【完結】もう恋人だと思っているエイシンフラッシュVSそんなことは微塵も考えていないトレーナーVSダークライ 作:かむくら
今回の話は当時頒布したものから2000文字程度追加・改稿しておりますので、当時お買い上げいただいた方も是非ご一読いただけると幸いです。
また、後書きにてちょっとした宣伝がございますので、そちらもよろしければご覧ください。
両の親指がチクリとしたら、
何か邪悪なものがこっちへやって来る。
『マクベス』第四幕第一場
◇◆◇
ハロウィンが間近に迫る十月のある日は、少女たちにとって善い日であった。十月という月は格別の月である。格別でない月があるわけではないが、ウマ娘にとって豊穣の季節である秋のさなか、十月はいつにも増して待ち遠しいものだった。
ヴィヴァルディの〝四季〟の中でも秋が最も陽気で盛り上がるように。
バッカスの杯を酌み交わし、眠りの中で愉悦と安堵を得る。
秋とは古来よりそういう季節だった。
今宵は月が高かった。中秋の名月を過ぎても夜は深い。黄金の月に翳りはなく、いまだ煌々と輝いていた。
「ん、ぅ……」
そんなある時、エイシンフラッシュは偶然にも目を覚ました。完全な真夜中の出来事だった。
「あれ……」
部屋は暗い。明かりは豆電球と月光だけ。手探りで定位置に置かれたデジタル時計を探り当て、見れば、そこには『03:00』という表示があった。
────あまりこういうことは無いのですが。
規則正しい生活。
予定通りの生活。
スケジュール通りの就寝時間と起床時間を守っている彼女にとって、真夜中の不意の起床は実に珍しい出来事だった。
「ふぁ……」
小さな
「寝ないと……」
普段の起床時間は五時。あと二時間の睡眠時間が残っている。無駄な夜更かしは明日のパフォーマンスに影響を及ぼすとして、彼女は再び瞳を閉じた。が、どうにも寝られない。
曖昧模糊とした意識の波が明確な形を持って現像される。額に手の甲を乗せ、再度開いた瞳で天井を見上げた。壁紙の白が、暗闇の中であっても随分はっきりと見えた。
────これは、よくないですね。
エイシンフラッシュは起き上がった。二度目だった。デジタル時計は先ほどより進んでいなかった。そう、一分たりとも進んでいなかった。
「……?」
違和感。たしかに最初の起床から五分は経過しているはずだというのに一切の進みを見せない時計の数字に、はて、これは何かと問いかける。
その時、彼女の耳にある音が届いた。それは二通りの音だった。
金属の回転、石炭の燃焼、その後ろを這いずるドラゴンの身体のような高音と低音の境目。今この時代に聞くことはほとんど無くなった、レトロ時代のロマンの一つ。
綺麗な喧騒、煩雑な演奏、きらきらとしたメロディーを取りまとめるような音楽。どこか昔に置いてきた郷愁と情緒を呼び起こす楽器の音。
「機関車、それに、オルガン……?」
あり得ない、というのが第一の感想。
トレセン学園、並びにエイシンフラッシュの所属する栗東寮は都内の府中に位置する施設だ。通っている電車は京王線や武蔵野線が主で、機関車など新橋のSLくらいしか見ることはない。そこで彼女は一つの結論に至った。
「……夢ですね」
進まない時計、響く機関車とオルガンの音色。ぼやけた視界は寝起きの混乱ではなく夢の泡によるものだ。
であれば現状、眠りは浅くとも現実における自身は睡眠中である。予定に狂いは無い。修正も必要無い。明晰夢など、珍しいこともあるものだと笑い飛ばせる事象の一つだ。
なら少しくらい夢の中を見て回ろう。ベッドから起き上がり、月光の差し込む窓の外を見る。眼下に広がる光はおよそ東京の夜景とは程遠く、これが夢だという自認をより鮮明にさせた。
そこには豪奢なメリーゴーランドを中心に据えたカーニヴァルがあったのだ。
◇◆◇
扉を開ける感覚はいつもと変わらなかった。重くもなく、軽くもなく、普段と同じ仕草で、
