【完結】もう恋人だと思っているエイシンフラッシュVSそんなことは微塵も考えていないトレーナーVSダークライ 作:かむくら
「演劇をやる?」
「はい」
それは、ある日突然告げられたことだった。
3月の終わり。出会いの季節が始まる前、別れの季節の終わり際。出会いと別れの基準が曖昧なトレセン学園にとっては、年度の変わり目以上の意味を持たない、そんな時期。
今日も今日とてトレーニングメニューを考えていたトレーナーは、そのエイシンフラッシュからの報告に目を丸くした。
「テイエムオペラオーにでも誘われたの?」
トレーナーの脳裏に浮かんだのは、とある一人のウマ娘だった。
テイエムオペラオー。常に芝居がかった歌劇口調で、オペラや文学を用いた独特の言い回しと清々しいほどのナルシストっぷりが目を引く、トレセン学園の有名人の一人である。その伝説は──良い意味でも悪い意味でも──様々あるが、とある年度において年間無敗でシニアG Iグランドスラムを達成したそれが一際有名だろう。自称も他称も〝世紀末覇王〟。ターフの上では最強の一角として君臨する彼女が、トレーナーの脳内で高笑いをあげていた。
軽く頭を左右に振ってその幻影を振り払う。段々と遠くなっていく高笑いから意識を外し、エイシンフラッシュに目を向けた。
エイシンフラッシュは首肯し、
「そうですね。昨日、オペラオーさんから直々にお話をいただきました」
「ファン感謝祭?」
「その通りです」
聞いて、トレーナーは視界の端に佇む卓上カレンダーを一枚めくった。
ファン感謝祭。4月になってすぐにある一大イベントであり、文字通りウマ娘とファンの交流の機会となる年に一度のお祭りである。チームやウマ娘それぞれで出し物や出店を用意することもあり、その盛り上がりは毎年相当なものだ。
オペラオーは過去、同世代のメイショウドトウとアドマイヤベガを集め歌劇を企画したことがあるという。その時の目的は自らの世代をアピールすることだったらしいが、今回に至ってはそこから外れたエイシンフラッシュに声をかけているため、そういった目的ではないことは明白だった。
「なんでフラッシュに頼んだんだろうね」
「それが、どうやらオペラオーさんによるキャスティングではないとのことで」
エイシンフラッシュから語られたのは、不思議な事の顛末だった。
「企画の始まりはオペラオーさんだったらしいのですが、彼女は今回舞台の外で何かをするつもりはないそうです」
「……? それはどういう?」
「どうやら、脚本とキャスティングは全てアグネスデジタルさんにお願いしたようでして」
「なるほど」
ああ、と手を叩いて納得した。
アグネスデジタル。多くのウマ娘が『走るため』に集まるこのトレセン学園において、ウマ娘を間近で見るためという奇妙奇天烈な理由で在籍する、これまた有名人の一人である。
とんでもないウマ娘オタクであり、このトレセン学園内でも随一のウマ娘知識を誇るのは彼女の姿を一目見れば察するところであろう。何やら創作活動でもしているのか、ことウマ娘が関わるその発想と文筆において彼女の右に出る者はいないとさえ言える。
演出、脚本、その他諸々を自らで賄えるテイエムオペラオーがわざわざ頼むほどであるから、彼女もアグネスデジタルのそういった才について一目置いていることは確かだった。
「アグネスデジタルさんが選んだ脚本と指名された役者を、オペラオーさん自らかき集めているそうです」
「彼女らしいね」
「ええ。そういった真っ直ぐなところは尊敬に値します」
それで、とトレーナーは一呼吸置いた。
「何の劇をやるの?」
「それについては、パンフレットをいただいています」
これを、とエイシンフラッシュは鞄から薄い二つ折りの紙を取り出した。鮮やかなレイアウトとアグネスデジタルのものであろうイラストが目を引くそれは、本当に劇場で配られていても遜色ないほどのクオリティだった。
その表紙に書かれていたタイトルは────
「ロミオとジュリエットか」
ウィリアム・シェイクスピアの名作、歴史の中で長く愛されてきた悲劇、世界一有名な恋の物語だった。
ロミオとジュリエット。知らない人はいないであろうほどに有名すぎるそれについては、当然トレーナーもある程度の知見があった。
イタリアの一角、花の都ヴェローナ。その街を二分する名家モンタギューとキャピュレットの家に生まれたロミオとジュリエットが、許されぬ禁断の恋を叶えようと奔走し、最後にはとある勘違いから死に至る。
