邪神さまがみてる   作:原 太

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4.1 夜のしじまに暴力を

 

 

 あなたは、弱いほうが、いいのかもしれないわね。

 

 

 

 

 

 朝日が昇る少し前、いつも通りに6号は目が覚めた。

 

 明日も目覚める保障はない。耐久年数はとうの昔に過ぎている。

 そういわれ続けてはや数十年、性懲りもなく今日も目覚める己に、もはや笑いすら起きない。

 

 最低限の身支度を整え中庭へ向かう。

 身体の運用に不備はなし。違和感の兆候すらも皆無。相変わらず頑丈さだけは最高峰。役立たずは今日も絶好調だ。

 

 大きく息を吐き、背筋を伸ばしたまま重心を落とす。尻の穴から地に根を張る感覚で芯を固定し、特に開始を意識することなくぬるりと滑るように、徒手による『是空』を1番から8番まで可能な限りゆっくりと行う。そこに敵の一手を描き、いなし、打つ。逸らし、打つ。受ければ――即死なら僥倖(ぎょうこう)。通常はなぶり殺し。1対多が基準となる4番からはほぼ全てが死に手と堕す。だがそれでもどうにか、伝えられた技術と術理を駆使し、相手だけが一方的に斃れる動きをなぞり研鑽、追求し続け――。

 今となっては完全に惰性でしかないルーチンを消化し、そしていつもの正論に囚われる。

 

 

 こんなことを続けて、一体何になるのか。

 

 

 かつては息も絶え絶えで、最後には立っていることすらままならかったこの日課も、いつしか汗ひとつかかず終わるようになった。

 

 きっと、(ずる)くなったのだろう。

 

 可能な限り力を抜き、まるで十全にこなせているかのように振舞う。

 熟達したとも取れるが、結果が伴わない現状では、やはり『狡』の方がしっくりくる。

 

「おはようございます。ハウザーさん」

 

 残心を終えると同時に声がかけられる。

 

「おはよう。プルメリア」

 

 親と子ほど歳が離れた後輩。

 運以外のほぼ全てを持って生まれた442号。

 この館において数少ない、魔女(ローゼガルド)に翻意を抱く変わり者。

 

「いつ見ても綺麗ですよね、それ」

「男衆からは『ゆっくり過ぎてダサい』と不評だよ」

「教官殿の真似ができないからって、言い訳してるだけですよ」

 

 要点さえ掴めば、わざわざ侵蝕深度(フェーズ)2の――弱者の真似事などする必要はない。

 その正論の前には、形稽古の意義など無に帰してしまう。

 

「お体の具合はいかがですか? 施術自体は綺麗にできたと思うのですが」

「ああ、問題ない」

 

 つまらない泣き言を口走る前に必要なことを聞く。

 

「……ヨランダの様子は?」

「一晩眠って、頭は冷えたみたいです」

「もう大丈夫か?」

「いいえ。冷静にどうやって殺るかを考える段階に入っただけかと。精神状態の上下はあっても、すること自体はブレない。いつも通りのヨランダちゃんです」

 

 爆弾の導火線に火は点いたままであると。

 

「あの、やっぱり、ローゼガルド様にご報告しませんか? 悪いのは向こうなんですから、こっちが黙ってる必要なんてないですって」

 

 道理ではある。

 統制を重んじる魔女(ローゼガルド)が、己の留守中に強姦未遂事件があったなどと知れば、きっと激怒し、苛烈な沙汰を下すに違いない。

 ただ問題なのは。

 

「最悪、両方とも処分される。たとえ首尾よく向こうだけが処分されたとしても、残った連中から恨みを買い、次はお前も標的になる。ただ状況が悪化するだけだ」

 

 ヨランダの命をチップにした賭けに勝って尚それでは、話にならない。

 

「まずはヒルデガルド様がお戻りになるまで待とう。今日か明日には戻られるはずだ。それまで迂闊な行動は控えろ。いいな?」

「……はい」

「よろしい。今日からは常にヨランダと一緒に行動するように。昨夜の内に2日先までの担当を変更しておいた。誰に何を言われても、私の指示で押し通せる」

「わかりました。一人にさせませんし、なりません。……で、いいんですよね?」

「ああ、頼む」

 

 そうして大まかながらも今後の方針を決定したところで、

 

「おはようございます、ハウさん。あたしに隠れて内緒話かい?」

「おはよう、ヨランダ。次はお前と内緒話だ」

「よしきた。ほら聞いたろプルメリア、さっさと行っちまえ」

「はーい」

 

 あっさり本館へと向かったプルメリアの背を2人して見送る。

 揺れる金髪が完全にドアの向こうへ消えたのを確認してから口を開く。

 

「少しは落ち着いたか?」

「うん。……その、ハウさん、昨日は助かった。ありがとな。正直、もうちょい勝負になると思ってた」

 

 一重目蓋の赤毛が眼を伏せる。常に睨み上げてくる彼女にしては珍しい気弱な仕草。どうやら、見た目ほど平気ではないようだ。

 

 ヨランダ。衛生兵型(メディック)の481号。侵蝕深度(フェーズ)4。

 

親衛隊(お気に入り)たちは最低でも侵蝕深度(フェーズ)6が必須条件だ。位階が1違えば、普通にやればまず勝てない」

 

 その差が2や3にもなると、勝ち負け云々ではなく、もはや勝負の土俵にすら立てない。

 

 昨日、件の現場に割り込んだ際、狼藉者(ゲス)の頭蓋を砕くつもりで放った掌打は「痛いですね」という言葉を引き出すのみだった。

 逆に、向こうが放った『腕振り』としか呼べないような拳打もどきは、防御に挟んだ6号の膝と腕ごと顎を砕いた。その拍子に裂傷を負った舌からの出血で、危うく溺死するところだった。

 

「知識じゃあ知ってたんだけどな。押さえ込まれたら、何もできなかったよ」

 

 こっちは押さえ込まれなくても、何もできなかったよ。

 

 6号の顔が余りにも辛気臭かったのか、ヨランダが空気を変えようと笑ってみせる。

 

「……やっぱあれだよな、あたしが可愛すぎるのが一番の問題なんだよなー。キュート全振りだからなーあたしは」

 

 今連中がヨランダを襲う理由はない。己が秩序を尊ぶ魔女(ローゼガルド)の逆鱗に触れるだけの愚行だ。あるいは、お気に入りの自分たちなら許されると踏んでいたのかもしれないが。

 つまり、本当に、理由としては()()()()なのだろう。

 

 ……舐めてくれる。

 

「その調子だ。(はらわた)が煮えくり返っていることを悟らせるな」

「……やっぱわかる?」

「プルメリアも気付いていたよ。お前のことを、とても、心配していた」

 

 ヨランダから笑みが消える。

 

親衛隊(クソ共)の性根が腐ってやがるのは昔からずっとそうだ。今に始まった事じゃない。けど連中にはプライドがあった。自分達はエリートだっていう、クソみたいに高いおプライド様だ。だから、つまらない嫌がらせはしても、女ひとりを力ずくで襲うような真似はしなかった。最低にだせえからな。そんなのプライドが許さない。けど昨日はああなった。これがどういうことかわかるか? ハウさん」

 

 わかる。

 だから6号は昨夜の内に可能な限りの準備を整えた。

 

「一線を超えた。高くなりすぎたプライドが豚みたいに肥え太り『お飾り』の専属連中ぐらいどう扱っても許されると、おつむの芯から腐りきっちまった!」

「落ち着け、ヨランダ」

 

 だからといって、馬鹿正直にやり合っても勝ち目などないのだ。

 質も数も、向こう(ローゼガルド)側が圧倒的であり、勝負にすらならないのが現実である。

 今は、まだ。

 

「いいか、よく聞け。衛生兵型(メディック)の成功例は極端に少ない。その中でも新人の教導が可能なレベルのお前やプルメリアはさらに貴重だ」

「今はそんな話」

「いいから聞け。そんなおまえたちの身の安全が脅かされるとなれば、それは大きな損失につながりかねない重大な懸案事項だ。財産を守る義務を負う家令のひとりとして、到底看過できない。よって、ヨランダ、プルメリアの両名を本国勤務とする辞令を作成した。あとはヒルデガルド様のサインがあれば正式な命令として効力を発揮する」

 

 小賢しい。

 

 身体を鍛え。技を磨き。拳を厚くして。

 することが、これか。

 

「だから今お前がすべきなのは、自爆覚悟の特攻計画を練ることではなく」

 

 当然の怒りを、まるで詐欺師のように丸め込み。

 

「ヒルデガルド様がお戻りになるまで、プルメリアと一緒に、盛りのついた馬鹿どもに会わないよう、できるだけ距離を取ることだ」

 

 何も悪くない娘たちに、罪人のように逃げ隠れしろと吹き込み。

 

「……わかったよ。あたしだって死にたいわけじゃない。ハウさんに従うよ」

 

 何の解決にもなっていない時間稼ぎに終始する。

 

