【完結】もう恋人だと思っているエイシンフラッシュVSそんなことは微塵も考えていないトレーナーVSダークライ 作:かむくら
今回は前回最後に書いた通り番外編です。最後にいただいたファンアートのご紹介とちょっとした宣伝もございますのでよろしければご覧ください。
スマートファルコンはウマドルである。交際経験はまだ無い。
どこで夢を抱いたか
以来、彼女はアイドルを目指している。その夢はウマ娘とレースという他の要素も取り込んでウマドルという新ジャンルにもなっている。その夢を追い続けてトレセン学園に入学し、ダート路線という茨の道を進みながらも着実に成長を重ねている。ダートコースにおけるいくつものG1級競走を制した彼女のファン数は、ある関係者の話によると
「みんなー! 今日もファル子のライブを見に来てくれてありがとー!」
レースに勝つためのトレーニングに加えて、彼女の日課は他にもある。それが路上ライブだ。まだ誰にも名前を知られていない頃からずっと欠かさず続けてきた、言うなれば草の根活動的なそれだが、彼女が実力・知名度共にトップクラスとなった今でも継続されている。
足を止める観客は、最初の方こそ誰一人おらず閑古鳥が鳴いていたものだが、今となっては大規模な
「今度のレースも出るから、応援よろしくー!」
明るく、笑顔で、元気よく。
弾けるような彼女の声に、また弾けるように返る観客たちの歓声。
ウマ娘のレースには、ファンへの感謝を込めてウイニングライブが付随する。今この場がレース場でなくとも、彼女は自身を見つけてくれたファンを大切にし、憧れや好意を一身に受け止める。その誠実さこそ、彼女が人気たる
「みんな、また会おうねー!」
手を振って、笑顔を振りまいて。ステージを模した台から降りる。その所作さえもウマドルらしく。退場するときの最後の一歩にまで夢を込めて。
スマートファルコンがいなくなったのと同時、蜘蛛の子を散らすように人集りはその密度を薄めていく。本日の路上ライブは事前告知無しの突発だったが、それでも人が集まるというのだから、彼女の知名度のほどが窺い知れるというものだろう。
夕暮れ。黄昏。路上ライブは
ウマドルとしての仮面は外さない、外れない。いつもにこにこと、楽しいことと夢には全力で。まるで童話の
ある作家は言った。民話や伝説、神話、御伽噺というものは、はるか昔から、子どもたちになくてはならないものなのだと。
いつの時代も子どもの目に映る
グリムやアンデルセンの童話に出てくる羽の生えた妖精たちはいつしか古典となった。イソップが込めた
さて、しかしそんなスマートファルコンも、ステージを降りて人の目から外れれば、ただの一人のウマ娘である。
三月も終わりに差し掛かった頃、それなりの時間になっても真っ暗になることはなく、ひと月前ならとうに街灯が灯っていた時刻であっても、まだ足元は明るいままであった。
「ふんふんふーん、ふーふふんふーん」
跳ねるように鼻歌を奏でながら彼女は帰路に就く。その途中にトレセン学園の前を通りかかってみれば、グラウンドや学園の敷地内には多数のウマ娘とそのトレーナーの姿が見えた。きっと普段、自分もこのように見えているのだろうな、と思っていると、何やらその中に見知った顔があることに気がついた。
黄昏色の陽光の中でも一際目立つ黒鹿毛を見間違えるはずもない。少し遠目のグラウンド端にいたのは、彼女の友人であるエイシンフラッシュその人であった。せっかく友人に会ったのだし、一言声だけでもかけていこうと駆け寄ろうとしたそのとき、エイシンフラッシュの奥にもう一人いることにも、彼女は目敏く気がついた。その人物もまた知り合いであった。エイシンフラッシュのトレーナーである。
トレーニング中かな、とスマートファルコンは考えた。たしかに時刻としては妥当であり、せっかくの貴重な時間に横やりを入れてしまうのも如何なものかと、彼女は駆け出そうとした足を止める。スマートファルコンは気遣いと察しが良いウマ娘であった*1。
ところで。
ウマ娘は耳が良い。人間より遥かに優れた身体能力を有する彼女たちは、その五感もまた鋭敏に発達しており、聴覚もまたその例に漏れず非常に優秀だ。それ故に、聞こうと思わなくても不意に耳に飛び込んできてしまう音を避けることは難しい。
────〝じゃあ、今日はここまでにしようか〟
────〝はい。お疲れ様でした、トレーナーさん〟
────〝君こそお疲れ様。クールダウンを済ませておいで〟
彼我の距離は、直線にして約50メートルから60メートル程度といったところだろうか。踵を返したスマートファルコンの耳に、エイシンフラッシュとそのトレーナーとの会話が飛び込んでくる。ああなんだ、もう終わるんだと思って、せっかくなら一緒に寮に帰ろうよ、とエイシンフラッシュに言おうとした。返した踵をまた返し、さて今回は後ろから少しばかり驚かしてあげようかと悪戯心に踏み出そうとした、その時である。
────〝じゃあフラッシュ。次のトレーニングとか課題とか話したいこともあるし、終わったらトレーナー室に……〟
────〝……あ、えっと……すみません。その、今日も、トレーナー室には……〟
────〝…………うん、そっか。じゃあ、終わったらそのまま帰って大丈夫だから〟
────〝……はい。お疲れ様でした。それでは、また〟
またスマートファルコンの足が止まった。止まらざるを得なかった。それほどまでに、今聞こえた会話と見えた光景は衝撃的だった。
申し訳なさそうな、気まずそうな、複雑な心境という言葉が表すあらゆる感情を
それを見たスマートファルコンは驚愕した。「あわわわわ」と声にならない声が口から漏れ出ていた。
なんということだ。どういうことだ。意味がわからない、理解ができない、なんで、なんで、なんで────
────フラッシュさんとトレーナーさんがギクシャクしてる!?
────え!? なんで!?