詳しい内容までは知らずとも、それが悲劇であることと、一部の台詞を聞いたことのある人間は多いことだろう。『ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの』というジュリエットの言葉は、知らない者を探す方が難しいのではないだろうか。
それほどまでに有名であるから、たしかに頼まれごとに引っ張り出す演目としては申し分ない題材だろう。しかしトレーナーは疑問だった。脚本を選ぶ権利を与えられたのは、他ならぬあのアグネスデジタルである。そんな彼女がこの悲劇を選ぶのは、ウマ娘の悲しむ顔を見たくないと豪語するアグネスデジタルらしくないと思えた。
「なんか意外だね。アグネスデジタルがこういうの選ぶなんて」
キラキラしたウマ娘に目を輝かせる彼女のイメージ通りに脚本を選ぶのならば、同じシェイクスピアであっても〝夏の夜の夢〟は円満な結末を迎えるものだし、そういった脚本を選ぶものだと思っていた。だからこそ、意外と言う他ない。
それについては、エイシンフラッシュが答えを返した。
「どうやら、アグネスデジタルさんもトゥインクルシリーズで色々思うところがあったらしく。ウマ娘ならば喜ぶ顔も素晴らしいが悲しむ顔もやはり美しい、と改めて認識したようです」
「そこだけ聞くと倒錯的だね」
「ですが、愛は本物ですよ」
小さく笑う。他ならぬウマ娘のエイシンフラッシュが言うのだから、きっとそうなのだろう。聞くところによると奇行が目立つだけで悪い
「で、君は何の役を
「それに載ってますよ」
言われて、トレーナーはパンフレットを開いた。外見の完成度に違わず、中身も相応の出来栄えを誇っていた。どう見てもプロの所業にしか見えないそれに、「外注したのかな」と言葉を漏らせば、
「いえ、アグネスデジタルさんが作ったそうですよ。一晩で」
もうその道で食っていけるよとトレーナーは慄いた。
エイシンフラッシュが話を貰ったのが昨日。キャスティングが決まり、全員に承諾を得てからこれを作り始めたのであれば、作業時間はそれこそ一日すらない。恐ろしいプロ根性である。今頃燃え尽きたように真っ白になっているだろう
パンフレットの左下にキャストと役柄が紹介されている。そこに並んだ名前は、見ればわかるような
【大公一味】
ヴェローナ大公:シンボリルドルフ
マキューシオ:エアシャカール
パリス:エアグルーヴ
【モンタギュー家】
モンタギュー:ヒシアマゾン
モンタギュー夫人:メジロドーベル
ロミオ:ゴールドシップ
ベンヴォーリオ:テイエムオペラオー
アブラハム:オグリキャップ
バルサザー:スーパークリーク
【キャピュレット家】
キャピュレット:フジキセキ
キャピュレット夫人:メジロマックイーン
ジュリエット:ライスシャワー
ティボルト:エイシンフラッシュ
乳母:ミホノブルボン
ピーター:セイウンスカイ
サムソン:タマモクロス
グレゴリー:イナリワン
【他】
ロレンス神父:マンハッタンカフェ
語り:アグネスデジタル
一通り上から下まで目を通し、ふとトレーナーの口から浮かんだ思いが溢れ出る。
「よくこれ集めたね」
「本当にそう思います」
感嘆の言葉だった。
会長副会長を筆頭に、寮長やメジロの二人など、普段なら一堂に会することなど有り得ない面々が揃っている。本来であれば一人で主役級のオグリキャップ世代の四人をそれぞれの家の従者役に当てるなど、そのキャスティングからはこれ以上ない〝本気〟が伺えた。
同時に、これら全てに声をかけて引き入れたテイエムオペラオーの弁舌に恐れ入った。どういう交渉をしたらこれだけ豪華な面子を集められるのだろう。今後話す機会があれば参考にさせてもらいたいと、トレーナーはまだ見ぬ驚異の口上手に敬意を抱いた。
だが、見ていく中で気になるところがあるのも事実。それはモンタギュー家、ロミオとベンヴォーリオのキャスティングだ。
「オペラオーがロミオじゃないんだね。彼女こそ主役に抜擢されるものだと思っていたけれど」
「そこはアグネスデジタルさんの采配ですね。何故そうしたかは本人にしかわからないところですが」
「そしてなんでゴールドシップ……?」
「それは……なんででしょう。ゴルシさんは、ああ見えて真面目な時を弁えている方ですから、与えられた役をきっちりこなすとは思いますが」