栗東寮の廊下には誰もいなかった。真夜中の三時であれば当然のこと。
「不用心……とは言えませんね」
寮の正面には道を挟んでトレセン学園があり、当然この時間の校門は閉鎖されているはずだった。車の一台どころか人の一人すらいない道路を渡り、金属製のゲートに力を込めると、それは容易く道を開けた。
夢。所詮これは夢である。記憶の整理と願望の発露を兼ねた脳機能である。本来なら許されない行為であっても、不自然なほど自然な成り行きが用意されていても、それは何らおかしいことではない。
慣れた校門を通り抜けて光のある方へ向かう。校舎の手前、普段練習に使っているグラウンドに、明らかな異常が出現していた。
「メリーゴーランドに、カーニヴァル」
グラウンドに足を踏み入れた途端、鳴り響く音楽の大きさが一段階上がったように感じられた。
メリーゴーランド。大きな円の建造物と無数の支柱、その中に
「…………」
一歩近づくと、足元に一枚の紙が落ちてきた。ポスターだった。拾い上げると、そこにはこう書かれていた。
『当地に推参、十月二十四日!』
それはちょうど現在の日付だった。カーニヴァルがハロウィンを目前に控えたこの日にやって来るという、平時であれば喜ばしく、今であれば不可解な予告である。
「溶岩飲みのメフィストフェレ、ミスター・エレクトリコ、モンスター・モンゴルフィエ」
エイシンフラッシュはポスターに書かれた数々の
「マドモワゼル・タロー、宙吊り男、悪魔のギロチン、
指でフリークの名をなぞっていく。書き連ねられたそれらが、呼ばれる度に返事をするかのように、夜風が彼女の黒髪を揺らす。
「骸骨男、塵の魔女、聖アントニウスの誘惑の神殿、世界一の────」
「────美女」
エイシンフラッシュの言葉を誰かが引き取った。聞き馴染んだ声だった。その声がした方を見れば、見慣れた人が立っていた。
「トレーナーさん?」
「こんばんは、フラッシュ。何してるの?」
そこにいたのはエイシンフラッシュのトレーナーだった。
彼は不思議そうな
エイシンフラッシュもまた、不思議そうに彼を見ている。数秒の視線の交錯を経て、彼女はある考えに至った。
「あ、夢ですね」
「夢……」
そう、これは夢の中の出来事である。
記憶の整理、願望の発露。毎日のように顔を合わせるトレーナーが、このトレセン学園トレーニング用グラウンドという場所にあることは何一つ不自然ではないし、そこで出会うという事態も何もおかしくはない。
それに、エイシンフラッシュの願望として彼に会いたいと思うのも、それはそれで道理の一つではある。
何を隠そう、エイシンフラッシュは恋する乙女であった。事の詳細と過去の些細は省くが、ともあれ彼女はトレーナーに恋をしていた。
ならば夢の中で彼と出会うというのも、願望の発露としておかしなことではなかった。
「うん、まあ、そういうことか」
トレーナーもまた、納得したようにそう呟いた。
「そういうことか、とは、何を?」
彼は何故か随分と疲れたような顔をしている。はて、たしかにこれまでトレーナーにはかなりの苦労をかけてきたとは思うが、まさか夢の中にまで反映されるほどとは、とエイシンフラッシュは考えた。それと同時に、今の自らの格好がやけに気恥ずかしくなった。いかに眼前の彼が夢の泡の一つとはいえ、想い人に無防備な寝巻き姿を見せるというのは、彼女にはいささかハードルの高い行動であった。
トレーナーの夢を見るのは初めてではない。残念ながら現実では未だエイシンフラッシュの恋の旅路は実っていない。片想い、一方的な恋慕。トレーナーの良識と常識の壁を彼女は未だ崩せずにいる。その欲求が寝ている間に現れるのも、思春期の思考としては妥当なものだろう。
つまり、エイシンフラッシュはこう考えた。
────夢の中なら無茶し放題なのでは!?
