

 

 

 

 最初おれたちが3階に下りて来た時、今夜の詰所メンバーたるお姉さんたちは、酒を片手に持ちつつもなにやら真面目なトーンで話し合っていた。

 やはり、いつ襲撃があるかわからない緊張感が――などと思いつつも話を聞いてみると、全然関係なかった。

 

 なんでも、上級の会員だけが入れるVIPルーム(飲酒OK)での『余興』について、なにか良い案がないかと頭を悩ませていたらしい。

 これは丁度いいポイント稼ぎのチャンスだと見たおれは、リアルタイム世代ではないものの、その存在だけは知っていた『かの伝説的ゲーム』を伝授してみたわけだが……。

 

 

 

「どう? これ、使えそう?」

「……アマリリスさま。これ、悪魔のゲームだよ」

 まあ大流行したそうだから、当然高いポテンシャルは秘めてるよね。

 

「けど簡単にどこでもできる――つまり真似できるから、あまり頼りにはならないかも」

「ううん。広める前に、こっちのクオリティを可能な限り高めておけば……しばらくは独走できると思う。なにより『元祖』っていうのは強みになる」

 

 酔った席でのバカエロゲームがなんかすっごい真面目な話になっててびびる。

 だが、このお姉さんたちのこういった真面目な努力が、この娼館を旧市街有数の名店にしているのだろう。

 

「なら、わたしが知っている限りの情報を伝えるよ。役に立ててくれたなら、嬉しいな」

 そうして夜が更けるまで、おれたちは王様ゲームを突き詰めた。

 サービス業の最もコアなゾーンに生きるお姉さんたちの接待力は凄まじく、終始超絶楽しかった。

 

 

 

 そうして、程よい疲労感に包まれながらも最上階に戻り、今日もいい1日だったとベッドに潜り込んだところで……いやこれ王様ゲームで遊んだだけでなにも話とか聞いてないじゃん! と飛び起きた。

 

「あれ? アマリリス様、どうかしました?」

 声をかけたのはグリゼルダ。

 

 護衛の2人――グリゼルダとアンジーは、交代で休みつつ、最低でもどちらか片方がおれの部屋に詰めている。

 

 今はグリゼルダが部屋に残り、アンジーは最初に確保した4人部屋で仮眠しようとドアノブに手をかけた瞬間、

 

 

 窓の外。

 落下物。

 逆さを向いた――男が。

 目が合う。

 

 

 なにかを感じ取ったグリゼルダが、アンジーが、反射のような速度でおれの側へと滑り込む。

 

 逆さを向いたままの男が視界から消える。

 自由落下に任せて、そのまま頭から下へと吸い込まれて行く。

 最後まで残っていたブーツの紐の結び目と踵(かかと)が窓枠に沈む。

 落ちた。落下した。微動だにせず、こちらを見たまま頭頂部から地面へ向けて真っ逆さまに。

 この高さだ。まず助からない。

 いや、そもそも意味がわからない。

 なぜ上から落ちて来る?

 この最上階より高い場所へどうやって?

 この自殺になんの意味がある?

 

 ダメだ。

 わからない。

 本気でわからない。

 なぜおれが、落下しているのか。

 ちっともわからない。

 

 グリゼルダがおれを抱える。

 アンジーが抜刀する。

 2人も、落ちている。

 おれに巻き込まれるかたちで、一緒に落下している。

 

 夜空には月。

 ここは外だ。

 なぜか外にいて落ちている。

 まるで、さっきの男のように。

 娼館の外壁が上へ上へと流れて行く。

 地面に激突するまで、あと、

 

 

 ――カン!

 

 

 急に切り換わる視界。

 なぜか直立しているおれたち3人。

 予想された落下死はおろか、着地の衝撃すら皆無。

 なんだ? なにが起きた?

 

 慌てて辺りを見渡す。

 今いるここには見覚えがある。

 娼館の裏手にある路地裏だ。

 なにせ建物の隙間から、一際立派な造りである娼館の背中側が見えている。

 ただ事実のみを受け取る。

 

 

 場所が、移動した。

 

 

 理解と同時にボン! と視線の先で膨張する闇。

 娼館の裏手側、おれの部屋の窓から真っ直ぐ下の地に咲く特大の黒い花弁。

 おれはこと『闇』に関しては、一瞬で見通せる。

 あれはクッションだ。あらかじめ編み込んでおいた、多重構造による衝撃吸収装置。落下死しない為の事前準備。

 つまり。

 ち(・)ゃ(・)ん(・)と(・)準(・)備(・)を(・)し(・)た(・)上(・)で(・)、今あそこに誰かが落っこちた。

 

 

 ――カン!

 

 

 また視界が切り換わる。

 見ていた筈の娼館は消え失せ、今度はなぜか高い場所へ。

 ここは……どこかの屋根上か?

 

「アマリリス様!」

 

 呼びかけと同時におれを背負うグリゼルダ。

 そうだ。棒立ちはまずい。とにかく移動するべきだ。そしておれの機動力に期待しないのは大正解だ。大人しく掴まり、移動は任せる。

 

「アンジー、集!」

「了」

 

 おれは見る。なにが起きているのかを知る為に、闇に反射する超視界でぐるぐる見渡す。

 

 おれを背負ったグリゼルダが1歩、2歩と屋根上を駆ける中、視界の隅にそれを見つける。

 さっきまでおれたちがいた場所。

 娼館裏手の路地裏に、ぽつんと立っている誰か。

 まるで、おれたちの代わりにそこにいるかのような男。

 

 

 ――カン!

 

 

 また視界が切り換わる。場所が移動する。今度は夜市のど真ん中。毎夜開催されているちょっとしたお祭りの会場。溢れんばかりの人ごみの只中。

 1つわかった。

 カン! と音が鳴ると、おれたちは移動さ(・)せ(・)ら(・)れ(・)る(・)。

 

 おれを背負ったまま3歩目を踏み出していたグリゼルダが、急に目の前に現れた通行人に激突する。

 

「――あがっ! イテェだろがこんボケぁふん」

 いい切るより先にアンジーが白木の鞘でアゴ先を打ち抜いた。ぐにゃりと脱力した通行人を1度支えてから、そっと転がす。躊躇いやもたつきが一切ない。プロの犯行だ。……刀で斬らなかっただけよしとしよう。

 

「グリちゃん、しゃがんで」

 おれを負ぶったままのグリゼルダが、さっと屈む。しかし後ろから通行人の膝が当たることはない。

 ここは元々、人の流れとは切り離された場所。誰もが忙(せわ)しなく動き回る夜市において数少ない『じっとしている』側。古ぼけた壺やら水差しやらの骨董品が無造作に並べられている、地べたに敷いた布の上に直接商品を置くタイプの露店。

 その店構えの店主側に今おれたちはいた。

 周囲は人で溢れかえっており、あまりにもスムーズだったアンジーの暴行には誰も気づいていない。露店の後ろで寝転がっている男よりもまず商品に目が行く。つまりは問題なしだ。

 

「ほらもっとこっち寄って、この下に」

 続いて身を低くしたアンジーの両手には、脱力した通行人から奪った上着を帆のようにピンと張った即席の屋根があった。

 

「上から見えないように。たぶん、見られる――目視がくさい」

 それだ。

 最初の落下した男はこちらを見ていた。目視していた。

 次も、その次も、おれたちが前にいた場所には誰かがいて、その全ては目視圏内だった。

 

 裏付けを得ようと、闇を反射する超視界を駆使して周囲の屋根上を見渡すと――いた。

 まるで着地した瞬間のように身を屈めている女。やはり目視範囲内。

 おそらくあそこが、さっきまでおれたちのいた場所だ。

 ええとつまり、こちらを目で見て音が鳴れば……。

 端的に伝える。

 

 

「向こうが目視して、カンと音が鳴れば、位置が入れ換わる」

 

 

 自分でいってて意味がわからないが、そうとしか思えなかった。

 しかも最初のやつは、おれの部屋の壁等を全部お構いなしでぶち抜いて『入れ換え』やがった。

 つまり、どれだけ遮蔽物があろうが視線さえ通れば位置の交換が可能。

 

「……いくら何でも凄すぎませんか? そんなことができるなら、拉致とか誘拐とかやりたい放題じゃないですか」

「お姉ちゃんがいうには『なにか厳しい代償や条件があって、それはもうクリアされているんじゃないか』って」

 

 よし。

 段々向こうがな(・)に(・)を(・)し(・)て(・)い(・)る(・)の(・)か(・)がわかってきた。

 

 これで――と、そこでふとよぎる疑問。

 なぜ今おれたちは、こうして情報のすり合わせができているのだろうか。

 いい換えれば、なぜ向こうは『ここ』を選んだのだろうか?