二人の脳裏に浮かぶのは、破天荒を体現したような芦毛のウマ娘。『黙れば美人、喋れば奇人、走る姿は不沈艦』と、最初に彼女をそう評したのは誰だったか。人の理解の範疇を飛び越えて遥か彼方をひた走る────かと思えば、行った先によくわからない置き土産を残している。ゴールドシップとはそういうウマ娘だった。
思い返せば、エイシンフラッシュもかつてゴールドシップに散々巻き込まれた側である。
ケーキ店巡りをしようと約束をしたら何故か駄菓子掴み取りツアーに参加させられたり。珍しく慌てた様子の彼女からスマートフォンを押し付けられたかと思えば、それはトーセンジョーダンから強奪してきたものだったり。そういったエピソードにはキリがないが、しかし決めるべき場面では十全に仕事を果たす、過激すぎるメリハリと緩急の持ち主。エイシンフラッシュの中でのゴールドシップ評はそういうものだった。
それを踏まえてもキャスティングの理由はよくわからなかった。ロミオとジュリエットは18歳と13歳の恋物語であるから、ジュリエット役ライスシャワーに対しての身長差での選出だろうか。ぼんやりと頭の中で貴族の子息らしい格好をしたゴールドシップを想像してみると、何故かやたら似合っていた。
昨年のファン感謝祭でも女性ファンに囲まれていたし、意外とそういった役柄に似合う人物なのかもしれないと、エイシンフラッシュは納得した。
「そういえばさ」
と、思案に沈むエイシンフラッシュを、トレーナーの声が引き戻す。
「フラッシュは読んだことあるの? ロミオとジュリエット」
「ええ、シュレーゲル訳のものを」
「やっぱりヨーロッパの方だと人気なの? だったらイギリスとかシェイクスピアの出身地だし、みんな知ってるものなのかな」
「意外とイギリスの方はシェイクスピアを読まないらしいですよ」
「そうなの?」
トレーナーが首を傾げる。ええ、とエイシンフラッシュが返した。
曰く、イギリスのほとんどの人が──特に学生は──シェイクスピアの文章が嫌いなのだという。イギリス国外では読みやすいように現代文に訳されるが、現地ではそうもいかない。実際に演劇として上演されているものを見れば内容を理解することができるが、出版されている戯曲としてのシェイクスピアは大抵が原文のままだ。
即ち、シェイクスピアが執筆した当時の、約400年前の英語。大体の学生は小学校や中学校でシェイクスピアを習い、古い英語に苦労しながら、シェイクスピア嫌いになっていく。
例えるならば、日本人の全員が古典を読めるというわけではないようなもの。向こうにもそういうのがあるんだ、なんてトレーナーは驚いた。
「フラッシュがやたら文学に詳しいから、みんなそういうものなのかと」
「自分で言うのもどうかと思いますが、私のようなケースが特殊なんですよ。ほとんどの人は文学を読みませんし」
「まあ、だよね」
大抵の人は国語以外で文学を読まない。どれだけ世界に名著があふれていると言っても、手に取られなければただの紙でしかない。昨今芥川賞や直木賞で話題になるような作品でもなければ、いかに名前が知れ渡っているといえども、過去の作品に手を伸ばすことはそうないだろう。
手に持ったままのパンフレットに目を落とす。
トレーナーは戯曲としての〝ロミオとジュリエット〟は読んだことがあったが、上演されているのを見たことはなかった。たまにはこういうのを観るのもいいかな、と思って、当日のスケジュールを確認する。
「でも残念だな」
ふと、そんな言葉が口から
「ジュリエットが君じゃないなんて」
「何故です? ライスシャワーさんもかなりハマリ役だと思いますが」
「それはそうなんだけどね。ただ、やっぱり思うんだよ」
スケジュール帳を閉じる。エイシンフラッシュと契約してから、彼女につられるようにしてつけ始めた日々の予定と記録。4月の予定のとある一日、赤丸をつけたファン感謝祭の日の欄には、小さく『フラッシュの劇』と書かれていた。
「世界一綺麗なジュリエットは見られなくなっちゃった」
なんて、微笑みながら
「舞台に上がるのは誰よりも愛らしいジュリエットみたいだから、俺は世界一綺麗なティボルトを楽しむことにするよ」
「……それ、私以外に言っちゃダメですよ」
「……? 君以外には言わないよ?」
エイシンフラッシュから返された言葉の意味をわかっているのかいないのか、無邪気な子供のようにトレーナーは首を傾げて。
逸らされた彼女の顔は、どことなく赤くなっているように見えた。
◇◆◇