エイシンフラッシュは恋愛模様になると途端にかかり気味になるウマ娘だった。固有スキルで剣を握らなくなって久しい。かかったらどの道発動しないけど。
「その、トレーナーさん」
おずおずと彼女はトレーナーに歩み寄った。後ろ手にポスターを隠して、疲れた顔の彼を覗き込むように。
「何?」
「夢、そう、これは夢ですから」
「怖いんだけど」
「そう、怖い夢、怖い夢なんです。ハロウィンの前に見る怖い夢なんです。ですから────」
後ろ手をほどき前へ。覗き込む視線を下げて彼の胸元へ。そのまま彼のシャツに手を当てるようにして、とん、と額を彼の首筋へ預ける。
「────少しだけ、こうさせてください」
残念なことに。
あるいは皮肉なことに。
ここが夢であっても、エイシンフラッシュはこの状況で好き放題できるような少女ではなく。
ただ少し、ほんの少し、大胆になれるだけの純情しか持ち合わせていなかった。
「…………」
十秒。二十秒。その間、蒸気オルガンは鳴り続ける。
メリーゴーランドは時に合わせ回転する。時計の針は回らない。今ここに時間を示すものは、この輝くアトラクションの回転と繰り返される音楽しかない。
正確な時間など測りようがなかった。普段最も規則正しいエイシンフラッシュの心臓は、ここが夢であってもなお、想い人に寄り添っているという事実に早鐘を鳴らしているのだから。
「…………」
沈黙。心音。呼吸音。
短い永遠。長い刹那。その停滞を打ち破るべく、エイシンフラッシュはついにトレーナーから離れる決断を下した。身体を引いて、顔を上げて、この甘いひと時をやめようとして────
「ダメだよ」
「────ッ、────!」
瞬間、爆発する恋慕と焦燥。エイシンフラッシュの脳はこの一瞬で取り返しがつかないレベルのオーバーヒートを起こした。
「え、うあえあえあのあのあのあの────」
「ダメ。俺だけ見てて」
────いくら夢でもこれは都合良すぎじゃないでしょうか!?
もしや自身の願望は行くところまで行ってしまったのか。こんな展開を夢に見てしまうほどはしたない恋慕が自分の中にあったのか。なんてこと、なんてこと、こんなのあまりに刺激が強すぎる。
────落ち着いて、落ち着いてエイシンフラッシュ。
────たしかにトレーナーさんにちょっと強引にされたいなとか思ったことありますけど!
────いやそうじゃなくて!
エイシンフラッシュ、本日二度目のかかり気味であった。いつもより多めにかかっております。かかるな。
「フラッシュ」
「ひゃいっ!」
もうダメかもしれないこの子。
耳元で囁かれた言葉に上擦った返事をする。失態だった。夢とはいえ恥ずかしかった。今までの顔の熱とは違う熱が彼女の内側から溢れ出す。
「しばらくこのまま、俺だけ見てて、後ろや横には絶対向かないでね」
「ひゃい……」
そこでふと、違和感があった。
エイシンフラッシュが気づいたこと。少し顔を上げて、トレーナーを見上げる。下から見る彼はいつもより大きく見えた。アタマ一つ分近く高い彼の身長が、普段よりも高く見えた。その視線がエイシンフラッシュではない
そして、彼の口が、エイシンフラッシュではない他の誰かに開かれる。
「そろそろいいかな。〈
────さて。
────果たしてこれは、どこまでが夢?
誰かにそう問われた気がした。その瞬間、エイシンフラッシュの親指が
それと同時に湧き上がる一つの疑念。それは今、まさに何者かと相対しているトレーナーに対するものだった。
────トレーナーさん。
────あなたは本当に、夢ですか?