「すまない。迷惑をかける」

「……ハウさんが謝ることじゃない。こっちこそありがとな。色々と手配してくれて」

 

 あまつさえ、こちらを気遣う言葉すらかけられる始末。

 

 6号の口から、掠れたような息がもれる。

 つられて、最も奥底に仕舞われた本音が、ほんのひとかけらだけこぼれる。

 

 

 ああ。

 

 

 本当に。

 

 

 ただただ。

 

 

 弱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 数が少ない。

 それは単純にして絶対的な弱みだ。

 

 どれだけ重大な懸案事項があろうとも、あらかじめ予定されていた仕事に穴をあけるわけにはいかない。

 館内の業務ならある程度融通を利かせることも可能なのだが、それが対外的な案件の場合『今内輪で揉めているので行けません』は通らない。

 

 もしそんなことを強行しようものなら、ただでさえ旗色の悪い6号達はさらなる苦境へと追い込まれるだろう。

 自分達(ヒルデガルド派)以外は全て魔女(ローゼガルド)の僕という館の現状から見て、交代要員も期待できない。

 

 つまり、この不安定な状況下で、ただでさえ少ない人員をさらに分散しなければならなかった。

 

 アメジスト。ヴィンセント。ロイ。

 もし荒事になった際、間違いなく活躍するであろう侵蝕深度(フェーズ)5の3人は、本日の昼過ぎから2日間程の対外業務(泊まりの仕事)が入っている。

 

 盛りのついた馬鹿どもが、このタイミングを狙ってことを起こしたのなら最悪だった。

 

 しかも今日は6号も半日がかりの対外業務(初回教練)に出る必要があり、館には非戦闘員の2人だけになる時間が発生してしまう。

 

 早く終わらせて、早く帰って来るしかない。

 

 そう結論を出した6号は、残る彼女達に『緊急時の避難場所』と『脱出手段』を伝え、くれぐれも用心しろと言い残し、朝一番の舟に乗って館のある離島から本島へと渡った。

 

 そこから『6号の足で』1時間程の距離にある、海沿いの僻地にひっそりと佇む無機質なレンガ造りの大規模建築物が本日の仕事場だ。

 

 

 旧王立特異開発第7施術訓練院。

 通称、第7。

 

 

 ここにいるのは、初期施術を生き延びた侵蝕深度(フェーズ)2から3の子供たち。

 特殊な出自でもない限り、暴力の訓練など受けたことのない雛鳥たちに、安全に暴力の経験を積ませるのが本日の主な業務内容。

 

 書類上の分類は汎用近接格闘術教練1。

 

 いつの頃からだったか。

 一族が磨き上げてきた技を『汎用近接格闘術』などと呼称されても、何も感じなくなったのは。

 

 初めて教え子に打ちのめされたあの時か。

 それとも、守るべき御方に迫る危機を打った拳が、何の意味も成さなかったあの時か。

 

「また、この季節が来ましたね」

 院長の声に、物思いから引き戻される。

「ええ。早いものです」

「おかげさまで、前期は全員が軍学校へと上がれました。今期もよろしくお願いします」

「微力を尽くします」

 

 なかば定型文と化した挨拶を終え、野外第1演習場へと向かう。

 

 資料によると今期の『第7生』は52名。

 侵蝕深度(フェーズ)2が50名。侵蝕深度(フェーズ)3が2名。

 初期施術による脱落者はなし。

 この技術の進歩だけは手放しで褒められる。

 3割残れば上出来といわれていた自分たちの頃からすれば、まるで夢のような数字だ。……悪夢の類ではあるが。

 

 整列する――というより、まだまださせられている感が滲み出る生徒たちの前に立つ。

 

「本日よりお前たちの教練を担当する6号だ」

 

 いきなり出てきた準礼服を着た(じじい)が真顔で6号と名乗り、さらに教官だという。

 一同を見渡す。

 場はしん、と静まり返り、罵声を飛ばす者はもちろん、指笛で屁の音を出す者もいなければ、クスクス笑いをもらす者もいない。投石等の飛来物もなし。全員、服も顔も綺麗なまま。ケンカがあった形跡もなし。境遇を考慮すると、何もなさすぎる。

 

 優等生。消極的。諦め。

 

 なら少し煽る方向で行くか。

 

「最初に言っておく。お前たちに――」

 

 そうして6号は業務を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 初回教練を恙無(つつがな)く終えた6号は急いで帰路についた。

 1時間の道程を40分で走破し、ちょうど暇していた渡し守の尻を蹴るようにして舟に飛び乗る。

 

「おいこらハウザー手前、なんだってんだ一体」

 

 渡し守の一族で最年長の昔馴染みが、舳先(へさき)から振り返った。

 

「すぐに出してくれ」

「あん? この時期はたしか……お子様どものお守りだったか。なんだ、トラブルか?」

「そういうわけではない。が、急いでいる」

「ふうん、了解だ。なるたけ飛ばそう」

 

 そうして、ゆっくりと舟が発進する。

 どうにも焦れるが「もっと急げ」などとはいえない。

 舟上は彼らの領域であり、館のある離島へと辿り付けるのは、彼ら一族の漕ぐ舟だけなのだ。

 

「で? どうだった? 今期の後輩どもは?」

 

 世間話をしている場合ではない、とは思いつつも、

 

「全体的な質は上がっている。今日の第7だけで『3』が2人もいた。一昔(ひとむかし)前なら神童扱いだったろうな」

「で、その神童さまの鼻っ柱をヘシ折ってきたと」

 揶揄(からか)うような物言いに、なにを馬鹿な、と呆れる。

「身長2メートル超、体重120キロの鍛え抜いた四つ腕の戦士を相手に、まともに打ち合えると思うか?」

 

 将来的に相対する『最低ラインの敵の性能』がこれだ。

 平地で、近接武器で、正面からぶつかってくれるだけまだ易しいなどという、冗談のような現実の前に吐き気すら(もよお)す。

 

「……最低でも『5』は欲しいわな」

「そういうことだ。今天狗になられては、どうにもならん」

「んなこと言ってると、また恨まれるぜ。ちったあ学べよ」

「学んでいるとも。目立った怪我は向こうが勝手に転んだ際の捻挫ぐらいだ。それも治しておいた」

「さすが元祖万能様。器用なもんだ」

侵蝕深度(フェーズ)2では器用貧乏でしかないがな」

 

 などといっている内に、離島の影が見え始めた。

 こうして急いで帰って来たものの、ふと冷静になると、恐ろしく寒々しい事実が背筋を這い上がり、熱を芯から冷ましてゆく。

 はたして、自分が戻った所で。

 一体、何ができるというのか。

 場違いな弱者がちょろちょろと、

 

「顔に、出ちまってるぜ。6号」

 

 館のある離島への舟中。渡し守の一族で最年長の昔馴染み(55号)が、舳先(へさき)からいった。

 

「適当な事を。ずっと前しか見てないだろうに」

「オレだってわざわざ言いたかねえさ。けど、ダリアガルデ様との約束だからな」

 

 

 

 ねえ55号(船頭さん)。もしこの6号(おばか)が深刻な顔して自分に酔ってたら教えてあげてね。

 そんなのじゃ、なにもうまくいかないって。

 

 

 

「……そんな昔の話を」

「なんだ? ご本人がお隠れになりゃ全部チャラってか? オレは嫌だぜ、そんなの」

 

 あの御方と護衛の自分と渡し守のこいつ。館から本土へ向かう度に顔を合わせていれば、多少の気心が知れるのに、さほど時間はかからなかった。

 

「なにがいいたい?」

 

 とはいえ彼は代々王家に仕えてきた水際の番人(渡し守の一族)だ。

 あの御方に対しては十全の礼節を固持していたが、6号に対してはすぐにこうなった。

 

「お前がそんな面してんだ。今あの(クソ溜)で、なにか面倒事が起きようとしてるんだろ?」

「ああ。だから今夜から3日間は離島の宿舎には泊まるな。面倒だろうが本島まで帰って、朝には間に合うようまた来い」

 

 しばらく返事はなかった。

 

「だったら6号。お前もそうしろ。急病だか何だかいって、3日ぐらいウチに居ればいい」

「何を馬鹿なことを」

「そうだ。馬鹿なことだよ、6号。頼みの綱だった肉体性能も下り坂の侵蝕深度(フェーズ)2の爺が『5』とか『6』の親衛隊がうようよ居る処刑場に出頭するのは、どう考えても、馬鹿なことでしかねえんだよ、6号」

 

 おかしなものだった。

 つい先程、自分が考えていたそのままを、あらためて他人の口から指摘されると。

 どうしてか、何の澱みもなく、言葉が出てきた。

 

「いまさら自分だけ、逃げるわけにもいかんさ。後輩もできた。数少ない魔女(ローゼガルド)に反する仲間だ。それになにより」

「ヒルデガルド様がいらっしゃる、か? 確かに、ヒルデガルド様はダリアガルデ様の御息女であらせられるが、決して御本人ではない。よく考えてみろ。お前は何か大切なことを、決して間違ってはならぬものを、見誤ってはおらぬか? 代替など、すべてに唾吐く不敬ぞ。我らが君の御言葉は、まだお前の内にありきや?」