 屋根上で屈んでいた女は、ここでおれたちを目視した。

 ここへおれたちを移動させた。

 ただ屈むだけで視線を防げる『人ごみ(ここ)』へ、わざわざ向こうから案内した。

 

 ……嫌な予感がする。

 こちらが準備をするということは。

 当然、向こうも同じく準備をするのではないだろうか。

 

 こちらが『目視』という要素に気づかないアホだと見くびることなく。

 ちゃんと『屈んで』視線を切るくらいはやってくれるだろうと信じて。

 

 たとえばそう、ここへおれたちを釘付けにする為に、あらかじめ難癖をつけて足止めをするキャストを配置しておくとか。

 そうして、準備が整うまでの時間を話し合いでもして待(・)っ(・)て(・)い(・)て(・)も(・)ら(・)う(・)とか。

 

 

「――これ、手に取ってみてもいいですか?」

 

 

 声に顔を向けると、露店前に客が立っていた。

 大柄な男が2人。

 おれたちがなにかいうよりも早く2人の男は屈んで、むんずとそれぞれ両端にある壺を両手で掴んだ。

 

 そして一斉に引く。

 

 すると地べたに敷いた布ごと――さらにはその下の地面までもが持ち上がり、かぱっと開いた。

 壺は固定された取っ手で、敷いた布は地面と一体化した蓋。

 下へ――地下へと続く深い深い穴が、その大口を開けた。

 

 

 え、なにそのびっくりギミック。

 

 

 瞬間、ひょいと。

 

 大穴の下から浮き上がるようにして、小柄な女が顔を覗かせた。

 

 あら美人さん。

 つい反射的にそんなことを思ってしまった時にはもう既に、ばんと乱暴に地面と一体化した蓋は閉じられていた。

 

 

 ……まずい。ばっちり目視された。しかもあれ、そのまま穴の中に落ちていったよな。

 

 

 大柄な男たちが迷うことなく一斉にばらばらの方向へと走り去って行く。

 

「アンジー、追っちゃダメ」

「わかってる。みえみえの分断じゃん」

 おれは最悪を想定していう。

「わたしは、さっき見た『特大花弁クッション』をマネしてみようと思う。2人も色々やってみて」

「あ、じゃあ、黒い杭をください。長いやつがいいです」

「あ、それボクも欲しいです」

 

 グリゼルダの「す」と同時に目の前の景色が変わる。

 人ごみは消え月は隠れ、一気に光量が減る。

 目の前にはむき出しの土を固めた壁もどきがあり、それが延々と下から上に流れ続ける。

 

 落下、していた。

 

 予想通り『位置の入れ換え』が行われた。

 無音だったが、思えば最初の男もそうだった。どうやらこちらに音を聞かせる必要はないらしい。

 

「アマリリス様、掴まって!」

 いわれるまでもない。

 おれの貧弱フィジカルでは、たぶんここで離されたらどうしようもない。

 背負われた姿勢のまま、がしっと両手と両足でグリゼルダをロックする。

 

 最悪の想定通りに、梯子やエレベーターなんてなかった。

 ただ下への空間だけがあった。

 この独特の圧迫感に風や空気の反響具合からして、今おれたちは『縦の』トンネルのような場所を真っ直ぐに落ちている。

 

「――2人とも、右手を大きく開いてから握って!」

 

 最後に聞いたリクエスト通りに、黒杭ロングVERを2人に1本ずつ渡す。直に手の平の上へと削り出す。聞いた瞬間からこねこねしていたので爆速で仕上げることができた。

 グリゼルダが、アンジーが、それぞれ両手で握り直した黒杭ロングVERを手近な壁にぶっ刺す。基本土を固めただけなのであっさりと半分以上が刺さり、落下の運動エネルギーと壁の強度と重力とその他諸々との綱引きが始まる。

 

 がりがりばきばきっ、と要所要所に挟まれた固定用の木材を砕きつつも徐々に弱まっていく落下の勢い。

 おれはその間、グリゼルダに絡みつくお荷物兼最後の切り札として、例の『特大花弁クッション』を必死に編み編みしていた。

 

 

「けどこれ! 止まったら止まったでどうするの!?」

 

 喋る余裕が生まれたアンジーが、もっともな疑問を口にする。

 

「登るしかないよ! 登攀(とうはん)訓練、やったよね?」

「やってない! それ始まる前に海へバカンスにい」

 

 

 ――カン!

 

 

 と響く音を聞いたかと思えば。

 おれは四方をむき出しの土に囲まれた、穴倉と呼ぶに相応しい殺風景な小部屋にいた。

 目にも留まらぬ早業に驚く。

 とりあえずおれは……現実逃避気味に辺りを見渡してみた。

 

 目の前の壁には細く切り抜かれたような『覗き口』があり、その向こう側は、さっきまでおれたちが落下していたであろう『縦トンネル』だった。

 

 ああなるほど、ここから覗いて目視したのね。

 落下中にこんなの気づけるわけないって。

 つーか凄い動体視力だなおい。

 

 つまり今グリゼルダの背中には、見知らぬ男か女がぽんと現れているわけか。

 まあ近くにアンジーがいるし、きっとまた躊躇いのない暴力でなんとかしてくれてるだろう。たぶん。

 

 静まり返った小部屋の中、おれはとりあえず大きく息を吸って――ゆっくりと吐いた。

 

 

 ……そろそろ現実を見るか。

 

 

 いや実際、見たところでなにもできやしないのだが……それでも、もう1度試してみる。

 

 右腕、動かせない。

 左腕、動かせない。

 プラス両足共に、びくともしない。

 

 そう、なにもできない。動けない。

 

 おれは今、両手両足共に「気をつけ」の姿勢のまま黒い糸のようなものでぐるぐる巻きにされている。

 気づけばこうなっていた。回避や抵抗を考える頃には全工程が完了していた。信じられない次元の超早業だった。

 

 やった犯人たちはすぐ側にいる。

 右に1人、若い男。左に1人、短髪の女。

 それぞれ両手に糸束の端を握り締め、ぎゅうううと引っ張りつつおれの身体を固定している。

 

 そりゃまあ、入れ換えた先で捕獲係をスタンバイさせるくらいはするよな。

 おれがお前らでもそうする。

 だからこうなっていること自体に疑問はない。

 今おれが不思議に思っているのは……。

 

 1、2、3秒が経った頃、口を開こうとしたおれの鼻から下がぐるぐる巻きにされた。口が塞がれた。声を出せないようにされた。

 

 相変わらずおれは動けないし、喋ることまで封じられた。

 2人の敵は、ぎゅううと糸を引きつつ固定を続けている。

 

 やはりおかしい。

 誰もなにも喋らない。

 指示や命令すらもない。

 

 拘束しているという事実から、この場でおれを殺すつもりはないのだろう。やるならもうとっくにやってる。

 ならば「こちらに来い」と移動を促したり「無駄な抵抗をするな」系の脅しをかけたりする筈なのだが……終始2人の敵は無言のまま。

 さらにはなぜか、急に思い出したかのようにおれの口まで塞いで、まるで「今ここで音を立てたくない」といわんばかりである。

 

 ……さらに5秒が経過。

 相変わらず無言のままだったが、1ついい発見があった。

 身動きは取れないが『黒杭』は出せる。その事実に気づいた。

 思えば、べつに身体の動きとは一切無関係だったわあれ。

 

 