────なんて、そんなことを話していたのが幾日か前のこと。
いよいよ迎えたファン感謝祭。天気は快晴。人入りは良好。今年も例年に並んで盛況だった。
数々の
本来運営側であるシンボリルドルフとエアグルーヴが劇に駆り出されているので、恐らくはその手伝いだろう。いつだかのファン感謝祭では、『カイチョーの代理』と称して学園内で人助けに奔走する彼女が見られたこともあるという。大変そうだなと、どこか楽しそうな彼女から視線を外し、トレーナーは別の場所へ足を向ける。向かう先は勿論、本日のメインステージ────〝ロミオとジュリエット〟である。
聞いた話だと、あれだけ多くの人気ウマ娘を起用するのだから、自由入場だと席がいくつあっても足りないとのことで、整理券の事前配布を
また、整理券の転売対策のために顔写真の登録まで
それぞれの担当トレーナーや家族には優先的に席が与えられているため、彼はその争奪戦に参加することはなかった。それに関しては幸いだったと、席があると聞いたときに安心したのを覚えている。
「えっと、場所は……」
パンフレットの表紙に書かれた文字を見る。劇場に選ばれたのは体育館だった。そこだけ聞くと一般的な学校の文化祭のようだが、ここはトレセン学園である。その設備や広さは相当なもので、当然空調まで完備されている。カーテンを閉めれば即席劇場の完成だ。
入ってみると、既に八割ほどの席が人で埋まっていた。開演まであと30分以上はあるのにこれなのだから、どれだけ今回の劇がファンから期待されていたかわかるというものだろう。
エイシンフラッシュから教えてもらった席に向かうと、たしかにそこには『関係者席 エイシンフラッシュトレーナー』と張り紙がされており、一つ椅子が空いていた。ありがたいことだとそちらに近づくと、何やら隣の席に見知った顔があることに気がついた。
それは、エイシンフラッシュの両親だった。
「……おや。あなたは、フラッシュの」
「お久しぶりです。この間のドイツ以来ですね」
「ええ。いつも、娘がお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ。いつもフラッシュさんには助けられてばっかりで」
交わす言葉は日本語。互いに共通する一人の少女の話が弾む。いつかあったこと、これからあること。立場こそ親とトレーナーで、それぞれ違うものでも。同じ大人の目から見たエイシンフラッシュの話題はいくつもある。
本人がいないからこそ話されるような、幼少期の少し恥ずかしい話とか。
本人がいないからこそ話されるような、少しだけ気恥ずかしい失敗とか。
そんなことをしていれば、いつの間にか開演時間が迫っていた。照明が一つずつ消えていき、次第に話し声も聞こえなくなる。体育館が劇場へと変わり、その空気が奇妙な緊張感を纏った。
それを打ち破ったのは、舞台横に降りたスポットライトの光。そこにいたのは、明るい髪色をした一人のウマ娘。アグネスデジタルだった。
マイクの電源が入る小さなノイズ。すぅ、という呼吸音。わずかばかりの静寂が間に挟まって、彼女は口を開いた。
「花の都のヴェローナに
肩を並べる名門二つ、
古き恨みが今またはじけ、
町を巻き込み血染めの喧嘩。
不幸な星の恋人たち、
哀れ悲惨な死を遂げて、
親の争いを葬ります。
これよりご覧に入れますは、
死相の浮かんだ恋の道行き、
そしてまた、子供らの死をもって
ようやく収まる両家の恨み。
二時間ほどのご静聴頂けますれば、
役者一同、力の限りに務めます」
幕が上がる。幕が開く。これより、〝ロミオとジュリエット〟は開演した。
◇◆◇
「
「
そして、劇が終わった頃。
トレーナーとエイシンフラッシュの両親は、舞台裏にいた。約二時間の公演。死をもって終わりを迎える悲劇は、その筋書き通りの結末を見て、モンタギューとキャピュレットは和解した。最後に全てのキャストが舞台に上がっての一礼をしたときは、会場全体から割れるような拍手が鳴り響いた。無論、トレーナーもその中の一人だ。
先程とは打って変わって、交わされる言葉はドイツ語だった。多少学んだ成果か、トレーナーにもある程度何を言っているかは理解できる。エイシンフラッシュから両親に向けての呼称が親しみを込めたものであるのを聞いて、せっかくの機会だし、家族の中に入り込むのも野暮だと判断した。トレーナーはそっとその場を離れる。半年ほど前の天皇賞秋でも似たようなことをしたなと、彼は走り抜けた足跡を思い返した。