────
そう、何を隠そう。
スマートファルコンは数年間ずっと、エイシンフラッシュとそのトレーナーは恋仲であると勘違いしているのである。
◇◆◇
スマートファルコンにとってエイシンフラッシュとはかけがえのない親友である。
入学した時から同じ寮室で、数年間学校生活を共にしてきた。互いに困った時は助け合い、そして支え合ってきた無二の友人である。ウマドルとして表舞台に立っている間は完璧なスマートファルコンも、学生の身分に戻れば至らぬところも多く、そういう意味では、日常から公的な場に至るまで完璧を追求するエイシンフラッシュはまさに尊敬すべき一種の理想像である。
たまに不器用で頑固で抜けているところが見え隠れするが、それはそれ、これはこれ。スマートファルコンは毎日朝の5時に起きることなんてできないし、グラム単位で材料を管理してお菓子作りなんてできないし、スケジュールを守るのだってそこまで厳密になれない。それに────
────と、トレーナーさんに想いを伝えることだって……
その点において、エイシンフラッシュはまさにスマートファルコンの理想であった。ツーと言えばカーと返せるほど心を通じ合わせたように見える二人の関係は、彼女がいつか目指す果ての景色そのものである。ウマドルたるもの、学生たるもの、恋愛なんて御法度であると自分に言い聞かせて先へと進んで来てはいるが、それはそれとして不安にはなるのだ。
あのにぶトレーナー、何も気づいてないな、と。
その不安を抱いた上で、自分と最も関係の近しいモデルケースが誰かを考えると、エイシンフラッシュに行き着くのは必然であった。それ故にスマートファルコンは、彼女がそのトレーナーを捕まえた手練手管をいつか真似してみようと考えていたのだが……
「まさかケンカ? でもフラッシュさんに限ってそんな事……」
トレセン学園の敷地内を横切って、寮への帰路を歩く。校舎の向こう側から聞こえてくるカラスの鳴き声とウマ娘の声が頭上を滑っていく。顎に手を当てて思案顔になり、果たしてあの二人に何があったのか、独り言を呟きながら考えた。
エイシンフラッシュに限って争い事や喧嘩になったとは考えにくい。彼女は理知と理性の怪物である。感情的に何かが発露することがゼロとは言わないが、その結果が尾を引くことはまず無いはずだと、スマートファルコンの長い付き合いがそう言っている。
では、トレーナー側から何かをしてしまった? それもまた考えにくい。スマートファルコンは彼がまだエイシンフラッシュと専属契約を結ぶ前から顔見知りであり、以後も度々顔を合わせているが、何か人間関係において亀裂を生むような性格には見えなかった。常に人当たりが良く、気配り上手で、歳上の余裕も持っている。そのような人物がエイシンフラッシュと関わっていく上で何か下手を踏むようなことはそうそうあるはずがない*2。
「うーん……わかんないなぁ」
いくら考えても出ない結論が、喉の奥に刺さった棘のように引っ掛かる。いつしかそれなりの距離を歩いており、気づけば学園の敷地内に広く作られた畑の縁まで来ていた。昼間に通りがかるとエアグルーヴやエイシンフラッシュといった『テントウムシ管理の会』がいることもあるのだが、今日はその誰の姿も見えなかった。その代わりに、畑の中程、ちょうど
小さな影ではあるが、しかしその影は頭が不自然に大きい。それもウマ耳や髪型などではなく、何か大きな帽子のようなものを被っているかのような────
「スイープさん?」
「わひゃあっ!?」
そっと近づいて声をかけてみると、その影は面白いように飛び跳ねた。跳ねた拍子にどこかへ行ってしまいそうになった帽子を慌てて取り押さえて振り返った彼女は、スマートファルコンが思った通り、スイープトウショウその人であった。
「な、何よ……驚かさないでよね」
「ごめんね、こんな時間に何やってるのか気になっちゃって」
スイープトウショウがこの畑で何かを育てているという話は聞いたことがない。いや、もしかしたら魔女的なアレコレでマンドラゴラなどの危険植物でも育てているのかもしれないが、少なくともそんなものが埋まっていたら大問題である。彼女の手にはそれらしいものは何も持たれていないし、聞けば命を落とすような叫び声も聞いていない。
では、彼女が何を目的にここにいたのかと言えば、それは指先に答えがあった。
「テントウムシ?」
スイープトウショウの指先には、一匹のナナホシテントウが止まっていた。
「そうよ! このテントウムシを使って、今日こそ魔法を成功させるの! 翼のはえたサルを呼び出すのよ!」
言って、スイープトウショウはテントウムシの乗ってない方の手を案山子の足元へ向けた。そこにはたしかに七芒星の魔法陣が描かれていた。中心には理科の実験に使うようなシャーレが置かれており、その魔法陣を囲むようにして案山子と────
「それは……何? 人形と……ぬいぐるみ?」
「ブリキとライオンよ! 召喚魔法を使うには、案山子とブリキとライオンが必要なの!」
「初めて聞いたなぁ」
はてさて、なぜスイープトウショウがそのようなことを言い出したのか、スマートファルコンには皆目見当もつかなかった。シャーレにそっとテントウムシを下ろした彼女が、何故か懐から大量の針を刺したパンを取り出して案山子の頭に埋め込んだり、ブリキの横にハート型のクッションを置いたり、ライオンのぬいぐるみに液体が入った緑色の瓶を抱かせるようにセットした理由もよくわからなかった。
「グランマが昔言ってたの。案山子には知恵があり、ブリキには心があり、ライオンには勇気があるのよ」
「それが魔法に必要なの?」
「そうよ!」
自信たっぷりに胸を張るスイープトウショウ。未だ中等部の彼女が『昔』と言うのだから、そのグランマとやらが言ったことは、もしかしたら絵本か児童文学の類いなのではないかとスマートファルコンの脳は答えを導き出したが、口には出さないでおいた。