 ここで選択の余地が生まれる。

 

 

 黒杭をぶっ放して、この2人をやっちまうか否か。

 

 ……おれの答えはノーだ。

 

 ここでこの2人を撃ち抜いても、おれにはその先がない。

 この2人が最後の敵なわけがない。きっともっとわんさかいる。

 さらにいうなら、次の敵も殺害ではなく拘束を狙ってくれる保証はない。

 おれ単体では、本気で殺る気の敵がくれば悲しいほどさくっと殺られるに違いない。そこはもう認めるしかない。

 

 だから今おれに必要なのは、敵を減らす引き算ではなく足(・)し(・)算(・)。

 

 ちらりと、おれを拘束する2人を見る。

 黒いフード付きローブは『闇の薔薇』のユニホーム的なやつなのだろうか。

 今フードを脱ぎ素顔を晒しているのは、きっと音を聞こえやすくする為だ。

 わずかな物音――予兆を逃してなるものかと、最大限に警戒しているのだ。

 

 もう制圧した(と思っている)おれは、こいつらの脅威足り得ない。現に2人ともこちらを見向きもしていない。なら原因はおれ以外。

 

 つまり。

 

 まだおれの把握していない『なにか』がいる。

 こいつらが『自分たちがここにいるとバレたくない』存在が、音を立てれば気づかれるほど近くにいる。

 

 いいね。

 欲しかったプラスだ。

 

 それは是非とも、そんな彼? 彼女? に来てもらおう。

 それでいい感じに、おれが逃げる隙をつくってもらおう。

 敵の敵がプラス1、もしくは2、3、とにかく足し算だ。

 

 ズルズルかつガバガバなノリとフィーリングだけの思いつきだが、現状でき得るベストだ。

 よし。やろう。

 すぐにやろう。

 

 最速でミニ黒杭を口元に削り出し、即座に射出。

 口を塞ぐ糸束だけをぶち抜き――そのままちゅるんと吸い込まれた。口だからといってとくに味はしない。左右の2人がなにかするより早く叫ぶ。

 

 

「――いたぞ! ここだ! 確保したぞっ!!」

 

 

 数瞬の沈黙の後、顔色をなくした短髪の女と目が合う。

 にっこり微笑み返すと、さっきの倍の量の糸で口をぐるぐる巻きにされた。

 よし! 怒りのままにぶち殺されるパターンは回避した!

 

 密かに喜ぶおれをよそに、2人は迅速に行動した。

 短髪の女が若い男から糸束を引ったくり、両手でリュックサックを背負うようにして簀(す)巻きのおれを担いだ。互いに背中合わせのかたちだ。

 

 両手がフリーになった若い男が細い木の棒のような物を噛む。

 

 ピイイイィィィィーーーー!!!

 

 カン高い音がけたたましく鳴る。木製の笛による演奏未満の騒音。おそらくは仲間を呼ぶ為の合図。

 隠れてやり過ごす、から、数で袋叩きにする、へと一瞬で方向転換した。判断が早い。当然そんなやつらは行動も速い。

 

 男が唯一の出入り口であるドアを開き先行する。ほぼ同じ速度でおれを担いだ女が続く。

 すると木造の質素な部屋が現れ、今いたのが穴蔵や地下室の類だったことを知る。

 

 男が謎のハンドサインを見せる。おれを担ぐ女がうなずく。

 

 男は正面のドアを蹴破るようにして外へ出た。おれを担いだ女はするっと窓から外へ出る。……男は囮なのね。世知辛い。

 

 そうして外へと出て――まず感じたのは、嘘臭さ。

 ねばつく空気に混じる、どこか嘘臭い闇。

 おそらくは、特定の用途に向け特化調整された、おれの知らない闇技術の粋(すい)。それが空気と同じく自然と場に満ちている、不自然極まる地下空間。

 添加物まみれのキャンディーのような独特のねちゃつきがあるものの、質としては上等な部類の闇。

 荷物として担がれた背中側から、おれは幾重にも視界を反射させて全体を見渡す。

 

 

 広い。空。

 いや違う。ここは地下だ。よく見ればちゃんと天井はある。

 しかし、思わず空と誤認してしまうほどに高い天井。

 ぱっと思い浮かぶ大空洞という言葉。

 きっとここは、元々地下にあった自然物に後から人が手を入れてつくられた場所だ。

 むき出しの岩肌や謎のくそでか鍾乳洞が支配する空間に混じる、明らかに人工的な建造物の数々。

 進む度に低くなっていく、長い下り坂のような構造。滑らかなスロープ状ではなく、50~100メートルクラスのくそでか階段が高さも距離もバラバラのままに連続しているかのような地形。

 進めば進むほど更に地下深くへと潜ることになる、絶対に帰り道の方が大変であろう嫌すぎる立地。

 

 こんなところに拠点を構える物好きなんて、闇の薔薇くらいしか思いつかない。

 つまりおれは、まんまと連中の本拠地(ホーム)に拉致された。

 味方とは分断されて、たった1人で。

 

 ……まだだ。

 まだ終わってない。

 まだおれは生きてる。

 まだできることはある。

 怯みそうになった内心に、空元気をふかす。

 できることを探す。

 

 今おれがいるのは、眼下を一望できる高台のような見晴らしのいい場所で、オープンワールドゲーならここでタイトルロゴがじわあと右上らへんに滲み出てきそうな絶景スポットだ。

 周囲には同じような木製の小屋がずらりと立ち並んでいるが、しかしそのほとんどはボロボロに風化しており、中には天井が腐り落ちて――と、そこでおかしなものを見つけた。

 

 闇を反射させた、上からの俯瞰視点。

 今しがたおれが担がれて出てきたばかりの小屋の、屋根の上。

 

 黒いローブがいた。

 ちゃんとフードまで被った完全不審者スタイルだ。

 その後ろには点々と、まるでここまで来た足跡のように首の捻じ曲がった死体たちが連続して転がっている。

 きっとあの黒ローブは、邪魔者を始末しながら音の発生源(ここ)まで一直線に来た。

 おそらくはこいつが、2人の警戒していた敵。

 

 他に周囲で動く者はない。つまり、木笛で呼んだ増援は既に全滅してる。仕事が早すぎてびびる。

 ……萎縮してもなにも始まらないので、どうにかポジティブを絞り出す。

 

 格好からして、こいつも闇の薔薇の一員。

 これは間違いなく朗報だ。

 こいつらは今、仲間割れをしている。

 おれが紛(まぎ)れる隙がある。

 

 

 と、そこで動きがあった。

 

 

 屋根上のローブが正面ドアを蹴破った男を見下ろし、そして横手の窓からこそっと出た女(プラス背負われたおれ)を一瞥してから……すっと立ち上がった。

 

 あれ?

 なんか倍率おかしくね?

 ドアを蹴破った男に比べて、なんというか、でかくね?

 たしかに屋根上にいる分、遠近法の都合で上から見れば大きく映るだろうけど……いや、やっぱこれ倍率がバグってない? ピントが合ってないのか?

 

 黒いローブが、音もなく飛び下りる。

 なにやら遠くへ向け手振りで合図を送っていた男の肩の上に膝から着地し――そのまま押し潰した。

 

 無音。

 ただなにやら、そのままごそごそと蠢いている。

 ワリとすぐそこで、揉み合いのようなことが行われている筈なのに……男の悲鳴はおろか、物音ひとつ聞こえない。

 

 上から見る分に詳細は不明だが、たぶん男が死んだことだけはわかった。

 そして向こうは、こちらにも気がついている。

 次はここに来る。

 

 まずい。

 

 これ、同じノリで来られると、おれ諸共殺されるやつだ。

 この『敵』はたぶん、問答無用で殺るタイプのやつだ。

 

 おれは瞬時にもう1度自身の口元でミニ黒杭を射出。ちゅるんと喋れるようになって、

 

 

「男が死んだ。向こうはこっちに気づいてる。今すぐ逆方向へ走れ」

 

 

 いや呼んだお前がいうなよ、と内心セルフつっ込みをしつつもいい切る。

 ……なんか予想より遥かにやばそうなのが来ちゃったし、ここはほら、柔軟に臨機応変にね? ね?