 

 有無の話ではない。

 

「それだけが、(はげ)みだ」

 

 そしてその夜6号は。

 

 ()()と再会した。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

「プルメリア」

 

 黒くぼやける布状の何かを纏っただけの、ともすれば乞食にすら見えかねない格好をした黒髪の子供。

 

「客間に案内してくれ。今日はもう休む」

 

 しかしその長い黒髪やわずかに見える手足はつるりと綺麗なもので、見る者の印象はどうにも不安定になる。

 みすぼらしいのか、美しいのか。

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

 名指しで命じられたプルメリアが、飛び上がるようにして、壁に掛けられている鍵束をひっつかむ。

 

「ハウザー。この本はここに置いて行く。ヒルデガルドだけは触れるようにしてある」

 

 現実感がなかった。どこか夢を見ているかのようで、しかし染み付いた習慣はひとりでに6号の口を動かし、それらしい言葉を返す。

 

「宿賃だと、伝えておいてくれ。知りたいことを知りたいだけ知ればいいと」

 

 見慣れたものは所詮、見慣れたものでしかない。

 スケールの大小こそあれど、暴力が何かを損壊するのは、もはや見慣れた光景である。

 

 だから今6号の精神を揺さぶり、さらにその根っこへ亀裂を入れているものは。

 

 

「それと」

 

 

 同じ声。

 長じてからは多少低くなられたが、あの年頃当時を思い出すと、やはりどう聞いても完全に同じ声。

 

 

「殺そうとすると道連れにされる呪いがあるだろうから、やるなら気をつけろと」

 

 

 同じ顔。

 当然ながらヒルデガルド様に似た(かんばせ)ではあるものの、これもまたやはり、あの年頃当時を思い出すと、どう見ても完全に同じ顔。

 

「ど、どうぞこちらに!」

 

 ガチガチになったプルメリアが必死に声を絞り出す。

 無理もない。

 基本的に戦闘要員ではないあの娘には刺激の強い場面が連続しすぎた。

 侵蝕深度(フェーズ)5の使用人2人が瞬く間に沈められ、火達磨になったアンジェロに至っては親衛隊所属の侵蝕深度(フェーズ)6だった。

 さらにそれらを束ねる最悪の魔女(ローゼガルド)は、何故かぐちゃぐちゃに潰れそして――実際に一部始終を目の当たりにしても尚、悪夢の中の冗談としか思えない絵空事と化した。

 

 しかし、そんな大小異なる暴力たちよりも6号の心を捕らえて離さなかったのは、たったひとつの夢を超えた(うつつ)だった。

 

 

 ――なぜ、ダリアガルデ様が。

 

 

 享年よりもずっと幼い姿で、娘であるヒルデガルド様の連れだと名乗り、魔女(ローゼガルド)を潰した。

 しかしダリアガルデ様には『あんな真似』はできなかった。できるなら()()はならなかった。

 さらによくよく見ると、所作のひとつひとつがまるで違う。あのような猫背ではなかったし、明らかに右足を引きずる様はどこか負傷しているようで――。

 

 などと6号が足踏みしている間に、『それ』はプルメリアに続き退室して行った。

 

 

 部屋が静寂で満たされる。

 6号はしばらくの間、ただ阿呆のように突っ立っていたが……やがて近場にあった椅子へと乱雑に腰掛けた。

 

 自ら移動させた、先程まで『あれ』が読書をしていた椅子である。

 

 反射的に『主の椅子に座するとはなんたる不敬か』と飛び上がりそうになるものの、『あれ』はダリアガルデ様ではないと思い直しまた腰を下ろす。しかしどうにも心地が悪く、やはりまた立ち上がる。

 

 どうしようもない程に、動転していた。

 

 自覚することで少しだけ落ち着きを取り戻した6号は、ここでようやく周りに眼を向けた。

 

 すると、なぜか使用人達は、そろって壁に背をくっつけたまま微動だにせず固まっていた。

 

 一瞬だけ不思議に思った6号だったが、それぞれの頭上で固定された黒杭を見て「動けば撃つ」「ハウザー、ヨランダ、プルメリア以外は壁際で整列してろ」といった『あれ』の言葉を思い出した。

 

 なるほど『いつまで』と明確な期限はきられていなかったな、とその光景を眺めていた6号の視界の隅にヨランダが映る。

 

 ヨランダが部屋の隅に飾り付けられている、やたらと大きくて重い花瓶から花だけを抜き取り捨てる。

 手元には植物の球根のような形をした、無駄に重量感あふれる最高級の花瓶だけが残る。活けられていた花以外はそのままなので、球根部の内部には水が蓄えられたままだ。

 

 それを両手で握り締め、球根部を下にしたままヨランダが駆け出す。

 

 向かう先に居るのはカルロ――侵蝕深度(フェーズ)6の親衛隊メンバーであり、昨日ヨランダを襲った2人の内の1人だ。

 

 壁に張り付き身動きが取れないカルロは状況を理解できていない。うっきうきの笑顔を隠そうともしないヨランダが対象の2メートルほど手前で半回転。球根部の位置が下から横へと持ち上げられ、走り込んだ勢いにのった重量が遠心力と手を組み、対象(カルロ)の頭蓋を粉砕せんと横殴りに襲いかかる。

 

 間合い。踏み込みのタイミングと歩幅。獲物のリーチ。

 全てが理想的にかみ合った、文句なしの一撃が標的(カルロ)のこめかみに直撃する。

 

 インパクトと同時に花瓶の球根部が破砕。飛び散る大量の水。あの手の花瓶に入れるにしては多すぎる水量。

 部屋に4つある同型の中から迷わず手に取ったことから、あれは『あらかじめ準備していた鈍器』であると6号は結論付ける。

 水量は重量となり、重量は破壊力に直結する。理にかなっている。

 

 だが相手は侵蝕深度(フェーズ)6。

 常人なら重傷間違いなしの一撃だろうが、来るとわかっているなら耐え切ってしまう。

 完全な不意打ち以外、連中の耐久力を尋常のそれと考えてはならない。

 

 そんなことぐらい当然ヨランダも理解している。

 だから今手元に残った花瓶の細長い残骸、尖った破損部が即席の槍先のようになったそれを、そのままカルロの腹部に突き刺し――しかし刺さることなくばりんと砕け散った。

 

 まあ、そうなる。

 破損後の不安定な形状の残骸では、生地のしっかりとしたジャケットは貫けない。

 

 やるなら多重の布で覆われた腹ではなく、むき出しの喉を突くべきだった。

 

 暴力に慣れてはいるが、戦闘要員としての教育は受けていないヨランダの脆さが露呈したかたちだ。

 

 知らず6号は嘆息してしまう。

 やはりヨランダにも基礎ぐらいは教えておくべきだったか。

 魔女(ローゼガルド)という統率者を失った連中が暴発する前に、どれだけ数を減らせるかが先の明暗を分けるに、

 

 ここでようやく、思考に意識が追いついた。

 

 そうだ。もう火蓋は切られた後だ。

 一体自分は何を呆けていたのか。

 

 6号は我を取り戻すと同時に、ヨランダの意図を理解した。

 

 手元の残骸が砕けてからは追撃もせず、その場に立ち尽くしているヨランダ。

 

 今だ、とでもいわんばかりに。

 止めに入るなら今だぞと、わかりやすく場を整えてやったとでもいわんばかりに。

 

 動けば撃つ、といわれ頭上に黒杭をセットされた連中に、さあ動いて貫かれろ、と誘いをかけているわけだ。

 

 

 まずい。

 

 

 6号は椅子とサイドテーブルを手に取り駆ける。

 机上にあった『本』がばさりと床に落ちるが、そんな呪物よりも今はまずこっちだ。

 

 

 ヨランダの行動は『動けば頭上の黒杭に貫かれる』という仮定をもとに組み立てられている。

 最初から『あれ』のブラフである場合や、実は本人の手動操作だといった可能性を考慮していない。

 

 もし実際に動いたとして、頭上の黒杭が落ちて来なかったら。

 

 侵蝕深度(フェーズ)5や6に囲まれた自分達が生き残る目はない。

 

 だからこれは、はっきりさせてはいけない。

 

 わからないから、取りあえずじっとしていよう。

 

 1秒でも長くそう思わせ、一切の元手なしでこちらの動く時間を騙し取るが最善。

 

 

 ヨランダの攻撃でふらつき、前のめりに倒れようとしたカルロにサイドテーブルをぶつけ再び壁に押し付ける。勢い余って押し潰すかたちになったがどうでもいい。

 椅子の足を床板にめり込ませ、即席のつっかえ棒とする。

 

「遊んでいる暇はない。行くぞ」

「は、はい。すんません」

 