◇◆◇
「そろそろいいかな。〈
それはポスターに載っていたフリークの一人の名前だった。
トレーナーの視線の先にいたのは男のような影であった。あるいは影のような男であった。全身を黒い服で覆い、手と指の先まで黒い手袋で隠している。その隙間から見える肌も、墨のように黒かった。事実それは墨であった。その男は、全身を怪物のような刺青で覆っていた。
刺青の男がメリーゴーランドの陰からずっとこちらを見ていた。
「何をしたいのかは知らないけど、帰ってほしいな。君たちのカーニヴァルはイリノイ州のグリーン・タウンで終わったんだ。わざわざこんなところまで来て、タチが悪いね」
〈
男は手袋を外し、その手のひらを前に向けた。人の顔のようなものがそこに描かれていた。肩まで髪を伸ばした少女の顔だった。刺青の黒がまるで濡羽色のようだった。
「人を探しているのです」
その男は告げた。歯擦音の多い不愉快な声だった。
「メリーゴーランドに乗せてあげたいのです。彼女はきっと、大人になりたがっている」
「そう。一人で乗っていてほしいけどね」
「すみませんが」
男はまた一歩近づき、トレーナーの顔をまじまじと舐めるように見回した。
「すみませんが」
その目は刺青に劣らない黒さを湛えていた。それが目なのかすら判別できないほどだった。トレーナーは己の顔を覗く影から目を逸らさぬよう努めて、腕の中で震える少女をより強く抱き寄せた。
「クーガー=ダーク合同ショーは一人の少女を選びました。幸運なことです。一人、たった一人です! 今回の興行中に特別なゲストになってもら────」
「あいにくと」
意気揚々と語る〈全身を彩った男〉の言葉を遮る。
その声音にエイシンフラッシュは驚いて顔を上げかけた。上げかけたところで後頭部を抑えられた。
トレーナーの声音は酷く落ち着いていて、どことなく嬉しそうで、喜色さえ孕んでいた。
「彼女は渡せないよ。俺のたった一つの宝物なんだ」
「っ……!」
心臓が跳ねる。彼のシャツを握る手に力が籠る。顔が熱くなる。
「悪いね、J・C・クーガー。ミスター・ダーク。俺たちはメリーゴーランドには乗らない。そのメリーゴーランドの仕掛けは知ってるよ。前に進めば時が進み、後ろに戻れば時が戻る。永遠も刹那も、過去も未来も自由自在だ。そうだろう?」
〈全身を彩った男〉は答えない。が、トレーナーは淡々と、それでいて楽しそうに、あるいは嬉しそうに答え合わせを続ける。
「この学園にいたらオカルトなんて珍しいものじゃないけど、ちょっとお前は洒落にならない。ブラッドベリの物語は本の中だけにしてくれ」
ブラッドベリ。アメリカの作家、レイ・ブラッドベリのことを指しているのだとエイシンフラッシュは理解した。
SFの叙情詩人とも評されることのある作家だ。どうやらトレーナーは、今そこにいる何者かのことをよく知っているらしかった。
足音が二人に近づく。それでも彼は一歩も退かなかった。
「夢は美しいままであるべきだ。ここはお前たちの
見せつけるようにトレーナーは笑った。〈全身を彩った男〉の足音が止まる。エイシンフラッシュの耳元で、彼はこっそりと「笑って」と囁いた。
「恐怖を好むフリークは、恐れの無い笑顔に弱い。そうだろう、〈全身を彩った男〉。残念だけど、俺はお前たちを知っているよ」
「あの、トレーナーさん、力つよ……」
「俺はお前を撃ち殺せない。だけど、そろそろ日の出の時間だ」
抱き寄せた少女の背中へ腕を回し、片方の手を後頭部から彼女の片手へ添える。そのまま引っ張るようにしてくるりと回り、トレーナーは己の顔をエイシンフラッシュに近づけた。それはさながら円舞曲の踊り出しに似ていた。
「踊れる?」
「ぴえ、ひゃいっ」
「なんだい、その返事」
〈全身を彩った男〉に向けていたものではない優しい笑みをこぼし、トレーナーは再度彼女の手を引く。二歩目の滑り出しは好調だった。
いつの間にかメリーゴーランドから音楽は聞こえなくなっていた。黒ずくめの男は視界の中から消えていた。焦ったような鼓動だけがずっとそのままだった。
「フラッシュ、ねえ、フラッシュ」
踊りのさなか、彼は言った。
「もし、一回転する毎に一年歳を取るメリーゴーランドがあったとして、君は乗るかな」
「どういう仮定ですか」
「いいから」
不可思議な問いだった。意味不明な問いだった。理解の及ばぬその問いかけに、彼女は答えた。
「乗ってしまうかもしれませんね」
「それはどうして」
一瞬だけ足が止まり、再度動き出す。僅かな逡巡の末に、エイシンフラッシュもまた微笑んだ。
「早く貴方の隣に並びたいから」
その時、朝日が地平に顔を出していた。
◇◆◇
五時ちょうどが合図だった。定められたアラームが鳴り響くその一音で、エイシンフラッシュは目覚まし時計を停止した。