 

 そんな思いが届いたのか、おれを担ぐ女が駆け出す。

 たった今男が殺されたであろう正面のドアへ向けて、小屋の角を曲がる。

 

 いやなんでつっ込む!?

 

 もしかして余計なこといっちゃった? 親しい間柄だった?

 そんなおれの後悔を置き去りにしつつ、短髪女の手がブレる。

 角を曲がればすぐそこにいた、フードを目深に被った完全不審者スタイルの黒ローブに向け糸を放つ。

 

 薄闇に滲む、ほぼ視認不可能な極細の一閃。

 どういった手品か、それが同時に4つ。

 

 相手は地べたに転がり、男を後ろから羽交い絞めにしていた。がっちりと首を極めていた。

 たしかにあれなら、叫び声は上げられない。

 しかし同時に、あの寝そべった体勢では、視認性が低く速い糸をかわすこともできない。

 

 ずい、と。

 

 黒ローブが、男の身体を『盾』として突き出した。

 彼の首はぐにゃりと捻れて伸びており、どう見ても最早生きてはいない。

 4本の糸は全て男(盾)へと命中し――そこから炸裂する筈だった『なにか』は、術者の意思により不発となった。

 

 力なく垂れ下がった4本の糸が地に付くより早く、がしっと黒ローブがまとめて掴み取る。

 そして寝転がった体勢のままで、無造作に引いた。

 

 おれを担ぐ女の身体が浮いて飛んだ。まるでヘッドスライディングのように糸を繰る両手を先頭に全身が持って行かれる。

 綱引きなんて発生する余地もない、もはや意味がわからない次元の剛力(ごうりき)。

 女は指先を繰り、自(みずか)ら糸を断ち切る。

 ぱっと引く力が緩んだその瞬間、屋根のへりに絡ませていた最後の糸を引く。すると、見えないリールに巻き取られるかのように、今度は一気に逆方向へ引き寄せられる。

 

「――でっ!」

 

 そのまま強引に叩きつけるようにして屋根上へ転がった。

 背に担がれるおれがクッションとなる、最低な着地である。

 しかし同時にファインプレーでもあった。

 

 ……あのまま行けば、普通に死んでた。

 きっとあのパワーでぶん殴られると、短髪女ごとおれも即死する。

 どんな馬鹿でも一瞬でわかる。

 あれと至近距離で殴り合っちゃダメだ。

 

「……逃げた方がいいんじゃない?」

「わかっている。静かにしていろ」

 

 短いやり取りの間に、向こうが立ち上がった。

 

 

 ……でかい。

 どう控え目に見ても2メートルはある。

 ただそんなことはどうでもよくなる特大のインパクトが『彼女』にはあった。

 

 男との揉み合いで留め金でも壊れたのか、ばさりと黒いローブが落ちる。

 

 その下から覗くのは、真っ黒な影法師。

 顔はのっぺりと真っ黒で、口も鼻も目も、さらには髪もない。まるで漆黒でできたマネキン。

 しかしそのくせ、尻や乳や太腿の肉付きは妙にばるんばるんな、幼少期に見てしまえば性癖に深刻なダメージを負うこと間違いなしの無駄に肉感的なボディ。

 ……なんだあれは?

 削ってから、足した?

 

 こうしてじっくり見るとよくわかる。

 あれは影分身だ。

 必須なもの以外を極限まで削ぎ落とした、自身の写し身だ。

 なぜ『削ろう』などと考えるのか、そして実際にできてしまうのか、おれにはさっぱりわからない。

 ただあれこれと『削る』ことでぎりぎりまでコストを軽くした結果、操作できる有効範囲が劇的に伸びているのだけは理解できた。

 

 ……真似したいとは思わないし、できるとも思えない。

 

 いつかの蛇に続く、おれの想像を超えた異形の影分身。

 どう考えてもまともではないやつの、イカれた所業。

 

 それがぴょんと飛び屋根のへりに指先をかけ、片手懸垂の要領で一気に上ってくる。

 

 おれを担ぐ女はなにもしない。

 ただ、ついと視線を逸らし、遥か下方にある白いレンガ造りの建物を見た。

 その屋上に立つ、ちょっと距離が遠すぎて男か女かもわからない誰か。

 両手にそれぞれ、細長い棒のような物を持ち、まるで拍手でもするかのようにそれらを打ち合わせて、

 

 

 ――カン。

 

 

 実際には聞こえなかったが、きっとそんなカン高い音が鳴ったのが予想できた。

 

 おれとおれを担ぐ女は、白いレンガ造りの建物の屋上にいた。

 全3階にプラスで屋上があるタイプの、ずんぐりとしたぶっとい塔のような建物だ。

 視線の先、遥か上方の小さな屋根上では、男か女かもわからない誰かが黒い影にぶっ飛ばされていた。

 位置の入れ換えが行われたのだ。

 

 そうかこれ、拉致だけじゃなくて移動や運搬にも使えるのか。

 

「いやこれ便利すぎない? さすがに強すぎると思うんだけど」

 

 女は1度だけおれを担ぎ直して、屋上から下りる階段へと向かった。余計なことはいわない。おれもよくやるから、なんとなくわかる。

 この『位置の入れ換え』には、知られるだけで困ることがある。

 おれの予想通りならおそらくは……。

 

「私だ。予定通り、確保した」

 

 階段の終点、閉ざされた扉へ向け女がいう。

 がちゃりと開錠の音が返事し、屋内へと入る。

 扉の側で控えていたガタイのいい黒ローブが素早く扉を閉め再び施錠した。

 飾り気のない、安っぽいイスやテーブルが置かれただけの待機室か待合室のような部屋。

 中にいた黒ローブの一団が、簀(す)巻きで担がれるおれを見てわっと歓声を上げた。

 ……この喜びの先にあるのは、おれの『死』だろうか。

 

「祭儀場の準備は?」「あとは贄を残すのみ」「気取られる前に儀式を」

 

 漏れ聞こえる端々から、大方予想通りだと知る。

 どうやらおれを生かして帰すつもりはないらしい。

 ……頭が冷える。

 おれはそう勇敢なやつじゃない。1度怯えたらなにもできなくなる予感があったので、努めて軽く、なんてことないように。

 

 

 ――大丈夫。いける。できる。

 

 

 そう自分にいい聞かせつつ、密かに準備を始める。

 誰にも気づかれないように、そっと静かに数をそろえていく。

 おれを担ぐ女はこちらを気にせず、仲間に襲撃や被害について報告している。

 たぶんこいつは、おれがこの状態でも『杭』を撃てることに気づいていない。

 

「それで、襲撃者の顔は見たのか?」

「顔はなかったが、あれはリンドバーグの従僕だった。あんな体躯、他ではあり得ない」

 

 ふむふむ。リンドバーグさんとその手下がお前らの敵なのね。

 

「莫迦な。なぜ今になって裏切る? 彼奴こそが最も導師に怨みがあろうに」「……あの、私ほ」

 内職の傍ら、近くにいる男に訊いてみる。

「なんでリンドバーグは、そんなに恨んでるの?」

「女が顔を焼かれたのだ。ムリもあるまい」

 答えてから『え?』という顔をする男。

「おい、なぜ口を自由にしている?」「……その、お伝えしなきゃいけないことがあ」

「いくら塞いでもそうなる。だが口だけだ。他の拘束は破れない。相手にするな」

 

 破れる。

 ただ逃げたところで、おれのくっそ遅い足じゃ秒で捕まるからやらないだけ。

 

 だから、必要なのだ。

 足がくっそ遅いおれでも一瞬で逃げれる、移動できる手段が。

 

 ヒントはさっき見た。

 白いレンガ造りの建物(ここ)の屋上にいた、遠すぎて男か女かもわからなかった誰かは、左右の手に持った『棒状のなにか』を拍手でもするかのように打ち合わせていた。

 それにプラス、何度も聞いたカン! という高い音。

 