その間にもスイープトウショウは怪しげな儀式を着々と進めており、果たしてこれがどのような結果に行き着くのか──大方の予想はついていたが──を見守っていたスマートファルコンは、時計がそろそろそれなりの時間を示していることに気がついた。集中している彼女の邪魔にならないようそっと畑を抜け出すと、それと入れ替わるように後ろから何かが聞こえる。
「エッペー、ペッペー、カッケー! ヒッロー、ホッロー、ハッロー! ジッジー、ザッジー、ジック!」
「誰だ畑で騒いでいるのは!」
「ああっ、エアグルーヴ!」
どうやら間一髪だったらしいと、スマートファルコンは安堵した。畑の方から聞こえる喧騒を背後に、先ほどよりも心なしか早足でその場を後にする。スイープトウショウには悪いと思ったが、これも必要な犠牲である。
日の傾きは徐々に増していた。足元から伸びる影は長く、道端の街灯もあちらこちらで光を灯し始める。想定外に長居をしてしまったが、昼と夜の境目であるこの時間に、背丈よりも長い影を追いながら歩くのも、存外悪くないものである。
帰る前にそこいらでにんじんジュースの一本でも買っていこうかと、ほんの少しの寄り道に心を揺らす。そんな漠然とした思考の中で、しかし先ほどのスイープトウショウの言葉が、千切れた布切れのように、どこか脳裏の端に引っ掛かっている。
「案山子には知恵があり、ブリキには心があり、ライオンには勇気がある、か……」
◇◆◇
寮に着く頃にはすっかり暗くなっていた。スマートファルコンの手にはビニール袋が提げられており、その中にはにんじんジュースと幾つかのパンやお菓子が入っている。甘いものは心の栄養だからと誰にも聞こえない言い訳をして、翌日からのトレーニングが少しハードになることを予感しながら、彼女は栗東寮を進む。
歩きながら思い出していたのは同室の彼女のこと。先ほど見せたあの表情は、きっと
自分の部屋の前に立つ。扉に手をかける。少しばかり躊躇った。
エイシンフラッシュが何を抱えているのかなんて知らない。彼女とトレーナーの間で何があったのかなんてわからない。それに自分が首を突っ込んでもいいものか。そう考えて、しかしすぐに、その迷いを振り払った。
スマートファルコンはある意味で、彼と彼女の関係性を構築した切っ掛けと言っても過言ではない。彼女らが専属契約を結ぶ前からの知り合いであり、エイシンフラッシュがシニア級に上がった際の一悶着では、スマートファルコンの協力があったからこそ、彼女は立ち上がれたと言ってもいいほどだ。
スマートファルコンは自分が今まで何をしてきたかを記憶しているし理解している。友人が困っているのなら助けに入るべきだという当然の友情が、今の彼女を突き動かす原動力だ。
ならばこそ、迷うことなど何も無い。意を決して扉を開ける。そして、いつものように「ただいま」と言おうとして────
「…………………………………………」
────♪ ────♪ ────♪
〝エリーゼのために〟が流れるオルゴールを両手に抱えながら虚無顔で俯くエイシンフラッシュの姿を見て、そっと扉を閉めた*3。
「嫌だよぉ入りたくないよぉ……」
心からの叫びだった。それはもう、今すぐカレンチャンか逃げシスかダート三人娘の誰かに連絡して「今日そっちの部屋に泊まってもいい?」と言いたくなる程度には心からの叫びだった。
それもそうであろう。誰だって見えている爆弾に突っ込みたくはない。スマートファルコンもそれなりに覚悟して扉を開けたはずなのだが、しかしエイシンフラッシュの具合はそれ以上のものであった。彼女の本能は一瞬にして「自分程度の
しかし、恐れをなして逃げるわけにはいかない。義を見てせざるは勇無きなり。スマートファルコンの内側に潜む生粋の善性は、震えるだけの肉体を上回った。
────案山子には知恵があり、
────ブリキには心があり、
────ライオンには勇気がある。
ならば何故、スマートファルコンにそれが無いと言えるのか。
否、彼女はたしかにそれらを持ち合わせている。ならばこそ、今ここで震えているだけではいられない。恐怖は全て錯覚である。逃げ出したいという本能は全て幻である。
そうやって、強く自分に言い聞かせて。
「……よし!」
彼女は再び扉を開いた。
「────フラッシュさん! 何か悩んでるなら、ファル子が全部聞いてあげるよ!」
◇◆◇
優しい音色だった。
小さな箱から奏でられる、心に沁み入るような音階の色。
オルゴール。機械仕掛けの音楽家。
〝エリーゼのために〟。楽聖ベートーヴェンがとある女性を想いながら書いたというその旋律が、たった一人だけの部屋を満たす。他に音は何もない。何一つの物音すらなく、今はただ、その音色だけに浸っていたかった。その音色が呼び起こす思い出に浸っていたかった。
エイシンフラッシュの表情は翳っている。一切の感情が抜け落ちてしまったかのようなその瞳は、ただ回り続けるオルゴールを眺めるだけ。その単純な回転運動を眺め続けるだけしか、今の彼女にできることはない。
────ああ。
凪のような心ではいられなかった。穏やかなままではいられなかった。
ひとたび心に波紋が落ちれば、それは波となって広がっていく。荒々しく水面を泡立てて、落ち着きと冷静の全てを奪い去っていく。
表情に色がつく。虚空を見つめるような虚無感から、顔全体を染めるような真っ赤な羞恥心へ。
────ああ。
────ああ。
────また。
────まただ。
オルゴールの音色など聞こえなくなっていた。それ以上の劇的な感情が、エイシンフラッシュの中を埋め尽くしていった。
「またやっちゃったぁぁぁぁぁぁ…………!!!」
吐き出すようなこの言葉こそ、彼女の真意の全てである。
エイシンフラッシュは己の勘違いに気づいた。長年抱え続けてきた亀裂にようやく目を向けた。それが今より少し前の、桜が咲き始めた頃のことである。
愛の告白と宣戦布告。その時はそれ以外に何も手立てなど思いつかず、結局いつかは突き当たるはずだった壁なのだから、それが最善の選択だったことは疑いようもない。
だがしかし、思ってしまうのだ。思ってしまったのだ。気づいてしまったのだ。
────あれ? もしかして私、結構とんでもないこと言いました?