 それっぽい言葉を口にして、プルメリアが出て行ったのとは逆の扉――ヒルデガルド様の自室がある南館へと続く扉から退室する。

 

 薄暗い廊下を2人して早足で進む。

 

「ありがと、ハウさん。助かった。……まさかブラフだとは思わなかった」

 サイドテーブルで押し返す直前、ほんの一瞬だが確かに、カルロの全身は壁から離れていた。

 しかし黒杭は微動だにせず。

 つまり、ただの悪趣味なインテリアでしかなかったわけだ。

「気にするな」

「つってもなー、心の底から『死ねやカス共(親衛隊)』って思いながら本気でぶん殴ったんだけどなー。もっとビビると思ったのに、誰もつられないし。やっぱ育ちが悪いだけのチンピラじゃ、いざって時にうまくできないな」

「いや。呆けて何もできなかった間抜けよりかはましだ。おかげで目が覚めた」

 そうだ。

 もう始まってしまったのだ。

 最大の難敵だった魔女(ローゼガルド)が真っ先に潰れ、主導者たるヒルデガルド様が不在のなか、どうしようもないレベルで事態は進んでしまったのだ。

 

 なら、動け。

 

「まずはヒルデガルド様にご報告。次いでこの島からの脱出になる」

あのクソ(ローゼガルド)がぶっ潰れたんだし、残りのザコども当主に従え、はムリかな?」

「これまでがこれまでだ。本国の連中ならまだしも、この館内では誰ひとりとして『いまさら許される』などとは思えまい」

「ヒルデ様なら『使えるモンは使う』とかいって気にせず使いそうだけどな」

「捨て駒にまで評価が落ちるのを許容できる者は、この館にはいないだろう」

「わかりやすくていいな。このゴミ箱」

 

 扉を開け、吹き抜けの大ホールに出る。

 

 2階西側の通路を南館へと急ぎながら下の様子を窺うが……時間が時間(深夜帯)なので、誰の姿も見えない。

 

「予想される展開としては、親衛隊を中心とした人海戦術でヒルデガルド様を拘束ないしは殺害後、元老を担ぎ上げて自分達の地位の保持に努める、といったところか」

「元老? あー、あのクソ(ローゼガルド)の腰巾着」

 

 野心あふれる老害について、今語ることはとくにない。

 今語るべきなのは。

 

「プルメリアが『あれ』をどこの客間に案内したか、わかるか?」

「なんだハウさん、見てなかったのかよ。アイツわざわざ『壁に掛けられた鍵束』を取って行ったろ。客間の鍵なんて、全部自前のを持ってるくせにさ」

 

 パニック真っ只中(ただなか)だった6号には、そんな仔細の記憶はない。

 

「だからさ、持って行った鍵束に意味はないんだ。持って行かずに残した鍵が正解。そこに連れて行きますってあたしたちに伝えてたんだよ」

「どこだ?」

(とばり)の間。一番すみっこの、朝にハウさんが『緊急時の避難場所』としてあたしらにいってたあそこだよ」

 

 かつてのダリアガルデ様の私室。

 そこに、あれが。

 

「なあハウさん」

 

 大ホールから南館へと続く扉に手を掛けた所で、ヨランダが振り向いた。

 

「……あれって、なに?」

 

 それを一番知りたいのは、間違いなく自分だ。

 

 そう答えるより先に、ヨランダが一歩こちらに下がった。

 

 自分で引く前に、扉がこちらに向かって開かれたからだ。

 

 その先に居たのは。

 

 6号よりも頭ひとつ背の高い、同じ準礼服を身に纏った男。

 魔女(ローゼガルド)親衛隊の1人にして、侵蝕深度(フェーズ)6の戦闘要員、ダニロ。

 

 昨日ヨランダを襲った2人の内の1人。

 割って入った6号の膝と腕と顎を砕いた張本人。

 先程の連中とは違い、最初からこちらに対し『やる気』の敵。

 それが、手を伸ばせば届くすぐそこに。

 

 

 6号は、諦めた。

 

 

 たったひとつを諦めなければ状況は打破できないと判断し、諦めた。

 

 初手は奪える。

 これまで相手の呼吸など読む必要のなかったこいつ(ダニロ)から、最初の一息を盗むことなど容易い。

 

 ダニロの胸倉を掴むように組み付き、そのまま全体重を預けるようにして。

 

 諸共、中央の吹き抜け部へと飛び降りた。

 

 首だけでヨランダを振り向き、行け、と顎先で示す。

 

 

 そう6号は諦めた。

 

 

 自分の生涯は今日ここまでだと諦めることで、品がなく暴力的で少し頭のおかしい後輩を、先に行かせることにした。

 

 上を取ったまま相手の首元に右腕を添え、落下の衝撃に体重を乗せることで頚部(けいぶ)の破壊を試みるが、上半身のバネのみで体勢を崩される。

 

 結果2人とも、ただ1階へ落下しただけとなり、当然侵蝕深度(フェーズ)6は大したダメージもなくすぐさま立ち上がる。

 

 完璧なかたちで受け身をとっていた6号は起き上がる動作のまま跳躍。敵が身構えるより先に初動を制し、相手の首へ取り付くことに成功。反撃の届きにくい背後に回りつつ極め、そのままへし折ろうと力を込めたところで背に衝撃を受けた。

 

 敵もさるもの、魔女親衛隊。

 魔女(ローゼガルド)による病的な()()()を生き延びた、命としての強度は破格の一言に尽きる人造の魔人。

 

 どうすれば相手が死に、己は生きるか。

 その答えを出すのに瞬きひとつ以上の時間を要する愚図ならば、今彼はここにはいないだろう。

 

 2度目の衝撃。背骨が砕けていない奇跡で6号の運が底をつく。

 3度目の衝撃。真っ白になる。

 

 自壊覚悟で6号ごと壁への衝突を繰り返し、技量ではなく耐久性能の優劣を競う場へと引きずり込んだのだ。

 

 すると当然、離れる。

 

 きっと最後であろう好機と共に、敵の首から6号の手が離れてしまう。

 

 離れた手をつかまれ、放り投げられる。

 冗談じみた距離を滑空した後、受け身もなにもなく地に叩きつけられた。

 

 

 こうして6号の勝ち筋は、消えた。

 

 

 反射的に立ち上がるも、ただそれだけ。

 こうなっては昨日の再現だ。

 親衛隊(ダニロ)が体勢を整え、正面から相対してしまう。

 どこで裂けたのか、頭部からの出血が止まらない。

 6号にできることはもう。

 

「……なぜだ?」

「は?」

「なぜ今になって、ヨランダを襲う? 貴様らのプライドはどうした? 魔女(ローゼガルド)の罰が怖くはないのか?」

 

 もう6号にできるのは、相手の優越感に付け込んだ、時間稼ぎくらいしかなかった。

 

「罰だと? なにを勘違いしているのか。哀れな爺だ」

 

 ダニロの顔に嘲りが浮かぶ。どうしてこの手の奴らはいちいち(わら)うのだろうか。

 

「あのね、カルロの奴がね、チェスで勝ったんですよ、ローゼガルド様に」

 

 乗ってきた。こいつが一言放つ間に、ヨランダと目的地の距離は一歩縮まる。

 

「コマ落ちのお遊びでしたが、まあ勝ちは勝ちだということで。有り体に言えばご褒美です」

 

 ああ、潰れてよかった。本当に。

 余計なことはいわず、高いプライドを刺激することに終始する。

 

「馬鹿な。衛生兵型(メディック)の希少性が理解できないのか?」

「ははっ。だからきちんと手懐けろって話でしょう? 実際、ご褒美ではなく試験だという声の方が多いかな」

「親衛隊ぐるみでか。恥知らずどもめ」

「あのねぇ。命令じゃなければ、誰があんなスラム出身の売女なんか」

 その言葉を使う奴は、きっとこれを無視できない。 

(ママ)を思い出すか?」

「……あ? 何いってんのお前。……楽に死ねると思うなよ。糞爺」

 

 

 ああ。

 

 

 小賢しい。

 

 

 防御に徹する。

 1、2、3、受ける貰う転がる。

 どうにか命を拾う。

 外れた骨は強引に入れておく。

 

 

 身体を鍛え。技を磨き。拳を厚くして。

 することが、これか。

 

 

 払いに徹する。

 1、2、崩れる貰う吹き飛ぶ。

 からくも命を拾う。

 逆に曲がった指を反対方向へ曲げ直しておく。

 

「ナメた口きいてんじゃねえぞクソが! たかが侵蝕深度(フェーズ)2の分際で!」

 

 逃げに徹する。

 左、下、潜り。

 かろうじて命を拾う。

 が足首を掴まれてしまい、冗談のような力で壁へと叩きつけられる。

 

 垂直受け身を敢行し、効果の有無は不明だったが、とにかく命を拾う。

 