 たぶん、答えはすぐそこにある。

 おれを担いでいる女と話している、この場では最も偉そうな男。

 そいつの首にかけられている、紐が長めのカンフーマスター専用武器(ヌンチャク)のようなそれ。

 細長い四角形の棒状の木を2つ、紐で繋いだだけのそれ。

 

 おれは、あれを知っている。

 

 大相撲の呼び出しの時に鳴らされるやつ。

 舞台の開幕の時にも鳴らされたりするやつ。

 プロボクシングのラウンド終了10秒前に鳴らすあれ。

 町内の子供会でやらされた『火の用心』の見回りの時に鳴らしたあれ。

 

 たしか拍子木(ひょうしぎ)と呼ばれる、日本では古来より様々な場面で用いられてきた音具(おんぐ)。

 

 つまりは音を出す道具。

 誰にでも使える、道具。

 おれにも使える、道具。

 

 

「――あの! ひとつご報告が! ありましてっ!」

 さっきから地味に無視されていた、この場で最も歳若く声の小さい女が叫んだ。

 

「同志リリアン。今は立て込んでいる、後にしろ」

 この場で最も偉そうな男(拍子木持ち)にぎろりと一瞥された同志リリアンは、それでも怯まずに続けた。

 

「います! 下に! リンドバーグ様のところの大きい人、今下で寝てます! 合議には付き添えないからヒマができたって2、3時間くらい前に来て、徹夜だからベッド貸してって」

「……聞いておらぬぞ」

「言いましたよ! 徹夜組の人が来てベッドで寝てますって!」

「待て。先のアレはたしかに奴の写し身だった。ここから回収ポイントまで、どれだけ距離があると思っている?」

 

 ……不可能ではないと思う。

 ノエミのタッカー君は、実際にもっと遠くまで行っていた。

 ゴッドアウトローヨハンさんの外道ムーブ(冤罪)で島が沈む際、普通にキロ単位の向こうまで偵察していたのを見た。

 極限まで『削った』あれなら、本体が寝て操作に集中すれば、決して不可能な距離ではないと思う。

 

 

 ……だが、そうなってくると。

 

 

「じゃ、じゃあ私ちょっと見てきますね!」

 同志リリアンが、内(・)側(・)か(・)ら(・)ロ(・)ッ(・)ク(・)を(・)解(・)除(・)し(・)て(・)扉を開け、足早に階段を駆け下りて行った。

 扉が自重で閉まろうとするぎりぎりで、がしっと高(・)い(・)位(・)置(・)を手で掴んだそいつが、身を屈めるようにして扉を潜る。室内へと侵入してくる。

 

 ……でかい。

 どう控え目に見ても2メートルはある。

 ただ今回の彼女にはちゃんと口も鼻も目も髪もあった。

 

 アゴのラインで切り揃えた、さらさらな黒髪。

 開いているのに閉じているかのような細い目。

 共用のユニホームである黒ローブを羽織った下に、ライダースーツのようなぴっちり感のあるつなぎっぽいやつを着ているせいで、そのばるんばるんな尻乳太腿がフルオープンとなっている。露出は一切ないのにこのやばさ。これはたしかに間違いない。さっきの『削った』影分身の本体だ。おれを担ぐ女のいっていた通りだ。こんな体躯、他ではあり得ない。

 あと同志リリアン、普通に裏切ってやがる。

 どう考えても最初から手引きしてたよなあれ。

 

 

「こんばんは。ちゃんと皆さん、おそろいみたいですね」

 

 

 思ったより高い声で、にこにこと。

 ここでわざわざ言葉を挟む意味は。

 

「……なぜ今リンドバーグが、我らの背を撃つ?」

「あ、それ違いますよ。本物のリンドバーグさん、もうとっくに死んでますから」

 

 おれを担ぐ女に、そっと耳打ちする。

 

「窓をぶち破って外へ飛べ」

 あ、バカ、振り向くヒマがあったらさっさと行けって! こんなのどう考えても時間稼ぎ、

 

 ばごん! と扉が蹴破られる。

 前方ではなく後方。さっきおれたちが下りて来た屋上から続く扉だ。

 その奥からのそりと身を屈めて入って来るのはのっぺらぼう。

 黒一色のマネキンのような、しかし本体と全く同じ体つきをした、なんならある意味全裸ともいえる18歳以下は見ちゃダメな性癖破壊系影分身。

 

 ……そりゃどれだけ離れていても、1度解除してまた影から出せば、擬似的なワープみたいになるよね。

 で、こうして『絶対に殴り合いとかしたくないやつ』×2で挟んじゃえば、もう密室殺人というか、ひっでえことになるよね絶対。

 

 

 一瞬の空白の後。

 一気に全てが動いた。

 

 おれを担ぐ女が走る。数名の黒ローブが懐に手を入れる。残る全員が両手で印を結ぶ。

 

 部屋の前と後ろで同時に、瞬間移動じみた踏み込みから放たれる一撃。

 言葉にすれば、ただのパンチ。右ストレート。

 この場において、武器を抜いたり術を行使するよりも早く相手を害せる最速の攻撃。

 そのくせ、威力は致命的。

 対象との身長差から、図らずも振り下ろしの右(チョッピングライト)となった一撃が相手の動き出しを潰すカウンターとして完璧に入る。

 1番前にいた最も偉そうな男と1番後ろにいたガタイのいい男の顔面が陥没し、首が胴へとめり込む。即死だ。

 

 両隣からそれぞれくせ者へ向け『黒い手』が伸ばされるが……殴り落とされ、掴まれ振り回され、人間サイズの鈍器にされ、空いた手ですらりと抜いた刃物で容赦なくメッタ刺しにされ――そこでおれは目で追うのを止めた。

 今おれが追うべきは、最初にやられた最も偉そうな男の遺体。その首元にある拍子木(ひょうしぎ)。

 

 おれを担ぐ女が窓を開け放ち足をかける。

 よし今っ!

 

 部屋の中を飛び交う『黒い手』と同じものをにゅっと伸ばし目当てのものを掴む。しゅるると掃除機のコードのように収納しそのまま口元へパス! がじっと連結部の紐を噛むことに成功。

 うおっ、意外と重っ!

 というかおれのアゴ力(ぢから)が貧弱なのだろうが、全力の気合でキープ。

 おっさんの首筋の味ではなく素材の味だと自分にいい聞かせ噛み締めることしばらく。

 ……セルフ猿轡(さるぐつわ)のようなかたちで、どうにか落ち着いた。

 

 

 ――よしやった! おれはやればできるやつだって信じてた!

 

 

 窓枠にかけた糸を伝い下へおりるのに必死な女は一連の動きに気づいていない。完璧だ。ここに来てこのファインプレー。まじで自分を褒めてやりたい。

 これで後は――。

 

 と、そこで問題発生。

 ……入れ換える対象がいない。これの使用には、他の誰かを目視する必要がある。

 

 

「ねえ。なんで壁つたっておりてんの? 階段壊れた?」

 

 

 そこでさらにもう1つ問題発生。

 いつの間にか、隣に小柄な女がいた。

 こっちは糸もなしのフリークライミングで、おれを担ぐ女のすぐ隣の壁にへばり付いていた。

 

 なぜやいつの間に、を問うより早く。

 おれは瞬時に、首の角度を調節した。

 拍子木をくわえているのではなく、紐で口を塞がれているように見え――たらいいなあ! という願いを込めて、可能な限り正面から小柄な女を見た。

 

 あ! こいつ! 夜市のびっくりギミックで下からにゅっと出て来た、あの時の美人さんだ!

 

「お前か。いいタイミングだ」

「いやなにが? ちゃんと確保はできたみたいなのに、なにしてんの?」

 向こうが喋る間も、おれを担ぐ女は下へとおり続けている。

 それに追従してくる小柄な女は……なんか浮いていた。

 壁に片手を添えて、そのままゆっくりと下降している。

 ……なにそれ怖い。

 

「リンドバーグが裏切って、こちらを殺しに来た。現場も詰所もおそらく全滅。お前はこのまま合議の場へ急行し、奴の裏切りを糾弾しろ」

「それ、独断で動いた真の裏切り者(私達)を止めたのだ! とかいわれて、逆にこっちが押されない?」

「だからといって殺して良いとはならない。仲間殺しに焦点をあてろ。独断専行の証拠はない。敵対者の証言に攻撃以上の意味はない。私の名を貸してやる。名代として立つなら、戯言と一蹴はできん。これ以上奴に好き勝手させるな」

 

 なんかシリアスな会話が始まって、おれの口元とかどうでもいい感じになったよラッキー!