舞台裏から抜け出して、開け放たれた裏口から外に出た。暗闇と舞台の照明に慣れた目に太陽が眩しい。中天は直上から僅かに傾いているが、空は雲一つない澄み渡った青だった。
さて、これからどこへ行こう。トレーナーは考えた。元よりファン感謝祭でトレーナーがやることなどそうない。ウマ娘とファンのためのイベントなのだから、トレーナーの出る幕がないのは当然のこと。見たい出し物や企画はこの劇しかなく、あとは適当に歩きながら知り合いのところを見て回るくらいしか案がなかった。
どうするか、空を見上げて考える。いっそどこかのベンチで終わるまで座っていてもいいのだが、それはさすがにつまらない。
「トレーナーさん」
そんなとき、後ろから声をかけられた。聞き慣れた声。振り返る。そこに立っていたのは、舞台衣装に身を包んだエイシンフラッシュだった。
「ご両親はいいの?」
「待ってもらっています。この後、二人と一緒に回る予定です」
「そっか」
そう告げたエイシンフラッシュの様子は、トレーナーの目から見ても明らかに楽しそうだった。浮かれている、とでもいうような、『ウマ娘』ではなく『子ども』のそれ。なんだか微笑ましい気分になった。大人びているようでもどこか垢抜けないところがあるのをこうして見ると、やはりまだ学生なのだと再認識する。
「すごかったね、さっきの劇」
トレーナーは素直な感想を口にした。
「ライスシャワーのジュリエット役があんなに似合ってるとは思わなかった。勝負服のデザインに短剣があるからかな。それにゴールドシップの演技、底知れない
つらつらと、流れるように出てくる褒め言葉。それらは全て真実である。本当にその通り、全ての役者の演技が並大抵ではなかった。短い期間ながらも相当に練習を重ねてきたことがわかる、感動に値するものだった。
エイシンフラッシュもその評価を聞いて満足げに頷く。シンボリルドルフ演じるヴェローナ大公は威厳に満ちていたとか、ミホノブルボン演じる乳母がやたらハマっていたとか。そうですね、その通りですと誇らしげに肯定し続けていた彼女だったが、それがある程度繰り返されると、段々と表情が曇り始めた。
「……あの」
「エアシャカールがこういうのに出るイメージあんまりなかったんだけど、マキューシオの粗野な言葉遣いの再現が本当に上手いね。まるで本物みたいだったよ」
「……その」
「ピーターにセイウンスカイを当てた理由がわからなかったけど、シェイクスピアはその役を道化師にやらせるつもりだったみたいだし、トリックスターとジョーカー的な意味でのキャスティングだったのかな? だとすれば、アグネスデジタルは相当色んなことを調べたんだね」
「……えっと」
「そうそう、あとは時間だよ。〝ロミオとジュリエット〟って絶対二時間じゃ収まらない長さなのに、駆け足にならず二時間にまとめたのは本当にすごい。やっぱり彼女は多才だね。いやぁ、本当に────」
「トレーナーさん!」
エイシンフラッシュが声を荒げる。普段落ち着いた彼女からこんな声が聞こえたことに、トレーナーはひどく驚いた。その声音には怒りさえ感じた。
「……私は……?」
絞り出すような、呻くような。
「私には、何かないんですか……?」
そこにあったのは、行き場のない悲しさのような何かだった。
理不尽なのはわかっている。不条理なのはわかっている。でも、叫ばずにはいられなかった。自分を差し置いて他の人ばかり褒められることに、言いようのない焦りを感じた。憤りに似た胸のつかえを感じた。表出したのは、そんなもの。
ここに来て、ようやくトレーナーも理解した。ずっと他のキャストのことばかり褒めていたのが、エイシンフラッシュを傷つけたことを遅れながらに理解した。目の前にいるこの少女も、あの舞台に立っていたのに。他ならぬキャストの一人だったというのに。
「……ごめんね、フラッシュ」
「……いえ、こちらこそ」
トレーナーの言葉が止まる。対して、エイシンフラッシュの顔に見えたのは後悔の色だった。身勝手な怒り、身勝手な悲しみ。観客に過ぎないトレーナーがどのような感想を抱こうが自由であるはずなのに、それを遮ってしまったという、演者に相応しくない振る舞い。それら全てが悔やまれる。顔を見せたくなくなって、俯いた。
しかし、
「フラッシュについては最後に言おうと思ってたんだ。長くなっちゃうから」
え、と声にならない声が漏れて。エイシンフラッシュは顔を上げる。見えたトレーナーの表情は、優しかった。