 いやまだだ。彼我の距離が近い。

 急ぎ立ち上がる途中で髪をつかまれ、固定される。

 右の、振り下ろし。

 腰の入っていない手打ちの拳打でこの威力なら、まともな一撃ではどうなるか、考えたくもない。

 1、2、3発目で視界が回り、倒れ込むままに組み付く。

 しかし近接での絞め技を警戒されたのか、組み付いた腕ごと全身を振り回され、そのまま力任せに放り投げられた。

 

 ありえない距離を飛ばされる。

 地力が違いすぎる。

 真正面からやり合うと、やはり勝負にならない。

 泣き言と共に、地に叩きつけられる。

 

 反射的に立ち上がりそして、どちらが上でどちらが下か、もう6号にはわからなくなる。頭部へのダメージが抜けない。なにもかもが霞んで歪む。

 

「ちょろちょろ逃げ回ってんじゃねえぞ雑魚が! ご自慢の汎用近接格闘術をみせてみろよオイ!」

 

 ぼやける頭に響く声。

 

 汎用近接格闘術。

 

 違う。

 そんなものではない。

 我が一族が代々磨き上げてきたものは。

 

 

 

 

 開祖である初代が破格の強さをもってその名を上げ始めた頃。

 まともにやっては勝ち目がないとみた有象無象は徒党を組んで取り囲み。

 さらには投網で動きを封じた上で袋叩きにしようと画策したがしかし。

 開祖は中空へ投じられた網の上を走り抜け、そのまま全てをのしたという。

 

 その空中の網の上を走るという図抜けた身軽さを伝える逸話と。

 ()()()()()()()()()()がいつまでも一番であってくれるなという願いを込めて。

 我が一族に代々伝えられてきたその技は。

 

 

 

 上網走改伝流兵法(かみあみばしりかいでんりゅうひょうほう)

 

 

 

 かつての王国時代に唯一存在した御留流。

 

 闇を用いた強化処置が普及してからは、極限までその存在を貶められた、亡国の残骸。

 

 あの御方の危機に際し、何の役にも立たなかった無用の長物。

 

 しかしそれでも、最後の最後に6号が頼りにするのは結局それ以外には考えられない。

 

 どうしようもないよすが(暴力)

 

 縋りつく。

 

 

 

 

 敵が迫る。

 もう終わらせるつもりなのだろう。手には先程まではなかった闇剣が握られている。

 あれは防げない。

 上下がはっきりしない。回避も望めない。

 

 

 もう他にできることもないので、6号はそうした。

 

 大きく息を吐き、背筋を伸ばしたまま重心を落とす。尻の穴から地に根を張る感覚で芯を固定する。

 毎日毎日飽きもせずやっていたので、これぐらいはできた。

 

 すり足と足の親指の力を用いて前に出る。間合いを殺す。

 網の上を走るが祖の兵法だ。これぐらいはできる。

 

 大きく踏み込んだ足を軸に全身を押し出し、ただ前へと滑る跳躍を成し遂げる。

 他のなにが見えなくとも、敵だけは見える。ならばやれ。

 

 そうして、この至近まで肉薄してしまえば、剣より拳の方が先に届く。

 

 が、ここまで。

 

 先祖代々の技はここまで6号を運んでくれたが、ここから先は侵蝕深度(フェーズ)2と侵蝕深度(フェーズ)6のぶつかり合いだ。

 

 それはもう昨日やった。

 こちらの本気は、ただ「痛いですね」という言葉を引き出すだけ。

 そのくせ向こうは一撃必殺。

 どこで笑えばいいのか、墓場か、地獄か。

 

 つまり、如何に凄い技術があろうとも。

 

 ただただ単純に。

 

 軽い。

 

 脆い。

 

 弱い。

 

 ああ。

 

 弱いのは。

 

 嫌だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

「――よしっ、いけた! やっぱり動かないぞこれ」

 

 魔女(ローゼガルド)が変貌し元凶が去った広間。

 残された使用人たちは、動くに動けない現状を打破しようと賭けに出て、勝利していた。

 

「まじかよ、これ、ハッタリかよ」

 

 勇気ある1人が安全を証明したのを皮切りに、次々と壁から離れる。

 頭上にあった黒杭はぴくりとも動かずその場に留まり続けていた。

 

「無駄な時間使わせやがって」

 

 1人が闇剣を形成し黒杭に向け投擲するも、衝突した瞬間、ちゅるんと吸い込まれるように闇剣は飲み込まれ消えた。

 

 誰もが見て見ぬフリをすることにした。

 

「……これから どうする?」

 返事の代わりに、皆の視線が一箇所に集まる。

 床の上に転がる、血のような禍々しい赤に染まった一冊の本。

 なんとなく放置してはいけないような気もするのだが、

 

「……触りたくない、よなあ」

 

 あの本を手に取ったアンジェロが火達磨になったのは全員が見ている。

 今もすぐそこで意識不明のまま転がっている彼の姿が、皆に二の足を踏ませる。

 せめて机の上に乗っていれば、机ごと運ぶこともできたのだが。

 

 ふとその机の現在地を見ると、

 

「なあ、なんでまだカルロの奴、あんなとこ居るの?」

「ははっ、そういやアイツ、あの貧相な売女に花瓶で殴られてたよな」

侵蝕深度(フェーズ)6があの程度でどうにかなるかよ。しかも結局、杭もブラフだったし。馬鹿のやることは見ててキツイわマジで」

 

 などといいつつも、いつまで経っても反応のないカルロに違和感が生じ始める。

 

「おいカルロ。お前もしかして寝てんのか? この状況で」

 

 親衛隊の1人ディーノが、カルロを押し付けるように固定されている椅子とサイドテーブルをどけた。

 

 するとカルロはそのまま前のめりに、どか、と倒れ込んだ。

 受け身も何もなく、顔面から、一切の減速なしで。

 

 慌ててディーノが抱き起こすも、

 

 

「…………死んでる」

 

 

「は? なにいってんの?」

「……いや、だから、死んでる」

「いやいや、侵蝕深度(フェーズ)6が、あんなガリ女の1発ぐらいで死ぬワケねえだろうが。お前ディーノ、そういうのは状況考えてやれって」

「だから! 本当に、し」

 

 いい終わる前に、ディーノも倒れた。

 こちらも一切の受け身や減速はなしで、仰向けに後頭部から、どか、と倒れた。

 

「ディーノ!」

「あ、バカお前、近づくなって!」

 

 ディーノと同郷の料理人(コック)、ジェラルドが駆け寄る。

 誰もが、おそらくはこいつも倒れるのでは、と予想したが、

 

「呼びかけに反応は……なし。脈は微弱だがまだある。ガーベラ! 治療を頼む! まだ間に合うかも知れない!」

「イヤよ。それどう見ても近寄ったヤツもやられるパターンじゃない」

「命がかかってるんだぞ!」

「それ、わたしの命はどうでもいいって、そう言ってるの、わかってる? 大声と勢いで従わせようとするのって、ちゃんと理解してる側からすると『殺していいよ』のサインだって、わかってる?」

 

 親衛隊の衛生兵型(メディック)ガーベラは、希少な己の価値を正しく理解している。

「ガーベラ、下がっていろ」

「いわれなくても」

 荒事もこなす親衛隊と友人思いの料理人。両者の認識の差が埋まることはない。

 

 そうこうしている内に、ディーノが倒れるまでにかかったのと同程度の時間が経過していた。

 

「おい、大丈夫なのかよ? 何か変わった事は?」

「とくにな……あ、これ、水か? なんか水が黒い」

 カルロの全身、ディーノの両手は黒い水で濡れていた。黒を基調とした準礼服の保護色となり、至近で見ないと気付けなかったのだ。

「どう考えてもヤバイやつじゃねーか!」

「けど何ともないんだって、俺は!」

 

 そうして大声で騒ぐ面々とは別に、親衛隊達は互いに視線を交わし、状況の打破に最適な方法を決定しようとしていた。

 ガーベラがそっと闇矢を準備した。無言の提案。こっちまで巻き込まれる前に済まそう。

 待て、のサインを送り立ち上がる人影。

「最後の手段は最後までとっておけ。まだできることはある」

「やめてコルラード。あそこで騒いでるバカを黙らせれば、それでお終いよ。これ以上ワケのわからない犠牲者は出ない」

「そういうわけにもいかんさ」

 そういって、親衛隊内でも数少ない、衛生兵型(メディック)の真似事レベルだが治療のできるコルラードが行った。

 

 そうしてしばらく、料理人(コック)と2人であれこれと動き回っていたが、件の『黒い水』を調べ始めてから数秒後……コルラードは倒れた。

 料理人(コック)のジェラルドが慌てて呼びかけるが返事はない。

 

 ガーベラが闇矢を放つ。狙われたジェラルドが倒れた親衛隊(コルラード)を盾にする。

 それを見た親衛隊の心がひとつになる。

 料理人(ジェラルド)が蜂の巣になった。

 友人の死を目の当たりにした使用人たちが、激情のままに応戦した。

 無意味な殺し合いが始まった。

 