「今日もスケジュール通り……ふ、ぁ」
決められた準備。決められた朝食。決められた道順。全ては予定通りに進行している。放課後に差し掛かると、予定に無い欠伸が出た。今日は少し寝不足だった。
どうにも奇妙な夢を見た気がする。恐ろしいような、嬉しいような、そんな不思議な夢だった。その夢の登場人物は、現実のすぐ目の前にいた。
「こんにちは、トレーナーさん」
トレーナー。
エイシンフラッシュを見つけ出した人。停滞から掬い上げた人。トレーナー室の扉を開くと、いつもそこに彼がいる。
彼は今日も変わらない様子で、
「時間通りだね」
「はい。すぐにでもトレーニングを始められますよ」
他愛ないいつもの会話。何気なく進行するいつもの日常。
そのまま予定通りのトレーニングに入ろうかというとき、トレーナーのスマートフォンに着信が入った。二、三言を通話越しに交わすと、何やら急用が出来た様子で「ちょっと出てくる」と彼は言った。
「大したことじゃなさそうだからすぐに戻るよ。それまでストレッチでもしてて」
「わかりました。待っていますね」
歩き去る彼を見送って、エイシンフラッシュはトレーナー室のデスクの縁をなぞった。
なにぶんトレーナーも多忙な身である。こうして唐突に呼び出しを受けるのも珍しいことではない。その分彼といられる時間は減ってしまうが、それはもう仕方の無いことだ。
言われた通り先にストレッチだけでも済ませてしまおうかというところで、指先がデスクの上の何かに当たった。それは一冊の本だった。
それを手に取ってみる。トレーナーは時折私物をデスクの上に置いていくことがあった。今回もまたその一つだろうと、その本の表紙を見た。そこにはメリーゴーランドの写真を背景に、このようなタイトルが書かれていた。
「〝何かが道をやってくる〟……レイ・ブラッドベリ」
〝何かが道をやってくる〟。
SFの叙情詩人、レイ・ブラッドベリによる初の長編小説である。
「『その年、ハロウィーンはいつもより早くやってきた。そしてジムとウィル、ふたりの十三歳の少年は、一夜のうちに永久に子供ではなくなった』……」
ぽつり、ぽつりとあらすじを読み上げる。
エイシンフラッシュにとってそれは
何かに導かれるように彼女はページをめくっていく。その中に、覚えのあるいくつかの単語が見えた。
「十月二十四日、午前三時、メリーゴーランド……〈全身を彩った男〉」
ジム・ナイトシェイドとウィル・ハローウェイという二人の少年は、十月二十四日の午前三時、機関車と蒸気オルガンの音色を聞いた。彼らはそこで『
〝何かが道をやってくる〟とはそういう話だ。ホラーのテイストを持つファンタジーである。ブラッドベリはかの『ウィアード・テイルズ』に作品を載せたこともあったし、恐怖のカーニヴァルを題材にした『闇のカーニヴァル』という彼の別作品はアーカム・ハウスから刊行されている。エイシンフラッシュはそんなことを知る由も無かった。
知らない話。知らない物語。そしてそれを題材にした見知らぬ夢と、よく知る人が現れた夢。
ここで彼女は、その夢の中で抱いた一つの疑問を思い出す。
────トレーナーさん。
────あなたは本当に、夢ですか?
さて。
果たしてこの物語は、どこまでが夢でどこからが
あれは本当にただの明晰夢だったのか。
二人の夢は交錯していたのか。
たしかなことはただ一つだけ。
この夜、たしかに彼女の心臓は跳ねていた。
◇◆◇
────時は少し遡る。
「あれ……」
トレーナーは夢を見た。
度重なる残業と激務に追われ、「どうせトレーナー寮はすぐそこだし」と終電の時間を気にすることなく仕事に没頭していたら、いつの間にかデスクに突っ伏して眠りに入っていた。微妙な背筋の痛みを覚え起き上がると、自分が寝入っていたことに気がついた。
時計を見れば時刻は午前三時だった。最後の記憶があったのは日付が変わった直後だったために、約三時間ほど寝落ちしていたらしい。身体が痛いのは当然の道理だった。
椅子から立ち上がって背筋を伸ばす。その時窓の外が目に入った。不思議な音が耳に入った。何かが外で輝いていた。何かが外で鳴っていた。見れば、そこにメリーゴーランドがあった。
「なんだ、あれ」
現実味の無い光景。不審物、というにはあまりに大きい謎の円形を目にして、彼はそれを興味深そうに眺めた。そしてあるものを目にしてすぐさまトレーナー室を飛び出した。
これは夢か現実か。その思考と判断を一回置き去りにしても、彼は走り出さなくてはならなかった。現実味の無いこの空間に、現実的なものが出てきてしまったから。
それは校門から歩いてくるエイシンフラッシュの姿だった。
何故彼女がここに?