 

「……キューちゃんはどうするの?」

「祭儀場へ向かう。到着次第、始める」

 

 ……よし。

 たとえ入れ換え先がなくても、地面に着いたらキューちゃんとはお別れだな。

 

「もし、全てがダメになってどうしようもなくなったら……導師補佐のデュルケムを頼れ。あいつには『貸し』がある。私の名を出す以上、無下にはできない筈だ」

「うん、わかった」

「よし、行け」

 小柄な女が壁を蹴る。

 おれはもしやと思い、慌てて準備をする。

 なんか浮いてたやつが次に行うアクションなんて――1つしかない。

 

 音はなかった。

 予想していた爆音など一切なく、噴き出す量も必要最小限。

 しかしやはりそれは、想像していた通りのものだった。

 

 おれの知っている言葉でいうなら、ジェット噴射。

 

 闇と空気と後おれの知らない要素がいくつか混じり爆ぜた奔流が、小柄な女の足の裏から――いや違う、あれは『靴』だ。靴の底から噴出して、その身体を宙へと押し上げた。

 

 飛翔(フライ)というよりかは、超特大の跳躍(ジャンプ)。下へ落(・)ち(・)る(・)ことを前提とした移動方法。

 

 なるほど、あれか。

 最初、娼館の最上階よりも高くから落ちて来た男。

 次に、夜市のびっくりギミックで下からにゅっと浮き出た小柄な女。

 

 あれができるなら、たしかに両方とも可能――なんて考えてる場合じゃない! さっさと動けこれはチャンスだ!

 

 ロクに狙いも付けずに、さっき準備しておいた黒杭を5、6本くらい射出。

 目標はおれの身体。正確には巻きつく糸。

 どすどすちゅるるん、と糸だけをぶち抜いて黒杭が吸い込まれる。拘束が解ける。細長い四角形の棒をそれぞれ左右の手でキャッチする。

 キューちゃんの背を蹴り、身を捩る。遠ざかって行く小柄な女の背を目(・)視(・)する。

 

 いけるか?

 ちゃんと動作するか?

 セキュリティとか掛かってないか?

 大丈夫だ。

 これは闇技術を用いた道具だ。

 闇がおれを拒絶することはあり得ない。

 打ち鳴らす。

 

 

 ――カン!

 

 

 一気に高くなる視界。近くなる空。縮む天井との距離。全身で風を切る感覚。後ろへと流れ続ける景色。

 

 よし! 成功!

 

 これまでの経験から予測はついていた。

 位置が入れ換わった先の運動エネルギーはそのまま引き継がれる。

 立ち止まっていれば静止した状態に。

 落下していれば下へと移動している状態に。

 特定地点へ超特大の跳躍をしていれば、そこへ向かって弧を描きながら下降している状態に。

 細かい理屈は不明だが、移動している対象だけがポンと入れ換わる。そのムーブ自体は継続される。

 つまり今おれは、すっげえ長距離を一気に移動できているけどこのままじゃ着地の衝撃で絶対に死ぬ! けど大丈夫! 考えはある! ええとえーとたしかこの辺に……。

 慌てず騒がず、用意はしたがずっと忘れていたそれを引っ張り出す。

 

 多重構造による衝撃吸収装置。落下死しない為の事前準備。

 

 夜市のびっくりギミックで縦トンネルに落とされた際に、最後の切り札として必死に編み編みしたはいいものの結局は放置したままだった――特大花弁クッション!

 

 というかおれって『つくり置き』とかできたんだ!

 などと自分でびっくりしながらも、墜落死する前に展開。

 うわ。これってよく見たら思いっきり薔薇モチーフかよ。

 闇素材だから全部真っ黒で、まさにヤミのバラ!

 ……なんか嫌ぼすぼすぼすぼすぼすどんっと多重構造のほぼ全てをぶち抜きながらも、どうにか着地に成功。

 死にはしなかったものの、ぎり死なないレベルでめちゃくちゃ痛い。

 我が絶技『受け身』がなければ骨折くらいはしていたかもしれない。

 

 しばしの間のたうち、ようやく痛みが落ち着いてきたおれの視界の端にちらりと映る人影が。

 馬鹿でかい段差を飛び下り、下り坂を減速することなく全力疾走し、明らかにこちらに向かい爆走して来るちょっと遠近法がおかしく見える誰かのシルエット。

 

 あれは……リンドバーグさんの部下の、色々とでかいパワー系すけべソルジャーのお姉さんだ!

 まずい、あの迷いなき直線移動。完全にこちらの位置を捕捉してる。

 あとシンプルにめっちゃ足が速い。おれのオムレツダッシュじゃ絶対に逃げ切れない。

 どうにか頑張って身を起こす。

 まだ痛みがばちばちで立ち上がれそうにないのであぐらをかいて座り、首にかけていたマジカル拍子木(ひょうしぎ)を手に取る。

 もう1度、これを使うしかない。

 闇に反射する超視界を駆使して、どこかに誰かいないかと探し回る。

 

 ……が、今いるここは馬鹿でかい地下大空洞。

 基本、人気(ひとけ)なんてない。

 謎の地底湖とかくそでか鍾乳洞などの見所は沢山あるが、肝心の『入れ換え先』が1つもない。誰もいない。

 まずい。ここは、無法極まるマジカル拍子木(ひょうしぎ)が失敗したヌンチャクに成り下がるデッドゾーンだ。思えば連中は常に人を配置していた。偶然やランダム要素を極力排除していた。ならばいっそ戻るか? いやあのでかお姉さんがこっちに来るということは、もう向こうは『片付いた』ということで――などと無駄に時間を浪費している間にも彼我の距離はぐんぐん縮み続ける。

 

 まずい。

 まずいまずい。

 向こうがなにかを叫んでいる。

 もう声が聞こえる距離まで迫られつつある。

 あの超級のインファイターに距離を詰められて、おれが生き残れる可能性はゼロだ。

 

 やれ。

 できなきゃ死ぬからとにかくやれ!

 視界の倍率と反射回数を極限まで上げて捻って探して――いたっ!

 たぶん、どっかの窓か通気口の先だと思うが……ばっちりと捉えた!

 どことなく貴族風の整った顔立ちをした、金髪を短く切りそろえた神経質そうな男。

 よし、目視で確認! ちょっと反射したりズームしたりしてるけどこれ目視だから! 誰がなんといおうと目視だから! おれはそう信じる! 信じた!

 おれは大急ぎで「入れ換えろ!」と強く念じながら左右の細長い四角形の棒を打ち鳴らした。

 

 

 ――カン。

 

 

 空気のにおいが変わった。

 生臭く、どこか生き物を思わせる、決してよくはないにおい。

 

 座り心地も変わった。

 硬い岩肌とは違い、なんだかふかっとした程よい座り心地。まるであぐらをかいて座るのを想定しているかのようなフィット感――ってこれ座布団じゃん。

 

 下を向いていた視線を上げる。

 そこは、奇妙な畳敷きの部屋だった。

 壁や天井はやはりむき出しの岩肌なのだが、なぜか床面だけ畳敷きだった。

 

 洞窟を改造したであろうこの和室もどきはそこそこの広さがあり、なぜか部屋の中に2本の細く長いレッドカーペットが敷いてあった。おれから見て右手側のレッドカーペットに5人、左手側のレッドカーペットにも同じく5人が向かい合うようにして座っている。正座のやつもいれば、だらしなく足を崩しているやつもいるし、片膝を立てているやつもいる。

 ただその全員が、もはや見慣れた黒ローブを羽織っており、これが『闇の薔薇』の集まりであることを教えてくれた。

 

 

 ――お前はこのまま合議の場へ急行し、奴の裏切りを糾弾しろ。

 

 

 ……もしかしてここ、キューちゃんのいってた『合議の場』なんじゃね?