以来、エイシンフラッシュはトレーナーと二人きりになることを避けている。嫌だ嫌だ恥ずかしい、トレーナー室で二人きりになったら絶対恥ずかしさで死んでしまう、あの時のことを思い返すだけで顔から炎が噴き出てしまいそうだ。
トレーニングをするのは必要なことだから、毎日顔を合わせるのはもう仕方のないことだ。だがそれは他の誰かがいるグラウンドやジムなどに限った話で、そこでも真っ直ぐ彼の顔が見られるかといえばそうではない。
────無理無理無理恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい穴があったら入りたい。
「もっとやり方があったでしょう、私……!」
エイシンフラッシュは恋愛模様になると途端に掛かり気味になるウマ娘だった。バランス調整入っても掛かり条件は無くならなかった。今年も固有スキル出なさそうだね。
とどのつまり、彼女がトレーナーとギクシャクしているように見えるのは、もう完全に自業自得なのである。トレーナー側も何となく「この前のアレまだ引き摺ってるんだろうな」とわかっているから何も言うことができず、結果としてスマートファルコンが目撃したあの現場に繋がったというのが、今回の顛末の全てだ*4。
「────フラッシュさん! 何か悩んでるなら、ファル子が全部聞いてあげるよ!」
そこにスマートファルコンが勢いよく入室した。オルゴールの音色さえかき消すほどの凄まじい登場に、エイシンフラッシュの羞恥は困惑へと塗り替えられる。まさか今の独白を全て聞かれていたのだろうか。それはそれで恥ずかしいものだが、しかしもう何もかもが手遅れだ。
扉の前で意を決したように立つスマートファルコンと、それを困惑の表情で見つめるエイシンフラッシュ。二人の視線が交わり、なんとも言えない微妙な空気が出来上がる。
「……どうして私が悩んでいると?」
「え、だってさっきトレーナーさんとものすごく気まずそうな表情で解散してたから」
「……っ、見て、いたんですか……?」
どこかバツが悪そうに俯くエイシンフラッシュ。まさか先ほどの場面を見られているとは思わなかったのか、その表情はどこか苦々しい。なるほど、たしかにそれを見たなら、彼女がトレーナーとの関係性に何かいざこざや悩みを抱えているのだと察するのは簡単だろう。
「だからね、フラッシュさんが困ってるなら、ファル子にできることでお助けしようって思ったの」
「……ですが、これはファルコンさんにどうにかできるようなことでは……」
「それはまあたしかに、ファル子じゃフラッシュさんには及ばないかもしれないよ? でもでも、やっぱり友達が悩んでたら助けてあげたいし。それに
「っ────こい、びと……」
かちり。
そんな音が聞こえた気がした。何か決定的なところを履き違えたような、あるいは足元に埋まった爆弾をうっかり踏み抜いてしまったかのような。そんな、何かのスイッチを押してしまったような音を、スマートファルコンは聞いた。
「ぅぐ……ぅぇ……、ひぐ……」
「なんで泣くの!?」
エイシンフラッシュは号泣した。必ず、かの無知暴虐のウマドルに真実を伝えねばならぬと決意した。
狼狽えるスマートファルコンに、エイシンフラッシュはこれまでの経緯を説明する。
全ての勘違いの始まりたるバレンタイン。ドイツの風習と慣習。互いの認識のズレ。言葉足らずと、足りすぎた言葉。幾重にも重なり絡まった勘違いの糸を
そうしてスマートファルコンは理解した。エイシンフラッシュの顔に滲んだ複雑な感情らしきものたちの正体は、言葉にしてみればなんてことはない、ただ恋する少女が抱える瑕疵に過ぎなかったのである。
そして同時に、彼女が言った「ファルコンさんにどうにかできるようなことでは」の意味も理解する。
事態は思っていたよりも複雑怪奇である。未だ交際経験ゼロでそこまで恋愛に明るくないスマートファルコンでは、たしかに現状を打開する手助けにはなれない。そこは本人も重々承知していることである。
だが、だからといって悩む友人を放っておくこともあまり良いことのように思えない。
エイシンフラッシュとは長い付き合いだ。彼女は普段非常に合理的で論理的な性格だが、しかし必要以上に自分を追い詰める悪癖があり、更に追い詰められた場面において焦りがちであることをスマートファルコンはよく知っていた。焦りは思考を短慮にし、余裕と正解を奪う。今のエイシンフラッシュに必要なのは、一人で解決策に悩むことではなく────
────あ、そうだ。
スマートファルコンの脳裏に、とある言葉が
「フラッシュさん知ってる? 案山子には知恵があって、ブリキには心があって、ライオンには勇気があるんだって」
それは先ほどスイープトウショウから教えられたことだ。
スマートファルコンは魔法使いではない。魔女でもない。魔法や魔術を素敵だと思いつつも、それは結局オカルトの域を出ないのだと理性で理解している。
それでも、まるで御伽話に出てくるようなそれは、何だか随分ロマンチックに感じられた。
「フラッシュさんはきっと、色んなことが怖いんだと思う。告白ってすごく大きなことだし、その前と後で色んなことが変わっちゃう。だから悩むし、トレーナーさんと真っ直ぐ話せなくなっちゃうんだよ。それは全然悪いことじゃないはず」