「くそ、なにやってんだバカが! 親衛隊相手に勝てるわけないだろうが!」

 性能と経験の差から、結果は明白だった。

 それをどうにかしようと、何か使えるものはないかと、周囲に視線を巡らせた使用人の1人が、ことの始まりである『それ』――黒い水を見て、考えて、繋げた。

 

「これに触れば、親衛隊だけが、死ぬ……?」

 

 そうして彼は、空の水差しを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 理想的な一撃だった。

 踏み込み、腰の捻り、力の伝達、そこに至るまでの脱力。

 きっと向こうは、技の起点すら認識できてはいまい。

 

 顎先に入る。

 

 考えるより先に放った2撃目が空を切る。

 かわされた。

 この隙を見逃す相手ではない。

 だがせめて目は逸らすまいと、6号はダニロ(死神)の姿を探し、

 

 仰向けに倒れ、血を噴き出し痙攣するダニロ(死体)を見つけた。

 

「……は?」

 

 ダニロ(死体)の顎から喉にかけてが壊滅的に損壊していた。

 喉の奥、首の骨までが一目でわかる次元で破壊されつくしており、検分するまでもなく即死していた。

 

「…………なんだ、これは」

 

 違う。

 これは違う。

 これは鍛錬の果てに得られたものではない。

 いくら鍛えようとも侵蝕深度(フェーズ)2では侵蝕深度(フェーズ)6を相手にこの成果は出せない。

 思えば成るというのなら、あの御方がお隠れになることはなかった。

 だからこれは、決して己の一念が鬼神に通じたわけではなく、何らかの『水増し』があっての結果だろうと6号は考えたが、

 

 ――敵が死ぬなら、まあいいか。

 

 再現性の有無に疑問は残るが、感覚としてはいけると踏んだ。

 根拠なく与えられたものは、理由なく奪われると相場が決まっているが、これはもう自分の一部だという実感があった。

 

 別に6号は鍛錬がしたかった訳ではない。

 望む結果を得るためにそれ(鍛錬)が必要だったのだ。

 非才の身では、他にできることがなかっただけ。

 

 だからこの、今まで一方的に傾いていた天秤を、水平を通り越してこちらに叩きつけるかのような所業に対する思いは。

 

 ただただ『快』のみだった。

 

 

 

 

 

 あなたは、弱いほうが、いいのかもしれないわね。

 

 

 

 

 

 6号は向き直る。

 これまで、まるで見世物でも見物するように、大ホールのあちこちからこちらを窺っていた使用人たちの1人へと眼を向ける。

 ああも騒ぎ立てていたのだ。気付くなという方が無理がある。

 ただ6号以外の男性使用人は最低でも侵蝕深度(フェーズ)5だ。

 ことが『始まってしまった』今、親衛隊の腰巾着どもは少なければ少ないほどいい。

 

 6号と眼があった使用人は唖然としている。

 親衛隊(ダニロ)の末路に衝撃でも受けているのか。

 なんにせよ、ありがたい。

 6号の限界も近い。身体のダメージは後送の一歩手前といったところか。

 木偶と化している間に、どれだけ数を減らせるかが勝負の分かれ目だと理解した6号が一歩踏み込む先に、それは現れた。

 

 最初は線。

 

 基本的に薄暗い照明で統一されている館内だが、その上下に渡る空間の広さから特に光量が乏しい大広間。

 実のところ侵蝕深度(フェーズ)2からは夜目が利くようになるので、この薄闇だろうが充分に視界は確保できるのだが……その薄闇の中に浮かぶ黒い線は、どの角度、距離から見てもただの『黒い線』以上の認識はできなかった。

 

 その線が瞬きの度に数を増す。1、2、3、4本目で全てが繋がり『扉』となった。

 観音開きの、成人なら腰を屈めないと出入りできないような微妙な大きさだ。

 その閉じられている中心部から、白く細い指先がにゅうとあらわれ、向こう側から扉が開かれて行く。

 

 冷気でも熱波でもない、しかしきっと人体に悪影響を与えるであろう何かが溢れ出すのを感じた6号は、反射的に両腕を十字に組み目を覆った。無防備な眼球があれに耐えられるとは思えなかったからだ。

 

 そうして目を庇いつつも、内ポケットから取り出した小鏡(先の戦闘で破損済)を用いて直視せずに確認する。

 

 身を屈め扉から出てきたのは黒い傘をさした女。

 顔全体を帽子から垂れる黒いヴェールで覆い、

 

 そこまで確認した6号は、鏡を仕舞い姿勢を整え、一礼と共にいった。

 

「おかえりなさいませ、ヒルデガルド様。お部屋でお休みだとばかり」

「ん? ハウザーか? 待て、顔を上げるな、目を閉じていろ。今閉めるから」

 

 といわれたものの、名を呼ばれた時点でつい反射的に視線を向けてしまっていた6号の前で、帽子と黒い傘がまとめて『向こう』へと放り込まれ、そのままわりと乱暴にばんと扉が閉められた。

 

「お前、この距離で見て、目は無事なのか」

 音もなく消える扉を背に、主が問う。

「そのようです。最初の一波は耐えられなかったでしょうが」

 少し間があってから、

「おい、なぜこの時間のこの場所に、こうも使用人がいる? どいつもこいつも目が潰れて、わざわざ人気のない場所を選んだというのに、台無しではないか」

 自分の処刑を野次馬しに来ていたからです、と事実を伝えても混乱するばかりだろう。

「それにこいつは……ふむ。ダニロ、一撃か。お前がやったのか?」

「はい」

「どうやって?」

「殴ったら死にました」

「……目の潰れた使用人たちの治療に衛生兵型(メディック)の2人を呼ぶ必要はあるか?」

「要りません。止めを刺すことを提言致します」

「2人はどこに?」

「ヨランダはヒルデガルド様の私室へ。プルメリアは……ここでは申せません」

 使用人どもの目は潰れたが、他の機能はまだ生きている。

「南館に用は?」

「もはやありません」

「ふむ。ではヨランダには……全速力でここへ来るよう伝えた」

 

 さっきの『扉』といい、なぜそんなことができるのか。

 ヒルデガルド様は、一体いつの間にこのような技を身につけたというのか。

 

「……お前、よく見るとあちこちボロボロではないか。屈め。時間が惜しい。動作に支障ない程度には繋げておく」

 

 そうして手ずから6号に治療を施す。

 古き血統ゆえに万能である主だが、衛生兵型(メディック)としての技量は他の追随を許さない。

 

「ん? ハウザーお前、これ『足されている』ではないか」

 

 何か思案する顔になり、

 

「はいかいいえで答えろ。……私のあとに、来客があったか?」

「はい」

「入れ違いか。間の悪い」

 

 どういう意味か、問いたいのをぐっと堪える。

 思うがままに喚いては、何も進まない。

 

「叔母上はどこだ」

「最初にヒルデガルド様が『お戻り』になられた部屋に」

「来客は?」

「道すがら、お伝えします」

「わかった。ヨランダが合流次第『おかえりなさいヒルデ様! マジで待ってました! ほんとクソやべえことばっか連発』――よし行くぞ」

「は」

 変わり果てたダニロを見て大喜びするヨランダを引き連れ、来た道を引き返す。

 

 魔女(ローゼガルド)が『ある』部屋までの道中、これまであったことを一通り説明したのだが、

 

「目撃者がいるのが痛いな。いまさらどうにかした所で衝突は避けられん。……まだ第3軍の掌握が済んでいないというのに」

「え、ヒルデ様、そこなんですか? くそばばあ(ローゼガルド)が本になったとか、するっと信じられる話じゃないと思うんですけど」

「2冊目にもなれば、多少は慣れる」

「あれを、ご存知なのですか?」

「ああ。知っているよ」

「なら!」

 

 つい大声を出してしまった6号は、失礼しました、と声を落とす。

 

「なぜあれは、ダリアガルデ様と同じ姿をしているのですか?」

「あれは、そんなにも母上に似ているのか? 当然のことだが、私が生まれた時には、すでに母上は成人した大人だったからな。幼少期の姿など、それこそお前世代でもなければ知らんよ」

 

 いわれてみると、その通りだった。

 姿絵の類は全て魔女(ローゼガルド)が処分していた。

 

「あれの『かたち』を造ったのは叔母上だ」

「……だと思いました。今さらこんなことをするのは、あの魔女(外道)ぐらいかと」

「中身は魔王(ゲオルギウス)たちが降ろした新たな邪神だ。あの器が使われたのは偶然でしかない。叔母上もさぞ驚いたことだろうよ」

 

 邪神。かつての王家が見た悪夢。凋落のはじまり。

 

「邪神かあ。でもそれにしちゃー殺意低かったですよ。歩く糞(ローゼガルド)以外は、自分でやっておきながら『これで治せ』とかいって、命の()こごりみたいな……なんかよくわかんないエグいもん渡してきましたし」

 

 それを聞いたヒルデガルド様が足を止めた。

 