「……実はさ、フラッシュが出てたときの内容、あんまり見てなかったんだよね。ずっと君のことばっかり見てたから、話の内容とか、他のウマ娘とか、全然見えてなかった」
「それは……」
「だから言いたいことが多すぎて、先に他の
演者とは、演じるもの。演者は役を被り、役に忠実になる。自己の個性を消失させ、被った役に溶け込ませる。そこにいるのは演者ではなく、その劇に登場するキャラクター。その瞬間から、演者は自分ではない他の誰かになる。見るべきは、そのキャラクターを含めた物語の全体だ。
しかし、トレーナーは別だった。シンボリルドルフのヴェローナ大公も、ゴールドシップのロミオも、ライスシャワーのジュリエットも、それは〝ヴェローナ大公〟であり〝ロミオ〟であり〝ジュリエット〟だ。ウマ娘個人ではない。それを踏まえて、そのシーン全体を視界に収める。そういう風に、トレーナーは見ていた。ただ、エイシンフラッシュのティボルトだけは、そう見れなかった。
エイシンフラッシュが出てきて、ティボルトが登場した途端、トレーナーの目はそこに釘付けになっていた。それしか見えない、それしか見れない。物語の筋書きは全く耳に入らず、覚えているのはティボルトの台詞だけ。
「あんまり褒められた見方ではないと思うんだけどね」
「い、いえ、そんなこと! ……その、ごめんなさい」
「謝ることはないよ。ただ、一つだけ言わせてほしいかな」
その言葉はどこまでも優しい。心に沁み渡るようで、温かくなっていくようで。いつまでも浸っていたくなるような、陽だまりのような。エイシンフラッシュにとっては、何よりも心地いいものだった。
「誰がいても、何処にいても、最後に考えるのは君のことなんだ。姿が見えなくても、ずっと君のことを考えてる。だから安心して……っていうのは変な話か。まあつまり、そういうことだから」
なんかこういう台詞あったよね、なんて恥ずかしそうに
「ふふ、あはは。それ、ロミオの台詞ですよ。というか、それを言われたロザラインはその後すぐ忘れられちゃうんですよ」
「そうだっけ? いやまあ、言葉の綾みたいなものだからさ」
「ええ、ええ、はい。よくわかりました」
そして、顔を染めていた後悔の色はどこかへ消えて。エイシンフラッシュは笑っていた。つられてトレーナーも同じ
空は青く、日は高く。ロミオとジュリエットの物語は悲嘆で幕を閉じても、ここにあるのは別の物語。毒と剣では終わらない、忘れることのない喜劇の一幕。
悲劇の裏で幕を引く、二人だけのハッピーエンド。
◇◆◇
『お父さん、お母さん。お待たせしました』
ドイツ語で、待っていた二人に声をかける。日の差さない木陰で静かに佇んでいたエイシンフラッシュの両親は、その言葉に反応して彼女に向き直った。
エイシンフラッシュは着替えておらず、今もまだ舞台衣装のままだ。この後衣装を使うこともないので問題ないとアグネスデジタルから言われたのと、両親から『もう少しそれを見ていたい』という要望をされたための格好である。日常の中で着る服とは全く違うので多少の気恥ずかしさがあるが、さながらハロウィンの仮装のようで少し楽しくもあった。
『トレーナーさんとは話せたかい?』
『はい。たくさん感想をいただきました』
口を押さえて、満面の笑みを浮かべる。楽しいときのエイシンフラッシュによく見られる癖だが、両親はそのことをよく理解していた。余程嬉しい言葉を貰ったのだろうと、娘の様子を見て微笑んだ。
特に楽しそうな反応を示したのは、母親だった。
『まあ、なんて言われたの?』
『トレーナーさんったら、ずっと私のことを考えてるんですって』
『なんてロマンチック! まるで告白みたいじゃないですか!』
女性は、いくつになっても恋バナが好きなものである。母親は娘のそういった事情に首を突っ込むのが大好きなタイプだった。何を隠そう、この母親もウマ娘である。
そんな女二人を見て、父親はどのような反応を示したのか。話に混ざろうとはしていない。盛り上がる二人を遠巻きに見つめるのみである。その目に浮かんでいたのは、果たして何の感情であったかはわからない。でもそれは、さながら遠き日の思い出を振り返るような表情だった。
対して、当の娘は顔を赤くして頰に手を当てている。その様子は、一目で暴走しているとわかるようなものだった。
『誰がいても、何処にいても、最後に考えるのは君のことなんだって……』