「……そういうものでしょうか?」
「でも、勇気は出したんだよね」
何時になく真剣な口振りで、スマートファルコンは問いかける。
告白とは一大イベントではなく好意の再確認である。祖国では常識とされていたその価値観は、日本では通じなかった。日本においての告白は関係を一変させてしまうかもしれない重大なイベントであり、それはエイシンフラッシュ自身体感してよくわかっている。
「勇気を出して告白して、どうすればいいか知恵を使って、そうして心のありったけを伝えた。フラッシュさんは、もう魔法を使うのに必要なものを全部持ってるはずだよ」
「魔法なんて、私はそんな……」
「そんな、なんてことないよ! 女の子はみんな魔法が使えるんだから!」
跳ねるような笑顔で、彼女は言う。
「好きな人を振り向かせる魔法を、もうフラッシュさんは使えるんだよ」
それはまるで、御伽話のお姫様のような。
永い眠りのお姫様にかけられた呪いを解くような。
午前零時に
塔の上のお姫様をそこから連れ出してあげるような。
そんな素敵な魔法は、きっと誰しもが持っている。
「……ふふっ」
「あー! なんで笑うの!」
「すみません。なんだか、とても素敵な
エイシンフラッシュは、決して魔法の存在を信じていない。
魔法なんてものは結局、当時原理を解明されていなかった自然現象に理由をつけただけのものだ。科学技術が発展するにつれて、火は神ではなく人の道具となり、雷は天の怒りではなく雲の中の電荷分離だと本に記され、ほとんどの事象はフラスコの中で再現可能となった。その現実に間違いはない。
だが、それでも。
好きな人を振り向かせる魔法だなんて、そんな素敵なものがあるのなら、それも悪くはないな、と。
そう思えたのは、きっとスマートファルコンのおかげなのだろう。
「ありがとうございます。貴女のおかげで、なんだか前を向けた気がします」
「ほんと? ならよかった」
「でも意外ですね。ファルコンさんが〝オズの魔法使い〟にお詳しいだなんて」
「へ?」
〝オズの魔法使い〟。
アメリカの童話作家、ライマン・フランク・ボームの著作である児童文学作品。1897年の〝散文のマザーグース〟、1899年の〝ファーザーグース、彼の本〟を経て童話作家としての地位を築いたボームにより1900年に出版されたこの作品は、発売から間も無く増刷が追いつかないほどの人気作となり、世界最大規模の図書館であるアメリカ議会図書館からも「アメリカで最も優れ、最も愛されている御伽話」だと評価されているほど、莫大な知名度を誇っている。
竜巻によって家ごと『オズの国』へと飛ばされてしまった少女ドロシーが、愛犬トト、脳みその無い案山子、心を無くしたブリキの木こり、勇気の無い臆病なライオンと共に不思議な冒険の旅に出る活劇として知られ、アメリカ内外問わず児童文学として今もなお多くの子どもたちに愛されている名作だ。どんな願いも叶えてくれるオズ大王に会うために、悪い魔女を倒し色鮮やかな旅路を行き、自分たちに無いと思っているモノを探し求めるその姿は、多感な幼年期を彩るに相応しいヒーローと言っても決して過言ではない。
「へ、じゃないですよ。案山子には知恵があり、ブリキには心があり、ライオンには勇気がある。そんなの〝オズの魔法使い〟しかないじゃないですか」
「え、あ、うん! そうだね!」
スマートファルコンは見栄を張った。
「……気が楽になった途端、疲れが出てきました。19時29分ですね。私は入浴してきますが、ファルコンさんはどうしますか?」
「んー、ファル子はまだいいかも。先に行っちゃっていいよ」
そう言って着替えを手に部屋を出るエイシンフラッシュを送り出し、スマートファルコンは小さく息を吐いた。オルゴールはもう止まっていた。
「なんとかなった……のかな?」
少しばかりの疑問。天井を見上げて込み上げたその問いに答えは返ってこない。しかし、彼女は「なんとかなったよね」と自分で答えた。それだけで充分だった。
「だって、フラッシュさんだもん。心配無いよ、きっと」
それは信頼であった。長年の付き合い故に、彼女の性格と良し悪しはよく知っている。だからこその言葉だ。ああなったエイシンフラッシュはもう下を向かないのだと、自身の経験でよく知っている。
────でも。
「意外だったなぁ……フラッシュさん、まだトレーナーさんと付き合ってなかったんだ」
身近な人間で一番進んでいると思っていただけに、スマートファルコンにとってはそれが最も意外なことであった。
話を聞くに、エイシンフラッシュ自身つい最近までまさかそんな状況になっていたとはカケラも気がついていなかったようだが、それはきっと仕方のないことではあったのだろう。文化と価値観の違いは、たった数年程度では簡単に埋められないものなのだ。
────まあ、でも安心したかも。
天井から目を離し、瞳を閉じる。思い返したのはスマートファルコン自身のトレーナーのことだ。
ファン一号。夢に連れて行ってくれた人。そんな彼のことを想起する。
「フラッシュさんがまだお付き合いできてないなら、ファル子ももう少し何もできなくても仕方ないよねっ!」
は???