 なんか格式高い感じがするし、妙な緊張感がばりばりに張り詰めてるし、もしかしておれ、最悪なところに来ちゃったんじゃ? 密室かつ敵の只中とか、なにこの状況? まじで? どうやって生きて帰ったら――溢れ出そうになる泣き言を呑み込み、無理矢理にでもポジティブを吐き出す。いいところを探す。探せ。よしあった。

 

 最もいいのは、まだ誰も気づいていない点だ。

 ここは向き合う10人の視線からは外れる死角だ。

 本来ここに座っていた誰かとおれが『入れ換わって』いることに、まだ誰も気づいていない。

 あぐらをかいて座り込んでいたのもよかった。もしこれが立ったままだったなら、入れ換わった瞬間にバレていたかもしれない。だから今の状況は最悪ではない。1歩手前ではあるが、まだ終わってはいない。

 

 そうだ。前向きに考えろ。

 こいつらはまだ、おれという敵が必殺圏内に入り込んだことを知らない。

 おれは今、必ず1発は先制して殴れるチケットを手にしている。

 

 と、そこで。

 

 

「――もう1度、言ってみろ」

 

 

 おれから見て右奥の、顔一面に包帯を巻いた女がいった。

 

「ただし、次は殺す。選べ。黙るか死ぬか」

 

 なんだか知らないけど、めちゃくちゃキレてる。

 誰も喋らないと思ったら、どうやら今ここは一触即発の修羅場だったらしい。空気が剣呑すぎて静まり返ってたのね。

 

 包帯女の言葉を受けて、その正面に座っていた男が鼻で笑う。

 

「はっ、殺すだと? リンドバーグ貴様、面(つら)だけでなくお頭(つむ)の中まで焼け爛れ」

 

 

 ――パン!

 

 

 包帯女が手を叩いた。

 右手と左手を勢いよく打ち合わせる拍手(かしわで)。

 

 その音と同時に揺らぐ平衡感覚。

 脳内に直接叩きつけられる理解。

 音に込められた、膨大な出力。

 入力されたのは、単純な命令。

 

 ニニィさん曰く『夜の母(ナイト・マム)の系譜』らしいこの身には軽い目眩程度しか効力を発揮しなかったが……そうでない面々にはどのような作用をもたらすか。

 

 その答え合わせを、包帯女が始める。

 

 おもむろに懐から取り出したナイフを、腕の振りと手首のスナップで投げる。

 正面に座っていた男の眉間にどごっと突き刺さる。ばたんと後ろに倒れる。

 こいつ、本当にやりやがった!

 というかなんで皆ノーリアクションなの?

 

 続いて包帯女がまた懐からナイフを取り出す。腕の振りと手首のスナップで投げる。

 死んだ男の隣に座っている男の眉間にどごっと突き刺さる。ばたんと後ろに倒れる。

 え? べつにそいつ、なにもいってなかったよね?

 

 続けてまたまた包帯女が懐からナイフを取り出し、腕の振りと手首のスナップで投げる。

 死んだ2人目の男の隣に座っている女の眉間にどごっと刺さる。ばたんと後ろに倒れる。

 いやいや、待て待て。怖い怖い。やられるやつが皆ノーガードなのも、周りがノーリアクションなのも、やれる時にやっとこうみたいなノリの包帯女も全部怖すぎるって!

 

 

 おれはそっと首にかけた神器、マジカル拍子木(ひょうしぎ)を手に取った。

 よくよく考えれば、こんなクレイジー共と切った張ったの殺し合いなんてする時点で間違ってるよな。

 すっかり頭の冷えたおれは、ここへ来る時に(疑惑の)目視をした彼――どことなく貴族風の整った顔立ちをした、金髪を短く切りそろえた神経質そうな男――を再び捕捉しようと目を凝らしたところで、ぐにゃっとした違和感に気づいた。

 

 

 ……は?

 

 

 驚きに、息が止まる。

 意味がわからず、つい2度見する。

 

 2回見たところで、やっぱり意味不明だった。

 

 拍子木(ひょうしぎ)の下半分が、蛇になっていた。

 

 細長い四角形の棒状の木の半ばから、唐突に茶色い蛇の胴体が生えている。

 そしてその終端が蛇の頭になっていた。

 ただ生きてはいないようで、その身はふにゃんと垂れ下がったまま。

 

 

 ……駄目だ。

 これは本気で駄目だ。

 欠片も意味がわからない。

 恐らくは闇関連のなにかだとは思うのだが、笑うしかないレベルで理解ができない。

 辛うじてわかるのはその始点。

 これがどこからの働きでこ(・)う(・)なったか、その始点。

 

 おれのすぐ左前。

 どうしてか今まで全く気づけなかった、すぐそこ。

 

 床の間がないこの和室もどきにおいて、最も出口から遠い場所。すなわち上座。

 そこに座する、背筋の曲がったその小さな背中。

 真っ黒い超豪華な紋様付きローブを重ね着したようなその格好には見覚えがある。闇の薔薇副首領であるイグナシオが着ていたものと同系統のデザイン。おそらくは組織内での上位者であることを示す特別な装い。

 

 それを纏った、上座にいる、白髪の老婆。

 俯くように顔を伏せているが、そもそもおれは顔なんて知らない。

 

 しかしそれでも、彼女が誰なのか、一瞬でわかった。

 

 

 敵の首魁。

 導師、カラマゾフ。

 100年以上の飽くなき研鑽を積み上げた、本物の怪物。

 

 

 おれは反射的に全ストックを解放した。

 まだキューちゃんに担がれていた頃、生贄回避の為に必死こいて数を用意していた黒杭89本。

 それを一斉に引っ張り出した。

 

 ここでやらなければ、もうどうしようもなくなってしまうという直感じみた恐怖に背を押され、この老婆の小さな背中に向けて全弾発――がぎっと詰まった。

 

 たとえるならそう。

 全力で振りかぶって殴ろうとした時に、踏み込んだ足の膝頭を踏みつけるように蹴られた時のような。

 そのタイミングでそこを押さえられてしまえば、仕組み上どうしても前に出れなくなるというポイント。

 

 黒杭を撃つのに、そんなものがあるなんて考えもしなかったが……今実際にされている。

 最小限の操作で、こちらの出力が完全にせき止められている。

 押しても引いてもびくともしない。

 そもそも向こうは微動だにしていない。

 ただノールックで、さも当然のようにこちらの起点だけを潰した。

 勝負の土俵に上がるその足を押さえられた。

 

 駄目だ。

 これは本気で駄目だ。

 どうしたらいいのか、わからない。

 この感じ、こいつは本にもできない。

 今ここでどうにかできる気がしない。

 

 

 ――結論から言っちゃうと、たぶん誰もあいつには勝てないと思う。

 

 

 おれの実力行使は、完全に封じられた。

 唯一の逃げ道も、意味不明な方法で潰された。

 しかし導師カラマゾフは沈黙したまま。

 今も背を丸めて俯いて、ただじっとしている。

 

 ……なんだ?

 なぜこいつは、なにもしない?