エイシンフラッシュは恋愛模様になると途端にかかり気味になるウマ娘だった。もうライブラ杯のメンバーには入れないよ。
思い出されるのは先程のトレーナーの台詞。それはきっと、〝ロミオとジュリエット〟の一節のような、似た言葉。
〝そんなことをすれば、
あの人の美しさが一層引き立つだけのこと。
美女の額に口づけするあの幸せな仮面は、
黒いがゆえに、内に隠した肌の白さを思わせる。
目が見えなくなった者は、
失った視力の大切さを忘れはしない。
すばらしく美しい女を見せてくれても、
それが何の役に立つ? ただ
その美人より、もっとすぐれた美人を思い出すだけだ。
さようなら、忘れる
第一幕、第二場。ロザラインという女性に恋したロミオが、叶わぬ恋を諦めさせようとするベンヴォーリオに対して言った言葉である。
ロザラインを諦めるために、それ以上の美女を見せようというベンヴォーリオの計らいを、ロミオはこの言葉で断った。話の流れ的には、この後ロミオはジュリエットに恋をしてしまうのだが────エイシンフラッシュには、トレーナーの言葉が嘘ではないことはわかっていた。
思い出されたのは、あの満月の日の夜のこと。夢に目覚めた眠れない夜。突然かけた電話でも、トレーナーは優しく応えてくれたし、甘い言葉を囁いてくれた。『この綺麗な月を君と見たいって思ってたから』なんて、それこそ戯曲の登場人物でも言うだろうか。
言葉一つで心を乱す、そんな彼のことが、エイシンフラッシュは愛しくてたまらなかった。
『青春ですね。いいんですよフラッシュ、もう家具の入れ替えは済んでいますから』
かかり気味になるのは親子共通だった。もう外堀埋まってるよ。
赤くなって楽しそうに騒ぐ女二人を見つめ、父親は小さくため息を吐いた。空を見上げる。まるでこの空騒ぎを祝福するかのような、どこまでも透き通る青空だった。
「〝知恵と情熱が人間のか弱い体の中でせめぎ合えば、十中八九、情熱が勝ちを収めます〟……」
なんて、そんなシェイクスピアの一節を
その目に浮かぶ感情は、たしかに憐憫の色をしていた。
◇◆◇
「おっ、フラトレじゃねーか」
エイシンフラッシュを見送った後、トレーナーはゴールドシップと出会った。
目を引く芦毛に高い身長。長い髪は纏めて結び、いつも頭につけている耳当てのような何かも今は外している。彼女もエイシンフラッシュ同様舞台衣装のままで、ロミオの格好をしたまま外を出歩いていた。
「奇遇だね、ゴールドシップ。そうそう、さっきの舞台良かったよ」
「おう、お前もあの舞台に感動しちまったってクチか〜? 困るぜ、このままだとハリウッドからオファーが来ちまう」
「多分来ても宝塚じゃないの?」
今のゴールドシップは、ともすれば宝塚の男役に見えなくもない格好だった。高い身長と整った顔のパーツは、可愛いよりも綺麗に比重が傾いており、それこそ今回のような舞台を用意すれば、そっちの道でも十分に輝けるのではないかと思えるほどだった。
なお、彼女が宝塚記念で伝説を残すのは今から2年後のことである。
「しかしどうしてこんなところまで」
トレーナーが今いるのは、体育館からかなり離れた場所────トレセン学園を挟んで反対側に位置するような所だった。
彼は適当に出店で食べ歩きをしながら
そしてどうやら、今回はきちんと理屈があったらしい。
「いやさ、終わった後キャピュレット夫人ことマックちゃんにちょっかいをかけに行ったんだけどさ」
「もう発端からして最悪だよ」
トレーナーの脳裏にキャピュレット夫人役のメジロ家の御令嬢が浮かんだ。また絡まれてるのかと思いつつ、苦笑する。何の因果かゴールドシップとメジロマックイーンは一緒にいることが多いが、今日もそのパターンだったらしい。
「マックちゃんの襟に
「なんで海鼠持ってんの???」
世の中は不思議である。
「せめて生き物とか濡れてないやつにしなよ。生米とか」
「お、洒落か? うまいね、一丁、洒落合戦といこう。お前の靴底が擦り切れるまでやれば、底がなくなっても残った洒落は底なしとくらァ」
「そこそこの洒落で底なしとは、底抜けに
「助けてくれよ、ベンヴォーリオ、アタシの頭じゃ追いつかない」
「とばしてやるから、ついてこい。でなきゃ、勝負あったと叫ぶぜ」
「いや、お前の知恵がそんなに回るなら、アタシは目が回る。アタシは抜けたよ。お前はそもそも間が抜けているけれど」
「ぬけぬけと抜かしたじゃないか、脳みその抜け落ちた抜け殻の頭で」