スマートファルコンの口から飛び出したのはそんな言葉だった。
言い訳。弁明。弁解。誰に向けてのものかは全くわからないが、しかし紛れもなく、その対象には彼女自身も含まれていそうなことだけは確かだった。
「だって、あのフラッシュさんがまだなんだもん。ウマドルたるもの、まだお付き合いとか早いよねっ!」
出遅れシスターズがよ。
エイシンフラッシュの失敗は、スマートファルコンに余計な自信を与えていた。要するに彼女は、自分より先に行っていると思っていた友人が、実は同じスタートラインに立っていたことに安堵しているのである。
あの如何にも恋愛強者のようなエイシンフラッシュが、まだ何も出来ていない。それはつまり、同じくトレーナーがにぶにぶであるスマートファルコンも条件は同じだということ。これからエイシンフラッシュがやることを参考にすれば、まだまだチャンスは沢山あるのだと、彼女は考えていた。
ファル子、よく考えてみてほしい。このまま何もしなければ君の行き着く先は
「よーし、頑張るぞー! うー、しゃいっ!」
しゃいじゃないが。
斯くして、少女の夜は更ける。
◇◆◇
────23時56分。
三月も終わりに近づくにつれ、夜に窓を開けても寒くはなくなっていく。府中から空を見上げても綺麗な星座は中々見えない。春の大三角、春の大曲線に代表される夜空の芸術は、中央トレセン学園で走り続けるウマ娘たちにとって、そこまで縁の深いものではないのである。
「星、見えるの?」
「ええ、少しは」
それでも何かが見えるだろうかと、エイシンフラッシュは夜空を見ている。横にスマートファルコンが並んだ。大曲線の端には北斗七星が繋がっている。その七つの星だけは、この東京の空であっても、季節柄少しは見えやすい。
────23時59分。
「……うずうず」
「口で言うものではありませんよ」
「えへへー、でもちょっとはいいよね?」
日付が変わる。今日が終わる。明日が来る。それは、誰かにとっては何気ない一日のサイクルだ。そして、エイシンフラッシュにとっては、一年の中でもほんの少し特別な一日の始まりだ。
この部屋にアナログ時計は無い。秒針の音など存在しない。ただ、昔から慣れ親しんだ短針と長針の二重奏が、デジタル表記で数字が進む度に脳裏に響く。
時代は変わった。それでも、
────0時00分。
「フラッシュさん、おた────」
「あ、電話です」
スマートファルコンの言葉は軽快な電子音によって遮られる。
時刻は真夜中で、もう月は高い。こんな時間に事前の断りもなくコールをかけるなど、いったいどのような了見なのか。スマートファルコンは果たしてそんなことをするのはどこのどいつだと思ったが、その答えはすぐにわかった。エイシンフラッシュは既にわかっていたようだった。
ほんの少しの逡巡。躊躇。コールに応じるか、彼女の中には迷いがあった。
かけてきたのは────エイシンフラッシュのトレーナー。
「フラッシュさん」
一言、彼女の名を呼ぶ。エイシンフラッシュの視線がスマートファルコンに向いた。不安げなその瞳に、大丈夫だよと言わんばかりに親指を立てた。
そしてコールがあと三回ほど鳴った後、エイシンフラッシュはそれに応じた。ウマ娘の耳には当てられないから、スピーカーで。
「も、もしもし」
『もしもし、フラッシュ。こんな時間にごめんね』
画面越しの声はよく知るあの人の声だ。何も変わらないように思える。何も変わらないように聞こえる。いつもと同じ、安心する声。
『本当は連絡してからと思ったんだけど、待っていられなかった』
「……本当です。突然で少し驚きました」
『あはは、ごめん』
「それに貴方らしくもありません」
『うん、だね。俺もそう思うよ』
トレーナーは普段、エイシンフラッシュに突然通話をかけるなんてことはほとんどしない。
SNSの発達した今、連絡のほぼ全ては文面上でやり取りできる。一昔前のように固定電話しか連絡手段がなかった頃ならいざ知らず、トークアプリで送信のボタンを一度押せば伝えたいことは片が付く。緊急の連絡が無かったわけではないが、しかし今の彼の口振りから見て、そんなものではないのだろう。
では、何故トレーナーは今、こんな真夜中にエイシンフラッシュに突然通話をかけたのか。
────その答えは、明確である。
『フラッシュ、もう誰かに会った?』
「いいえ。こんな時間ですから、部屋にはファルコンさんしかいません」
『そう。なら、
「いいえ、まだ」
『そう。なら、良かった』
息を吸う音が聞こえた。息を整える音が聞こえた。
日付が変わった。昨日が終わった。今日が来た。
誰かにとっては何気ない一日の始まり。普段と何も変わらない、ただ365日の中の一つにしか過ぎない日。
でも────エイシンフラッシュにとっては、少しだけ特別な日。
『誕生日おめでとう、フラッシュ』
3月27日。
それは、エイシンフラッシュがこの世に生まれた記念日である。
「……はい、ありがとうございます、トレーナーさん」
その言葉を聞いてエイシンフラッシュは微笑んだ。そこにはもう、複雑に絡まった雑念は無かった。
「貴方が一番最初ですよ」
『それは何より。今年は誰よりも早く、俺から言いたかった』
「危うくファルコンさんに先を越されるところでしたよ」
『はは、それはたしかに危ないな』
エイシンフラッシュは横目でスマートファルコンの方を見る。彼女は少し不服そうだった。それが何だか可笑しく見えて、小さく吹き出す。
「それで、何故そこまで最初に私に伝えるのにこだわったのですか? 今まではそんなことなかったでしょう」
『えー、あー……言わなきゃダメ?』
「はい。言ってください」
画面の向こうから唸るような声が聞こえる。困っているのだろうか。躊躇っているのだろうか。恐らくはその両方なのだろうと、エイシンフラッシュは知っていた。
『……最近、君と上手く話せていないだろう。だから、何かキッカケが欲しかった』
少しばかりの空白の後、トレーナーはそう切り出した。