「ヨランダお前、その『命の()こごり』とやらに触れたのか?」

「ええはい。かなりがっつり。治せっていわれて、無視するのも怖かったですし」

「他に、それに触れた者は?」

「あとはプルメリアとハウさんが、同じように治せって渡されてました。あ、プルメリアはゲロ吐いてました」

 最後の情報は必要か? と思いつつも、主の視線に6号は首肯で返す。

「ふむ」

 再び早足で歩き始めた主の後を追う。

「なぜ狙ったかのようにお前たちだけに……ああそうか。叔母上を『読んだ』のか。敵の敵を抱き込みにきたのか」

「えっと、侵蝕深度(フェーズ)6の親衛隊(ダニロ)が、侵蝕深度(フェーズ)2のハウさんの一撃で即死した理由がそれってことですか?」

「他に考えられるか?」

「……じゃあ、あたしとプルメリアも?」

「ちょうどいい機会だ。いろいろ試してみよう」

 

 ヒルデガルド様が目的地の扉を指す。

 どう楽観的に考えても、中にいるであろう連中とは殺し合いになる。

 

「いいか。目的は『本』を入手し『帳の間』へ向かうことだ。無理に殺す必要はない。だが、無理してまで生かす必要もない。よしわかったら行けハウザー」

 

 扉を蹴破り室内へと踏み込む。

 6号に躊躇いはなかった。

 殴ればちゃんと死ぬという破格の条件に加え、ヒルデガルド様とヨランダの支援もある。

 それに正直いうと、主の言葉通り、いろいろと試してみたかったのだ。

 

 が。

 

 いざ突入してみると、室内の様子は荒れ果てていた。

 壁や床があちこち抉れ、原型を留めていない家具や照明が所かまわず散乱し、その合間を縫うようにして、刺さったり欠けたり潰れたりした血みどろの使用人たちが転がっていた。

 

 そんな室内で立っていたのは2人だけだった。親衛隊のパルミロとサンドリーノ。

 しかしそれぞれが満身創痍であり、もう何もしなくとも勝手に倒れそうな有様である。

 当然、突入して来た6号に反応などできよう筈もなく、ならばこれ幸いと、右で1人、左で1人の一撃二殺を成し遂げ、

 

「待て」

 

 主の声に従い、全てを止める。

 

「口以外を動かせば、その瞬間に終わらせる。よく考えて行動しろ」

 

 黙って硬直した2人を一瞥し、ヒルデガルド様が「宜しい」と頷く。6号は一撃圏内ぎりぎりまで下がり、足音を響かせながら室内を検分する主の言葉(殺れ)を待つ。

 

「親衛隊だけ、死体が綺麗だ。おまえたち2人にも目立った外傷はない。にも関わらず、その瀕死の有様」

 

 そこで主は立ち尽くす親衛隊2人に向けて、右手で狐のような形をつくり、中指を弾いた。

 すると、ちょうどその真下にあった『黒い水溜り』が弾け飛び、2人へと向け殺到する。

 瞬間、2人は『一滴でも触れたら死ぬ』とでもいわんばかりの大袈裟な回避を行い、その勢いのままヨランダへと駆け出した。

 直近の危機である6号でも、最高権力者のヒルデガルド様でも、ましてや出入り口でもなく、2人から最も遠距離にいるヨランダを標的としたのだ。

 

 この程度の速度、6号なら造作もなく追いつけたが、上空から飛来する『それ』が視界の端をかすめたので――残るひとつの脅威へ注力することにした。

 

 駆け出した2人が、最初から上方にあった『黒い杭』に貫かれ、転がるように倒れる。

 今ならわかる。吐き気を催すような、抱きしめたくなるような破格の塊。あれを受けたなら、もう起き上がることはあるまい。

 

「え? ヒルデ様、この黒い杭、操れるんですか? これってあいつのじゃ」

「原理は同じだ。質はこちらの方が良いがな」

 6号は注意を逸らさない。

「あとでお前にもやろう。2本ぐらいなら、まあなんとかいけるだろ」

「え? 頂いても、どうせすぐ消えちゃいますよね。こういうのって」

「触った感触からして、最低10年は現存するな、これは。純度が高すぎて甘ったるい」

「……いりませんよそんなの。なんか身体に悪そうですし」

「お前は攻撃手段が乏しい。ここから先、生き残りたくば持っておけ。あと身体には良い。ただ子供には触らせるな。最悪、即死する」

「即死するようなモンが身体に良いとか、ちょっとなにいってるのかわからないです」

「その程度で死ねる段階はとうに過ぎているということだよ。お前も、私も」

 

 薄く笑ったヒルデガルド様が無造作に、地に落ちていた『赤い本』を拾う。

 一瞬、6号とヨランダの間にびくっと緊張が走るが、当の本人はそのままページをめくり始めた。

 

「たしか、知りたいことを知りたいだけ知ればいい、だったか、ハウザー」

「はい。一言一句、相違なく」

「よし。では5分経ったら報せろ。あとヨランダ。お前が『新しくできるようになったこと』を3分後にまとめて報告しろ。ヒント――というかもう殆ど答えだが、この部屋にある『黒い水』には呪が溶け込んでいて、そこからは強烈にお前のにおいがする。よし始め」

 

 いってヒルデガルド様は『あれ』が座っていた椅子に腰掛け、さらには『あれ』が読んでいたものと同じ本を同じように読み始めた。

 思わず目眩がしそうになった6号だったが、余計な雑念は捨て、きっと誰もが気付いているだろうが、それでも無視し続けている『この部屋唯一の脅威』の警戒に戻った。

 主の「待て」はまだ取り消されていない。対象が動きをみせる様子はない。

 

「え? あたしって、こんな海産物みたいなにおいするの?」

「それは混ざった血と臓物の臭いだろう。比喩を真に受けるな」

 

 

 2分経過。対象は沈黙したまま。

 

 

「ええと、ぶん殴った時の『死ねやカス共(親衛隊)』って願いが、花瓶の水に染み込んで『親衛隊だけが死ぬ水』ができた。そのタネは呪? 儀式も何もなしで、ノータイムで液体に思い描く呪の性質を完全再現? 侵蝕深度(フェーズ)6がすぐ死ぬ超強力なヤツを? ヒルデ様、自分でいってて頭がおかしいとしか思えないです」

 

「実際はもっと酷いぞ。本来、呪に対象の選別などできない。一度放てば触れるもの全てを(むしば)むのろいを呪と呼ぶ。だがこの黒い水は選別した。お前は良し。お前は駄目。知っていなければ判断しようのない『親衛隊所属か否か』などという基準で、それでも完璧に仕分けてみせた」

 

 椅子の背もたれに身を預け、ページをめくりながらヒルデガルド様が続ける。

 

「知識と判断力を備えた呪。さしずめ『悪霊(あくりょう)』とでもいったところか。これはもう、誰も手にしたことのない未知の何かだよ。ヨランダ」

「これ、ヒルデ様にあげるとか無理ですか?」

「いらんしできぬよ。お前の呪はお前だけのものだ」

「うわあ」

 

 ならば自分は何だろうか、と6号は考えた。

 きっと望んだのは『重く、堅く、強く』あたりか。

 ずいぶんと幼稚なワガママだ。自分にはお似合いだと思った。

 

「ヒルデガルド様。5分が経過致しました」

「よし。丁度いい頃合だ」

 本を閉じたヒルデガルド様がヨランダへと向き直り、

「両手を前へ」

「あ、はい」

 椅子に座るヒルデガルド様に合わせる為、片膝をついたヨランダの両掌の上に、帯空していた2本の黒杭が降りてくる。

「私からの下賜だ。誰が何と言おうが、もうこれはお前の物だ。そう思い込め。根拠は今ここにある。いいな」

「はい。拝領いたしました。……あの、このやり取り、なんか凄く不安になるんですけど。つうかあたし、今夜だけでクソやべえもん抱えすぎじゃないですか」

「なに、2つぐらいは誤差だ。10を超える頃には、どうでもよくなってくる」

 

 この御方にそういわれては、何もいえなくなる。

 

「よし。では行くぞ」

 

 そういって立ち上がるヒルデガルド様へ、6号とヨランダは『よろしいのですか』と視線だけで問う。

 

「何をしている。ここからは時間との勝負だ。急げ」

 

 そう仰るのならば、是非もない。

 6号を先頭に3人は部屋を出た。向かうは北の離れ、帳の間。

 薄暗い廊下を進み、最初の角を曲がる。

 

「ヒルデ様。ガーベラの奴が死んだフリしてたの、わかっててスルーしたんですよね?」

 

 無論そうだろう。向こうも時間がなかったのか、どうにもちぐはぐな擬装だった。

 頭部からの出血と思しき血溜まりに沈んではいたものの、その金髪は綺麗なまま。一度疑問に思えば、呼吸がないのに鼓動はあるという異常が浮き彫りになる。

 

「あいつだけは、やっといた方がよかったんじゃ」

 