「抜け殻頭でも、噛みつくことはできる」
繰り返される洒落の応酬。最後にゴールドシップが言ったところで、トレーナーが止めに入った。
「……これいつまでやるの?」
「飽きるまで?」
「シェイクスピアの著作が尽きるまでこれ繰り返すのは無理だよ」
「お前もよく知ってるじゃねーか」
「多少はね」
困ったように彼は笑った。先程の洒落合戦は、全て第二幕第四場で行われたロミオとマキューシオの会話である。ゴールドシップに付き合って始めたが、このままだと本当に日が暮れても終わらなさそうだったので切り上げた。
見れば見るほど不思議なウマ娘である。ゴールドシップを正面から見据えて、トレーナーはそんなことを思った。
奇行が目立つが見目麗しく、狂人じみていても逞しい。実際ファンは多いらしく、去年のファン感謝祭での『ファン運び競争』では彼女に俵抱きされてゴールに連行されるファンの姿を見ることができた。出会い方が違えば、もしかしたら自分もファンになっていたかもしれない。
────そのとき、トレーナーの脳裏に浮かぶ一人のウマ娘の姿があった。
美しい黒鹿毛と、凛々しい目鼻立ち。誰よりも自分を律し、しかし時々年相応の幼さを見せる、大切なパートナー。
エイシンフラッシュ。トレーナーの頭の中には、いつも彼女の姿があった。
そう、いつもである。例えば他のウマ娘の模擬レースを見ている時でも。街中でたまたま知り合いに会ったときでも。どんな時だって、エイシンフラッシュが頭の中にいる。彼女のことを考えなかった時はない。ゴールドシップと話している、今この時でさえも。
彼にとってエイシンフラッシュは唯一無二の存在である。大切な3年間を二人三脚で走り抜けた、心を通わせあったウマ娘である。
ならば、ずっと彼女の姿が頭にあるのは当然のことだ。そして、そういう時はいつも、とある言葉が脳裏を駆ける。初めて会った時からずっと変わらない、たった一つ抱き続けた大切な言葉。
『その時、ふと閃いた! このアイディアは、エイシンフラッシュとのトレーニングに活かせるかもしれない!』
そうじゃないだろ。
トレーナーは仕事人間である。日常生活のほとんどをウマ娘の育成に支配された、とんでもないワーカーホリックである。
彼は日常生活の中のあらゆる出来事をエイシンフラッシュとのトレーニングに活用しようとしていた。スーパークリークがカレーを作っているのを見れば体調管理に活用し、たづなさんと朝帰りすればやる気を上げさせ、ウマ娘二人がトラックを引き上げるのを見て弧線のプロフェッサーのヒントを得るような人間だった。
最後にエイシンフラッシュのことを考えているという言葉は決して嘘ではない。最後にエイシンフラッシュ(のトレーニング)のことを考えている。ただ間に入るべき重要な言葉が抜けていただけだ。
それが一番重要なんだよ。
「ありがとうゴールドシップ。君のおかげで何かいいことを思いついたかもしれない」
「そうか? ゴルシちゃんはまた一人、迷える仔羊を救っちまったみてえだな」
「感謝するよ」
端的に礼だけ告げて、トレーナーはその場を後にした。早くトレーナー室に戻り、思いついたアイディアをまとめたくて仕方がなかった。その裏で着々と外堀を埋められていることなど、本人には知る由もなかった。
そうして、ファン感謝祭は佳境を迎える。例年に勝るとも劣らない熱狂と、誰もが笑顔のこの場所で。
楽しい時間が過ぎていく。大きくなっていくすれ違いに気づけないまま────ただ、時が過ぎていく。
◇◆◇
エイシンフラッシュの成長につながった!
賢さが5上がった。
スキルptが5上がった。
『抜け出し準備』のヒントLvが1上がった。
これは本編とは関係ないんですけど、ドイツ人が家具を新調するときって結婚するときらしいですね。これは本編とは関係ないんですけど。
この戦いの最終的な勝者は?
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エイシンフラッシュ
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トレーナー
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ダークライ
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その他