『ただ、トレーニングが終わった後に何か言おうと思っても、どうにも良い言葉が見つからない。それで迷ってる間に時間が過ぎてしまって、何もできずに君がどこかへ行ってしまう。それをもう終わりにしたかった』
「……そんな。あれは私が」
『どっちが悪いとか、そういう話じゃないんだよ、フラッシュ。俺の方が歳上なんだから、こういうときは、大人が先に考えるべきなんだ』
歳上。大人。かつてエイシンフラッシュの想いを阻んだ、立場の差。
それは責任である。トレーナーはエイシンフラッシュの言葉を拒んだ。勇気ある告白を拒んだ。エイシンフラッシュ自身はすぐに立ち直った姿勢を見せたが、多かれ少なかれ、あの日の出来事は少女に傷を残している。
その結果として関係性に不和が生まれてしまったのなら、それをどうにかするのは大人の責任だ。その切っ掛けは彼の方から作らなくてはならない。だからこそ、特別な言葉は誰よりも最初に言わなくてはならなかったのだ。
『ああは言ったけど、君が俺にとって特別なことには変わらない。でも、ただそう言っただけじゃ、きっと上手く伝えられない。……俺はどうやら、自分が思ってるより不器用みたいだから』
「ええ、そうですね。よくわかりました」
『だったらこうやって示すしかない』
トレーナーはいつだって、エイシンフラッシュが彼女らしく在る為に行動してきた。
彼女が自分を曲げられないとき。彼女が自分を曲げざるを得ないとき。
彼女が学生らしく在るべきとき。彼女が学生らしく在れないとき。
理性。合理。論理。予定。未来。結論。
彼はエイシンフラッシュが、誕生日を大切な友人たちと祝えるように、これまでの数年を過ごしてきた。それ故に、日付が変わった直後の誰とも会わない時間、一番最初に
『だから、その……明日からは、また普通に話したい……なんて、変な話かもしれないけど。君がああいう感じだと、何だか調子が狂うんだ』
照れているのだろうな、と思った。その言葉を聞いて、エイシンフラッシュの脳裏には、少し顔を赤面させて目を逸らすトレーナーの姿が浮かぶようだった。
ああ、何だろう。こうして普通に話せるというのがここまで心を穏やかにするものだとは知らなかった。知らず知らずのうちに笑みが
────ああ、やはり。
────私は。
「はい、では今日からまたいつも通りに」
『あれ、声音が変わった。何か良いことでも?』
「ええ。こうして貴方と話している時間が一番好きなのだと、今ようやく気がつけたのです」
『そう? なら良かった』
「……では、また昼に。ありがとうございました、こんな時間に」
『いいんだよ。こっちこそ、突然なのにありがとう。それじゃあ、おやすみ』
通話を切る。画面の中から彼が消え去る。
また今日から、いつも通りに。言葉にすれば何とも簡単なものだった。そう身構える程のことでもなかった。ただ、少し踏み出すのを躊躇っていただけなのだと、あんなに怯えていた自分が奇妙に思えるような感覚がした。
画面から目を離してスマートファルコンの方を見ると、彼女は何か特異なものでも見るように顔を赤くしていた。
「だ、だいたーん……」
「……?」
大胆、とは何のことだろうか。エイシンフラッシュにはよくわからなかったが、どうやら傍目から見て何かおかしなことがあったらしい。少し考えてみたが答えは出なかった。
なお、スマートファルコンは通話中にしれっと飛び出た「好き」に反応していた。とても自分ではあんなことを言えない。言おうとした途端に口ごもって顔が熱くなってしまうだろう。
わかるかファル子、これが〝差〟だぞ。
「と、とにかく! よかったねフラッシュさん。これでもう元通りだよ」
「はい。ご協力感謝します」
エイシンフラッシュとトレーナーの間にあった壁は取り払われた。これでもう、彼女たちが無用な心配を抱えることは無い。
「それじゃあ改めて……」
これは誕生日に起きた小さな奇跡。また一つ特別な日を重ねた彼女に対する、ほんのささやかなプレゼントである。
「フラッシュさん、お誕生日おめでとうっ!」
◇◆◇
月が明るいと星は見えない。見上げた夜空は三日月であった。その横に杓子の形をした七つの星が輝いていた。
「……珍しい」
トレーナーは自室の窓から空を見上げていた。夜になっても、肌を撫でる風にもう冷たさは無い。桜の満開は既に過ぎて、散った花弁が見下ろすアスファルトを桃色に染め上げている。
彼の手にはスマートフォンが握られていた。未だ電源は点いたままで、その画面にはエイシンフラッシュとのトーク画面が表示されている。最新の通知は『通話時間 5:19』。彼はそれを一瞥し、ポケットに仕舞い込んだ。
時刻はまだ日付が変わったばかりの頃。3月27日は、彼にとっては特別な日である。
エイシンフラッシュの誕生日。一年前にも祝った今日という日を彼は待っていた。より正確には、日付が変わるこの瞬間をこそ待っていた。
時間とスケジュールを重視するエイシンフラッシュにとって、年中行事の類いは一際特別扱いされるものである。それは日々の中での一つの区切りであり、その日を迎えるということそのものが何か普段の生活とは違う特別な意味を内包する。そんな彼女にとって、自分という存在の区分である誕生日は、より一層大きな意味を持つ概念だ。
トレーナーも最近エイシンフラッシュの態度が変わったことには気づいている。それは勿論先日の告白の件が発端であり、あの日以降二人きりになる状況を露骨に避けられていることは察していた。何分繊細な年頃故にそういった気持ちの整理をつける時間というものも必要だとは思っていたが、流石に長く続くと問題だ。
そのため、彼は誕生日というこの特別な日に、自分なりの誠意を見せることに決めたのである。
「……ありがとう」
恐らく何もしなければスマートファルコンが最初に言うのだろう。例年通りならばそれで構わなかった。友人と誕生日を過ごすというのも、今の時期特有の貴重な体験だ。
しかしその領域に踏み込んでまで最初に彼から言葉をかけたのは、やはりどのような形であっても、エイシンフラッシュが自分の中での〝特別〟であることの証明をするためで────
「ありがとう、ゴドルフィンバルブさん……!」
お前さてはAIに頼ったな???