 親衛隊の衛生兵型(メディック)ガーベラ。彼女がいるだけで親衛隊の生存率が格段に跳ね上がる、最も厄介な存在。己の体内を操作することで、呼吸ぐらいは容易く誤魔化せるだろう曲者。

 あの2人――パルミロとサンドリーノが囮となってまで残そうとした隊の要。

 

「ヨランダ。口よりも手を動かせ。最悪でも同時だ」

 

 いって、どこからか取り出した黒い(かめ)をヨランダに持たせる。

 

「なんですかこれ、めちゃくちゃ重いんですけど」

「できるだけ派手に中身を撒きながら歩け。ハウザー、廊下の灯りを全て破壊しながら進め」

「なんですかこれ、いくらぶちまけても、ぜんぜん、軽くならないんですけど」

 

 命令通り廊下の照明を破壊しつつヨランダを見ると、黒い(かめ)から零れる出る黒い水は、とうにその容量の10倍以上の水量を吐き出していた。

 

「こういう、重いやつは、ハウさんの担当、じゃないですかね」

「親衛隊どもは探知も一級品ぞろいだからな。お前のにおいがしないと、はったりにすらならん」

 

 ヨランダの歩みに合わせ、ヒルデガルド様も作業をしながら進んでいる。

 最初から糸がついた2対の杭を雑に射出し、天井や床に糸を張り巡らせて行く。

 特殊な黒杭と弾性を帯びた黒糸と逆噴射する使い捨ての射出機構を組み合わせた、引っかかれば杭が飛んで来る罠だ。

 

「やっぱりこれ、無限に出てくるのが怖いけど、ただの黒い水ですよね。毒でも何でもない、ほんとうにただの水。あとヒルデ様、さっきからその罠、半分以上、機能してないですよ。ただ糸張ってるだけっていうか」

 

「所詮は時間稼ぎの嫌がらせでしかないからな。3割も本物があれば充分だ。あ、こら、水で廊下を埋めるな。一箇所は通り道を開けておけ。来てくれなければ、それはそれで困る」

 

 来なければ困る。わざと呼ぶ。しかし時間は稼ぐ。主の意図が読めない。

 

「よくわかんないですけどヒルデ様、たぶんすっごく悪いこと考えてますよね。あたし、そういうの大好きです。わざとガーベラに教えて伝言させて、ほどほどに苦労させて焦らして、最後にあいつらはどうなるんです?」

「きっとお前は気に入るよ。とても、とても乱暴な結末だ」

 

 照明を破壊する傍ら、糸のセッティングを補助しつつ6号は口を開いた。

 

「ヒルデガルド様。これに使う時間を、プルメリアと合流し隠し入り江に向かう時間に回した方が良いのでは」

「ハウザー。相手を過小評価するな。そんなもの、とうの昔に露見していると思え。魔術的な隠蔽など、叔母上の薫陶を受けた連中には無意味だ」

 

 ならばどうやってこの離島から脱出するつもりなのか。

 ……まさか。

 

「今のお前たちなら大丈夫。細工も怠らぬ。案ずるな」

「え? なんかあのやべえ扉に突っ込むみたいな流れを感じたんですけど、んなワケないですよね? ノリと勢いじゃどうにもならないことってありますよね?」

 

 ならばこの、今行っている時間稼ぎは、一体何をする時間をつくる為にやっているのか。

 プルメリアと合流し『脱出』するだけなら、こんな作業は必要ない。

 ……まさか。

 

「ヒルデガルド様! ヨランダちゃんにハウザーさんも、無事でよかった……!」

 

 帳の間へと続く一本道に差し掛かると、向こうからプルメリアが駆け寄って来た。

 

「お前こそ大事ないか? 嘔吐したと聞いたが」

「もう大丈夫です。気持ち悪いのも落ち着きました」

「そうか。上手く馴染んだようでなによりだ」

「……あれは、危険なものですか?」

「武器とは、得てしてそういうものだ。使い方を覚えろ。きっとそれはプルメリアを守ってくれる」

「…………はい」

「ヘイ可愛いコちゃん、こっち手伝えよ。この(かめ)野郎、お前ぇのケツみたいにデカくて重くてたまんねぇんだ」

「喋る棒切れのくせして可愛いお口ですねえ」

 

 そうして罠の設置は完了した。

 

 目の前には(とばり)の間。

 もとが貴人の私室だったこともあり、その扉は堅牢かつ重厚なつくりとなっている。

 

「お前たちは一言も喋るな。何か言われても黙って眼を伏せていろ」

 一同、静かに頷いた。

「それじゃあ、開けますね」

 プルメリアがハンドルに手をかける。

 が、扉は開かない。

 まるで固定されたかのようにびくともしない。

 押しても引いても動かない。ならば自分がと6号が代わっても結果は同じ。

 堅いのではない。感触がない。だから動かず不変。何かがずれている。

 

「全員、耳を両手で塞ぎ目を閉じろ。私が肩を叩くまでずっとだ。いいな?」 

 

 しばらく扉を検分したヒルデガルド様が有無をいわさぬ声で告げる。

 誰もが素早く従いそして、ずん、と身体の芯に衝撃を受け意識が飛びそうになる。

 肩を叩かれ目を開けると、扉の周辺が黒い泥でべちゃべちゃに汚れていた。

 

「良いぞ。この至近距離で誰も気絶しないのは上出来だ」

 

 どこか嬉しそうなヒルデガルド様が自ら扉を開け中に入る。

 何の前振りも躊躇もない行動に、思わず出遅れてしまう。

 

 慌てて後を追い、6号も部屋へと踏み入る。

 

 

 

 黒。

 

 

 黒一色だった。

 

 淡い色調で統一されていた壁や絨毯は、なぜかその全てが真っ黒に染め上げられていた。

 唯一そのままの純白を保っていた天蓋付のベッドが、注視せずとも視界に飛び込んでくる。

 

 そこに居た。

 

 小さなひとつと、もっと小さな数十、あるいは数百が、蠢くようにしてそこに横たわっていた。

 夜目が利く6号でも、最初それが何なのか、どうしてか上手く判別できなかった。

 そこにいる筈のないものを、全く想定の内になかった存在を、とっさに頭がそれと認識できなかったのだろう。

 

 猫だ。

 

 黒い猫。

 

 それが数十、数百と押し合うようにして、ベッドの上で溢れ返っている。

 

 その中心で死んだように眠っている『あれ』の姿を見つけた。

 

 どうしてか涙が出そうになった6号は、一抹の気まずさを誤魔化すように、群れる猫たちへと眼を向けた。

 今も増え続けている猫たちが一体どこから来ているのか、その行列の大元を辿ると……部屋の隅にある、開け放たれたままの窓へと行き着いた。

 そこから何かを伝いよじ登り、入室し、列に並ぶ。

 まるで『招かれた入場門』であるかの如く、皆一様にそこから入り、規則正しく一列で弾むように前進するその様は……どこか厳粛でしかし喜びに満ちた陽気な行進(パレード)を思わせた。

 

 そこでふと疑問が浮かぶ。

 

 増え続ける猫に対してベッドの面積は一定だ。

 しかしベッドから零れ落ちる猫は一匹たりともいない。

 ならば猫たちの終着点は。

 

 余りにも自然だった為、これまで意識の片隅にすら入らなかった。

 しばらく注視して、ようやく6号は理解した。

 

 ベッドの中心へと辿り着いた猫が『あれ』に身体をこすりつける。

 鳴き声こそ聞こえないが、その顔が喜色で満ちているのだけはわかる。

 そうして、消える。

 次が来て、また喜びのままに、触れて、消える。さらに次が来て、歓喜の内にじゃれつき消える。そうしてまた次が来て――。

 

 最初6号には『あれ』が捕食でもしているかのように見えた。

 しかしすぐに思い直す。

 違う、そうではない。たとえ結果は同じだとしても、そこにある願いを無視してはならない。

 

 この行為を端的にあらわすならそう。

 

 献上。

 

 だろうか。

 

 触れる、消える。どうぞ、どうか。

 

 最初からそうだとは思ってはいたが、やはりあれは小動物の猫ではなく、慣用句につかわれる、死者を迎えに来る『自然現象の方の猫(魔力を帯びた幻影)』なのだろう。

 

 なるほど確かに、そのひとつひとつはおぼろげな影のように頼りない。

 しかしその目的はただひとつ。

 吹けば消えるまやかしを寄り集めた、そうなりますようにという、か細く小さなお願い。

 百を超え千を超え万を超え、ようやく毛先ほどに至ろうかという、取るに足らない我侭(わがまま)

 

 数え切れない献上の果てにある願いが、無音の大音声となり木霊する。

 億を兆を超えた祈りの果てが、夜のしじまの裏側に響き渡る。

 

 

 

 

 

 どうか。

 

 どうか、御壮健で、あられますよう。

 

 切に。

 

 切にお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 その合唱を聞いた瞬間、6号の意識は途切れた。

 

 

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