何故彼女がそこに?
疑念は尽きなかったが、もしこれが夢だというのなら、よく見る顔だったから記憶の一つとして現れただけだと言えただろう。が、トレーナーは何か、ずっと厭な予感がしていた。
果たしてこれは、本当にただの夢なのだろうか。
「杞憂だったらいいけど」
時計を見る。針は進んでいなかった。
走る足が重い。足が鉛に変わってしまったかのようだ。思うように前に出ない。
たしかにこれは夢のような感覚だ。ならばきっとこれは夢だった。まごうことなき悪夢に違いなかった。
足を引きずるようにして彼はトレセン学園の廊下を行く。そのさなか、窓からグラウンドが見えた。まだエイシンフラッシュはゆっくりと歩みを進めている。その歩みの先にはメリーゴーランドがあったが、もう一つ、不可思議なものがそこにいた。メリーゴーランドの陰から、全身黒づくめで、顔が陰になっている長身の男がいたのである。
トレーナーはなんとなく、あれはまずい、と思った。理由の説明はできないが、どうにも
「急がないと」
それだけ呟いて、トレーナーは痛む身体を走らせた。
一つだけ、彼はこの状況に心当たりがあった。
◇◆◇
────それが昨夜の話。
電話で呼び出された急用というのは一言二言で終わった。曰く、最近夜中にやたらめったら煌びやかな光を放つ何かがトレセン学園周辺にいるとのことで、そのような不審物──あるいは不審者──に注意するようにとの通達をわざわざ対面でされただけの話である。
そんな
果たしてお前の言う『気をつけないと』は不審な物への注意なのかそれともお前自身が不審な者なのかどっちだと。口には出していないが、おそらくその場にいた全員が同じことを思っていたに違いない。
「良い風だな」
呼び出された場所からトレーナー室に戻る最中、気が向いて練習場に向かった。昨夜、夢で見た場所だ。
────夢。
そう、夢だ。夢のはずなのだ。あの不可思議な光景は、全て夢のはずなのだ。
「……何も無い、よな」
彼ははっきりと夜の出来事を覚えていた。
煌びやかなメリーゴーランド。鳴り響く蒸気オルガンの音。金属が回転し、石炭が燃焼し、這いずる竜のようにがらがらと音を立てていたそれは、今どこにも、その影すらも残ってはいない。
あれは明晰夢の一つ。働きすぎて過労で疲れていたのだろう。彼はそう判断した。そう思わざるを得ないほど、あの夜は荒唐無稽な夢だったのだ。
で、あれば。
「まさかフラッシュの夢を見るなんて」
あの夢の出来事は全て、記憶の整理か願望の発露ということになる。
トレーナーはその内容を思い返していた。
〝何かが道をやってくる〟に登場する〈
秋というこの季節に、秋の作家として名高いレイ・ブラッドベリを読んでいた。だからその内容────子どもが謎の怪人に襲われるというそれを、身近な人や場所に置き換えた夢を見ていたのか。夢に理由を求めるならそうなるだろう。
────本当に?
耳元で誰かが囁いた気がした。振り返っても誰もいなかった。秋の風が吹いていただけの青い空がそこにある。
「……だとしたら、あの言葉は……」
夢から醒める直前、エイシンフラッシュと二人でオルガンの音色に合わせて踊っていたとき。
トレーナーの「回転する毎に歳を取るメリーゴーランドがあったら乗るか」という問いに、彼女はたしかにこう言っていた。
乗ってしまうかもしれないと。
早く貴方の隣に並びたいからと。
夢は記憶の整理と願望の発露だ。
トレーナーは彼女が自分を好いていることを知っている。その上で、当然の疑問が顔を出すのだ。
────だとしたら自分は?