昨今、ウマ娘の育成には様々な方法が取り入れられている。かつて存在はしていたが廃れてしまった文化をリブートしたアオハル杯やグランドライブにより、ただトレーニングをするだけがウマ娘の実力向上の方法ではないと、トレセン学園にも新しい文化を取り入れようとする動きが、秋川理事長を中心として巻き起こっている。
その一環として導入されたのが、サトノグループの開発したトレーニングサポートAIシステム『メガドリームサポーター』である*5。
VRウマレーターにインストールされたそのソフトには、ウマ娘がレースという場で競うようになってからのあらゆるデータが集積されているという。それを用いてウマ娘を担当する中で発生する様々な悩みや迷いへの判断を最適にこなすためのサポートが行うというのが、此度の「メガドリームサポーター』の全容だ。
そしてその『メガドリームサポーター』に搭載されている情報解釈処理機能こそ、『勇敢』『規律』『愛情』の思考性を持つ三つのAI────誰もが知る三女神を名乗る者たちである。
「やっぱり『メガドリームサポーター』は便利なんだな」
エイシンフラッシュとの関係性に悩んだ彼は、つい最近導入されたばかりの『メガドリームサポーター』にそのヒントを求めた。サトノダイヤモンドやサトノクラウンはそのシステムを『最善のアンサーを導き出す究極のAI』と称し、事実VRウマレーターの肉体負荷フィードバックにより高い成績を出し始めた者も現れている。物は試しとばかりに自身もアクセスし、どのようなアプローチでエイシンフラッシュに接すればいいのかを考えていたとき、目の前に立っていたのがゴドルフィンバルブだった。
三つの思考性の内『愛情』を担当する女神。なるほど、担当との関係性にまつわる相談事なら、たしかに他の二人より適任である。そう考えたトレーナーは彼女に担当との現在の関係を打ち明けた。
────〝ふむふむ。なるほど。たしかにそれは大変なことだったでしょう〟
────〝普通に話そうとしたら逃げられる。かと言って放置するとその後が怖い。そういうこともあるわ〟
────〝ですが、予定のすり合わせや近況報告にさえ支障が出る方が怖い、と。ええ、わかります。あなたがエイシンフラッシュさんのことをとても大切に思っているのはよく伝わりました〟
────〝……あれ? でもその割には告白断ったのよね? ……まあ今はいいでしょう〟
────〝重要なのは相手が何を大切にしているかを知ること〟
────〝ええ、あなたたちに必要なのは話し合いです。なので、多少強引にでも話さざるを得ない機会を作るのが重要です〟
────〝エイシンフラッシュさんは予定を重要視し、理想の自分を追い求める方。あなたがこれまで彼女と接してきた中で、彼女が大切にしてきたものはたくさん見てきたはず〟
────〝ええ、そうです。たしか彼女、そろそろお誕生日でしたよね?〟
結果、今回の一件に繋がったというわけである。こいつ無駄にAIの使い方上手いの何なんだ。
とはいえ、経過はどうあれ彼がエイシンフラッシュと和解できたことも事実である。結果として『メガドリームサポーター』の有用性を示すこともできたことで、今後利用者は更に増えることだろう。
トレーナーとしても『最善のアンサー』を得られたことでAIに対する信用は上がった。無論全てを頼るのではなく自分で適宜判断を下す必要はあるが、何かと今後も世話になりそうだと思える。
「これからも何かあったら訊くか。主にフラッシュから告られたときとか」
それは自分で考えろノンデリ男。
なまじ今回の一件が成功してしまっただけに、トレーナーの中では「エイシンフラッシュとの関係に悩んだらゴドルフィンバルブに訊くとヒントが得られる」という成功体験が植え付けられてしまった。更に言えば彼女が『愛情』担当なのもよくなかった。
トレーナーには恋愛がわからない。教本を読みトレーナー試験の勉強だけをして暮らしてきた。正直エイシンフラッシュから直接愛の告白をされてもイマイチ実感は湧いていない。不憫だなあの子。
それ故に彼には未だエイシンフラッシュを恋愛対象として見るような意識は無い。特別ではある。大切ではある。でもそれとこれとは話が別なのである。
つまりエイシンフラッシュは結構頑張らないとこいつの心を掴むことはできないということだ。頑張れ。
「……好き、か」
その言葉だけは、彼にはどうしても理解できない。
恋愛なんてものとは縁遠かった。初恋なんてものとは縁が無かった。ただ言葉の意味としては知っていて、辞書を引けば出てくる単語以上の意味は、そこには無い。
ただ、それが今すぐそばにある。形を持って、熱を持って、自分に向けられている。その事実だけは、もうどうしようもないくらい近くにある。
「まあ、追々か」
今はまだ理解できなくてもいいのだ。それを理解させてみせると、彼女は言ったのだから。
日が昇ったら忙しくなる。これまで溜まっていたミーティングに、スケジュールの調整は山積みだ。ようやく日常が帰ってくるのだと思えば、それもまた良いことである。
「誕生日、おめでとう」
これまでの一年。これからの一年。変わってしまったもの。変わらなかったもの。
未知はある。道もある。出会いと別れの季節に生まれた彼女は、これからもその境目で走り続けるのだろう。そんな日々があるだけで、きっと充分幸せなのだ。
「君のこれからの一年が、希望に満ち溢れたものでありますように」
空には星が七つ煌めいている。
◇◆◇
「あ、ゴドルフィンバルブさん、ちょっと相談が……なんです? この無数に積み上げられた本は」
「エイ……匿名ウマ娘さんからの相談がありまして。なんでも『トレーナーさんに恋とはどういうものかを教え込みたいが全く効果が見込めないのでどうしたらいいか』と。『もう何回も好きと言っているのに全然意識してくれない』と」
「今言いかけましたよね? 名前二文字出ましたよね?」
「なのでわたしは考えました。この古今東西ありとあらゆる時代と媒体によって紡がれた
「待ってくださいこれ全部読めって言うんですか」
「それ全部読めって言ってるのよ」
「横暴じゃないですか」
「『愛情』担当としてこれ以上は見過ごせません。覚悟しなさい」
「……はい」
参考資料
『オズの魔法使い』
収録:「オズの魔法使い」(新潮文庫)
著:ライマン・フランク・ボーム
訳:河野万里子
そらすず様よりファンアートをいただきました。ありがとうございます。
ファンアートのリンクはこちら。最終話のラストシーンですね。とても嬉しい。
ここから先は宣伝です。
4月2日に大田区産業プラザPioで開催されるプリティーステークス29Rにて、サークル『春一番』の方から私が参加した合同誌が頒布されます。お品書きはこちら。エイシンフラッシュとトレーナーが桜を見る短編です。興味とお時間がありましたら是非いらしてください。
感想や評価があれば是非。
この戦いの最終的な勝者は?
-
エイシンフラッシュ
-
トレーナー
-
ダークライ
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その他