 ただ目の前の部下たちに、一言命じるだけで済むというのに。

 

 そうして疑問を浮かべると同時に、呼吸が再開される。

 息をするのも忘れていた。ようやくそのことを思い出せた。

 同時に、周囲の喧騒もまた耳に戻ってくる。

 

 

「警告はした。死ぬような真似をすれば、死ぬに決まっているだろう。バカめが」

「貴様ァ! そこに直れリンドバーグ! この場を血で汚したその罪」

「喚くなよ三下。導師の御前であるぞ。導師が止める御つもりならば、とうに私は無力化されている。口だけのカスは死ねと、そう導師は仰せだ」

「リンドバーグさん。今の状態の導師を『使う』のは、不敬が過ぎやしませんかね?」

「ほう。貴様はこう言いたいワケか。導師はもはや、自身で判断する能力を喪失していると。だから言った者勝ちだと。不敬は貴様の方であろうが!」

 

 どうやら、3人を殺したリンドバーグが糾弾されているようだが……レスバの強さでなんか拮抗していた。

 

「ならば、ご本人にお聞きすればいい。――同志デュルケム! 導師はいかが仰せか!?」

 

 いって、皆が一斉におれの方を見た。

 あ、ここにいた人、デュルケムっていうんだ。

 とか。

 やべえ、バレた。

 とか。

 攻撃も逃走もできない。

 とか。

 どうしようもない。

 だから。

 死。

 嫌。

 

 ……。

 ……まだ。

 まだなにかあるだろうか。 

 まだおれにできることは。

 ……ある。

 あった。

 アホみたいな話だ。

 けど。

 やらなくても死ぬんだから、どうせならやろう。

 やるからには、真剣にやろう。全身全霊でやろう。

 中途半端に照れて薄笑いを浮かべるのは1番駄目だ。

 あらゆる意味で情けない。

 だから、ちゃんとやろう。

 本気で、やろう。

 死ぬ気で、殺す気で。

 

 耳が痛くなるような沈黙。

 

 誰よりも早く、おれが破る。

 先手を打つ。

 殺されるより先に、右手を掲げる。

 全員の視線を、そこへ集める。

 できる限りゆっくりと大仰に。

 告げる。

 

 

「この指輪は『いと醜き愚者の悲願』と呼ばれる、初代から脈々と受け継がれている闇の薔薇の盟主たる証だと聞いた」

 

 

 これ見よがしに、きらりと光を反射させる。

 おれがそれを身につけているという事実を見せつける。

 

 

「――この事実に、相違ないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -148.1452

 

 

「……君は、どう思う?」

 彼は生涯、この発言を後悔することになる。

 なぜ、こんなことを訊いてしまったのか。

 どうして、自分の裁量で全て決めてしまわなかったのか。

 選択を繰り返し、その全てを背負い続けるのが当主たる者の勤めだと、あれほど父から教わったというのに。

 少しことが大きくなるだけで、すぐに臆病風に吹かれてこのざまだ。

 

「王命で、ございましょう?」

「そうだ。全てを捨てて即時アルネリアへと退去。件の革命軍とやらには絶対に勝てないらしい。ウィンチェスター、リードロック、ファルネウスの3大権がそろって認可の印を押している。どうやら、冗談ではないようだ」

 彼は読んでいた文を妻へと見せる。あら本当ね、と気のない返事がひとつ。

「……つまり、この南部一帯は我らの手を離れるということだ。父祖伝来の所領が私の代で潰える。これはもう、避けられない」

「寂しゅうございますね」

「ああ。だから迷う。王命に従い逃げるか。一族の責務を果たすか」

 

 妻は即答した。

 どう思うか、訊かれていたから。

 

「では残りましょう。父祖の英霊に顔向けできるよう、誇り高き行いを致しましょう。貴種たる責務を果たしましょう」

「待てアイシャ。その言い方だと君まで残るように聞こえるが」

「わたくしに、夫を捨てて逃げた恥知らずになれと?」

「違う。君には子供たちを連れて行くという役目が」

「きっとあの子たちも、同じことを言いますわ」

「いいや。そうはいかない」

「大丈夫。領民たちとは家族同然の間柄。あなたも覚えておいででしょう? 先の音楽会での感動を」

「先代から数えて50年、餓死者はゼロ。わたくしたちの努力と結果は、きっと皆にも伝わっていますよ」

「わたくしたちならば、たとえどんな苦難が待ち構えていようとも、必ずや乗り越えて行けますとも」

「これまでの積み重ねを、紡いできた思いを、あの素晴らしい家族たちを、信じましょう」

 

 

 







TIPS:こっちにもあったブレイキン

ダンスや舞踊と呼ばれる動きには、円や弧を描く回転運動を用いられるものが驚くほど多い。
おそらくこれは、両手足に頭部の五体を用いた表現方法を突き詰めた先に辿り着くある種の必然なのだろう。
そこからさらに、派手、見栄えが良い、綺麗、美しい、なんかアガる。よくわかんねえけど凄え、等の要素を想起させる動きには一定の法則があり、時や場所を越えて全く同じ動きが全く別の名称で呼ばれていることはそう珍しくもない。
現地での呼称は全く別のものだったが、動きやその技術体系はほぼ同一だったのでアマリリスの脳内翻訳フィルターにはこう訳された。

ちなみに草原の民の間ではクールなダンスパフォーマンスをきめれるやつが最高にモテる風習があり、年1で全部族合同のダンス大会がある。
高名な学者先生もまた草原出身で、元ダンスエンペラー。
「あの若造ども……いや、ピーノにピーオ。なかなかどうして……」



TIPS:なぜニニィはエルリンクに付いて来たのか?

イエスマンと佞人(ねいじん)とこじらせたマザコンたちに囲まれた夜の母(ナイト・マム)の顔(かんばせ)からは、いつしか表情が消えていた。

「わからんな。何故どいつもこいつも、こんな小娘に阿(おもね)るのか。とりあえずこの問題を解いてみろ。我々と並ぶ知性があると示してみせろ。さすれば、共に連れて行ってやらんこともない」

ニニィは笑った。
ボクに知で挑むとは、良い度胸だ。



TIPS:生贄(いけにえ)としての蛇

古来より、蛇の生き血は呪術において重要な意味を持つ供物だった。
その事実が積み重なり醸造された結果、蛇の抜け殻、生皮、生き胆、あるいはその命までもが呪いを加速させる触媒となり、まさに『捨てるところ』のない極上の贄へと昇華されていった。

馬車内での術比べ(12 永遠に勇ましく参照)にて後れを取ったカラマゾフは、蛇たる写し身が(ティーポッドの蓋で)断ち切られると悟った瞬間に『己(蛇)が半身を生贄とした儀式』を即興で断行。あの場にいた全員に『蛇の呪印』を付与することに成功した。
自身の分け身を贄とする異次元の狂気を常とした魔人の絶技は、対象に「敗北した」という事実を悟らせない。

本来なら、この時点で趨勢は決していた。
ただ1つの予想外にして最大の誤算は。
見たことも聞いたこともない最新の呪。
まるで『悪霊』のようなそれ。



TIPS:蛇の呪印

刻まれた者にとって致命的なデメリットをもたらす『死の宣告』の異名を持つ刻印型の独自魔術。
対象の術に対する抵抗値を下げる、対象にかける術を増幅させる、というシンプルながらも絶対的な効果を発揮する恐るべき秘術。
しかもその独自性から、カラマゾフ本人と数名の高弟以外には『無意味な空気』としか認識できないという、最上級のセキュリティ(不正使用防止)とステルス性能まで兼ね備えている。

高弟たちが用いる場合、理解不足から幾分かのグレードダウンは避けられないが、それでも通常なら不可能なことを成せるようになる。



TIPS:マジカル拍子木(ひょうしぎ)

移動という概念に愛された鬼才、闇の薔薇副首領イグナシオが残した遺作。
正式名称は『送り木、迎え木』といい、自身が得手とする空間を移動する魔術を誰にでも簡単に行使できるようパッケージングした破格の魔導具。
しかも原材料は硬い木材と紐だけなので、容易に量産が可能という抜群のコストパフォーマンスまで誇る隙のない大発明。
ただ、使用者に求める水準が異常なまでに高く、盟主クラプトン、導師カラマゾフ以外はまともに扱うことができなかった為、大量の在庫が死蔵されることとなってしまった。
しかし今回、蛇の呪印を活用することにより、最低限の機能である『入れ換え』だけはどうにか使用可能になった。

同じく空を目指した『天空派』と袂を分かつ原因となった、イグナシオにとっての失敗作。
飛び方を忘れた鳥と、地を這う虫という現実を浮き彫りにした、そのきっかけ。

しかしイグナシオの死後、かつての天空派の面々は、誰にいわれるでもなくこれを手に取った。
全てが消えたのち、その胸に残ったのは、いつかの憧れだけだった。


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