────自分は彼女のことをどう思っている?
「うーん……」
それを考えて足が止まった。顎に手を当てて思案した。思ったよりもそれは重要な命題で、彼はその答えを懸命に考えて────
「疲れてたのかなぁ……」
そこでその結論になるからお前はダメなんだよ。
残念ながらどうもならなかった。無駄に有能な頭脳が本当に無駄だった。
彼は夢であった出来事を過労故の幻覚だと思ってしまった。風邪を引いたときに見る夢と同じ類いのものだと。たしかに風邪引いたとき変な夢見るけどさ、そうじゃないじゃん。そういうものじゃないじゃんそこは。
「まあフラッシュが夢に出てきたの、別に初めてじゃないし」
ある意味で不運だったのは、トレーナーがエイシンフラッシュの夢を見るのは珍しいことではないということだ。
常日頃からかなりの時間一緒にいるのだから、眠りが浅いときにその記憶の一部が表出するのはおかしなことではない。当然といえば当然の帰結だ。残念ながら、彼はもうエイシンフラッシュの夢に慣れてしまっていたのである。
「やっぱ残業ってよくないよなー、ちゃんと寝ないとまたフラッシュに怒られる」
それは寝ろ。ただでさえ
結局トレーナーは何も得ないまま思案を終えてしまった。チャンスはここくらいしかなかったのだが、残念ながらこれ以降自身の内面を思い返すことはなかった。もう彼の思考は今日のトレーニングに向いており、夢の内容は『終わったこと』に分類されていた。
故に、この話はこれで終わり。いつも通り、取り留めのない勘違いの日々が、同じように過ぎていく。これはそれだけの物語だ。
だが。
一つだけ、違いがあるとすれば。
トレーナーの脳裏に過った一つの仮定。あるいは、今まで見ようともしてこなかった一つの仮説が、ふと頭に浮かんだ。
────もしかして。
────自分が思っているより、俺は。
────彼女のことを、大切に……
「……まさかね」
そんな、らしくもないことが一瞬浮かんで、消えていく。
今日は十月二十四日。どこまでも高い空と、少し冷たい風。色づき始めた葉が宙を舞う。
どこか遠くからオルガンの音色が聴こえて、それを振り払うように、トレーナーは歩き出した。
……………………。
……………………さて。
どこまでが、どこからが、夢だったのだろう?
◇◆◇
ある年のハロウィンに、それは機関車と蒸気オルガンの音を響かせて街にやってくる。それは邪悪で、狡猾で、仲間を増やしたがっている。
絢爛豪華なショーに御用心あれ。メリーゴーランドに御用心あれ。十月の空気はよくないものを連れてくるのだから。
『J・C・クーガー&G・M・ダーク提供、パンデモニウム・シアター・カンパニー、国際的なサイド・ショーと不自然博物館が付随!』
魅惑的なカーニヴァルに、御用心あれ。
参考資料
「何かが道をやってくる」(創元SF文庫)
著:レイ・ブラッドベリ
訳:中村融
時系列的には最終話が終わった後、同じ年の秋です。前話より少し前ですね。
今回使った本はちょっとマイナーすぎたかなと思っています。どれくらいマイナーかっていうとWikipediaが存在しません。秋→ハロウィン→ブラッドベリで連想して書いたんですが、読んでくれた方が気軽に調べられないのが何ともなあと思うばかりです。原作も面白い話なので興味があれば是非読んでみてください。
ここから先は宣伝です。
8月16日に東京ビッグサイトで開催されるコミックマーケット106にて、サークル『春一番』の方から私が参加した合同誌が頒布されます。お品書きはこちら。エイシンフラッシュとトレーナーが合宿中にアグネスタキオンの薬で不思議な体験をする話です。
合同誌参加も4回目。毎回季節がテーマなのですが、春夏秋冬一周するまで全部エイシンフラッシュで書きました。現地にお越しの方がいらっしゃいましたら、よろしければ手に取ってみてください。
感想や評価があれば是非。
この戦いの最終的な勝者は?
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エイシンフラッシュ
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トレーナー
-
ダークライ
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その他